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2017年5月20日土曜日

各所で数字が異なる自殺率統計の怪

 あまり人に自慢できるようなことではないのですが、実は密かに自殺統計とかにはやたら詳しいです。何故かというと大学二回生の頃に授業でなんでもいいから社会学に関することでレポート書いてこいと言われ、たまたまその頃に集団自殺が流行り始めていたので、自殺をテーマに一本レポートを仕上げました。それ以降もことある毎に世界の自殺統計を見続け、2008年か2009年くらいに自殺率で日本が韓国に追い抜かれた時とかも何故か妙な悔しさを感じたりするほどだったのですが、そんな私から見て以下の報道は久々に血が騒いだというか、一見して疑問を感じる内容でした。

日本の自殺死亡率ワースト6位(ホウドウキョク)

 上記のニュース内容はホウドウキョク(密かにこのネーミング嫌ってる)だけでなく他のメディアでも全く同じ内容で報じています、っていうか多分共同か時事の原稿をそのまま使っている可能性が高いと思いますがそれはさておき、私はこの記事に書かれている内容を見て、「この内容は本当に事実なのか?」とすぐ疑問を覚えました。いったいどの点に疑問を覚えたのかというと、日本の自殺率がワースト6位と書いてある点で、率直に言って近年自殺率が減少傾向にある日本で、ちょっと前までトップテンにすら入っていなかったのにどうして6位に入るのかと奇妙だと覚えました。また、

「自殺者の数が最も多かったのは、リトアニアの30.8人で、次いで韓国(28.5人)、南米のスリナム(24.2人)と続く。」

 という記述もなんとなく私の認識から遠いというか、リトアニアが入っていることはともかくとして世界屈指の自殺大国であるロシアの名前が入ってないのに疑問を持ちました。

韓国の自殺率、世界4位に低下=農薬販売制限が奏功(朝鮮日報日本語版)

 そんな風に探しながら思い出したのが上の記事です。上の記事は韓国メディアが書いた自殺率の国際統計に関する記事で、この記事内容によるとWHOが5/18に自殺率の統計を出したそうで、それによると「スリランカ(35.3人)、リトアニア(32.7人)、ガイアナ(29人)に続いて(韓国は)4番目に多かった」そうです。
 この時点で「韓国は自殺率28.5人で世界3位」と書いた日本の報道とはずれが生じている一方、自殺率の人数は日本の報道は韓国側報道の「28.4人」とほぼほぼ被ってます。

World Health Statistics 2017: Monitoring health for the SDGsメニュー報告書(WHO)

 こうなりゃ原典当たるしかないと思い直接WHOのページに行って上記の報告書とかを読みました。件の数字は報告書61ページの各国の自殺率で出ており、このページの情報によると韓国側の報道は記載内容に沿っており間違いはありません。
 一方、「世界6位」と自称した日本側の報道というか厚生労働省の発表ですが、この数字の根拠はやはり疑問というかはっきり言えばおかしいとしか言いようがありません。WHOの報告をざっと見る限りだと日本の自殺率は19.6人で、この数字以上の国を目につく限り上げると韓国、モンゴル、リトアニア、カザフスタン、ベラルーシ、ポーランド、ラトビア、ハンガリー、スロベニア、ベルギー、ウクライナ、ロシア、スリランカ、ガイアナ、スリナム、赤道ギニア、アンゴラがあり、世界6位はおろかトップテンすら到底望めない立場にあります。

 断言してもいいですが恐らくこの日本の自殺率国際順位が6位というのは統計操作された結果であり実態を表していません。日本側の報道では、「今回の国際比較は、2013年以降でデータがある国のみを抽出したため、全ての国を対象にしていない」と注意書きが入っていますが、上記のWHOデータは2015年に統計が取れる国を対象にしたデータであり、また日本一国の政府がWHOを超える統計データを作れるとは私には思えず、上記の変な注意書きは露骨に統計操作をしたことを言い訳する目的で述べた内容でしょう。

