・中国の伝統的“建築コンサルタント”、風水師の実態(JBpress)
このところ忙しいというか、社内で自分だけ二部門(二社?)に跨いでサポート業務していておかしいくらい働いてるので更新が遅れましたが、昨日上記記事がJBpressでアップされました。こちらの記事は昔友人が風水師になろうとしていたのを思い出して書いた記事で、その友人からは大好評だったのと私自身も非常に気に入っている内容ではあるのですが、いかんせん地味ゆえかアクセスは芳しくありませんでした。まぁいいけどさ。
内容に関しては読んでもらえばいいのでいちいち解説しませんが、この記事の中でいくつかちょっと凝らした表現を盛り込んでいます。具体的にどこかと言うと3ページ目の「自己研鑽派」に関する説明で、「ニューウェーブ系」、「風水マニア」などという風に紹介していますが、実はこの表現はある作品から着想を得たと言うか引っ張ってきた表現です。それは何かと言うと、今も一部で引用されることのある「ラーメン発見伝」という漫画だったりします。
というのも最近通っているスーパー銭湯においてあるので行く度にちょこちょこ読んでいるのですが、この作品では主人公の壁となり、何度もラーメン対決で苦渋を舐めさせてその度に現実的な意見を吐いて圧倒しながらも、実は最も理想を追っているラーメンハゲこと芹沢というキャラクターが登場します。
このキャラは作者の目線に立つならば一番言いたいことを漫画の中で言わせる、ある意味裏主人公的なポジションに立っています。そんな彼が理想ばかり追う主人公を揶揄してよく「ラーメンマニア」と呼んでおり、風水師の自己研鑽派が他の風水師二派からやや馬鹿にされて見られているという状況を見てすぐ、「そうだ、芹沢さんだ!」と思って、中国語では「票友」という表現でしたが、敢えて「風水マニア」と訳しました。
続いて「ニューウェーブ系」という表現もこの漫画からで、豚骨ラーメンブーム以降に広がっていた新しいジャンルのラーメンをよく「ニューウェーブ」と説明されてて、「ここまで来たらこのまま行こう!」と、推敲を重ねる途中でこの「ニューウェーブ」という表現も加えました。個人的には割とイメージしやすい言葉をうまく盛り込めた気がします。
あともう一つ裏話をすると、当初は日本の建築に関して「機能性ばかりやたら負いすぎて床面積や建材を始め、空間に余裕のない設計が多い」という批判も入れていたのですが、これは編集段階でマイルドにされました。この点について風水師志望だった友人は、「無駄なものを敢えて建築に取り込むなんて、一種信仰じみた思想がなければ行われないだろう」と述べましたが、この風水を含め、実際その通りだと思います。逆を言えばどういった思想のもとで無駄を建築やインテリアに取り込むのか、こうした思想が存在するのかが建築の価値を左右するように言われて思いました。
なのでもし日本に帰ることがあれば不動産屋に、「この部屋にはどういった思想がある?」とか聞いてみたいですが、多分不動産屋からしたらうざい客としか思われないだろうなって気がします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2019年4月16日火曜日
2019年4月13日土曜日
メディアコースに進学しなかった理由
死ぬほど忙しいのに締切より1週間早く記事書かなくてはならなくなり、現実逃避のためにブログ書いています。ああでも夏以降はこの状況が常態化するのが怖い。
先日、知人にあった際に自分の進学先選択に関するエピソードを話しました。私は進学した大学で社会学部の社会学コースに進みました。ただ同じ社会学部の中にはメディアコースもあったのですが、高校生の時点からジャーナリスト志望だったにもかかわらず私はこっちのコースは受験せず、はじめから選択肢として放棄していました。
偏差値的にはほぼどっこいどっこいなので学力的なもので選ばなかったというわけではなく、当初から確信的にこっちには進むべきではないと判断していました。どうしてかというと、「なるだけならこっちだろうが……」という風に考えたからです。
単純にジャーナリストとなるため新聞社やテレビ局といったメディアに就職する上では、メディアコースの方がそりゃ有利だったと思います。にもかかわらず何故こちらを選ばなかったのかと言うと、メディアコースではメディア絡みの成り立ちや現在の議論などは学べるとしても、それ以外の周辺内容については学べないのではないか、という風に考えたからです。そしてそれらの知識はメディアに入るためには役に立つとしても、ジャーナリストとして大成する上では必要なのかという疑念があったからです。
結論から言うと、メディアコースで学ぶ内容はまさに上記のとおりです。大学学部が同じということでいくつかメディアコース向けの授業も選択しましたが、やはり新聞メディアの発達の歴史とか、昨今のジャーナリズムにおける問題点や課題といった解説の記事が多く、業界同士の人間で盛り上がるのにはいいネタですが、こと報道に関しては役に立ちません。それであれば、経済記事に関しては財務諸表の見方とか過去の会計不正の歴史や手法とかを学ぶ方がよっぽど役に立ちます。
