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2020年9月22日火曜日

精神と肉体の一致性について

グノーシス主義(Wikipedia)

 以前遊んだ「グノーシア」というゲームから派生して上のグノーシス主義というのにたどり着いたのですが、私の中途半端な理解で説明すると、キリスト教の完全普及以前に考えられた宗教観とのことです。大まかな内容としては、この世はちゃんとした神が作ったけど、今現在で人間に進行され、世界を統治しているのは実質悪魔っぽい偽の神で、だから世の中苦しみとかが蔓延しているとか、精神と肉体は完全別個の物で、精神は清いものだけど肉体はとにかく汚い的な、二項対立をはっきりさせた二元論が中心とのことです。

 これらの価値観が一つの塊となった宗教は存在せず(思想的系譜で言えばマニ教が近いそう)、あくまで神学論上の概念だそうです。とはいえ今までになかった概念と、「神の存在性を疑う」という概念がなかなか興味深くいろいろ調べていますが、ちょっと気になったのが先ほど挙げた精神と肉体の二元論です。地味にこれは宗教論を議論する上で外すことのできない重要な概念であるでしょう。

 一般的日本人はアニミズムの概念が強いこともさることながら、「魂」の概念をはっきり持っているため、精神と肉体は別個という概念に対してほぼ全く疑問を持たないと思います。肉体に魂が宿り、肉体が亡んだら(=死)魂は閻魔様のところを経由して天国が地獄に行くというのは、マルクス主義の日本人ですら疑わないでしょう。
 こうした概念は何も日本だけじゃなくキリスト教などの西洋の思想でもはっきりしています。敢えて知ってる範囲で述べるならば、古代エジプトのファラオ信仰はやや異なっており、魂と肉体は分離することはあっても基本的に両者は紐づいており、魂はいずれ元の肉体に戻り復活することもあるからわざわざ遺体をミイラにしてまで残してました。その辺、精神と肉体の一致性についてファラオ信仰は高いという気がします。

 話を戻すと、精神と肉体は別々と言いつつも、その主張における最大の矛盾点というか論点となるのが言わずと知れた脳の存在です。明確に思考を司る肉体器官であり、他のすべての器官は無事であっても、脳がなくなれば思考は止まるという意味で、「脳=魂」的な図式がある程度成り立ってしまいます。それでも科学技術の発達する前はあれこれ理由つけてどうにかしていましたが、脳の機能解析が進むにつれて、その辺の言い訳が段々と成り立たなくなってきているのも事実です。

 何気に面白いのが、脳の解析において一番進んだのは実は一次大戦の頃だそうです。というのも当時は戦闘で中途半端に脳が吹っ飛んだ患者が多く、脳のどの辺を失えばどうなるかとかそういったデータが一気に集まり、脳外科方面の研鑽が一気に進んだと聞きます。
 また脳関連で話を進めると、サイバーパンクの世界では脳を義体に移植して不老不死的に活躍するという攻殻な機動隊っぽい話も多く、これも脳=魂といった精神と肉体の一致性に対する現代の一つの見方といえるでしょう。

 ここまで言えばわかるでしょうが、私自身は精神と肉体は別個の存在というより、両者の一致性はむしろ高い、肉体あっての魂であり、魂なくして肉体なさないという価値観を持っています。こうした価値観の補強として近年、脳以外の内臓なども一部記憶を持ち、移植時にドナーの記憶が移植患者に渡るという研究が出ています。「シグルイ」という漫画に至っては、「筋肉だって記憶を保持するよ」というトンデモ理論を漫画の中でかましましたが、現代では観測できてないないだけで、案外その可能性もあったりするのではないかという気もします。

 このように肉体と精神は両者揃って初めてどちらも成り立つもので、不可分な要素であるというのが私の見方です。それ故に、どちらか一方が大きく落ち込む、具体的には体は健康だけど精神的ショックを受ける、または精神はハイだけど麻薬を打つみたいなことすると、最終的にもう片方も駄目になっていくのは自然で、逆に強い人間たらんとするならやっぱ精神と肉体を一緒に鍛えないとダメ的な話になってきます。

