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2021年12月1日水曜日

日本人の宗教アレルギー

 結論から書くと、以前と比べれば大分緩くなったなという気がします。まぁ日本に住んでないで言うのもなんですが。

 日本人は海外でも平気で無宗教と自称(欧州などでは「=社会主義者」ととられることもある)するくらい宗教的色彩が弱い国ですが、1995年に起きたオウム事件、そして割と身近にいっぱいいる創価学会の勧誘や選挙運動などから、そもそも宗教そのものに嫌悪感を持つ人間は確実に少なくありません。大学時代の友人なんか中国よろしく「宗教は心のアヘン」だと言ってきかず、基本的に宗教に対する悪口しか言いませんでした。
 ただその友人、通っている大学がミッション系なのに、「講義で講師が『キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしていった』と言ってて、やべぇなこの大学と思った(;´・ω・)」という一言も言ったことがあります。神学部もあるのに、実際その学校はフリーダム過ぎる。

 話を戻すとその日本人の宗教アレルギーは間違いなくオウム事件発生直後がピークで、当時流行ったカルト系団体の概念とも結びついて、印象的には木下都議くらい最悪でした。恐らく当時、仏教や神道を除けば何かしらの信仰を持っていた人はその信仰を口に出すのも憚るような思いをしたのではないかと思います。キリスト教にすら結構な警戒感が当時はあった気がしますし、イスラム教に至っては2001年の911によってテロリスト扱いするような風潮もありましたし。

 そうした約20年前と比べると、最近は宗教に対する批判が以前と比べると大分柔らかくなってきた、っていうか減ってきたなという印象を覚えます。イスラム教についてもなんとなくテロリスト団体との同一視は前より減ってきており、この点に関する偏見はなくなってきているように見えます。
 もっとも、そうした偏見を助長してきたのはマスコミであるような気がしますが。

 その一方で、日本人の宗教嫌いを最大化させた元オウムのアレフなどに対する警戒感も、同時に薄れてきているように思います。先日、定期提出が義務付けられている報告書を出さなかったことで公安から提訴されたところ、ようやく出したのでその提訴が取り下げられたというニュースを見ましたが、関連事件の被害者への補償などもあまり行われていないと聞き、やはり依然として私の中では信用のできない団体です。上祐氏の団体についても、うかつには信用できないように感じます。

 私自身は自分では宗教に寛容な方だと自認しており、出身が社会学ということもあって信仰を持ってる人に会うとあれこれその信仰の概念などについて質問することも多いです。一時期はプロテスタントに傾いた時期がありましたが現在は「神は存在しない」という考え方から無宗教であるものの、それはあくまで自分個人の考え方であり、信仰を持つ人を否定したりはしないように意識しています。
 なお神はいないけど、妖怪はいると信じています。

 私自身の考え方で言うと、信仰を持つと思考の幅や範囲が制限される一方、意思判断の基本コンセプトというか芯は確実に補強され、自我の安定や強化面ではプラスの面もあると考えています。そういう意味では自我が弱い、周りにひたすら追従して合わせようとする一般的な日本人にとっては、何かしらの信仰を持つ方が精神バランス的に悪くはない選択じゃないかとも思うのですが、前述の通り日本の宗教アレルギーの活発化に伴い、そうした動きはこれまでついぞ見られませんでした。

 その上で、やはりこういうのは定期的な波があるというか、最初に書いたように宗教アレルギーが和らいできている今だからこそ、またなんかその手の信仰ブームとか広がるのではないかという妙な懸念というか期待みたいなのがあります。イメージ的には戦前の昭和初期における新興宗教ブームみたいな感じで、令和のこの時代になんか新しい信仰とか広がってくるんじゃないかななどと勝手に思っています。

 なんでそう思うのかというと、地味に創価学会が弱体化しているとはっきり感じるからです。平成期にかけてブイブイ言わせた創価学会ですが、近年は従来信者の子息くらいしか新規獲得はなく、日本同様に少子高齢化が進んできていると言われ、某会長の安否などもいろいろ取り沙汰されています。
 そもそも創価学会自体、集団就職で上京してきた人たちが主要な加入者であったことから、時代的な流れを見れば縮小していくのも当然です。先の選挙においても、やはり平成中期の選挙と比べると創価学会の動員力や影響力、特に維新の党と比較した場合で明確に落ちてきていると感じました。

 そうした創価学会の弱体化を受けて、また何か新しめな信仰が流行るんじゃないかなと適当に感じただけです。流行るとしたらどんなものかですが、流行りそうで全然流行らないデジタルの神という概念がありますが、その逆転でアナログな神とか流行ったらの楽しげです。アナログな神ってどんなんなのかですが、ガラケーとかポケベルをご神体にするのかもと思うと、なんか面白そうな宗教な感じがします。
 でもまぁある意味で、デジタル化の波についていけない層を取り込む宗教あったら意外と伸びるかもしれません。メールやパソコンは禁止して、八木アンテナで電波飛ばし合う古い電波系な組織とかあったら加入はせずとも見てみたいです。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

私の会社や取引先では令和3年になってもいまだにFAX信仰が続いています。
60代の上司はFAXという言葉を使うことが癖になっており、取引先に
(データを送れ)という意味で「FAXで写真を送ってくれ」と言います。
取引先はその言葉を文字通りに解釈し本当にFAXで写真を送ってきます。
FAXで送られてきた写真は真っ黒で全く役に立ちません。そのため
私が取引先に連絡し写真をEメールで再送信してもらうのです。

ほかにも、一般人向けの請求書のFAX項目を削除してEメール
に置きかえましょうという提言をしても、FAXで問い合わせする
お客もいるかもしれないからという理由でいまだに置き換えは
実現していません。ちなみに会社に一般人からFAXで問い合わせ
が来たことはここ数年一度もありません。

FAXというものは日本の古い会社に残る宗教です。
子供の頃からスマホをいじってきたデジタルネイティブ世代が
会社に入社してFAXでのやり取りを見たら 古代宗教 だと
思うでしょう

花園祐 さんのコメント...

 実際日本に関してはFAXはもはや宗教でしょう。ガラケーの方は通信会社のサービス打ち切りで消え去ってきましたが、FAXと印鑑、紙伝票は本当になかなかしぶといと感じます。一応日本も電子伝票に移行するスケジュール出していますが、多分抵抗にあって延期するだろうな。

ルロイ さんのコメント...

昔は仏教のフリをした怪しい宗教がたくさんあったらしく(創価学会もその一つではありました)、キリスト教もあり得ないくらい宗派がバラバラだったりするので、本当の意味で宗教広めようとしてる人より、それを利用してマルチ商法的なことをやりたい人が多かったが故の宗教不信なのかなーと思います。オウムが止めを刺した感はありますが。

宗教に求められるのは答えがないものに答えを与えることですが、今はSDGsが白人社会の新しい聖書になってるのかなーと思います。何か社会を築いていく上で指針が欲しいんだろうなと。

デジタルを否定するなら「目に見えているもの以外は全て嘘」というノリになるので、それは結局コロナ陰謀論とか反ワクチン的な人たちになるんでしょうね。

花園祐 さんのコメント...

 欧米人は確かに何らかの指針を求めたがりますね。日本人は仏教の影響なのか現状維持意識が強いだけに、逆に未来の指針とか提示されるのが嫌で、それが宗教嫌いにもつながっているのではないかと言われて思いました(´・ω・`)
 反ワクチン派に関してですが、なんか聞いててオカルト、反宗教、社会主義の三思想は親和性があるのではないかという気がしてきました。いい感じに証明出来たらイグノーベル賞狙えるかもなぁ。