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2022年6月3日金曜日

報復による牽制が働かない社会



 エゴサーチかけて出てくるのが上の画像ですが、なんかこれだと自分が犬みたいに見えます。何故よりによってこの画像が表示されるのだろうか……。

 話は本題ですがその後の続報を期待して待てどもずっと来ない秀岳館高校サッカー部の暴行事件ですが、見事に世の中からの注目がなくなりました。その後に社会的に注目される話題が連続して出てきたこともありますが、最重要人物のサッカー部元監督が退職となったことで一区切りついたのか、メディアもこの話題を追わなくなりました。

 では肝心の学校はどうしてるのだろうかとホームページに行ったところ、「秀岳館高校」という文字だけ表示されるブラクラみたいなサイトになっていました。何がしたいんだろうか。

 自分の感覚では、あれだけの事件を起こしたのだからホームページ上で「生徒に対する配慮をよろしくお願いします」などの一言くらいはリリースで出しておけばいいと思うのですが、事件発覚当初よりそうしたリリースは一切出さず、その挙句がこれですから、まぁ元からまともな学校じゃなかったということでしょう。

雲隠れ!教師がボイコットした和歌山南陵高校・理事長を直撃!(フライデー)

 ただこうしたまともじゃない学校は世の中たくさんあるものだと、上のニュースを見ていてつくづく思います。詳細は省きますが、和歌山南陵高校では教師に給与も払わず、寮のインフラ代も払わず、就学支援金すらネコババする有様で、よくこの理事長がこれまで刺されたりせずに生きてこれたものだと感心すらします。
 既に同校の教師は給与支払いを求めて先月ストライキを起こしていますが、多分自分が当事者だったら理事長宅に直接殴り込みかけている気がします。法には触れるけど、そういう行為を実行する人がいても自分はきっとその人に同感すると思います。

 世の中悪い奴のが多いに決まっていますが、最近の日本で驚くのは、その手の人間が大手を振って偉そうに振舞っているという点です。昔のヤクザとかならともかく、こうした公的な地位にもある人間で無茶苦茶やらかしているのに、なんで誰も刺したりしないのかが本当に不思議で、毛沢東じゃないけど造反有理を掛け声にもっと反抗しろよと言いたくなってきています。
 ガチな話をすると、日本の場合はこの手の社会的牽制がほとんど効いていません。中国だと下手すればガチで従業員やその家族などから襲撃を受けることがあるため、よほど弱みを握っていなければおいそれと無茶な行為はできません。然るに日本の場合は弱みが握られているわけでもないのに、あり得ないほど無茶な要求に従い、さらには抵抗もしないケースが多い気がします。

 やり過ぎたら報復されるという牽制は、自分は社会の運営においてかえって重要だと思います。無論、報復のやり過ぎはまた問題ですが、一切報復しないというのはもっと問題でしょう。地味に日本の問題の根幹はこの辺にあるかもしれません。

2022年6月2日木曜日

歴代オペレーティング・ソフト最強ロボット

 昨夜床に入ったところ、何故か急にOSが史上最高のロボットは鉄人28号ではないかと閃きました。

 鉄人28号とは言うまでもなく横山光輝の漫画作品で、それまで人型アンドロイドなどは既に搭乗していたものの、人間が直接操作して操る巨大ロボットとしては先駆的な作品で、この鉄人28号を以って日本のロボット作品の元祖という見方もされています。
 なお人間が登場するロボットとしてはマジンガーZが初めてで、この辺りで現代のロボット作品は下地が固まったとされます。

 話を元に戻しますが、直接乗り込んでコックピットで操作するマジンガーZと違い、鉄人28号は機体に乗り込みません。じゃあどうやって動かすのかというと、なんとリモコン操作であの複雑な動きを実現しています。
 それこそテレビで使うような小さいリモコンで空まで飛んだりする当たり、AIによる半自律制御なのかもしれませんが、ロボットのOSとしては史上最強格ではないかと思います。実際その辺は主題歌でも「いいも悪いもリモコン次第」と歌われており、リモコンで動かすことの危険性をほのめかしています。

