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2008年2月7日木曜日

中学、高校での社会科目について

 私が中学生の頃、そこの社会の先生がある日こう言いました。

「この社会という科目は、常に動いている実世界を紹介する科目なので、言ってしまえば時間が経てば変わってしまうものも少なくありません。たとえば、十数年前だとロシアはソ連でしたし、法律制度も改正されたらそれまでです。なので、皆さんが大人になる頃には最も役に立たない科目とも言えるかもしれません」

 この先生の言う通り、社会という科目は常々内容が変動するものです。私の時代などでは、「中国では生産責任制が導入されて以後、万元戸と呼ばれる年収が一万元を越える富裕層が現れた」と習いましたが、今更一万元では向こうでも小金持ち程度です。また郵政の財政投融資についても、この前の郵政民営化の影響で現在の指導内容は恐らく変わっていると思います。

 ならば、社会という科目は本当に不必要なものなのでしょうか。先生はその必要性にまでは語りませんでしたが、私が代弁すると、これからの時代の変化を知るため、対応するために、まず現在を学ぶ学問だと考えています。
 これはなにも社会科だけに限るわけではありませんが、いくら最先端の学問分野を教えても、それまでの積み重ねがなければその後の応用、発展がありません。言うなれば、基礎がなければ応用がないのと一緒です。
 私などは歴史が非常に好きですが、やはり歴史を知っていると何故現代がこのような仕組みになっているのか、フランス革命などの民主主義の成立過程などを知っていると現在の制度が非常にわかりやすく、また人に説明もしやすいです。そして未来を予測する際は、現代の仕組み、背景がどのようになっているのかをまず見極めなければ何も始まりません。一言で言うならば、現在を知るためには過去を知らなければならず、また未来を知るためには現在を知る事が不可欠と思っています。

 そのため、たとえ数年の経過によって社会事情が変化していようとも、以前に学んだ社会科の内容は当事者にとって生きてくると考えています。新ためて振り返ると、私自身あの頃の勉強が現在を分析する上で必要不可欠なくらいに重要なものとなっています。、

2008年2月5日火曜日

佐藤優と精神的なタフさについて

 先日に書いた田中森一の記事ですが、書き終わった後で冷静に考えてみると、検察に捕まっても、けろっとしている方が異常なような気がしました。田中氏もそうですが、これからどうやって社会でやっていこうとか、家族はどうなる、自分の子供は犯罪者の子供と呼ばれないかと心配していますが、捕まっておきながらこういう心配がない方がやっぱり変でしょう。というわけで、前回の記事で田中氏が無罪になると信じ込んでいたのは迂闊だったという私の発言は撤回します。そりゃ誰だって辛いし信じたくなるよね。

 しかしそうなると、このところ連続で書いているあの佐藤優氏は一体どうなるのだろうか。彼なんか検察に逮捕、捜査されている最中に、「自分は人見知りする性格で、これまで外務省では嫌々働いていたのだがこれで解放される。今は非常にせいせいしているよ」と話し、聞いている検事も「追い立てる自分が言うのもなんだが、早く自分のやったことを罪だと認めて、学者なり評論家なりで社会に復帰してくれ。僕個人として、君にもっと自分を大事にして欲しい」と、一体どっちがどっちを責め落とそうとしているのかわからない会話まであります。やっぱり、田中氏ではなく、こっちが異常と考えるべきでした。

 そして拘留中の記述も見比べると、実に佐藤氏の方はけろっとしているようにみえます。もっともそれは文章中だけのことで、実際はそうじゃないかもしれませんが、拘置所内でのうまくて豪華な食事やら刑務菅の態度や行動など事細かに記録しており、出所後は拘留中のホリエモンと接見し、「あのメロンの缶詰はまずい」と、お互いに納得しあっているところを見ていると、やはり相当にタフな印象を受けます。

