かねてからいろいろ問題や不備の多い日本の年金行政ですが、今年は死んでいたにもかかわらずその死を隠して年金を不正に受給していたという問題が起こり納税者からは大いに顰蹙を買うこととなりました。この年金の不正受給問題が発覚した際、主に年長者の方々から、「日本にはまだ武士道というものがあるのに、こんな問題が起こるとは……」と、かつての日本人と比べてモラルが低下していることを嘆くようなコメントを多く見かけたのですが、こうした声に対して私の知恵袋でおなじみの「文芸春秋」より面白いコラムが寄せられていました。
そのコラムを書いたのは歴史学者の氏家幹人氏で、氏家氏によるとなんでも江戸時代に書かれた書物に当時の武士階級においても今回の年金の不正受給と同じように役付きの武士が死んだ際、家族はその死んだ武士を病気だとお上に届けることで死後も一定の期間は俸給を受け続け、お上もお上でこれまで頑張ってきてくれたんだしということでこの不正受給をわかっていながら黙認し、ほぼ習慣化されていたそうです。
そういう意味では先ほどの「日本には武士道が……」というくだりは案外に伝統的なもので、今回の年金の不正受給も今に始まったことではないと氏家氏はまとめております。
これは私の恩師の言葉ですが、そもそも日本人は何かと都合良く武士道という言葉を多用するが、元来武士道というものは非常に曖昧な概念であってそれほど重厚な価値観を持つ気高いモラルではないと話していました。私自身も武士道という言葉はなにかこう、今回のように悪い行いを批判する際によく使われるように感じ、実態的には江戸時代を含めて実践された概念や行為というよりは理想とされた概念のような気がします。
この手の話をするとよく「葉隠」という書物に記された、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉が引用されますが、この言葉自体どこか現実離れしている感が否めず、本当に命懸けるのかよと中学生ではないですが聞きたくなるようなフレーズです。また武士道の基本とされる「御恩と奉公」についても上流武士階級は大した仕事もせずに三日に一日だけ働くことで給料もらえる特権階級であって、主君への忠誠のために動くというより自らの権益を守るために藩のため働いていた節があるのではないかと私は考えています。
ここで結論を申せば私は武士道というものは偶像化された概念であって実践されてきたわけでなく、今も何かしらモラルの向上などに寄与しているわけではないと考えています。だからといって日本人のモラルは低いというつもりはなく世界的にも非常に高くて誇れるモラルだと思っていますが、そのモラルが出来上がった理由はまだ議論の余地はありますが、物質的に豊かであることと高い教育レベルの賜物ではないかと思います。
ただ近年はモラルの低下があちこちで叫ばれていますが、物質的な豊かさはさすがにバブル期よりは落ち込んでいるもののそれを補うほどインターネットやサービスといったインフラが向上しているので、私は主原因は教育レベルの低下が怪しいんじゃないかと睨んでます。まぁいい大学出てても嫌な奴はどこにでもいますが、何か社会全体で後ろ指をさす行為が減ってきているような気は確かに私もします。
おまけ
モラルについてですが、自分に限ればプライドを強く意識することが自分のモラルの維持に一番貢献しています。このプライドというのは言い方を変えれば他人と自分を区別しようとする考え方で、「ブックオフで立ち読みする奴らと俺は違うんだ!」などと一人ごちては度々まとめ買いに走っています。古本買うより新刊買えよと自分でもたまに突っ込みますが。
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