ページ

2025年5月5日月曜日

トランプ政権はネオコンか?

米 アーミテージ元国務副長官 死去 79歳 アジア通で知日派(NHK)

 ちょっと古いニュースですが、上のリンクの通りにアーミテージ元国務副長官の逝去ニュースは私も印象に残りました。なおヤフコメを見ていると「日本を操ってたやつが死んだ」、「ざまぁ」みたいなコメントが多数見受けられましたが、これって逆に言うと米国の意のままに操られていることを自覚している連中が多いという皮肉だという気がしました。米国の日本に対する影響は確かに強いと思いますが、その意向が日本にとってもプラスだから日本政府も従っているわけで、鳩山政権とか覚えていないのかとそのコメントした連中には思いました。

 話を戻すとこのアーミテージは折々というかイラク戦争後に日本のイラク派遣を強く勧めてきた人物で、結果的に日本も派遣することとなりましたが、派遣地で自衛隊は迫撃砲打たれたこともあったけど奇跡的に死傷者は出ず、また現地住民にひどく親しまれ、「どうやっててなづけたんだ?」とマジで米英から問い合わせが来るほどだったそうです。米国追従と言えばそれまでですが、自衛隊が去った後に現地サマワの治安は悪化したとされ、また実際にイラク攻撃に参加していない中立国日本だからこそ治安維持する価値があるという見方から、自分はこのイラク派遣は国際平和に価値ある派遣だったと考えています。自衛隊の活動範囲を広げるという意味でも。

 そういうことからアーミテージに対し嫌悪感は特になく、それどころかその後折々のインタビューを見ても知日派の異名通りに日本に対する見識が深く、だからこそイラク派遣は日本にとってもプラスという信念でやっていたのではと感じていました。それだけに今回の逝去は年も年とはいえやや寂しく感じるとともに、「そういやネオコンって単語聞かなくなったな」

新保守主義(Wikipedia)

 一応リンクを付けましたが簡単に説明すると、ネオコンとは米国における新保守主義と呼ばれる政治思想、経済主義で、日本においてはまさに00年代前半のブッシュ政権時にしつこいくらい使われていました。具体的な特徴としては自由主義を標榜しながら反米国には容赦なく、武力による制圧も辞さないけれど、経済的には米国が有利となる自由主義、特に金融面での規制撤廃を含むグローバリゼーションを強烈に普及させようとするのが当時の特徴でした。
 日本では否定的に使われることが多く、当時の印象で述べればどことなく、ナチスを彷彿とさせるような言い回しでこのネオコンを口にするコメンテーターらが非常に多かったです。特に金融のグローバリゼーションに関しては竹中平蔵氏がまさに米国の尖兵であり、彼の行おうとした改革への批判を込めて今は無きアンチグローバリゼーションという言葉も当時ありました。っていうかこの言葉は死語化が早すぎ。

 そんなネオコンですが、ある年を境にピタリと消えます。それは2008年で、この年にリーマンショックが起きたからです。それまでネオコンが進めていた金融の自由化、規制の撤廃、グローバル化がこの時すべて裏目裏目に出て、過度な金融自由化は逆に危険で、米国自身の首をも締めるという認識が広がるや、ネオコン思想は急激に退潮していき、私の記憶では2009年にオバマ政権が生まれた後は誰も「ネオコン」なんて口にしなくなった気がします。

 ただ口にしなくても、政治思想というか価値観が消えるわけではありません。そこで出てきたのが冒頭の「トランプ政権はネオコンか?」という観点なのですが、結論から言えばネオコンではないものの、その影響を受けているのではと思う節があります。

 前述の通り、ネオコンの最大の特徴は経済、特に金融の自由化(米国が有利となるための)ですが、この点に関してトランプ政権は真逆ともいうべき価値観を持っています。関税引き上げをはじめ重商主義的保護貿易政策を強く打ち出しており、また金融業に対してはエリートに対する嫌悪感を隠そうとせず、FRBへの態度を見ているとただ単に無理解というのもあるでしょうが、特に便宜を図ろうともせず興味がないように見えます。
 一方、米国第一主義というのはむしろブッシュ政権時の旧ネオコン以上に強く、世界における米国の地位を、すでにトップであるにもかかわらず、さらに他を寄せ付けないものにしようという意識が強いです。この辺、根拠はないけど自分が一番でいたいという価値観にも見えます。

