ページ

2008年7月3日木曜日

内部告発と偽装事件の考察

 船場吉兆が潰れておとなしくなったと思ったら、最近になってまたあちこちで食品の偽装事件が明らかになってきました。特に今ニュースを騒がせているのは中国産うなぎの偽装事件ですが、去年に一度大問題になって以降はスーパーの中から一気になくなっていたのでなんか変だとは思ってましたが、こういうことだったようですね。言っちゃ何ですが、去年の国産うなぎを食べててもなんか妙に味が違うと思ったので、多分どっかが偽装をしているとは踏んでました。それよりも、私自身はすでに何度も述べているように中国に一年間行っていたので別に中国産でもなんでも全然抵抗がなく、安い中国産うなぎが売られなくなったことの財布への影響が大きかったです。

 そんな偽装事件ですが、どうも報道を見ていると明らかになる発端はどれも内部告発にあったようです。逆を言えば公の機関が自ら捜査した暴いた事件というのは少なく、その意味で農水省の管理責任を問う声も出てきています。
 とはいえ、やはりこういった問題というのは証拠がないと動けませんし、ネタ元は内部告発に頼らざるを得ないというのもわかります。しかしその内部告発でさえ、日本では未だ数多くの問題点を抱えており、この点でも農水省の反省点は数多くあります。

 その代表的な例である、去年に食品業界を大きく揺るがせた食肉加工業者ミートホープの偽装事件では、外部から新しく入った役員の方の内部告発によって事件は明らかになったのですが、この人が当初、農水省の下部組織に違法を行っていることを告発したところ、全然摘発にも動かないどころかやっとこさ監査に来たかと思ったらあらかじめ業者に監査日を伝えており、それどころか告発の事実と告発者の氏名までも伝えていたというのです。本来、こういった違法を摘発する組織が逆にがっちり業者と組んでいるという、なんとも言いがたい現実が起きたのです。

 結局のところ、この事件ではこの告発者の方がマスコミにも情報を流したことから社会の日の目を浴び、事実は公の下へさらされることとなりました。しかし、その後の新聞の取材でこの告発者は農水省の管理の不徹底さに憤りを伝えるとともに、今でも自分は正しいことをしたのか悩んでいるとも吐露していました。というのも、自分が告発したことでミートホープは潰れ、そこで支持されるままに働いていただけの何の罪もない従業員が突然職を失ってしまったどころか、ミートホープで働いていた経歴から再就職もままならず、生活が困窮する方が大量に出てしまったのです。
 告発者の方は、「結局、自分が一つの企業の偽装を明らかにすることで、何人もの人生を台無しにしてしまったのかもしれない」と、苦しい胸の内を語っていました。

 このように、今の日本の管理体制では内部告発を受け入れる場所もなければ告発者自身を守る法律もなく、また明らかになったとしても徹底的に糾弾され、従業員の職を奪う可能性もあり、偽装が明らかになりづらいという現実があります。本来、個人情報保護法はこうした内部告発者に対して使われなければならない法律なのですが、まるきり役に立たず張子の虎のような状態です。
 こうした日本の法体制について、以前の「テレビタックル」という番組であるコメンテーターが、「日本の法は消費者を守るのではなく、業者を守るためにできている」と言っていましたが、まさにその通りでしょう。

 最期に私の個人的な感想ですが、ミートホープの事件の際、記者会見でなおも偽装の事実を認めない社長に対し、
「社長、真実を語ってください」
 と言って詰め寄った、社長の実の息子である役員の姿が未だに思い浮かびます。偽装の事実はともあれ、こういった人がその経歴から社会での再復帰が今でも閉ざされているのではないかと思うと、少し複雑な気持ちを感じます。

反社会的という言葉について

 以前ある番組でロック歌手が、
「ロック音楽は反社会の象徴だった。しかし、今では売り上げを見込むため、逆に大衆に迎合される物へと変えられてしまった。今のロックに、自分が愛していた魂はない」
 と、述べていましたが、私はあまり音楽に関心こそなけれども、この言葉にはなにか心動かされるものがありました。
 そもそも、反社会というのはどういった基準で「反社会的」とレッテルがつけられるのでしょうか。単純に言って、以前の記事でも書きましたが、発言力の強い上の世代が自分たちの流儀、作法と異なる者に対してレッテルを貼っている気がします。

 それにしてもこの「反社会的」という言葉ですが、言葉の持つイメージこそ悪いけれども、なんだかんだ言って私は非常に強いパワーを感じます。というのも古くは織田信長といった、少年時代はうつけと呼ばれつつも、合理的な思考の元に古くからの無駄な因習や価値観を打ち破り、新たな時代の機種となった人物もいます。これは何も私だけが言っているわけじゃないですが、古くからの殻を破るのは若者だという言葉があり、その若者の力の原動力というのは、すでにあるその世界を疑う、この反社会性にあると思います。