そういう意味では、社会学を専攻として選んだことは自分にとって正解でした。ジャンルの広い学問分野であるだけに法学以外のあらゆる文系ジャンルを同時並行で学ぶ事ができた上、授業の一環として設けられた統計手法の実習などを経たことで、明らかに他の記者と比べても数字に強く、またグラフ作成量で頭抜ける実力を持つに至れました。財務諸表に関しては在学中に簿記の勉強をしてある程度基礎は身につけられましたが、今思うともうちょっと頑張って内部統制方面も学んでおくべきだったかなと反省はしていますが。
以前にも書いていますが、メディアの専門家というのは記者としてはなんの勲章にもなりません。こと報道においては、メディアとは関係のない幅広い分野に渡る知識や考え方が必要であり、最終的には何かしら専門とする分野を持つに至るにしろ、メディアと関係のない知識や学問の方が報道においては強く要求されます。それこそさっき言ったような会計知識や統計手法だけでなく、機械工学や文化的な視野などがそれに当たり、勤務開始以降にこうした知識をみにつけるにしろ、ある程度の視野や思考手段を在学中に身に着けておくに越したことはありません。
特に私の場合だと、社会学の中でも人類学を専門としただけに、やっぱりこの方面で他の記者とは目線が違うなとこの頃特に強く思うようになってきています。来週月曜にJBpressで出る記事なんかまさにその典型で、テーマ自体は他の記者でも書けるだろうが、比較文化論的な結論部分は人類学者やその業界関係者ならともかく、一般記者の中では案外私以外には気づけもしないだろうし書くこともできないのではないのではと、書いてて思いました。
もっとも最初に書いたとおりに、メディアに就職する上ではメディアコースの方が圧倒的に有利であり、私は過去にも書いている通りに新卒就活時にメディア企業各社からはまるで相手にされませんでした。文章力であれば当時としても、素材レベルでは間違いなく一級品といえる実力を持っていたと断言できるのですが。
ただ、ジャーナリストとなった上で更に大成しようと望もうとするならば、私個人としてはメディアコースへ進学することはお勧めしません。まだ経済学とか法学のほうが視野や幅を広げられるし、私のように社会学に行って理屈が通用しないようなバラエティぶりを持つのも一つの手ですが、メディアコースではジャーナリズムは学べても、報道は学べません。
そういう意味では日本でまるで相手にされなかったものの中国で無理やりメディアに入って力づくで記者になれたという事実からも、自分の選択はあながち間違っていなかったとつくづく思います。にしても力づくっていい方ですが、ほんと自分の人生を思い返してみると一切の幸運というものはなく、何でもかんでも力づくで運命捻じ曲げるようにして今の地位築いている気がします。ええ身分になれたもんや。
先日、知人にあった際に自分の進学先選択に関するエピソードを話しました。私は進学した大学で社会学部の社会学コースに進みました。ただ同じ社会学部の中にはメディアコースもあったのですが、高校生の時点からジャーナリスト志望だったにもかかわらず私はこっちのコースは受験せず、はじめから選択肢として放棄していました。
偏差値的にはほぼどっこいどっこいなので学力的なもので選ばなかったというわけではなく、当初から確信的にこっちには進むべきではないと判断していました。どうしてかというと、「なるだけならこっちだろうが……」という風に考えたからです。
単純にジャーナリストとなるため新聞社やテレビ局といったメディアに就職する上では、メディアコースの方がそりゃ有利だったと思います。にもかかわらず何故こちらを選ばなかったのかと言うと、メディアコースではメディア絡みの成り立ちや現在の議論などは学べるとしても、それ以外の周辺内容については学べないのではないか、という風に考えたからです。そしてそれらの知識はメディアに入るためには役に立つとしても、ジャーナリストとして大成する上では必要なのかという疑念があったからです。
結論から言うと、メディアコースで学ぶ内容はまさに上記のとおりです。大学学部が同じということでいくつかメディアコース向けの授業も選択しましたが、やはり新聞メディアの発達の歴史とか、昨今のジャーナリズムにおける問題点や課題といった解説の記事が多く、業界同士の人間で盛り上がるのにはいいネタですが、こと報道に関しては役に立ちません。それであれば、経済記事に関しては財務諸表の見方とか過去の会計不正の歴史や手法とかを学ぶ方がよっぽど役に立ちます。
そういう意味では、社会学を専攻として選んだことは自分にとって正解でした。ジャンルの広い学問分野であるだけに法学以外のあらゆる文系ジャンルを同時並行で学ぶ事ができた上、授業の一環として設けられた統計手法の実習などを経たことで、明らかに他の記者と比べても数字に強く、またグラフ作成量で頭抜ける実力を持つに至れました。財務諸表に関しては在学中に簿記の勉強をしてある程度基礎は身につけられましたが、今思うともうちょっと頑張って内部統制方面も学んでおくべきだったかなと反省はしていますが。