 なおPS2で出た鉄人28号のゲームでは、そこら辺にあるビルとか住宅も引っこ抜いて敵に投げつけられるばかりか、味方の博士たちですら手に取って投げつけられたそうです。まさに「いいも悪いもリモコン次第」とレビューされていましたが、最近こういうフリーダムなゲームが少ない気がする。

 ここからちょっと真面目な話になりますが、今少し出てきた「半自律」という言葉ですが、これは実際にロボット工学でも使われている言葉で、回答や反応を独自に編み出す自律型とは違い、規定範囲内で独自判断するAI機能を指します。
 恐らく今後AI技術が発達するにつれ、戦闘機などの機体制御は半自律型AIによって制御されるのではないかと思います。というのも目で見るより早く敵弾とかミサイルが飛んでくる中、目で見て回避行動なんてできっこないので、そうした敵弾を電波などで認知次第にAIが自動判断して回避行動を採るようになってくと思います。じゃあパイロットはどうするのかって、ロックオンした敵機に最終的に発射ボタンを押したりなど、そこら辺の責任感を伴う行為を担当するようになってくと思います。

 ここまできて、反自律型のスーパーロボットとしてはエヴァンゲリオンがあるなぁと思うに至りました。知ってる人には早いですがエヴァは機体そのものに魂というか人格があり、それをパイロットの思考にシンクロさせることでパイロットが操る操作系統になっています。ただ元から人格があるっちゃなんですが、時たまパイロットなしで動いたりすることもあり、その点で半自律型なロボットかもという気がします。
 そうした半自律型ロボットは他にもないかと考えたところ、エヴァの後にすぐ出たブレンパワードという作品に出てくるロボットも、人間を収納できるけど基本有機生物で、敵にビビったりと感情を示すロボットだったりしました。今思えばあの作品、若干エヴァを意識して作られてたのかもしれません。

 AIというと完全自律型なイメージが持たれやすいですが、実際の応用となると半自律型の割合のが今後多くなる気がします。それこそ鉄人28号みたく破壊活動には用いられないような半自律性などがあったりすれば便利で、この辺で研究とか今どうなってるのかがちょっと気になります。

 最後に、この前リメイクが出た太閤立志伝5というゲームで新武将を作る際、何故か「殺人28号」とかいう辻斬りキャラ作ってました。あのゲームでは他にも作った刀に「ビームサーベル」とか名付けたりいろいろ遊びましたが、後半はルーチン作業ゲーになるのが唯一の惜しいところだった気がする。

2022年6月1日水曜日

嬉しさよりも虚しさ( ´Д`)=3

 既に各所で報じられている通り、今日上海市は宣言通りに封鎖から解放されました。商業地に入るには72時間以内のPCR検査が必要ですが(受けとけば勝手にアプリに反映される)、このほかには感染者が出て封鎖エリアとなっているところ以外は自由に出入りできるようになっています。

 早速朝、団地内の臨時PCR検査場で検査を受けるついでに団地の外のコンビニ行って朝からコーラ買ったりしてましたが、おおよそ発表通りに自由に出入りできました。このブログでも書いていますが、これまで何度も宣言内容が反故にされてきただけに自分もなかなか信じることができませんでしたが、今回に限ってはきちんと事前発表通りの内容でした。

 また解放を受けて、娘夫婦のところに行っていた大家も帰ってきて、さっそく冷凍庫の奥底に眠っていた丸ごとバナナではなく丸ごと鶏をまとめてプレゼントしました。素直に喜んで受け取るあたり、昔からの上海人はワイルドだろぉ。