 ところで話は変わりますが、最近このロック音楽ではないですが、私自身が、「ああ、もう反社会的じゃなくなったな」と思うものがあります。何を隠そう、漫画です。

 昔はそれこそ、「漫画を読むくらいなら本を読め」と口をすっぱくして言われ、ドラえもんの中でも親に隠れて漫画を読むシーンが書かれていました。
 それと、これは小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」の中で書かれていた内容ですが、かつて評論家の西部邁氏が、「漫画は電車の中で読むべきものではない」と言ったことに対し、小林氏は漫画家という立場から当初は激しく怒りを感じたものの、後になって西部氏の意を理解し、「西部さん、あなたの言うとおり漫画は電車の中で読むべきものじゃないですよ」と言い、和解したという話がありました。この話も知った当初は別になんとも思いませんでしたが、このごろになってよく思い出すようになってきました。

 前述の通りに、反社会性というものは既成の概念に対して疑いの目を向ける、いわば監視役のような役割を果たします。そのため、逆に「社会性」に取り込まれる、さきほどのロック音楽の例に照らすと「大衆に迎合」すると、社会に対しての問題提起力が落ちてしまいます。そういう意味でやはり、漫画はメインカルチャーではなくサブカルチャーとしての立場を守り、人目をしのんでこそこそ読むものじゃなくちゃいけない気がします。

2008年7月2日水曜日

秋葉原での逮捕者続出のニュースについて

 ぱぱっと書くネタですが、先日の秋葉原での無差別殺傷事件以来、なんか秋葉原でナイフを持っていたとか、警官につばをかけたとか、挙句にはネットで犯罪予告をしたとして逮捕者が続出しており、一部の意見では、「いくらなんでも、警察も過剰に反応し過ぎじゃないか」とか、「得点稼ぎのためにやっているんだろう」という、冷ややかな意見が出ています。

 しかしこうした逮捕者続出の実態はほかでもなく、サミット前だということが最大の理由だと私は思います。今朝も駅に行くと、いつもはいない警官が歩哨に立っており、多少ながら物々しさを感じました。それもこれも、秋葉原通り魔事件の影響というよりは、サミット前の厳重警戒から来ているものだと思います。
 あんまりこの点を指摘している人がいなかったので、ちょこっと書いときます。

コンビニの深夜営業禁止条例について

 先月に確か埼玉県が、
「深夜のコンビニ営業は客が少ないにもかかわらず電気をつけ続け、無駄に電気を使って環境によくないからコンビニ会社に2深夜営業の自粛を求める」
 と、発表しました。この動きに神奈川県も即呼応し、他の自治体もこの深夜営業への自粛に対して興味を持つところが増えているそうです。
 それに対していくつかのネットの掲示板などでは、
「たとえ夜中に営業を止めたとしても、電気使用の大半を占める冷蔵庫などは稼動し続けなければならないので意味がない」
 などと、この動きに対して反論を示す意見も出ています。

 実を言うと私は、このコンビニの深夜営業には四年前から反対してて、今回この自治体の動きをかげながら、ほくそ笑んで見ていました。そこで今日はポイントごとに比較して、コンビニの深夜営業に何故私が反対しているのかを解説します。

・深夜営業は環境に良くないのか?
 まず最初に、この論争の元になったCO2排出などの環境面での問題ですが……ってちょっと待って、あー……上原また打たれちゃった。リリーフ失敗だ。
 と、ちょっと話がそれましたが、環境面の話です。これはネットの中の意見の言う通り、深夜営業をやめたところでほとんど影響はないでしょう。先にも言ったとおり、家庭でも店舗でも最も電気代を食うのは冷蔵庫で、それが回り続けていたらほとんど節電になりません。蛍光灯なんて、つけ続けてもほとんど電気使わないし。

・治安、犯罪面では
 ネットの中の意見の中には、「夜道で誰かに襲われた時に、コンビニのように駆け込む場所があった方が治安にいい」という意見も数多く出ています。まぁ確かに言いたい事もわかりますし、コンビニでバイトしていた友人も何度か女の人が助けを求めに入ってきたと言ってましたが、そういった治安に貢献する一方で、私はコンビニが犯罪を助長させる部分も少なくないと思います。
 まず代表的なのがコンビニ強盗。深夜まで、しかも大体店員一人で営業を続けるため、それこそ強盗の格好のターゲットになってしまいます。そしてもし押し入られたとしても、昼間と違って周りに助けは求め辛く、昔なんてしょっちゅう殺されてましたし。

