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2025年7月12日土曜日

井伊直弼の最大の失敗ムーブ

 また例によって「風雲児たち」を読み返して幕末を調べなおしていますが、「どうすれば幕府を延命できたのか」という視点に立って色々考えてみると、

・公武合体を進めるべきじゃなかった
↑↑↑
・日米通商条約の締結勅許を朝廷に求めるべきじゃなかった
↑↑↑
・14代将軍を家茂ではなく慶喜にすべきだった

 などなどとなっていき、結局は井伊直弼を大老にすべきじゃなかったに行き着くことが多いです。彼自身は幕府の権威を再び高めようと色々努力しましたが、結果的にそれは空回りし、最後には自分が暗殺されることでその権威を大きく貶めてしまっています。極論を言えばあの時点で大政奉還に近いような政策を採り、公武合体は推し進めず雄藩連合のみ成立させておけばまだ徳川の時代がまだしばらく続いたでしょう。
 それだけに、本人の意思とは裏腹に幕府崩壊を早めた井伊直弼は典型的な「やる気のある無能」だというのが自分の評価です。あんまほかの人は言わないけど、彼がやろうとした公武合体こそが徳川幕府にとってかなり致命的な一打にもなっているし。

 そんなやらかしまくっている井伊直弼ですが、敢えて彼の事跡の中で最大の失敗ムーブを挙げるとすれば、自分の中では安政の大獄における吉田松陰の処刑であるような気がします。一体これは何故かというと、長州藩を倒幕に回しているからです。

 安政の大獄では吉田松陰に限らず数多くの人物が捕縛、処刑されており、中でも水戸藩が最も弾圧を受けたほか、越前藩もその指導者であった橋本佐内が処刑されています。しかし、水戸藩も越前藩も徳川親藩であり、これらの弾圧によって井伊直弼個人へのヘイトは高まり、後の桜田門外の変につながってはいるものの、両藩ともに親藩ゆえか倒幕にまで頭が回ることはありませんでした。
 一方、吉田松陰の出身である長州藩、特に彼の門下である松下村塾出身者はその処刑をきっかけに、明確にその意識を尊王攘夷から攘夷倒幕へと変えています。長州藩は外様であるだけでなく、元々関ヶ原の戦後処理で辛酸をなめさせられていて倒幕意識がかねてより高かった藩なだけに、松陰処刑による倒幕意識の高まりがかなり影響した気がしてなりません。それこそ仮に松陰を処刑しておかなかったら、第二次長州征伐自体起きなかったかもしれません。

 もっとも松陰自体がこうした展開を狙い、安政の大獄で敢えて自ら処刑されようと動いた節があります。知ってる人には早いですが、彼は井伊直弼がターゲットにした梅田雲浜と長州で会っていたことから出頭命令が出たものの、雲浜とは本当にあっただけでそんな交流はありませんでした。そもそも長州の一軍学者なだけに尋問する側もそんな期待してなかったそうですが、ここで松陰は何を思ったか、自ら幕府老中の間部詮勝を暗殺しようとした計画を自白し、これが原因となって死刑判決を受けています。
 また仮に死刑とならなくても、密航をはじめ過激な行動を繰り返していた松陰なだけに、生き残ったとしても何かしらやらかして藩論を倒幕へと変えていたかもしれません。そう考えると、「処刑しようがしまいがどっちも同じじゃんか(;´・ω・)」と思えそこまでの失敗ムーブじゃなかったかもと逆に思いなおしてしまいます。まぁ長州を敵に回したっていうのが、直弼の失敗ってことで話まとめます。

 あと関係ないけど、井伊直弼の肖像画の顔ってなんか石破総理に似てる気がする……。

発展途上国支援をすると逆に恨まれる

 また暑いので例によって朝から映画館言って「スーパーマン」を見てきました。全体の感想としてはテンポよく俳優の演技も十分で、ストーリーも比較的単純なので子供でも十分市長に耐える内容であり、傑作ではないものの見に行くには十分な作品という印象でした。
 その俳優ですが、悪役のレックス・ルーサー役をやったニコラス・ボルト氏の演技が際立ってよく、家に帰って調べてみたらマッドマックスで「こいつは俺の輸血袋だー!」と叫んでた彼でした。基本的に作品全体がハイテンションでエネルギーに溢れる作品ながらこの人のハイテンションぶりは一切負けておらず、それでいて終盤は脚本に恵まれたとはいえ静かな演技もこなしていて目を引いた俳優でしたが、やはり業界でも評価されていたようです。