 旧ネオコン勢力がどれだけトランプ政権に参画しているのかはさすがにわかりかねますが、何となく、その主張を見ていると根底にあるのはブッシュ政権時のネオコンの思想に近いような気がします。具体的に言えば危機感で、強いテコ入れをしないと米国が1位でいられないというか、強引な手段を厭わないという点でネオコンらしさを覚えます。もっとも、運営手法は雲泥なほど拙いですが。

 しかしこうして今回ネオコンかどうかを考えてみましたが、改めて考えるとトランプ政権の政治思想について言及する記事が少ない気がします。その政治信条、周辺メンバーの思想背景とかもう少し分析があっていい気がするのですが、ハナからあきらめてるのか誰もしようとしません。私自身もあまり乗り気じゃないですが今回述べたように、どことなくネオコンの影響があるのではと思う節があり、20年くらい前のトランプを追ってみるのが、今後の彼の行動を読むうえでも何か一つのヒントになる気がします。

2025年5月3日土曜日

何故その造形に至ったのか?





 例によってまた家でF9Fパンサーのプラモを作っていました。すぐに作り終えるかと思っていたらデカール貼りの要求が結構鬼レベルなキットでした。


 この機体は前からいつも買ってるお店で売ってるのを見て買おうかどうか悩んでいたところ、上のリンク先にある通り歴史人が紹介する記事を出してきたため、乗せられる形で買うこととなりました。ハセガワは歴史人を使い、自分に対しステルスマーケティングを仕掛けてきたのではないかと勝手に疑っています(´・ω・)

 そんなこんだで戦闘機のプラモを作り始めてから来年でちょうど10年目くらいに突入します。それ以前からも戦闘機の構造については若干興味があったというか、以前にも書いたように90年代の日系WRカーのフロントボンネットにあるエアインテークという大きな穴が何故あるのかと気になって調べたところ、自動車以上に航空機のエアインテークの方が重要と説明されているのを見てから興味を持ちました。
 そもそも何故自分がこれほど戦闘機の模型を作っているのかというと、趣味と言えばそれまでですがそれ以上に、何故その造形に至ったのか、どうしてこんな形状をしているのかということを知りたいに尽きます。

 言うまでもなく、戦闘機というのはカッコよさを求めてそれぞれの造形をなしているのではなく、航空力学や装備的に求められた結果としてああいう形となっています。例えばホーネットなんかが特に極端ですが、翼の付け根からノーズの方に少し伸びた翼端ことストレーキについても、旋回速度を高めるという効果がはっきりと証明されているからつけられており、こうした構造の背後にある理由というか説明を見るのがことのほか好きです。こうした原理なり背景なりを知ることと、立体でそうした形を手に取って確かめるという目的で、この10年近く黙々と何十機も模型を作り続けてきました。

 こうした構造に対する好奇心から模型に手を出す人がほかにいるのかという気がしますが、いないとしても私自身としてはほかの人、特に子供なんかにはやっぱりこういう模型を通して利便性を追求した美というものをぜひ感じ取ってらいたいと密かに思います。
 この辺、ガンダムとかでも初期の機体なんかはそうしたものが感じ取れましたが、最近の機体は線が多く見栄えばかり優先され、軍事的必要性が薄れた形状が多くてあまり好きじゃなかったりします。初期のザクなんかはその辺の軍事的ディテールが良く生きた機体だったから人気出たと思うのですが、同じく空力学的に非常に合理的なアッシマーはなんかそれほど人気じゃない気がします。なんでだろう(´・ω・)

 ちなみにこの連休、前にも書きましたが連休直前にコロナ感染したため木曜日は休養に充て、昨日の金曜はまた佘山という山に往復50㎞のサイクリングに行ってきました。見てくれはサイクリングですが、25㎞走って、めちゃ低い山ですが30分で踏破した後は休む間もなくそのまま25㎞走って帰るトライアスロンでした。そのせいで今若干膝痛いです。
 今日はそんなわけで今日はあんま動きたくなくてプラモ作りましたが、明日は連載しているロボステップの記事でも仕事として書こうかなと考えています。結構ネタ尽きてきてきついですが、ロボットの電池事情についてでも書こうかと今検討しています。

2025年5月1日木曜日

米中貿易戦争で勝つのはどっち?

