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2019年5月11日土曜日

戦争に対する意識の変遷

 現代において「戦争は良くない」という概念は日本だと一般的だと思われますが、それでも実際に戦場を見てきた世代が身近に存在した昭和中~後期と比べると薄まっているのではないかと思います。また戦前と比べ国民皆兵ではなく、自衛隊には実質的に志願者しか入隊しなくなり、いざ戦争になっても……という感覚では限りなく戦争は無関係と考えるようになるのも自然でしょう。

 勝手な想像で述べると、現代の戦争への感覚は20世紀よりも、17世紀以前のほうが近いのではないかと思います。17世紀以前は日本国内を含め徴兵が行われていましたが、実際の戦場では石を投げたり、ちょっとでも味方の分が悪そうだと逃げ出したす(=瓦解)こともあって、近代と比べるとまだ緩い戦争でした。また欧州では傭兵が戦争の主体であり、戦争に参加する人としない人は曖昧ではあるもののまだ分かれていました。

 それがひっくり変わったのは18世紀頃で、フランス革命以降は欧州で徴兵制に伴う国民皆兵が実施され、明治維新以後の日本もこれに倣います。また機関銃の出現など兵員の殺傷率が劇的に上がったことも有り、それまではどこか遠くの無関係の事象のようだった戦争が俄然国民生活にも関わるようになり、反戦意識も高まっていきます。
 そうした反戦意識が市場最も高かった時代と言えるのは、まず間違いなく第一次世界大戦後のいわゆる「大戦休閑期」です。長期にわたる塹壕戦、総力戦に伴って欧州では上も下も「もう戦争は懲り懲り」という厭戦気分が蔓延したそうですが、一次大戦にちょこっと参加しただけの日本はこの空気を感じられず、他の列強と比べると厭戦気分は低い、というよりもシベリア出兵も最後まで粘るなど「もっとやらせろ!」感すらありました。

 しかしそうした厭戦気分すらも敗戦国ドイツは戦勝国への反感の方が強く、結果的に二次大戦が起こるわけですが、その後米国にとってはベトナム戦争までは強制的な徴兵も行われていたことも有り、戦争による死が身近とあって反戦運動はこの時期も絶賛盛り上がっていました。イラク戦争でも反戦運動はもちろんありますが、それでもベトナム戦争の時期と比べると米国世論を大きく動かすほどには至っておらず、傍から見る限りではやはり容認する姿勢が強いように感じます。

 何も厭戦、反戦気分があれば戦争は起きないという事を言うつもりはないですが、それでもやはり戦争に対する意識はこの10年でもまた変わってきているなと感じます。仮に好戦意識で言うとすれば、恐らく現代で最も高いのはロシアで、次に中国、そして米国の順番になるのではないかと思います。
 仮になんでも言っていいとするならば、日本の立場からすると米中で戦争が起こるとその地理的関係から巻き込まれることは必定です。だったら好戦意識の高い同士、中露で戦争を引き起こすように動く、三国志で言えば二虎競食の計みたいな工作をするのが安全保障方針としては有りじゃないかとは思います。

 戦争なんて起こらなければいいとはいうものの、起こらなければ反戦、厭戦意識は高まらないというのが、上記の変遷を見ていて思います。そういう意味で本当に反戦教育を広めようというのなら、やはり実際に戦争を体験した米軍従軍者などに日本でもっと講演とかしてもらうことが一番でしょう。そのうえで日本の戦争リスクを下げるとすれば、こういった人たちに中国でも講演してもらうべきでしょうが、米中それぞれの思惑から実現は不可能でしょう。

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