 では何故厚生労働省は統計操作を行ったのか。私が考えるに理由は自殺対策予算の獲得で、そのために日本の自殺率が世界的にも極端に高いということをアピールしようとした所作だろうということです。厚生労働省は以前にも「GKB47」とかいうわけのわからないネーミングで自殺対策キャンペーンを組もうとしていたこともあり、結構この方面で妙な動きというか小賢しい細工をしているように思えてなりません。
 賢しい厚生労働省もさることながら政府発表、というよりもはや大本営発表を鵜呑みにしてそのまま流すメディアというのもどうかと思います。数字の根拠とか原典や情報ソースに当たらず、明らかに誤った情報を垂れ流しており、一見してあのデータに疑問を覚えなかったのか呆れてものが言えません。もっとも、自殺統計を日常的に見ている私の方がおかしいとも思いますが。

 最後に、WHOのサイト内にあるデータベースでは先ほどの報告書とは別に自殺率の統計データがまとめられていました。こちらの統計データですが、どうも先ほどの報告書のデータと結構数字に差異があり、もしかしたらどっちかが統計処理されてたり、もしくは報告書の方が最新版として数字が更新されているのかもしれませんが(発表時期は1か月程度しか変わらないのに)、世界的な自殺率順位を見るのにはこっちの方が見やすいので、参考として載せておきます。
 それにしても、仕事終えて帰ってきて疲れているのに、自殺統計関連情報を延々数時間調べ続けてこの記事を書いている自分が不思議に思えてなりません。

<2015年時WHO自殺率国際統計データ(年齢処理済み、男女混合) 上位30位>
順位 国名
自殺率
1位 スリランカ 34.6
2位 ガイアナ 30.6
3位 モンゴル 28.1
4位 カザフスタン 27.5
5位 コートジボワール 27.2
6位 スリナム 26.9
7位 赤道ギニア 26.6
8位 リトアニア 26.1
9位 アンゴラ 25.9
10位 韓国 24.1
11位 シエラレオネ 22.1
12位 ボリビア 20.5
13位 中央アフリカ共和国 19.6
14位 ベラルーシ 19.1
15位 ポーランド 18.5
16位 ジンバブエ 18.0
17位 ロシア 17.9
18位 スイス 17.9
19位 カメルーン 17.5
20位 ラトビア 17.4
21位 ウクライナ 16.6
22位 ブルキナファソ 16.5
23位 ベルギー 16.1
24位 インド 16.0
25位 ハンガリー 15.7
26位 日本 15.4
27位 トーゴ 15.4
28位 北朝鮮 15.2
29位 ウルグアイ 15.2
30位 ナイジェリア 15.1

出典:Suicide rates, age-standardized Data by country(WHO)

2017年5月18日木曜日

災害時の囚人解放のルーツ

 知ってる人には早いですが、日本の刑務所や留置場では火事や津波といった大規模災害時に、緊急判断として刑務官の判断によって囚人を開放してもよいという法律があります。ただし開放はあくまで特例のため嵐の去った後に囚人らは元の監獄にまで戻ってこなければなりませんが、正直に戻ってきた囚人には減刑処置が与えられ、逆にそのままはぐれメタルのように逃げ出した囚人が後ほど捕まった場合、今でこそペナルティは本来もらえる減刑がなくなる程度ですが昔は死刑が処置されていました。
 こうした災害時の囚人解放は江戸時代からあり、当時は「切り放ち」と呼ばれていました。江戸はただでさえ火事の多い大都市であったことから実際に度々運用されてきたのですが、この制度のそもそもの始まりは江戸城の天守閣を含めたそっくりそのまま焼き尽くしたという、1657年の明暦の大火からだそうです。

明暦の大火(Wikipedia)

 この明暦の大火の際、江戸市内の監獄にも火が押し寄せてきてこのままでは囚人全員が焼け死ぬことはほぼ確実でした。それを不憫に思った石出吉深という獄吏は火災の大混乱の中、上役に掛け合うことなく独自判断で檻を開けその際に、「これは緊急的な処置であるからほとぼりが冷めたら必ず戻ってくるように。その折には自分の身命にかけてでも必ずやその義理に報いる」と話した上で、戻ってこなかったら地の果てまで追いかけるといって一緒に避難しました。
 火事の鎮火後、なんとこの時解放された囚人は言われたとおりに全員が自ら帰ってきました。これを受け石出吉深も約束通りに幕府へ掛け合い、これほどの義理深い者たちをむざむざ檻につなげておくのは勿体などと弁護した甲斐があり、囚人らは全員が罪一等を減じられたといいます。