 そしてもうひとつ、深夜のたむろです。私が以前に住んでいた○○辺では、夜になると中高生らしき少年少女らがコンビニ前でたむろしていて、傍目にもあまりいい影響を与えていない気がしました。私もそのくらいの年代の頃は無意味に外で友人らとたむろしたがった時期がありましたが、あいにく集まるような場所もなく実行できず、今のように品行方正(と周りに言われる)な性格になってます。
 ちょっと予想以上に話が長くなりますが、以前はゲームセンターに不良がたまるなどして教育によくないとして批判され、その批判を受けて現在のゲームセンターでは夜八時以降は未成年の入店を規制するようになりました。しかしそのかわりにコンビニに集まるようになってしまい、しかもコンビ二も客商売ゆえに断れないためにやっぱりよくないんじゃないかと思います。

・過重労働の助長
 またもネットの掲示板からの意見ですが、深夜営業を禁止すると数少ないバイトの口がさらに減ってしまい、若者の雇用の安定によくないとの意見もあり、地方は確かにそういう部分もあると思いますが、はっきり言わせてもらいましょう、こんな意見は言語道断です。
 今年五月に明らかになった、ショップ99での異常ともいえる過重労働の例はまだ皆さんの記憶にも新しいと思います。ショップ99を訴えた元店長の原告によると、ひどい時などは連続で何日も完全徹夜で働き、また一ヶ月の間にほぼ休みなしで働いていたという、恐るべきほどの過重労働が24時間営業のコンビニチェーンでは広がっています。

 言ってしまえば、24時間という営業時間さえなければこんな人道を無視した労働など起こらないのです。またコンビニ業界に限らずとも、昔と比べて「コンビニがあるから」、というようなフレーズで、日本人の深夜の生活時間は増えているのは間違いないでしょう。それがどのような影響を与えるかというと、まずは睡眠不足による健康悪化。次に他の業種での深夜労働の延長。以前だったら夕食を摂るために帰らなけらばいけなかったのが、「コンビニがあるから」で、過剰な残業も会社としては行いやすくなったのではないでしょうか。

 私がコンビニの24時間営業をやめてもらいたいのはすべてこの点からです。コンビニの存在によって日本人の眠る時間が減り(養老猛によると、とても重要な時間らしいです)、童話の「モモ」ではないですが、時間を効率的に使おうとして逆に無駄遣いをしているような状態に陥っているような気がしてなりません。そういうわけで、私もこのコンビニの24時間営業の自粛を訴えていくつもりです。

  追伸
 これもまたネット掲示板での一言ネタですが、前回のパブロフの犬同様に、
「人間は一日の三分の一もの時間を睡眠に使ってるんだぜ」
「もったいないよな、できることなら残り三分の二の時間も寝ていたいよ」
 という話があり、不覚にも笑い声を上げてしまいました。

2008年7月1日火曜日

90年代後半の常識はずれのゲームについて

 先月は41本も記事を書いていて、月間最高記録を塗り替えました。我ながらよく書くもんだ。

 この前、友人に今までのブログの記事の中で気に入った記事はあるかと聞いたら、なんか五月に書いたゲーム会社の栄枯盛衰の記事が面白いと返ってきたので、今日はちょっとそれに加筆するような、当時の狂ったゲームについてあれこれ紹介しようと思います。

 その前回のゲームの記事でも書きましたが、90年代中盤までまだ割とゲーム業界は参入がしやすかった時期でした。というのも安価な開発費でゲームが出せたので、適当な会社が半ば冗談で作ったりしていており、あの吉本興業もファミコンソフトを確か一本出していました。また、元からゲームを作ってきた会社もこの時期はゲームハードの技術も向上していたのもあり、実験的な作品を多く作っています。今日はその中で、いくつか印象に残ったゲームを紹介します。

・メガチューブ2097(PS)
 内容はロボットの格闘ゲームなのですが、近未来の世界という設定で、なぜか発売年の100年後に設定したもんだから中途半端な2097年となってしまい、ゲーム自体の中途半端さとあいまって、妙に覚えてしまったゲームです。

・NOEL(PS)
 ええ買っちゃいましたとも。なんかこの頃、こういう妙なゲームにはまってたからなぁ。
 このNOELは分類上はギャルゲーに入りますが、やることといったら時間合わせと電話をかけることだけです。この頃は「ときめきメモリアル」に代表される、ゲームでキャラクターが音声を発声するシステムがノリに乗ってた頃で、このゲームはそれを前面に持ってきて、文字通り電話で女性キャラクターと会話するだけというすごいゲームでした。会話内容は話題をこっちが振って、相手にそれを返させるというものでしたが、とにもかくにも内容が膨大で、全音声を聞いた人はいないと思います。シリーズは3までありますが、私がやったのは2までです。

