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2020年12月3日木曜日

日本下げ記事の需要

 今日会社の同僚に「どうしたの、顔色悪いよ(;゚Д゚)」とマジで心配されました。別に何か体調悪いという自覚はないですが、今日は早めに寝ようと思います( ˘ω˘)スヤァ

 そういうわけで本題ですが、先週月曜に配信された私のシーラカンス記事ですが、普段はこういうことしないのですがこの記事に関してはちょっと気になることがあり、今日もヤフコメのコメントを確認していました。実際に見てもらえばわかりますが、未だに新規のコメントが追加されており、3日前くらいなんかそこそこの量のコメントが増えています。でもって、後半のコメントほど日本の現状を深刻視する意見が多く、恐らく問題意識を高く持っているからこそこうして記事にコメントしていただけてるのだと思います。

 前の記事にも書きましたがこの記事は実験的な意味合いが強い記事で、マクロ的な内容が今の読者に受け入れられるのかということを確かめる目的をはっきり持って出しました。ただ自分の想定とは別で、思っていた以上に日本の現在の停滞について問題意識を感じている人が多く、それがコメント欄にも強く反映されたことはうれしい誤算でした。
 なお記事内容に批判的なコメントを見ていて気が付いたのですが、やたらQR決済ばかり槍玉にあげていて、他のサービスについてはほぼ全く言及がありません。思うにQR決済はまだギリギリ理解できるけど、他の私が記事中で提示したサービスは想像もつかないから批判が出来なかったのだと思います。それこそ今中国で一般的なサブスクリプションサービスなどは、説明してもいまいち理解されない可能性も感じます。

 話は戻しますが、私自身は今回の記事でそんなに日本下げを意識して書いたわけじゃなかったものの、結果的には日本下げ的な内容がかえって受けました。これはそれこそJBpressで記事を書き始めた2016年くらいだとあり得ない事態で、当時は日本の何かを批判する際は必ず、「日本はこんなに優れている。けどここが惜しい!」みたいなフォローを意識して入れていました。出ないと読まれなくなるからです。
 しかし今回はあまりそうしたフォローを入れずとも逆に肯定的な評価がされてしまい、拍子抜けするとともに、日本の現状についてはっきりと問題意識を持っている人が増えていると実感されました。まどろっこしいこと言わずに結論述べると、これまでは日本上げ記事が非常にもてはやされましたが、あんがいこれからは日本下げ記事の需要も高まっていくかもしれないと考えています。

 需要が高まるとは言いましたが、現時点でも日本下げ記事は中国下げ記事同様にアクセスは稼げます。但しそれは炎上によるもので、まともに読まれているかと言ったら自分としては疑問なので、はっきりとした根拠やそうと感じさせる背景、比較要素なしではそういう記事は書かないようにしています。
 しかし現実にはこのブログで書いているように、日本が諸外国に比べ立ち遅れているところは中国と比較するだけでもかなりあります。そうした面に関しては先ほどにも書いたように、日本をフォローしつつ私も可能な範囲で紹介していましたが、その度に「このライターは中国人だ!」などという根拠のない批判を受け続けていました。それが今回はなかったわけで、逆に物足りなく感じる辺り自分もメンタル強いなと感じます(・ω・)

 JBpressさんには記事を出させてもらっていることから私としてもなるべくアクセスを稼ぐことを前提に記事内容を選んでいますが、これまでは上記背景からあくまで中国事情の紹介にとどめ、日本下げ記事は避けてきました。しかし今回の記事を受けて、極端に炎上を狙うような内容じゃなければアクセスも稼げるし、耳を貸してくれる人も増えているのだから、書いた方がいいのかなと思うようになってきています。まぁ個人的には、日本下げ記事よりも中国上げ記事の方が穏当になりやすいので、そういう記事を書いていきたいものですが。

 それにしても、昨日の夜に記事書いてた頃と比べるとなんか今はかなり楽です。やっぱり知らないところで昨夜辺りは疲労がたまっていたのかもしれません。今日は早く寝よう、でもその前に「グノーシア」で遊ぼう。

2020年12月2日水曜日

ネオ皇国史観は何故衰退したのか?

