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2021年8月27日金曜日

ワクチン副作用に関する報道を見て


 朝から何度も見てるけどめっちゃじわる。

 話は本題ですが、このところ感じる違和感として、なんか日本ではやたらとワクチン副作用に関する報道が異常に多い気がします。それこそワクチンを打ったらもれなく100%高熱などの副作用が出るのではという印象を覚えるくらい、芸能人から一般人に至るまで、「ワクチンの副作用でヤバイ」みたいなことを主張しています。

 中国でのワクチンでも副作用の話は全くないわけでもないですが、私の周りでは「打った後はやや眠くなる( ˘ω˘)スヤァ」程度くらいでした。無論、深刻な副作用、中にはそれで死亡された方もいるだろうし、中国だったらその手の報道はあまりしないということも十分考えられますが、それを考慮しても日本の副作用報道ははっきり言って異常だと感じます。
 また副作用について言及している人はこぞってその副作用がどれだけ深刻であるかを書く人が多く、それこそ「こんなことならワクチン打たなければよかった」的な言及もみます。そりゃ副作用がないに越したことはないですが、現況においてはみんなでワクチンを打つことが最終的なコロナ死者数を減らすことにつながることは確実だと思うだけに、いい年こいた大人が発熱程度で弱音吐くなよと見ていて思います。機能喪失レベルならまだわかりますが。

 恐らく中国以外の他の国もある程度そうでしょうが、ここまでワクチンに対する忌避反応が日本で強いとは私は思いませんでした。ツベルクリンとか打ってるだろうになんでコロナのワクチンにだけこんな拒否反応示すのかがいまいち理解できませんが、なんだか私も日本人の知能が落ちてきているという自虐意見に傾きそうになってきています。
 それも個人ならともかく、メディアもこぞって科学的な根拠をガン無視した報道で不安を煽っており、そういう意味では中国ほど激しくなくてもメディア統制はやはり必要なのか、特に最近やらかしまくっているテレ朝に対しては思います。っていうかテレ朝は二階から目薬的に落ちて怪我した女性社員の動向というか経過をもっと報じるべきだと思う(´・ω・`)

2021年8月26日木曜日

短期的でしかない日本のコロナ対策


 こういう文章を自分も書けるようになりたい。にしてもヤフコメにあった「サブリミナル的に長島昭久が」出てくるというツッコミは的確だと思う。


 でもって本題ですが何が明かりだよこの野郎と、見出し的に自分は思いました。それこそ豊田真由子がここにいたら「このハゲー!」っていうレベルでしょう。目下のところ日本国内で感染者数は増え続けており、重症者数の伸びは止まったという一部報道を見ますが、数字的に多分、治療対応可能な限界数に到達しているだけではないかという疑念を持っています。ちょうどこれはという閾値付近で止まることが多いし。

 ただそう言ったこと真偽以上に呆れたのが上記の菅首相の空気を読まない発言です。今この状態でなにが明るい材料なのかを具体的に言及せず、また他の国より死亡率が低いなどとと述べ、比較上でマシであれば先日のようにたらいまわしにされた挙句妊娠していた子供が亡くなってもいいと思えるのかと聞いてみたくらいです。やはり去年と比べると、たらいまわし、搬送先を探している最中に死亡下という報道が増えている印象を感じ、明らかに状況が悪化しているようにしか見えません。
 第一、比較するなら悪い国じゃなく、中国や台湾、ニュージーランドとかと張り合うべきでしょう。言ってしまえば「自分よりテストの点数が低い奴いがいる」と言っているに近い発言だと思います。

 繁忙期が終わったけれども今頃になって疲れがどっときているので一気にまとめますが、日本のコロナ対策を見ていて非常に致命的だと感じる点として、基本的に何か起こってから対応するという受け身であるということと、一番遠くて1ヶ月先しか見ていない短期的視野が問題たと思います。
 現在夏だからということで重傷者はまだこれだけに止まっていると私は考えており、恐らく今冬にはそれこそ最初の頃の武漢みたいな状況、具体的には死亡しても家族が見送ることができないという光景が日本中で起こるのでは想定しています。ついでに死亡者数も劇的に増加するという気もします。

