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2024年5月25日土曜日

ベジータ症候群

 前回記事で私は、なんか日本人が自国の衰退を認め始めてから幸せそうに見えるようになったことを書きました。要するに高すぎるプライドが邪魔となって現状を受け入れようとせず、そのせいで逆にストレスをためて幸福感を下げていたのではないかというのが私の見立てなのですが、こんな感じでプライドが高すぎて自縄自縛となり幸福感を下げている人物ってほかにいるかと考えた際、真っ先に浮かんできたのがそう、ベジータでした。

 ベジータとは言うまでもなくドラゴンボールのキャラクターですが、彼は作中で主人公の悟空に執着し、事あるごとに「おまえを倒すのはこの俺だからな」というツンデレ的セリフを繰り返すほどでした。何故そこまで悟空に執着したのかというと、単に彼に一度負けたというだけでなく、同じサイヤ人、それも承久戦士であるベジータと違って下級戦士であったということから、自らをエリートと自負するプライドからして許せなかった点もあるでしょう。
 とはいえ長い付き合いを経て、魔人ブウ編ではその悟空に対し気を許す態度も持つようになるのですが、そうした自らの変化に対して逆に許せないという気持ちも覚えてたりします。具体的にはバビディの洗脳を自ら受けて悟空と戦い始めた際、地球でブルマと結婚し、トランクスという息子も生まれてこうした生活もいいと幸福感を感じていたものの、かつての自分に合った闘争心が薄れていくということもはっきり感じたがゆえに、バビディのいいなりとなってでも悟空と戦う道を選んだと吐露します。

 この時のベジータの状況ですが、前述のように家族もできて、しかも逆玉で生活に何不自由もないというのに、彼自身は何が何でも悟空を倒すという気持ちが薄れていることに不安を感じるとともに、「このままじゃいけない」とばかりにストレスをためまくっているのがわかります。別に悟空もバトル好きなんだから、死んであの世にいるとはいえ頼めば戦ってくれるというのに、何が何でも悟空に喧嘩を吹っ掛けなければならない、でもって絶対に打倒さなければならないと自らに対し脅迫的な感情も覚えてたりします。そのせいか、セルゲーム以降の彼は悟空への執着を忘れて幸せに生きようかなと思うこともありながら、それを拒否し続けることとなったわけです。
 最終的には魔人ブウとの決戦であの有名な「お前がナンバーワンだ」という名言とともに悟空のことを認めるに至るのですが、これによって険が取れたというか、アニメ版が主となりますがベジータも表情にも少し余裕を見せるようになります。でもって、ギャグマンガへの出演も増えていくことに……。

 以上の下りはまさに自分がこのところの日本人の変化について言いたいことを全部体現しており、もういっそこうした心理的兆候、具体的には高すぎる自尊心、プライドによって自らを縛り、周囲や特定の対象に対し自らが劣るという現状が認められずに幸福感を下げていたところ、現状をありのままに受け容れることでかえって幸せになるような心理を、この際ベジータ症候群(シンドローム)と呼んでいいんじゃないかとすら思えてきました。
 何もプライドをすべて否定するわけじゃないですが、現状とマッチしていない理想を自らに当てはめ続けるのは絶対的に負担だと思え、「ベジータを見てみなさい」とばかりに彼を手本に現状を否定する結果、受け入れる結果を教訓として扱うべきなきがします。

 にしてもやっぱベジータってすごいキャラだったという気がする。先ほどのツンデレっぷりと言い、ギャグキャラっぽいネタになるような負け方を何度もしながらも最後までああして活躍するんだし。

2024年5月23日木曜日

前より幸せそうに見える日本人

 先日、河北省秦皇島市にある山海関に行ったことを書きましたが、この際は上海から直接秦皇島市へ行ったのではなく、途中で天津市を経由、というかここを拠点にホテルを取ったりしていきました。何故天津市から入ったのかというと、上海から日常的に航空便が出ているのと、天津在住の同僚に「日本のファンタみたいな炭酸オレンジジュースが、天津では『山海関』という名前で売ってるよ(´・ω・)」という情報を得たからです。
 ちなみに実際に街中でこの「山海関」というジュースが売ってるのを見つけ飲んでみましたが、味はまんまファンタオレンジでした。