 そんなレックスのセリフにスーパーマンを何故付け狙うかについて、「ちやほやされているお前への妬みだ」とはっきり言うシーンがありました。これ自体は悪役がよく言うセリフに見えますが、全体としてDC作品らしく政治色が強い作品であり、作中ではトランプっぽい俳優がロシア語で話したりするシーンも出てきます。それゆえ、このセリフもスーパーマンにというより米国そのものに向けられたセリフじゃないかと自分は思いました。

 かなり昔にこれも記事化していますが、20年くらい前に何かの評論で米国が嫌われる最大の原因は「嫉妬」だとしたうえで、国際支援といって周辺国に金をばらまきながら関係が一切改善しない日本もこういうところに原因があると指摘するコラムを読みました。はっきり言ってしまえば、国際資金援助をすればするほどその国には逆に恨まれると断言できます。
 この辺、日本もある程度反省しているのか近年は「人道支援」という表現で送金するのではなく設備や人員を直接送り、現地の人の目に見えたり触れられたりするような援助に切り替えてきています。こうした支援で白眉ともいえるのは、政府とは無関係ですがアフガニスタンのペシャワール会による現地の井戸掘削などの灌漑事業だと思え、先の中村哲医師の逝去はかえすがえすも惜しいものがありました。

 そんな上記知識もあったことから、同じくスーパーマンを見てきたとチャットで伝えてきた中国人の友人に上記セリフと考えを伝えた上で、「中国も最近アフリカ諸国へ派手に金を配っているが、恐らく一切感謝はされず逆に今恨みを買っている最中だよ」ということを教えてあげました。この辺の感覚ですが私が見る限り中国政府は一切理解できていないようで、自分らも散々日本から支援を受けながら日本に対するヘイトを高めてきたにもかかわらず、「人は、同じ過ちを繰り返す、全く……」的に繰り返しています。マジでこの辺、誰か教えてあげればいいような気がしますが、そういう人材、それこそ中村哲医師のような人がまだ中国にはいないってことなのかもしれません。

2025年7月11日金曜日

神話は誕生を、宗教は死後を詳しく語る


 今日お昼休みに何気なく上の記事を読んだのですが、「神道と仏教の違い」について芸人と神主の二足の草鞋を履く狩野英孝氏の以下のセリフが冒頭に引用されています。

「ぼくがよく言うのは、『始まりと終わり』ってこと。例えば、神社は子供が授かりますように、子供が生まれて新たなスタート、合格祈願、高校大学で新しくスタートしたい、商売繁盛、店をたてて新しく何かをスタートとか。何かスタートするのが神社にお願いすること。その方がいずれお年を召して、亡くなるでしょ? 亡くなったときにお寺に行ってお墓に入る」

 この解説を読んでみて、「奴さん、なかなかうまいこと言いやがるじゃねぇか」と無駄に江戸っ子っぽい感想を持つとともに、なかなか筋の通った面白い見方だと感じました。言われてみると確かに誕生祝や七五三なんかは神社でやって、葬儀や悪霊払いなどの儀式は寺でやること多く、神社は始まりを、寺は終わりを扱うなどと言ったことを考えてました。
 その際ふと、「いや待て、そもそも神話は世界や人類の誕生を詳しく語るのに対し、宗教は世界の破滅後や死後について語ることが多いのでは?」と、見出しに掲げた内容が頭をよぎりました。でもって考えれば考えるほど、この法則はかなり幅広くあてはまるようにも思えてきました。