・LAIN(PS)
 なんかネットで見てたら、結構有名になっていたこの「LAIN」です。これなんて、発売日に新品で買っちゃいましたよ。
 もともと同名のアニメ作品が大好きで、ゲームが出たら即買おうと思っていたゲームなのですが、これも上記の「NOEL」と同じところが作っていて、やることといったらキャラ同士の会話を聞くだけです。冗談だとおもってるでしょ?
 今更ながら、よくこんなゲームが出ていたと思います。本当にキャラ同士の会話(主人公の記憶)を見るだけで、なんのひねりもない。よくキャラゲーには落とし穴があるといわれていますが、これもその例に漏れません。ただ、この「LAIN」において今もなおネットで語られる特別な部分は、当時に大流行だったサイコホラー的なシナリオです。アニメ版もそうですが、全体的に暗く、全容が掴み切れない内容で、そのゲーム内容と伴って不気味な作品として語り継がれる一因となっていると思います。

・ダブルキャスト(PS)
 これは最近買って、最近やりました。確か三月頃の記事でも書いているはずです。
 この「ダブルキャスト」を初めとして、「やるドラ」シリーズと呼ばれる四本のサウンドノベルがこの時期に連続して出されました。なんだ、内容はただのサウンドノベルかと思うとほらそこに落とし穴、この「やるドラ」シリーズは本来なら、「グロドラ」シリーズといって差し支えないほどに暴力描写が激しい作品群でした。とくにこの「ダブルキャスト」は先頭を切って発売されただけあり、ヒロインの描写の面ではエグいものがあり、ご多分に漏れずこの時期に大流行だったサイコホラー的な要素がふんだんに盛り込まれています。最近、「ヤンデレ」という言葉が一般化していますが、恐らくこのゲームのヒロインが、初代ヤンデレと言ってもいいキャラだと思います。

・デスクリムゾン(SS)
 これについては言わずもがなです。詳しい内容を知りたい方は検索して、調べてみてください。簡単に説明すると、ファミ通の編集者に、「ゲームを得点評価することに、限界を感じた一品」と言わしめた、伝説のクソゲーです。なお、現在私のパソコンでエラーメッセージが出る際に、このゲームの主人公の、「やりやがったな」という音声を鳴らすように設定しています、せっかくだから。

・リアルサウンド(SS)
 「NOEL」も凄かったが、これも凄かった。こっちは私は遊んでないのですが、ゲーム内容は聞くところによるとタイトルの通りに音声だけで、場面場面でちょこっと選択肢をいじくるだけ。余計な画像は一切なしという、CDドラマとどんな違いがあるのかよくわからない作品です。こういうものは、どちらかというとパソコンゲームの方が向いていると思う。

 こんな感じですかね。逆に、思い切ったゲームデザインをして成功して、「俺の屍を超えてゆけ」とか、伝説のマイナーゲーとなっている「街」など、良作も数多く出てきた頃でした。そういう意味で、華やかな時代だったと思います。そしてそんな時に少年時代を越せたというのは、私自身で幸福だった気もします。

2008年6月30日月曜日

ヤマダ電機の主な法律違反

 今日はニチイ学館が偽装請負をやっていたのを注意されたことをネタにブログを書こうとしてましたが、今もやっているNHKニュースで突然ビッグニュースが入ってきました。そのニュースというのも、あのヤマダ電機のものです。
 私は以前からこのヤマダ電機が非常に嫌いで、買い物も絶対にここではしないようにしてきました。というのも、ヤマダ電機はそれまで首位であったマツヤ電気を追い抜き、専門量販店企業で初めて売上高一兆円を越した企業ですが、わずかに耳に入ってくる情報だけでも法律違反のオンパレードで、いわば不正を行って利益を多く受け取っているのが明白だったからです。

 その代表的な法律違反の例というのも、数年前から始まった家電リサイクル法の代行です。この法律が定められてから、家電製品の大半はその処分する際に税金がかけられるようになりました。たとえばテレビだと2835円、エアコンだと3150円を処分の際に業者や自治体に支払わねばならなくなりました。
 そこにつけ込んだのがこのヤマダ電機です。この家電の処分はヨドバシカメラやビッグカメラといった家電量販店でも代行をしてくれ、その際には他の場合同様に処分品を引き渡す際に費用を払わねばならないのですが、なんとヤマダ電機は処分費用を消費者から受け取るだけばかりか、そうして集めた家電を処分せず、そのまま中古家電製品として中国などに輸出、販売していたのです。本来、消費者が払った処分費用はヤマダ電機を仲介して自治体に納められ、中古家電製品も各自治体の処分場で処理されるはずなのですが、それをヤマダ電機は処分費用をタダ取りするどころか、国際条約でも禁止されている、廃棄物の海外輸出までやって二重に不正に儲けていたのです。

