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2021年7月4日日曜日

三菱電機の検査不正事件について

 既に方々で取り上げられているように、エレキ大手の三菱電機でまた検査不正が発覚して先週報じられました。特に三菱電機に関してはそれ以前にも検査不正が見つかっており、今回の長崎製作所での不正発覚も6月中旬に社内調査で認知していながら発表まで2週間以上も遅れるなどあちこちから突っ込まれています。
 特に発表が2週間以上遅れたという点については、まずもって裏があるとみていいでしょう。好意的に見ればこの間に責任の所在を明らかにしてその後発表された社長退任まで織り込む準備をしていたと言えますが、まぁこれは違うでしょう。そう思うのは不正発覚直後に記者会見をしていない点で、どうせ辞めるつもりだったら記者会見で頭下げてから発表した方が効果あるのに、記者会見せず追及が強まってから急に辞任発表だったので、恐らくはどうにかなると踏んでたのだと思います。

 その上で、不正発覚から発表が遅れたのはやはり当初は隠蔽しようとしたのではという可能性を疑っています。憶測にすぎませんが、隠蔽がどうにもできないと踏んだから遅れて発表したのではという風に見ています。

 今回の事件を見て真っ先に思い浮かんだのは、会社は違えど過去に同じく大規模な不正を連続してやらかした三菱自動車の例です。あっちは性能偽装までやってのけた大物ですが、やはり同じ三菱グループということもあって、「三菱グループは都合の悪い事実をもみ消そうとする」という印象を私以外にも覚えた人が多いのではないかと思います。

 そうでなくてもただでさえ三菱グループは弱り目に祟り目状態で、三菱商事は伊藤忠の後塵を拝すわ、三菱重工は客船、飛行機と立て続けにビッグプロジェクトを落とすわ、三菱自動車に至っては「まだいたの?」と存在すら疑問視されるような状態で、かつてと比べると三菱グループの影響力は目に見えて落ち込んできています。
 頑張っているのは三菱鉛筆くらい?というのはありがちな冗談です。ちなみに三菱鉛筆が三菱グループと無関係だと話すと中国人もみんな驚くのが面白い。

 個人的にこういった大メーカーが検査不正事件を起こすと、内心「ざまぁみろ」という印象を覚えます。というのもこういった大メーカーほど下請けの部品メーカーが不良や検査ミスを出した際、鬼の首を取ったかのようにやたら激しく追及し、一部メーカーは会社ごとの不良事例を入り口前の掲示板に貼りだしているところもあります。
 でもってこの手の大メーカーは「ISO取ってないと取引しない」、「工程自体に問題があるからこうしろ」、「明日までに対策報告書を出せ」とか居丈高に指示してきます。三菱電機は判明から2週間もたっているのに調査報告書を出さず調査中とか抜かすのに

 こうした対策や工場監査時の指示には実現性を無視した内容も少なくなく、「お前ら自身、絶対こんなこと普段やってないだろ」と言いたくなるようなもの少なくありませんでした。その辺、現場の中小企業らはよく認識していて、「ハイわかりました!」と言って実際にはやらない現場猫的な展開を見せることも少なくないのですが、一回中国の日本商工会である大メーカーが労災対策として自社の取り組みを紹介したところ、「そんな現実離れしたことを中小が毎回やれると思ってんのか!」とタンカ切ったおっさんがいましたが、多分会場にいた他の人もみんな心の中でぱちぱちしてたと思います。

 逆を言えば、現実離れした、コストを度外視した労災や不良対策をさも当然のように提示するメーカーほど自分は信用していません。というのも明らかにそんなのこいつらもやってないと思え、そうした自分たちですらやらないことを平気で他人に強要するということは、根本的にそうした現場対策を理解していないからで、検査不正なりなんなりをやっているんだろうという疑いを持ちます。
 今回の三菱電機とは私はこれまで縁のない人生で普段どんな風なのかはわかりませんが、今回の検査不正ではわざわざそれらしく見える検査値を出すプログラムまで用意してたってことで、結構救いようがないなって感じがします。さっきプレスリリース見たら、社長が開いてもない取締役会を言い訳に使うため嘘ついていたとまで書かれてあるし。