 ようやく今朝になってコロ検査キットが陰性になり、意識的にも復調を感じます。でも今回、ポン酢を苦いと感じるなど以前の観戦時にはなかった味覚障害が明確にあり、今もなんかコーラがやたらまずく感じます。さっき食べた店売りの塩焼きサバはめっちゃうまいと感じたんだけど(´・ω・)

 話は本題ですが目下開催中の米中貿易戦争。どっちが勝つのかと聞かれるまでもなく「米国側に決まってるじゃん」という声が大きいですが、私は逆で、長期的には中国に分があるのではないかと今考えています。理由は単純に、米国が貿易戦争を仕掛けているのは中国だけじゃないからです。

 言うまでもないですが、米国というかトランプ政権が始めたこの関税競争は現時点においても完全なミスと断言できます。仮に中国限定で行うならばその封じ込めとしては価値があったでしょうが、愚かにもほぼ全ての国を対象にしたばかりか、最も脇を固めなければならないカナダ、メキシコの近隣諸国を最初のターゲットにするなど、これで成功する見込みなどありません。案の定、通貨、株価などのトリプル安を引き起こしてビビって本格実施を先送りしましたが、あまり反省する人間ではないので数か月後に程度を抑えてまた実行し、あらゆる指標を下げることになると予想しています。

 それで肝心の中国との貿易戦争ですが、経済規模で言えば米国の方が上なので普通にやれば米国が勝てるはずなのですが、上記の通り米国は戦う必要もない同盟国にすら貿易戦争を仕掛けており、この状況をうまく中国が利用するなら勝ち目もあるのではと考えています。
 具体的には、現在ほぼすべての国と企業がサプライチェーンの再構築を図っていますが、これを米国抜き、敢えて言うなら「Globalization without USA」を旗印にして、「米国だけがいないグローバリゼーション」体制へもっていくことに腐心するなら、逆転の目があるんじゃないかとみています。

 そもそも中国以外の国も、トランプ政権の脅迫的な行為や朝令暮改に振り回されて基本どこもいい感情を持っていません。また仮にこれらの横暴な振る舞いに対策を取ったところ、次の政権でまたひっくり返されたら対策への投資がすべて無に帰すため、現状どこも見送るというか、トランプ政権が早く終わることを祈って耐えるという選択を採っています。言うなれば、米国との貿易を短期的にあきらめるという消極的選択肢です。

 この間、中国が販売網を含めほかの国との貿易網を築くことができれば、文字通り米国を克服することになるのではというのが自分の見方です。もちろん米国も中国抜きの貿易網を作るチャンスがあるし、そもそもそれが当初の狙いですが、現時点ではこの可能性はほぼゼロだと私は考えています。理由はごく単純に上記の通り今米国は世界中からヘイトを買っているのと、トランプ政権が現状と将来に対する認識があまりにも拙く、そのような米国有利の状況を自ら作ることは絶対にできないという確信があるからです。むしろ敵を増やし、自らの状況をどんどん悪化させていくだけでしょう。

 もちろん中国も無駄にエラそうな態度を取って無意味に敵を作る常習国ですが、今回のトランプ政権の動きを受けいくらか謙虚にならざるを得ないというか少し丸くなるのではという気がします。その上で100年に一度かもしれない米国の痛恨のミスに付け込んで、うまく立ち回れるなら、この貿易戦争においてもイニシアチブがあるのではと思ったわけです。
 もっとも中国自身も不景気であるしこっちもトップの政策能力が拙いこともあり、このチャンスをうまくつかめない可能性の方が高いとも考えています。恐らくこの貿易戦争の帰結としては双方ともに大損害を抱えて終わる可能性が最も高いものの、米国は現時点で得るものはなく、中国は立ち回り方によってはそれがあるという見方から冒頭の見解へと至りました。

 それにしても日本は、今後は米国が弱くなった後の世界を考えていかなければならないでしょう。確実に米国はこの2年間でそれ以前と比べ劇的に力を落とすこととなるため、そのような世界での立ち回り方を今から考えるべきかもしれません。

2025年4月30日水曜日

めちゃブルー( ;∀;)

 先日書いたように連休前ながらコロナに感染し、体調は既に大分よくなりましたが今でも歩いてて気を抜くと意識が飛びそうな感覚があります。こんな状況だから物慰みにとばかりにまた趣味のマグカップをタオパオで注文したところ、今日届いたマグカップは自分の頼んだものとは形が少し異なる、同じシリーズの別バージョンのカップでした。

