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2024年9月15日日曜日

ゲームのムービーシーンにおけるカメラワーク

 今更ながら「龍が如く7」を遊んでいます。発売が2020年であることもさることながら、購入したのは去年のセール時ながらも何故かこれまでは他のゲームを優先して遊ぶことなく、なんか手持無沙汰な状態がふと訪れたので起動してみるとこれまた面白く、評判が高かっただけに非常に楽しんでいます。
 にしてもゲーミングパソコンじゃなくてもPS4クラスのゲームがパソコンで遊べるようになるとはいい時代になったもんだ。戦闘機ゲームのエースコンバットも今度動くか試す形で買ってみようかな。

 話を戻すとこの龍が如く7ですが、ストーリーをはじめとするゲーム内容の面白さ以上に、ムービーシーンにおけるカメラワークに驚かされました。具体的にどこがどうと言いづらいのですが単純に素晴らしく、どのムービーもちょっとしたカメラワークで各描写を強く印象付けるように作られており、どのムービーも早送りせず見入ってしまうほどです。
 どんなカメラワークがいくつか挙げると、左右に二人の人物の顔が映されていて、最初はしゃべり始めた片方にピントが合っているものの、もう片方がしゃべりだすとそちらにピントが移る。あと徐々にズームアウトしていって端の方に入り込んできた人物がおもむろに語りだすなど、こういう映画とかでは当たり前のカメラワークですが、ゲームだとこれまであまり目にしたことがありませんでした。

 カメラワーク一つでこれほどまでムービーが良くなると私は今まで感じたことはなく、ただ単に最近のゲームを遊んでいないだけかもしれませんが、かつて遊んだゲームのムービーでは印象を覚えたことは本当にありませんでした。思い起こすと、スクウェアエニックスやコーエーテクモのゲームはどれも美麗CGやムービーを売りにしていますが、改めて思い起こすとCGの素材ばかりに力を入れて、そのCGをどう映すかというカメラワークに関してははっきり言ってお粗末な水準だった気がします。
 基本的に顔面アップが多く、アクションするシーンも遠回しに映すだけで迫力がなく、終いには最近は減ったけど悪名高いQTEを入れてムービーなんか見られない状態にしたりといった感じです。

 そもそも龍が如くシリーズの元プロデューサーである名越氏自身はゲームではなく映画を学んでいたものの、就職にあぶれてゲーム業界に入ったという口なだけに、この方面のカメラワークがやっぱりこのシリーズが優れているのも当然かもしれません。ついでに書くと、龍が如くの製作前から柴田亜美氏の漫画(どきばぐ)ではまるでその未来を見越したかのように、本宮ひろし風のヤクザとして描かれていました。

 話をまとめると、ゲームのムービーと言うとCGの美麗さやキャラクターのかわいさばかり取り上げられがちですが、そうした素材を生かすも殺すもやはりカメラワーク次第というべきか、この方面に意識が薄いゲーム会社も少なくない気がします。そういう意味ではゲームクリエイターも映画とかの撮影方法をもっと学ぶべきなのかもしれません。

2024年9月14日土曜日

イスラム教の賢い税政策

 社会学を先行していたこともあり比較文化論的な話は前から好きなのですが、この手のもので特に良く読むのが宗教学者の島田裕巳氏の本です。私自身は「神はいない(でも妖怪は絶対に存在する)」という無神論者ですが、宗教やその価値観はオカルト趣味もあって昔から好んでおり、ちょうどこの辺を突くかのよう島田氏の本は感性をくすぐるので新刊が出たらよく買っています。
 てな感じでこの前買った「宗教戦争で世界を読む」ですが、この本では宗教が主導または宗教間で起きた戦争を取り上げてその原因や結果などについて書かれてあるのですが、個人的に一番面白いと思ったのはイスラム教の人頭税ことジズヤの話でした。