 だからこそ現在すべき対策としては一にも二にも病床数の確保で、ある程度採算度外視で酸素吸入器などの最低限の治療設備を唱えた仮設病床を作っておくべきなんじゃないかと思います。中国も武漢でレンチン的に病院を作っていましたが、ああした対策が冬に備えて今必要だと思えてなりません。
 さらに言えば、この状況が来年に改善される見込みはかなり薄くなってきています。既にワクチンの効果も持って1年程度とされ、3回目の接種が推奨され始めるなど、人類はコロナを撲滅できない可能性が出てきています。となれば今後もこうした状況が続くだけに、来年、再来年以降どうするかという対策も求められ、だったらなおさら作っても無駄にならないんだから病床を増やす価値があると思うのですが、そういう話は誰もしない辺りが日本が怖いなとマジで思います。

 恐らくですが、今の政権は次の解散総選挙しか見ておらず、来年以降のコロナ対策はやや度外視しているように見えます。この辺、日本人の一番悪い癖というか、「最も起ってほしくない事態は起こらないことを前提に話を進める」という癖が出始めているように見え、最悪の事態を想定しつつも何も対策を採らなくなっているようにも感じます。そういうわけで、今冬どうなるかがいろいろ不安です。
 日本にいないし帰国も延びたからいいけどさ。

2021年8月24日火曜日

真・女神転生Ⅲのコトワリについて

 自画自賛ですが昨日の「マカロニ大魔王の降臨」という見出しは自分的にかなり気に入っています。その記事で書いたこの前クリアした真・女神転生Ⅲですが、このゲームは最終的に主人公が選んだ「コトワリ」によって結末が分岐するマルチエンディングとなっています。

 そもそも「コトワリ」って何かですが、このゲームにおける思想であり勢力を意味します。このゲームに登場する人間はマジで指折り数えるほどしかいない(悪魔はたくさん)のですが、それぞれが思想を持っており、その思想に染まった世界を作るため暗躍し合うというストーリーとなっています。でもってどの思想に味方するのかが主人公に迫られ、その選択によって他の人間キャラは味方となることもあり、また敵対することもあります。
 ではそのコトワリですがどんなのかというと、


1、ヨスガ:強者が絶対でなにしてもいいという価値観で、弱者はその存在(=生存)すら認めず、駆逐しようとまでする。

2、シジマ:徹底した管理社会で、強者が余計な感情を捨てて上から支配するシステムチックな世界を目指す。ヨスガと違って弱者は反抗こそ許さないが存在は認める。

3、ムスビ:各人がそれぞれ固有の価値観を持ち好き勝手行動する一方、他人からの干渉は一切認めない。


 自分の理解ではざっとこんなものです。この3つのコトワリ勢力からどれか一つを選ぶか、すべて否定するかが迫られることになります。元々、真・女神転生シリーズは代々マルチエンディングなゲームなのですが、1と2では「ロウ(秩序)」と「カオス(混沌)」の二項対立しかなかったのに対し、この3では上記の通り3種類、それもそれぞれが対称的な関係にない思想であるため、いまいち対立構造が掴みづらい印象を受けました。
 以上を踏まえて自分の見方を述べると、上記の3種類の思想は中身には違いはあるものの、どれも「この価値観以外は一切認めない」という全体主義的傾向が強い思想となっています。

 「ムスビ」は一見すると自由思想に見えますが、説明にも書いた通り他人の干渉は一切認めないという孤立主義的思想も含まれており、実際にゲーム中で「俺の領分に入ってくるな!」とムスビ主義者が攻撃してくることがあります。エヴァで言うATフィールド的な価値観で、「それぞれの領分を荒らさない」ということを強制する思想となっています。
 敢えて現実にある思想で例えるなら、米国のモンロー主義が一番近いかなと思います。

 で、残り二つですが、ヨスガに関してははっきり言えば選民主義で、ナチスドイツの優性主義が最も近いでしょう。弱者は存在すること自体が害悪だとし、優等なもののみが生き残る世界がいいんだ的に主導者も主張してきます。いうまでもなく、ナチスドイツも極端な全体主義の代表格です。
 最後のシジマは、一番わかりやすい例なら江戸時代の徳川幕藩体制で、身分の逆転は起こらず、イノベーションも認めず、これまでと同じ時の流れを繰り返す「静寂」な世界を良しとする価値観です。無論、徳川幕府もまた全体主義です。

