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2019年12月16日月曜日

レジャーの本質は非日常

 今日の上海の最高気温は20度で、研修のため部屋にこもりっぱだったけど夕方でも普通に暑いと感じる陽気でした。日本でも暖冬が続いているそうですが、去年の冬はガチで太陽が全くでないくらい雨と湿気の多い気候だったのに比べると、まだ暖冬でもこっちの方がいいやと思えてきます。

 話は本題ですが「レジャー」という言葉の本質を考えた場合、究極的には「非日常」という言葉に行きつくと私は考えています。換言すれば、「日常から離れれば離れるほどレジャーとしての価値、体験としての印象深さが増す」ということです。

 いくつか例証すると、温泉旅館で普段働く人が連休に別の場所にある温泉旅館に泊まったところで、果たしてレジャーとして楽しめるでしょうか。またここまで極端じゃなくても、元々海水浴もできるような海辺に住んでる人が同じようなビーチで有名な観光地に旅行したところで、コンクリートジャングルで普段生活している人が同じビーチに来てた時ほどの感激が得られるかと言ったら、まずそうはならないでしょう。
 二番目の例でも書いたように、普段ビーチが疎遠な人ほどビーチに行く価値が得られるわけで、それも距離的な長さでも、同じ都道府県内よりも遥か遠くのハワイとか桂浜とかの方が感動は大きくなると思います。同じような理屈で言うと、京都に住んでいる人は案外地元の有名な寺社仏閣を回りませんが、関東に住んでる人は京都の寺社仏閣を非常にありがたがってお参りするのも一緒です。奈良にはあんま来てくれないけど(´;ω;`)ウッ…

 地元と非地元でどうして同じ体験のレジャーでもこのような差が生まれるのか。やはりそれを分ける分水嶺は日常か、非日常かにあるように思え、またこの区分をさらに発展させると、普段の生活から程遠ければ程遠いほど、レジャーの価値が高まる傾向があるのではないかと大体半年くらい前に思いつきました。
 それこそ雪国の人は沖縄みたいな温暖な地、雪がほとんど降らない熱帯の国の人ほど雪国に焦がれる様に、未体験ゆえの物珍しさもあるでしょうがやはり日常から遠いからこそこれらは価値があり、尚且つ普段の苦しい日常から解放されるような感覚が得られるのではないかと思います。

 そもそも何故このような見方を持つようになったのかというと、最初の問いかけは「何故登山はレジャーなのか?」と考えたからです。普通に考えてあらゆる面で労苦が多く、冬山登山なんかは一歩間違えれば簡単に死ぬリスクがあるというのに、それでも何故大勢の人間は未だに登山をレジャーと捉えているのかと考えたからでした。
 いくつか登山体験者の意見や登山の楽しみについてみて回ったところ、やはり日常からの解放感に触れている人が多く、実際に山の中は電気や水道といった主要なインフラから切り離された環境になるという状況から、「非日常」という単語が浮かんで上記結論へと至りました。

 これらは言い換えると、日常から程遠いところに行けば行くほど人間はレジャーによって解放感を得られやすいということになります。単純なところでは海外旅行は国内旅行より効果が強い、また宿泊するホテルについても、普段から豪邸に住んでいる人は普段あばら家に住んでいる人よりは高級ホテルに泊まった時の効果が弱くなるのではないかと見ています。
 逆を言えば、普段豪邸に泊まっている人はみすぼらしい安宿に泊まると逆に変な意味の感動を得るかもしれません。それがさらに極まると野外キャンプ、果てには登山といった、文明と隔絶された環境にレジャーを見出していき、だから割と英国人の何々卿みたいな金持ちがやたら登山にはまるのかなとも思います。

 もっともこの論で行くと、最強の非日常は戦地になるとも思え、もしかしたら戦場こそが最大のレジャー地となるポテンシャルを秘めているのかもしれません。自分は行かないけど。