 知っての人には早いですが、かつてイスラム教は非イスラム教徒に対しては人頭税という税金を課していました。これだけ聞くとひどいことするなという感じがしますが、実際には当時のキリスト教圏ではキリスト教以外の活動や信仰を一切認めず、キリスト教内でも異端に指定されたら弾圧されるような状況の中、イスラム勢力圏では税金さえ払えば自由な信仰(当初はキリスト教とユダヤ教限定だったが後にこのほかの宗教にも拡大)を認めており、当時としてはむしろ他宗教に対し非常に寛容な態度だったそうです。
 それどころか、このジズヤはイスラム教国にとっては重要な財源でもあっただけに、払ってくれる他宗の教徒に対してはウェルカムな態度すら持ち合わせていたそうです。実際、キリスト教圏から追われたユダヤ教徒を「こっちにおいでよ(=゚ω゚)ノ」てな感じで迎え入れたこともあったそうです。まぁユダヤ人は金持ってそうだしね。

 こうした財源的な意味でも価値を持つジズヤですが、イスラム教圏の拡大においても大きな役割を果たしていました。というのも基本どの時代、どの国にもいるでしょうが、周りや親が信仰してたるから自分も何となく信仰を続けているだけのなんちゃって教徒は世の中溢れています。そうした人たちに対してもジズヤは課されるのですが、先にも述べた通りこれはイスラム教に改宗すれば払う必要はなくなります。
 このように、他宗の信仰心の薄い層に対し「税金払わなくて済むなら(´・ω・)」という感じでイスラム教に誘導させる効果もジズヤは持っていたそうです。でもってイスラム教は生活そのものが信仰というぐらいに戒律や作法が厳格な宗教で、一度はいるとなかなか抜け出せられない特徴を持ちます。そんなイスラム教の特徴と相まって、ジズヤの効果はウマイヤ朝やアッバース朝時代のイスラム教の急拡大を支えたと言われています。

 ただ、これまた先にも述べた通りジズヤは財源としても非常に重要な収入源でした。そのため一部地域では他宗の教徒が集団でイスラム教に改宗しようとしたら財源がなくなることを恐れた領主がそれを止めようとしたという、本末転倒な話もあったそうです。人間、やっぱりお金が大事。

2024年9月13日金曜日

あっさり中国で定年延長(;´・ω・)

 先日の記事で中国が定年延長を検討しているという報道を取り上げましたが、今日あっさりと定年延長が決まりました。段階的に引き上げるとはしているものの男性60歳、55/50歳を男性63歳、女性58/55歳へと引き上げる方針を打ち出しました。
 前の記事で私は、男性はともかく女性は男性同様に60歳まで引き上げるのではと書きましたが、あっさりその予想を外してかなり恥ずかしい思いしてます(;゚Д゚)

 何気に昨日、ちょうどこの定年延長の影響を受けそうな年頃の友人と会話した際にこの話題も出たのですが、その人の周りではどちらかというと早期リタイア志向が強い人が多く、定年延長については「やめてよ(´・ω・)」って感じの感想が多かったそうです。この辺でも自分の予想は外れているのかもしれない……。

 ただ前の記事にも書きましたが、この影響を一番受けるのは壮年層よりも若年層、中国の若者じゃないかと思います。壮年層が雇用され続けることで枠は小さくなり、来年以降はますます就職状況が悪化るのではないかとみています。失業者が増え続ける場合中国の社会不安も高まることとなり、その辺をやや危惧しています。

2024年9月11日水曜日

中国の退職年齢引き上げ報道に関して

「中国引き合いに出すのに反対」中国が米大統領選討論会に注文 「論評せず」と慎重姿勢も(産経新聞)

 こんなこと言ってるけど、かといって全く話題にしなかったら「米国は外交で中国を無視するな」とか言ってくる気がします。めんどくせーな。


 それで本題ですが日本人からするとえっと思うかもしれませんが、中国と日本だと定年が異なっています。男性に関しては60歳でそこまで日本と大きな差はないのですが、女性は記事にもある通り50歳または55歳で、今や65歳定年となっている日本と比べるとかなり早いです。