以前にも書いていますが、メディアの専門家というのは記者としてはなんの勲章にもなりません。こと報道においては、メディアとは関係のない幅広い分野に渡る知識や考え方が必要であり、最終的には何かしら専門とする分野を持つに至るにしろ、メディアと関係のない知識や学問の方が報道においては強く要求されます。それこそさっき言ったような会計知識や統計手法だけでなく、機械工学や文化的な視野などがそれに当たり、勤務開始以降にこうした知識をみにつけるにしろ、ある程度の視野や思考手段を在学中に身に着けておくに越したことはありません。
特に私の場合だと、社会学の中でも人類学を専門としただけに、やっぱりこの方面で他の記者とは目線が違うなとこの頃特に強く思うようになってきています。来週月曜にJBpressで出る記事なんかまさにその典型で、テーマ自体は他の記者でも書けるだろうが、比較文化論的な結論部分は人類学者やその業界関係者ならともかく、一般記者の中では案外私以外には気づけもしないだろうし書くこともできないのではないのではと、書いてて思いました。
もっとも最初に書いたとおりに、メディアに就職する上ではメディアコースの方が圧倒的に有利であり、私は過去にも書いている通りに新卒就活時にメディア企業各社からはまるで相手にされませんでした。文章力であれば当時としても、素材レベルでは間違いなく一級品といえる実力を持っていたと断言できるのですが。
ただ、ジャーナリストとなった上で更に大成しようと望もうとするならば、私個人としてはメディアコースへ進学することはお勧めしません。まだ経済学とか法学のほうが視野や幅を広げられるし、私のように社会学に行って理屈が通用しないようなバラエティぶりを持つのも一つの手ですが、メディアコースではジャーナリズムは学べても、報道は学べません。
そういう意味では日本でまるで相手にされなかったものの中国で無理やりメディアに入って力づくで記者になれたという事実からも、自分の選択はあながち間違っていなかったとつくづく思います。にしても力づくっていい方ですが、ほんと自分の人生を思い返してみると一切の幸運というものはなく、何でもかんでも力づくで運命捻じ曲げるようにして今の地位築いている気がします。ええ身分になれたもんや。
2019年4月11日木曜日
大阪府警、というか西淀川警察署
・ある日突然自分の建物を他人がショベルカーで破壊しても「建造物損壊」にはならないのか?(Gigazine)
今ネットで一番ホットな記事というか連載じゃないかと思いますが、他の大手メディアはあまり追随してないので、知らない人は知らないと思うので紹介しておきます。
詳細はこの記事と続編記事(今の所計三本)のとおりですが、読んでて地味に気になるのはこの問答無用の建造物損壊への西淀川警察署の対応ぶりです。「民事だから話し合え」といって、目の前で無許可で建物破壊が起きているのに実質的に見て見ぬふりして全く止めようとしない対応は、記事を読んでいるだけでも激しく腹が立ってきます。仮にGigazineの立場であったら、自分がトラックで西淀川警察署にトラックで突っ込んで、「連絡を取ろうとしたんだけどさ」とか言いたくなります。
それに対して三本目の記事に出てくる茨木警察署の頼もしいこと。同じ大阪府警でもこんなに対応に差があるのかと思えますが、比較対象が悪すぎるだけかと気づいて思い直しました。
真面目に頑張っている警察官の方々には申し訳ないですが、昨年の留置所脱走事件を始め大阪府警に関しては正すべき点がやはり多いかと思われます。それだけにこの件での西淀川警察署の対応は理解できず、とりあえず西淀川区と、かねてから信用していない群馬県警がいる群馬県には住みたくないと今回感じました。
それにしても自分が子供だった頃はやたら日本人は治安の良さに自己満足を覚えていましたが、ここ十年くらいはそういった発言は随分見なくなった気がします。体感治安と実際の治安はどこも隔たりがありますが、やはり大阪府警のこれまでの不祥事を見るといくらなんでもというレベルのものが多いだけに、体感治安が悪くなるのも無理ないなという気がします。
今ネットで一番ホットな記事というか連載じゃないかと思いますが、他の大手メディアはあまり追随してないので、知らない人は知らないと思うので紹介しておきます。
詳細はこの記事と続編記事(今の所計三本)のとおりですが、読んでて地味に気になるのはこの問答無用の建造物損壊への西淀川警察署の対応ぶりです。「民事だから話し合え」といって、目の前で無許可で建物破壊が起きているのに実質的に見て見ぬふりして全く止めようとしない対応は、記事を読んでいるだけでも激しく腹が立ってきます。仮にGigazineの立場であったら、自分がトラックで西淀川警察署にトラックで突っ込んで、「連絡を取ろうとしたんだけどさ」とか言いたくなります。
それに対して三本目の記事に出てくる茨木警察署の頼もしいこと。同じ大阪府警でもこんなに対応に差があるのかと思えますが、比較対象が悪すぎるだけかと気づいて思い直しました。
真面目に頑張っている警察官の方々には申し訳ないですが、昨年の留置所脱走事件を始め大阪府警に関しては正すべき点がやはり多いかと思われます。それだけにこの件での西淀川警察署の対応は理解できず、とりあえず西淀川区と、かねてから信用していない群馬県警がいる群馬県には住みたくないと今回感じました。
