ページ

2018年5月6日日曜日

電子書籍に関する現況 後編

「所有できない電子書籍」問題 サービス閉鎖後、購入者はどうなる?(ねとらぼ)

 ちょうどこの記事を準備していたら上のニュースが出ましたが、電子書籍を購入する上での最大のハードルと言ったらやはりこれこと、サービス停止後への不安でしょう。使い始めた人間についてはもはやこの先一蓮托生みたいな諦観が生まれますが、まだ始めていない人間からしたら運営会社が倒産したりしたらどうなるのか、購入した本が読めなくなるのではという不安を持つのも無理ないでしょう。
 実際、この問題については既にサービスを停止した業者が出ておりその顛末についても上の記事には書かれてありますが、サービス受益者からして一番望ましいのはサービスの引継ぎ、つまりサービスを停止するA社からそのサービスを引き継ぐB社が配信などを継続する形だと思います。実際やるとなったらそこそこ大変ですが。

 ただこうした対策よりも、もっと抜本的な対策となるのがプラットフォームや、データの規格化です。要するに配信する電子書籍データの規格を日本国内で統一することで、サービス停止にあっても規格に対応したビューアーを使えばその後も閲覧を継続できるという形に持っていくことです。この場合、配信する書籍データはすべて共通で、サービス運営主というか配信業者は実質完全な小売業者となり、競争上の観点からもこうした形態の方が望ましいと思います。
 少し懸念となるのは、書籍データが共通化するため違法配信などが起こりかねないという問題がありますが、現在行われている配信サービスのように各データの閲覧権限を購入アカウント等でビューアーと連動させ、アカウントが一致しない消費者には閲覧できないような処理を施すような対策で大体クリアできるのではないかと思います。この方法だったら不特定多数に閲覧させる人間もアカウントから追え、バンすることで犯罪行為も止められますし。

 このように、電子書籍業界で今何が求められているかと言ったらやはりこのプラットフォームや規格の統一化だと思います。しかしこの方面の議論は全く起こらず、かつて日本は業界を跨ぐ規格化が強かったと言われましたが、そんなの嘘ちゃうかと疑いたくなるくらい電子書籍配信業者は統一化に消極的です。そしてその結果生まれる問題というのが、不便な電子書籍ビューアーというソフトウェアの問題でしょう。
 このブログでも散々愚痴っていますがAmazonのKindleビューアーはお世辞にも使いやすいとは言えず、むしろなんでこの問題に気が付かないと思うくらい問題が多いです。しかも改善が施されるのも遅く、あと突然停止するバグもよくあります。さらに細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。

 これらは殿様商売のAmazonだからなのかな、だからと言って先ほどの配信サービス停止が怖いので寄らば大樹の陰とKindleを使ってきましたが、つい最近に「Kindleなんてだっせーよ、他の業者の方が絶対いい」という話をネットで目にし、先月からDMMのDMMブックスを使い始めました。
 まず何に驚いたのかというと販売割引が非常に広範かつ多く、またAmazonに負けず新刊書籍の配信が早いことから、費用対効果の面で今後はこちらをメインにして使っていこうと考えています。そして何より私にとってメリットが大きいのは、中国でのデータダウンロードの速度や効率がAmazonよりDMMの方が安定しており、この一点をとってもこちらを取る理由になります。

 しかし、ことビューアーに関してはDMMもひどいレベルです。コミックスは基本作品ごとにまとめられるのはいいですが、各巻の表示がタブレット版だと昇順か降順を選べるというのにPC版だと降順一択。また各画面切り替えボタンの反応や更新が悪く、必然的に何度も同じボタンを押したりすることとなる上、所有書籍一覧画面一つとってもあんま意味ないのに「購入済み」、「ダウンロード済み」に分かれててこのビューアー設計した奴は馬鹿じゃないかと本気で思うレベルでクソです。
 そのほか書影ダウンロード中に何らかの要因で中断した場合、データがあってもバグが起こって開けなくなる再現度100%のバグもすでに発見しています。あと細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。大事なことなので二度言いました。

 サービスやってる連中からしたら何も気にならないかもしれませんが、これらビューアーのレベルの低さは確実に消費者離れにつながるレベルでひどいものです。仮にデータ規格の統一化が図られればビューアーも各業者ごとに紐づけられなくなり消費者は自由に好きなビューアーを選べるようになり、サービスの質も上がるのではないかと思います。もっともこうしたデータ規格の統一は恐らく今の日本の出版社には期待できる余地もないため、各業者に改善を促していくほかないでしょう。
 つくづくこういう様を見ていて思いますが、日本人は本当にお金を稼ぐ気があるのか、商売しようという気はあるのかと疑問に感じます。他のサービスや製品についてもそうですが、驚くくらい消費者目線に立たず、全業種にわたって殿様商売を演じている節があります。