 早速写真送って「これ本当に俺頼んだの?」と売主に問い合わせたら、「交換するから返品して」と返してきました。若干要領得ない会話だったため「俺のミス、あなたのミス?」とさらに尋ねたら、「すいません、倉庫担当の出荷ミスでした」とここで謝られました。
 もし最初の段階ですぐに謝られたなら自分も交換を受け入れた気がしますが、この期に及んでは元々頼んでいた商品に対する関心も薄れ、ただでさえメンタルやられているこの状況で無駄に追い打ちかけてきたことへの反発もあり、「交換しなくていいから返金にさせて」といって、返品返金で処理することにしました。

 内心、間違って送られてきたマグカップをその場で叩き割ってその写真を売手に送り付けた上で、「もうこのゴミ叩き割ったから交換も返金も必要ない」と言おうかとすらしましたが、さすがに物への八つ当たりがひどすぎると思ってすんでのところで我慢しました。何気に今回、タオパオの返品サービスを初めて使いましたがわざわざ配達員が時間指定で集荷にまで来てくれるので、同僚も重宝してましたが確かに便利なサービスです。

 以上のような対応をしておきながらですが、素直に交換を受け入れればよかったのではないかと自分の偏狭さにまたメンタルやられ、そもそもこうなったのも最初に出荷品間違えた業者じゃないかと無駄にまた業者にヘイト向けたりと、メンタルが安定しません。物慰みとばかりに、また新たにマグカップ買う気力も起きないし。
 もっとも、すでにタオパオの中で検索して欲しいのが見つからなかっただけですが。「代打、北川」並みの最後の手段としてノリタケのカップを買う手もありますが。

 にしても悪い時に悪いことは重なるというか。明日はプラモでも作って心を落ち着かせたいと思います。

2025年4月29日火曜日

検索システムがおかしくなっているような?




 なんかたまったポイントでタダでもらえるというからいつも買ってる3G模型という店よりSu-35のタマゴヒコーキのキットを買って作りました。タダなんだから文句はいけないけど、パーツの整合性悪すぎてミサイル積めなかった。

 あとコロナは今日夕方に検査キット使ったら陰性判定になってました。と言ってもまだ体力戻らず歩いてても夢見心地ですが、前ほど背筋が痛まないで済むのでキーボード打つのも楽です。なんていうかコロナは自分にとって筋肉痛が一番きつい気がする。

 さて本題ですがこのところ去年のリーグ王者ながら今年は最下位を徘徊するソフトバンクが何故こうなったのか、甲斐選手一人いなくなっただけでこうも弱くなるのかについて記事書こうと、3連敗中であることを報じるニュース記事のリンクを得ようと検索しました。ところが「ソフトバンク 3連敗」で検索したところ、なんと「開幕三連敗」という1ヶ月前の記事しかヒットせず、今日出来立てほやほやの3連敗を報じる記事は一個もヒットしませんでした。
 ならばとばかりにYahooニュースに配信されている当該ニュースを報じるあるスポーツ紙の見出しをすべてそのまま検索かけたところ、これでもなおも1ヶ月前の開幕三連敗のニュースかソフトバンクのどうでもいい小久保監督のニュースしかヒットせず、「なんやねんお前コラ!」と検索システムに怒りぶつけていました。なおYahoo、Googleともに同じ結果で、ともにニュース検索しても同じでした。

 これに限らずこのところ、検索システムが年々使い勝手が悪くなってきている気がします。例えばこのブログの「陽月秘話」で検索してもトップページこそヒットするものの、個別の記事はまるで意図的にはじかれているかのように何一つヒットしません。かつては私のブログを引用しているほかのブログなどもヒットしたのですが、それらすらなくなっています。
 また自分が読んだ漫画作品についてほかの人はどう思っているのかレビュー記事を検索しても、どうでもいいあらすじだけ紹介して「ここでなら無料で読める」という広告に誘導する明らかな商業的意図を持ったページしかヒットせず、毎回ヒットする度に書いてる奴を刺し殺したくなります。これに限らず、完全に広告目的のサイトほど検索上位に来るため、まじめに情報を得ようとしても「詳細な情報はこちらまで」という案内とともにぼかされるサイトしか出ないため、肝心の情報が得られないことが多いです。