 この情報から天津から山海関には移動しやすいと考え、実際に地図で見たら高速鉄道で移動できる距離にあり、変に秦皇島市に直接向かうのではなく天津を拠点にすれば、天津市内も観光できるし一石二鳥だと考え、天津市を軸に動き回ることにしました。なので天津市内もそこそこ歩いたのですが、その感想を述べると天津の料理はやたら味が濃かったのと(量も多い)、なんか天津の人は表情が柔らかく、幸せそうだという風に見えた点が強く印象に残りました。
 この点について天津の同僚にも話を振ってみたところ、「北京の連中よりは幸せだよ(´・ω・)」という返事もらいました。これには私も同感で、首都ではあるものの街の区画が無駄にでかくてちょっとコンビニ行くのにも結構歩かなきゃいけなかったり、また家賃がえらい高騰していて住みづらさという点で北京は中国屈指であり、実際ほかの中国人の間でも「北京は首都だが住むところじゃない」という話をよく聞きます。

 このような内容を今日上海の同僚に話したら、「上海も同じじゃん(´・ω・)」という返事されました。実際、北京よりはマシだけど上海も家賃や物価が高いし、また仕事や競争も激しいことから、やはりどことなく上海市民は疲れた表情を見せることが多いです。少なくとも、天津の人の方が確実に表情が明るかった、でもって市内を流れる川を平気で泳ぐ人が多かったのは間違いありません。
 ってか泳ぎ過ぎだと思う。

 北京や上海と比べると、天津は確実に平均所得で劣る地域です。また姉妹都市の神戸市と同じく、異国情緒あふれる街ですが近年は衰退が激しく、中国の直轄都市4市の中でも天津のみが年々スケールダウンしており、景気は決して良くありません。
 それにも関わらず、今回歩いてみて天津市民はなんだか上海市民よりずっと幸せそうだとはっきり感じました。ここまで言えばわかるでしょうが、経済成長し続けたり、所得が高くなくても、人間って幸せになれるんだなというか、むしろ所得が高くない方がかえって幸福感があるのかもと思えたわけです。まぁ天津も中国の中では大都市っちゃ大都市だけど。

 それを踏まえて日本の様子を見てみると、何となくここ数年、日本人の表情が明るくなってきているようにも見え、ネットニュースの反応などを見ていても以前より刺々しさがなんかなくなって斬るように感じます。

 この点は以前にも、JBpressで記事を書いていた際、2017年くらいまでは中国のことを紹介する記事を書いたら「中国を持ち上げやがって!」などという批判コメントがたくさんついていたのに、2018年あたりからどんどん減っていたことも関係している気がします。
 端的に言えば、前と違って「日本は経済大国で最強、中国なんか格下」などという妙なプライドがなくなり、素直に日本の衰退を認めるようになるなど丸くなったというか変に肩肘張らなくなり、自らのプライドに急き立てられることがなくなってきているのではとみています。

 それまでは妙なプライドとそれにそぐわぬ現状に対するいら立ちのようなものを日本人からは感じましたが、特に最近は円安などもあってか「日本は別に一等国じゃないし(´・ω・)」などという割り切りができるようになり、無理して上位国民という意識を維持しなくなってきている気がします。そうしたのがあってか刺々しさがなくなり、ありのままレリゴーな感覚を持つようになって、前よりも幸福感を見せるようになっているように見えます。

 それこそ2018年あたりなんかは、芸能人の不倫とかの報道にまるで自分が不倫されたかのように当事者を激しく罵ったりするコメントがよく見られ、以上に攻撃的だった時期であった気がします。それが大体2022年あたりから「また不倫かよ、もう飽きたよ(´・ω・)」みたいに少し冷静さを取り戻したかのように見え、また中国に対しても、「中国産がそんなにトップでいたいなら勝手にやりなよ(´・ω・)」とばかりに、あんま張り合わなくなってきた気がします。韓国などに対しても同様です。

 無論、ここで挙げた理由以外もあるのでしょうが、極論するとなんか国際的に貧しくなったことでかえって日本人は幸福になってきているのではないかという印象を覚えます。お金持ちは実は幸福感が低いというのは心理学でもほぼ証明されていますが、死なない程度に貧しいというのはかえって幸福感を高める効果もあるのではなんて今日思った次第です。
 少なくとも、所得的に豊か過ぎる環境はかえって幸福感を下げることは、北京や上海を見ていてつくづく感じます。そういう意味では中国も、天津や重慶とかの方が実りある生活ができるのかもしれません。

2024年5月21日火曜日

ダイエー松戸駅西口店の跡地はどうするべきか?

