ちなみに実際に街中でこの「山海関」というジュースが売ってるのを見つけ飲んでみましたが、味はまんまファンタオレンジでした。
この情報から天津から山海関には移動しやすいと考え、実際に地図で見たら高速鉄道で移動できる距離にあり、変に秦皇島市に直接向かうのではなく天津を拠点にすれば、天津市内も観光できるし一石二鳥だと考え、天津市を軸に動き回ることにしました。なので天津市内もそこそこ歩いたのですが、その感想を述べると天津の料理はやたら味が濃かったのと(量も多い)、なんか天津の人は表情が柔らかく、幸せそうだという風に見えた点が強く印象に残りました。
この点について天津の同僚にも話を振ってみたところ、「北京の連中よりは幸せだよ(´・ω・)」という返事もらいました。これには私も同感で、首都ではあるものの街の区画が無駄にでかくてちょっとコンビニ行くのにも結構歩かなきゃいけなかったり、また家賃がえらい高騰していて住みづらさという点で北京は中国屈指であり、実際ほかの中国人の間でも「北京は首都だが住むところじゃない」という話をよく聞きます。
このような内容を今日上海の同僚に話したら、「上海も同じじゃん(´・ω・)」という返事されました。実際、北京よりはマシだけど上海も家賃や物価が高いし、また仕事や競争も激しいことから、やはりどことなく上海市民は疲れた表情を見せることが多いです。少なくとも、天津の人の方が確実に表情が明るかった、でもって市内を流れる川を平気で泳ぐ人が多かったのは間違いありません。
ってか泳ぎ過ぎだと思う。
北京や上海と比べると、天津は確実に平均所得で劣る地域です。また姉妹都市の神戸市と同じく、異国情緒あふれる街ですが近年は衰退が激しく、中国の直轄都市4市の中でも天津のみが年々スケールダウンしており、景気は決して良くありません。
それにも関わらず、今回歩いてみて天津市民はなんだか上海市民よりずっと幸せそうだとはっきり感じました。ここまで言えばわかるでしょうが、経済成長し続けたり、所得が高くなくても、人間って幸せになれるんだなというか、むしろ所得が高くない方がかえって幸福感があるのかもと思えたわけです。まぁ天津も中国の中では大都市っちゃ大都市だけど。
それを踏まえて日本の様子を見てみると、何となくここ数年、日本人の表情が明るくなってきているようにも見え、ネットニュースの反応などを見ていても以前より刺々しさがなんかなくなって斬るように感じます。
この点は以前にも、JBpressで記事を書いていた際、2017年くらいまでは中国のことを紹介する記事を書いたら「中国を持ち上げやがって!」などという批判コメントがたくさんついていたのに、2018年あたりからどんどん減っていたことも関係している気がします。
端的に言えば、前と違って「日本は経済大国で最強、中国なんか格下」などという妙なプライドがなくなり、素直に日本の衰退を認めるようになるなど丸くなったというか変に肩肘張らなくなり、自らのプライドに急き立てられることがなくなってきているのではとみています。
それまでは妙なプライドとそれにそぐわぬ現状に対するいら立ちのようなものを日本人からは感じましたが、特に最近は円安などもあってか「日本は別に一等国じゃないし(´・ω・)」などという割り切りができるようになり、無理して上位国民という意識を維持しなくなってきている気がします。そうしたのがあってか刺々しさがなくなり、ありのままレリゴーな感覚を持つようになって、前よりも幸福感を見せるようになっているように見えます。
それこそ2018年あたりなんかは、芸能人の不倫とかの報道にまるで自分が不倫されたかのように当事者を激しく罵ったりするコメントがよく見られ、以上に攻撃的だった時期であった気がします。それが大体2022年あたりから「また不倫かよ、もう飽きたよ(´・ω・)」みたいに少し冷静さを取り戻したかのように見え、また中国に対しても、「中国産がそんなにトップでいたいなら勝手にやりなよ(´・ω・)」とばかりに、あんま張り合わなくなってきた気がします。韓国などに対しても同様です。
無論、ここで挙げた理由以外もあるのでしょうが、極論するとなんか国際的に貧しくなったことでかえって日本人は幸福になってきているのではないかという印象を覚えます。お金持ちは実は幸福感が低いというのは心理学でもほぼ証明されていますが、死なない程度に貧しいというのはかえって幸福感を高める効果もあるのではなんて今日思った次第です。
少なくとも、所得的に豊か過ぎる環境はかえって幸福感を下げることは、北京や上海を見ていてつくづく感じます。そういう意味では中国も、天津や重慶とかの方が実りある生活ができるのかもしれません。