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2021年10月15日金曜日

書評「児玉誉士夫 巨魁の昭和史」

こじまよしお
こだまよしお

 この二人の名前はわずか1文字違いで、もしかしたら名前以外にも共通点があるのではないかと思い、児玉誉士夫についてまた調べ始めています。

 というのはさすがに冗談で、この前にダテジュンこと伊達順之助の記事書いて、この時代の大陸浪人がまたマイブームになったのがきっかけです。そうしたなか、見出しに上げた有馬哲夫氏の「児玉誉士夫 巨魁の昭和史」という本がセール中だったのと、ほんの袖擦り合う程度ですが縁のある人物であることから児玉誉士夫に興味をもってこの本を買いました。
 内容は見ての通り、昭和のフィクサーと呼ばれた(呼ばれてる人めっちゃ多いけど)児玉誉士夫の生涯を追ったものですが、伝記的なものではなくどちらかというと優し目の学術書のような構成になっており、各資料からその時代ごとに児玉誉士夫が何をやってたのか、周辺人物や組織との関係性はどうだったのかを追っている内容となっています。

 細かい資料名がたくさん出てきていますが作者のあとがきによるとこれでも分量は当初の三分の一程度に抑えられたそうで、編集部の方が文章をかなりダイエットさせたそうです。自分の目から見て、この編集部の判断は当たりであるように思え、これによってかなり読みやすくなっています。仮にフルサイズだったらかなり難解な内容になってたと思う。
 ただ大野伴陸や大西瀧次郎などの昔の大物議員や軍人などの名前がバンバン出てくるため、そういった名前に対する知見があらかじめないと読み辛いと感じる恐れがあります。ぶっちゃけ自分も戦後初期の箇所は結構読んでてしんどく、「河野一郎ってもしかしてあいつの?」と思いながら読んでました。いうまでもなく、河野一郎は河野太郎のグランドダディです。

 話を戻すと、改めて今まで自分は児玉誉士夫についてほとんど知らなかったのだなということを読んで痛感しました。そもそも時代が違うし、また表の歴史人物でもないことから知らなくても別におかしいことではないのですが、これまで自分の中では「ロッキード事件の黒幕」みたいな人という風に見ており、どうロッキードに係っていたのかなども全く知りませんでした。
 またロッキードつながりということでこの事件で逮捕された田中角栄のマブダチだったとも勘違いしており、小佐野賢治と混同していたことにも今回初めて気が付きました。

 逆に何故このような誤解をしていたのかというと、ロッキード事件の疑獄を単一ルートだと考えていたことが原因でしょう。実際にはこの本にも書かれていますが、ロッキード社は日本に自社製旅客機のトライスターを売り込むため、複数のルートから売り込みをかけていたことが分かっています。主なルート(キックバックマージンが使われた)としては、

・小佐野賢治ルート
・丸紅ルート
・児玉誉士夫ルート

 の三つとされていますが、この三つは微妙に重なっているところもあり、厳密にはこの通りであるかもちょっと曖昧です。もしかしたらまだ解明されていないルートもあるかもしれませんが。

 またこのロッキード事件に関してこの本では、児玉自身はトライスターの売り込みにはそれほど関わっておらず、むしろCIAの裏金作りのために伝票切らされて巻き込まれたような立場であると指摘しています。この辺については最新の研究が取り上げられており、児玉が切ったとされる領収書の印鑑の母型が、彼が日頃使ってた印鑑とは別のゴム印によるものだった事実なとが紹介されています。
 一方、このロッキード事件の前後で児玉誉士夫は、同時期に自衛隊向けに導入が決定された、同じロッキード社製のP-3C哨戒機の導入の方では暗躍しており、むしろ上記のトライスターの件はP-3Cに係る裏金や誘導に関する件を「MOMIKESU」ために事件化されたものであるように説明されています。この「MOMIKESU」という表現ですが、米国の公文書に本当にそのまま書かれているもので、中曽根康弘元首相が指示した言葉であると記録されているそうです。

 この辺の詳細に関しては是非本を読んでもらいたいのですが、全体としてロッキード事件の日本側における主役はむしろ、田中角栄というより中曽根康弘であるという見解が呈されています。そしてその中曽根のスポンサーこそが児玉誉士夫で、P-3Cの日本導入こそが米国、っていうかCIAの真の狙いというか方針だったと主張しています。
 なお児玉とロッキード社の関係は、第一次主力戦闘機選定(第一次FX)におけるグラマンからロッキードへの内定変更時からのもので、この時のロッキードの巻き返しにも児玉が深く関与していたことが書かれてあります。まぁこれは児玉本人がというより、海上自衛隊幹部にどうも頼まれて動いた的なものだったそうですが。

 最後に、ロッキード事件の隠された本丸ことP-3Cですが、三菱重工や川崎重工が「俺たちが作ってやんよ(´・ω・)」と言うから哨戒機の国産化が計画されながら、児玉や中曽根の活動によって結局米国から買うこととなったP-3Cですが、設計から半世紀以上経ち、日本での導入開始からも40年近く経っていながら、設計がやたら優秀だったせいか今だこいつは現役で日本の空を飛んでます。

 興味を持ったのでWikipediaの記事とか読んでみたのですが、日本国内での事故・破損例として2014年2月15日に、定期修理中でハンガーに入れられていたP-3Cが当時の大雪によってハンガー屋根が潰れ全損となり、同じく潰れた飛行機ともども計70億円の損失を出していたそうです。金額もさることながら日付の方に目が行き、「これもしかしてと思って」調べたら当時こんな記事書いてました。


 上の記事はP-3Cの事故の約1週間前の2014年2月8日から9日にかけての出来事ですが、確かこの時は2週連続で日本は大雪となり、この次の週の大雪は警戒されながらも前週ほどには関東地方は雪による混乱は少なかったはずです。自分も無事帰宅できてたし。
 逆に、この2/8の大雪時は上の記事にも書いている通り途中で電車止まり、外では吹雪く中、深夜に列車内からホームに引きずり出されて激しく寒い思いしながら一夜を越しています。真面目に当時辛かったのと、やることないのでタブレットPCで漫画の「実は私は」を何度も読み返してたのをまだしっかり覚えています。

 それ以上に読み返してて呆れたのは「下は作業ズボンのみ、上はYシャツの上にパーカーとGジャンだけ」という当時の自分の服装です。2月の降雪日にGジャンって、ノースリーブじゃないけどスギちゃんかよと自分で昨夜ツッコミ入れてました。
 なお下着に関しては当時も今もヒートテックなんてものは持っていません。


 

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