 まず日本を例にとると、神話というのは日本神話こと古事記で、宗教はやはり仏教がメインです。古事記においては言うまでもなく日本というか世界がどのようにできたのかが最初に語られ、イザナミやイザナギがアメノヌボコでかき回して大地が作られ、天皇が空から降りてきて人類とかも生まれるみたいな解説がなされます。死後の世界についても一応は黄泉の国などについて少し語られはするものの、人間が死後どんなふうになるのかはあんま触れられていない気がします。

 一方、仏教はこの世界の誕生については間違いなくあまり触れません。そもそも輪廻転生を是とする世界観で、言うなれば今の世界は一つ前の崩壊後の世界が再生した後の世界であり、一番最初の誕生はどうだったかについてはそこまで詳しく語りません。一応、宇宙開闢については多少は説法もあるものの、どちらかといえば初めからそこにあったという語り口が強いような気がします。
 逆に、死後の世界についてはこれでもかというくらい詳しく説明されています。そもそも仏教自体が「死後に極楽浄土に行くにはどうすればいいのか?」が価値観の柱となっており、死後のために今生きてる現世をどう生きるかを説くことが思想的根幹にあるでしょう。そのため極楽浄土や地獄の世界観について詳しく描写するとともに、実際に過去に死んだ偉人らが死後どうなったかも色々取り上げられています。

 以上は日本での話ですが、ほかの国や地域もこうした傾向がみられる気がします。例えば西洋だと、ユダヤ教の旧約聖書ではアダムとイブに始まりノアの箱舟など、この世界の成り立ちがこれでもかっていうくらい詳しく書かれてあります。それがキリスト教の新約聖書になると、生前のイエスの言行も詳しいですが、むしろメインとなるのはその死後で、現在の布教においてもイエス死後の聖人らの活動が大きく語られるとともに、そうした聖人らが天国でどうなるかなどを含め死後の世界観についても詳しく語っています。
 同じ西洋においてはギリシャ神話もこの世の成り立ちというか、世界を司る神々の経歴がメインストーリです。地獄についての概念もありますが、大体ハデスがチョンボしたり悪さしたりするような話で、啓発的な意味合いは宗教と比べると弱い気がします。

 もう一つお隣こと中国で見ると、宗教に関しては日本と同じく仏教ですが、中国の神話となるとやはり道教です。この道教も盤古の死体が大地となって、伏犠や女媧が人間を作るなど世界の成り立ちに関してかなり詳しく説明しています。一方死後に関しては一番ぶっ飛んでるというか、「道教を修行すればいつか仙人になって無限に生きられるよ」という、死後の世界を否定するような価値観すらあります。
 一応、閻魔大王のもととなった泰山府君など地獄の概念とかもあるのでないわけじゃないんですが、それでもほかの教えと比べると死後についての言及はやはり仏教と比べ大きく劣ると感じます。

 こんな具合に、土着宗教こと神話ではこの世や人類の誕生を詳しく語るのに対し、後発の宗教は死後や世界消滅後についてやたら語る傾向がある気がします。特に後者は末法思想というか終末観を確実に持っており、なんていうか滅びの概念こそその教えの中心に据えているとすら感じます。
 なおこうした変化というか傾向は文明の発達に伴っている節があり、新興宗教ほど先の終末思想がそれ以前の宗教よりだんだん強まる傾向もあるのではないかと穿っています。

 では何故このようになるのかといえば勝手な意見としてそのまま述べると、原始的な世界において人間はまず「俺たちはどこから来たんだ?」という疑問が一番悩むトピックだったんじゃないかと思います。現代においても自分のルーツは何だろうかと疑問を持つことは珍しくなく、普遍的な悩みといえるトピックですが、特に自然科学の発達していない時代においては一番不思議に感じる点となり、その答えとして作られた神話では当然ながら誕生というかルーツが詳しく語られることとなるわけです。
 一方、ある程度文明が発達し、寿命以外の死亡率が下がってくると今度は「俺たちは死んだらどこへ行くのだろう?」が、一番悩むトピックになってきたんじゃないかと思うわけです。未発達の時代と比べると簡単には死ななくなり、前は生まれてくるのが不思議だったけど、今度は死んだ先がどうなるのかが不思議となっていき、こうした悩みに答えというか仮説を出していく過程で宗教というものが固まっていった、というのが自分の見方です。