2018年5月4日金曜日

電子書籍に関する現況 前編


 上記画像は先日ネットの海をさまよっている最中に見つけたものですが、もし意地悪く相手の力量を試そうとするなら、「この表はあまり参考にはならないが、参考にならないと言える点を画像内から指摘せよ」と聞いたりするでしょう。もったいぶらずに言えばそのポイントというのも一番上の冒頭にある「初版発行部数」という言葉で、要するにこのランキングは実体書籍の流通数しかカウントされず、電子書籍の配信数はカウントされていないため、実際の総合売上げというか人気を正確に反映したデータとはならないということです。

電子コミックスの売り上げ、紙コミックスを初めて上回る(IT media)

 上記の記事の通り既にコミックスの販売部数は電子書籍版が実体書籍版を上回っており、電子書籍の部数というか配信数を無視した売上げ統計なぞ無意味に等しいです。敢えて例えるなら東日本だけの調査統計を日本全国の統計とは言えないといったところでしょうか。

 ここで話は変わりますが、他の人は何故か誰も指摘してませんが去年の年末あたりから集英社も新刊コミックスの電子書籍版発売日が実体書籍と同じ日になりました。他の出版社はとっくのとうに発売日を共通にしていましたが集英社だけが何故か電子版の発売日を遅らせており、三年くらい前は三ヶ月遅れ、二年くらい前から一ヶ月遅れと徐々に縮小していましたが、ようやくやっと他の出版社に追いつくというか合わせてくるようになりました。
 集英社が何故電子版の発売日を遅らせて来たのかというと、それはやはり印刷会社への配慮であると思われます。業界の話を聞いていると出版社はどこも印刷会社に頭が上がらなかったとのことですがそれももう過去の話で、今回の集英社の動きを見ているとリコーともども電子化の発達によって苦境に追いやられている印刷会社が増す松発言力を失ってきたのではと伺えます。

 以上を踏まえた上で予言すると、多分来年あたりから電子書籍版を実体書籍版に先駆けて先行配信する出版社も出てくるのではないかと思います。こう思う根拠としては単純に、こうした方がより高い売上げが見込めるからです。

 通常、新刊コミックスはゲームほどではありませんが発売したてが一番売れます。しかし発売したてのコミックスほど中古価値も高いというか、購入して読んですぐ古本屋に売り、古本で買って読むという消費者も少なくありません。
 しかし仮にコミックスを最も早く読む手段が電子書籍版しかないとしたら、今話題の漫画村などの海賊版サイトがないことを前提にすると、読者は電子書籍版しかすぐ手に入れる手段がなくなりこの形式での購入を選ばざるを得ません。言うまでもなく電子書籍だと古本市場には流通しないため、発売日直後の古本も出回らなくなるため、きちんと購入して読む層は増えるのではないかと考えられます。

 何もかつての集英社みたく一ヶ月とかずらす必要はなく、一週間、なんなら三日くらい早く電子書籍版を売るだけで、上記効果が得られるのではと私は思います。もっともこれやったら苦しむのは古本屋だけでなく、印刷会社と小売店こと通常の本屋もですけど。それでも利益の増大につながる手段というのであれば、迷わず選択するのが経営者だと私には思るのですがね。

 ただこう語る一方、電子書籍での配信にも欠点というか問題が山積みなのも否定できません。具体的にはフォーマットの共通化に関する内容ですが、この辺最近になっていろいろ気づくきっかけが得られたこともあるので続きは次回に解説します。

2018年5月3日木曜日

日本の華族史👪

 近代日本市でエアポケットのようになっている時代とくれば言わずもがなの大正時代ですが、この時代を含めてほとんど解説とか紹介されてないなと思うものとして、近代日本の貴族階級に当たる華族についてです。ウルトラマンのカラータイマーがやばいくらい鳴り出すくらい体力的に厳しいので華族それ自体についての成り立ちやら説明は省きますが、正直に言って私自身も華族がどういう生活をしたり、貴族院議員がどういうことをやっていたとかについて全く知識がありません。傲慢な言い方となりますが、私が知らないということは他の人もほぼ大半が知らないと思え、一体何故これほどまでに華族に関する分野が開拓されてないのか不思議で仕方ありません。

