・しっとマスク(2ch全AAイラスト化計画)
昨日に引き続きまたもリンクから始めましたが、私がいつも見ているイラストサイトの「2ch全AAイラスト化計画」にて上記の「しっとマスク」がイラスト化されたのを見て、なんていうか忘れていた思い出が一気にぶわーって出てきたので、ちょっとこの時期のエニックスのマンガと既に廃刊した雑誌の「ギャグ王」について話そうと思います。
まず「しっとマスク」ですがこれは松沢夏樹氏作の「突撃パッパラ隊」というマンガにて、もてない軍人キャラの宮本がカップルを見つけるごとにその交際を妨害するキャラとして扮装したキャラクターですが、ありがちでありながらあんまり実際にネタにはされづらいキャラであり、そのテンションの高さとあいまっていい味を出していました。
しかしこの「突撃パッパラ隊」については、残念ながら厳しい評価をせざるを得ないマンガです。しっとマスクが登場したての頃は当初のコンセプトどおりに「過激なアーミーギャグマンガ」という路線が貫かれていたのですが、原作が中盤に差し掛かった頃からただのハイテンションなだけのギャグマンガに成り下がり、ひねりがどんどんと減っていって面白味もどんどんと失われていきました。それならばまだ最初の路線を堅持していれば、まだ面白く読み続けられたと思います。
なお、このパッパラ隊が連載していた当時のエニックス社発行マンガ雑誌のガンガンは、販売部数こそそれほどではなかったものの、他のマンガ雑誌と比べて雑誌全体のくくりが非常に薄く、漫画家がそれぞれ思い思いに自由な話を書いており、贔屓目もあるでしょうが非常に面白かったです。当時のガンガンのホープはなんといっても、現在のホープである「鋼の錬金術師」の作者荒川弘氏の師匠、江藤ヒロユキ氏の「魔方陣グルグル」で、これなんか多分今読み返しても十分に楽しめるマンガですが、このグルグル以外にも「ハーメルンのバイオリン弾き」とか「浪漫倶楽部」(こんなのわかる奴いるのかなぁ)など、全体的に荒削りながらも強い個性を持った連載陣を抱えて毎月楽しめて読めました。
しかしこのガンガンの最大にして致命的な大失敗は、1996年に何を思ったのかそれまでの月刊から隔週化、つまり月二回の発刊にしてしまったことでしょう。今ではもう元の月刊に戻したのですが、この時期に一部のマンガは月刊連載が続いたのですが大半はページ数は据え置きのままで〆切は月二回になるという、漫画家たちに単純にこれまでの二倍のペースで描かせ始めたのが運の尽きでした。やはり執筆期間の短縮はマンガの質に如実に現れ、とくに上記の渡辺道明氏の「ハーメルンのバイオリン弾き」はこの時期から目に見えて話がつまらなくなりました。単行本の作者コメントでもそのことに触れており、この隔週連載の時期は本当に辛かったと暗に述べています。
こうした連載マンガの急激な低調を受け、私も「ハーメルン」のコミックスを買うのをやめたばかりか、ガンガンを購読するのまでやめてしまいました。最終的に「ハーメルン」はマンガ喫茶で読破したけど。
さてこうしたかつてのガンガンのマンガにも思い入れは深いのですが、それ以上に私が当時に深く傾倒していたのが今日のタイトルにある、「月刊少年ギャグ王」でした。
・ピエール刑事94(ヤフオク)
なんかこの前適当に検索していたら出てきたのがこのオークションにかけられた(見事に売れ残っているが)マンガなのですが、これこそギャグ王で連載されていたマンガの一つです。
当時はマンガ雑誌がちょっとバブリーな頃で、エニックスも本流のガンガンに加えて「Gファンタジー」とかこの「ギャグ王」などいろいろ雑誌を出していたのですが、いかんせん作家陣を適当に揃えすぎた(ほとんどが懸賞で集めていきなりデビューの新人)ことと、コンセプトがはっきりしなかったことでギャグ王はあっけなく廃刊してしまいました。
しかしこのギャグ王、ある意味壮大な実験的マンガ雑誌とも言えるような雑誌で、一部には非常に特異なセンスを発揮する漫画家も排出しています。その代表格ともいえるのが「うめぼしの謎」の作者である三笠山出月氏で、生憎今ではもうマンガを描いていないのですが、この四コママンガのネタは文字通りの人の予測を悉く覆すすばらしい出来で、数年前には大都社から愛蔵版が発売されました。ついでに言うと、何故か友人とこのマンガの話になり、二人で小一時間熱く語り合ったことがあります。