2021年7月3日土曜日

コロナ下のゴルゴ13

 例によって忙しく半分意識ないままキーボードを叩くこともあり、「株式会社○○」と打ったつもりでいたら後で読み返したら「歌舞伎会社○○」となってて、「どんな会社なんだろう?」と何故か久々に胸がキュンとしました。実際こんな会社ったら楽しそう。

 話は本題で、ゴルゴ13の単行本が今度で201巻となり、こち亀を追い抜くそうです。こち亀の記録も誰も破れないと思っていたら、あっさりと、しかも同じ日本の漫画に追い抜かれてなかなかすごいこっちゃと思います。と同時に、このコロナ時代においてゴルゴ13はどうやって生計を立てているのかが気になってきました。

 コロナのせいで現在、ほぼすべての国で渡航制限が敷かれており、国境間の移動は非常に困難です。これはワールドワイドで働くゴルゴにとって極めて深刻な問題であり、海外で暗殺の依頼があって駆けつけることすらできません。よしんば移動できたとしても2週間の隔離生活はかなりのロスで、単純な業務処理量で言えば大幅ダウンは免れません。業務が業務なだけに、リモートワークもまず無理でしょうし。
 対策としては、暗殺以来の多い国に滞在してその国の範囲で活動する、または暗殺以外の業務で食いつなぐしかないのではと考えたら、マジで後者になってました。


 上記リンク先に書かれているように、なんか堺市のポスターに出演していたようです。何もこれに限らず、さいとうプロは結構安めのパテント量で素材使わせてくれるそうなのであちこちでゴルゴの絵が使われていますが、仕事とあらば褌を履くことをも厭わないキティーちゃん並に仕事選んでない気がします。


 また外務省では以前に自分も取り上げた、海外安全対策の指導で出動しています。どうもコロナの時代において、暗殺以上にコロナ予防対策活動の仕事を増やしているようです。

 なおその仕事についてですが、地味にゴルゴ13の作品を通してのテーマは「仕事に対する責任」じゃないのかと最近思います。金はいくらでもあるのに何故か命の危険のある仕事をゴルゴはやり続けており、時には依頼人が先に殺されることがあっても既に受けた依頼を完遂するなど、徹底した仕事意識を強く見せます。
 今日の記事にも書いていましたが、ゴルゴはこの前コロナで初めて休載したことを除けば一切休載はなく、また締め切りも必ず守って提出されるそうです。こうした作者のさいとうたかを氏の仕事意識が作品に出されているのではないかと思います。

 ついでに書くと、自分がさいとうたかを氏を凄いと感じたのはあるインタビュー記事で、漫画かデビュー間もないころに担当編集者に「どんな人が僕の漫画を読んでいるのですか?」と聞いたそうです。それに対し編集は、「そりゃ貸本屋に来る客だろ」としか答えなかったそうですが、昭和の中盤の時点で既に、顧客目線のマーケティングを意識していたそうです。
 日本の漫画の開拓者は手塚治虫、白土三平氏、水木しげるなどですが、こと漫画家という仕事方式であれば分業制による量産体制を確立させたさいとうたかを氏こそがオリジネーターであるでしょう。そういう意味では案外、数百年後も日本文化史ににおいて「ゴルゴ13の作者」として語り継がれているかもしれません。

2021年6月29日火曜日

日本に必要なのは行動力を育てる教育?