 その上で、肉体の死は精神の死で、肉体が亡んだ後に死後の世界があるかというと、あるかもしれないけど少なくとも現在の人格(霊魂)のままそこへたどり着くことはないと考えています。というのも肉体が亡んだら精神が今の状態のままを維持することは不可能であると考えるためで、何かよくわからない物質という要素になって別の人格というか生命となって出ることはあっても、現在の人格を維持することは元の肉体なしには不可能という風に考えます。
 同様に、肉体をサイボーグ化したらその時点でも精神は変容するとも見ています。許容可能な変容かどうかは議論の余地がありますが。もっともそれを言ったら、子供と大人で体つきも大きく変わることから、子供の頃の人格と大人の頃の人格は記憶こそ共通するものの、同一人格かと言ったらもはや別のものになっているのかもしれませんが。

2020年9月21日月曜日

ユニクロのウルトラストレッチについて

 前回の冬、それまで寝間着で使用していた上下スウェットが購入から5年くらい経って着古してきたので、新しい寝間着をと思って買い物しようとユニクロまで出かけたところ、今年も売られているウルトラストレッチという名称の寝巻っぽい上下が売っていたので買ってみました。その名のとおり伸縮性に優れていそうで、割と睡眠時間は大事にするというか、休日によっては普通に半日寝ることもざらなので、ちゃんとしたものを買おうという計らいからでした。結果的にはミスったけど。

 結果を書くと、寝巻として着始めて1ヶ月くらいでおかしさに気が付きました。ウルトラストレッチという名前の通り確かに良く伸びるのですが、伸び過ぎて袖の丈が余るようになりました。大体2、3回選択したあたりから腕の袖がやや手首付近で余るような感じを覚え始め、2ヶ月を過ぎたあたりからはもうだぶだぶとなり、腕の袖はまくらないと手が出せないし、足の袖は常にかかとで踏みつけるようになるくらい余りました。改めて脱いで上下並べてみると、もうなんか妖怪の手長足長しか使えないんじゃないかって思うくらい袖が伸び切っていました。

 あまりに伸びて使い心地も悪くなっていたので、途中で下の方は裏起毛のジャージを買ってそれを切るようになり、上の方はそれでも我慢して使い続けました。しかし先週から上海でも気温がめっきり落ちて夜も肌寒さを感じるようになったことから、寝巻を夏用のTシャツ(スターウォーズ)+短パン(5年くらい履いてて腰のゴムが露出)からまたウルトラストレッチの上とジャージを引きだしたものの、やはり上の方は使い勝手が悪く、っていうかパソコンのキーボード叩くのに袖が邪魔となって仕方なく、もうあかんと思って切るのやめました。代わりにそれ以前に着ていた6年目くらいに突入しているスウェットの上を今また着ています。

 別に信者というわけではないものの、採寸調整とか無料でしてくれることからユニクロ使っていましたが、たまには浮気してまた新しい寝間着でも買おうかと検討中です。ただ上海のアピタにあるしまむらも閉店セールしてたし、意外と選択肢狭いような。

2020年9月19日土曜日

記事を書く際の基準

 私事ですが昨日に次のJBpress記事を書き上げました。もっとも、執筆自体は昨日の午前中に開始してその午前中に終わったから、めっちゃ手早くぱっぱとかけた方ですが。
 ただ今回、その直前の木曜日までは全く記事ネタは決まっていませんでした。通常は記事ネタを思い浮かぶそばからメモ帳に記入しておいてその中から時期を選んで書いてはいるものの、今回はかなり追い詰められたというかギリギリまで記事ネタが思い浮かばないという逆境に追いやられました。そこで今回は、自分がどうやって記事ネタを決めて書いているかという基準を少しまとめます。