 先日、合計8回に及んだ日本の歴史観に関する連載を終えましたが、この連載は途中で愚痴ったくらいに当初の想定以上に編集作業で苦しみました。大まかに書く内容自体は決めていたものの、いざ実際に書き始めてあれこれ構想を練っていたら途中からいろいろ気づくところも出てきて、4~5回で終わるかと思ってたらこんな長くなりました。
 ただ着眼点自体は悪くなかったと思え、言及する人は少ないながらも2000年代に入ってから昭和時代のスタンダードであった自虐史観とは明らかに異なる歴史観が少なくとも二つ存在するとはっきり言明したこと、いまいち定着する名称のなかったこの二つの歴史観をそれぞれネオ皇国史観と半藤・保坂史観と名付けたことは個人的には小さくない仕事だと考えています。

 そんな苦労話を振り返りつつ改めて議論すべき、っていうか議論が足りなかったのは、既に連載中の記事でも結構長めに書いた、ネオ皇国史観が衰退した理由です。一時はそれこそ「自虐史観VSネオ皇国史観」みたいなはっきりとした二極構造まで見せたのに、今現在はもはや歴史観としても認知されず、単なる極右思想に付随する歴史認識くらいにまでなり下がっています。

 盛り上がった理由については連載記事にも書きましたが、冷戦構造の終結、中国や韓国の台頭とそれに対する日本人の反感の二つが大きいと指摘しましたが、特に後者は南京大虐殺問題と従軍慰安婦問題が大きな論点となったことが大きいです。
 ただこうした盛り上がった理由については、現在の衰退ぶりと比較するといくらか矛盾があります。どんな矛盾かというと、中国や韓国に対する反感は現在、当時以上に強まっている上、先の二つの歴史問題も収まるどころか今もくすぶり続けているからです。先ほどの理由がネオ皇国史観が盛り上がった理由なら、むしろ現代の方がその勢いは強くなっているのが自然であるのに、むしろなんで衰退してるんだってことになります。でもって、この点を考えることがネオ皇国史観の衰退原因を探る上で大きなとっかかりになるでしょう。

 まず歴史問題に関しては意外と解釈は簡単で、論争がなくなってきたということが大きいです。南京d内虐殺に関しては今もあったかなかったかでそこそこ議論は盛り上がるものの、中国が90年代に行っていた反日教育が現在は弱まったこと、そこそこ経済成長して余裕を持ち、訪日などをきっかけに前ほど日本に対する憎悪を持たなくなってきて、以前と比べるとこの問題に対する熱は明らかに引けてきています。
 もっとも今でも中国人に南京大虐殺の話題に触れると確実に怒られるので、余計な論争を吹っ掛けるつもりじゃないならわざわざ触れない方がいいです。

 次に従軍慰安婦問題に関してですが、これは「韓国の言っていることの方がおかしい」と考える日本人が大半、私の感覚では七割を超えるようになって、日本国内での日本人同士の論争が完全になくなってきました。
 特にこの前も最高裁が結審しましたが、最初にこの問題を大々的に取り上げた朝日新聞自体が誤報だったと認め、またその記事を書いた元記者が誤報に関する名誉棄損で訴えた訴訟も、「名誉棄損にあらず」と判決が出て、いろんな意味でかつてと比べると信用を失っています。また韓国政府の対応も、従軍慰安婦問題で関係者救済寄りだった日本人らに「これはおかしい」と思わせ、少なくとも日本国内ではもはや歴史問題ですらなくなりつつあります。

 上記のようにネオ皇国史観が支持を集めるようになるきっかけとなった主張が、今や日本で一般化されてきて、「別にネオ皇国史観じゃなくても……(´・ω・)」という風になったことが、衰退原因の一つと考えています。それでも中国や韓国に対する反感は今の日本人も強いですが、それはもはや歴史問題ではなく現代の経済問題であり、歴史観からはある意味切り離されてきているのかもしれません。

 そうした対外的背景に加えて、やっぱり支持層の分裂も衰退理由として大きいでしょう。ネオ皇国史観の当初の支持層を羅列すると、

・天皇崇拝の強い極右主義者
・とにかく米国が嫌いな反米主義者
・戦没者遺族
・自虐史観に嫌悪感を感じていた人たち

 ざっとこの四種類に大別できると思います。ネオ皇国史観の中心提唱者に当たる新しい教科書をつくる会メンバーはほぼ上二つの属性を持つ人たちでしたが、途中で反米右翼と親米右翼で仲違いして分裂しました。この時点でもかなり勢力が削がれましたが、それ以上に致命的だったのは三番目の属性の「戦没者遺族」達が支持層から離れていったことだと自分は考えています。

 何故戦没者遺族の層が支持から離れていったのかですが、一つは単純な自然死で、年月の積み重ねとともに従軍経験者や遺族らは現在もどんどん減少しており、これがネオ皇国史観にも直撃したと考えられます。
 次に、ネオ皇国史観提唱者らが戦争指導者を正当化しようとしたことが地味に大きいとみています。具体的には、「当時の陸軍や海軍幹部の決断や行動は正しく、米国に追い込まれて戦争に至ったけど彼らは必至で頑張っていたし、戦犯にされて殺されたのは悲劇だった」みたいな主張をしたのが最大の悪手だったと私は考えています。