 この佐藤氏のタフさについては、自身の著作の中で、「ソ連崩壊からしばらく続いた混乱期に、自分はたくさんのロシア人エリートの浮き沈みを見てきた。それこそ一寸先は闇のような世界で、人間が起こす悲喜劇すべてを凝縮したような世界だった。そのような世界に比べるなら、自分に起こった事など本当に些細な事にしか思えない」と述べており、その自らが見てきた経験がこのような落ち着きというか、タフさに繋がっていると示唆しています。実際、私から見ても佐藤氏のソ連崩壊時の経験が彼を特異な存在にしている主要因だと思いますが、それと共に思うのは、やはり彼がキリスト教の信仰を持ち、神学や哲学に造詣が深い事も関連しているように思えます。

 そういう風に考えていたら、以前に友人と、確か2004年に話した会話を思い出したので、そのときのログを書いておきます。

花園「自分が思うに、仏教なりキリスト教なり信仰を持っている人はちょっとやそっとじゃへこたれないような気がする。というのも、彼らは人の生死やら人生について常に深く考えていて、困難に直面した際に悩むべき問題を既に悩み、それなりの解答を出しているからだと思う」
友人「なるほどね。でもそういう風に人生について悩み抜いて、作家とか哲学家とかで自殺する人もいるけど、それはどうなのかな」
花園「うん、自分もそう思う。確かにこういったことを考えていると、やっぱり目の前が暗くなっていくようで、自分も自殺を考えたりする事もあったりする。そこでつまづいて自殺する人もいるけど、その分こういった悩みを乗り越えた後、自分は確実に精神的に強くなっている気がする。逆に、ずっと人生上がり調子で来ていて、何も悩まなかった人ほど突然のショックで自殺に走るケースのが多いんじゃないかな」
友人「そうかぁ。つまり人生に悩むと自殺するリスクは上がるけど、将来のショックには悩まなかった人より強くなるんだね。ちょっと矛盾しているようだけど、わかる気がするよ」
花園「そう。だから君もキリスト教をやろうよ」
友人「いや、何でそうなる?」

 というような会話がありました。この頃はやばいくらいキリスト教の信仰を持っていたからなぁ。
 佐藤氏は自らが大学は神学部で学び、牧師の資格をも持っており、その著作の中でも非常にこの分野において見識が広いという事が伺えます。だからこそ、このような事件に巻き込まれても非常に落ち着いており、淡々としていられるのだと思います。
 なお、今回鉤括弧でくくった引用や会話は、記憶を頼りに内容を重視して書き起こしているので、書籍中の文章や言葉をそのまま使ったわけではないのでご了解を、あしがらず。

2008年2月4日月曜日

考古学の邪馬台国の現在

 これも専門じゃないし適当な事を書いていると思うのですが、みていてどうも最近の考古学は以前とステージが変わった気がします。というのも、邪馬台国についてです。
 昔から邪馬台国のあった場所は近畿説と北九州説の二つがあり、そのまま京大学派と東大学派が言い争い、文字通り日本一の歴史論争として名高いものでした。ですが、新書などでいろいろ読んでみると、最近ではもうほとんど近畿説が一般化しており、論争はその前後へと向けられているような気がします。

 その前に何故近畿説が強くなったかですが、ここ数年で近畿の遺跡から大量に「三角縁神獣鏡」が見つかり、これが魏志倭人伝に書く、魏が卑弥呼へ送った鏡だと言われ、近畿説の根拠となっているからです。古来より文献では近畿、地理的には北九州説が当てはまるといわれ、今回も文献での根拠となっています。
 この説から発展し、現在の考古学会ではどうも、「邪馬台国から大和朝廷はどう繋がったのか?」というのが論争の的となっているようです。言うまでもなく、邪馬台国も初期大和朝廷もどちらも近畿にあるならば、邪馬台国からそのまま大和朝廷へと政権は続いたのか、それとも邪馬台国を滅ぼして、新たに大和朝廷が近畿で台頭したのかと言う風に、その連関がどうなったのかという点について、古事記や日本書紀の記述と比較されるようになっています。

 もちろんこの論争に北九州が全く無関係というわけではありません。北九州説の邪馬台国は元々、後漢から金印を受けた奴国に当るのか、それならば大和朝廷は邪馬台国とは関連がなく、後から朝鮮半島などからきた連中に潰され、大和朝廷になったのかというように、やはりその前後に論争が起こっています。ちなみに、私の親戚は福岡県に滞在している際、やはり邪馬台国は北九州だと地理的に感じたらしいです。