 この石出吉深が独断でとった行動はその後幕府によって正式に法制化され、既に述べた通り実際に何度も運用され、現代の日本の法律にもきちんと残されています。仮に石出吉深がこの時解放しなければ、囚人らが一人でも戻ってこなければ果たしてどうだったかと思える内容で、ヒューマニズム性と相まってなかなか印象深いエピソードです。

2017年5月17日水曜日

週刊少年ジャンプの部数減少と今後の予想

 本題と関係ありませんが、パソコンを新調してWindowsも10になったというにもかかわらず、いまだに20年近く前のViXというファイラー兼ビューアーソフトを使っています。ずっとサポートされていないのでナビバーのスクロールが効かないなど不具合もありますが、いまだにこれを超えるファイラーソフトはついぞ見たことがありません。誰か同じコンセプトで似たようなソフトを作ってくれないものか。

 話は本題に入りますがここ数日、少年漫画雑誌の雄こと週刊少年ジャンプの発行部数がとうとう200万部を割ったなどという報道が出ています。この分野については私も以前に個人的に調べたことがあるので多少なりとも感が動くのですが、ほかの雑誌と比べるとジャンプはまだ部数減少を抑えている方であったものの、それでも未だに減少に歯止めはかからず、V字回復も遠い状態にあるようです。
 そんな少年ジャンプに対する今後の見解を敢えて述べると、私はこれからしばらくはこれまで以前より急角度で部数現象が続くと予想します。根拠は以下のインタビュー記事からです。

人気連載次々終了!『週刊少年ジャンプ』が抱えた苦境と打開策(創ブログ)

上記記事にはジャンプ編集者に部数減少の現況と今後の方針についてインタビューした内容が書かれていますが、これを読んで私はまだまだ落ちるなと確信したわけです。いったいなぜこのように判断したのかというと、編集者の回答がなんか偏っているように思ったからです。

 私自身は漫画雑誌の編集に関わったことのない門外漢ですがそれでも敢えて素人の立場から述べさせてもらうと、上記インタビューでジャンプ編集者は今後の巻き返し策として、今現在連載している漫画(コンテンツ)が今後どれだけ伸びそうかという話しかしていなかったからです。いわば連載作品しか触れておらず、ほかにはジャンプ関連のイベントにも触れてはいるものの、雑誌全体でどのような形にしていくかなどといった方針については何も触れられていません。

 個人的な意見ですが、やはり漫画雑誌というのはプロ野球チームと同じで、エースだけでは雑誌として成立しないと思います。それこそ好打者だけ集めたチームや先発だけ充実した野球チームが実際はあんま強くならないのと同じで、適材適所に必要な選手こと連載作品を組み合わせて初めて「強い雑誌」というものが出来上がるのではないかと思います。
 具体的に言えば今のジャンプのメイン連載はワンピースでしょうが、問題なのはその脇を固めるサブの連載作品にどのようなジャンルを集め組み合わせるかでしょう。それこそ中高生男子のゾーンに限定して高い人気がある作品だけ集めるとこのゾーンしか雑誌を購入しなくなるわけで、猛烈な支持を受けたとしても売上げにはつながりません。

 もちろん一番いいのは性別や年齢層を問わずに万人に受け入れられて大人気となる作品を連載させることでしょうが、そんな作品はこの世に存在するわけなく、かつてのドラゴンボールですら女性にはやや敷居が高い作品でした。
 となるとどうすればいいかですが、女性人気が出やすい作品や、往年のファン層に支持されやすい作品、小学生に受け入れられやすい作品などを連載に組み込んだりするほか、大人気とはならないものの、雑誌に掲載されていたら誰もがとりあえず一緒に読むような作品なども置いておくと読者としては手に取りやすくなります。

 これらはターゲットとなる読者層に着目した素人的意見ですが、やはりこういったターゲッティングなり雑誌構成に関する話が先ほどのインタビューでは全く見られず、ただ人気の出る連載作品を探して並べようとしているだけにしか見えなかったため、当事者である編集者ですらこれなんだから少年ジャンプはまだまだ落ちるなと思ったわけです。