 実際に当時のネオ皇国史観提唱者らの主張みていると、東条英機とかをかなり礼賛していたりして、今見るとなんじゃこりゃみたいな内容も少なくないです。私自身、どっからどう評価しても東條に関しては弁護する余地は全くないとみています。石原莞爾も、「自分と対立してたってみんな言うけど、東條には思想がないから対立のしようがない」と言ってましたが、実際その通りで鳩山由紀夫元首相といい勝負だとみています。東條も昭和天皇相手に「トラスト・ミー」みたいに言ってるし。
 東條に限らなくても、牟田口や辻など米国の勝利のためにわざと自軍の兵力を無駄に損耗させたり、無茶な命令にも現場で奮闘した下士官に責任押し付けて処刑しまくった宦官みたいな連中も旧軍幹部に多いですが、ネオ皇国史観の連中はこういう幹部らも「国に殉じた」などと悦に入って誉めそやしてました。

 私自身、ネオ皇国史観提唱者の上記のような主張や発信を見て、「あ、そういう思想なんだ」と思って一気に支持しなくなりました。ただ私以上に、上記の敗北に導いた幹部らによって命を散らされた兵や士官の遺族らは、失望感を持つようになったのではないかと思います。
 当時の報道などを思い起こすにつけ、遺族らとしては自虐史観で日本の兵隊は虐殺や略奪ばかりしていたという主張に反発を抱きつつ、無茶な命令にも国のためと思って殉じたということを理解してほしいという感情が強いように見えました。それだけに自虐史観の対抗馬として出てきたネオ皇国史観を当初支持したものの、彼らを死に追いやった無責任な幹部らまで提唱者が称賛し始めたのを見て、離れていったんじゃないかという風に見ています。

 実際、私から見てもかなりドン引きな内容をネオ皇国史観提唱者らは一時期主張していました。それゆえ、ある意味最も強固な支持層を自ら離れさす結果となり、「上は無能・無責任ばかりだったが現場の士官や兵隊たちは本当に勇敢だった」とする半藤・保坂史観に流れる結果を生んだとみています。まぁ本人らがそれでいいと思うのなら、別にそれでいいとは思いますが。

2020年12月1日火曜日

二重経歴者の高まる強み

 友人にMRJのプラモ制作を勧めたら丁重に断られた後、「水槽に沈めたり、砂に埋もれさせたりして退廃的に見せたらいいかも」と案外ノリノリでした。

 話は本題ですが以前にも紹介した「ハコヅメ」という警察漫画ですが、リンク先でも話題になっている通り好調なまま連載が続いています。驚異的なのはその連載ペースで、2年半で単行本がすでに15冊に達するなど、恐ろしいペースで原稿枚数が積み上がっています。なんでこんなに早いかって毎回大量のページ数で連載続けられているせいで、作者がガチで元警官なだけあってやはり他の漫画家と比べても体力が有り余っているのが見て取れます。
 マジな話、どの業界、どの仕事でも体力あるというのはやっぱり強みでしょう。ちなみに自分も昔は6時間くらい翻訳やったらガス欠してたけど、今調子のいい時なら10時間は集中力保てます、っていうか保てないと仕事的に追いつかないです。

 それでこのハコヅメですが、こう言っては何だけど世の中の警察漫画のハードルを一気に引き上げてしまっているとも見ています。他の警察漫画では一切描写のなかった警察学校の中とか、警察署内での具体的な作業風景、張り込みのリアル(車中泊一週間)など、取材とかでは追えない実体験者じゃないとわからない描写が非常に多いです。逆にこうした描写を見た後だと、「他の警察漫画はやっぱりフィクションなんだな」なんていう風にどうしても思ってしまいます。ハコヅメ自体がフィクションと突っ込まないように。

 やはりなんにしても、取材した内容よりも作者が実際に体験した話の方が読み手に取って面白いというのは絶対的に揺るがない事実でしょう。逆を言えば、漫画家をはじめとするクリエイターは今の時代、ただ漫画だけを描いているだけだったら手持ちの武器としては弱い、というか実際にそうなっているように見えます。
 単純に画力などを含め昔と今とを比べると連載作家に求められる水準は大きく引き上げられており、その上ストーリーも求められるとなると如何に他の作家と異なる自分だけの持ち味を出せるか持ってるか、こうした点が成否を大きく分けてくるでしょう。

 かくいう自分も、他の記者と違って無駄に転職してきたことが今大きな武器になっています。やはりずっと新聞社などで記者業しかしたことない人と比べると、一般的なメーカーや商社の価値観やサラリーマン風景に対する認知が違うし、今いる職場も世間で言えばかなり特殊な業界なので、そうした特殊性から一般社会と距離を置いて物を見ることができるようになっています。
 そもそも私の人生自体が「小説に書いたら売れるよ」とリアルで言われるほど無意味に波乱に富んでしまっており、その点でもはや変わった感覚と視点を持つに至っています。ただこうした、一つの職業や業界だけではない複数の経歴、敢えて言えば見出しに掲げた二重経歴(なんか幽白っぽい表記だ)を持つ人間というのは、案外これからの時代はますます強くなるんじゃないかと思います。