 無論、このような現状なのは検索システムよりもこの手の商業サイトがSEO対策に手慣れていて検索でヒットしやすくしているためだとも考えられますが、それを考慮しても最近の検索システムは年々使い勝手が悪くなってきている気がします。ゲームでも攻略サイトと謳っておきながら「まだ情報はありません」としか書かれていないサイトが何故か上位に来るなど、以前ならありえないことでした。
 言い方悪いですが、なんかGoogleが昔の中国検索サイトの「百度」みたいになってきている気がします。逆に百度は前ほど広告ばかりじゃなくなり、中国国内の情報検索がしやすくなってきています。

 それこそもしこの時代に、多少不便であっても変な商業サイトを上位に挙げず、フラットな目線で検索してくれるシステムがあれば、私はそっちを優先します。恐らくほかにもこういう人はいるんじゃないかと思え、そういう意味ではGoogleの覇権を追い落とすチャンスタイムが来ているような気がします。自分じゃできないので無責任なこと言いますが、私のこのブログが松戸ネタ以外でもちゃんと検索上位に来るようなフラットな検索システムを、なるべく日本人の手できちんと作ってもらいたいものです。

2025年4月27日日曜日

俺、コロナσ(゚∀゚ )オレ

 先週から疲労感がすごく一昨日夜にものすごい悪寒がして昨日は体調を崩し、今日もあんま体調すぐれないのに、GWの連休日数を増やすため中国では今日日曜が何故か出勤日となっているため、自宅勤務をせざるを得ませんでした。まぁ仕事を適度にさぼりながら部屋とか掃除してたけど。

 それでもずっと体調が悪く、ビタミンとか取ったりたくさん寝たり対策してるのに風邪にしてはやけに治りが遅いと思ってコロナ期間中にやたらばらまかれた検査キットをを使ってみたところ、案の定コロナ陽性判定が出ました。これで先週の疲労感も納得がいきました。

 にしても久々にコロナかかりましたが、やっぱり風邪と比べると治りが遅いというか、風邪だと栄養取って寝てると徐々に改善してくる実感がありますがコロナだとそれがなく、しばらくたってから急に症状がましになる印象があります。でもってコロナだとわかるや同僚らに「コロナかかったから明日は出社せず、自宅勤務する」と羞恥しましたが、途中で関係ない人にもコロナかかったと伝えたりして、何となく無駄にアピールしたい気持ちがもたげていました。
 コロナ流行期、愛知県を中心にやたらと「俺、コロナ」と言っては無駄に混乱を作っていた人たちがいましたが、今になって彼らの無駄なアピール意欲が少しわかるようになりました。

2025年4月26日土曜日

日本版ルネサンスと「日本のダンテ」

 日本で「ルネサンス」というと、レオナルド・ダビンチを代表とする芸術家の作品や髭男爵の一発芸ばかり連想されますが、この言葉は実際には幅広い意味を持ち、芸術運動のみならず当時における文学や思想も内包しています。特に思想面においては、それまでの権威や格式に囚われた価値観からこの前ヒットしたアニメの「チ。」でも描かれたように、実証主義的な科学的価値観や合理主義も花開き、のちのフランス革命や産業革命にもつながっていきます。
 そんなルネサンスが始まったのは言うまでもなくイタリア半島ですが、これは教皇権の強いエリアではあったものの、当時のイタリア各都市国家は神聖ローマ帝国やフランスなどの圧迫も受け、思想や価値観で揺れ動いていたということが大きかったように思えます。

 このルネサンスは前述の通り、実証主義、合理的価値観への目覚めともいうべき動きですが、ふとこの前日本ではなぜ起きなかったのか、否、日本でも起きていたけど誰も気づいていないのではという考えがもたげました。結論から述べると私の考えは後者で、日本でもルネサンスのような実証主義が立ち起こっていたものの現代日本ではあまり注目されていないだけではという風に考えています。ではそれはいつ起きたのかというと江戸中期で、いわゆる蘭学ブームこそが日本版ルネサンスだったのではないかと考えています。