それにしても自分が子供だった頃はやたら日本人は治安の良さに自己満足を覚えていましたが、ここ十年くらいはそういった発言は随分見なくなった気がします。体感治安と実際の治安はどこも隔たりがありますが、やはり大阪府警のこれまでの不祥事を見るといくらなんでもというレベルのものが多いだけに、体感治安が悪くなるのも無理ないなという気がします。
2019年4月9日火曜日
紙幣新デザインについて
この前ニトリ行ったら売れ残った加湿器が安売りされてましたが、今冬に限ってはガチで除湿機を買うべきかどうか悩みました。実際4月に入って以降、湿度は12~3月の頃より下がってますし、70%超える日もなくなりました。っていうかマジ今年の冬はおかしかった。
話は本題に入りますが、紙幣のデザイン変更ニュースが話題となっています。人選に関しては私の見方だと無難かつ適切だと思え、渋沢栄一を持ってくるのは自然な成り行きかと考えます。あと一分で何故変えるんだとか無駄金だとかいう人もいますが、偽札対策のことを考えたら変えるのが当たり前で、実際に今日も台湾で大量の偽一万円札が見つかったというニュースが出ています。文句をいうのはそれぞれの勝手ですが、どうせ口に出すならもっと面白くて建設的なこと言えよなと思います。
話を戻すと、紙幣デザインに使う人物に関しては昔に友人とも話題になって誰がいいかという風になり、最終的には日ハムや巨人で活躍した小笠原道大選手(ヒゲ有り)がいいという結論に落ち着きました。それにしても思い返すにつけ、統一球最大の被害者だろうなこの人。
改めて今回考え直したところ、やはりこのところは明治以降の人物に限定されていますがもっと遡っていいのではないかと考えたところ、最初に浮かんできたのはマッカーサーでした。まぁ日本にとって必要な改革をバンバンやり遂げた人には間違いありませんが。それ以外となると、渋沢栄一に連なる人物として田沼意次が浮かびます。田沼意次の紙幣で賄賂送ったらいろいろと楽しめそうです。
そのほか好きな人物を選んでいいんだったらやはり、水木しげるが一番に来ます。っていうか生誕100年に当たる2022年には何かしら記念紙幣を出してほしいです。八百万の神様にかけて水木しげる800万円札(妖怪銀行券)とか出たら、国債でも構わないから借金してでも私は買うでしょう。
このほか文化人枠なら不倫を文化にまで高めた石田純一氏とか、国際的な知名度を考え安藤広重とかも有りでしょう。
あと、ガチで選ぶとしたら立花宗茂を推します。理由は全国に名を轟かすほどの猛将であるのと、関ヶ原の合戦で領地をまるまる失いながらその後見事本領復帰を果たしており、七転び八起きを実践した点からも、今後の日本の目指すべき姿と重なるためです。
話は本題に入りますが、紙幣のデザイン変更ニュースが話題となっています。人選に関しては私の見方だと無難かつ適切だと思え、渋沢栄一を持ってくるのは自然な成り行きかと考えます。あと一分で何故変えるんだとか無駄金だとかいう人もいますが、偽札対策のことを考えたら変えるのが当たり前で、実際に今日も台湾で大量の偽一万円札が見つかったというニュースが出ています。文句をいうのはそれぞれの勝手ですが、どうせ口に出すならもっと面白くて建設的なこと言えよなと思います。
話を戻すと、紙幣デザインに使う人物に関しては昔に友人とも話題になって誰がいいかという風になり、最終的には日ハムや巨人で活躍した小笠原道大選手(ヒゲ有り)がいいという結論に落ち着きました。それにしても思い返すにつけ、統一球最大の被害者だろうなこの人。
改めて今回考え直したところ、やはりこのところは明治以降の人物に限定されていますがもっと遡っていいのではないかと考えたところ、最初に浮かんできたのはマッカーサーでした。まぁ日本にとって必要な改革をバンバンやり遂げた人には間違いありませんが。それ以外となると、渋沢栄一に連なる人物として田沼意次が浮かびます。田沼意次の紙幣で賄賂送ったらいろいろと楽しめそうです。
そのほか好きな人物を選んでいいんだったらやはり、水木しげるが一番に来ます。っていうか生誕100年に当たる2022年には何かしら記念紙幣を出してほしいです。八百万の神様にかけて水木しげる800万円札(妖怪銀行券)とか出たら、国債でも構わないから借金してでも私は買うでしょう。
このほか文化人枠なら不倫を文化にまで高めた石田純一氏とか、国際的な知名度を考え安藤広重とかも有りでしょう。
あと、ガチで選ぶとしたら立花宗茂を推します。理由は全国に名を轟かすほどの猛将であるのと、関ヶ原の合戦で領地をまるまる失いながらその後見事本領復帰を果たしており、七転び八起きを実践した点からも、今後の日本の目指すべき姿と重なるためです。
2019年4月7日日曜日
フランカー(゚∀゚)
昨日からも書いている通りハセガワのSu-35S、通称セルジュコフカラースキーム・フランカーと呼ばれるプラモを作りました。このキットは去年に発売されたばかりのもので、通っているプラモ屋でも、旧共産圏の戦闘機は人気なためか入荷していたので、自分もこの度買ってみました。