 自分のこのブログは固定読者が多いためどの記事もPV数は大体50前後で頭打ちするのですが、先日書いた「千葉のマッドシティ~ダイエー松戸駅西口店(Dマート)」の記事にはなんかやたらアクセスが多く、現在のPV数も460件超と、通常の記事の9倍くらいに達しています。それだけここのダイエーが気になっている人、思い出を持っている人が多いのでしょうが、それ以上にここのダイエーがなくなった後はどうなるのかを気にする人も多い気がします。

 この点はすぐ近くにある伊勢丹が撤退し、キテミテマツドができるまでの経緯に近いでしょう。あの時も何らかの運営が入ってきてほしいものの、ロケーション的にも伊勢丹でダメだったのだから新しい運営になってもうまくいかないかも、なら建物取り壊すべきなのかなどがよく議論されましたが、今回のダイエーでも友人がやたらと言及することが多く、撤退後の計画について関心を高く持っています。

 その撤退後の土地、建物の利用に関してですが、前の記事のコメントにも書いたようにまず高層マンションだけは避けた方がいいと私は考えています。何故かというとこのところ松戸駅前では高層マンションの建設ラッシュが続いており、あのわらそう跡地にも建てられて分譲もすぐ終わったと聞きます。そのためダイエー跡地にさらに高層マンションが建つとなると、駅に近い区画でもあるだけに、駅周辺の人口密集度が急激に高まって周辺の混雑だけでなく、松戸駅構内でもラッシュ時に混乱が頻発する恐れがあるとみています。
 何も高層マンションを一切建てるなとは言いませんが、自動車の往来も含めて考えると、もう少し郊外に立てた方がいいように思います。

 では何ならいいのか。ダイエーのように商業施設ならいいのかという声もあるでしょうが、すでに駅の反対側に当たる東口にはイトーヨーカドーがあり、ノジマがキテミテマツドからヨーカドーに今度移るあたり松戸のヨーカドーは閉店計画がないようなので、これ以上商業施設を作って過当競争に向かわずともいい気がします。そもそも、西口側にはキテミテマツドもあるんだし。
 そうした考えからどうせダイエーの正面には公園もあるんだし、この際更地にして公園の敷地にして大規模な公園にしてしまえば、いざという時の避難地にもなるんだしいいんじゃないかなと当初考えていました。ただ改めて考えてみたところ、もっといい用途があるのではないかと気が付き、勿体ぶらずに言うと駐車場にしてはどうかと今は考えています。

 一体何故駐車場なのかというと、松戸駅周辺は何かヤクザが土地を手放さないなどの理由であまり再開発が進んでいません。そのため小規模の建物が変に密集しており、さらに松戸駅を挟んで西側と東側できっかり分断されており、両側とも駅前の道が狭く車とかが通りづらくなっています。その上で駐車場もないことはないですが、なんか狭いところに小さい駐車場が乱立していて、停め辛いし出し辛いというやな空間になっています。
 一応、東側には複数階層もある大きな駐車場がありますが、そこの目の前には病院があり、歩行者も多いというのに道幅は異様に狭く、はっきり言って停めたくない駐車場となっています。そのため松戸駅前に用事があるとしても車ではあえて行かず、自転車か電車で行くのがマイセオリーとなっています。

 このように、地味に松戸駅前のウィークポイントとなっているのが駐車場で、停められる場所がないから一時的に路駐する人も多く、それがかえって道路の混雑を高めている要因になっています。そうした点を考慮するなら、ダイエー跡地はそこそこ広い土地で駅前もあるんだし、大量の車を収容できるタワー駐車場にしてしまうのも一考なのではないかという風に考えたわけです。でもってほかの駐車場は潰すことになるけど料金なども定期利用者には思いきり優遇して、いわゆるパーク&ライドのコンセプトで松戸駅前まで車で移動し、そこから電車で都内に通勤できるような体制を作れば、松戸の更なる発展を促せるじゃないかとも思います。
 特に北松戸、東松戸あたりに住んでいる人からすればこの通勤方法はかなり楽になる気がします。

 以上から自分は駐車場案を提唱するわけですが、果たして同感する人はどれだけいるのやら。まぁ結局は居ぬきみたくまた別の小売り商業施設が入ってくることになりそうですが。

2024年5月19日日曜日

山海関行ってきた


 この週末、前から行ってみたかった河北省秦皇島市にある山海関に行ってみました。ここがどんなところかというと、中国における関ヶ原みたいな場所です。

マジで地平線まで見えそうなくらい長い

 この山海関は万里の長城の一部で、要塞化された砦です。漢民族にとっては北方異民族に対する最前線であり、この山海関を境に東側を「関東」、西側を「関西」と呼ぶなど、異界の境界みたいな扱いされていました。