1、他の記事と被ってない
 一番最低限且つ最重上な基準がこれです。他のメディアやコラムニストが報じている内容や話題に関して報じても二番煎じにしかならず、独自性も失われるために、絶対に被らないよう気を付けるようにしています。もっとも同じ話題であっても視点が違ったり、反論的な内容とかだったら私も書くことがありますが、やはりばるべくなら他の誰も報じていないようなフレッシュな内容を基本優先しています。

2、どれだけ読者が得られるか
 これもかなり基本的な内容で、どれだけ珍しい話題であっても、それに食いつく読者がいなければ全く話になりません。この辺、よく友人らが「こんなネタを記事に書いてみてはどう?」といろいろ提案してくるのですが、みんな物珍しい内容ばかり優先してニッチな業界だったら、ごく限られた属性の人にしか理解できないような内容ばかり提案してくることが多いです。
 確かに希少度という面ではそれら記事ネタの内容は高いものの、「何人が読むのか?」という点から考えるとその記事の価値は逆に著しく低くなります。この辺、自己満足になってネタを選ばないようにする慎重さが大事です。

3、単純に面白いか
 2の内容とも被りますが、その記事は読んでて面白いかもまた忘れてはなりません。多くの人が理解できる内容であっても面白いとは限らず、単純に文章としての面白さというか興味を書き立てる内容であるかということもきちんと考慮する必要があります。
 判定基準としては読者層のゾーニングや周辺話題への反応などから推測しますが、私の場合はむしろ私自身が読んでみて面白いと感じるかを重視しています。これだと最低限でも、私と似た感性の人は確実に面白がると踏めるし。

4、報じたいか
 言い換えるなら、「他の人に教えたいか」です。感覚としては、こんな面白い内容を自分だけ知っているのはもったいない、他の人にも教えたい伝えたい的な感覚が、その記事に持てるかどうかです。それこそ読者には受けるだろうけど自分自身が報じたくないよう、具体的には中国ヘイト系の話題だったり、どうでもいい芸能界の不倫系の話なんかはこの基準からは論外です。
 逆にこの基準に当てはまるものとして、「中国人の意外な一面」、「誰も知らない中国に関する大きな特徴」、「話題にならないけど実は重要な歴史背景」などなんかが挙げられ、私が書く記事もやはりこの辺に沿っています。

 今回、記事ネタ探しにえらく苦労し、最終的には4の基準に沿って「中国人の意外な一面」的な話をいろいろ検討した結果、「あれがあったやん」とギリギリで思いついて一気に書き上げることが出来ました( ´Д`)=3 フゥ

 前にも少し書きましたが、自分は記者時代に上司から「お前は自分だけが知りたいと考えていて他の人に報じたいという気持ちに欠けている」と指摘され、自分でもまさにその通りと自覚していました。記者になりたいと考えたのも、自分の知的探求心を満足させることが最大の目的だったし。
 そんな自分が今回、上記の報じたいかどうかという基準で記事ネタを選んだことについて、自分もなんかいろいろ変わってきたんだなと思うところがあります。そういうわけで明日当たりにF-14のプラモでも買いに行こうと思います。

2020年9月17日木曜日

うわっ…私の口座残高、減りすぎ…?

 昨夜ネットバンクから自分の日本にある口座残高を確認したところ、思わず口に手を当てて驚きそうになるくらい残高が減っていました。もしやドコモ口座の魔の手が自分にもやってきたのではないかと信じたかったですが、きちんと手元の口座残高用家計簿と照らし合わせたところ、東芝の会計もびっくりするくらい整合していました。っていうかそもそも、これだけ口座残高が減ることについて思い当たる節もいくらでもあります。