 そもそも全体主義とは何かですが、一言で言えば特定の価値観以外を持つことを一切認めないという思想です。共産主義世界がまさにそれで、資本主義的価値観を持つことを認めないし、存在もまた許さないです。上記の通りこのメガテン3の思想はどれも、内容に違いがあるもののどれも全体主義で、他の価値観を一切認めず一つの思想に統一するよう迫ってくるものがあります。

 では自分はゲーム中でどれを選んだのかというと、上記3つを否定するという、ゲーム内で言う「先生エンド」に自然にたどり着きました。このエンドはネタバレすると新世界が創られず元の世界に戻るという「そういう夢だったのさ」的なエンディングになるのですが、何故自分はこれになったのかというと、唯一このエンディングのみが自由主義思想だったからで間違いないでしょう。
 一体何が自由主義なのかというと、「複数の思想が同時並行的に存在することを認める」ということが、全体主義と対をなす自由主義の特徴と言えます。上記3つの思想を持つ人がいてもいい、但しそれを他のすべての人に強制してはならないし、他の思想が存在することも認めなければならないという価値観こそ、自由主義と言えます。

 何も自分は自由を信奉しているというわけじゃないですが、被害妄想もあるものの、基本的にどの分野、どの世界、どの集団にあっても自分はマイノリティに陥らざるを得ない人間だという風に認識しています。そういう自分からすると、全体主義の世界においてはどこへ行っても磨り潰される側に回らざるを得ず、単純に自由主義陣営にいないと殺されるだけという危機感をマジで持っています。
 だからこそ全体主義、もっと身近で言えば組織を絶対視する集団主義は自分にとっては敵でしかなく、嫌悪感も他の人と比べればかなり強いと自負しています。何度も言いますが、自由が好きだからというわけではなく、むしろ自由は人を苦しめるものだと認識していますが、自由主義じゃないと存在できないという風に考えています。

 その上で、じゃあなんで全体主義の中国にいるのかというと、言ってしまえば政治分野以外は比較的自由だからに尽きます。むしろビジネスに関しては日本よりも自由度が高ければ逆転も起こりやすいとすら思いますし、そうしたミクロレベルの自由さで中国の方が自分は存在しやすく感じます。
 一例を挙げるなら、就職や転職において年齢での足きりは明らかに日本の方が激しいです。
 自由という単語は一見すると「選択肢を好きに選べる」価値観と思われがちですが、その本質は「異なる価値観の存在を認める」にあると自分は考えています。まぁその異なる価値観も、先に説明したムスビの価値観のように、どこまで干渉を認めるかによっていろいろ対応が変わってきますが。

 今回、メガテン3やってみて上記のような思想の差を改めて感じたわけですが、要するに上記3つのコトワリの選択は、「あなたの好きな全体主義はどんな感じ?」という、全体主義の枠の中の選択だと自分は思います。この辺、制作者も敢えて意図したのではないかと思いますが、一応は自由主義陣営の日本人からすると、この辺の背景がピンとき辛いのではと思ってこうしてまとめました。

2021年8月23日月曜日

マカロニ大魔王の降臨

 昨日ようやく「真・女神転生Ⅲ(SWITCH版)」をクリアしました。ラスボス手前までは結構前に来れていたのですが、終盤で経験値稼ぎなどの効率もいいことから、まだ作っておらず悪魔辞典(ゲーム内のカタログ)に登録されていない悪魔を作っていたらこれが思いのほか楽しく、ガチで20時間くらいラスボス手前で悪魔を作っては育てて、合体させてはまた育ててを繰り返していました。
 そのせいでレベルも上がりまくっててラスボス戦は超余裕となり、なんか戦闘前に「悪魔の分際でおこがましい!」などとラスボスに言われましたが、マジ鼻で笑えるくらい弱くて何言ってんだこいつとか思いました。

 基本的に満足感が高いゲームでしたが、その終盤の悪魔制作過程でちょっと思ったこととして、基本的に特殊な悪魔同士を合体させないとできない悪魔ほど強くて活躍でき、それ自体が非常に楽しかったのですが、この特殊な悪魔はネットの攻略情報を見ないとまず作れないようなレシピになっており、何も水にプレイしていたらきっとお目にかかることなく、このゲームの楽しみも半減化していた気がします。アマテラスとか、その素材となるヤタガラスすら通常プレイだとまず作れないと感じるほどだし。
 個人的にこの点がやや不満に感じたところで、せめてゲーム中で合体レシピのヒントかもう少し出してもよかったんじゃないかという気がします。なお自分のプレイでのMVPは「だいそうじょう」でした。

