この前に上司とした会話に、「中国人ってやたらフード被りたがるよね(室内でも)」という一言があったのですが、その際に「アサシンクリード」という単語を思い浮かべていたことは口にしませんでした。フードっつったらもはやこれでしょ。
話は本題に入りますがその上司とは別の機会に、
「そういや蛇頭(じゃとう)って最近どうしてるんすかね?」
「だよね。最近聞かないよね」
というのもあり、ちょっと気になる意味も込めて今日記事にします。
・蛇頭(Wikipedia)
蛇頭についてはその上司に限らず、その前にも中国に詳しい人とも話題になり、何故か二人して「あいつらどこいったんだ?」と軽く盛り上がりました。そもそも蛇頭とは何なのかですが、端的に言って福建省辺りを中心とした中国マフィアで、主なシノギは人身売買を含む密航ブローカーと言われている組織です。現代において日本で中国マフィアといったら中国残留孤児二世や三世を中心に形成された「怒羅権(どらごん)」が最も有名ですが、90年代末辺りで中国マフィアといったら誰が何と言おうと蛇頭しかなく、新宿歌舞伎町周辺を題材に取ったルポや小説、漫画には必ずと言っていいほど彼らが登場していました。
なお自分が読んだルポだと、作者とタイトル忘れちゃいましたが取材者が蛇頭の構成員に飯屋で取材してたら突然テーブルに置いていた時計にナイフを突き立てられて、「あんま火遊びするなよ」的なこと言われたりしてて、なんや中国人ってこわそやなぁと思った十五(当時中三)の夜でした。
話を本筋に戻しますが、蛇頭というのは一応は中国マフィアって括りですがその実態については諸説あり、日本の山口組の様にトップが強い権力を持つ上意下達のがっちりした組織ではなく個々の反社会組織がシノギのために緩い連帯で連合を組んでいる組織ではないか見られています。そのため蛇頭に属す、かかわりのある組織や構成員はどれだけいるのかわからず、実態としては組織ではなく業界団体的なものではという見方が強いです。
その蛇頭が日本で一番話題に上がっていた時期は上記の通り90年代末の頃で、場所も上記の通り新宿歌舞伎町周辺でした。具体的に蛇頭が何をしていたのかというと中国人の日本への密航斡旋で、日中の賃金格差が今とは比べ物にならないくらいの時代もあって日本でしこたま稼ごうとする中国人密航者を日本へと運び仕事を斡旋し、稼いだ金を日本へ送るという頭の先からしっぽまでをカバーするフルな密航サービスを展開していました。
密航者を扱うということから基本ブラックなことに関わることが多く、特に大きいのだと殺人の請負というのもあったそうで、密航者にわずか数万円の報酬を渡す代わりに日本人(主に暴力団)から依頼を受けてターゲットを殺害させるということもよくやってたそうで、これには日本の暴力団も、「あいつら常識がなくやることなすこと無茶苦茶だ」と相当まいってたそうで、当時の裏社会系ルポではよく蛇頭を含む中国人マフィアについて「黒船」と表現し、組の垣根を越えて奴らに対抗しようなどと明治維新みたいな論調で「日本(の裏社会)を外敵から守れ」と書かれてました。なんていうか今こうして書いててすごく懐かしい。
しかし、そうした蛇頭を含む中国人マフィア関連の話は大体00年代中盤辺りからほとんど聞かれなくなりました。一番大きな要因だと考えられるのはやはり暴対法の思考で、中国人マフィアはおろか日本の暴力団も厳しく規制されたことにより活動し辛くなったというのが何よりも大きいでしょう。そしてもうひとつ考えられる要因としては、中国が急速な経済成長を遂げたことによって国内でもそこそこ収入が上がり、日中の賃金格差も劇的に縮まり、単純に日本へ密航してくる旨味がなくなってしまったことから自然消滅したのではないかと私は睨んでいます。
とはいえ、いなくなったらいなくなったで寂しいというかあんだけ一時期ブイブイ言わせてたのに今だと本当にもういなくなったのかと気になります。そんなこともあって最近やたらと、「蛇頭ってどうしてるのかな」と周囲に聞きまわっているのですが、傍から見るとやっぱ変な人に見られてそうです。
そこで、日本国内の情報はこの際置いといて本国である中国ではどうなのか先程調べてみたところ、いくつかヒットするニュースがありました。それらニュースによると一応まだ健在だそうで、韓国へ中国人不法就労者を送ろうとしたり、港湾付近の違法案件で捕まった中に蛇頭関係者数人が混ざっていた等と報じられるている中、少し気になったのは「欧州内の難民移動で蛇頭が50億米ドル儲けている」というニュースもあり、この辺はさすが密航ブローカーなだけあるというか日本を飛び越えワールドワイドに活動している模様です。