 その後、いつものように自宅勤務して仕事して、夕方の勤務明けにまた外に出てみましたが、なんかみんなのあいさつが「ニイハオ」じゃなくて「解放了!」になってんのがいつもと違う光景でした。解放初日とあって夕方における人通りは普段よりも多いと思うほど多く、また通りを走る車も日常の帰宅ラッシュほどではないものの、急に動き出せるようになったこともあって割と多かった気がします。
 商店などはどこも再開に向け忙しそうに見え、八百屋では店によって置いてある果物が変わるなど、まだラインナップを揃えきれてない印象を受けました。まぁ季節柄、スイカはどこにもあるけど。

 自分が今日行ったのは上記のコンビニと、顔なじみのクリーニング屋で、後者には夏用掛け布団のクリーニングをお願いしました。何気に寝具関連では、ベッド用マットを今年から防ダニを謳うニトリのマットに変えるつもりだったものの、購入する前に封鎖されてしまったので未だに冬用のマットを使用しています。日中は30度近くまで気温上がりますが夜は割と冷えるため冬用布団でもまぁ寝れますが、いつもはこうした夏物への切替えは5月初めの連休にやっていることを考えると、無為な時間がただ過ぎたという感覚を覚えます。

 物資に関しては前にも書いている通り、1週間に一度の一時外出で劇的に改善しており、解放されたところで最初の一時外出ほどの喜びはもはや覚えません。逆を言えば、封鎖開始の段階で週一で外出が認められていれば、この2ヶ月の封鎖の中身は大きく変わっていたのではないかと思います。
 それこそ4月後半に発表された三区制がきちんと発表通りに施行されていれば、誰も何も困らなかったことでしょう。あの三区制は5月にはいれば完全に有名無実化しており、無駄に期待を抱かせ多くの人間を裏切るだけの政策発表だったように思います。

 それにしても今日は夕方に40分くらい歩いてましたが、ついさっき夕飯食べてパソコン向かっていたところ猛烈に眠くなり、横になったらそのまま40分くらい( ˘ω˘)スヤァしてしまいました。本当に体力が劇的に落ちてます。
 あと今日は湿気がひどく、それだけでテンションもがた落ちです。昨日なんかは秋みたいなすがすがしい空気だったので、昨日に解放されていたらもっとテンション高かったことでしょう。

 明後日は端午の節句で中国は祝日ですが、まずスニーカー買って、夏用マットレス買ってと忙しくなりそうです。っていうか明日働きたくない(´;ω;`)ウッ…

2022年5月31日火曜日

世界を変えられると思っていた

 一応正式発表で上海は明日解放とのことですが、またいつ封鎖されるかわからないのであんま素直に喜べはしません。何人かから祝電は来たけど、「これからが、本当の地獄だ」とベジータみたいな心境にあります。

 さて話は本題ですが、見出しに掲げた「世界を変えられると思っていた」という言葉を見て何を想像するか。自分の中ではこれを見て浮かぶのは二つ、一つはゲームの幻想水滸伝2の「その力があれば、すべてを守れると思った」というジョウイのセリフ、もう一つは、今日釈放されたあの人です。


 この重信房子について、連合赤軍と比べると自分はそこまで関心がないのですが、逮捕後に自らの活動の失敗について「世界を変えるといい気になっていた」と述懐した言葉だけは長らく記憶に残っていました。
 実際その通りというべきか、極左活動に参加した人たちはみんながみんな、自分たちの活動で世の中いい方向に変わるはず、だから何人か人殺しても、他人の金奪っても問題ないという論理で犯罪行為を繰り返していました。でもって、そうした犯罪行為の積み重ねによって、マジで平和で平等な世の中が築けると信じていた節があります。

 結論をここで書くと、幼稚であることはもとより、何か一つの達成によってすべてが好転すると考える、決戦思想の権化のような価値観だと自分は見ています。
 詳述しませんが、1970年前後の極左団体は社会主義革命さえ起こればすべての不平等が解決され、戦争もなく平和な世の中になると本気で信じていた節があります。不思議なのは、何故社会主義革命一つ起こしただけで不平等がすべてなくなると考えたのか、革命後にも不平等がはびこると何故考えないのかという点と、たった一つの行為で物事すべてが良くなるという考えを、安直過ぎないかと考えなかったのが不思議です。