 私の意見だと、まず最初の「三角縁神獣鏡」ですが、これだけで一気に近畿説につなげるにはまだ無理があると思います。言ってしまえば、その鏡は送られたのではなく強奪されたのなら……北九州から近畿に運ばれても無理はないと思います。
 そしてこの論争にケリをつけるやり方ですが、DNA鑑定なんか面白いと思います。縄文、弥生、大和時代それぞれの死体の骨からDNAを取り、どの段階でどのように人種が変わってくるのかを調べれば、征服が行われた年代なんかはかなり正確に求められるのではないでしょうか。

 実を言うと考古学にはある思い出があり、小学生の頃に読んだ論文で、
「古事記の中にあるスサノオのヤマタノオロチ退治の話で、スサノオが川を歩いていると川上から箸が流れてくる描写があるが、箸は中国で2世紀に発明されたものなので、少なくともこの伝説が成立したのは2世紀以後ということになる。このように考古学をやる上では、考古学だけにとらわれない幅広い知識が必要になる」
 と書かれており、この話を真に受けて分野を問わずに知識をやたらと求めたがる、今の私の性格が出来た気もします。

2008年2月3日日曜日

憲法改正について

 最近は大連立騒動とかの影響下、安倍政権の下で主要な話題となっていた憲法改正論議も下火です。この前友人から、「お前は憲法についてどう思ってるのか?」と聞かれたので、自分なりの意見をここで書かせてもらいます。

 まず、私は憲法改正派です。現行の憲法はやはり時代遅れとしか言いようがないので、すぐにでも改正したいと思っています。そして9条、戦争放棄の条項ですが、これについては瑣末な問題でしかないとしか思えません。
 9条自体の意義は非常に崇高なものだと思っています。しかし、この9条の解釈について肝心の日本の司法が常に曖昧な態度を取りつづけており、それが結果的に現在のように自衛隊の拡充やらMD構想へと繋がっているのかと思います。別に今の二つが悪いというわけじゃないですが、この解釈をめぐる論議こと、日本の司法の体制に非常に問題があると考えており、その点を早急に改正すべきだと思っています。

 実は文系学問のうち最も苦手なのはこの法学で、あまり詳しくなくて適当な事を言っていると思うのですがそれでも言わせてもらうと、日本の裁判官は基本、内閣こと行政の任命制で、そのせいか行政の方針に逆らう事ができないといいます。また総理大臣にもなった佐藤栄作がなんかの大臣をやっている最中に政界疑惑が起こり、彼の逮捕を直前に控えた頃、検察トップが上からとっかえられて、捜査が中断したということもあり、日本の司法は他の二権に比べて非常に惰弱だと言われています。実際に、最高裁が持っている違憲判断はほとんど行われず、自衛隊に対してもなし崩し的にその存在が認められている状況です。ま、自衛隊は確かにいると思うけど。

 そしてこれは以前にも記事にしましたが、憲法の中にはっきりと赤字予算を組んではならないとかかれているにも関わらず、現在のように国債を発行しつづけている状況に対し、司法は何の判断も下してはいません。
 古来から中国では、「政治を行う」というのは、裁判を行うという意味合いで使われていました。それほど政治を行う上で司法は重要であったのですが、どうも日本は欧米と比べて司法に重要性を感じていないように見えます。中国はもっとひどいが。

 このように惰弱な司法を、真に三権分立といえるような状態に強化する事が、今、もっとも憲法改正に求められるべき課題だと私は考えています。同様に、最近もめている少年犯罪等に対しても、成人年齢が現行の20歳というのは既に時代遅れで、これを一気に18歳に下ろし、18から選挙権、被選挙権も与えるべきでしょう。この選挙権も考えてみればおかしな話で、投票する権利はあるのに票を受ける権利がないというのは明らかな間違いです。現在、投票権は20歳からですが、衆議院では25歳から、参議院では30歳から被選挙権を手に入れます。いっちゃなんですが、なんの論拠もない無駄な既定でしょう。実際、他の国では選挙権と被選挙権はほとんど同時に手に入れてますし。