 正直に言って、この二ヶ月くらいやばいくらい無駄遣いしまくっています。学生時代、同じアパートの友人とそのケチぶりで覇権を争ったことのある私ですが、今年は8月半ばまで会社の仕事がやばいくらい忙しく、土日も普通に全力で働き続けていた反動からか、「俺、このピークシーズンが終わったら、あれとかこれとか買うんだ……」的にシーズン半ばから買いたい物リストをわざわざスマホにメモっておくほど、購買意欲がめちゃくちゃ高められていました。
 その甲斐あってか8月半ばにガチでピークシーズンから生還するや、主に電子書籍サイトやSteamなどゲームのダウンロードサイトで目につくものを片っ端から購入しまくっています。私の中では8月過ぎたら収まるだろうとか思ってたら9月に入っても全然収まらず、来月再来月の口座差し引き金額が結構な数字に上ってて、「俺ってこんなに無駄遣いする奴だったんだ(;´・ω・)」などと焦ってます。

 なお学生時代に自分と覇権を競ってた友人は、冷蔵庫も持たず、鍋も持たず、スパゲッティすらやかんでゆでるやばい奴でした。てっきり彼だけヤバイ奴かと思ったら彼の弟も、「職場でみんなからケチって呼ばれるんですよ」と言いつつ、10年以上前に中古で買ったスイフトを颯爽と乗り回していました。


 地味にムカつくのがよく見る四柱推命のサイトでも、今月の運気について「無駄な出費をしやすいでしょう」と的確に指摘してきている点です。占いってのは当たれば必ずしもいいわけじゃないなとか内心思います。
 しかもここにきて、Switchでゲームの「Gジェネジェネシス」が今日から割引セールに入りました。通常価格なら7000円台のところを今なら3000円台で買えるというキャンペーンで、なんか自分の周囲にあるあらゆる存在が自分にお金を使わせようとしてきているように思えてなりません。

 少しだけ言い訳すると、無駄遣いの最大の原因は先にも言った通り7月までは土日も全くお金使えないくらい忙しかったという反動ですが、8月から9月にかけては多くのECサイトで割引キャンペーンが行われ、「今なら安くで買えるんだし……」というお得感が自分をさらに突き動かしているからです。キャンペーンがとっくに終わっている今でも消費が全く衰えないのは不思議なのですが。

 最後に関係ないけど、今日発売の「モンキーピーク The Rock」」の3巻は面白かったです。それとさっきの四柱推命のサイトの明日の占いを見てみたら、「金銭的には強引さが出やすくなり、あせると逆効果でしょう。」とか書かれてあるのに今気が付きました。Gジェネ買うのは明後日以降にしよう。

2020年9月15日火曜日

ゴヤとナポレオンとゲリラのスペイン

 スペイン最強の画家は誰かという問いをかければ、恐らく十中八九でフランシスコ・ゴヤの名前が挙がってくるのではないかと思います。生前に描かれたメッセージ性の強い作品はもとより、晩年に差し掛かる頃に描かれたいわゆる「黒い絵」シリーズは芸術に疎い私ですらインパクトを覚えるほどの迫力があり、ゴヤがとんでもない画家であったというのを直感するほどです。
 そのゴヤが洲北京で生きた時代は18世紀から19世紀ですが、この時のスペインは文字通り激動の時代で、フランス革命を起こした隣のフランスなんかよりある意味最も激しい時代を経ています。

 順を追って説明すると、ゴヤ自身も仕えたスペイン国王のカルロス4世は父親から直接、「お前は本当に馬鹿だなぁ」と言われるくらい暗愚で、政治に関して野心満々な妻のマリア・ルイーサとそのお気に入りで宰相になったマヌエル・デ・ドゴイの好き放題に任せていました。ただ国王が暗愚だったとはいえ、大航海時代に得た植民地の収入もあって国家運営自体は問題なく行えていました。
 これがひっくり返ったのはフランス革命、そしてそれに続くナポレオン戦争によってでした。英国との対決姿勢を示すフランスのナポレオンは徐々にスペイン王家にも干渉を行うようになり、当初は英国の応援を受けたポルトガル相手にスペインとフランスは共同で戦っていましたが、暗愚な人間ばかりのスペイン王家の人々に見切りをつけたナポレオンはカルロス4世、そしてその皇太子のフェルナンド7世をスペインから追放し、フランス国内に軟禁させます。その後、自分の兄のジョゼフをスペイン国王に付け、実質的にスペインをフランスの傀儡国家としてしまいました。