 言うまでもなく、神話、宗教はともに人間というか集団を統合するために作られた思想的ツールという側面があります。価値観的に従わせる上で、多くの物が持つ悩みを快刀乱麻にアンサーを出すことは信じさせる早道であり、だからこそそれぞれが重きを置く点が時代の差から神話は誕生、宗教は死後になったのではないかというのが自分の仮説です。

 以上の考えに至ったのは本当に今日の正午に上記の狩野氏の発言が全部きっかけでした。実際、狩野氏の言葉は取りようによっては非常に深い含蓄を備えたものに思え、天然ボケが多い人だけどやっぱこうした思想に対する造詣は深いと思えました。
 それと同時に、神話と宗教の明確な差がまさに時間的な前後というか誕生と死にあるというのはかなり普遍的な傾向であるように思え、掘り下げたらもっと何か出てくるかもしれません。個人的にはかなり面白い発見をした気がして、今日はいい気分で寝られそうです。

2025年7月10日木曜日

消費税は今確かに下げるべきじゃないかもしれない

 前略、先日の「消費税を守る」という森山幹事長の発言を聞いたとき、消費税は一度下げたら再び上げ辛いってこともあるし言いたいことはわからないでもないものの、なんだよこのセリフと正直思いました。でもって代わりに2万円を配る件についても完全なバラマキ政策であり、だったら国民全員にお米券でも配れよという気がしました。そもそも中国にいて自分は2万円もらえないし(´;ω;`)ウッ…

 ただ昨日咄嗟に思い付いたというか、確かに今は何があっても消費税を下げるべきじゃないかもという気がしてきました。何故かというと米国のトランプ政権との関税交渉に影響する可能性があるからです。


 上の記事には4月に書いたものですが、あくまで可能性の話として述べると、トランプ政権が真に日本を含む諸外国に求めているのはこの消費税の撤廃である可能性があります。

 なんで他国の税制を要求してくるんだと誰もが思うでしょうが、上の記事でも書いたように米国には消費税という制度がそもそもなく、代わりに売上税というものが存在します。日本や中国を含め消費税制度がある国では他国へ輸出する製品に対し、国内でのその製品を完成させるまでの仕入やサービス購入で企業が支払った消費税を還元させるため、輸出時に消費税還付金が還付されます。細かい解説はほかのサイトを見てもらいたいのですが、この消費税還付の金額は輸出がメインの企業だと非常に大きく、トヨタグループなんかは払っている税金よりも還付される税金の方が多いとまで言われています。

 税制的に見れば決してこの制度、輸出製品に対し国内で価格に上乗せされた税金分のみを控除する制度であり、国際競争上で決して不公平なものではないのですが(輸出産業には有利だが)、どうも米国というかトランプはこの制度の仕組みを知らず、消費税還付のところにだけ着目し、他国は製品を輸出する企業に対し多大な補助金を出していると勘違いしている声が出ており、私もなんかそうなんじゃないかと疑っています。突き詰めればこの消費税還付という制度を潰すことがトランプ政権の目的なのではと思う節すらあり、皮肉な言い方ですが消費税制度というものが米国のヘイトを高めている可能性があるというわけです。

 さてそんな状況で日本が消費税率を弄ったらどうなるか。あくまで可能性論として、トランプ政権が「日本はトヨタへの補助金を減らした」などと勝手に行ってくるかもしれません。でもってこの日本の政策変更を自分の手柄だと主張し、日本は妥協し始めているがまだ足りない、公平にするため制度そのものをなくせなどとさらにまくし立ててくるのではと、昨日急に思いついたわけです。

 どちらにせよ、今この段階で消費税率を下げたら米国に間違ったメッセージを発信するかもしれないだけに、思い過ごしかもしれませんがあまり弄らない方が吉じゃないかと思ったわけです。そもそも私自身が財政規律派で増税にも容認する立場(中国にいてほとんど日本の税金払ってないが)でもあるためこのような意見にもなってきますが、消費税制度を国内だけの問題とは今は考えない方がいいとはっきり思います。
 もっとも、石破政権がここまで考えて消費税を守ると言っているわけでもないと思いますが。