 まとめるとレジャーとしての行き先を考えるならば、日常から距離的、質的に遠い場所を選ぶことが意外と重要だということです。特に質の差については、日常の生活環境より不便な田舎や山中がどうしてレジャーとしての価値を持つのかという点で重要で、ただ単にお金をかければいいということではないと思います。
 このように考えるとちょうど十二月の今くらいの寒い時期に、ガチでダンボール巻いて野宿したあれも私にとってはレジャーだったのかもしれません。本気で凍死するんじゃないかと思ったのはこれと房総半島でのサイクリング一周失敗事件の時くらいです。

2019年12月15日日曜日

藤浪と新垣

 最近ふと、制球難に苦しむ藤浪選手みていて、かつてホークスとヤクルトに在籍した新垣元選手を重ねることがありました。

 野球に詳しい方なら説明不要でしょうが、藤浪選手はデビュー時から数年間華々しく活躍を遂げた後、突如として制球難、もう実質イップスに陥り、ここ数年間はまともな勝利数すら挙げられない等苦しんでいます。

 藤浪選手がイップスに陥った原因はいくつか挙げられていますが、そのうちの一つの元広島のエースで今や前田智徳氏とともに広島の生き神となっている黒田博樹氏と対戦した際にビーンボールを投げ、黒田氏に怖い顔され詰め寄られたという説があります。ただこの年に藤浪選手は、黒田氏との騒動後も安定した投球を見せて前年同様に高い勝利数を挙げており、因果関係を結び付けるには強引だと思います。
 むしろそれ以上に、既にノックダウンされているにもかかわらずふがいない投球を見せた懲罰として、リリーフを投入されずに延々と投げ続けさせられたという事件の後から明らかにおかしくなっており、これだけが原因ではないにしろ、最大のきっかけとなったのはこの事件だと私は思います。素人目で言えば、藤浪選手を壊したのはやはり金本氏でしょう。

 そんな藤浪選手と同じく、デビュー当初はエース級の非常に華々しい活躍を遂げていたにもかかわらず、ある年をきっかけに急激に制球がおかしくなってしまったのが冒頭に上げた新垣氏です。新垣氏の場合は黒田氏や金本氏に凄まれたわけではないですが、あるシーズンオフに投球の幅を広げようと変化球のシュートを身に着けてからおかしくなったと指摘されています。
 この点については野球関係者ではないですが、新垣氏に限らずシュートを身に着けてから通常のストレートもシュート回転するようになってしまったとか、選手寿命が明らかに縮んだという人を多く聞くことから、あり得なくはない説だと私は考えています。そもそも新垣氏は、その直球の伸びと極端に曲がるスライダーを武器にしていただけに、ストレートに影響したとなるとその影響は計り知れません。

 その後、新垣氏は現在においても数々の暴投記録を生むなど、投球は一級なれど極端に制球の悪い投手となってしまい、最終的には引退に追い込まれてしまいました。この新垣氏についての言及をこの前見ていたら、「腕が長いなど非常に恵まれた上半身に対し、幼少時から何度も事故に遭って金属の金具やボルトを何本も埋め込まなければならなかったほど下半身が極端に弱く、そのアンバランスさが制球を不安定にさせていた」という記述を見て、「藤浪やん」と率直に思いました。

 体格に優れた人間が多いプロ野球選手の中でも、身長をはじめ藤浪選手の身体的素材の良さは非常に際立っています。特にその手足の長さは方々から絶賛されており、高い球速を生む要因となる一方、腕のあまりの長さから制球し切れていないという指摘も出ています。
 また新垣氏の例と比較した場合、デビュー当初はある意味「若さゆえ」にその有り余るパワーをまだ制御し切れていたものの、数年間の登板による経年劣化、またはプロとして体鍛えたことでよりパワーが増したことで、制球がおかしくなっていったのではと思うところもあります。

 では新垣氏の轍を踏まないよう、藤浪選手は下半身をしっかり鍛えれば制球は良くなるのかと言ったら、正直私は疑問です。やはり身体的特徴が際立っているだけに、他の一般的な体格の選手がやるような対策でどうにかなるのか完全に未知数で、むしろ似た体格が多いメジャーリーグ選手の対策の方が合うのかもしれません。
 少なくともこのままいくと実質的に「新垣二世」となるだけに、何らかの対策の道筋は出してもらいたいものです。藤浪選手自身だけではなく、今後同じような症状を起こす選手のためにも。