 次々回のJBpress記事でまた雇用関係の話を書こうかと現在準備していますが、いよいよもって日本の雇用慣行はそろそろ崩れるとみており、雇用の流動性が高まるにつれて上記の二重経歴者が増えてくるかと思います。もっともそう言った二重経歴者を日系企業が上手く使えるかはわかりませんが、ことクリエイターに関しては今以上に変わった経歴を持った人が今後登場してきて、ハコヅメみたいにそれまでの同系列の漫画を過去にしてしまう人も出るかもしれません。
 そういう意味でこれから漫画家や小説家を目指そうっていう人なら、漫画や小説作品を作る技術もさることながら、他の人間とは異なる特殊な体験や経歴を積むようお勧めしたいです。それこそフランス行って傭兵部隊に入るとかそういう激烈な体験があればあるほどデビューの目は高まる一方、漫画や小説一本足打法だと、綾波レイみたく替わりはいくらでもいるものになってしまうかもしれません。

 ちなみにその手の変わった経歴の漫画家で言えば、先日訃報が報じられた「釣りキチ三平」の作者である矢口高雄は元銀行員という方で、なんか銀行業界の漫画も描いてたらしく面白かったと聞いて興味を持っています。
 あと島耕作シリーズ作者も元パナで有名ですが、彼の場合は会社を離れても取材力の高さで上手くその物語に現実を反映できていたと思います。ただ元同僚たちは部長までしか出世できず、「部長より先の階級の話はぶっちゃけファンタジー」と言ってて面白いのですが、「部長以前も十分ファンタジーじゃん(´・ω・)」と突っ込んだらいけないのでしょう。

2020年11月29日日曜日

最近の上海の状況

 先日同僚が会社で客先相手に電話してて、「出来れば旧正月には日本に一時帰国出来たらなと考えてはいるのですが、難しいでしょうねぇ……」などと話しているのが聞こえました。この声は何も同僚に限らず、中国のみならず全世界の駐在員の切なる声でしょう。

 自分だけかもしれませんがある程度の想定通り、冬が近づくにつれてコロナ感染者がいわゆる第三派を迎えつつあります。高い気温や湿気はコロナウイルスを死滅させないまでも、その活動を抑制する効果があったことはある意味これで証明されましたが、逆を言えば冬の時期はインフルエンザ同様に間髪となるわけで、これから四月にかけてまではまたあちこちで都市封鎖が行われることになるでしょう。

 翻って今私がいる上海の状況ですが、先日に空港勤務者を始め何人かに新規感染者が発生したものの、街全体は移動や仕事が規制されることもなく、新規感染者が出る前と比べて特に変わりなく動いています。ただ今日と昨日は一気に気温が下がったもんだから、街を出歩く人の数は明らかに減ってましたが。
 前に青島市で新規感染者が出た際は市内の全住民相手にPCR検査が実施されましたが、さすがに上海では同じことはやらないようです。もっとも自発的にPCR検査を受ける人は増えてて、周りの日本人駐在員もあちこちで受けてるせいで、なんか自分も受けなきゃいけないのか、どこで受けられるのかなどとキョドっています(;゚Д゚)

 一応、中国全体の消費に関しては今年の双十一のネット小売セールでまた過去最高を更新したように、衰えている様子はありません。ただ消費自体は比較的活発ながら、飲食店や小売店を始め閉店する店の数は今も増えており、街中を歩いていてもシャッターを閉めた店や、テナントの入らないモールなどが目立ち、この点は見ていて胸が痛いです。
 ただ仮に今やごく一般的な宅配サービスがなかったとしたら、飲食店の閉店数は今の規模ではなかったでしょう。宅配サービスでの需要と消費があるからこそ、まだ運営できている店は少なくない気がします。

 ちなみに消費でいうと、昨日またプラモ屋でキットを衝動買いしてきましたが、折角のコロナの時期なんだし、もっと日本で「自宅でプラモを作ろう!」キャンペーンみたいなのを業界もやればいいのにとか思います。この辺、日本の小売マーケティングは随分と後退したなと思うところです。