 ただ日本の場合は女性の正社員率が男性と比べると大きな差があり、そもそも定年を迎えるまで正社員でい続ける女性数も少ないことから、定年という話題だと男性サラリーマンがすぐ浮かんでくるのではないかと思います。
 それが中国の場合ですと日本なんかよりずっと女性の社会進出が進んでおり、さすがに役員クラスとなると欧米よりも低いものの、一般正社員としての従業員数でいれば男性とそこまで大きな差はないと感じます。出産により育児休暇の法定期間も実は日本より短くて復帰が早く、夫婦共働きでともに定年を迎えるという人も当たり前のようにいます。

 そんな中国ですが、やはり前からこの女性だけ男性に比べ10年も定年が短いというのはおかしいのではという指摘がかねてからありました。特にかつてはなかった住宅ローンを抱える家庭も増え、なるべく長く働きたいと考える人も増えてきているだけに、むしろこの10年の間にこうして全人代などの俎上に挙がってこなかったことの方が異常でしょう。
 もっともそうした勤労者の声というより、今回こうして改正が取りざた足されてきたのはこれまた記事にもある通り年金問題が主原因であると言って間違いありません。前にも書きましたが日本の10倍くらい人口抱えている上に日本以上にハイペースで少子高齢化が進んでいることから、どう考えても中国の年金制度は日本以上にリスクが高い状態になってきています。っていうかきちんと数字でこの辺の分析出来たらかなりいい記事になるけど、このところゲームで忙しくて調べてられてない(;´・ω・)

 私の予想ではこの中国の定年に関しては、日本みたく男性を60歳から65歳に引き上げるかはまだわからないものの、女性に関しては上も下も望む声が大きいだけに、男性同様に60歳へ引き上げることはこうして話題に出てきた時点でほぼ確実じゃないかとみています。問題となるのは制度改正時に51歳以上と、定年退職で辞めたばかりの人たちの処遇をどうするかで、一応は元の雇用先に再雇用を促す程度で落ち着かせるのではと考えています。

 もっともこの定年のしわ寄せを食うのは若年労働者で、ただでさえ就職氷河期で職にあぶれているだけに、定年延長によって雇用枠が上位年齢層で埋まることでさらに大卒就職率が悪化する可能性も含んでいます。
 かつての中国政府はこの辺の雇用に対する意識が非常に強かったのですが、近年は競争至上主義が普及したことで、決して軽く見ているわけではないものの以前と比べれば自助努力で何とかしろと言わんばかりに、前ほど省みなくなってきているような気がします。それこそ「やる気のない若者の方が悪い」といった感じで。

 ただそれを言えば日本も人のことは言えません。好景気で減ってきてはいると言っても退職代行業がこれだけはやっていることを見るとやはりまだブラック企業は日本社会に存在しているようですが、この1年くらいでそうしたブラック企業への対策や摘発が話題になったのはほぼ見たことなく、日本政府もこの点を省みなくなってきている気がします。
 ちょうどいま総裁選ですが、かつてと比べると行革を口にする人が減ったものの、私個人としては厚生労働省を再び分割してほしかったりします。この二つは相いれない存在だと思うし、分けて権限、否責任をもっと明確化すべきでしょう。

2024年9月9日月曜日

田中真紀子氏の推す候補

田中真紀子氏 自民党の総裁選をバッサリ「へなちょこばっか」適任者「私は1名いると思いますけど」(スポニチ)

 結論から書くと、「田中真紀子と推しメン被っちゃたよ(;´・ω・)」と言ったところです。

 かつてないほど立候補者が乱立している今回の自民党総裁選ですが、記事内容によると田中真紀子氏は数ある候補者のうち、林芳正官房長官のみが総理として適格だと発言したそうです。私は彼のことをその名字からよく「リン」と呼んでましたが、ぶっちゃけ自分も岸田総理の後継として能力、人格、路線の全方面で一番総理になってほしい人物はこの人だったりします。
 具体的に何故と説明できる要素は薄いのですが、ほかの候補者と比べ要職に就任しながらきっちりと務め果たし、また自分がやることなそうとすることの方針をきちんと説明しているのと、あまりほかの政治家の悪口を口にせず黙々と仕事に向かう姿勢をかねてから評価していました。特に閣内からも風当たりの強かった岸田総理に対し忠実に務めたその態度は、十分評価に値すると考えています。