 とはいえ一回クリアしたら悪魔辞典も引き継げるし、合体時の主人公のレベル制限もなくなって前よりかなり楽しく遊べると思い、すぐまた2週目を開始しました。しかしその際問題となったのが主人公の名前で、小一時間ほど何にするかで悩みました。

 1週目では「霊的な名前にしよう( ˘•ω•˘ )」などと考え「魂藤幽」という中二病っぽい名前にしましたが、なんか今思うと幽遊白書の浦飯幽助みたいな名前でちょっとあれだなという気がします。しかもゲーム中の登場人物に「勇」って奴がいて「ユウ」で被ってしまいました。
 それだけに2週目の名前はもっと慎重に決めようと悩み、実在の人物として「菅義偉」とかが候補に上がりましたが出オチになる恐れがあり、ならば「緑川光」などと声優の名前も考えたもののなんかしっくりきません。基本的に悪魔を従えて戦う人物なんだからそういう感じの名前がいいと考えていたところ、

マカロニ大魔王

 この名前が浮かび、ガチでこれにしました。なおニックネームは「だいまおー」です。

 別にこれに限らず、「あんこ大魔王」などと「食品名+大魔王」というネーミングは汎用性が高いことからよく使っています。大魔王だから悪魔を使役する立場の名前としてはうってつけだし、マカロニというチャーミングさも悪くない気がします。ちなみに別の候補としては「納豆大明神」もあった。
 これで実際ゲームを開始したら、他のキャラから「来てくれたのね大魔王君」とか「何してんだよだいまおー」などと呼ばれ、何故だか私が小学生の頃に少年ジャンプで連載していた「地獄戦士(ヘルズウォリアー)魔王」という漫画を思い出しました。

 そういうわけでゲームに出てくる「コトワリ」こと思想に関する話はまた次回で。

2021年8月22日日曜日

ハコヅメを見てて感じる不審点

ハコヅメで警察のすごさわかった(ねいろ速報)

 上記まとめ記事でも取り上げられていますが、難度かこのブログでも取り上げている「ハコヅメ」という漫画が現在放映中のドラマ、そして今度はアニメ化と乗りに乗っています。ただ上のまとめ記事でもいくつか指摘されていますが、やはりどっかしら警察を良い方向に紹介しようという意図がこの漫画には見え、警察という職務の体力的きつさはよく出てくるものの、警察の暗部というか腐ったところ、具体的に言えば不祥事的な話はほんと一切出てきません。
 そういう意味で、この漫画家らは普段見えない警察の側面が確かに見えては来るものの、一方で批判的な目線に明らかに欠けることから、警察の全体像となると逆に見えなくさせてしまうところもあるかと思います。逆を言えばこの辺をどうにかできるかが、作者の大きな壁になるんじゃないかと思います。

 敢えて自分の方から一つ指摘すると、絶対存在するはずなのにこの漫画で一切描かれない点として、マスコミとの係わりというか取材対応があります。基本的に事故や災害、事件の情報ソースは警察発表であり、警察側による記者会見のほか、懇意の警察関係者から情報をリークしてもらうなどで、日々に報道は成り立っています。さらっと書きましたが、本来リークしてはならないと思われる事件関連の情報が何故報道されるのかというと、明らかにコンプライアンス的には会ってはならない情報リークが警察関係者よりなされているのが普段の日常です。
 まぁ需要と供給が噛み合うので、マスコミ関係者からこうした行為がコンプライアンス的にどうかという話は絶対しませんし、また視聴者も事件内容の情報を欲しがるので誰も問題視しません。困るのはプライバシーを暴露されることとなる事件関係者の親類だけです。

 いくつかの情報によると、作者は警察の広報部にいたということですが、そうした経歴から察するにマスコミとの接触はむしろ一般の警察関係者よりずっと多かったのではないかと推察しています。にもかかわらず「ハコヅメ」の中では、ガチでこれまでマスコミ関係者が描かれたことが一度もありません。ちょっと性格悪い言い方ですが、真面目に描けない理由があるんじゃないかと疑っています。