 やはり私が子供だった頃はメイン連載の高い人気ぶりはもとより、その脇で一話完結物の作品や女性受けする作品も一緒に掲載されており、逆に小学生だった自分からすれば読みづらいようなやや高い年齢層向けの漫画もあったりとバラエティに富んでいました。今現在私はジャンプを購読していませんが、ざっと話を聞いている限りだとなんか高い年齢層、具体的に言えばジャンプ全盛期に子供だったが今は成人となっている男性向けの連載作品が多いのではと思えます。対s化にこのゾーンは金持ってるし人口もあるのでボリュームゾーンであって、小学生なんかは少子化で減っているのだからという切り捨て案という風にも考えられますが、果たして雑誌単体としてはそれでいいのかと疑問です。

 それこそ上記の観点からみて失敗した例を挙げれば、かつて少年マガジンが萌え系漫画をものすごい大量投入したことがありましたが、結果的には萌えブームとともにマガジンの人気もガクッと落ちました。なんか聞くところによると最近はデスゲームに持ってくという展開がマガジンには多いそうですが、あんまこういうこと考えないのかな。
 同じく失敗例だと少年ガンガンも、なんか知りませんが女性読者受けを狙った連載を大量投入して自滅したことがありました。ここは発行部数が3万部を切って「月間住職」という逆に気になるタイトルの雑誌にすら負けていると一時期言われましたが、ここの最新号の見出しは、

・亡き住職の後継者選定で紛糾した責任役員と檀家総代の任期切れ大問題
・24時間対応の冷蔵「霊安室」を新設した住職のいのちの伝道力
・新連載 新米住職のワーキングプア記〔1〕

 などが並んでおり、個人的に読んでみたくなるような興味をそそられる見出しが並んでたりします。

2017年5月16日火曜日

怒りのカルピス

 別に隠していたわけではないものの先々週末は日本に一時帰国していました。特に目立ったことはしていなかったもののこのブログの記事はため記事ことあらかじめ書いておいた記事をアップロードするだけで処理するなど、妙な隠蔽工作はしてはいました。
 特に日本滞在中は就活中と思われる学生が男女ともにみんな同じ髪型、同じ格好をして駅を歩いているのが気味悪いなと思ったくらいで取り立てて何かやっていたわけではありませんが、強いてあげれば滞在中はやたらとカルピスをがぶ飲みしていました。

 一体何故カルピスをがぶ飲みしていたのかというと、一言でいえば悔しかったからです。というのも上海市内でもファミリーマートなどコンビニに行けばカルピスが500mlペットボトルで売られているのですが、その値段は大体どこも20元(約300円)と日本での市場単価からすると法外な金額だったりします。
 私自身はそれほどカルピスが好きな飲料というわけではないものの、上記の価格でおいてあるのを見ると、「日本だったら100円くらいで飲めるのに。っていうかただでさえ希釈して飲むものなのに原価率いくらになってんだよ畜生」などと思えてきて、なんか変に悔しくて飲みたくなってくるのが不思議です。実際、同僚などは法外な値段と分かっていながらもコンビニによると20元払ってたまに買ってしまうことがあるそうです。

 しかし私はというと上記の価格設定がどうしても納得できず、スタインベックじゃないですが心に怒りの葡萄を実らせ、というより怒りのカルピスを希釈させつつ、どれだけ飲みたくても我慢してコンビニでは買わないようにしています。ただ回転寿司チェーンの浜寿司ではカルピスをコップ一杯6元(90円)で提供してくれているので、ここへ訪れた際には必ず飲んでいます。上記の同僚と訪れた際には入店一番で注文し、「2杯目も行くか?」と検討したくらいでした(結局飲まなかったけど)。

 そんな過程もあってか、日本滞在中は喉が渇くとやたらとカルピスを買って飲み、水割りやソーダ割りなどいろいろ試しつつ飲んでいました。まぁただのカルピスウォーターとカルピスソーダなだけですが。
 ただこれだけは言いたいこととして、普段それほど興味なく気にもとりとめないものであっても、変に高い値段つけられたりするとかえって飲みたくなります、それもすっごく。商品やサービスもそうでしょうが、「値段の持つ魔力」というのは馬鹿にならないもので、どんなカスみたいな商品でも高い値段が付いたらそれなりに価値があるように思えてくるから人の欲望とは不思議なものです。