しかし、全体としてはこういう蛇頭関連のニュースはやや少ないように感じました。「蛇頭」と検索してもマフィア関連でヒットするのはわずかで、大半は「草むらから突然蛇の頭が飛び出してきた」とか、「蛇の頭を切り落とした後で胴体が動いてびっくり!」みたいな生物としての蛇関連のニュースが多く、期待してたより蛇頭の実態に迫るような報道や解説はありませんでした。
マフィアが減るってことはもちろん素晴らしいことですが、減ったのではなく目に見えなくなっただけであれば逆に危険です。そういう意味でこうした方面の情報にはたまに気を配る必要があると思うと共に、文字通り命はってこういう裏社会ネタを取材する記者たちには強い敬意を覚えます。自分なんて絶対こういう取材はやりたくないし、ネット使ってちまちまデータ弄る取材の方が性に合っています。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年11月29日火曜日
2016年11月28日月曜日
美濃加茂市長の高裁逆転有罪判決について
年休消化のため今日から、というより一昨日から丸まる一週間休みな上に、ビザ更新のために必要な住所証明を今日ようやくGET出来てテンションが変な感じに上がり頭痛を起こしてました(多分寝過ぎが原因、土曜は12時間寝てた)。っていうか長寧区はすぐ住所証明ぽんとくれるのに閔行区は何故ああも厳しいんだろうか。
そんな感じでちょっと精神的におかしいからブログ書くのやめようかなと思っていた矢先、また大きなニュースが来たもんです。
・美濃加茂市長に逆転有罪=贈賄供述「信用できる」-浄水設備汚職・名古屋高裁(時事通信)
よくもまぁこんな判決出せたものだと呆れる一方、もし仮に日本にいたら徒党を引き集め名古屋高裁に抗議デモへ繰り出していたところです。もっとも私が声かけても一人も集まらないでしょうが。
この美濃加茂市長を巡る裁判については過去にもこのブログで記事にしていますが、誰がどっからどう見たって冤罪でこれが有罪となるならこの世でなんでも有罪にできてしまうかのような杜撰極まりない事件です。市長が逮捕されること自体おかしかったですが一審ではさすがにまともというか常識的に判断されて無罪になりましたが、今回は上記の報道の様に執行猶予付きとはいえ有罪となり、決して誇張ではなく真面目な話、この判決を下した裁判官と検察官は業務に支障をきたすレベルの判断力しか明らかに持ち合わせていないため直ちにやめさせるか、社会的に抹殺するかした方がいいと思いますマジで。
一審の審議内容についてはもう語りつくしてこれ以上語りたくもないのが本音なので二審のおかしな点についてだけ述べますが、結論から言ってひとつ、一審の段階から何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審で否定された贈賄者とされる詐欺師のおっさんの与太話が二審では真実と認められた点です。
そもそもの証言内容自体が胡散臭い上に供述内容も二転三転(例:二人で会った→実は三人で会った)している時点でまともに耳貸す馬鹿はカスだとわかるのですが、一審で真実と認められなかったのが二審で改めて真実だと認めるに至った証拠や説明が全くされていません。これは論理から言ってもおかしなことこの上なく、決して日本の司法は元からまともではありませんが、それにしてもここまでおかしな判断となると私の中では御殿場事件くらいしか浮かびません。
それにこの事件の論法で行けば、「金を渡した」といえば渡ったお金が存在しなくても誰でも有罪にできかねません。試しに私も今回の判決を下した裁判官と捜査した警察と検察官に「有罪にしろと言って金を渡した」とでも言ってみようかなと思くらい奇妙な判決で、藤井美濃加茂市長に置かれましてはここでくじけず、最高裁までどうか頑張ってもらいたいというのが私の意見です。
そんな感じでちょっと精神的におかしいからブログ書くのやめようかなと思っていた矢先、また大きなニュースが来たもんです。
・美濃加茂市長に逆転有罪=贈賄供述「信用できる」-浄水設備汚職・名古屋高裁(時事通信)
よくもまぁこんな判決出せたものだと呆れる一方、もし仮に日本にいたら徒党を引き集め名古屋高裁に抗議デモへ繰り出していたところです。もっとも私が声かけても一人も集まらないでしょうが。