 結論を言うと、9条はこれからもまだまだ議論がいる内容で、その議論を正常に行えるよう、ひとまず9条の是非はおいといて司法権を独立させようというのが私の考えです。

2008年2月2日土曜日

続、佐藤優について

 前回に続いてまた佐藤優氏についてです。前回といっても、前の記事書き終えてからまだ一分も経ってないけど。

 この佐藤優の出自を時系列で追うと、まず沖縄戦を経験した彼の母親と関東にいた彼の父親との間に埼玉県で生まれています。高校は県内の浦和高校で、ここで労農派マルクス主義の思想に惹かれて文芸部の活動と共に、どっかのセクトの地方組織に加入していたようです。
 その後、一年の浪人の後に同志社大学の神学部に入学しています。なお、このときに合格したのは同志社の神学部のほかに、沖縄大学にも合格していたようですが、左派意識の強い大学だと周囲から思われ、こちらの入学には親戚から反対されたらしいです。この頃から反骨精神が強かったのか、「逆にそっちに入ってやろうかとも思った」と本人は述べています。

 なお、この受験時のエピソードでは他にも面白いものもあり、当時の同志社には筆記試験の後に面接があったようですが、その際に受験理由を尋ねられたところ、「無神論を勉強したいからです」と言ったらしい。どこの世界に神を否定する論理の無神論をやりたがっている学生をわざわざ受け入れる神学部があるのやら。本人もこの時は、「しまった」と思ったらしいですが、面接が終わった後に面接官の神学部教授は「ほかに受かってもぜひうちに来てくれ」と言ったらしいです、さすが同志社……。別にこれに限るわけじゃないですが、やっぱあそこはアナ-キーな空気で充満していると思います。

 そこで神学を学ぶ傍ら、当時より語学のセンスが非常に高かったのか数ヶ国語を勉強し、卒業前に最も興味をひかれていたチェコ神学を勉強したいがために、当時は日本からの渡航が難しかったチェコに行くために、外務省にノンキャリア職員として入省したようです。しかし希望はきれいには通らず、ソ連課へと人事で回されて、こうして現在のようにロシア関係の専門家となっていったようです。
 ロシアの駐在時代からその異能ぶりは認められ、ロシアロビー内に深く入り込む人脈を作り上げたほか、一般に言うスパイ活動の諜報活動にも従事し、彼が挙げた最も大きな功績は、ソ連崩壊のきっかけとなったゴルバチョフ政権時に起こったクーデターの際、監禁されて殺されたのではないかと生存の安否が心配されていたゴルバチョフ元大統領の生存情報を、西側の諜報員の中で最も早く掴んだという実績があります。

 その後、日本へ帰国した後もその能力の高さから彼のためだけに作られたと言われる「主任分析官」という役職につき、橋本、小渕、森と、三代の総理大臣に直接会ってレクチャーを行うなど、政権へと深く結びついていきました。その結果、彼の思惑とは遠く離れたところにありながらも政権抗争に巻き込まれ、前回説明したように国策捜査の対象となってしまったようです。

 まだまだ彼について書きたいことはいっぱいあるのですが、それはまた今度にして最後に私自身の彼への評価を書いておきます。
 佐藤優氏は鈴木宗男氏について、「非常に周りに対してこまめに世話を焼く性格で、そしてその能力の高さから本人が知らず知らずのうちに周囲は彼なしでやっていけなくなる。これに一部の人間は嫉妬するのだが、本人はその無欲さから他人の嫉妬に気が付かない」と、評しておりますが、これはそっくりそのまま佐藤優氏に当てはまります。彼自身もこのことに恐らく気がついているでしょうが、やはり能力が周囲を大きく巻き込むほどに高いため、また自分を全く大事にせず、犠牲的な行動ばかり取って周囲から嫉妬や妨害を受けても、身の保全を全く図ろうとしなかったために国策捜査に巻き込まれた感があります。