 なおこの記事書きながらふと「もしかして、あれってあるのかな?」と思って検索してみたところ、飛ぶことのなかったMRJのプラモがきちんと発売されていました。敢えて今この時期だからこそ、三菱重工の社員には冬休みの宿題とばかりにこれをみんなで組んでみたりしないのかなと思ったりします。
 MRJ、っていうかスペースジェットの開発は既に報じられている通り中止となりましたが、あの報道で個人的に不満だったのは下請けの部品サプライヤーとかの話が出てこなかった点です。友人の工場もMRJへの部品供給契約結んで、新規投資してクリーンルームまで作ったのに、結局注文は試作品以外は何も来ずに投資で損する羽目となっており、川下まで考えるともっと大きな打撃となることくらい言及してほしかったです。

2020年11月28日土曜日

中学受験する子供に言ってはならないこと

 上海は昨日まで長雨でしたが今日は久々に雨がやみ、曇りとはいえまだ気分的にマシでした。もっとも天気以上に空気が入れ替わって湿気がなくなったことの方が個人的にうれしいです。
 ちなみに急激に気温が下がったこともあって街中や商店の人影はいつもより少なく、その分自転車で走りやすくてこれまた都合がよかったです。今日は買う気なかったのに、またプラモを衝動買いしてしまったけど。

 話は本題ですが、Yahooニュースとか見ていると最近子供の不登校や教育に関する記事もいくつか候補に出てきて適当にそれらを読んでいますが、そういうのを読んでいて、中学受験する子供にこれだけは絶対に言っちゃいけないなと思う内容があります。
 具体的には、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」という内容です。結論から言うと、この発言は根本的な事実間違いが含まれています。

 仮に大学付属の私立中とかなら、私も通ったことがないのでもしかしたら上記発言の通りかもしれません。しかし一般的な中高一貫校の場合、私の経験で言うと上記発言の通りには絶対にならないと断言できます。理由は非常に単純で、公立校と比べ中高一貫校の授業ペースは早く、勉強しなかったらあっさりドロップアウトするからです。
 実際にというか私の通っていた学校では、1年次の終了とともに確か男子生徒2人がドロップアウトして地元公立校へ転校しました。私自身も中学時代は成績は下から数えた方が早かったですが、後述しますが私自身というより学校の仕組みに問題があったせいで成績が上がらなかったのだろうと考えています。

 恐らく多くの親の世代の考え方では、中学受験すれば高校受験のために勉強する必要はなく、その分だけ中学と高校で部活動などの課外活動にも集中できると思い込んでいる節があります。でもって、それを受験させる子供への売り文句として実際に私も使われたし、ネットに出ている教育相談関連記事でもまさにそういって受験させたところ不登校になったという話をよく見ます。
 しかし一般的に中高一貫校の授業ペースは早く、特に英語と数学に関しては公立校とは比べ物にならないくらいハイペースです。私の学校では数学は中三の時点で数Ⅰ・Aに入ったし、英語に関しても一般受験組と比べれば基礎暗記単語量では劣るものの、長文読解力は高く、この方面で中学生にしては高い水準が要求されていました。

 で、普通に考えて、こんなハイペースな授業が続けられる中で部活とかに集中できるかです。はっきり言ってそんなわけなく、実際うちの学校の運動部とかは半端なく弱かったです。それこそ将棋部とかそういうのだったら話は違うかもしれませんが、運動部入って疲れた状態で帰宅し、普段のハイペースな授業についてこれるかっていったらそんなわけないでしょう。むしろそんなんだったら、普通に高校受験する方がまだ短期集中で乗り切られるところもあるだけに、中高一貫校より課外活動に集中できるのではと思います。

 その上でと言っては何ですが、これは以前にもブログに書いてはいるものの、お世辞にも私の通った学校の教師は授業での指導が上手くありませんでした。中にはテストの学年平均点が30点台だった際に「なんでお前らは勉強しないんだ」と生徒に責任転嫁する教師までいて、見ていて明らかに、素材の良い生徒たちに助けられているだけで、実際にはほぼ全く指導力のない教師が少なからずいました。
 しかも具合の悪いことに、中高一貫校とはいえ厳しい家庭ではすでに大学受験を見据えて、中一から予備校に通わせる家も少なくありませんでした。でもって、そういった予備校に通う生徒が学校でも揃って成績が良く、ぶっちゃけ学校の授業に余り価値がないことを間接的に証明している有様でした。

 私自身もというか、テストの成績良くないから「中学受験すれば中学生時代は塾とかに通わずに済む」と言われて受験したものの、結局また中一から予備校に入れられる羽目となりました。もっともそこで対応してくれたアルバイトの大学生塾講師と馬が合い、成績は実際かなり急上昇したし、その講師の指導で政治とかに興味を持ったので塞翁が馬でしたが。
 逆にもし講師と馬が合わなければ、真面目にかなり危険な状態になっていたかもしれないと今思います。