この美濃加茂市長を巡る裁判については過去にもこのブログで記事にしていますが、誰がどっからどう見たって冤罪でこれが有罪となるならこの世でなんでも有罪にできてしまうかのような杜撰極まりない事件です。市長が逮捕されること自体おかしかったですが一審ではさすがにまともというか常識的に判断されて無罪になりましたが、今回は上記の報道の様に執行猶予付きとはいえ有罪となり、決して誇張ではなく真面目な話、この判決を下した裁判官と検察官は業務に支障をきたすレベルの判断力しか明らかに持ち合わせていないため直ちにやめさせるか、社会的に抹殺するかした方がいいと思いますマジで。
一審の審議内容についてはもう語りつくしてこれ以上語りたくもないのが本音なので二審のおかしな点についてだけ述べますが、結論から言ってひとつ、一審の段階から何も新たな証拠や証言が出ていないにもかかわらず一審で否定された贈賄者とされる詐欺師のおっさんの与太話が二審では真実と認められた点です。
そもそもの証言内容自体が胡散臭い上に供述内容も二転三転(例:二人で会った→実は三人で会った)している時点でまともに耳貸す馬鹿はカスだとわかるのですが、一審で真実と認められなかったのが二審で改めて真実だと認めるに至った証拠や説明が全くされていません。これは論理から言ってもおかしなことこの上なく、決して日本の司法は元からまともではありませんが、それにしてもここまでおかしな判断となると私の中では御殿場事件くらいしか浮かびません。
それにこの事件の論法で行けば、「金を渡した」といえば渡ったお金が存在しなくても誰でも有罪にできかねません。試しに私も今回の判決を下した裁判官と捜査した警察と検察官に「有罪にしろと言って金を渡した」とでも言ってみようかなと思くらい奇妙な判決で、藤井美濃加茂市長に置かれましてはここでくじけず、最高裁までどうか頑張ってもらいたいというのが私の意見です。
2016年11月27日日曜日
創業家列伝~宗次徳治(壱番屋)
ココイチでおなじみのカレーチェーンの壱番屋を創業した宗次徳治氏は1948年の生まれで、出身地は石川県とされています。宗次氏が語る最も古い記憶は四歳か五歳の頃に母に手を引かれて夜逃げするところというのっけからデンジャラスなシーンから始まるのですが、それからしばらくして父親のDVに耐えかねた母親は出ていき、子育てを全く省みようとしない競輪狂いの父親と二人で過ごすこととなります。
当時について宗次氏は、父親からは食事の世話をしてもらうこともなくもっぱら学校の給食を主要な栄養源として、どうしてもお腹がすいた時は河原で草を食べるという毎日を過ごしてたそうです。その父親も生来の荒れた性格から何度も住居を引っ越すというか夜逃げしており、当初は宗次氏に同情した周囲の人も段々と避けるようになっていったそうで、その父親からは宗次氏も何度も折檻を受けていたと話しています。
もうこれだけでも十分物語が成立する宗次氏の人生ですが、十五歳の頃に高校入学準備のため戸籍謄本を取り寄せた時、自分が養子であったという事実を初めて知ります。それまで宗次氏は自分の名前を「基陽(もとはる)」と思っていましたが実の名は「徳治」で、実の両親の名前は全く身に覚えのない名前だったそうです。
この時、胃癌で入院していた父親に話を聞くと三歳の頃に孤児院から引き取ったという事実を明かし、名前を変えた理由は「ギャンブルで負けが続いていたから」ということも教えてもらいました。その時について宗次氏は、「お前はもらってきてやったんだ」とよく言われていたのは事実だったんだなと思ったそうです。なんていうか、ツッコみどころそこなんだという風に思える言葉ですが。
実の両親の存在を知った宗次氏ですが、その両親を探そうという気持ちは全く出てこなかったそうです。本人曰く、出生に関心がなかったそうで、養父の入院、そして死去後は養母と暮らし、高校卒業後は名古屋の不動産販売会社に就職しました。そして結婚後、独立して不動産仲介業を営みだしたころ、奥さんと話し合い事務所近くで喫茶店を運営することにしました。運営は奥さんにまかせるつもりでしたが初日に手伝ったところ、「こっちのが面白いじゃん」と思うに至ったそうで、翌日にはもう不動産業をやめてしまい喫茶店専業で働きだすことにしました。
喫茶店業について宗次氏は、名古屋喫茶店ではモーニングサービスが無料で盛り沢山ついてくる文化があるにもかかわらず経営した「バッカス」という喫茶店では一切そういうのはやらず、小皿のピーナッツにすら30円のお金を取る料金形態としたそうです。これには客から文句が来るどころか銀行の融資担当からも反対されましたが、お客専用のカップを保管しておく「マイカップサービス」などほかのサービス面で差をつけ、開店から十ヶ月後にはもう二店舗目をオープンするなど繁盛したそうです。
