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2021年12月5日日曜日

30歳からの終活

 自分が「終活」という単語を初めて見たのは、当時いた新聞社でアジア各国の高齢者の「終活」を比較しながら取り上げようという企画に関わった時でした。日本本部から出された企画で、各地の支局に高齢者夫婦を見つけて話聞いてこいというお触れが届いたので、たまたま知り合いの両親に話を聞けそうだったから自分が中国分を担当しました。
 なおこの時に友人の両親に話を聞いた後、「君んちの両親は仲良さそうだね」と友人に行ったところ、「そりゃ人前では仲良さそうにするよ」と、中国人らしい妙なリアル感のある言葉を口にしました。

 話を戻すと、仮に自分の中での終活という話になれば、自分は30歳から既に始めています。30歳から老後の生活とか預貯金とかを考えるようになった、というわけではなく、30歳からもう必死に生きるのやめて、のんびりとした余生を過ごそう、でもってなるべく早く死のうという風に考え、そのように動いています。

 なんで30歳から終活始めたのかというと、端的に言ってやりたいこと全部やり終えたからです。元々小さい頃から血の気が多かったから20歳までは生きられないだろうと十代の頃からガチで考えていましたが、想定が外れて20歳を超えてしまった時、なら30歳までにとりあえず起業を目標に頑張ってみようと方針転換し、何もせずじまいだったけど起業を一回やって、一応悲願成就となりました。
 そんな感じで30歳をアラサーしたころ、もう完全に自分の想定寿命をぶっちぎった上にやることもないので、死なない程度に生きて、死ぬべき時が来たらすぐ死のうという風に考え、なるべく楽な仕事選んでのんびり余生を過ごすことに決めました。そうして選んだ日本での仕事が、「これ、むしろ存在しない方がいい仕事だよね」というくらいくだらないもので、ぶっちゃけ社会の足を引っ張るだけの仕事内容に呆然としたものです。

 自分自身としてはなるべくのんびり野心なく生きたかったのですが、既に当時の時点で日本にはまともな精神ではやれる仕事はないとはっきりわかり、こりゃなにがなんでもまた中国に戻らないと、のんびりどころじゃなく頭やられると考え、すぐまた中国に戻れる仕事を探すようになりました。そんなこといろいろやって、中国でまた更に転職したりして今に至りますが、根っこのところでは今も余生を過ごしているというはっきりした自覚を持っており、「いないよりいた方がいいから」という理由で今の仕事も続けています。少なくとも、社会の足は引っ張ってないつもり。

 こうした価値観について知り合いに話したところ、「大きな仕事を成し遂げたり、偉大な記事やルポを書き残したいという欲求はないの?」と聞かれ「ない」と即答しました。自分にできる仕事で頼まれるならやってもいいですが、わざわざ自分から率先して成り上がったり、何かしたりしたいというのはなく、過剰なストレス感じない範囲で適当に仕事してお金もらって食いつなぎ続けて、どっかのタイミングで交通事故とかで余計な事何も考えずに死ねればいいと今でも思っています。
 果たしてこれが終活と呼べるのか自分でも意味わからないですが、死んでもいいという覚悟に至ることが終活と呼ぶなら、30歳くらいからもう自分は始めています。

 ただ、今年に関しては無駄に途中で死なずに生きながらえて本当に良かったと思える出来事として、野球での大谷翔平選手の活躍が見られたことが挙がってきます。彼に関しては本当に同時代にその活躍を見ることができて、本当に幸運だったと感じるほどの活躍ぶりで、この点に関しては途中で無駄死にせず本当に良かったと思います。
 このほか今年あったいい出来事を挙げると、やっぱ元寇の記事あげたことかなぁ。強敵集うようになったJBpressで久々の大型ヒット記事になったし。これに限らず今年はアクセス数を狙った記事では確実にアクセス取れてて、大谷選手みたく狙ったところにホームラン打てたような年でした。

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