なお親父の枕言葉はかつては「名古屋に左遷された~」でしたが、さすがに退職で日が経ってるのもあるとの、戦車大好きとか言いながらソ連の傑作戦車T-34のプラモを一切作らずドイツの戦車しか作ろうしないことから「ソ連人民の敵である~」に切り替えました。他にやるとしたら「中東系の顔であだ名がビンラディンだった~」しかないな。
話を戻すと上記の本を買った際、無料セールとなっている漫画本を眺めた際、「1日外出録ハンチョウ」が入っているのに気が付き、無料の1巻と2巻のみ購入しました。
この漫画は知ってる人には有名ですが、福本伸行氏のギャンブル漫画「カイジシリーズ」に出てくる、地下強勢作業場の班長こと大槻を主人公にしたスピンオフ漫画です。この大槻という主人公は本編では地下作業場で違法賭博を開き、細工したサイコロでイカサマをやって底辺からさらにむしり取る卑怯極まりない人物として描かれていますが、この漫画ではその大槻が私腹を肥やして貯めたお金を使った「1日外出」という特権を利用して、1日だけ(但し何度もやる)のシャバ生活を満喫する姿が描かれています。これ以前にも「中間管理職トネガワ」(こっちは以前から読んでた)というカイジスピンオフ漫画がヒットしており、二匹目のドジョウとばかりにこのハンチョウも連載が開始されましたが、結果的にはまたもヒットし、現在は三匹目のドジョウとばかりに別のスピンオフ漫画が出ています。
さてそのハンチョウですが、読んでみた感じとしてはこちらも大ヒットというか現代におけるグルメ漫画の傑作といっていい「孤独のグルメ」の対になる作品だと感じました。孤独のグルメは飯時にふらりと立ち寄ったお店の料理を取り上げるのに対し、ハンチョウは徹頭徹尾にターゲッティングされており、初めから食べる料理ががっちり決まっているパターンが多いです。その上やってきた料理に対し「来た来た」、「やはりこれでないと」みたいな感じに、期待通りであることに満足するという展開が見られます。
ま、実際にはふらりと立ち寄る形の話も少なくないですが。
感覚的には孤独のグルメは意外性、ハンチョウは期待性が前面に出ており、ちょうど正反対である者の料理を楽しむ感覚としてはどちらも重要な要素であると自分は思います。その上で、やはり自分としては孤独のグルメよりもハンチョウに共感するというか、実は今回改めて読んでみて半端ないシンパシーを覚えました。というのも、かつての自分を見ているように感じたからです。
長年の読者なら説明不要ですが、自分は2010年末に中国に渡り、2012年まではほぼずっと中国に居続けました。この間は新聞社に入っており、1年にどれだけ有休があるのか、現在どれだけ残っているのかが一度も通知されたことがないほど休みを取るのが難しい職場で、日本に帰国するなんて1年に1回か2回あるかないかでした。しかもそうして日本に滞在できる期間は実質的に最長3日間(土日+1日)で、これ以上は実質的にお休みを取らせてもらえませんでした。
まぁ祝日を絡めりゃもうちょいいけましたが、祝日だと飛行機代高くなるから嫌で一度もそういうことはしませんでしたが。
話を戻すとこの3日間、正確には土曜の朝に飛行機乗ってお昼に空港着いて、それから日曜の夕方の飛行機に乗るまでの時間は、「何をどう食べるか」というのをかなりがっちり決めていました。当時の自分はマジ金がなく上海で6元(当時のレートなら80円くらい)の蘭州ラーメンか自宅での茹でうどんばかりしか食べておらず、やや値段が割高な日本料理なんて週に1回だけと変に決めてました。
そのため日本帰った時には「土曜の昼にはあれ、夜にはあれ、日曜朝はこれで……」と事細かに決めており、この辺が1日外出特権を使ってシャバに出るハンチョウと妙に被っている感覚を味わいました。
現在の自分は日本料理屋の多い上海で、尚且つ新聞記者時代と比べればお金あるので何不自由なく日本料理がいつでも食べられます。またかつて使ってなかったVPNにも加入しているおかげで電子書籍などもいつでも買うことができ、日本帰国時に寝る間を惜しんで漫画喫茶で不在中の新刊をまとめて読むという苦行めいたことからも解放されており、端的に言って環境には段違いの差があります。それだけに苦しかった時代を思い出してはよく目を細めるのですが、まさかハンチョウを読んであの時のことをこれほどありありと思い出すとは思いもしませんでした。
っていうか入ってた新聞社が帝愛と大差なかっただけな気もしますが。
人間、楽しいことを共有する人より苦しいことを共有する人のが仲良くなれると言いますが、少なくともトネガワ(あっちもかなり苦労してるが)よりも自分にとってはハンチョウの方が半端なくシンパシー感じます。他の海外駐在員も、案外そうなんじゃないかなぁ。