2025年7月8日火曜日

石破政権の対米交渉の所見

 日本も猛暑が続いていて気温よりも湿度が高いのが辛いとネットに書いている人が多いですが、上海もこの前行きましたが最高気温が40度にもなると、湿気がなかろうが半端なくキツく、また冷房かけても全然温度下がんないため湿気どうこうはあんま関係なく、単純に気温の高さの方が問題だと思います。
 湿気があろうと気温が35度以下なら、エアコンで除湿かければめちゃ快適です。35度超えてくるとエアコン使っても辛く感じる。

 話は本題ですが本日米国のトランプ政権は日本に対しても追加関税を来月以降にかけると発表しました。この結果を受けて石破政権の対米交渉が議論されていますが、結論から述べると私自身はよくやっていると思え、少なくとも批判されるような点はないとすら考えています。

 まず今回の関税引き上げについて先週の段階で一部メディアが「日本は除外されるだろう」という報道をしていましたが、「私にはわかっていました」的に後出し孔明っぽくなるものの、上記のような観測をしたメディアは何を根拠にと若干疑問に感じていました。取り立てて交渉が進展していたわけでもなく、ベトナムや英国のように交渉に妥結したものの屈辱的な米国優遇条件を受け入れたわけでもないのに、何故日本だけが除外されるのか、まったく意味が分からない主張でした。
 そしたら案の定というか日本も引き上げらる方針が通知され、目の敵にされている中国とそんな大差ない関税率が現在予定されています。もっともTACOという言葉がはやっているようにまた直前で先送りされる可能性もあるだけに、実際に施行されるまではあんまどうこう言うべきじゃないでしょう。そもそも今回の発表でまた円安が進んでおり、企業が基準レートを1ドル120円くらいに設定しているのであれば、関税が25%上乗せされたとしても為替差益でほぼ相殺されるような状態なので、輸出企業もそこまでダメージは大きくない気もします。

 さてこんな事態を招いた石破政権と対米交渉を担当する赤澤大臣に対して批判も多く出ていますが、仮に別の政権や交渉担当者であっても、この結果は変わらなかったと思います。前述の通り交渉に妥結したのはベトナムと英国くらいで、見方によっては関税上乗せされるより厳しい条件をベトナムなんかは飲んでいます。日本が追加関税から免れるためにそのような条件を飲んでは元も子もないし、また存在すらしないアメ車に対する輸出規制が議論になる時点で日本側の主張の方が明らかに正しいだけに、交渉でどうにかなるようなもんじゃないでしょう。
 そのような話の分からない相手に対し、赤澤大臣は少なくともUSスチールに対する日鉄の買収協議を取りまとめ、大統領の承認を取り付けただけでも自分は大したものだと感じています。この点一つとってもむしろ誉められるべき功績だと思え、はっきり言ってしまうと対米交渉で石破政権を批判する人は目もなければセンスもないとすら思え、そのような人たちからは今後意見を聞く必要はないだろうとすら思います。

 その上で今後の対米交渉について自分の意見を述べると、前回にも書いたようにこのまま米国に阿りつつ様子見を続けるのが吉であり、凶にはまずならないと考えています。こう考える根拠としては、カナダやメキシコを筆頭に、最近だとブラジルも加わるなど米国に対する世界中のヘイトが高まっているのと、トランプが一番目の敵にしている中国があまり貿易でダメージを受けていない点を見逃すことはできません。
 若干統計について議論はあるものの、直近の統計でも中国の輸出は今のところ前年比プラスを維持しています。突然の対米関税引き上げが行われてからすでに数ヶ月経つものの、中国で暮らしていて自分もそこまで関税引き上げの影響を感じることはなく、街中でもこの点について話題になるというか気にする人すらほとんどいません。