 田中真紀子氏については正直言って私はあまり好感を持っておらず、政治家としての実務能力に関しては余計なトラブルしか引き起こさないとして全く評価していません。ただ他の政治家に対する観察眼や評価に関しては一目置いており、父親譲りの頭の回転の速さと観察力というべきか、その評論はこれまでも参考にしていました。
 それだけに、全く想定していなかったのもありますがまさかここでリンの名前を挙げてくるとは思いもよらず、驚くとともに「あの田中真紀子が言うんなら(´・ω・)」と、ちょっと自分の肯定的評価にも自信を持つようになりました。

 とはいえ今回の総裁選は候補者の多さから予想が難しく、現状では隠然たる力を持つ菅元総理のバックアップを受けている小泉氏がリードしている状態です。河野氏は菅派の応援を受けず、また麻生派の応援を受けていることでもう芽はないとみていますが、彼が敗北した後の決選投票でその票がどこに流れるかの方がむしろ検討のし甲斐があります。
 とはいえリンの場合は上川外相と岸田支持派が割れるので、どっかでこの二人が協力しない限りは厳しいでしょう。私個人の見方としてはリンの出番は次の次じゃないかという気がするのですが。

静の恐怖から動の恐怖へ移るホラー作品の続編

 先行して中国で公開されて自分も見てきた「エイリアン・ロムルス」ですが、日本でも公開されて評判は上々のようです。前回レビューでも書きましたが本作品では過去のエイリアンシリーズが要所要所でオマージュされた場面があり、過去シリーズ作品に対する敬意を払ってエイリアンの伝統をきちんと受け継いでいるだけじゃなく、「いいアンドロイド」ともいうべき本作独自の要素による味付けも施されており、エイリアンシリーズとしてだけでなく一娯楽作品としても非常に評価できる名作だと個人的にも思っています。

 その過去作品のオマージュですが、古い作品も多いため解説記事でもこの点がよくポイントになりやすいです。それもそのはずというか第一作目は1979年公開という半世紀近く前の作品であり、リアルタイムで見た人となると結構な年齢を数えるくらいであり、若者からすると若干古典的作品に見えるかもしれません。
 その第一作目ですが、この作品の制作当時はCGはおろか特撮撮影技術も現代と比べて非常に低いものがありました。ただそんな制限された環境においてもリアリティを見ている人に感じさせるため色々工夫されており、一番肝となるエイリアンはその活発に動く姿を撮影することが難しかったためおなか破って出てくる赤ちゃんの頃を除き、最終盤まで全身像は移さず特異な顔面部分のみしか映されませんでした。ただこの演出が「潜む恐怖」というかどこにいるのかわからない、けど見つかったら終わりともいうべき恐怖感を作る上で貢献したと言われています。

 そんな第一作の続編として出された「エイリアン2」では一転して、大量のエイリアンが所狭しと画面内で大暴れしまくり、海兵隊とバトルし合うアクション性が強められた作品となりました。路線変更をしたものの公開当時の評価は非常に高く、「ターミネーター2」が出るまでは最も成功した続編作品との呼び声も高かったようです。
 もっともこの時代においても怪物がはしゃぎまわるシーンを撮影するのは困難で、エイリアンの人形(ぬいぐるみ?)は数体しか作られなかったものの、撮影方法を工夫して何十体も動き回るように見せていたそうです。