 今日は締切にあんま追われてないからすぐ帰ってきたけど、明日当たりからなんか仕事やばそうで、ブログ書く機会も減るだろうからもうこのネタ放出します。最初にネタと関係ないけど、今日のJBpressで出てた「逃走事件のヘビより巨大だった我が家の4メートル『アナコンダ」の記事を見て、「こんな見出し反則だろ」と思いました。こんなの見たら読むしかないじゃん。

 結論から言うと、今の日本の教育で最も足りておらず、最も必要なのは「行動力」を育てる教育なのではとう気がします。

 私がこのように思ったきっかけは結構ありますが、一つはあるゲーム専門学校の話です。その学校の講師によると、就職率はほぼ0%で誰もまともに就職できないのですが生徒はやってくるそうです。で、何故卒業後に就職できないのかというと、とにもかくにも生徒らが無気力だそうで、あれこれ熱心に教えようとしても全然反応がないということだそうです。厳しく指導しても、「なんでこんな風に怒られてんだろう」みたいなキョトンとした顔されるとのことで、講師たちとしても指導しあぐねるという話を以前みました。
 また今回記事を書くきっかけとして、最近の子供がゲームを遊ばなくなってきた原因の一つとして、「ゲームを起動させるのが面倒だから」という理由があるという話をネットで見ました。ほんとかどうかわかりませんが、私個人としては実際ありうるのではないかと思え、そう思うくらい確かに最近の日本の若い世代は何事にも無気力で、何か自分が求めることを追うよりも、すべてめんどくさいからとりあえず生きていけるレールになった人生を消極的に選ぶ人が多いように見えます。

 突き詰めると、日本全体でこのところ盛り上がらないのは日本人がみんなして無気力化していて、特に若い世代で深刻だからではないかという結論に至りました。では何故若い世代ほどこの傾向が顕著なのか、理由はいくらでも挙げることができて、PCやインターネットの発達で社会の利便性が高まったから、日本全体の経済と社会が縮小しているから、苦労しなくても死なない程度に生きられるようになったからという風に、理由づけしようってんなら無限にできます。
 ただ一つだけ強めにいうこととして、「裕福になったから」というのは確実に理由として当てはまらないでしょう。90年代くらいなら通用したかもしれませんが、2000年以降の日本は相対的に貧困化が進んだ一方、無気力な子供はこの間も増加しているように見えるからです。むしろ近年は「金持ちの子供は無気力」というよりは逆に、「金持ちの家ほど行動力がある」ように見えます。逆は私に言わせちゃなりません。

 私の見立てでは無気力化は先ほどに上げた理由がそれぞれ一部ずつ当てはまって、複合的に作用した結果ではないかと見ています。その上で、同じく無気力化の原因でもあるものの、歯止めをかけられるスイッチ部分に当たるのが教育だと思え、やっぱこの点で「行動力」、「ガッツ」というものを根本的に教え込むことが日本、ひいてはアレフガルドを救うことになるのではという風に思えてきました。
 自分で言っててなんですが、今のちびっこはもうアレフガルドと言ってもわからないんだろうな。

 私が小学生だった頃は数年ごとに起きる自殺問題が盛り上がってて「ゆとり教育」とともに「生きる力」が教育の重点に掲げられましたが、結局それは何だったのか未だにわかりません。どうせ教えるんならメタルギアソリッド3ばりにサバイバル能力とか教えればよかったのに。
 話を戻すと、中途半端に知識を授けるから無気力になっているのではと思う節があります。失敗する未来が見えると誰もが歩みを止めますが、それが見えなければ誰もがそのまま突っ込みます。そうした無謀のような行動力こそが今の日本に絶対的に足りてないように思え、「ダメかと思っても何も考えず取りえずやってみよう」的な精神こそ、教育で教えるべきでしょう。

 実際にというか、社会においては知能よりもこの手の体力と行動力に溢れた人の方が頼りになります。また学生においても、片っ端から手を出していろいろなことを経験している人間の方が、やはり伸びしろがあるように思います。まぁそれくらい行動力あって、知能も備わっていればさらに強いわけですが、少なくとも知能だけの人よりは行動力のある馬鹿の方がずっと社会には有益です。