最近はマンガ雑誌も売り上げが低迷し、2chの掲示板を見ても昔のマンガが面白かったなどという意見ばかり(2chの閲覧者の平均年齢は本当かどうかはともかくとしてこの前40歳前後とあったので、年齢を考えれば懐古主義になるのは自然です)見ますが、私は今のマンガに対してどれもかつての少女漫画風の絵が大半を占めるようになり、かつてのギャグ王にあったような強烈な個性を出す漫画家がいなくなったなぁとは思います。
しいて挙げるながら、私が知る限り現代漫画家で見ているこっちが舌を巻くのは「鋼の錬金術師」の荒川弘氏、「ケロロ軍曹」の吉崎観音氏、「ノノノノ」の岡本倫、「金剛番長」の鈴木央氏と言ったところでしょうか。ちょっと年齢層を上げていいのなら、「ジャングルの王者、ターちゃん」の徳弘正也氏も、今も連載しているのでここに入りますね。
ここで挙げた作者らは「真似しようとしても真似しきれない」ような強烈な個性をマンガの中でも発揮しているので、私の好きなタイプになります。あと余談ですが、私が中国にいた頃、何故か夜8時くらいに「ジャングルの王者、ターちゃん」が放映されていました。さすがに下品なシーンはカットされてはいたけど、「梁師範」が「リャンシーフー」と呼ばれていたりして、懐かしいやらなんとやらで、相部屋のルーマニア人も見ながらよく笑ってました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年12月1日月曜日
2008年11月30日日曜日
中二病体験のある人ない人、それとしらけについて
・マンガで分かる心療内科・精神科(ゆうメンタルクリニック)
久々にいきなりリンクから始めましたが、今回リンクに貼ったのはこのところ私がハマっている、ゆうメンタルクリニックの「漫画でわかる心療内科・精神科」という連載漫画の最新版です。なかなか短いながらも展開がよく、きちんと精神系の病気について解説がなされているのでぜひともお勧めしたいページです。
さて今回のこの記事ではそんな風に気に入っているページを紹介したいというのがメインではなく、ちょっとこの漫画を読んでひょんなことを思いついたので、その辺を解説しようと思います。
まず上記のリンクに貼った漫画の中で、「うつの人ほど現状をより冷静かつ正確に認識できるのです」というセリフがありますが、これには素直にそうだろうなぁと私は思いました。やっぱり周りの人を見ていても、あんまり悩まない人って言うのは細かいことは気にしなかったりする人が多く、逆に物事を細かく見る人ほどやっぱり悩みやすい気がします。更に偏向的に言えば、私がダジャレを言うとあまり悩まない人だときちんとツッコミを入れてくれますが、よく悩む人ほどツッコミも愛想笑いもせずに「つまんね」とだけ言ったり、ひどい人によっては相手にもせず放置するのまでいます。これまた偏見ですが、やっぱり前者は関西人の割合が多くて後者は関東人の割合が高い気もします。
ここで話は変わりますが、「中二病」というものを皆さんご存知でしょうか。
この中二病というのは文字通り、中学校二年生くらいの思春期の男の子にありがちな、後年恥ずかしくてとても人に言えないような夢見がちで意識過剰な行動を取ってしまうことの総称で、俗説的に流布している言葉です。いくつか例を挙げるとしたら、中学二年生くらいになって急に音楽にハマって毎日ギターを弾きだしたり、どっかで見たりしたような奇妙なファッションを「これこそが俺の個性なんだ」とか言って一人でやり始め、周りがドン引きしているにもかかわらず、「あいつらには俺のセンスがわからないんだ、フッ」というようなことを恥ずかしげもなく周りに言い始めるような行動が主な中二病の症状です。かいつまんでいうと、周りの目を気にしないあまりにとんでもなく突っ走って妙な行動をしてしまうといったところでしょうか。
さてこの中二病ですが、この言葉の発信源の巨大掲示板「2ちゃんねる」では匿名性ゆえにネタとして扱われることが多く、大抵は否定的なものとして見られています。しかし私の結論から言うと、男のくせに中二病体験もないなんて寂しい奴だと、どちらかといえば肯定的に見ています。というより、男子の一つの成長関門みたいなものだと思います。