 話を戻すと上記のエイリアン1から2への路線変更については、静かに恐怖がにじり寄るような1に対し、2では反応が遅れればすぐやられる的な動の恐怖へ移行したと評する声があります。この静の恐怖から動の恐怖への移行ですが、勘のいい人ならすぐにピンとくるかもしれませんがもう一つ別のホラー作品でも同じ路線変更が指摘されています。
 その作品というのもホラーゲームの金字塔ともいえるバイオハザードで、それほど多くない敵キャラがあちこちの物陰に潜んでいるという1の作りに対し、2では大量のゾンビが街に溢れ激しい戦闘で撃退しつつ脱出を図るという、アクション性が強められた続編となっていました。

 エイリアンもバイオハザードも、同じホラーシリーズ作品としてともに1から2で静の恐怖から動の恐怖へと路線が変わっています。偶然と取ることもできるのですが、例えばホラーゲームのサイレンでもほとんど敵キャラへの抵抗手段がなく逃げるだけだった1に対し、2では重火器も登場して敵キャラの闇人(やみんちゅ)を薙ぎ払えるなどアクション性が盛り盛りに高められています。でもってこっちも評価が高いです。
 その他のホラー映画作品でも、ヒットした作品はこの静の恐怖から動の恐怖への路線変更が多かれ少なかれ働いている気がします。でもって3で若干迷走して評価を落とすというところも大体共通しています。それらを踏まえると、少なくとも1から2にかけてはこの静の恐怖から動の恐怖への移行が重要なのではないかと思いついたわけです。

 なおエイリアンについては3は閉鎖空間で武器なしというマゾチックな環境になり、バイオハザード3はよりアクション性が高められた上に「追われる恐怖」がテーマとなっています。ただどちらも1と2ほどの評価は得られず、4に至ってエイリアンはかなり迷走し、バイオハザードは恐怖よりもアクションによる快感性をより追及するという転覆的路線変更をこなして大成功しています。
 ちなみにバイオハザード3ではプレイしていて怖いと感じた以上に、市長の像の裏からマシンオイルが出てきたときに大爆笑しました。いやまぁ病院のステージは敵も強いし弾薬も補給できないから結構怖かったけど。

 ややオチの弱い記事ですが、何が言いたいかというと静から動への路線変更はホラー作品には手堅いヒットルートなんじゃないかってことです。もっともリメイク予定のサイレントヒル2はこの例にもれず1以上に静謐な恐怖感を強めてヒットしたあたり必ずしも法則通りというわけじゃないですが。

2024年9月8日日曜日

松戸駅前にマンション作ってばっかで大丈夫?(;´・ω・)

  エイリアンVS吉田沙保里~どっちが勝っても、ALSOKは来ない

 また無駄にSF対策のプロットを立てていました。まぁエイリアンなら、吉田沙保里氏相手にいい勝負できるんじゃないかな。

寿センター シノダが解体され更地に「サン理容室」「八百岩商店」を含めた敷地で地上14階建てのワンルームマンションが建設予定(松戸つうしん)

 話は本題ですが上海にいながら何故松戸の動向をしらべるのかとかいう疑問は置いといて、上の記事はなかなかにショックでした。というのもここに出てくる「サン理容室」は自分が通っていた床屋で、お店のご家族らとも顔馴染みで中国からお土産買って帰るくらいの仲でした。それが記事によるとどうも立ち退いたようで、その跡地にはまたマンションが建つ予定とのことです。

 私がリアル松戸市民だった頃も松戸駅前はマンションの建設が続いていましたが、その傾向はいまだ続いているというかむしろ加速している感すらあります。すでに建設済みのある意味聖地なわらそう跡地はもとより、ダイエーの跡地もこのキテミテマツド横の区画もまたまたマンションということで、需要があるのはわかるけどいくら何でも駅前にマンションを密集させすぎやしないかとみていて疑問に思います。
 ただでさえ道路が混雑しやすい駅前だというのに、これだと混雑に拍車をかけ、また駅構内の混雑もさらに増すのではないかと心配しています。どうせ作るのならもう少し離れたところ、具体的には江戸川沿いにすればいいのにという気がします。

 にしてもサン理容室がなくなったとなったら、日本でどこで髪切ればいいのだろうか。上海ロックダウンの時の経験から、自分で切ることもできるっちゃできるけど。