そうして喫茶店を経営するうち、奥さんが作っていたカレーを提供してみたところこれがまた売れに売れたので、相変わらずの切り替えの早さというかすぐまた「カレーハウスCoCo壱番屋」を作ってカレー専門店を経営するに至ります。この「ココイチ」で画期的だった点はご飯の量はおろかルーの辛さも五段階で選べるようにして、それをきちんと料金に反映させたことだと宗次氏自らが胸を張って述べていますが、さすがに当時は生きてはいなかったのでほかのカレー屋はどうだったのかわかりますが、現在ではこうしたココイチのオーダーシステムがカレーチェーンにおいてスタンダードになっていることを考えると確かに画期的だったのではと思う偉大な一歩です。
ただココイチ一号店はオープンさせたものの、宗次氏曰く、「一日の売上げが六万円を越えたら二号店を出そうと思っていたのだがk路絵が大変な苦労だった」と述べ、二号店が出せたのはそれから一年後だったそうです。一年で二店舗目を出す辺り相当早いと思うのですが、この人のスピード感覚じゃそれでも遅かったのでしょう。この辺にやっぱ元不動産屋らしい臭いを感じます。
その後あれよあれよといううちに世界規模でココイチは拡大を続け、あまりの忙しさに子供の口に哺乳瓶突っこんでから家を出たこともあったそうでこの時のことについて、「危ないことをしていた」と語る辺りなんとなく余裕が感じられます。ただ、ココイチが拡大する中にあっても徹底的な現場主義的意識を持っていたとのことで、店舗に寄せられる「お客様の声」は毎日全通を宗次氏が読んでいたそうで、一日千通を超えると三時間以上かかるから朝五時に出社して読んでいたというエピソードまであります。
宗次氏についてはその激しい少年時代を送っていたこともさることながら、個人的には各インタビューでまるで他人事のように話すのが特徴的だと感じます。普通、こういう苦労話は多かれ少なかれ自慢めいて苦労したことが強調されるのですが、各雑誌などに寄せられるインタビュー記事を読んでも全くそうした話し方はせず、淡々と語っているのが非常に不思議に感じます。
そうした淡々とした、というよりは拘泥しない姿勢は経営引継ぎにも現れており、株式上場を決めた1998年に社長から会長に移った際の後釜の社長には奥さんがなりましたが、2002年には二号店のオープン時に19歳でアルバイトで入ってきた現社長(浜島俊哉氏)に社長職を引き継がせ、完全に経営から身を引いています。普通こういう会社の場合、自分から子供へ直接引き継ぐパターンが多いのですが、実際の行動としては全くそうした行動はとられておらず、上にも書いた通り全くこだわりというものがこの人には見えません。
経営者としては上でも少し書いたように、桁違いの体力とスピード感はまさしく昭和の一代創業型経営者の典型といえるものでしょう。高度経済成長期に出発しているとはいえ不動産やから喫茶店、喫茶店からカレー屋へと至る過程は非常にスピーディで、なおかつ店舗拡大の速度も明らかに異常です。更に言えばその後の90年代以降の不況期にあっても競争激しい外食業界の中で着実に成長を続けたその手腕は見事というよりほかありません。
なお家族についてですが、なんでも一昨年に知らない司法書士から連絡があり、遺産相続放棄を求められたそうです。その時になり実の父親が死んだことを初めて知ったそうですが、言われるままに放棄したそうです。
最後にどうでもいい余談ですが、ココイチは中国でも出店しておりますが以前に記事で書いたように中国でも味は全く同じでかえって不気味さを覚えます。最近は行っていないのですが、日本で最後にココイチ行ったのは2013年の7月辺りで、当事無職でプータローしてたので自転車で行ってなんとなくいつもより店内で居心地悪かったのを何故か覚えています。頼んだのは野菜カレー(3辛)だったと思いますが、味はやっぱり上海の店と同じだなー、早く職見つけたいとか思いながら食ってました。
当時について宗次氏は、父親からは食事の世話をしてもらうこともなくもっぱら学校の給食を主要な栄養源として、どうしてもお腹がすいた時は河原で草を食べるという毎日を過ごしてたそうです。その父親も生来の荒れた性格から何度も住居を引っ越すというか夜逃げしており、当初は宗次氏に同情した周囲の人も段々と避けるようになっていったそうで、その父親からは宗次氏も何度も折檻を受けていたと話しています。