 江戸中期、具体的にはマツケンサンバでおなじみの八代徳川吉宗の時代に、それまでの鎖国政策の延長で禁止されていたオランダからの洋書などの輸入が医学をはじめとする実学に限り解禁されました。これをきっかけにオランダ語を通して西欧の進んだ技術を取り込もうとする蘭学ブームが起こり、その代表格はこれまた言うまでもない杉田玄白らによる解体新書でした。
 この解体新書が嚆矢となって蘭学もとい洋学が日本でも一気に広まり、オランダ語の辞典も出版されるなどそれまで長崎に限られていた蘭学の波が日本全国にも広がります。それに伴い実証主義的な価値観も強まり、現実を見据えロシアなどの侵略に危機意識を持つものや、より進んだ技術を取り込もうと開国を主張する者も現れていき、のちの明治維新へとつながっていきます。

 また体制側も、蘭学ブームによってやや軟化していったというか、江戸中期以降はかなり厳しい身分制が残っていた時代ながら、技能や知識を持つ者を採用するなど、合理的な方向へ舵を切っていきます。具体的には最上徳内、間宮林蔵、二宮尊徳などで、彼らは元々は平民でありながらたぐいまれな能力から直接武士に取り立てられて成果を挙げており、合理主義へと江戸時代の世の中が移り変わっていた証人であるように思えます。

 ここまで考えが回った段階で蘭学ブームがやはり日本版ルネサンスともいうべき流行で、巡り巡ってこれが幕藩体制を崩壊させる遠因になったということに確信が付いたのですが、その始まりというか最初の最初のきっかけは何だったのかが次は気になっていきました。
 前述の通り、全国に蘭学ブームを巻き起こした解体新書がそれにあたるといっても過言ではないと思いますが、私はそれ以上に、平賀源内の存在の方が大きかったのではと思うようになりました。一体何故かというと、初期の蘭学ブームにおいてはまさに彼が中心人物だったからです。

 平賀源内は杉田玄白や前野良沢といった当時の主要な蘭学関係者と交友があったのは周知のことですが、そのほかにも日本初の銅版画に成功する司馬江漢も元々彼の弟子でした。そもそも彼自体が長崎への遊学をきっかけに持ち前の好奇心から様々な西洋知識を取り込み、多くの洋書も入手するなど代表的蘭学者であり、時の老中である田沼意次とのパイプもあって、当時の江戸における蘭学サークルの中でも中心人物であったように見えます。

 特に解体新書に関して、その挿絵を描いた秋田藩士の小田野直武は源内の直弟子で、彼の推挙により挿絵を執筆しています。その小田野直武に源内は秋田藩へ鉱山開発指導へ赴いた際に出会っていますが、彼に洋画を教えていたらある日、「俺にも教えろよ(´・ω・)」と秋田藩主の佐竹義敦も自ら弟子入りを志願してきたと言われています。
 この時、佐竹義敦は一介の浪人に過ぎない源内に対し師匠としての礼儀を取り、また配下の一藩士に過ぎない小田野直武とも全く身分差がないかのように、肩を並べて指導を受けてたそうです。この身分なく交流する姿こそ、ルネサンス精神が最も濃い情景であるように私は思います。

 そもそも源内自身が、元々は最下級の高松藩士でしたが自らの研究時間を優先するあまり、その職を辞して浪人となっています。幕末であれば脱藩した人は珍しくないですが江戸中期においては非常に珍しく、如何に源内が当時において古臭い権威主義から脱却していたことをうかがわせるエピソードです。
 もっとも、後藤又兵衛よろしく奉公構(他藩への転職禁止措置)を食らうとは源内も思ってなかったようで、ほかの人にも話していないあたりかなりショックだったようです。

 話を戻すと、初期蘭学グループの中心にあり、尚且ついち早く合理主義に目覚めて身分差を打破するなど周囲の人間にも影響を与えた点から、平賀源内は日本版ルネサンスこと蘭学ブームの旗手とみてもいいのではと私は考えています。その上でよく平賀源内はその万能ぶりから「日本のダビンチ」に例えられることが多いですが、むしろその著作「神曲」にてルネサンスを牽引したダンテの方がより実像に近いように思え、「日本のダンテ」と呼ぶべきじゃないかと思うに至りました。

 割と何度も書いていますが、私はこの源内に対して昔から妙な親近感を覚えて止みません。私自身、比較的なんでもできるけど飽きっぽくて大成しない器用貧乏なところがあり、その点で源内に強いシンパシーを抱いていると思うのですが、今回こうして彼を「日本のダンテ」に例えた際、なにか源内に対する自分の思いに一区切りがついたように感じました。