上の写真は以前に作ったSu-34・フルバックです。同じフランカー系列の期待ですがこちらは前述爆撃機ということもあって今回作ったフランカー(後ろ)と比べると、フルバックの方がかなりでかいです。
逆にと言うか、前回フルバックを作ったときはでかすぎてあまり愛着を感じなかったのですが、スリムなフランカーは素直に好きになりました。
清明節なので草団子と比較
実を言うと前回、スバル・サンバーという軽トラのプラモを作ったものの技術不足から完成に至らず、少しプラモから離れようかと考えるくらいショックを受けていました。ただ三連休で何もしないのも何だし、改めてフランカー作りたいと思って今回買ってみましたが、買う前からキットがタミヤ製じゃなくハセガワ製だから難しいかもとやきもきしてました。
草団子(左)とフランカー(真ん中)とF-16(右)
ただ実際作ってみたところ、最新のキットであることも大きいでしょうが思っていた以上に組みやすく、割と短時間で完成に至りました。パーツ同士の合いも非常によく、説明書もわかりやすかったので太鼓判の押せるキットです。
裏から見た形
作ってみて感じたこととしては、現役戦闘機としてはぶっちぎりなくらいにでかい機体なだけあって、平気の搭載量が半端じゃないです。上の写真を見てもわかるとおりに翼だけでミサイルを計8本も載せられ、更に真ん中には今回付けませんでしたが増槽(追加タンク)も搭載可能と、桁外れな武装量を誇ります。
あと、これまでのフランカーの代名詞と呼ばれた前翼(カナード)はこのタイプからとっぱらわれています。なぜかって言うとこのフランカーからエンジンの噴出口が推力偏向ノズルといって、状況に合わせてノズの向きを変えられるようになり、カナードがなくても縦横無尽な機動力が確保できるようになったためと説明されています。
上の写真だと少し分かりづらいでしょうがこのキットでも推力偏向ノズルは再現されており、噴出口のパーツは水平に向いたものと、やや斜め内側下向きに傾いたパーツの2種類が用意されています、自分が採用したのは後者で、写真でも少し内側を向いています。
上の写真だと少し分かりづらいでしょうがこのキットでも推力偏向ノズルは再現されており、噴出口のパーツは水平に向いたものと、やや斜め内側下向きに傾いたパーツの2種類が用意されています、自分が採用したのは後者で、写真でも少し内側を向いています。
2019年4月6日土曜日
甲子園記事の裏側
・甲子園DVDから見えてくる高校野球の不思議な世界(JBpress)
先週は本気で倒れそうなくらい忙しかったので全くかけなかったこの記事の裏側について書きます。ちなみにフランカーは無事作り上げ、明日に武装つけてステッカー貼るだけです。
あと先週は本気で仕事が忙しく、残業時間はそれほどでもないもの仕事内容が常に9回裏みたいな緊張感強いられるくらい集中の必要な作業であることから、これまでやってきたどの仕事よりも疲労感が高いです。幸いというか、昨日は二回も昼寝を取ったことから今日になって体調が劇的に良くなりました。
話は本題に入りますが、この甲子園の記事は以前ブログで高野連を批判した際に友人から、「もっとやれ」と言われ、「高野連の財務諸表とか見れたら面白いんだけど」とつぶやいたら速攻でリンク送られてきたので書き始めました。見ての通り取材料は半端なく、先月の国際電話料金は高くつきました。
しかし配信後の結果はあまり良くなく、アクセスは壊滅状態、ツイッター等につぶやかれることもほぼなく記事としては失敗しました。友人からはタイミングが悪かっただけだと慰めてもらいましたが、結果が第一の世界に置く身としてはやはり反省せざるを得ないところです。
ただ、配信前の段階でこの記事は多分受けないだろうという予感はありました。その理由というのも私の記事の場合、記事への反響は取材量の多さに反比例する傾向があるからです。これまでも派遣マージン率や職場受け取り事情の記事で取材範囲を大きく広げたことがありましたが、こういった記事ほどあまり反響は良くなく、逆に何も取材せずに思い付きで書いた記事ほど大反響となるパターンが多いです。
こうした傾向は何もジンクスというわけではなく、そうなるべき理由も確かに存在します。単純に取材量が多いと記事内容は複雑化し、読む側としては負担が大きくなります。そのため周りにも言っていますが、取材記事を書く際に何が重要かというと、いい取材内容を得ること以上に無駄な取材内容をそぎ落とす作業だと日頃考えています。まぁそれが出来なかったんだから今回外したんだけど。
取材時の裏話をすると、今回は高野連事務局、朝日放送、毎日放送へ取材を行っていますが、意外だったというか一番取材対応が良かったのは高野連でした。最初に電話をかけたら事務責任者が不在とのことでまた明日かけてくれと言われたのですが、メールで質問まとめて送るから担当者のアドレスを教えてほしいと頼んだところ、「でもそれってそちらの都合ですよね(^ω^)」と結構痛い切り返しのされ方され、ぐうの音も出ませんでした。