 そもそも華族が文物で出てくると言ったら決まって推理物のお話で、暇を持て余した華族の御曹司かそこの女中某が探偵役になるものばっかです。あとはお転婆な華族の娘がドタバタをおこすとかで、フォースに目覚める華族が出てくるような激しいアクションものは多分ないでしょう。
 唯一というか、私が華族の生活様式についてなるほどと読んでて感じたのは武者小路実篤の「友情」という小説です。一部で「劣化版こころ」と言われる話ですが、実篤自身が華族出身なだけあり華族の若者が当時どういう生活して、どういう交流をしていたのかを見る上では内心これが一番わかりやすいんじゃないかという気すらします。ただこうした小説もさることながら、きちんとした歴史本とかでももっと華族について紹介とかしてもらいたいものです。

 ついでに書くと没落華族についてももはや現代の文物で触れられることはほぼありません。また農村の元地主とか名主の家で遺産相続をめぐる殺人事件が起きて、下半身だけ浮かんでくるとかそういう話ももう野生の馬みたく絶滅したと言えるでしょう。地味に「スケキヨ流死体発見方」はパロディとして現代も生き残っており、多分死に方としては日本で一番有名な死に方なんじゃないかとも考えており、広辞苑とかにも「スケキヨ:下半身を天に向けた死に方、又はそのような死体発見状況」と書いておいてもいいと思います。

2018年5月1日火曜日

文書改竄者への処罰はどうなったのか

 なんか最近はTOKIOの山口メンバーの報道ばかりで、森友学園の決裁文書改竄問題に絡んだ関係者の調査並びに処罰が完全に忘れられているような気がします。先日のセクハラ騒動といい財務省自体が自浄能力というかこの件について調査する気は全く感じられず、官邸に至ってはむしろ調査を妨害しかねない有様ですが、この件に関しては真面目になぁなぁにしてはならず、たとえ魔女狩りのようだと言われても疑わしい人間を全部ひっくるめて追放するくらいの厳しく断固たる措置を取らねば絶対に将来の禍根になると断言します。

 どう思われようが勝手ですが、この決裁文書の改竄に携わった、具体的には事実を知っていたのに報告しなかった、改竄を実行した、改竄を実行した人間については理由の如何を問わず直ちに財務省から退職、追放させる処置が必要だと私は考えます。それだけ文書、それも国家文書というものの重要性は高く、組織の金に手を付けたとかそういうレベルの犯罪ではありません。
 然るにこの件について、「文書全体の内容は改変していない」という官邸のごまかしによってみる限り処分がなぁなぁになっているところがあり、恐らく特捜が動かない限りはこの件で誰も処分されずに終わってしまうでしょう。そもそも、文書全体の内容は変わってないと言いますが、最重要人物の名前とその交渉過程がごっそりなくなっているのだから、変わってないという人間の見識をむしろ私は疑います。

 中には改竄実行者について、「上司の指示でやむを得なかったのでは」という人がいるかもしれませんが、じゃあ上司がやれと言ったら人殺すのかといったところです。どんなカスでも決裁文書の記述を後から変えてはならないなんて言うことは誰でもわかるレベルの話であり、上司が指示したとからといってそれを実行に移すというのはいくら何でも無防備すぎる愚挙としか言いようがありません。やむを得ず指示に従わざるを得なかったとしても、本心での行動ではないという証拠として内外部への通報や、立件調査資料の提出など逃げ道を用意していなかったというのであれば、いくらか厳しいかとも思いますがやはりその内容の重大さから考えて追放されるのもまた「仕方のないこと」だと私は考えます。
 まぁ上司の指示でやむなくっていう人に関しては、関連団体への就職斡旋くらいはしてあげるべきだとは思います。ですが何度も言う通り、改竄に関わった時点でその組織には絶対に居残り続けてはならず、周りもそれを認めてはならないでしょう。

 なお現在の私の仕事も「疑われた」時点で終わってしまうというか下手すりゃ犯罪として立件される可能性もあるので、自分の身をそういった災いから避けるために業務中に何に携わったのか一時間単位で全部記録しています。私から見て日本人は全体としてこういう向こうの方から降りかかってくるリスクへの警戒が弱いように思え、自分さえ何もしていなければ災いは来ないと勘違いしている節がある気がします。だが言わせてもらうと、こちらが挑発とか不審な行動を一切何もしなくても、時として災いは降りかかってくるのが現実です。