 基本的に政策変更はメリットとデメリットをほぼ確実に備えています。片方を立てるともう片方は立たなくなるみたいに、ないわけではないですが、誰にとってもプラスとなる政策なんてほぼありません。
 そういう意味では、政治というのは基本試行錯誤の繰り返しで、問題を一つ解決したらすぐまた別の問題が起こり、その新たな問題にもすぐまた取り組むという地道なプロセスが必要なのですが、そうした地道なプロセスを極左の場合は完全に度外視しており、それこそ野球で言えば大差付けられても「9回にみんなホームラン打てば勝てる」的に、現実不可能な手段でいくらでも逆転できると考えているようにしか見えません。

 今書いたように、こうした地道さ、ちょっとずつ世の中を良くしていこうって考えが全くなく、徹頭徹尾で大逆転しか狙わず、しかも1回逆転すればもう安心的に見ていて、その後の運営とか課題も全部無視しているのが幼稚極まりないと自分には思え、大学生にもなってこの幼稚さに気づけないものかと、当時の連中に対して思っています。
 そうした価値観で見ると、重信房子に関しては上記のセリフから、自らの幼稚性については一応認めるに至っているのだなと自分は感じました。もっとも普通の人は、20代で普通に気が付くのですが。

 かねがね自分は、日本人に限らないけど、日本人はどちらかというと何か一つが変わると全部いい方向に変わるという妙な決戦思想を持っている節があると主張していますが、この極左の価値観こそまさにその権化で、社会主義革命さえ起こせばオールOKになるという価値観の塊だと思います。塩見孝也とかもそうでしたが、労働者のためなどと言いながら一切労働とかしてこなかった(カンパで生きてた)人間ばかりだったとのことで、私に言わせると「あれおかしくね?」的に、体感で考える能力が極度に低い人間ばかりだったと見ています。

 無論、そんな積み重ねのプロセスを完全に無視して、結果と結びつかない殺人や強盗といった犯罪行為を延々繰り返しているだけだったので、その活動が失敗に終わったのは自明もいいところでしょう。その上で、世界を変えようと思うのなら一発逆転なんか狙わず、「10年のシーズンを経てパリーグで優勝を果たす」的な遠大な計画をしっかり練るべきだったでしょう。まぁ幼稚さゆえにこれができないのもわかってるんですが。
 逆に世界というか世の中変えたいっていう人は、派手で目立つパフォーマンスなんかに逃げず、じっくりと地道に賛同者を募り、ちょっとずつ理解を変えていくという気長な姿勢が大事でしょう。その辺で日ハムの新庄BBは今後どう出るかが気になってくるわけです。

 まぁ一番気になるのは、日ハムに出て行かれた後の札幌ドームの経営なんだけど。

2022年5月30日月曜日

顔が見えなくなった大企業経営者

 昨日は朝から雨だし団地内に軟禁されているので朝からダウンロードしたフリーゲームやってましたがこれがまたクソゲーでバグ多かったです。でも朝からずっとやってしまった。
 明けた今日は仕事の依頼があったものの待機時間が長くてその間またずっと奈良の物件をライフルホームズという全米ライフル協会の関係者と思うようなサイトで見ていて、和室のインテリアとかをいろいろ考えていました。結論から言えば階段タンスと床几の組み合わせがよさげ。

 話は本題ですが、自分が学生だった頃は大手企業のトップ経営者の顔と名前を把握していて、空で数人の名前をパッと挙げることもできました。当時の主だった経営者としては、トヨタの奥田碩氏、パナソニックの中村邦夫氏、キヤノンの御手洗富士夫氏などがいましたまぁ御手洗氏はまだ現役なんだけど(;´・ω・)
 あと日産にもゴーンがいたか。「あの頃はフリードリヒがいた」じゃないけど、なんかそんな風な郷愁すら覚えます。

