2014年6月19日木曜日

「努力=苦痛」と考える日本人

 先月書いた「伝えることに全く努力しない日本人」の記事に潮風大使さんから続編を期待するようなコメントを書いていただきましたが、実は自分としてもこの記事は言いたいことを完全に書き切れておらず、態勢が整い次第にまた続きを書こうと考えていた記事でした。なおここだけの話、そこそこ面白い内容書いたからもうちょっと反応あってもいいかなと思ってましたが、直接コメントくれたのは某上海人だけだったという。
 そんなわけで今日はその続きの記事となるのですが趣旨はちょっと変わります。結論からスパッと述べると、私が見るに日本人は見出しに掲げた通り「努力=苦痛」と考え、言うなれば「努力には苦痛を伴う」を通り越して苦痛を味わうことそれ自体が努力だと本気で信じ込んでいるように見えます。見方はいくつかできますがこの考え方は弊害が多く、突き詰めていくと日本人の最も暗部たる部分の根源につながるのではないかと見ております。
 
 自分が何故このような考えを思いついたのかというと、「伝えることに~」の記事で上司が部下にほとんどまともな指示を与えていないにもかかわらず自体が上手くいかなかったら部下を責めるという構図の例を持ち出した時、「恐らく、こういう時の上司って自分が指示をちゃんと伝えようとしていないことを内心では自覚しているはずだよな」と思ったことからでした。自分の実体験もそうですし他人の体験、そして横から見ていた実例などを鑑みても明らかに不足した指示内容で部下を動かす上司は大抵その後、「お前が今後相手の意を汲んで動けるようになれるため敢えてこういう風にやってるんだ」というような感じで自慢げに言う輩がマジ多かったです。自分に言わせるなら、相手が指示内容を理解しているどうかを読み取れない人間が言うセリフじゃないなという気がしますが。
 
 上記のような構図は上司が敢えて部下に苦痛を与えさせようとしている構造なのではないかと考えた際、そもそも日本では指導者が指導を受ける側に対して効率性を無視し、やたら苦痛を与えようとすることが多いのではないかとふと閃きました。代表例は言うまでもなく中学や高校の運動部系部活で、自分もギリギリ「水は飲むな」と言われてきた世代ですが、これら運動部系部活の練習はどこか体力や技術の向上というより、身も蓋もない言い方をすると如何に部員を苦しませるかに重きが置かれている気がしてなりません。
 確かにスポーツにおいては体力や技術に加えて試合などでは精神力も要求されるため苦しいことを耐え抜く体験も全く無意味ではないと私も思いますが、それを推しても日本の部活動は度が過ぎています。それこそ脱水症状や筋肉疲労など体を壊す恐れのあるほど無茶な練習を休憩抜きで強制することはもとより、うさぎ跳びや片足ケンケンなど体力・技術の向上に全く無意味な徒労ともいえる練習メニューすら課したりします。自分なんか小っちゃい頃から納得しないことには反発が強かったあまり、この練習は無意味で役に立たないと思って中学で最初に入ったバスケ部をすぐに辞めましたけど。
 
 恐らく現代の運動部でも効率の悪い、危険な練習が日々繰り返されていることだと思います。同じ練習時間にやるのであれば効率のいい練習メニューをこなす方が良いに決まっているのに恐らく日本の運動部指導者はそうしたメニューを優先的に選ぶことよりも、怪我させない程度に部員がどれだけ苦しい思いをするかでメニューを選んでいるような気がしないでもありません。そしてその行動原理たるは「流した汗の分だけ強くなれる」という、最初に掲げた「苦しい思いをすることこそが努力」という概念にあるのではないかと考えるわけです。くどいようですが要するに、苦痛に耐えることこそが努力で成長の原動力になるという妙な信仰を日本人は持っているのではと私は言いたいのです。
 
 言ってしまえば、10キロくらい走って汗を流すのと、サウナに入って汗を流すのでは同じ汗を流す行為でも意味合いは全然変わってきます。ですが日本の運動部とかでは本当に流す汗の量を競おうというような練習が見られ、文字通りサウナでもなんでもいいから汗を流す量を増やそうとするかのような練習をやっているように見えます。しかし体力や技術の向上は流した汗の量に必ずしも比例するわけではないのは普通に考えれば当たり前です。体力・技術の向上に多少の汗を流すことは必要でも、苦痛を伴わなければならないとは私には思えませんし、サウナで汗をいくら流したって、それがそのスポーツ能力の向上に直結しないのであれば無駄な汗以外の何物でもありません。
 
 やたら例ばかり出してあまりノリのいい文章とは言えませんが、突き詰めると日本の運動部は体力・技術の向上以上にどれだけの苦痛に耐え抜くか、どれだけ苦痛に耐えたかを目指しているところがあると断言します。そして努力というのは、体力や技術の向上をどれだけ目指すかではなく、どれだけ苦痛に耐えたかという意味合いで考えているというわけです。
 私に言わせればこれは本末転倒以外の何物でもないのですが、こうした考えは運動部に限らず日本社会全体に案外浸透しきっている気がしてなりません。ここまで極端な言い方しなくても「努力というのは苦しい思いをすること」といえば日本人なら誰もが頷くでしょうし、苦しい思いをした人間の方が工夫をして楽に物事を運んだ人間より必ず偉くて強いはずだときっとみんな信じていることでしょう。
 
 下衆な言い方をすればこうした思想はマゾ気質もいい所で、どれだけ汗を流した、血を流した、ゲロ吐いたかで人間の価値が高まるなんてチャンチャラおかしく、こうした苦労自慢をあちこちでやる日本人というのも変な方向に振れたもんだなぁと素直に思います。もっとも、人が嫌がることを率先してやってきた人間に対しては私は価値が高いと認めますが。
 
 という具合でいつにもましてやたら挑発的な文章を綴りましたが最後に言いたいこととして、日本人が自分一人で勝手に苦痛を求めたがるというのは気持ち悪いけどそれ自体は問題ないなと私は考えます。真に問題なのは、仮説ではありますがこうした苦痛を日本人は他人にも求めているのではないかということで、次回では何故日本人はいじめを好むのか、この「努力=苦痛」という信仰と絡めて自説を紹介します。

2 件のコメント:

  1. 仕事は絶対楽しくないが、楽しく仕事できますわ。

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    1.  たまには深いこと言うね。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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