 それで話を戻すと、「今勉強していい中学に受かれば、中学と高校では楽が出来て、スポーツなどに集中できる」といって子供をいい学校に入れてしまう、特に偏差値的に受かるのは難しいとされていた第一志望校とかに運よく合格して入っちゃうと、十中八九その子供は「あれは嘘だったんだ」と親に裏切られたような心境を持つであろうと私は思います。
 極端な例かもしれませんが、予備校でクラスが一緒で仲良くしていた友人が、普段のテストの偏差値からすると大金星的な高偏差値高に受かって、そこへ進学しました。ただ高校でドロップアウトしたのか中退したことが後年わかり、いい学校に受かるのも素直に喜べるわけじゃないと当時感じています。

 偏見かもしれませんが、何か特定のスポーツに従事したいと普段から言っている子供は勉強好きはそこまで多くいません。素材が良かったり体力があったりして中学受験で上手く成功を収めるかもしれませんが、受かった先の学校でスポーツに集中できるかと言ったら、そこではさらに素材の良さが求められてくるでしょう。はっきり言えば、地元公立校に通わせた方がそういう子たちの負担はずっと低くて済む気がします。
 それでも敢えて中学受験させたいってんなら、やはり分相応な偏差値の学校に入れる、若しくは通学面で有利な一段レベルを下げたような学校に入れさせるのも手でしょう。そうした学校なら授業についていく上ではハイランクの学校よりずっと余裕があり、親の言う通り高校受験を回避することで課外活動に集中できる環境があるかもしれません。一番良くないのは、本人が決して勉強好きでもないのに、分不相応にレベルの高い学校に入るということでしょう。
 っていうか、勉強好きじゃない子なら初めから中学受験なんてさせるべきじゃないでしょうが。

 最後に途中で話した高校受験組について少し補足すると、前述の通り中学時代の私はあんま成績良くなくて結局塾に入れられ(中三時は半分より上で無試験進級組に入ったが)、高校に入るやすぐまた大学受験に備えるよう別の予備校に入れられました。まぁ高校生の時点ではそんな抵抗感なかったけど。
 高校で入った予備校には地元公立中学から高校受験した生徒も多くいたのですが、彼らを見て感じたこととしては前述の通り、暗記している英単語量で私立中出身の私と大きな差があるということでした。上位高校の生徒に限られますが、やはり高校受験でその辺の対策が求められることから、英語に関しては長文読解は私の方が上かもと思いつつ、基本的な単語量では逆に遠く及ばず、「高校受験しなくて済むと言われて入ったが、結局高校受験組とは実力差がつき、この分を埋め合わせなければならないことを考えると中学受験しただけ無駄だったな」という結論に至りました。ぶっちゃけ今でも無駄だったと思っています。

 ただ世の中わからないもので、高校時代は一番英語苦手だったのに、社会人になってからは外国語をメインに使う仕事ばっかやっています。こう考えると、高校の成績は何の適正も見いだせないなと思います。思考も文系のくせしてやたら数学的な論証が多いし。

2020年11月26日木曜日

日本の歴史観~その8、半藤・保坂史観 後編

 最近コンビニとかで「3Dマスク」と書かれた商品が売られているけど、逆に「2Dマスク」はどんななんだろう。顔にマスクの絵を描いた状態なのだろうか。なんんていうか、「4次元ポケット」に対する「3次元ポケット」みたいな感覚があります。あと今週は残業ないけど重たい仕事多くてやっぱ辛ぇわ……、FF15はやったことないけど。

 話は本題ですが前回から取り上げた半藤・保坂史観について、この史観のもっとも特徴的なのはネオ皇国史観同様に、「極東国際軍事裁判、並びに自虐史観は米国が日本を支配しやすくするために作ったステージと概念」だと指摘している点です。但し、その中身について、両者では見解というか踏み込みが異なっています。

 まず戦後における代表的歴史観の自虐史観では先に取り上げたように、基本的に二次大戦で日本は侵略戦争を起こしたとして、否定的な評価を行っています。ただその侵略戦争を誰が興したかという戦争責任については、はっきりと「旧陸軍幹部」と言明しており、この点について半藤・保坂史観は「謝った歴史認識」という風に指摘しています。
 具体的にどういうことかというと、自虐史観では上記の概念に乗っ取り、「東条英機をはじめとする旧陸軍幹部が日本を誤った方向に導いて戦争を起こし、国民はそれに巻き込まれ塗炭の苦しみを味あわされた」という風に捉えています。