 翻って現在ですが、上記の御手洗氏を除くと本当にパッと出てくるのはトヨタの豊田章男氏くらいです。ただ単に自分が不勉強なだけなのかもしれませんが、かつてと比べると現代の大企業経営者はほんとにメディアとかで見なくなったと思うし、その経営観とかもほとんど出さなくなってきている気がします。東芝に至ってはコロコロ人が変わるし。
 その考えをほとんど表に出さないことから製品や市場戦略も見えません。やはりまだ自分が学生だった頃はその辺、当時は日本式経営がどうのこうのが流行ってましたが、付随してグローバル戦略もよく語られ、その後のリーマンショックへの対応などでもまだ方針めいたものは見えました。しかし現在、前述の通り大半の企業はどっち向いて仕事しているのかが私には見えなくなりました。

 恐らく私ですらこうなのですから、他の人に至ってはもっと見えなくなっているのではないかという気がします。まぁ日立は製品よりも事業の方をよく売るというのはよくわかりますが。
 自動車業界でもEV対応については「はいはいやります」とみんな言って、計画なども一応出ていますがなんかどれも具体性に欠けるというかふわふわした印象を覚えます。勝手な想像ですが奥田氏だったら、現物となるEV発売予定車が出来るまでは一切情報を出さなかったのではないかと思います。

 比較的目に見えやすい製造業ですらこの有様なだけに、メディア業に至ってはもっと悲惨です。ただでさえ雑誌や新聞は発行部数の低下に伴う広告料激減が問題となっていて、ネット対応が喫緊を通り越している状態ながら、なんか今後のメディア戦略というものを一切出さず、「これまでどおりが一番」を無駄に貫いている気がします。まぁそんな経営者が上に来る時点で終わってますが。
 日経と読売はまだこの辺の未来への対応という点ではしっかりしている方だと思いますが、他のメディアは一体経営者は何を仕事にしてんだと思うくらい疑問です。ぶっちゃけ、いない方がいいのではないかと思う水準です。

 でも本当にこの辺は不思議というか、かつてと比べてこれほどまでに企業家の顔が見えなくなるとは想像しませんでした。困難でいいのかねホンマに。
 最後に急に思い出しましたが、ソニーでハワード・ストリンガー氏が社長に就任した際にインドへ旅行したら、インド人ガイドがこの人事に驚いたと言ってて、インド人もびっくりかなどと当時思いました。

2022年5月28日土曜日

約1ヶ月ぶりにコーヒー

 先週に続き、今日も一時外出が認められたので前と同じスーパーに行きました。前回、店内で買い物かごがなくなって商品を手に持ってレジまで運ばなくてはならなかった経験から、今回は中身が透ける買い物袋を持って来たので、そこそこかさばる商品もまとめて買えました。
 レジで並んでいる最中、先週の自分の様に両手で必死に商品を抱えている兄ちゃん見て、「強くなるんだぞ」などという先輩風めいた感情を覚えました。

 前回は切れかかっててちょい焦ってたシャンプーを買いましたが、今回は日用品などで極端に不足しているものはなかっただけに、嗜好品を中心に買ってきました。自分の場合は飲み物の消費が割と激しいだけに、コーラやスプライトの他、ネスカフェのインスタントコーヒーを買って、あとパンと冷凍エビ焼売を買ってきました。早速帰宅後にコーヒー飲みましたが、4月前半でコーヒーはドリップパックのを切らしてたので、実に1ヶ月ぶりでした。