 恐らく、この時スペインに干渉したナポレオンやフランス人たちは真面目に、古臭く立ち遅れたスペインの改革に力を貸してやろう的な目線もあったかと思います。というのも当時のスペインは未だに異端審問があったりするなどカトリック教会、並びにイエズス会勢力が幅を利かせ、公平平等な司法とか社会活動がかなり制限されていたそうです。実際にそうした面から、スペイン国内でもフランス軍の進駐を歓迎する進歩は勢力もいたそうです。
 しかし特権を奪われる保守勢力、特にカトリック勢力などはこうしたフランスの行為は国家簒奪(間違ってはないが)と批判して対決姿勢を示し、スペイン国民に決起させるなどして徹底した抵抗を促しました。また英国もイベリア半島に上陸してこうした抵抗運動を応援し、フランス軍との激しい戦いに参加するようになります。

 スペインでの戦争(半島戦争)はその後、ナポレオンの一回目の退位が行われるまで約6年間も続けられましたが、この間フランス軍はスペインのゲリラに大いに悩まされ、何十万の軍がイベリア半島に貼りつけられ続けました。この時のスペインでフランス人は一人では歩けなかったと言われ、ゲリラに捕まれば激しい拷問を加えられた上で、皮を剥ぐなどされた上で殺されていました。こうしたゲリラの行為に対しフランス軍も報復として、同様の方法で見せしめ代わりに捕虜などを虐殺し返し、文字通り血みどろの戦いが続けられていたと言われます。
 唯一、行政能力も高かったとされるフランス軍元帥のスーシェが管理する地域のみはスペイン人も彼に従い、フランス人も一人で出歩けたとされます。ナポレオンももう一人スーシェがいればスペインを征服できたと述べた上で、自らが任命した元帥の中で最優秀であるとスーシェを称えています。

 なおさっきから出ているゲリラという言葉ですが、スペイン語の「ゲリーリャ(小さな戦争)」という言葉が語源です。

 話を戻すとロシア遠征後、諸外国に敗北を重ねたナポレオンはスペイン戦争に片を付けるためにフランスで軟禁していたフェルナンド7世を解放してスペインに帰国させます。待望のスペイン国王が帰ってきたことで大喜びしたスペイン人でしたが、父親も父親なら息子も息子で、帰国するやフェルナンド7世はかつての封建色の強い政治体制に揺り戻した上、気まぐれに政治担当官を何度も変えたりするなどして、スペイン国内は再び混乱に陥ります。
 またフランス支配時代に起草された憲法も国王は拒絶し、これに反感を覚えたスペイン国内の進歩派勢力は反乱を起こして国王に憲法を認めさせています。しかしその数年後には再び憲法を拒絶し、反乱に係った人間たちを片っ端から処刑して、この時に身の危険を感じたゴヤもフランスに亡命してそのままボルドーで没しています。

 その後もスペインでは暗愚なフェルナンド7世による混乱が続きかなりズタズタな状態となりますが、この辺はナポレオン戦争の陰に隠れてこの辺は解説されることはほとんどありません。自分も漫画の「ナポレオン 覇道進撃」を読んでようやく知った有様でしたが、ゴヤの視点で見てみるといろいろ見えてきて面白かったです。
 ちなみにその覇道進撃の最新刊にて戦地に赴こうとするナポレオンに対し、「26年間、君は私の優秀な生徒だった。惜しむらくはその能力を欧州の安定ではなく自分の野心のために用いたことだ。君と組んでやりたいことはいっぱいあったのに」と、タレーランの心の声を描いたのは、さすがは長谷川哲夫氏だと唸らされました。真面目な話、優秀な外交官というのは本人が主役とはならず、その仕えるべき主君がいて初めて進化を発揮できるものであり、上記セリフの悔恨は外交官だからこそ言えるセリフのように思えます。