2019年12月14日土曜日

アカデミーのF-4


 先週は記事書いたりするのに忙しかったことから、買ってくるだけで製作まで手が回んなかった「F-4 ファントムⅡ」を今日作りました。


 今回作ったのはアカデミーという韓国のプラモメーカーのキットです。このメーカーのキットを作るのは初めてでしたが、前から興味あったF-4のキットがプラモ屋に置いてあったので、メーカーを試す意味合いも含めて買ってみました。

 作ってみた感想としては説明書がとにもかくにも丁寧でわかりやすく、また塗装しない人向けとして、外部装飾用にプラモに一般的な水転写デカール(水シール)とともに、同じデザインの通常シールも入ってあっていい意味で驚きました。私は塗装まではしないので、今回このキットは通常シールで装飾を行っていますが、デカールと比べると作業は非常に楽で、且つシールデザインも良くそこそこ見栄えのいい出来になったと思います。
 唯一ダメ出しをすると、黒色パーツのプラ素材があまり良くないせいか、接着剤を付けるとすぐに溶けだす傾向がありました。これさえよければほぼパーフェクトなのに惜しいところです。


 それでこのF-4ことファントムⅡですが、先日出た記事にも「初代ファントムがあまりにも影薄いから、『ファントム』と言ったら実質これ」と書かれてあるので、私も普段から「ファントム」と呼んでいます。
 このファントムは冷戦期、というより二次大戦以降に生産された米国製戦闘機としては生産機数が最大で、現代のベストセラー戦闘機のF-16すら上回っています。日本もF-15を買うまではこのファントムが実質主力戦闘機として全国各地に配備され、現在も同業関係者から「鬼のように強い」と言われる自衛隊の茨城県百里基地航空隊で使用、運用されています。


 今回作ってみて、改めて非常に特徴的な機体構造をした戦闘機だと思いました。写真を見てわかると思いますが、尾翼の三枚の羽根がちょうど真円を三等分するかのような角度で取り付けられている上、主翼も先端部分がやや上に跳ね上がっています。
 これは主翼が尾翼より低い位置につけられていることから、通常の角度(地面に対して水平)で主翼と尾翼を配置すると、飛行中に機首を上げると急激に反り返るピッチアップという現象が起きると、試作段階で分かり対策を施したからです。現在この問題の対策としては、主翼の位置を水平尾翼より高い位置に取り付ければ解決できることが分かっており、主翼はほぼ確実に水平尾翼より高い位置に取り付けられています。
 逆を言えば、このファントムのように水平尾翼より低い位置に主翼を配した構造の戦闘機は、今後もう出てこない可能性があります。


 主翼と尾翼の位置関係はこの後部からの写真を見るとわかりやすいです。それにしても今見るとほんと凄い翼の形してる気がします。

真上からの撮影

 なおこのキットのエアインテーク(空気吸入口)部分は、接着剤を一切使わずに組付けています。全体としてこのアカデミーのキットは取り付けやすいように杭と穴がたくさん配置されており、エアインテークもそれら構造体だけでカチっとはまってしっかり組付けられました。
 ただ杭と穴が多くて一部組付けにくいところもあり、この辺は痛しかゆしです。

先月暇だから3時間くらいで作ったS13シルビア池谷先輩カラー(タミヤ)


 せっかくなのでサイズを比較してみようと、家にある他の戦闘機プラモといくつか並べてみました。まず中国が誇るステルス戦闘機のJ-20との比較ですが、改めてJ-20が馬鹿でかいことがよくわかります。J-20の場合、全長だけでなく胴体もめちゃごんぶとだから実際迫力あります。


 実質的にF-4の後継ともいえる米国代表マルチロール機のF-16との比較。F-16自体がちっちゃい飛行機の代表格なのでファントムのがもちろんでかいですが、こうしてみるとファントムはメインフレームがわりと骨太で、頑丈そうな印象を覚えます。