 そんな感じで考えていって何かしらモデルとなる人物像はないかと考えてみたところ、最終的に行きついたのが「こち亀」の主人公の両津勘吉でした。彼みたく後先考えず目先の欲だけで無限ともいえる行動力を発揮できるような人こそ、現代日本においてもっと増やすべきタイプの人間だと思います。まぁああいうのが多すぎても問題で、ちょっと前の中国がそれに近かった気がしますが。
 以上を踏まえて日本の義務教育、特に小学校くらいでは「両さんみたくとりあえず何も考えず、自分がやりたいと思ったらとにかく行動しろ」みたいに教えるのが今の日本には一番いいのではと密かに考えてます。真面目に。

 かくいう自分もどちらかと言えば無気力な方で、あんま旅行もしないし、休日も家でゲームばかりですが、この方面で自慢できるとしたら興味を持った後の動き方は明らかに他の人より早く、粘り強い気がします。マジで。
 記事の取材なんかでその手の行動力が発揮されることが多いですが、そういう意味では本当の意味で自分は記者が天職だったのかもしれません。


  追記

 書きそびれていましたが、行動力がなく無気力になってきていると思う一方、上のニュースのように変なところで行動力を発揮してしまう人も最近増えてきているような気がします。そういう意味では行動力を高めるだけでなく、その正しい方向性も養う必要があるかもしれません。ってかあるだろ。

2021年6月28日月曜日

元寇二発目

元寇「神風のおかげで日本がミラクル大勝利」は本当か(JBpress)

 というわけで元寇二発目。一発目が大谷のホームラン並みにヒットしたので二発目も大丈夫と信じつつ、配信されるまでは結構不安でした。というのも、当初書こうと考えていた内容が執筆直前に自分の事実誤認だったということに気が付き、慌ててプロットを練り直していたからです。
 そうしたせいもあり、一発目は大体3時間くらいですぐ書けたのに対し、こっちの二発目は確か6時間くらい書き上げるまでかかった気がします。そのため内容もぐでんぐでんだろうと今回の連載三本の中では一番自信がありませんでした。

 ただ編集部に提出後に帰ってきたゲラを見ると、

神風の被害の実態→高麗船は神風に堪えられたか→神風の後に残された捕虜たち

 と言った感じで、割と流れは一本筋が通っており、読み返してみると意外なほど読みやすいという風に感じてやや自信を取り戻しました。

 そんな感じで迎えた今日ですが、アクセス数は一発目に及ばないものの、1日を通してJBpress内のランキングでは常に1位か2位にあり、全日ランキングで2位以上は確定だと思われます。できれば前回記事もアクセス引き上げてワンツーフィニッシュを決めたかったですが、さすがにそれは高望みし過ぎました。
 にしても、何故今日に限って中国軍脅威論記事が2本も出てきて、この2本に挟まれる形で元寇記事で順位を争ってるんだろうと、なんか妙な感じを覚えました。

 次回の三発目はまた来週月曜配信予定ですが、これまでのと比べるとやや毛色の異なる記事なため受けるかどうかは未知数です。ただ情報の新規性で言えば随一の記事で、アクセス取れなくても初めてその事実を報じるという点では自分的には十分納得のいく記事です。

2021年6月27日日曜日

両津勘吉とウルヴァリンの類似性

 割とこのブログは自分の普段の状況をよく反映するというか、更新回数が多いということはヒマしてて、少ない時は忙しいって場合が多いです。昨日も今日も自宅作業してましたが、同僚は「毎日深夜2時まで頑張ってるよ(´・ω・)」とか言ってきて、あんまり辛い辛いアピールできなくなったのが辛いです。

 そんな感じで疲れているのか、なんか先日ふと「両津勘吉とウルヴァリンって似てね?」とか思いました。言うまでもないですが両津勘吉はこち亀の警官、ウルヴァリンはXメンの黄色い奴です。具体的な共通点は以下の通りです。