 その位置もあって歴史的な戦いの舞台に何度もなっているのですが、一番ハイライトともいえるのは明末期の1644年のことです。この時、明の首都である北京は李自成によって攻略され、皇帝も首を吊って亡くなり、まだ皇族が逃げ延びてはいたものの明朝はほぼ滅んだも同然でした。一方、この山海関には勢力を強める、後に清王朝を作る満州族が近づいてきており、守将の呉三桂は多くの兵とともにこの山海関で守りを固めていました。

城壁は全長4キロあるらしい

 仕えるべき明朝がすでに滅んだ中、呉三桂に対して李自成は自らに従うよう通告してきます。また満州軍(清軍)の側も、最高司令官のドルゴンは「俺たちと一緒に皇帝の仇である李自成を倒そう」と呼びかけられていました。

なんか妙にツボった日本語

 ちょうど南北の勢力から誘われつつ、挟まれるという立場となった呉三桂ですが、両方の軍勢が同時に近づいてくる中、悩んだ末に清軍に降伏し、山海関を開放することを決断します。こうして万里の長城における最大の難関を突破した清軍は山海関に押し寄せる李自成の軍勢を一瞬で叩き潰すと、その勢いのままに北京も攻略し、さらには中国全土も支配するに至るわけです。


 この辺の下りは以前にJBpressでも連載でまとめましたが、この時の功績で呉三桂は雲南省に半独立国(藩)を構えることを許され、裏切り者ながら厚遇されますが、晩年に領土を取り上げられることが決められるや反乱を起こします。ただ満州族を中国に引き込んだ張本人であったことから支持が得られず、反乱は失敗し、失意の中で病死する結末となっています。
 真面目に挟まれたときの呉三桂は、その後の中国の数百年にわたる歴史がどっちに転ぶかのキャスティングボートを握る立場でありました。もし李自成の軍について清軍に抵抗していたら、清朝自体成立していなかったかもしれません。それだけに関東と関西の境界であることもさるものながら、天下分け目の場となったため勝手に中国の関ヶ原と呼んでいます。


 さてそんな山海関ですが、思ってた以上にでかくて見て回るのにすごい疲れました。城壁に囲まれたエリアには土産物店や旅館などもありましたが、上から見た限りだと運動場やアパートメントもあり、多分軍や工事関係の寮じゃないかと思うのですが、街がそのまますっぽりと入っている印象があります。
 ただ歴史的にも非常に重要な場所でこれだけ立派な城壁が残っているにもかかわらず、観光地としてはやや整備が足りていない印象がありました。案内板やマップなども明らかに不足してるし、また過去にどんな歴史があったのかなどのパネル展示もあまり見られませんでした。北京や天津からなら日帰りでも行ける場所にあり、エピソードにも事欠かないというのに、なんかちょっと力が入っていない感じがして非常にもったいない気がします。まぁ自分は今回行くことができて満足してますが。

2024年5月16日木曜日

和風RPGのラスボス

 先日、ふとしたことから「ONI零〜復活〜」という昔のゲームの紹介動画を見ていました。時期的には2000年ごろの作品ですが、当時はこのほかにも「俺の屍を超えて行け」をはじめ昔の日本を舞台にしたRPGがよくあったなと思うと同時に、最近この手の和風RPGが減ってきているような印象があります。ただ単に自分が知らないだけかもしれませんが。

 アクションゲームだったら「ゴーストオブつしま」をはじめむしろ増えているのですが、何故RPGはここにきて和風は減っている、少なくとも印象が落ちてきているのか。一つの理由として挙がるのは日本を舞台にしたRPGならメガテンやペルソナシリーズのように現代が世界観の作品の方が人気が出やすい点があると思います。
 次に、西洋系ファンタジーと違って和風というか時代劇風RPGだと時代考証が面倒というか、日本人相手だと消費者も知識あるだけに、適当な世界観だと「こんなんちげーよ」とか言われる確率が高いから敬遠されるところもあるでしょう。そもそも勝手知ったる自国の古き世界観なだけに、西洋系ファンタジーと違ってエキゾチック感もないし。