 こっちはロシアが誇る「空の女王」ことSu-35Sフランカー。比較対象が悪いのはよくわかっていますが、フランカーでかすぎ。っていうかファントム乗っててこんなでかい飛行機相手する羽目になったらそりゃ怖いと思います。


 マイお気に入りなMig-29ことフルバック。よくMig-29は小型の飛行機という人がいますが、それは「空のジャイアン」ことフランカーと比べるからであり、実際にはファントムよりやや大きく、またユーロファイター・タイフーンよりも全長だと大きいです。Mig-29自体、F-15をパクった意識した設計となっているので、さもありなんですが。

S13シルビアとの比較

不動明王との比較

 こうやって撮影していて、改めてうちの中にはいろんなもんあるなと思いました。

 今回のファントムの作業時間は大体5時間くらいでしたが、我ながらプラモづくりが随分うまくなったという実感があります。個人的には前回のGDB型インプレッサがデカールの貼り具合も含めて最高傑作だと考えていますが、素組だけだったら素人から脱出できたのかなと思うに至ります。

東芝のトップ間抗争について

名門東芝を破滅させたトップ間の嫉妬無限地獄(プレジデント)

 日本の名門企業の代表とも言える東芝の不適切会計(粉飾決算)事件の発生から既にもう数年経ちますが、改めてこの問題について経済ジャーナリストで私も尊敬する大西康之氏が記事をまとめています。
 なお後輩が転職活動するに当たり、業界研究用に大西氏の本を以前紹介したことがありますが、何故か後輩はその本をこのブログの広告リンクを介さずに買って、広告料が私のところには入ってきませんでした。また大西氏は私の主戦場であるJBpresでも記事を出していますが、何故か毎回自分の顔アップを入れた写真を投稿しており、陰で「大西フレーム」と呼んでます。

 話は戻りますが今回のこの記事でも大西氏らしく、当事者相手に直接取材を敢行しています。それが冒頭の東芝元会長の故・西田厚聡へのインタビューですが、自宅を訪れたところ中にはいれてもらえず、それでもインターホン越しに30分間もインタビューしてのけたそうです。これ見て大西氏が過去に書いたサンヨーの本を私は思い出しましたが、あっちは「五分だけやで」とかいいながら、自宅に入れてくれた上にめっちゃ長く取材に応じてくれてましたが。

 それで西田へのインタビューでは、なんと延々30分間も自分の後任社長となった佐々木則夫の悪口を言い続けたそうで、肝心の聞きたかったことは聞けずじまいだったそうです。逆を言えば、取材を拒否しながらも元部下の悪口は誰でもいいから言いふらしたかったという西田の強い意志を感じます。
 知ってる人には早いですが、平成以降の東芝歴代社長である「西室泰三―岡村正―西田厚聡―佐々木則夫」の四人は、それぞれがそれぞれの事情から非常に仲が悪く、結果的にこのトップ間の憎悪ともつれた人事任命権が東芝を暴走させたと指摘されており、私もこの説に同感です。その上でこの大西氏の西田へのインタビューエピソードを見ても、西田、佐々木間の仲の悪さが、東芝を大きく迷走させたウエスチングハウス問題をより根深くさせたことを強く示唆されています。

 上記の下りに関しては大西氏の記事をそのまま読んでくれればわかりますが、改めてこの東芝トップ間の確執を見て、皮肉な話ですがトップ同士で仲が悪かったからこそ、東芝の不適切会計問題は明るみに出たのかもと思いました。
 何故このように思ったのかというと大西氏の記事にて、

「証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。」

 という、記述を見たからです。
 私もそうと思うというか、トップ同士が仲が悪く、その地盤とする出身事業部の問題を互いに密告し合って、一気に東芝全体の問題が明るみに出た節があります。1件目の告発に関してはそもそもウエスチングハウスの買収企図、実行自体に問題があるだけに納得感がありましたが、二件目のパソコン・テレビ事業への告発に関しては当時としても、そのタイミングと事業部内容から、西田を狙い撃ちにしたものではないかと当時の私ですら感じました。

