2017年5月18日木曜日

災害時の囚人解放のルーツ

 知ってる人には早いですが、日本の刑務所や留置場では火事や津波といった大規模災害時に、緊急判断として刑務官の判断によって囚人を開放してもよいという法律があります。ただし開放はあくまで特例のため嵐の去った後に囚人らは元の監獄にまで戻ってこなければなりませんが、正直に戻ってきた囚人には減刑処置が与えられ、逆にそのままはぐれメタルのように逃げ出した囚人が後ほど捕まった場合、今でこそペナルティは本来もらえる減刑がなくなる程度ですが昔は死刑が処置されていました。
 こうした災害時の囚人解放は江戸時代からあり、当時は「切り放ち」と呼ばれていました。江戸はただでさえ火事の多い大都市であったことから実際に度々運用されてきたのですが、この制度のそもそもの始まりは江戸城の天守閣を含めたそっくりそのまま焼き尽くしたという、1657年の明暦の大火からだそうです。

明暦の大火(Wikipedia)

 この明暦の大火の際、江戸市内の監獄にも火が押し寄せてきてこのままでは囚人全員が焼け死ぬことはほぼ確実でした。それを不憫に思った石出吉深という獄吏は火災の大混乱の中、上役に掛け合うことなく独自判断で檻を開けその際に、「これは緊急的な処置であるからほとぼりが冷めたら必ず戻ってくるように。その折には自分の身命にかけてでも必ずやその義理に報いる」と話した上で、戻ってこなかったら地の果てまで追いかけるといって一緒に避難しました。
 火事の鎮火後、なんとこの時解放された囚人は言われたとおりに全員が自ら帰ってきました。これを受け石出吉深も約束通りに幕府へ掛け合い、これほどの義理深い者たちをむざむざ檻につなげておくのは勿体などと弁護した甲斐があり、囚人らは全員が罪一等を減じられたといいます。

 この石出吉深が独断でとった行動はその後幕府によって正式に法制化され、既に述べた通り実際に何度も運用され、現代の日本の法律にもきちんと残されています。仮に石出吉深がこの時解放しなければ、囚人らが一人でも戻ってこなければ果たしてどうだったかと思える内容で、ヒューマニズム性と相まってなかなか印象深いエピソードです。

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