 さてそんな和風RPGについてですが、ぶっちゃけ作ろうと思えばドラクエやFFみたいに全く問題なく作ることができるとは思います。RPGでよくある職業も、勇者には貴種流離譚大好きな日本人に向けては「皇室の御落胤」を使えばいいし、戦士には武士、と思いきや「力士」を、盗賊には「やくざ」がぴったり当てはまってきます。
 微妙に悩んだのは僧侶で、ドラクエ風に僧を使うなら普通に「坊主」でいいかもと思ったけど、女僧侶は「尼」になるのかなと思ったところで、「巫女」のが癒される感じがしたので「坊主」の方も「神主」とみせかけて「禰宜」が対応してくると思います。
 そんな僧侶の対となる魔法使いはよくある感じで「陰陽師」が浮かびましたが、よくよく考えると式神使う時点で魔法使いというより召喚士のが近く、だったら魔法使いはさっきの「坊主」でいいやという結論に至りました。となると賢者は「阿闍梨」なのかな。

 こんな感じで職業は割とすぐ日本のメンバーでも組めますが、地味にラスボスが作りづらいなという感じがします。というのも和風RPGのラスボスは化け物系だとほぼ確実に八岐大蛇が使われる、っていうかほかにいなくて選択肢がなかったりします。鬼系のラスボスなら酒呑童子がいますが、こっちもほかにネタないのかよと思うくらい使いまわされているように見えます。

 この点、西洋世界だと倒した相手の民族の宗教における神を悉く悪魔に変えて吸収していったユダヤ教では、サタンやパンデモニウム、ベルゼブブなど威厳もあって外観も派手な化け物というか悪魔がたくさんおり、ラスボスの選定でも逆に迷っちゃうくらいです。
 それに対して島国からあんま宗教間交流のなかった日本神話の古事記においては、前述の八岐大蛇くらいしか化け物はいません。今昔物語を探せば土蜘蛛や鵺とかもいますがこいつらはよくて中ボス程度でしょう。ザコ敵ならたくさんの妖怪がいて困りはしないのですが。この辺の威厳あるラスボス級キャラが和風RPGの障害になっている気がします。

 もっとも、人間タイプの黒幕、魔王的なラスボスなら作れないこともないです。戦国時代を舞台にしたものならほぼ確実に織田信長がラスボスになりやすく、キャラが濃くて知名度もあるだけに使い勝手のいい奴です。逆に秀吉とか家康はこの手のラスボスとして使われるのは見たことない。
 信長以外だと怨霊系として菅原道真もラスボスとまでいかずともボス級として採用されることがありますが、同じ怨霊系のゴッドバインこと後鳥羽院はゲームとかで使われるのを見たことがないです。まぁ皇室キャラで弄っていいのは聖徳太子くらいでしょう。

 密かに使ってみたら面白いかもと思うのは天皇家の簒奪を企てた弓削道鏡がおり、彼なんか工夫次第で魔王っぽく活躍できる気がします。奈良時代を舞台にして、和気清麻呂とその姉ちゃんが主人公となって、聖徳太子が残した伝説の武器とか勾玉使って道鏡に立ち向かう話とか作れば、奈良市も盛り上がってくるでしょう。

 ただ仮に創作の人物も使っていいとなると、和風RPGで最もラスボスに相応しいキャラとなりうる人物として加藤保憲がいるんじゃないかと考えています。これはわかる人には早いですが荒俣宏氏の小説「帝都物語」に出てくる悪役キャラですが、日本陸軍の軍人でありながら陰陽道に通じ、五芒星入りの手袋を常につけるなど存在感が非常に強い人物です。
 キャラ設定だけでも十分濃いですが、映画版では嶋田久作氏がこのキャラを怪演し、原作者の荒俣氏をして「加藤がいる(;゚Д゚)」と言わせたあのビジュアルはすさまじく、そのまま加藤と言わなくてもこのキャラをモデルとしたキャラなら和風RPGでラスボスを務めても全く問題ないと思います。っていうかもっとクローンキャラが出てきてほしいくらい稀有なキャラだと思うのですが、最近見ないなぁそういうの。

2024年5月15日水曜日

シャープの堺工場ごとの液晶事業売却

 昨夜は夜中まで次のロボティア記事を書いていましたが、そのさなかにニュースを見たら大体日本時間で夜11時ごろだったと思いますが、シャープが堺工場を売却するというニュースが出ていました。翌日となる今日には液晶事業丸ごとの売却も計画しているという続報も出て、液晶のシャープに終止符が打たれることとなったわけです。

 何気に、その昨夜書いていたロボティアの記事は東芝のウエスチングハウス買収に絡んだ内容でした。東芝にしろシャープにしろ、たった1件の投資案件でその身を亡ぼす結果となった点で共通しており、あまりの偶然もあってか書き途中の記事の末尾にシャープの液晶投資破綻についても書きこんでしまいました。