 このほか前回と違う点として、前回は片道2キロ、往復4キロ歩いて帰宅後はなんかへばってすぐ昼寝し始めましたが、今回は前と比べると体力に余裕があり、次のJBpress用記事を書ける余裕をのこしました。恐らく先週にそこそこ歩いたことで、体力が少し戻ったのでしょう。
 ただ地味に嫌な点として、スニーカーの踵後ろが当たる背もたれ部分が破れ、中の骨組みっぽいのが歩いててちょいちょい足に刺さるようになって痛いです。先週の外出時もこうだったことからなるべく歩かないようにロードバイクで団地出ようとしたら、上海脱出防止のためか自転車を出すのはダメだと言われ、結局歩く羽目となりました。

 今の靴はさすがに2年以上も履いているので、封鎖が解除され次第にまたアウトレットモール行って新しいのを買う予定ですが、何もこのタイミングで背もたれ破けなくてもいいじゃんとか内心思います。自分の歩き方が悪いせいだというのはわかっていますが。

 それにしても、まだ4月の頃なんかは封鎖解除になったらあれしよう、これ買おうという欲求がありましたが、事ここに至ってはなんかそういう欲求もなくなり、気軽に飲み物とかおかし変えるようになればいいや程度にまで縮小しています。多分これ他の上海市民も一緒で、消費習慣が封鎖前と比べて一気に変わる気がします。
 そういう意味では小売業界などは、封鎖解除後も苦境が続くかもしれません。もっとも日用品については、次の封鎖に備えてしばらく買いだめが続くでしょうが。

2022年5月26日木曜日

優秀な副官に恵まれ過ぎた軍神たち

 何故か仕事中に作ったフォルダの名前を「潜航量産型アッシマー」と名付けてました。アッシマー好きすぎ。っていうかバンダイはもっと水中モビルスーツ作れ。

 話は本題ですが、日本で軍神と言ったらまず間違いなく上杉謙信、次いで東郷平八郎が上がってきますが、基本的には類まれなる戦争指揮能力を持った人間にこの異名は授けられます。では世界史における軍神はと言ったら、中国だったら恐らく韓信が来るでしょうが、欧州であればやはりナポレオンの名前が挙がってくるかと思います。
 実際に彼の戦績はすさまじく、皇帝となった後のアスペルン・エスリンクの戦いまでは全戦全勝で、一部の戦闘においては完膚なきまで敵軍を叩いており、最初のプロイセン(ドイツ)との戦いでは文字通り敵軍兵士を「溶かす」と言っていいくらいにまで撃滅しています。もっとも上記のアスペルン・エスリンクの戦い当たりから徐々に精彩を欠くようになり、ロシア遠征では結果論ではあるものの判断ミスをかなり連発しています。

 ただ、ナポレオンの最大の敗戦と言ったらやはりその最後のワーテルローの戦いでしょう。この戦いで完全敗北した彼は遠く離れたセント・ヘレナ島に流される羽目となりますが、そのきっかけとなったワーテルローの戦いは敗北こそしたものの、ほんの一つのボタンの掛け違いがあれば、ナポレオン率いるフランス軍は大勝した言われます。
 具体的には数万の兵を率いて別動隊となっていた軍を本軍に合流させていれば、崩壊間近だった英軍を完全に突破することができたと言われています。実際、ナポレオンはこの別動隊に開戦直前に本軍への合流を指示していますが、伝令兵が道を間違えて伝令が届かず、結果的に合流を逃しました。

 なおその別動隊を率いていたのはグルーシーという元帥で、遠くから砲弾の音が聞こえるから本軍に向かうべきだと周りから進言されたものの、プロイセン軍を追撃するという最初の命令を墨守してしまっています。

 この伝令についてですが、送ったのはワーテルローで参謀を務めたスルトという元帥(フランス外人部隊の生みの親)で、彼は一人の伝令しか送っていませんでした。戦後にこのことを知ったナポレオンは、「ベルティエなら1ダースの伝令兵を送っただろう」と言ったとされます。

ルイ=アレクサンドル・ベルティエ(Wikipedia)