 なお日本滞在での心残りも上げると、カップ焼きそばの一平ちゃんを食べ損ねました。食べようとスーパー行ったらそこで売ってなかったし……。

2017年5月14日日曜日

最近の教育関連提言に関する深い疑問

大学の授業料「出世払い」提言へ…教育再生本部(読売新聞)

 一目見て言い出した人の正気を疑ったニュースですが、大学の授業料を将来の「出世払い」としようとする意見がなんか出てきたとのことです。相手するのもばかばかしいので一言で片づけるならば「現行制度の奨学金との違いは何か?」といったところで、さらに付け加えるとしたら金を受け取る大学側の経営は考えているのかといったところです。真面目にこんな馬鹿々々しいを通り越して愚か極まりない意見を述べた人間は直ちに排除すべきではないかと思うくらいの低レベルな意見で、何か変な事態でも起きているのではないかとすら心配したくなります。

 今回の報道に限らず、ここ一年くらいの教育行政に関する発表や提言は疑問を持つものが多いです。その大半が安倍首相が掲げる教育再生に付随して出てくるものですがどれもピントがずれていることを通り越して現状すら全く鑑みられていない意見が多く、また素人が出したというよりかは狂人がのたまった内容ではないかとすら思うものも少なくなく、メディアもハードルは高いとは思いますがこうした訳の分からない意見を主張している輩の実名を調べて出すなどしてその責任なりを追求しなければまずいのではないかと思います。

 いくつか具体例を挙げると、真っ先に出てくるのは小泉進次郎議員らが提案した「こども保険」で、健康保険、介護保険、年金保険と並ぶ形で原資金を強制的に徴税して基金として運用していくという案のようですが、何故このような案が出されるのかこれも理解に苦しみます。
 問題点を一つずつ上げていくと、まずこのこども保険を運用するにあたっては他の保険同様に資金管理団体を作る必要があり、いわば天下り先団体が新たにできるわけです。次に作られた団体が果たしてきちんと資金を管理できるのか、年金や介護、ついでに郵貯であれほど大きな問題となったことを考えるとリスクが大きく、不安定に管理する団体に資金を預けることは今の時代に必要なのか。この次、奨学金をはじめとした教育支援給付と比べた場合のメリットが見えない。
 でもって最後、基金であることを考慮すると年金同様に負担者(納税者)と受給者双方で人数バランスが崩れた場合は負担額、支給額ともに変動することが考えられ、果たしてそれで「平等な教育」を担保できるのか、というのが私の疑問です。

 これらの行政に関する提言に限らずつい先日も「聖徳太子」の名称を使わず「厩戸王子」に統一させたり、同様に「鎖国」という名称も江戸時代当時は使われていなかったから廃止しようなどという提言が出ていることが報じられていましたが、その後の反論なども張って見送られたものの、なぜこのように的外れな意見がたくさん出てくるのか、教育行政は今どうなっているのか疑問が出て仕方ありません。
 大体「鎖国」に関しては、当時の状況を理解、把握する上で非常に適切な言葉となっており、この言葉を廃止して何のメリットがあるのか理解できません。第一、「当時は使われていなかったから」ということが理由になるのであれば、後醍醐天皇などごく一部を除けば大半の天皇の名称は死後につけられていることから、これらもアウトってことになります。「三国時代」など時代名称も同様で、繰り返しになりますがこうした意見を述べた人らは真面目に帰り道で車か何かに轢かれればいいとすら私は思います。

 正直に述べると、自分は教育行政とかそういうものにはあまり興味はなく、「親がなくとても子は育つ」と言い切って憚らないくらいその人間がまともになるかおかしくなるかは親や周囲ではなく、たとえ幼年であってもその本人の責任であると考えています。とはいえここ最近の教育行政の提言はそんな私ですら疑問に感じるものが多く、そしてその背景には利権に絡んだものがあるのではないかと思えてなりません。
 恐らく、森友問題に関してもそうですが憲法改正論議が進むにつれてこうしたおかしな教育議論が今後も増えていくのではないかと思います。学校の部活動時間や指導員に一定の規制や制限をかけるなどまともだと思えるものも出てはいるものの、やや目を光らせざるを得ない分野になってきたとこの頃私は思います。

2017年5月12日金曜日

中国の米国産牛肉開放報道について

米国産牛肉、中国への輸出解禁…貿易赤字縮小へ(読売新聞)