2020年9月14日月曜日

雇用統計記事の裏側

実は関西人の「来ない」の言い方で、関西のどこに住んでいるかがだいたい予想できる。(アルファルファモザイク)

 本題と関係ないけど上の分析にめっちゃ感動した。実際、記事を見るまでもなく、「京都はきーひん」とすぐ想像ついた。


 というわけでまた自分の記事の紹介ですが、この内容は以前にこのブログで軽く問題提起した内容を磨きなおしたものです。あのあとやはり気になるので他の関連報道や分析を調べた上でデータも見比べたりしましたが、コロナ流行以降に正規雇用が増加しているという点について言及したのは労働政策研究・研修機構の高橋康二氏のみで他のメディアやシンクタンクはすべて言及を避けていました。断言しますが彼らはこの現象を認識しながら完全に黙秘スルーしており、その証拠に5月データがで前年比マイナス1万人となった時だけは「正規雇用も落ち込みが……」みたいな感じで急に口開いています。何故彼らが黙ったのかというと、やはり数字の背景が読めなかったためでしょう。

 それで唯一この現象に早くから着目、言及していた高橋氏ですが、言及したのが前年比マイナス1万人という結果の5月度データが出た6月時点だったことから、これから正規雇用も非正規雇用同様にマイナストレンドに入るのではという風に分析しています。恐らく私も高橋氏の立場だったら同じような結論に至っていたと思いますが、その後6月、7月に正規雇用は二桁万人増という大幅プラストレンドを再び見せるようになり、この一点をとっても特異なデータ傾向を示しており、これを報じないとは何事だとドラクエの王様的に言いたくなります。

 ただこのデータ傾向と背景を読むのは、少し時間はかかる気がします。ヤフコメなどを見ると雇用助成金目当てで名ばかり社員の登録が増えているせいではないかと言及している人が何人か見られましたが、私も当初これが原因ではないかと睨んでいました。しかし結論から言うと、この雇用助成金目当てが原因というのはほぼりえないくらいに可能性は低いです。
 というのも休業中の従業員に対する雇用助成金は本来正規従業員にしか支給されないものの、コロナ対策の政策によって現在、非正規従業員にも支給されるようになっているからです。仮に名ばかり従業員を大量生産して雇用助成金をかすめ取ろうというのであれば、正規雇用者数を水増しする必要はなく、非正規雇用を水増しするだけで事足ります。またその後の隠蔽工作、または解雇手続きにおいても非正規の方が圧倒的に利便性が高く、正規雇用を水増しする理由はほとんどありません。

 また記事中でも言及しているように、現在何が一番おかしいかって全体雇用者数、非正規雇用者数の両方が大幅に落ち込んでいる一方で、正規雇用者数が急増しているという点です。先ほどの雇用助成金目当ての水増し、恐らく実際にそういうケースもあるのではないかと思いますが、それ絵も非正規雇用者数は大幅減が続いているわけです。その点を考慮すると、正規雇用者数が大幅に増加しているというのはますます特異に見えてきます。

 そんなわけで二日くらい考えた結果、新卒採用者の入社時期がずれ込んだことが要因として大きいものの、人手不足と在職マインドの上昇が加わってこんな結果になったという風に自分は分析しました。記事中にも書いてあるように、実際これを証明するとなったらもうちょっと追加調査が必要となるわけで、ならそんなあやふやな推測を言うなとか思われるかもしれませんが、正規雇用が前年同月比で52万人も増加しているという現況を全く報じない奴らよりかは自分は真摯に報道へ向き合っていると自負します。推測とはいえ仮説もきちんと入れてるわけだし。