・粗暴
・毛深い
・不死身
・うるさい
・女好き
・酒好き
・おっさん臭い

 まるで絵に描いたような類似性で、ウルヴァリンはこれから「アメコミ版両津勘吉」と呼んでもいいのではないかとすら考えています。そのウルヴァリンですが、90年代のアニメシリーズでは準主役のジュビリーというミュータントの女の子が相棒役となり、この子と疑似的な親子関係が出来ていると公認されています。
 ただ「こんな両津勘吉みたいなおっさんが父親だなんていやだな(;´・ω・)」とかジュビリーに思われてるんじゃないかって気がします。年頃の女の子からすると一番嫌悪の対象に近いというか。っていうか他のミュータントとの戦いよりも、アパートで一緒に暮らすウルヴァリンとジュビリーのコメディとかのが見てみたい。

 少し話を戻すと、最近改めて両津勘吉というキャラクターに着目しつつあります。今考えてみるとなかなか特殊なキャラクターと言うか、日本人はもっと彼のようになるべきじゃないかと思う節があり、それはまた今度解説します。

 さてメガテン3で遊ぼ。

2021年6月24日木曜日

もう一つの満州王朝

 最近歴史記事はこのブログではあまり取り扱わなくなっていますが原因ははっきりしており、歴史を語れる相手が周りにいないに尽きます。それでもまだ日本国内だったら何らかの書籍を手に取ってインスピレーション刺激されて書くこともありますが、中国だと電子書籍をそんな探すようなこともなく、やはり歴史的刺激がやや弱めです。基本的に何か知らない分野学んで、面白いと思って書くことが多いですし。
 ただこの前、何の気なしに南宋王朝を調べていたところ面白そうだ思ったトピックを見つけて、落ち着いたころにまた勉強してみようかなと思う分野がありました。それは見出しにも掲げたもう一つの満州王朝こと金朝のことです。

 金朝とは何かですが、ちょうど日本の平安朝後期の12世紀にできた王朝で、作ったのは女真族の完顔阿骨打(ワンヤンアクタ)です。この女真族ですが後に合算離合を繰り返し、16世紀にヌルハチによって再統一された後に名称を「満州族」に改めていますが、女真族も満州族も名前が違うだけで同じ部族です。言うまでもなく満州族はその後ラストキングダムこと清朝を設立した部族です。
 あまり知られてないというか意識されていませんが、満州族は清朝を作る前に12世紀の時点で金朝を作り、皇帝も出しています。この金朝は元々は万里の長城の向こうにいた部族ですが、当時の王朝だった宋(北宋)と組んで、北京周辺(燕雲十六州)を占領していた遼という国を挟撃しています。当初は遼を叩き潰したら領土は山分けみたいな約束でしたがこれを宋に反故にされ、なめんなこらとばかりに怒って攻撃して、宋の皇帝一族を丸ごと捕虜にするほどの大勝を挙げます。その後、金朝は宋をガンガンと南に追いやり、あっという間に中国の北半分を占領してしまいました。

 この時代、華北を金朝が、華南を宋(南宋)が治め、実質的に中国は南北朝ともいうべき時代を迎えます。体制が固まった当初はどちらも「絶対殺す(# ゚Д゚)」ムードでガンガンやり合っていましたが、途中から双方ともに割と現実主義な皇帝が立ち、宋が臣下という立場を受け入れることで和平が成立して、そこそこ落ち着いた時代を迎えるに至っています。意外とこの時の皇帝が面白いというか、北伐を主張する家臣らを皇帝自ら説得して和睦に至り、その上で「俺が決めた」と強い責任感見せる人で、単純に魅力を感じます。