 久々に注目に値するニュースというべきか、上記記事内容のニュースを今日見て興奮しました。内容は見ての通り、中国が現在禁輸を続けている米国産牛肉について、先日の習近平総書記とトランプ大統領の会談で示唆された通りに輸入を解禁する方向で準備することが発表されました。基本、中国は発表前にあらかたの手続きなりを終えていることが多く、政策実現までは桁違いにスピーディに行動をとるため案外年内には輸入が解禁されるかもしれません。

 割とこのブログでもなんでも取り上げていますが、中国は米国や日本産の牛肉輸入を禁止していたため、中国国内だと非常に質の悪い、はっきり言えばまずい牛肉しかこれまで流通していませんでした。どれくらいまずいのかというと、オージービーフが高級牛扱いされて日本とは比べ物にならないくらい高い値段で出されるといえばわかりやすいかもしれませんが、そんなこともあって私も友人らとご飯食べる際はステーキ店があってもまず候補から外します。焼肉程度ならタレでどうにかなるところもあるのでまだ行きますが。

 そのため、以前にJBpressで書いた記事の中でも紹介していますが、中国では食にこだわる民族なだけあって「非常においしいらしいけど」という具合で和牛に対する関心が高く、神戸牛や松阪牛などといった日本の高級和牛を食べることを目的として訪日する人も少なくありません。ただ、中国国内に限って言えばあまり質が良くない上に単価がやや高めである牛肉はそれほど好まれておらず、最近は所得が上がってきていることもあって食べる人も増えてきていますが中国で肉というとやはり豚肉がスタンダードなままです。

 それだけに今回の米国産牛の解禁に伴って起こると予想される変化はなかなか興味深く、個人的にも関心を持っています。まずあまりよろしくない予想を述べると、中国が米国産牛を本格的に買い付け始めたら日本向けの牛肉の単価も引きずられて上昇する可能性が大です。もっとも値段がちょっとくらい引きあがるならまだいいものを、下手すれば人数が桁違いな中国人に悉く食い尽くされることとなって牛肉それ自体がなかなか食べられなくなり、いつしか牛丼が高級料理扱いされる時代が来るかもしれません。

 次に和牛に関してですが、現時点でも輸入が解禁されていないのでそれほど大きな影響はないものの、中国人が牛肉の味に食べなれて来た場合、日本の和牛への関心がより高まる可能性があります。仮にそうなったとしても日本としては中国への輸出は解禁すべきではなく、米国と違って絶対的に供給限界量が高くないこともあるので、今のまま禁輸体制を維持すべきでしょう。
 むしろ訪日観光ともっと組み合わせるべきで、個人的には入国した外国人全員に空港の税関前で和牛一切れを食べさせるくらいの姿勢を見せてもらいたいものです。

 和牛それ自体は上記の通り大きな影響はないものの、牛肉を使用する飲食チェーンの場合は今回の米国産牛の解禁に伴ってビジネスチャンスが広がるかと思います。現時点で吉野家やすき家などは中国各地に進出済みで現地でも大分受け入れられていますが、使用している牛肉は恐らくはまだ米国産ではなく(どこ産なのか地味に気になる)、味の面でもコスト面でも日本よりは不利でしょう。実際に日本の牛丼屋で食べた方が確実にうまいです。
 仮に解禁された場合、これら日系牛丼チェーンでは米国産牛を日本同様に使えるようになるので仕入面で有利になることは確実で、なおかつ中国全土で牛肉料理が広がれば牛丼屋を利用する客や機会も合わせて増加する可能性があると思います。牛丼屋に限らなくても、牛肉を使った鉄板焼きなどの料理をメインとするお店も同様です。

 まだ本決まりではないものの、結構大きなニュースなのでしっかり見守っておいたほうがいいとお勧めするニュースです。特に中国関係者は。

2017年5月11日木曜日

ゼロ金利政策が破綻している理由

 パソコンをマウスコンピューターに取り換えたのですが、移行作業自体はあらかじめ準備していたこともあって割と滞りなく終わったものの、イヤホンジャックが本体左側ではなく右側についているというのが微妙に嫌です。またUSB3.0のポートも右側ではなく左側、それも本体手前側についているのがやや不便ですが、設計上でこっちのほうが何か有利なのかな?