 無論、自分がただ気づいていない可能性もあると思うものの、中国批判が大好きで普段から粗探ししていて、むしろお前中国好きなんじゃないのと言いたくなるような日系メディアすら直近の中国の貿易についてどこも触れていないあたり、少なくとも現状で目立った影響は出ていないのではと推測しています。何が言いたいのかというと、無理に米国と妥協する必要もなければ、関税引き上げられても意外と何とかなるんじゃないかってことです。
 特に日本は前述の通り、関税が引き上げられれば円安に振れてその影響をある程度相殺してくれるところがあるだけに、トランプの脅しに屈さず、無意味に日本政府を批判せずどっしり構えていりゃいいというのが私の見解です。

2025年7月6日日曜日

映画「ジュラシックワールド」と「F1」の感想

 最近友人と公開された映画の批評合戦を繰り返しているので、この土日も計二本の映画を見ることとなりました。1本目は最新の「ジュラシックワールド」ですが、一言で言えば終盤はスリリングな展開が良かったものの、全体としてはややチープ感溢れるB級ホラー映画っぽいノリで、これがあのジュラシックパークから続くシリーズ作品なのかと若干疑いました。

 細かく話してくと、主演のスカーレット・ヨハンソンは相変わらずいい動きしていて画面内でも存在感があるのですが、それ以外の俳優は若干棒気味で、恐竜の姿にややオーバーなリアクションで驚いたりするのが少し滑稽に見えました。むしろ、子役の女の子の方が演技良かった気すらする。
 また先ほどのB級っ歩差ですが、その大半は脚本に由来します。紙屑一つで全システムがダウンする研究所といい、話の展開的にどう考えても無理があるだろうと感じる場面が多く、もっとましな脚本なかったのかよと言いたくなります。ただあるおっさんキャラが序盤から終盤にかけて、死亡フラグを延々と埋めまくる展開は見ていて逆に笑えました。まるで死亡フラグを踏むためだけに生み出されたキャラに見えます。

 あと最後に気になったのは、主演のスカヨハは「コミュニケーションの一環」と称して共演女優の胸を毎回揉むセクハラおばさん的な人なのですが、映画見ていて「この女優も揉まれたのだろうか?」という点が気になってました。

 次に、今日朝からみてきたのはブラッド・ピット主演の「F1」です。こちらは対照的にというか非常に申し分のない出来で、あからさまに金のかかった映像と感じるものの、その金のかけ方が非常にいいというか臨場感のあるレース映像と音を作り出しており、個人的にかなり満足感のある作品でした。
 俳優の演技もブラピを筆頭にどれも良く、準主役の若手レーサー役のダムソン・イドリスもその役柄を見事に演じ切っていました。もっとも自分としてはオーナー役のバビエル・ダニエルの演技が一番うまいと感じましたが。

 映像に関しては前述の通り申し分なく、撮影が困難と思える映像も見事撮りきっており、レース中のキャラの表情から車の挙動など画面切り替えも素晴らしくよくぞ作ったものだと感じ入るほどでした。また音もレースさながらの重低音が響き渡り、たまたまかもしれませんが自分が入った映画館では重低音でシートが揺れました。

 脚本に関しては弱小F1チームでオールドレーサーが若手レーサーを指導していくというよくある展開ですが、戦車マニア垂涎の「フューリー」でも似たような立場を演じてましたが、ブラピはこうしたコーチ役が本当にうまくなっているというか板についています。彼自身もキャリア当初はイケメンアイドル的な役が多く、出世作の「セブン」ではモーガン・フリーマンに指導される若手刑事役を演じてましたが、今や若手を後押しする大御所としての役割が彼には求められている気がします。

 そんな具合ですごくお勧めな映画なのですが敢えて一つダメ出しをすると、この作品はヒロインもバツイチのオールドミスであるなど、出演者の年齢層が全体として高いところが気になりました。ブラピ自身も60代だし、そのほかのキャラもオーナーやオールドミス、スポンサー、若手レーサーの母ちゃんなど年齢設定の高いキャラばかりなため、準主役の若手レーサーがその若さと未熟さという点でやや悪目立ちしているように見えます。素人目戦ながら、F1チーム内スタッフのモブでもいいから一目で若いと感じるキャラを配置しておけばもっと違ったのではと思います。
 なおそのヒロインは調べてみたらマーブル映画のAIの声の人でした。こんな人だったとは(;´・ω・)