仕方ないので言われたとおりに翌日電話をかけたら予告通りに責任者がいて、電話もすぐ繋いでもらえました。でもって質問にもよどみなく迅速に答えてくれて、こっちとしては気持ちのいい取材でした。
一方、テレビ局というかマスコミ二社はひどいもいいところでした。記事中にも書いていますがどちらも質問には回答せず、毎日放送に至っては都合のいいように質問を解釈して聞いてもない内容を回答として出してきました。でもって突っ込んだら、「忙しいのでお宅ばかり相手にしてられない」と言って対応を拒否してきました。
実は最初、夏の甲子園DVDを作っている朝日放送だけ取材すればいいかと思って毎日法曹は無視する予定だったのですが、一番答えなさそうだと思っていた高野連から契約内容とか聞きだせ、朝日放送が完全回答拒否してきたから、毎日放送の見解も聞いといた方がいいだろうと思って追加取材を決めました。そのため毎日放送には接触の段階から、「別方面への取材から事実背景については既に大方把握している。契約など最低限の事実認定さえしてくれれば悪いようには書かないよ」と好意から教えてあげたのですが、どうも毎日放送の担当者はこれを挑発と受け取ったのか、「おたくの取材姿勢は正直不愉快だ」と、広報なのに自ら火の粉を振りまいてきました。
それどころかやり取りの中では、「うちは既存メディアだけではなくウェブメディアなどの新興メディアも相手してやっている」、「ウェブメディアの人とも仲良くしようと思ったのですが無駄でしたね」などと、やたら既存メディアと分けて、っていうかウェブメディアを見下すような発言を何度も繰り返してきました。そもそも自分はフリーの立場でJBpressの専従者でもないのですが、なんか勘違いしているなと思うとと同時に、大丈夫かここの広報と疑問に感じました。
内心というかこういう会社だろうなという予感は普段の放送を見ていて最初からあり、だからこそ当初取材対象に入れていなかったのですが、ちょっと挑発して左右に振ればどんどんぼろを出しそうな広報で、見ていて不安です。っていうか偉そうなこと言う割にはマスコミなのに取材に何も答えないってのはどうだろう。
このほか余談を書くと、何気に自分の祖父は高野連の理事を務めていたことがあったりします。なのでこの取材の最中、ちょうど「金田一少年 犯人たちの事件簿」とか読んでたこともあって無駄に「じっちゃんの名に懸けて!」などと呟いてました。まぁあんま祖父とは年も離れてたので交流はなかったんだけどね。
先週は本気で倒れそうなくらい忙しかったので全くかけなかったこの記事の裏側について書きます。ちなみにフランカーは無事作り上げ、明日に武装つけてステッカー貼るだけです。
あと先週は本気で仕事が忙しく、残業時間はそれほどでもないもの仕事内容が常に9回裏みたいな緊張感強いられるくらい集中の必要な作業であることから、これまでやってきたどの仕事よりも疲労感が高いです。幸いというか、昨日は二回も昼寝を取ったことから今日になって体調が劇的に良くなりました。
話は本題に入りますが、この甲子園の記事は以前ブログで高野連を批判した際に友人から、「もっとやれ」と言われ、「高野連の財務諸表とか見れたら面白いんだけど」とつぶやいたら速攻でリンク送られてきたので書き始めました。見ての通り取材料は半端なく、先月の国際電話料金は高くつきました。
しかし配信後の結果はあまり良くなく、アクセスは壊滅状態、ツイッター等につぶやかれることもほぼなく記事としては失敗しました。友人からはタイミングが悪かっただけだと慰めてもらいましたが、結果が第一の世界に置く身としてはやはり反省せざるを得ないところです。
ただ、配信前の段階でこの記事は多分受けないだろうという予感はありました。その理由というのも私の記事の場合、記事への反響は取材量の多さに反比例する傾向があるからです。これまでも派遣マージン率や職場受け取り事情の記事で取材範囲を大きく広げたことがありましたが、こういった記事ほどあまり反響は良くなく、逆に何も取材せずに思い付きで書いた記事ほど大反響となるパターンが多いです。
こうした傾向は何もジンクスというわけではなく、そうなるべき理由も確かに存在します。単純に取材量が多いと記事内容は複雑化し、読む側としては負担が大きくなります。そのため周りにも言っていますが、取材記事を書く際に何が重要かというと、いい取材内容を得ること以上に無駄な取材内容をそぎ落とす作業だと日頃考えています。まぁそれが出来なかったんだから今回外したんだけど。
取材時の裏話をすると、今回は高野連事務局、朝日放送、毎日放送へ取材を行っていますが、意外だったというか一番取材対応が良かったのは高野連でした。最初に電話をかけたら事務責任者が不在とのことでまた明日かけてくれと言われたのですが、メールで質問まとめて送るから担当者のアドレスを教えてほしいと頼んだところ、「でもそれってそちらの都合ですよね(^ω^)」と結構痛い切り返しのされ方され、ぐうの音も出ませんでした。
仕方ないので言われたとおりに翌日電話をかけたら予告通りに責任者がいて、電話もすぐ繋いでもらえました。でもって質問にもよどみなく迅速に答えてくれて、こっちとしては気持ちのいい取材でした。