 実際に大西氏の指摘通りであれば、トップ・事業部間抗争が起こっていなければ、爆弾を抱えつつ東芝は今も名門日系企業として君臨していたかもしれません。そう思うと、社内に様々な問題を作ったトップ間抗争は、最終的にはその膿を出すきっかけになるという皮肉な結果と捉えることもできそうです。

2019年12月12日木曜日

電子書籍化に抵抗する作家たち

 昨日記事を書いたら友人からいきなり、「文筆業ったって、今ペンで書いている作家なんていないじゃん」といきなりディスらられました。じゃあパソコンのキーボードで書くから「文キーボード業」というのかなと思いましたが、これだったら「文」いらない気がする。

 その友人とそのままこのテーマで少し話しましたがその際に、電子書籍化に抵抗する作家の話にも及びました。具体名は明かしませんがミステリー作家を中心に、「絶対に著作の電子書籍化は認めない」とする人がそこそこおり、実際にこうした作家の本は一冊も電子書籍化されていません。
 こうした作家について前述の友人は、「自分はパソコンで小説書くのに、読者がパソコンやスマホで読むのを認めないってのも変な話だ」とまたディスり、ちゃんとペン使って「文筆業」やれよと言ってました。まぁ私もそう思いますが。

 割と進歩がゆっくりだったことからあまり意識されてないようにも思いますが、電子書籍の普及は以前と比べると大分進んだ気がします。ほんのつい五年くらい前にはまだハードコピー本の発売日から数ヶ月遅らせてからようやく電子書籍を発行する出版社も少なくありませんでしたが、こと漫画本に限れば現代においては紙と電子は同日発売が基本です。逆から言えば、以前そういううことをやっていた連中は無駄なことしかしてなかったなと思えてなりません。
 そんな電子書籍の恩恵は日本国内にいるより、私のように海外で生活する人間のほうがありがたみを感じます。気になるトピックや最新の漫画本も日本国内にいるように購読することができるし、なにより場所を取らなくて済むので、今は四年も同じところに住んでますが、二年ごとに引っ越ししていた以前は本がないだけで非常に作業が楽でした。

 また海外ではなく日本国内であっても、僻地に住んでいる人は私のように強い恩恵を受けているかもしれません。もう十年以上前ですが大学時代、島根出身の学生が私の部屋にある漫画を見て、「こんな漫画、島根には置いていません。広島まで買いに行く必要があります」といったセリフを今でも覚えていますが、取次ができるとは言え時間的なロスなども考えると、僻地では書籍を買うのもままならない状況が今でも続いているのではないかと思います。それだけに電子書籍の普及はこうした地域にとっても、非常にプラスになると私は考えています。

 それを踏まえて言うと、やはり前述の電子書籍化を認めないとする作家の主張とスタンスは、エゴ以外の何物でもない気がします。主張の根拠はハードコピーとして読む文化や習慣を守りたい、ハードコピー本独特の良さがあるなどですが、「読めるか読めないか」という条件と比較すると実に小さな主張に思えてなりません。
 もちろん、ハードコピー本にも長所はあると思うし、特に教科書などは書き込めたりする分、電子書籍より優れていると私も考えますが、小説や漫画程度であれば何が何でも紙じゃなきゃダメというようなメリットは見えません。さらに言えば、ハードコピー本も当時に販売されているのであれば、電子書籍との選択は読者に任せてもいいと思え、最初に挙げた無駄に発売日をずらしていた出版社などと同様、無駄なことしかしていないとすら思っています。

 その上で将来について述べると、今後も電子書籍の普及は進み、むしろハードコピー本がどうしても欲しい場合は近くの印刷所に行ってデータを印刷し、自分の思い通りのサイズや装丁、フォントを指定してマイオリジナルな一冊を作るという形になっていくんじゃないかとも考えています。っていうかむしろ、こういう形のほうが運搬コストなどもいらないし、好きな装丁で組めるんだからいいような気がするし。
 何でもかんでもデジタルを信奉するわけじゃないですが、デジタルを利用しておきながらデジタルを否定する上記の作家たちの言い分には疑問に思えてなりません。