 繰り返しになりますが国家記録文書というのは絶対神聖不可侵のものであり、それに改変を加えるような行為は言語道断且つ厳罰も仕方のない行為だと私は考えます。もし仮にこのまま上記の「全体の~」とかいうごまかしによって処分が果たされなければ、将来的に悪しき前例となって便乗する人間も出てきかねません。財務省に限らず一部自治体でもこうした改竄行為が既に発覚していますが、やはりそれらにかかわった人間も全員追放すべきで、こうした行為が絶対悪であるということをはっきりと示さないと将来恐ろしいことにつながっていくと、今この場で予言しておきます。

この三連休……

 中国では土曜日が振替出勤日だった一方、今日までの日月火は三連休のお休みでした。このところ仕事が忙しかったからいっぱい寝たりゲームしようと思ってましたが、なんかそういうイベントがなく終わってしまった気がしてなりません。

 日曜というか土曜の晩は目覚ましも切っていっぱい寝ようと思っていたら、多分疲れからの不眠症なのかほとんど寝付けず、おまけに起きて洗濯とかしてたら頭痛くなって寝こんで、気が付いたら夕方になって約束していた友人とのディナーにすぐ出かけました。ディナー自体は楽しかったけどさ。
 昨日月曜は午前中に記事準備のためにずっと調べ物して、お昼に取材を兼ねて約15㎞暗い距離のある上海市内のショッピングモールへ出かけて、ラーメン食って、写真撮って帰ってきたら、最近分かってきたけどエクササイズ頭痛とかいう自転車乗りに起こる頭痛を発症してバタンキューとなり、夕方五時に起きて頑張って記事書いて、夜11時にようやく脱稿、疲れすぎて意味わかんなくなって何故か夜中にコンビニへクリームパン買いに行きました。

 でもって今日火曜は、予報では100%雨、っていうか昨日も一昨日も90%雨だったのに全く降らず、微妙に外出しづらく昨日書いた記事の修正を行いつつお昼に昼食のため外食し、その足で昨日のエクササイズ頭痛を避ける実験を兼ねてまた往復30㎞くらいの道のりをサイクリングしてプラモ屋へ行き、1/144ラファールとか買って、家帰ってシャワー浴びてラファール作って遊んでました。で、気が付いたら今この状態です。

 なんかこう、自分は働き過ぎじゃないかと思えてなりません。ラファール作っといてなんだけど、もっとしっかり休めばいいのにと思います。っていうか自転車乗りすぎ。あと結局雨降んなかったし、ゲリラ豪雨だったのか中心部では降ったらしいけど。

忠だけを求める主君

 何故かは不明ですが使用しているブログソフトのBloggerの管理画面の表示言語が今日から突然英語になりました。横文字苦手やというのに。なのに何故か「リンク」だけは日本語のままなのが笑えます。
 あと昨夜は次のJBpress用の経済記事を準備していていろいろおかしくなりました。っていうかあの内容をリサーチから執筆まで1日でこさえるってのはおかしすぎる。普通に朝から晩まで家にこもって調べ続け書き続け、終わった時には夜の11時回っていてさまようよろいみたく何故かコンビニ行ってクリームパン買ってました。

 話は本題に入りますが三国志における関羽、特にその「千里行」は非常に有名です。これは進退窮まりやむなく下った曹操の元から、居場所が分かった旧主の劉備の元へ駆けつけるために曹操の許を離れ、計五つの関所を破り千里の道を進んで劉備に馳せ参じたエピソードです。このエピソードは中国に留まらず日本でも大いに喧伝され、理想の忠義の姿として紹介され続けました。
 しかし、依然読んだある評論でこのことについて、「関羽は彼自身が高潔だったということより、主である劉備が礼を尽くしたからこそその忠義を見せたのだ」という意見を述べている人がいました。これはどういうことかというと、関羽も千里行でその忠義を見せたが、何故そうしたのかという主の劉備も関羽を信頼し、手厚く取り立てたからこそであり、部下に対して大した愛情を見せずに「お前らも関羽を見習え」なんていう輩はけしからん的な内容がその評論で述べられていました。