 話は本題に入って久々にマジな話をすると日本は安倍政権の成立以来、日銀は公定歩合を実質ゼロ、現時点においてはマイナス金利にするなどして市場の資金流通量を増やすため様々な政策を実施していますが、円安とともに日経平均株価こそ上昇したものの、目標としていた国内インフレ率の上昇は達成せず、また最終目標である国内景気の上昇も建設業以外では目立って好転したという話は耳にしません。さすがに一年や二年程度で失敗と決めつけるのはひどいとは思いますが、2012年末から政権が継続していることを考えるとすでに丸四年は経過しており、この四年で当初掲げていた目標が達成できてないことはおろか、目標値にまるで近づかない現状についてはもっと議論されるべきかと思います。

 結論から述べると、安倍政権と日銀が実施しているゼロ金利政策には致命的な欠陥が存在しており、それによって破綻して機能を果たせていないと私は考えています。その私が考える欠陥とは以下の通りです。

国内設備投資10.9%増 16年度計画 政投銀調査
企業の海外投資、増勢続く 直接投資150兆円超え 15年末時点(どちらも日経新聞)

 この二つの記事を読んで意図が分かった方はもうこの先は読まなくても結構です。逆を言えば、上の記事だけで私の意図が分かったとしたら、多分私同様に海外で働いているとなのではないかと思います。今回の主張は日本国内にいる人にはまずわからない内容ですし。
 もったいぶらずに具体的に解説すると、ゼロ金利政策によって金融機関から民間企業へと貸し出された資金は国内には投資されず、ほぼすべて海外投資に使われているから失敗したのではと私は見ています。

 ゼロ金利政策の狙いはどこにあるのかというと、中学の公民で習う内容と一緒で要するに貸出金利を低く抑えることによって民間企業の金融機関からの借入を促し、設備投資などの投資を行わせ社会全体にマネーがより多く流通させるように仕向けるというところにあります。しかし私が見る限り現在、日系企業は金利の低い日本の銀行から借り入れた資金を日本国内での投資には使わず、ほぼそのまま海外での投資に使用している現状があります。
 自分が何故この現状に気付いたのかというと、単純に日系企業のキャッシュ・フローを眺めていたら大半の大手企業は三大メガバンクの中国支店などを通してリボルビングローンなどを組んでたりしていることを見ていたからです。気が付いたらもうそれまでで、何故日本国内投資ではなく海外投資なのか、その必然たる理由もすぐにわかりました。

 はっきり言えば、日本国内に投資を行う価値はもう全くと言っていいほどないからです。日本はすでに少子高齢化に伴い人口も減少しており、若年層を中心に個人所得も年々減少するなどして国内市場は縮小の一途を辿っています。そのためたとえ日本国内で投資を行い原価を下げたり生産量を増加させたとしても、その投資が実を結んで売上げが増大する可能性はほとんどなく、仮にあったとしてもその実りはほとんど小さく海外投資ほどの価値は普通に考えればまずないでしょう。

 整理して述べるならば、確かにゼロ金利政策によって企業は金融機関から低利でお金を借りやすく投資がしやすい環境になってはいるものの、そもそも市場が縮小している日本国内で投資をする価値はほとんどなく、借り入れた資金はそのまま海外投資に使われてしまっているため、日本国内で資金が回らず景気は良くならない上にインフレも発生していないというのが私の分析です。なお極端な言い方をすれば、借り入れられるそばから海外投資に回されているので、事実上資金の海外流出が続いているともいえるでしょう。

 結論を述べるならばいくら金利を下げて資金を流通させようとしても、日本国内自体に投資価値がなければ資金は流出する一方でほぼ無価値だったというのが私の見方です。ただ為替操作という意味では確かにゼロ金利は効果を出しており、その点については私も評価します。しかし今後も続けようというのならせめて中国のように海外投資額や投資先に制限をかけるか、海外投資については金利を少しいじくるとかしたほうがいいような気がします。
 そのうえで国際競争力の高い産業を、きちんと国内で育成する必要があります。現在のところ私が見る限り観光産業ぐらいしか今後発展の余地がなく、本気で成り上がりたい若者は観光か、飲食か、あとは宗教かなぁ。