2019年12月11日水曜日

文章で生計を立てるには

 最初は貧しくなってきた駐在員の話でも書こうかと思ってましたが、ちょっと気分が乗ってきたので、文章で生計を立てること文筆業について思うこととかをいくつかまとめます。

 まず文筆業というと直感的に小説家をイメージされやすいかと思いますが、現実には文筆業における小説家の割合は低いと思います。ライトノベルでは未だに新人が数多く出ていますが、残念ながらというか「10年間持つ」ようなレベルの小説家となると非常に限られて来ます。またライトノベル以外となると、現代日本人は以前ほど小説を購読しなくなっている上、小説の新人賞そのものも非常に少なくなって、単純にデビューするチャンスというものがそもそも殆どありません。
 既に休刊していますが、毎年新人賞を挙行していたある小説誌ではその発行末期、雑誌の発行部数以上の小説の応募があったと言われています。この一点をとってみても、小説家という職業のパイが昭和と比べ平成時代において劇的に小さくなっていることを示しています。まぁ今は令和だけど。

 現実には、文筆業の大半は依頼を受けてコラムや取材記事を書くライターなどが大半です。自分も決してこの方面に詳しいわけじゃないですが、この手の文筆業従事者は出版社や新聞社などに最初務めたとか、そういったメディアでのアルバイトとしてキャリアをスタートさせることが多いようです。
 ただ昭和の時代と比べるとインターネットという新規メディアができたことによって、ネットに掲載する文章を専門的に執筆するライターも増えて来ました。この手のライターはもともとブロガーや、ネット広告関連業で働くうちに独立していった人が多いと聞きますが、それ以上に単純にネットメディアの募集に応じて記事を書くようになった人のほうが圧倒的多数だと思います。

 最近はもう忘れ去られつつありますがかつて医療系情報サイトのWELQ問題が取り沙汰された際、記事の大半は医療とは全く無関係なバイトが1~2万円程度の報酬で、コピペしまくって作ってたと報じられており、全部が全部そうではないとは思うもののネットを主に活動するライターはこうした輩も一定数いると見るべきでしょう。

 その上で本題について話し出すと、単純に文章で生計を立てようというのであれば基本はまずメディアとの接触が必要です。さっきのWELQ問題じゃないですけど、ウェブメディアの求人情報とか見ると経歴とか関係なしに募集がかかっていることが多く、単純にウェブで記事書くだけなら今はそこまで障壁は高くないんじゃないかと思います。生活できるだけの収入が得られるかどうかは別ですが。
 ただその報酬額について書いておくと、やはりウェブは紙と比べて報酬は非常に低いそうです。週刊誌なんかはやっぱりそこそこの金額がもらえるそうですが、その点ウェブメディアと比べると執筆障壁は高い模様です。

 という具合で簡単に業界事情をまとめしたが、敢えて言及しなかった文章の質については、やはり見方は複数あると思います。ざっと見る限り、質がいいに越したことはありませんが、文筆業界では質より速さ、以下に短時間でどれだけ原稿量を挙げられるかが重要な節があり、どれだけ良い質の文章をかけるかと言うのはあんまりアピールにはならないと思います。それであれば短時間でどれだけ情報を収集し、編集し、一本の記事にまとめられるかという実力の方がアピールとして強いでしょう。
 もっとも、一般読者はともかくメディア業界の人なら文章の良し悪しは読むだけですぐわかり、話にならないレベルであれば流石に切られるでしょう。またそれ以前の問題として他の記事の無断引用、コピペなどを平気でやるような問題のあるライターも、意外と文章見るだけでわかりますし、そうした最低限のリスクヘッジを自ら行えないライターも問題のあるメディア以外では使われないでしょう。

 以上を踏まえて言うと、文筆業で生計を立てるステップとしては、

1、最低限人に見せられるレベルの文章の表現・構成力を身につける
2、メディアに接触する
3、クオリティを維持して定期的に記事を出せる実力をつける

 みたいな感じになるのではないかと思います。その上で求められるライターになるためとしては、やはり事情に精通している分野があるとそっち方面のメディアからお声がかかりやすいかもしれません。
 私を例に取ると中国事情に精通しているということがやはりスカウトのきっかけになりましたが、現実に活動し始めてからは中国事情に対しあらゆる分野の話題を組み合わせて記事書けるというのが強みになってる気がします。実際自分としては、本音語ると相撲の記事が一番書きたいのですが。