 ここで重要な点は二つあり、一つは先ほどにも指摘したように「旧陸軍幹部」を主犯扱いしており、旧海軍は含まれていないということです。これはそのまま「海軍善玉論」、即ち海軍幹部らは日本は米国との戦争に勝てないことを理解していたが、政権を乗っ取った悪い陸軍に押し通されて負けるとわかっていながら戦わさせられたという風な具合で、海軍には戦争責任はないという見方です。ついでに書くと、この海軍善玉論を大きく発展させた人物の一人として、戦時中の陸軍のしごきを相当恨んでいた司馬遼太郎が含まれます。
 この海軍善玉論ですが、異論はあるでしょうが、やはり半藤・保坂史観の主張する通りに米国が意図的に流布された概念であると私も考えています。理由は極東国際軍事裁判で起訴されたA級戦犯のメンツで、東条英機をはじめとする陸軍関係者が中心となっています。

 また半藤一利氏が主張するように、海軍も要所要所で戦争に向かう動きを実際に後押ししており、また本気になれば開戦を拒否できる立場にあったものの、「陸軍さんがやりたいっていうなら」という感じで、あっさり陸軍の要求を飲んだりして、陸軍内の非戦派を落胆させています。海軍善玉論は非常に長く信じられてきた概念ですが、やはり2000年代中盤当たりに半藤氏らの主張が広まるにつれてその影響力は弱められ、現代においては恐らく専門家の間でこの概念を支持する人はほとんどいなくなっているように見えます。

 次に米軍によって流布された「誤った歴史認識」として半藤・保坂史観が指摘している点は、「国民は巻き込まれただけ」という概念です。この点についても半藤氏ははっきり否定しており、当時の日本国民自身が中国や米国との開戦を望んでいて、むしろ日本政府や陸軍はそうした国民の声を受けて開戦を実行に移した所があると厳しく論じています。
 この根拠として日中戦争開戦直後、朝日新聞が「戦乱を広げるべきじゃない。すぐ和睦すべき」といった社説を書いたら、一瞬で部数が急減し、慌てて論調を180度展開したというエピソードがよく紹介されています。実際にというか当時の人々の日記などを見ると戦争に対して非常に肯定的で、むしろ政府や軍は生ぬるいという、生意気な米国は懲らしめねばならない的な意見ばかり見られます。

 こうした点を踏まえ半藤・保坂史観では、戦争責任については日本国民自身も深く反省すべきところがあるものの、米国の情報操作によってそれら責任は旧陸軍幹部に集約されてしまったとしています。これにより米国としては、そうした扇動者から日本を解放しに来たという大義名分が得られるわけで、自虐史観が実際に定着したことを考えると作戦成功であったと言えるでしょう。

 こうした戦後思想に対する米国の情報統制は、ネオ皇国史観でも指摘した上で批判を行っています。ただネオ皇国史観では実際にどのように米国が日本を「骨抜きにした」という根拠や理屈、背景を示すことができておらず、若干観念臭い主張になっていたように見えます。
 一体何故そうなったのかというと、米国による情報操作をきちんと検証したら彼らの「米国に追い詰められてやむなく開戦に至った」という主張が崩れるからでしょう。だから具体的にどんな風に日本の世論を誘導したのかには触れず、観念的にともかく「骨抜き」にしたとしか言えなかったのだとみています。

 なお米軍によってある意味スケープゴートにされたのは東条英機一味ですが、東條自身に対しては前回にも書いたように半藤・保坂史観では激しく批判しており、「無責任の極み」と切っています。それどころか「やはり米軍の力を借りるのではない、日本人自身が彼を権力濫用で処分すべきだった」、「戦前の国内法でも東條は十分処刑できる」とまで言っています。
 ただ先ほどにも書いた通り、東條一味がスケープゴートにされた点についてははっきりと間違いだったとしたうえで、東条英機と仲が悪かったために米国側から起訴されなかったものの、日本を本当の意味で誤った戦争へ導くことになった戦犯として、石原莞爾に対しては否定的にも捉えています。実際に私も二次大戦において日本に戦犯がいるとしたら、石原以上の人間はいないと考えています。

2020年11月25日水曜日

日本の歴史観~その7、半藤・保坂史観 前編

 前回の更新からまた大分時間が経っての要約の連載再開ですが、ようやく取り上げる歴史観としては最後の物にまできました。今回紹介する歴史観は果たして世間に定着しているのかと言えばちょっと疑問符がつくところではあるものの、少なくともぽつぽつと見始めた15年位前と比べるとこの歴史観に沿った見方は現在の方が広まっているように感じることと、最低限、私というフォロワーがいるということから歴史観設定して紹介します。
 名称については保坂正康氏自身は「自省史観」と呼んでいますが、この歴史観は半藤一利氏と保坂正康氏が座長を務める主に文芸春秋などでの座談会がベースというかルーツになっていることを考え、またこの二人が実に相性のいいゴールデンコンビであることを考慮して、勝手に「半藤・保坂史観」と名付けることにしました。この名称を使うのは恐らく私が最初(そして最後?)でしょう。