 漫画の「ナポレオン」ではホビットのような姿で描かれてるこのベルティエですが、「皇帝の影」と呼ばれたように、ナポレオンが若かった頃から彼の最側近の参謀として仕え、彼の覇業を大きく支えた人物です。
 ナポレオンの戦争指揮は非常に断片的かつ分かりにくい指示が多かったそうですが、そうした指示をベルティエは的確に理解して現場を手配し、軍をうまく回していたそうです。しかしワーテルローの戦いの直前、ナポレオンがエルバ島から脱出してパリへ向かっている最中にナポレオンからこっちに来るよう連絡されたベルティエは自殺しており、ワーテルローで参謀を務めることはありませんでした。

 仮にベルティエが参謀でいたら上記のスルトのミスは起こらず、別動隊も合流して勝利していたと思われるだけに、ナポレオンにとって最も致命的な死は彼だったとする声も少なくありません。同時に、天才過ぎる司令官はその天才を理解する人物なくしては実力を発揮できないことの例えとしてもよく使われます。

 そんなベルティエとナポレオンの例に近いと思うのが、米国の南北戦争において南軍を率いたロバート・リー将軍がいます。彼も天才的な用兵によってブル様に勝る北軍を何度も撃退し、彼一人で南北戦争を数年長引かせたとまで言われ、米国史上でも最高の軍指揮官と名高い軍神です。
 ただ、彼の戦歴をよく見ると、南北戦争前半では勝っているものの、後半は割と負け続きであったりします。そりゃ北軍の方が三国志の魏じゃないけど物量で上なのだから長期戦となると有利になるのは当たり前と見ることができますが、実は彼が負け始める直前、ある人物が亡くなっています。


 亡くなったのははリー将軍の副官だった、上記のジャクソン将軍です。ナポレオンと似ていて、リー将軍も戦争支持は必要最低限なことしか言わず、下手したら地図を指さすだけとかもあったそうです。そんな面倒くさい上司の意図を的確に理解し、現場に上手く伝えるという暗号解読機みたいな役割を果たしていたのがジャクソン将軍で、リー将軍も彼のことを大いに頼って、二人で連戦連勝を重ねていました。

 しかしジャクソン将軍は大勝した戦闘の帰り、なんと味方の誤射によって射殺されてしまいます。弾は左腕に受けて左腕を切断したものの容体は回復せず亡くなったのですが、彼の訃報を聞いたリー将軍は、「ジャクソンは左腕を失ったが、自分は右腕を失った」とまで言ったそうです。
 事実、その後その通りな展開となり、かの有名なゲティスバーグの戦いの戦いでリー将軍率いる南軍が敗北してからというものの、その後ほぼ全く優勢を得ることなく南軍は追い詰められていきます。このゲティスバーグの戦いも、ジャクソン将軍がいたら南軍が勝っていたという主張もあります。

 ただそれ以上に、リー将軍の用兵を理解して実践に落とし込む副官が消えたという事実の方が、その後の南軍の敗北的には大きいかもしれません。ナポレオンにしろリー将軍にしろ、どちらも戦争の天才であることは間違いないものの、その天才性は優秀な副官があって初めて発揮されるものであり、副官を失うということは文字通り、彼らの天才性の喪失に直結していたとも考えられます。
 そう考えると、優秀な副官に恵まれすぎると、天才は彼らなしではいられない一種の依存状態に陥る者なのかもしれません。そうなれば後は一介の将軍に成り下がりかねず、その点ではある意味軍神は不幸でしょう。

 現代のビジネスにおいてもそうした例はいくつか見られます。優秀な副社長や専務に去られてしまった、かつては天才と呼ばれながら会社をダメにする経営者などは枚挙にいとまがなく、どれだけ天才であろうと、自分一人でその才能を支えきれなければほんの一人がいなくなるだけで途端に無能と化すものです。そういう意味では、天才はこの辺を理解した上での謙虚さも、必要条件として求められてくるでしょう。