 ヤフコメの反応を見ているとやはり意外な結果だとみている人は多いようで、調査自体が間違っているなどデータの信憑性に疑義を呈す人も見られます。実際私も日本の統計はあまり信用しておらず、最初見た時私もデータ調査で何かしら手心が加えられたかとか疑いました。もっとも全体雇用者数が激減しているデータも出ているわけだから、政権が実績アピールのために手心を加えた可能性は低いとも見ています。
 とはいえ信じがたいデータというのは違いありません。ただ私に言わせると、たとえデータが弄られた統計であっても、今回の私の様に月次でグラフにしてみて現れた特異な傾向というのは、必ず特異な理由があってそうしたそうした傾向が現れるものです。捏造されたデータであってもそうした傾向が出るからには必ず背景があり、それを読むことは捏造されたデータであっても現状分析には役立つと、中国のいろんな統計を見ていていつも感じています。

 そういう意味で実際私もデータに疑わしさを感じつつ、報じて分析することに意味があると考えたからこうして記事化しました。個人的には上記に上げたように、雇用助成金詐欺を疑ったり、データの信憑性に疑義を感じたりなどこの雇用統計について考えるきっかけを与えたことは価値があったと自分で思っています。その上で、他の日系メディアはどうしてこれほどまで特異なデータを「わからないから」で無視するのか、その姿勢にははっきり言って反吐が出ます。
 また自分が調べた限りでは、直近1年間の各雇用者数をグラフ化して報じているメディアは一つもありませんでした。はっきり言ってグラフのない雇用統計記事なんて8割方価値を失っていると思え、何故どこもグラフを作って載せないのか、NTTドコモの対応並に理解できません。ついでに書くと前月比データについてもドコモじゃなくてどこも報じておらず、不動産価格と雇用は水物だから、私個人は前年同月比よりも前月比比較の方がずっと重要だと思うのに無視されまくっています。

 総括的に書くと、さも事態は大変であるかのようにコロナ解雇を報じるのは結構ですが、その一方でデータを切り取らずに、こうした特異な状況についてちゃんと報じろよとメディアに対する苦言的にこの記事は書かれています。真面目な話、これだけ特異な特徴を見ていながらスルーしたとしたら、その一点で以って記者失格だし、仕事を早く変えた方がいいでしょう。
 あとどうでもいいけど「総括」って言葉はすごく好きです。あと数字の語呂合わせは「2943(憎しみ)」が一番好きで、適当な数字を割り振るよう指示されたレポートですべて「2943」で統一して出したことがあります。

2020年9月12日土曜日

昨今の中国の拡張政策について

 たまには真面目なこと書こうと思うので、昨日知人にやってきた昨今の中国の拡張政策について少し意見をまとめます。

 報道でも出ている通り、最近中国はコロナの世界的流行にかこつけてやたらと拡張政策を取ってきています。東は日本の尖閣諸島と台湾、南はベトナムと揉めている南沙諸島、西はインドと揉めているカシミール地方でそれぞれあからさまに挑発的な行動をとっており、これら地域での権益や帰属の拡大を巡って動いています。一体何故中国が今年に入ってからこうした動き活発化させてきたのは言うまでもなくコロナ流行が影響しているとみられます。

 具体的には、多分一般メディアで書いても「隠蔽している」と言われて信じられないでしょうが、中国はいち早くコロナの国内流行を鎮静化させ、一部で集団感染が発生しつつも他の都市への拡大は防いでいます。それに対し日本を始め他の国では未だにコロナが流行し続けており、国内の感染拡大予防措置で手一杯だから外交に手が回らないと踏んだのか、5月くらいから中国は急に上記エリアでの拡張政策を取るようになってきました。
 もう一つファクターを挙げるとすると、米国の大統領選が近いということも中国は計算に入れたかもしれません。大統領選挙での再選を目指し政治的実績が欲しいトランプ大統領(最近だとイスラエルの周辺諸国との国交回復)は、コロナで国内も荒れているし中国との外交のためにいろいろとは動けないと踏んだのだと思います。