 この時点で何がいいたいのかわかってる人にはもはや言うまでもないですが、この記事で一番言いたいこととしては、文章で生計を立てるために文章技術を磨くのはそこまで重要ではないということです。私に言わせれば三年位毎日2000字程度を書き続けていれば自然と上達するし、特殊な表現なんて身につけたって使うところ限られてくるのだし、さっきも言ったようにいかに早く一本の文章としてまとめられるよう書き上げる能力の方がずっと重要です。
 また前段落で述べたように、記事を書けるだけの周辺知識があることの方がずっと重要で、実際にメディアからも求められるだけに、文章技術を磨く暇あるなら金の匂いのする業界や分野を学ぶ方がベターでしょう。その上で自分のように記事内容の企画から取材、執筆まで一人で完結させられれば、どこの編集部も楽で喜ぶことでしょう。

 最期に文章表現技術の磨き方についてもう少し述べると、意外に外国語を学ぶというのがレベルアップ方法となる気がします。というのも最近中国語を翻訳していて、中国語から日本語への翻訳過程であれこれ新たな表現技法をガンガン開発しており、以前と比べて特殊表現から日常でも使うと劇的に便利になる表現とか見つけられるようになりました。また暇な時間にでもそうした特殊表現をまとめたメモとか作ろうかなと思っていますが、案外表現技術で抜きん出ているのは翻訳ライターなのかもしれません。

2019年12月9日月曜日

女性向けゲーム生地の裏側

仕事中もデート中も、燃え盛る中国女子のゲーム熱(JBpress)

 ということで毎度ながら今日配信された記事ですが、あんまアクセスは芳しくない模様です。

 この記事は執筆直前まで全くテーマを決めておらず、もう何もきまんないからとりあえず中国人女性はよくゲームするよって感じで書こうと取り掛かったところ、イケメンがいっぱい出てくる女性向けゲーム市場が盛り上がっているとわかったので、こっち方面に舵を切りました。
 前述の通りアクセスはよくないものの、記事自体は我ながらよく出来てると思うし、書いてて非常に楽しかったです。BL系ゲームは中国だと規制されているので腐女子という言葉を乱しに持ってくることはできませんでしたが、どうにか友人のコメントとして記事本文に盛り込むなど、色々工夫しています。

 この記事を書くにあたっては密かに、以前日本で流行った「オシャレ魔女 ラブandベリー」というゲームを意識しました。このゲームは女の子向けきせかえコーデカードゲームでしたがめちゃ大ヒットして、今回の記事でも書いたように男性向けとみられがちなゲーム業界において、女性のゲーム需要も実際にはかなり大きく存在するということを証明したゲームでした。
 今回の記事テーマもまさにそれで、「ゲームは男性ばかりで女性はあまりしない」というのではなく、「女性向けのゲームが少ないから女性はあまりゲームを遊ばない」だけで、実際にちゃんと女性向けにゲームデザインしていいもの作れば市場はあると睨んでいます。

 また、掲載前に編集長ともメールでやり取りしましたが、この記事で取り上げている「恋プロ」のサイトに行ったところ、めちゃ大物な男性声優が出演したり、グラフィックも非常に良く出来てて、中国のゲームメーカーもちゃんとこういうところのツボを抑えたものを作っているのかと非常に驚きました。ゲーム内容というかシナリオも面白そうでヒットしたというのも非常に納得が行ったのですが、こちらも記事にある通り、中国でもこの手のジャンルを扱えるメーカーはまだ少ないそうです。

 その上で書くと、男性にも女性にも受け入れられるゲームジャンルというのは何なのか、地味にこの疑問も書いてて気になりました。単純な話、両性に受け入れられるということはそれだけ間口が広く、売れる潜在顧客数も多くなるわけで、どういう風にそのへんのゲームデザインとかしているのか、こういった方面でもまた今度取材してもいいかもしれません。