 そんな風に映画見終わった後は家でインプのワゴン作ってました。ハセガワのキットですがともかく寸法が合わないわマニュアルが間違っているわと作っててストレスがよくたまり、あんま楽しいキットじゃありませんでした。やっぱタミヤのが上だなぁ。

2025年7月5日土曜日

BGMのかけ方が秀逸なアニメ

 先週、夕食に日本食屋へ寄った際、たまたまそこで流れていたのがm.o.v.eの「Rage your dream」という曲でした。この曲ですが以前にあるネット掲示板で、「車で事故った時に頭に流れる曲は?」という問いに対し、満場一致でこの曲が挙げられていた曰くつきの曲です。


 一体なんでそんな物騒な曲扱いされていると、上の動画シーンのせいでしょう。この曲は元々レースアニメの「頭文字D」の主題歌で、劇中でレース中に事故るシーンでこんな風に使われています。何気にこのシーンですが頭文字Dの中でも自分が特に好きなシーンで、このシーンを初めて見たときは繰り返し再生して見返すほどはまり、また若干惰性で見ていたこの作品を「ほんまおもろいやんけ」と一気にのめりこむきっかけにもなったシーンでした。
 上記の通り「事故った時に頭の中で流れる」という人がほかにも多いことから、ほかの人にとっても印象深いシーンなのでしょう。

 そもそもというかこの頭文字D、全編を通してBGMのかけ方が特に秀逸なアニメ作品だと思え、少なくとも自分はこの作品以上にBGMのかけ方がうまい作品を見たことがありません。


 上の動画も同じくシーズン1のレースシーンですが、BGMがあるのとないのとでは全然見方が変わってくると思えるほどBGMが動画にマッチしていて、視聴者を大きく盛り上げている気がします。このシーンですがよくよく観察してみると、キャラクターが会話するシーンではBGMの音量が一段落ちていて、会話が途切れる箇所付近で曲が一番盛り上がるサビ部分に入るなど、非常に計算された構成となっています。またBGMが大きくなるシーンは必然的に車の挙動が主役となり、スキール音なども大きく入るなどして視聴者をより音に集中させるようにも意図的になされていると感じます。誰が考えたか知りませんが、よくこんな風に作ったもんだ。

 以上の2シーンに限らず、頭文字DはレースシーンのBGMのかけ方が非常に優れており、この作品の魅力の半分近くをBGMで稼いでいるとすら思います。実際、頭文字Dのヒットをきっかけに日本でユーロビート系の曲が一時復権したとも聞きます。原作ももちろんすごい作品ですが、その人気をより高めたのはやはりアニメスタッフの努力もあってだと感じます。

 逆を言えば、BGMのかけ方は作品の良し悪しを大きく左右する要素にもなると思います。たまたまですがこの前見たゲーム解説動画で、「弟切草」でサウンドノベルというジャンルを開拓したチュンソフトの解説があったのですが、開発者はプレイヤーに臨場感を持たせる上で音が非常に重要だと考え、この作品を作ったそうです。
 実際、この「弟切草」にしろ次作の「かまいたちの夜」にしても、SEとBGMがともに非常に優れており、またかけるシーンやかけ方も当時の他のゲーム作品と比べてひときわ優れていました。「かまいたちの夜」の曲なんかは当時のニュース番組でよく使われており、評判良かったです。

 なお自分が一番好きなのはこちらの「Introduction」で、一部のエンディングで流れた際も使い方が非常に効果的だったと感じます。

 個人的意見で述べると、アニメ以上にゲームの方がBGMの影響が強いという気がします。かけ方ひとつで臨場感が全然違うし、SEとかもしょぼいともろに影響します。最近の作品はどうなのかわかりませんが、もう一つ上げるとしたら曲自体の良さもあって「ロマンシングサガ ミンストレルソング」も音の使い方が非常にいい作品だったと記憶します。最初に「熱情の律動」聞いたときはすごいショック受けたくらいだし。