一方、テレビ局というかマスコミ二社はひどいもいいところでした。記事中にも書いていますがどちらも質問には回答せず、毎日放送に至っては都合のいいように質問を解釈して聞いてもない内容を回答として出してきました。でもって突っ込んだら、「忙しいのでお宅ばかり相手にしてられない」と言って対応を拒否してきました。
実は最初、夏の甲子園DVDを作っている朝日放送だけ取材すればいいかと思って毎日法曹は無視する予定だったのですが、一番答えなさそうだと思っていた高野連から契約内容とか聞きだせ、朝日放送が完全回答拒否してきたから、毎日放送の見解も聞いといた方がいいだろうと思って追加取材を決めました。そのため毎日放送には接触の段階から、「別方面への取材から事実背景については既に大方把握している。契約など最低限の事実認定さえしてくれれば悪いようには書かないよ」と好意から教えてあげたのですが、どうも毎日放送の担当者はこれを挑発と受け取ったのか、「おたくの取材姿勢は正直不愉快だ」と、広報なのに自ら火の粉を振りまいてきました。
それどころかやり取りの中では、「うちは既存メディアだけではなくウェブメディアなどの新興メディアも相手してやっている」、「ウェブメディアの人とも仲良くしようと思ったのですが無駄でしたね」などと、やたら既存メディアと分けて、っていうかウェブメディアを見下すような発言を何度も繰り返してきました。そもそも自分はフリーの立場でJBpressの専従者でもないのですが、なんか勘違いしているなと思うとと同時に、大丈夫かここの広報と疑問に感じました。
内心というかこういう会社だろうなという予感は普段の放送を見ていて最初からあり、だからこそ当初取材対象に入れていなかったのですが、ちょっと挑発して左右に振ればどんどんぼろを出しそうな広報で、見ていて不安です。っていうか偉そうなこと言う割にはマスコミなのに取材に何も答えないってのはどうだろう。
このほか余談を書くと、何気に自分の祖父は高野連の理事を務めていたことがあったりします。なのでこの取材の最中、ちょうど「金田一少年 犯人たちの事件簿」とか読んでたこともあって無駄に「じっちゃんの名に懸けて!」などと呟いてました。まぁあんま祖父とは年も離れてたので交流はなかったんだけどね。
2019年4月5日金曜日
産経の中国批判記事への逆批判
フランカー作るのに忙しいので、先日友人から来た質問への回答をそのまま流用します。
・【田村秀男のお金は知っている】中国「6%成長目標」は真っ赤な嘘なのか 信憑性を検証(産経新聞)
上の記事は産経新聞上で連載されているコラムなのですが、この記事で中国経済、特に建設投資に関する発表は嘘っぱちなのではという主張が展開されており、この主張は事実なのかと友人から尋ねられました。
実はこの記事、掲載当初に私も読んでいて、このブログでも取り上げようかと考えたもののその時は見送った経緯がありました。それが思わず友人から直接尋ねられたので驚くとともに、やっぱきちんと解説したほうがいいのではないかと思ってこうして書いています。
さてまずこの記事ではどんな主張が展開されているのかざっくりまとめると、
<固定資産投資(建設投資)が伸びているのにセメント生産量が減少している。
→だからデータは偽装だ!中国の経済成長は嘘だ!>
という主張が展開されていますが、まず考えてほしいのはセメントの増減は建設投資と完全にリンクするのかです。というのもセメントに関しては生産量データが使われているのに対し、建設投資は金額で測られています。スパッと言うと、セメントの使用量が減った(≒建築面積)としても、土地取得費や鉄骨といった資材費など、建設費に含まれるほかの費用項目が高騰していたら、結果的に建設量が変化しなくとも建設投資は増加(≒成長)することとなります。
特に中国では近年、日本以上に人件費が高騰しています。セメント価格なってよっぽど逼迫しているのなら話は別ですが普通そんな変動するとは思えず、建設作業員の人件費、あと不動産(建物)の取引価格が高騰しているのなら、セメント生産量が減っっていたとしても建設投資額は増えることも十分有り得るかと思われます。
ただそれ以前というか、とりあえず下記アドレスを開いてください。
・2018年全国水泥产量21.77亿吨同比增长3%(東方財富網)
こちらは中国セメント協会発表の、中国国家統計局調査に基づく2016~2018年における毎月のセメント生産量データ(一番上)です。見てもらえば分かる通り、春節による季節変動を受ける1、2月を除くと、2017年後半から減少トレンドに入っているもののその下がり幅は前年比5%未満と小さく、ほぼ横ばいと行っていい程度で、また2018年下半期からは再びプラス成長に転じています。でもって、2018年通年では同3.0%増と報告されています。
一方、産経の記事グラフを見ると2017-2018年でマイナストレンド、右肩下がりとなっており、中国の統計とは真逆の結果となっています。なお、産経のグラフは年次であるのに対し、中国の統計は月次で、統計偽装の何度で言えば年次に対し月次は跳ね上がります。