 ではこの半藤・保坂史観ですが、基本的には二次大戦に対する見解で、その具体的な特徴を挙げていくと下記の通りとなります。

1、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈
2、一方で末端の将兵や現場指揮官には非常に同情的
3、昭和天皇にも同情的ではあるが一定の責任があると指摘
4、戦争責任について当時の国民も大きいと指摘
5、日中戦争時代からきちんと追いかける
6、海軍善玉論を否定
7、方向性は異なるが、戦後思想は米国の扇動によるものとするのはネオ皇国史観と共通

 まずこの歴史観が出てくるようになった背景と経緯からまとめていくと、90年代末期から冷戦崩壊と中国や韓国の台頭に伴い前回までで取り上げたネオ皇国史観が新しい教科書をつくる会を中心に盛り上がっていきました。しかしこの2000年を過ぎたあたりからつくる会の内部分裂、テロとの戦いに伴う反米感情の低下などを受けネオ皇国史観は勢いをなくし、主流となる歴史観が今ひとつないエアスポット的なタイミングで半藤氏と保坂氏による他のゲストを招いた歴史対談が行われるようになり、徐々にこの半藤・保坂史観が勢いを強めていったように思います。

 ではこの史観が他の自虐史観とネオ皇国史観とどう違うのかというと、まず第一に挙げられるのは上に上げた1番目の、自虐史観以上に旧軍部への批判が苛烈という点です。自虐史観でも日本の旧軍部は国民を先導しておろかにも破滅に至る戦争へと引っ張っていったと評していましたが、この半藤・保坂史観では「何も考えず、無責任に流されるまま無謀な戦争に踏み切った」と言い切っています。
 この意見の出どころというか半藤氏の主張で凄いのは、実際に当時の政策意思決定者であったA級戦犯たちに巣鴨プリズンで直接話を聞いている点です。それら取材結果と当時の会議記録などを詳細に分析した結果、「なんとなく戦争しなきゃいけない雰囲気だった」というノリで日米開戦が決定されたと結論付けています。

 その上で、こうした雰囲気は軍部以上に当時の国民自身が日米開戦を望む空気があり、それに引きずられた要素が大きいとも指摘しています。この辺は次の回で詳しく書くことにします。

 とにもかくにも旧軍幹部らに対する批判はこの半藤・保坂史観は厳しく、先にも書いている通り自虐史観以上じゃないかと思います。中でも辻正信に対する批判は、ノモンハン戦での行動を始め全力で以って批判しているくらい激しいものです。
 ただそうした軍幹部に振り回された現場の将兵に対しては非常に同情的で、その敢闘ぶりには激賞してやまないです。陸軍の栗林忠道や宮崎繁三郎などがその代表で、また末端の兵士らに対してもノモンハン戦などで非常に奮戦していることを取り上げています。

 なおネオ皇国史観を支持していた人には末端の現場将兵の遺族らも含まれており、彼ら遺族が自虐史観で旧軍全体を批判されていたことに反発して盛り上がったという面もあったように見えます。ただそうした末端の将兵を実質的に無為無策によって死に追いやった旧軍幹部らについても、ネオ皇国史観のオピニオンリーダーらはやたら持ち上げようと躍起であって、この点で一部遺族らと思想や方向性が異なって分裂に至ったところもある気がします。
 私自身は半藤・保坂史観の支持者ということもあって末端将兵とその遺族らに関しては強い同情感を感じますが、東条英機らは擁護のしようがないとも考えており、私自身がこうした点で違和感を感じてネオ皇国史観を支持しなく経緯があります。

 話を戻すと、半藤・保坂史観でネオ皇国史観と大きく異なる点は地味に日中戦争の下りじゃないかと思います。この日中戦争に関してははっきり言って侵略以外の何物でもないのですが、ネオ皇国史観だと「南京大虐殺はなかった」という主張が強く、実質的にこの一点でしか議論しない節があります。
 一方で半藤・保坂史観では日中戦争の途中経過、というよりその前の満州事変の策謀のあたりから追いかけ、また日中戦の途中の和睦交渉がどうして破談に至ったのかなどをよく取り上げています。私自身、「トラウトマン交渉」は名前こそ知っていたものの中身は全く知らず、文芸春秋の対談とかでこのような交渉がありながら日本は戦争を継続したことなどを初めて知りました。

 逆を言えば、こうした「日米開戦以前」がネオ皇国史観には致命的に欠けている気がします。日米開戦のルビコンとしてよくハル・ノートが挙げられますが、実際に歴史を追うと、ハル・ノートに至るまでの過程の方がむしろ重要な気がします。そこら辺をネオ皇国史観では「反米主義」という立場から追うに追えず、曖昧に省略的にしか紹介できなかったのでしょう。

 そういうわけで、残りの特徴についてはまた次回に。