もうこれだけでも十分物語が成立する宗次氏の人生ですが、十五歳の頃に高校入学準備のため戸籍謄本を取り寄せた時、自分が養子であったという事実を初めて知ります。それまで宗次氏は自分の名前を「基陽(もとはる)」と思っていましたが実の名は「徳治」で、実の両親の名前は全く身に覚えのない名前だったそうです。
この時、胃癌で入院していた父親に話を聞くと三歳の頃に孤児院から引き取ったという事実を明かし、名前を変えた理由は「ギャンブルで負けが続いていたから」ということも教えてもらいました。その時について宗次氏は、「お前はもらってきてやったんだ」とよく言われていたのは事実だったんだなと思ったそうです。なんていうか、ツッコみどころそこなんだという風に思える言葉ですが。
実の両親の存在を知った宗次氏ですが、その両親を探そうという気持ちは全く出てこなかったそうです。本人曰く、出生に関心がなかったそうで、養父の入院、そして死去後は養母と暮らし、高校卒業後は名古屋の不動産販売会社に就職しました。そして結婚後、独立して不動産仲介業を営みだしたころ、奥さんと話し合い事務所近くで喫茶店を運営することにしました。運営は奥さんにまかせるつもりでしたが初日に手伝ったところ、「こっちのが面白いじゃん」と思うに至ったそうで、翌日にはもう不動産業をやめてしまい喫茶店専業で働きだすことにしました。
喫茶店業について宗次氏は、名古屋喫茶店ではモーニングサービスが無料で盛り沢山ついてくる文化があるにもかかわらず経営した「バッカス」という喫茶店では一切そういうのはやらず、小皿のピーナッツにすら30円のお金を取る料金形態としたそうです。これには客から文句が来るどころか銀行の融資担当からも反対されましたが、お客専用のカップを保管しておく「マイカップサービス」などほかのサービス面で差をつけ、開店から十ヶ月後にはもう二店舗目をオープンするなど繁盛したそうです。
そうして喫茶店を経営するうち、奥さんが作っていたカレーを提供してみたところこれがまた売れに売れたので、相変わらずの切り替えの早さというかすぐまた「カレーハウスCoCo壱番屋」を作ってカレー専門店を経営するに至ります。この「ココイチ」で画期的だった点はご飯の量はおろかルーの辛さも五段階で選べるようにして、それをきちんと料金に反映させたことだと宗次氏自らが胸を張って述べていますが、さすがに当時は生きてはいなかったのでほかのカレー屋はどうだったのかわかりますが、現在ではこうしたココイチのオーダーシステムがカレーチェーンにおいてスタンダードになっていることを考えると確かに画期的だったのではと思う偉大な一歩です。
ただココイチ一号店はオープンさせたものの、宗次氏曰く、「一日の売上げが六万円を越えたら二号店を出そうと思っていたのだがk路絵が大変な苦労だった」と述べ、二号店が出せたのはそれから一年後だったそうです。一年で二店舗目を出す辺り相当早いと思うのですが、この人のスピード感覚じゃそれでも遅かったのでしょう。この辺にやっぱ元不動産屋らしい臭いを感じます。
その後あれよあれよといううちに世界規模でココイチは拡大を続け、あまりの忙しさに子供の口に哺乳瓶突っこんでから家を出たこともあったそうでこの時のことについて、「危ないことをしていた」と語る辺りなんとなく余裕が感じられます。ただ、ココイチが拡大する中にあっても徹底的な現場主義的意識を持っていたとのことで、店舗に寄せられる「お客様の声」は毎日全通を宗次氏が読んでいたそうで、一日千通を超えると三時間以上かかるから朝五時に出社して読んでいたというエピソードまであります。
宗次氏についてはその激しい少年時代を送っていたこともさることながら、個人的には各インタビューでまるで他人事のように話すのが特徴的だと感じます。普通、こういう苦労話は多かれ少なかれ自慢めいて苦労したことが強調されるのですが、各雑誌などに寄せられるインタビュー記事を読んでも全くそうした話し方はせず、淡々と語っているのが非常に不思議に感じます。
そうした淡々とした、というよりは拘泥しない姿勢は経営引継ぎにも現れており、株式上場を決めた1998年に社長から会長に移った際の後釜の社長には奥さんがなりましたが、2002年には二号店のオープン時に19歳でアルバイトで入ってきた現社長(浜島俊哉氏)に社長職を引き継がせ、完全に経営から身を引いています。普通こういう会社の場合、自分から子供へ直接引き継ぐパターンが多いのですが、実際の行動としては全くそうした行動はとられておらず、上にも書いた通り全くこだわりというものがこの人には見えません。