 自分はどちらかと言えばマスコミ側に立つ立場ですが、真っ当なルートでこの業界入ったわけでないためサツ回りと呼ばれる警察関係への取材活動は一切したことがなく、この方面の仕事の流れとかやり方は実は一切知りません。まぁ基本マスコミ側も泥臭いことしなきゃならない仕事で、経験者によると「一番きつい」とのことですが、やはり警察関係者との「コネ」が物言う仕事で、贈り物とかギフトが結構大事だという風に聞きます。まぁコンプライアンス的に誰も問題視しません。
 それだけに興味があるのでその辺も書いてほしいのですが、話数が重なるのに未だ一切描かれないということは、やっぱそれだけ描いちゃまずいのかなとガチで思えてきました。まぁだからこそ、描く価値があるんじゃないのかなとも思うのですが。

コルセアのプラモ

 作ったのは先週ですが、「F4Uコルセア」という二次大戦期からジェット機搭乗まで使われた米海軍機のプラモを作りました。


 見ての通りこちらのタミヤ製キットは、通常通りの形状も可能でしたが、空母に格納する際の翼を折り畳んだ状態にすることもできたので、折角だから折りたたんで組みました。実感としては、折りたたむ方が組立が難しかった気がします。

制作途中

前作ったフォッケウルフと比べると本当に胴体でかい


 多少機体について解説すると、この機体はマルチロールの先駆けというべきか、爆撃機や戦闘機の撃墜だけでなく、地上施設の攻撃も行えるよう、ロケット弾などを多数搭載できる仕様となっています。そうした兵装を多数搭載できるよう、馬力が強化されているだけでなく、プロペラも巨大なものが付けられることとなりました。
 ただプロペラがでかすぎて、今度は回転させたら地面と接触することとなりました。なのでどうしたのかというと、翼を若干Vの字型(逆ガル翼)にすることで、この問題をクリアさせています。




牽引車もついている

若干こっちみんな


 翼が折りたたんだ状態のため、ともかく場所を取らないので現在はパソコンデスクの上に置いています。逆にそれまでおいていたフィットのプラモは、現在洗面台のライトの上に置いています。真面目にもう家の中にプラモ置く場所がない(;´・ω・)

2021年8月19日木曜日

俺の知ってるカローラじゃない?

 友人にそそのかされて「羽田啓介、車を買う」というディーラ巡り本を読んでから自分もどんな車買おうかなと空想にふけるのが好きになり、やたら自動車メーカーサイトを訪れては空見積りを連発させています。基本的にコンパクトカーこそ至上にして最高だと考えているのでこのクラスで攻めていますが、セダンタイプだと街中で見るカローラとカムリが割といい感じなのでこの二つでも見積りをしてみようと思ったら、

(。´・ω・)?

 という感じになりました。なんでかっていうと見出しの通りで、なんか見ていて自分の知ってるカローラじゃないという気がしてならないからです。
 なので改めて比較してみました。


中国





日本


 以上のように見てもらえばわかる通り、フロントマスクのデザインがかなり違います。特に大きいのはエンブレムで、中国はトヨタマークなのに日本だとなんだかよくわからない戦隊物のヒーローがつけるマークみたいになっています。ぶっちゃけ、ダサさの8割くらいこれが原因であるように見えてなりません。

 個人的には中国版カローラの方が精悍でかっこいい気がします。カラーバリエーションも、日本版カローラはエントリーモデルと白黒シルバーしかなく、なんでこんな選択肢少ないんだろうとみていて疑問に感じました。でもって赤とか青選ぼうとしたらかなり値段上がるし。
 なんていうか中国のカローラみていてこれいいなと思っていた分、日本のカローラにはかなりがっかりさせられました。やはり現代日本車で至高はスズキのイグニスかと再確認した上で、一応対抗馬のマツダ2も見てみましたが、やっぱイグニスのが上って感じます。昔のダイハツ・ストーリアといい、我ながら変な車が好むなと思います。

 なおマツダ2に関しては、グレード分け過ぎなんじゃないのって思えてなりません。見ててマジわかんねぇんだけど。