 言うこと全くその通りで、部下に対してなすべきこと、やるべきこと、果たすべきことをせずにやれ忠義を見せろ、無給で働けなどというのはただ服従を敷いているだけに過ぎません。報いがあるからこそ部下も忠義を見せるのであって、「御恩と奉公」じゃありませんが一方通行な忠義を要求するのはほぼ例外なくクズでしょう。
 なお某居酒屋チェーンを見ているとこのエピソードをよく思い出すことが多いです。

 ただ和民に限らずとも日本の指導者、経営者、管理職を見ていると、自分たちは一切の報いを提供せずに忠義を要求する、いうなれば服従を要求する人間は少なくない気がします。何故そうなるのかというと最大の要因はこうした人間らにクズが多いということ以前に、大半の日本人が抵抗せずに我慢し続けてしまう、おかしいと思う扱いされてもおかしくないと自己納得しようとするからだと思います。
 逆におかしいと思うこと、間違っていると思うことに対し決してこのブログだけじゃなくリアルな現実でも堂々と言ってやたら抵抗するからこそ、自分は日本社会からはじかれる要因になっていると断言できます。別に今信仰を持っているわけじゃないけど、プロテスタント系の学校に通って居心地良いと感じたのはこういう点かもしれません。

 少々話がずれましたが、忠とは御恩をはじめとする報いがあって初めて成立する行為です。そうした報いなき従属はただの服従に過ぎず、私みたいに抵抗を見せることはせずとも、忠がないとかそういうことは考える必要はありません。

2018年4月29日日曜日

異色学部の出身者たち

エンジニア・投資家・サッカー選手という3つの顔を持つ男の『超戦略的生存戦略』(SiliconValleyWorkers)

 同志社大学神学部卒で元外交官且つ「ラスプーチン」だった佐藤優氏のファンだということを察して、友人が上記記事を紹介してくれました。この記事で紹介されているのは同志社大学神学部卒で、サッカーの元学生日本代表である酒井潤氏ですが、こうした記事で紹介されるだけあってなかなか面白い価値観を持った人だと私も感じます。
 特に「米国で働こうというのなら取得できるビザの種類をきちんと調べておいた方がいい」というアドバイスに関しては、重要そうでありながら意外と誰も指摘しない点だと思え、唸らされました。

 そうした酒井氏自身のバックグラウンドも十分面白いですが、友人とともに話題になったのは同志社神学部教授の酒井氏へのアドバイスです。酒井氏自身はスポーツ推薦で入学して且つ信仰も持っていないというそうなのですが、怪我でサッカーを断念した酒井氏(本人はあまり気にしてなかったようだが)に対し、「今後はITと英語ができれば食っていけるよ」と、神学部らしくないやけに現実的なアドバイスをしてきたそうです。間違ってはいないですが、割とストレートなこと言うなと対談でもやや盛り上がっています。

 これに限らずと言っては何ですが佐藤優氏に関しても神学部受験時のエピソードで、当時はまだ裏口入学があった関係から面接試験もあり、その際に何故この学部を志望したのかと聞かれて当時ガチガチの左翼思想だった佐藤氏が、「無神論を研究したいからです」と思わず本音を言って「正直すぎてしまった(;´・ω・)」とか思ってたら、「他の学校に受かったとしても、ぜひうちの学部に来てくださいね( ・∀・)」と帰り際に言われたそうです。あとでその時の面接官だった教授に話を聞くと、「君みたいに最初反発してる奴ほど、信仰にハマるとこれがまたすごいんだよ( ・´ー・`)」と、また割とリアルな価値観を見せつけられたそうです。

 話は本題に戻りますが、こうした神学部や哲学部、あと理系なら天文学部とか現実から結構遠い学問系出身の人間について、大半は理屈っぽかったり愚痴が多かったりして社会人としてはやや扱いづらいなと思う人が多いものの、この手の出身者のごく一部はとんでもなく優秀な人が多いのではとこのところよく思います。現実離れした学問を専攻しただけあって考え方が深く、また他の人にはない視点を突然持ち出してくることがあり、 ハマれば化けるタイプを何度か私も見てきました。そういう意味では専攻までとはいかずとも、小中学生くらいの子供にこの手の天文や哲学をしっかりと学ばせておくのはメリットが多いと断言できます。私はあんまやらず、何故かセンターで地学を受験したのでその際に一気にケプラーの法則とか学びなおしましたが。

 最後にこれは私が直接聞いたわけでは、上記の同志社大学のある授業にてある講師が、「キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしていったような宗教だ」と普通に発言したそうです。こういう発言をしても誰も咎めない環境を始め、アナーキーすぎる学校だなと常々思います。