経営者としては上でも少し書いたように、桁違いの体力とスピード感はまさしく昭和の一代創業型経営者の典型といえるものでしょう。高度経済成長期に出発しているとはいえ不動産やから喫茶店、喫茶店からカレー屋へと至る過程は非常にスピーディで、なおかつ店舗拡大の速度も明らかに異常です。更に言えばその後の90年代以降の不況期にあっても競争激しい外食業界の中で着実に成長を続けたその手腕は見事というよりほかありません。
なお家族についてですが、なんでも一昨年に知らない司法書士から連絡があり、遺産相続放棄を求められたそうです。その時になり実の父親が死んだことを初めて知ったそうですが、言われるままに放棄したそうです。
最後にどうでもいい余談ですが、ココイチは中国でも出店しておりますが以前に記事で書いたように中国でも味は全く同じでかえって不気味さを覚えます。最近は行っていないのですが、日本で最後にココイチ行ったのは2013年の7月辺りで、当事無職でプータローしてたので自転車で行ってなんとなくいつもより店内で居心地悪かったのを何故か覚えています。頼んだのは野菜カレー(3辛)だったと思いますが、味はやっぱり上海の店と同じだなー、早く職見つけたいとか思いながら食ってました。
2016年11月26日土曜日
かつて努力した日々
今度名古屋に左遷されたうちの親父が上海に来る際、親父の東京勤務時代の元部下とも会うこととなりました。その元部下の名前を見た際、「ああ、あの修正液の人か」と一目見て思い出しました。
事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。
親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。
多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。
なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。
事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。
親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。
多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。
なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。
2016年11月25日金曜日
金日成暗殺部隊に関する辺真一氏の気になる記事
・韓国映画「実尾島事件」は再現されるか 「金正恩暗殺部隊」派遣の可能性(Yahooニュース)
少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。
『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』
この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。
・実尾島事件(Wikipedia)
シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。
その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。
上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。
事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。
少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。
『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』
この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。
・実尾島事件(Wikipedia)
シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。