 ただ結果論で言うと、仮定とは言えこうした中国の目論見は外れました。結果的にはこれらの中国の拡張政策は「コロナで大変な時に余計な面倒作りやがって(# ゚Д゚)」的な感じで当事者たちの反感を買っただけでなく、香港に対しても突然強権的な態度に切り替えたことは欧州諸国を刺激し、先日のチェコ議長の台湾訪問と「台湾マイフレンド」発言によって、はっきりと表面化するようになりました。
 また静観するとみられたトランプ大統領がここでも中国の期待を裏切る(応える?)形で台湾に対する支援を打ち出すなど、一言で言えば、なんも実入りないのに無駄に周囲のヘイトを高めるだけで終わりました。

 なお中国国内では、「コロナの国内不満をそらすため、中国を悪者に仕立てるよう挑発的な態度を取っている」などとインドなどについて説明しています。仮にインドだけの問題だったら一考に値したでしょうが、こうもあちこちで同時多発的に拡張政策を取っている中国が言ってたら、さすがに私も信じるはずもありません。まぁ大半の中国人は信じてるけど。

 さすがに事ここに至って中国も自分がやっていることがヘイト稼ぐだけであまり意味ないことに気が付いたのか、8月あたりから目に見えてトーンダウンしてきました。それどころか比較的まだ話が通じそう(カモにしやすそう)と踏んだのか、露骨に日本に対して「ニホンマイフレンド」的に秋波を送るようになってきています。この辺、次の菅氏の総理就任後により露骨になってくるという気がします。

 日本の外交としては大きく二つ選択肢があり、一つは中国の秋波に応えて仲良くする態度を見せる。こうすれば中国としてもありがたいし、何か譲歩なりを引き出すきっかけになるかもしれませんが、正直言って今中国から譲歩を引き出して得るものというのはあんまないです。通商とかでも一切揉めてないし。
 一方、「だが断る」戦略としては米国と一緒になって、とまではいかずとも、台湾とより近づくという戦略があります。無論これは米国だからこそあんな露骨にできるのであって、日本がやったら中国をマジギレさせる手段です。ただマジギレさせるほどでなくとも、台湾との交流を増やすとか、非政府系団体を使って台湾政府の立場を応援するなどして、間接的に中国にさらにプレッシャーをかけるというのははっきり言って有効だと思います。具体的には、「これ以上騒動起こすなら日本は米国とともに台湾につく」的な懸念を中国に持たせる方針です。

 また台湾を絡ませなくても、遠交近攻じゃないですがインドと仲いい振りするのも有効でしょう。「覇権主義に断固反対」と名指しせずに一緒に発言するだけで中国にとっては嫌な主張に見えてくるはずです。インドとしても、対中国政策で最近日本と米国との連携を探っているだけに、また日本と組んでも何も損することがないという点から渡りに船という風に見えます。

 もっともこうした外交はやはり米国あってのものというところがあるだけに、日本としてはひとまず次の大統領選の結果が出るまでは静観の一手に尽きるでしょう。ただもう一つ中国について言っておきたいこととしては、なんで一斉に全方向でこんなことをやったのか、アホなの?と言いたいです。
 仮にターゲットをインドやベトナムに絞ってやっていればここまで世界各国から警戒はされなかったでしょう。それをあからさまにコロナのタイミングを狙って同時にこんなことやってれば、そりゃヘイトを集めるに決まっています。この方向を定めない拡張方針を何故取ったのか、誰が取ったのかはわかりませんが、はっきり言ってあげるとこれは完全なミスであったと断じることができます。センスない政治家もいるもんです。