 一方、金朝の方もそこそこ英邁な皇帝を輩出する一方、ローマで言えばコンモドゥスみたいな「色狂いの馬鹿」と呼ばれる皇帝も出たりと波乱があります。またその滅亡に関しても、かつて宋の求めに応じて遼を挟撃しましたが、今度は宋がモンゴル帝国と組んで襲ってきたため、金朝は滅亡するに至ります。なおそのモンゴル帝国は言うまでもなく、後の元です。

 この辺しっかり勉強すればまた別にJBpressで記事書けそうなのですが、最近忙しくて取材できないこともあり歴史記事に逃げること多いなとちょっと反省気味です。今の連載終わったら記事ネタないのにまた取材する時間もないから、多分前打ったチャイナワクチン体験記でも書いて逃げようと考えています。
 言い訳じみてますが、この手のネタに困っての逃げのネタほど当たりやすいです。芸術というのは苦しめば苦しむほどいいものができると一部言われますが、これはマジで、本当にあれこれ考えあぐねてもうこれしかないと追い詰められたところで光るものが最後に出てくると思います。そういう意味では自分を追い込むことが創作においては何より大事だと内心考えてるし、その追い込みにどれだけ耐えられるかという体力とメンタルの分厚さがその振り幅を左右すると思ってます。

2021年6月23日水曜日

立花隆の逝去について


 かなり久々に月間1位取ったので記念にキャプチャーしておきました。今年の自分は割と大谷並にホームラン連発している気がします。

 話は本題ですが本日の報道で今年四月に評論家の立花隆氏が亡くなられていたことがわかりました。年齢的には妙齢と言っては何ですが死に臨むに相応しい時期で、恐らく本人としても納得感のある逝去だったのではと勝手に想像しています。

 立花隆の著作と言ったら「田中角栄研究」が代表格ですが、私自身は時代が異なることもあってこちらは読んでいません。逆に読んだものと言ったら以前読んでた文藝春秋に寄稿された評論が主ですが、やはり読んでてただ者ではないと感じる内容が多かったです。逝去報道にもある「知の巨人」という異名は伊達ではなく、とにもかくにもあらゆる方面に造詣が深くて戦後から平成において日本屈指の知識人であったと自分も考えています。

 その立花隆のちょっと特殊なエピソードとして私が知っているものとして311直後の諮問会議があります。この会議では主催した菅直人首相(当時)が原発に代わる新たなエネルギーを出席者に尋ねたところ、ほぼ全員が太陽光発電を挙げたそうです。それに対し立花隆ただ一人のみが、「ヒートポンプ」を挙げたとされ、このエピソードを出して半導体産業新聞の当時のトップは「わかっているの立花隆のみ」とべた褒めしていました。

 エネルギー方面には私はあまり造詣は深くないのですが、少なくとも太陽光発電に関しては菅直人氏だけが悪いわけでなくその後の制度設計に起因するところも多いものの、現状で成功したという人はまずおらず、失敗したと断言してももはやよいでしょう。
 私自身、今でもはっきり覚えていますが2012年の日本行きの飛行機で窓から眺めたところ、丘の上のあちこちにまるで切り抜いたかのように太陽電池パネルが見境なく置かれてあるのをみて、警官的に見ていて強い不快感を感じるとともに、豪雨などの土砂時とかどうするのだなどと疑問に感じました。ただ良かったことに、数年経ったらそれらは一切全部なくなりました。ついでに、太陽光発電関連のネット広告も完全に見なくなりました、よかったよかった。

 私自身もどちらかというと知識量を武器にして記事を書くことが多いですが、やはりこの方面だと立花隆とは雲泥の差があり、遠く見上げる存在でありました。今年初めには半藤一利もなくなり平成に活躍した言論人が今年なくなることが多いと感じる一方、やはり彼らの下の世代、具体的には今60代くらいの世代でもっと代表的な論人が続いてほしいという願望があります。知識人というのは多すぎてもよくないですが、少なすぎるのもまたよくないと私は考えており、一人の巨人が亡くなった今だからこそ、新たな世代の台頭を願わずにはいられません。