 シャープ堺工場についてはもはやあれこれ言及するまでもないですが、真面目にこの工場一つないだけで、シャープは少なくとも鴻海に買収されることはなかったと断言できます。もっとも液晶以降、シャープは何も新しい事業や成長を生み出しておらず、現在は黒字を出してはいる複合機事業も今後は事業が先細ることはほぼ確実なだけに、東芝と違って堺工場がなくてもいずれ会社規模の縮小は避けられなかったとは思いますが。
 ちなみにシャープが次の主力事業として力を入れていたロボホンですが、この前知人との会話で出てきましたが、一応まだ続けているようです。続けるんだったらもうちょい何かアップデートすりゃいいのに、何もてこ入れしていないあたりもうやる気を失っているのでしょう。

 話を戻すと、東芝にしろシャープにしろ何故一度にあんな巨額の投資を行ったのか。投資規模が3分の1くらいであれば全然話は違ったのですが、何気に東芝もシャープも00年代中盤にあのやらかし投資をやらかしている点で共通しています。
 当時は郵政選挙後で景気が一時上昇していた時期です。しかしその後の2008年にリーマンショックが起き、特に家電はその後のエコポイント制度による需要の先食いにより国内市場が大きくゆがんだこともあり、完全に立ち行かなくなりましたが、このリーマンショック直前の好景気感が両社を身の丈を超えた投資に駆り立てた一因であるような気もしないでもないです。でもって両社とも、「無謀すぎる」という批判が当時からなされていただけに、なんかその辺の慎重さを欠いたがゆえに互いに身を滅ぼしたように思います。

 この辺、ソニーなんかは強かに立ち回って現在も強勢を維持しており、日立やパナソニックもそれぞれの生きる道を見つけて大手企業としての地位を保っています。特にパナソニックに関してはプラズマテレビでシャープに敗北してはいるものの、そのプラズマテレビを約10年前にあきらめている点で、シャープよりも経営感覚はしっかりしていたように思えます。
 その上でシャープについていえば、もし仮に堺ではなく中国とかの新興国に最新の巨大工場を作っていたら、なんていうシナリオを考えずにはいられません。投資額はもとより、あの時期に日本国内に大工場を作ったというのがなんか失敗だったように思え、後の祭りですがいろいろ思うものがあります。

 そういえば、堺工場計画が立った時に「話が違う!」と言われた亀山工場のある亀山市とはその後どうなったのかが気になります。パッと調べたところまだ操業しているようだけど、堺工場を売るなら亀山工場も売却することになりそう。

2024年5月12日日曜日

那須2遺体事件の「トクリュウ」こじつけ報道

〈那須2遺体〉犯人は「トクリュウ」でも「チャイニーズマフィア」でもなかった。“主犯”逮捕直前まで誤情報を垂れ流し続けた“コタツ”メディアの罪(集英社オンライン)

 最近読んだ中では最も納得感があったのがこの記事です。

 現在もニュースを騒がせている那須2遺体事件こと上野宝島ロードの経営者夫妻の殺害事件で当初、この事件は流動型犯罪グループの呼称である「トクリュウ」によるものという分析や報道が出されたのですが、蓋を開けてみるとまだ容疑段階とはいえ首謀者は被害者の親族で、また実行犯らも顔見知り同士という古来から実によくある人間関係でした。
 上の記事にもある通り、恐らく川原で死体を燃やそうとした犯行の杜撰さなどからトクリュウではないかと勝手に考えたのでしょうが、お門違いもいいところな分析でしょう。それ以上に呆れるのが、犯人グループの全容がわかり始めた段階においても「今後はトクリュウに対する対策を強めねば……」などと、依然トクリュウにこだわる輩が多く、端的に言って呆れます。

 一体この手の人たちはトクリュウにこじつけようとしたのか。一つは最近できたこの言葉を使って、注目を集めようという狙いがあると思います。いかにも新しい形態の犯罪だというアピールってやつでしょう。
 もう一つは、単純に論理能力がない、または詳細が明らかでない段階で判断してしまう、経営とか絶対やっちゃいけない人間だという点でしょう。番組とか出て意見求められたら何かしら口にしなくちゃいけないとはいえ、さすがにこのトクリュウこじつけはデマをまき散らしているも同然であり、もう少し言い方とか内容はあったんじゃないかと思います。そういう意味ではリンク先のライターの人も言っているように、記者も含め日本の現場人材のレベルダウンが問題なのかもしれません。