無論、結果が真逆のデータが二つあることからどっちかが間違えているということになるのですが、最初のセメント生産量が建設投資に完全リンクするという主張からして無理があると思うのと、中国のデータのほうが月次で細かいという点を加味して、私としては中国のデータに肩を持ちます。
このように、この記事に関しては前提となるデータからして間違っている、とまでは言わずとも議論の余地があります。しかし仮にそれを指摘したら、「中国の統計の方が弄くられているんだ!」と反論されて話にならないのが目に見えているので、前回は記事化を見送った背景があります。
そもそも産経はあからさまに中国を敵視して、これまでにも根拠のあやふやなネガティブな記事を量産しており、私自身もかねてからその姿勢に関して疑問視しています。なので友人には、日経メディア、特に産経に関しては中国報道をあまり鵜呑みにしないほうがいいというアドバイスを行いました。中国報道で比較的信用できるのは日経ですが、それ以上にどこがというより誰が書いているかのほうが案外重要なのかもしれません。中国批判で飯食っているライターも少なからずいるだけに、誰がこれまでどんな記事を書いてきたのかを見るのも割と重要だということを最後に添えておきます。
・【田村秀男のお金は知っている】中国「6%成長目標」は真っ赤な嘘なのか 信憑性を検証(産経新聞)
上の記事は産経新聞上で連載されているコラムなのですが、この記事で中国経済、特に建設投資に関する発表は嘘っぱちなのではという主張が展開されており、この主張は事実なのかと友人から尋ねられました。
実はこの記事、掲載当初に私も読んでいて、このブログでも取り上げようかと考えたもののその時は見送った経緯がありました。それが思わず友人から直接尋ねられたので驚くとともに、やっぱきちんと解説したほうがいいのではないかと思ってこうして書いています。
さてまずこの記事ではどんな主張が展開されているのかざっくりまとめると、
<固定資産投資(建設投資)が伸びているのにセメント生産量が減少している。
→だからデータは偽装だ!中国の経済成長は嘘だ!>
という主張が展開されていますが、まず考えてほしいのはセメントの増減は建設投資と完全にリンクするのかです。というのもセメントに関しては生産量データが使われているのに対し、建設投資は金額で測られています。スパッと言うと、セメントの使用量が減った(≒建築面積)としても、土地取得費や鉄骨といった資材費など、建設費に含まれるほかの費用項目が高騰していたら、結果的に建設量が変化しなくとも建設投資は増加(≒成長)することとなります。
特に中国では近年、日本以上に人件費が高騰しています。セメント価格なってよっぽど逼迫しているのなら話は別ですが普通そんな変動するとは思えず、建設作業員の人件費、あと不動産(建物)の取引価格が高騰しているのなら、セメント生産量が減っっていたとしても建設投資額は増えることも十分有り得るかと思われます。
ただそれ以前というか、とりあえず下記アドレスを開いてください。
こちらは中国セメント協会発表の、中国国家統計局調査に基づく2016~2018年における毎月のセメント生産量データ(一番上)です。見てもらえば分かる通り、春節による季節変動を受ける1、2月を除くと、2017年後半から減少トレンドに入っているもののその下がり幅は前年比5%未満と小さく、ほぼ横ばいと行っていい程度で、また2018年下半期からは再びプラス成長に転じています。でもって、2018年通年では同3.0%増と報告されています。
一方、産経の記事グラフを見ると2017-2018年でマイナストレンド、右肩下がりとなっており、中国の統計とは真逆の結果となっています。なお、産経のグラフは年次であるのに対し、中国の統計は月次で、統計偽装の何度で言えば年次に対し月次は跳ね上がります。
無論、結果が真逆のデータが二つあることからどっちかが間違えているということになるのですが、最初のセメント生産量が建設投資に完全リンクするという主張からして無理があると思うのと、中国のデータのほうが月次で細かいという点を加味して、私としては中国のデータに肩を持ちます。
このように、この記事に関しては前提となるデータからして間違っている、とまでは言わずとも議論の余地があります。しかし仮にそれを指摘したら、「中国の統計の方が弄くられているんだ!」と反論されて話にならないのが目に見えているので、前回は記事化を見送った背景があります。
そもそも産経はあからさまに中国を敵視して、これまでにも根拠のあやふやなネガティブな記事を量産しており、私自身もかねてからその姿勢に関して疑問視しています。なので友人には、日経メディア、特に産経に関しては中国報道をあまり鵜呑みにしないほうがいいというアドバイスを行いました。中国報道で比較的信用できるのは日経ですが、それ以上にどこがというより誰が書いているかのほうが案外重要なのかもしれません。中国批判で飯食っているライターも少なからずいるだけに、誰がこれまでどんな記事を書いてきたのかを見るのも割と重要だということを最後に添えておきます。
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