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2010年10月8日金曜日

三国志における各軍師の役割

 現在テレビ東京では「最強武将伝 三国演義」というアニメが毎週日曜日に放映されており、自他共に認める三国志マニアの私としては絶対に外せないと毎週見ています。このアニメを見ていてつくづく感じるのは、キャストを見るとただ単に私が無知なだけかもしれませんがほとんど名前の知らない方が声優をしており、恐らくでしょうが主役の劉備役をやっている船越英一郎氏を初め専業役者の方が声優をしているのかと思います。でもって放映を見ると皆さん実にいい声の演技をしており、最近では専業で声優をやられる方も少なくないのですが、やっぱり餅は餅屋なんだなぁと思ってしまいます。

 そういったことはさておき、三国志では伝説の人物と言ってもいい諸葛亮を始めとした様々な軍師と呼ばれる人物が登場します。軍師とはどんな人たちかといえば主君に対してあれこれ助言する人を誰もが想像するでしょうが、一言で助言をするといってもその助言内容は多岐に渡り個々の軍師たちによって違い、これは意識しないと中々気がつかないのですが三国志における軍師たちはそれぞれ軍師という職の中で役割分担というか適性を持っており、大別すると「参謀型」と「戦略型」の二種類に分かれます。
 「参謀型」というのは文字通りに戦争における戦術の立案や戦闘指揮を行う軍師の事で、「戦略型」は外交や人材登用、国内行政といったその勢力の行動方針や内政を担当する軍師になります。三国志は戦争の物語なので自然と参謀型の軍師の方が目立ってしまいますが、私の視点で三国志に登場する軍師を分別してリストアップすると以下の通りになります。

<参謀型>
龐統
法正
徐庶
賈詡
程昱
荀攸
陸遜
陳宮

<戦略型>
諸葛亮
荀彧
郭嘉
鍾繇
陸遜
魯粛
張昭

 最近こういうリストを書く記事が異常に増えた気がします。
 それはともかくとしてこのリストを見た方は恐らく、「何で諸葛亮が戦略型なんだ」という疑問を持つかと思います。諸葛亮は三国志演義の中では次々と奇抜な作戦を編み出しては敵軍を何度も打ち破っており、確かに赤壁の合戦の前には外交で呉を戦闘に引きずり込むなど戦略型らしい働きをしているけれどもどちらかといえば参謀型なのでは、と思われたのではないでしょうか。

 しかし実際の歴史では意外に諸葛亮は地味な役割の方が多いのです。諸葛亮は確かに何度も北伐を行うなど戦争指揮も数多くしておりますが、それ以前の彼は天下三分の計でもって劉備にグランドデザインを作ったり、呉との外交を行ったり、占領後の蜀での行政整理などどちらかというと裏方のような仕事が多く、三国志の著者である陳寿も「内政については文句なしだが、何度も北伐に失敗しなかったのは彼自身の戦争指揮の悪さも原因ではないだろうか」とまとめています。

 この諸葛亮の評価の仕方は実は私オリジナルではなく昔に光栄が出していた「三国志Ⅳ武将ファイル」のコラムが初出で、そのコラムでは裏方の諸葛亮に対して外征で本来参謀となるべき人物は龐統であり、劉備が天下を取るためにはこの車の両輪とも言うべき二人が揃わなければいけなかったと述べています。しかし龐統は蜀の遠征中に若くして亡くなり、唯一この龐統の後任の参謀となり得る人物だった法正も早くに亡くなってしまった為、諸葛亮は自分の本来の戦略役に加えて参謀役もこなさねばならなくなった事が不幸であったとまとめております。
 私もこのコラムを書いた人と同意見で、国力の低い蜀という国で外征と内政の二つを背負わなければならなかった事が諸葛亮の最大の不幸であって限界でもあったと考えています。

 このように参謀型、軍師型に一応はリスト分けこそしていますが上記の諸葛亮のように両方の役割を兼任するということも、先ほどのリストの中だと陸遜と郭嘉がその例かと考えています。
 ちなみに上記リストには敢えて司馬懿、周瑜、呂蒙の三人は加えていないのですが、この三人はゲームとかだと軍師扱いされていますが実際には将軍としての役割(戦争の指揮、実行)が強く、どちらかといえば「参謀も出来る将軍」だったのではないかと私は考えています。

 あと参謀型の軍師についてもう一言加えると、このリストの中で私が最強だと思うのは他でもなく賈詡です。この人は董卓、李傕、張繍、曹操と主君を度々変えていますがどの主君の下でも活躍し、その主君らは賈詡の助言に従えば必ず大勝し従わなければ必ず大敗することになっています。本当に空恐ろしい人物とはこういう人物な気がします。

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