 実は一部、友人からよく「君は佐藤優に似ている」とよく言われます。これは恐らく先の「犠牲的な行動ばかり取る」という点が共通しているせいだと思っており、同時に「もっと自分を大事にしろ」ともよく言われます。この手のタイプは鈴木宗男氏曰く、「だます側よりだまされる側でいたい」という人間で、ご多分に漏れず私自身はやはりそうです。しかし、憧れの佐藤優氏に似ていると言われるだけでも非常に誇りだとも思っています。

佐藤優について

 友人からのリクエストもあり、今日は自分がファンである佐藤優氏について書きます。

 現在の彼の肩書きは「起訴休職外交官」です。さすがに最近は「作家」とも書くようにもなりましたが、なんでもってこんな堅苦しい肩書きなのかと言うと、言うまでもなく彼の経歴によるものです。
 恐らく、佐藤優という名前だけだとピンとこない方も、「外務省のラスプーチン」といえばまだ思い出す方もいるかもしれません。小泉政権初期、田中真紀子元外相と激しいバトルを繰り広げた鈴木宗男の秘書をやっているようなくらいべったりと行動を共にし、外務省内で専横を振るったとして、ムネオハウスのバッシングと共に非難された外交官です。この「ラスプーチン」というあだ名は外務省内で言われた彼の異名ともあだ名とも取れる名前ですが、元はロシアロマノフ朝にて専横を振るったとして批判の高かった僧侶の名前から来ています。

 現在、一応は外務省職員として籍は残しています。もっとも、外務省側としては早くに辞職してもらいたいようですが、本人も嫌がらせのつもりで「公判途中」ということで粘っています。いっちゃなんですが、人が嫌がることをすすんでやるタイプでしょう、この人。まぁ彼の起訴理由から考えると、私もこの行動を支持します。

 佐藤優氏は2002年、鈴木宗男へ連なる重要人物と見られ、鈴木氏の起訴理由を作るためだけに検察によって逮捕されています。この事実は彼を担当した検事も認めており、このように、国家の権威や政策の転換時に行われる一連の捜査を「国策捜査」と彼は呼び、その国家の暴力性について現在は批判的な立場で論評を各所で行っています。この「国策捜査」の具体的な内容は、彼の処女作である「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」に詳しく書かれてあるので、個人的にも皆で読むことをおすすめします。この「国策捜査」の実態には各論人も非常に衝撃を受けているようで、私が確認する限り、「国家の品格」の藤原正彦氏や田中森一氏など、様々な人間がこの言葉に対して言及しています。

 とまぁ、こんな感じで検察に逮捕拘留された佐藤優氏は、本人曰く「充実した牢獄生活」を満喫したのか、なんと鈴木宗男氏の公判が一段らくするまで約二年半もの間、拘置所に滞在していました。これは一言で言って異常です。通常、公判に必要な捜査調書が出来た段階で、保釈金を払う事で拘置所から容疑者は出所できるのですが、彼は今回の事件で、外務省の内部抗争から鈴木宗男氏を逮捕させてしまったという責任を感じて、敢えて鈴木氏の裁判が終わるまではと拘置所に残りました。ちなみに、その間にラテン語の復習、韓国語の習得を行っていたようです。

 そうして出所した後、かねてよりその能力の高さが注目されていた人物なだけに、この騒動の顛末を本にするという依頼で、「国家の罠」を出しました。確か発売から三ヶ月でこの本は70万部も発行されるという、ノンフィクションのハードカバー本としては異例の大ヒットでした。通常、この手の本は10万部も売れれば相当な収益になること考えると、どれだけ売れたかがわかるでしょう。その後も次々と本を出し、最初の五冊くらいは私もきちんとチェックしていたのですが、今現在、数冊をまだ手につけていません……。

 彼の本の特徴を言うと、まず文体が非常に恐ろしい書き方をしています。恐ろしいというよりは迫力に富んだ、重みのある言葉で、不思議な説得力がもとより備わっています。そんなんだから、時たま、真面目に言っているのかギャグで言っているのかが読んでてわからなくなる事が多いです。本人も述べていますが、結構サービス精神が豊富な性格なので、しょっちゅう文章の中にギャグを織り交ぜてきます、堅い文体で。
 自分が読んだ中でおすすめするものは、まずは処女作の「国家の罠」、そしてA級戦犯の大川周明を書いた「日米開戦の真実」の二作品です。ほかの一部の作品は何度か読んでいると、一部内容が重複しているものもあるので、なるべく新しいものから買った方がいいかもしれません。