その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。
上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。
事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。
2016年11月24日木曜日
悪目立ちしたい人たち
この前書いたゲームレビューで、「声聞いただけでマジ背筋凍った」と評した声優の能登麻美子氏についてちょっと調べたところ、「この人が童謡歌うとマジ怖い」と言われていたそうで、実際上のラジオで収録された能登氏の童謡聞いたところ本気で怖かったです。携帯の着メロにしたいんだけどMP3とかで出してもらえないかな。
そんな能登氏についての言及が続きますが、上の画像は2004年にプロ野球の近鉄球団売却騒動の際に買収に名乗りを上げたライブドアが、買収後の球団名をネット上で募集した際の後の祭りです。インターネット投票ということもあって不正投票が集中し、1位は何故か当時勢いあった北朝鮮から日本に定住した元米兵のジェンキンス氏の名前が入り、2位には買収で争った相手の楽天の名前が入り、そして4位に能登麻美子氏の代名詞である「能登かわいいよ能登」が入っていて、なにこれと当時思って調べたことが私が初めて能登氏を知るきっかけとなりました。
見方を変えれば、この2004年からすでに十年以上も経過するにも拘らず能登氏は未だ声優業界で引手数多で活躍し付けていることになり、まぁ色々と凄い人だなと改めて思います。それにしても18位の「仙台・オブ・ジョイトイ」って懐かしいな、確か真鍋かをり氏はコオロギの死骸の写真と共に「コオロギ・オブ・ジョイトイ」ってブログにアップしてたけど。
話は急転直下で変わりますが、能登氏が十年以上も声優として活躍し続けた一方、先の買収騒動で主役であった元ライブドア社長の堀江氏は、この十年の間にフジテレビ買収騒動を起こしたり、小菅ヒルズに収監されたりと浮き沈みの激しい時期を経由し、現在はテレビのコメンテーターとして出る機会が増えてると聞きます。ただテレビに出演した際のコメントを聞いてると割と世間からは反発されることのが多いように見え、具体例を挙げるとジャパネットタカタについて、「情報弱者を騙して食い物にしている」といったりなど、私に限らずお前がゆうなと言いたくなるような発言が多いです。
あくまで私個人の見方で言わせてもらうと、堀江氏的にはそういう風に思われて大満足なのではないかという気がします。というのも彼の言動や態度を見ると人から好かれたいというよりは人を怒らせて、「俺はお前らとは違うんだよ」みたいに思って自己満足したがってるように見え、端的に言えば悪目立ちしたがっている人だと思います。私が見る限り彼にはそれほど教養も確固とした信念も感じられず、特に理由なく世間の一般の見方とは敢えて逆のこと、人が誉める対象を貶し、人が貶す対象を誉めるようなことをして目立ちたいだけではというふうに見ています。
もう一人こういう傾向が激しいと感じる人物として、自称漫画家の江川達也氏もこの類でしょう。手塚治虫についてはかねてから「漫画を駄目にした」などと口汚く罵っており、最近も大した根拠を挙げることなく映画「君の名は」を全否定したりと、信念や考えなど初めからなく人が賞賛するものを敢えて批判するだけのスタンスだと私は見ています。そんなんだからマスコミとかこんな何も考えてない目立ちたがり屋みたいな連中取り上げるなと内心言いたいわけですが今だに二人ともよくテレビとかに出演しているとのことで、かなり昔に「職業:江川達也が画面に映る度に舌打ちをする係」と堂々と書いた漫画家の平野耕太氏は時代を先取りしていたなと思うわけです。
なお平野氏は一時期ブログで、「江川達也が麻原彰晃に間違えられていきなり一審で死刑判決即執行となり、裁判所に死刑台がパカっと現れが本人は、そんなことはないでしょおなどとへらへら笑ってて……」というような下りをなんかの例えとして用いており、漫画もさることなら文才も凄いなと当時思いました。
2016年11月23日水曜日
電気自動車の提携で孤立するホンダ
・中国のEV市場が驚くほど急拡大した理由 日本はEV冷遇国?支援策で先行する中国(JBpress)
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
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