DMMの電子書籍が半額ポイントキャンペーンやってるので、本誌掲載時に既に読んでますが、十年以上前の文藝春秋で行われた半藤一利氏らの二次大戦時の反省対談本のリニュアール版「あの戦争になぜ負けたのか」を買って読み直してました。改めて思ったこととしては、大西瀧治郎の評価はなんか対談時と今とで少し揺れているようなということと、呉市海軍歴史科学館館長の戸高一成氏の増補コメントがやや気になりました。
戸高氏が若かった頃、周りには海軍参謀本部に出勤していたというガチな上司に囲まれてれて戦時中のかなりディープな話とかもよく聞かされていたそうです。そんなある日、自分の上司(中島親孝)が本を出したので読んでみると、普段ボロクソに貶している元上官に対して軟らかく書かれており、「いつもと違うじゃん」と突っ込んだら、「そりゃ本には書けないよ」とニヤリと返事されたそうです。
言われることごもっともというか、普段激しく罵倒する人間であっても公共の出版物ともなるとそこまで直接的には書けないものです。ただこの点について戸高氏は、他の軍関係者による戦争体験記などの本も同じ印象というか、現実とのズレを感じていたと言及しています。やはりどの人間も実際に体験した内容を活字に起こす際、ありのままに書くよりかは現実とのズレが微妙に生まれる傾向があると捉え、それ以降は活字と現実のギャップを意識してそういった書籍を読むように心がけるようになったそうです。
この活字と現実のギャップですが、私自身も思い当たることがあります。よくこのブログについて主張が過激だとたまに指摘を受けますが、ブログには書かないもののプライベートでは、「視界入ったら必ず殺すと伝えておけ」とか、元同僚に対し「あの元上司に機会あったら必ず襲うからクビ洗って待っとけと花園が言ってたと伝えておいてください」などという発言をよくします。
もっとも実際に襲撃かけることはほとんどないのですが、少し不思議なのは、誰も「口先ばっかじゃん(*´∀`)」っていうフォローを入れてくれません。友人の上海人も物騒な発言ばかりしているせいか、「いつかキミに殺されるような気がする(´・ω:;.:...」と最近言うようになりました。
話は戻りますが、現実として上記のような傾向、具体的には現実よりも表現はソフトになる傾向というものは確実に存在すると思います。そういう意味で戸高氏の姿勢は理に適っていると思うのですが、恐らく意図してのことだと思いますが、上記の言及の後で戸高氏は特攻についても触れています。具体的には特攻を命じた人間はほぼみんな自分も後を追うと言いながらも、実際にそれを果たしたと言えるのは大西瀧治郎と宇垣纏くらいで、「戦後の復興に力を尽くすべきだった」と言ってのうのうと生きながらえた矛盾を指摘しています。
この箇所と前半部の活字と現実のギャップを見比べていてふと感じたこととしては、特攻は皆志願して行われていたという戦後の言及は、どう取るべきかと感じました。
これまでの研究から現実には特攻命令を拒否することは出来ず、意思確認書で拒否を付けながらも同意に書き換えられたなどと言った事例が確認されています。無論、実際に志願者もいたことは事実でしょうが、私が子供だった頃は特攻はほぼ志願者によって行われていたという説明が支配的なくらい強かった気がします。それは何故かと言うと、先程の活字フィルターによるギャップではないかという気がします。
具体的には、有無を言わさず特攻を命じた人間たちが戦後になって、自らを擁護する目的で「強制ではなかった」、「皆立派に志願してくれた」というように書き残したせいではないかという考えがもたげました。自分が強制したという事実は隠した上で。立場や動機を考えると、むしろこのように事実を捻じ曲げた主張をすることのほうがむしろ自然であるでしょう。
そう考えると、回顧録や随想録というのはやはり注意して読むべき資料と言えそうです。以前にも書きましたが、戦争リアルタイムの手記と戦後の手記では同一人物が書いたものでも内容が大きく異ることも珍しくはなく、やはり多かれ少なかれ時が経つに連れ自らを美化する傾向は必ずあります。そこをどう峻別するかが、学者としての力量は問われることでしょう。
なおこのブログもそうした点を考慮して、敢えて昔の記事とかをそのまま残しています。将来的に使う人がいるかわかりませんが、事件発生当時に同時代の人間がどのように感じて見ていたのかを残す記録資料になればいいなとかたまに思ってます。
2 件のコメント:
私は郷土資料の作成のため現在90代の老人から聞き取り調査をしたことがあります。
老人の話によると太平洋戦争の末期になると村役場より村内の各地区の住人に対して
「〇×地区からは3人の志願兵を出すように」という通知が来たそうです。
名目こそ志願兵ですが、これは事実上の徴兵ですね。 大戦初期の頃は出征
する兵士は役場の前で多数の村民に見送られながら出征していきました。ですが
大戦末期の「志願兵」は近所の住人数人に見送られながら出征したそうです。
なお、その老人は当然生きて終戦を迎えましたが、軍服や手帳等軍人の身分を
証明するものはネズミにかじられてボロボロになり、戦後 自分が元軍人である
という証明ができなくなったそうです。
敢えて穿った見方をすると、その御老人が本当に軍人だったのか、証言内容は正しいのか疑ってかかるべきでしょうね。もっとも見送りのエピソードは全国的にも同じような話を聞くのでそのまま信じてもいいでしょうが、軍人であったかどうかは歴史調査であればやはり確認する必要があるでしょう。
本文には書きませんでしたが、ある意味こうした裏取りが全くなされず誤報を垂れ流したのがあの従軍慰安婦問題でしょう。あれなんかデマ撒き散らしたのが存在しない部隊名を所属部隊として名乗っており、最初の段階でそうした検証を経ていれば誤報を流さずに済んだわけですし。
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