 ああ、やっぱり書き切れん……。一旦ここで区切って、次回に続きます。

2008年2月1日金曜日

ニュースコントロール

 時期も時期なので、そろそろこの「ニュースコントロール」について解説します。

 この名称は便宜上、私がつけただけであった、本来はちゃんとした名前があるのかもしれません。これは一般に言われる情報操作と違い、公のマスメディアを使って世間での情報を捜査する手法の事です。
 これを最も使用したのは、前アメリカ大統領のビル・クリントンといわれており、具体的にどのようなことをやるのかと言うと、たとえば身内の民主党から不祥事が明るみになるとします。もちろんテレビや新聞はこの不祥事をバンバン報道するのですが、そこで前もって握っていた対抗馬の共和党の不祥事の事実をどこかしかのメディアに流します。すると、最初の不祥事はまるでなかったかのように大衆やマスメディアは後に出た不祥事に関心が移っていき、そのうち最初の不祥事がうやむやになっていく……というような手法です。
 まぁこの程度の泥仕合だったらどこでもやっているよと言われそうですが、クリントンの場合、これの応用をやってのけています。たとえば、政府の政策欠陥を、共和党が的を得た言葉で糾弾するとします。そして議論や政府への批判が紛糾していく中で、なにか別の社会的事件、一般に多いのは企業不正などの事実を公表、もしくは捜査するのです。これも先ほど同様に、最初の議論はすぐに忘れられ、後のニュースの方に民衆は関心が移っていき、結果的には政権への批判がなし崩しになっていくのです。

 この手法はクリントンのほかに、イギリスのトニー・ブレアもよく使ったと言いますが、もちろん日本でも使い手はいます。その人物というのも、小泉純一郎氏の元秘書であった飯島勲です。
 自分が観察している中で、飯島氏が確信犯的にこのニュースコントロールを行っていたた事例は2004年、福田康夫辞任劇だったと考えています。それまでの記録を抜き、内閣官房長官として最長の任期を務めていた現首相の福田康夫がこの年に前触れもなく、突然辞任しました。その結果、次の日の新聞はどこも一面で「福田辞任」と一番大きく書き、次々と年金未納が発覚した民主党で、とうとう小沢一郎が党首になるというニュースは脇に追いやられていました。
 恐らく、これ以前から小泉氏と福田氏の仲はしっくり言っていないという噂があり、双方とも、辞め時を見計らっていたというのは間違いないと思います。そこに、論戦の相手としては手ごわい小沢一郎が鳩山、菅がどちらも年金未納で代表を務まらないということで、最終的に白羽の矢が立ち、就任を了承したというニュースが入ってきました。当時は小沢が出たら何か起こるという、期待感とも不安感とも言えぬ空気が流れており、少なくとも前々から噂されていた内容でした。そしてそれが現実になると、それこそ世間の関心が民主党の動きに乗りかねない事から、このニュースを封殺する必要がある……そうして、隠し持っていたカードとも言うべき「福田辞任」を切ったのではないかと考えています。ま、結果的にこの時は、小沢も未納で岡田になりましたけど。

 その後も飯島勲氏は私から見て、この手法を幾度か用いているようにみえました。まぁここではいちいち挙げませんが、今、私が気にしているのは餃子のニュースです。
 どうも、あまりチェックしていないからかもしれませんが、なぜこの餃子の中毒事件が発覚したのかがなかなか掴めません。JTフーズが隠していたといえばそれまでですが、それ以上に、現在国会にてガソリン税問題が紛糾している事を考えると、すこしきな臭さを覚えます。もしかしたら、このガソリン税問題の綱引きで、支持率の低下を防ぐために情報を貯めていたのではないかと、すこし疑り深い気もしますが、そんな風に思ってます。少なくとも、ガソリン税のニュースはなりを潜めましたね。