 こう言ってはなんですが、何故この問題が大きく取り上げられなかったのか、強い不満と憤りを感じます。厳しいことを言いますが、恐らくヤマダ電機が各メディアに多くの宣伝費を払っているのがその一因でしょう。まだほかの民放はチェックしていませんが、今回明らかになった事実もNHKで私は知りましたし。

 そんなこんだで今日のハイライトです。たった今入ったニュースによると、ヤマダ電機はこれまで取引先のメーカーやその関連会社の社員を集め、タダで店の手伝いをさせていたそうです。主な作業内容は新規店舗開店時の商品陳列や販売員で、少なくともこの一年間で二万六千人はかり出されていたようです。なおその方たちへの報酬は一切なく、費用は派遣した企業側が負担したようです。まぁ普通の給料扱いだから、実質タダ働きの派遣ですね。
 今回、公正取引委員会はこのヤマダ電機を、販売店側の強い圧力、人員を派遣しないとそのメーカーの商品を販売しないなどのプレッシャーで、不当に人員を働かせたということで厳重な注意を行いました。

 なんというか、反省のない会社です。知らない人はしょうがないですが、知っててこんな店に買い物に行く人の気が知れません。それにしても、真面目に法律を守っている企業が落ちぶれて、こういう不正をやりまくっている企業の羽振りがいいなんて、どんだけ狂った社会なんでしょうか。そりゃこんな中で生きている人間も狂ってくよ……。

  追記
 コメント欄にて、営業時間や労働基準法は無視しているものの、家電リサイクル法で引き取った中古家電を中国に横流ししているというのは事実無根だとの情報をいただきました。この記事で書いている家電リサイクル法違反の内容を私は報道ベースで聞いたのであって、直接確かめたわけではありません。さりとてコメント欄の情報も真実かどうか確かめる術はないため、やや無責任でありますが参考情報として両者の情報をどうか見比べていただければ幸いです。
 それにしても、この記事を書いた2008年のヤマダ電機は絶好調だったのに、この追記を書いている2013年では一変して逆風が吹いているというのもまた因果なものです。

2008年6月29日日曜日

パブロフの犬の逆説

 パブロフの犬と来れば、心理学の中で最も有名な話でしょう。内容はというと、パブロフという心理学者が飼っている犬にエサをやる際に毎回ベルを鳴らしてからあげていたら、いつしか犬はベルの音を聞くだけでエサが出ると思い込み、唾液量が増加したという話です。学術用語だと、「パブロフ型条件づけ」と言われ、俗に言う「条件反射」ってやつです。

 しかしこの話について、以前にネットで見た内容で、
「パブロフが犬にエサをやるたびにベルを鳴らしていたところ、パブロフはいつしかベルの音を聞くたびにエサを出してしまうようになった」
 というのがありました。これは最初の例と違って、犬の主観からの事実です。実際に、パブロフはベルを鳴らしながらエサをやっていたので、事実関係に間違いはありません。
 このように、主観が違えば事実は同じでも内容が異なってくることを私なりに「パブロフの犬の逆説」と呼んで、場面場面で使っています。なかなか含蓄の深い話なので、周りにもよく聞かせています。

 最近、この逆説が効きそうな内容の記事があったので、ちょっとそれも紹介しておきます。その記事は確か少し前の新聞記事だったのですが、最近の若者について、

「最近の若者は酒、タバコ、車などにあまりお金を使わず、堅実な生活を送る者が増えている」

 という内容でしたが、占い師に精神年齢はもう30代と言われながらも肉体年齢ではまだ20代で、一応若者側の私からすると、ちょっと上から目線で言われているようでこの記事にカチンと来ました。そんな私の主観からこの記事と同じ内容を書かせると、

「以前の若者は酒、タバコ、車などに多くのお金を使って、刹那的な生活を送る者が多かった」

 と、書きます。実際、こういう書き方をしても事実関係に何の違いもなく、言ってしまえばこういう記事も普通ならあってもおかしくないのですが、今までこのかたこんな記事なんて見たことないです。年齢的な発言力の違いもあるのでしょうが、なんとなく寂しいものです。