かく言う私も少なからずこの時期におかしい考え方や行動を、それこそ人に言えないようなことを数多くやっています。まだここで公開できるものとして、中学校一年の頃に政治を正して世の中を良くするんだと思っていろいろ政治について勉強し始めたのですが、「日本で政治家になっても、日本しか救えない。これじゃ駄目だ!」とか思いなおし、じゃあ世界中を救うにはどうすればいいかと考えて、やっぱりそりゃ文学しかないだろうと思って小説を、しかも何故かSF系の小説ばかり中学二年生の頃から書き始めました。そのおかげで文章を書くのは得意になったけど。
そんな私の体験はおいといて、私は基本的に中学生くらいの男の子はこういう後年にすねの傷になるような体験や行動をみんなしていると思います。しかし中にはこうした行動を、それこそさきほどの「うつの人は現状を冷静に認識する」じゃないですが、同学年とかクラスに一人は揚げ足取りみたいにそうした行動をからかったり、馬鹿にしたりする人間もいます。これなんかはちょっと極端な例ですが、私が小学生だった頃に友達らと遊んでいる際、アニメでやっている必殺技のまねをしたらある同学年の子が、「かめはめ波なんて本当に出るわけないのに、なに変なことしてんのさ」っていう具合に、冷めた態度を取ってきたことがあります。
これは私の感覚ですが、そのように中二病をからかっていた人間は性格的にあまり付き合いたくないと思うような人ばかりでした。理由はどうあれ、自分で満足して行っている行動に対して、おかしいとか変だとか周囲が決め付け批判する権利は本来ないと思いますし、逆に過度にからかう理由というのもないような気がします。そしたら案の定というかなんですが、当時にそうやって冷めた態度を取ったり中二病の同級生をからかっていた私の同級生らは成人してもどこかしらおかしな行動を取ってたり、ひどい例などはニートになっていたりなどあまり順調な人生を歩んでいません。それに対して当時に中二病丸出しで夢見がちだった友人らは今もいい友人で、また実生活でも充実している人が非常に多いです。
言ってしまえば最初のうつになりやすい人が物事に対して冷めているという精神病理学の分析のように、中二病をやらかす人間というのはそうしたものとは無縁で行動力がある人間という風に解釈できるのではないでしょうか。またそんな堅苦しい分析はほっといても、中二病をやらかした過去というのは確かに中二病を過ぎ去った直後は非常に恥ずかしいものですが、ある程度年齢を重ねると、「あの時の俺は馬鹿だったなぁ」と、恥ずかしさはあるもののいい思い出として残るものの方が多い気がするので、やらないよりはやっている方が人間として面白味もつくし、人生的にもいいんじゃないかと思います。程度にもよりますが。
しかるに今の日本ではこうした行動や社会的な事象に対して、非常に冷めているというかしらけたムードが日本中に漂っています。そしてそれを反映してか、私から見ても今の中学生や高校生で、「ああ、あいつ中二病だな」と思わせるような突飛な行動をする者が減り、なんとなく物事や自分の将来に対して非常に冷めてて話をしていても面白いと思わせるような子がいない気がします。
そういうわけで私がここで言いたいのは、少なくとも周りに大迷惑を与えるような行動は論外ですが、中二病というような行動に対して、「子供はそうでなくっちゃ」と大人が子供に言ってあげるべきだと思います。またそうした行動に対して、「馬鹿なことはやめろ」とソフトバンクのお父さんみたいに頭ごなしに言うのではなく、多少は好き勝手にやらせてあげるのも本人の可能性を広げる意味でいいと思います。私も、文学での世界平和を信じたために今の文章力が養われたという事実があるんだし。
追伸
馬鹿にしてはいけないといいつつも、私が今までに見た壮絶な中二病体験をここで紹介します。こういうものって外から見る分にはやっぱり面白いからなぁ。
・放課後のジョーカー(ハムスター速報)
・邪気眼(はてなキーワード)
久々にいきなりリンクから始めましたが、今回リンクに貼ったのはこのところ私がハマっている、ゆうメンタルクリニックの「漫画でわかる心療内科・精神科」という連載漫画の最新版です。なかなか短いながらも展開がよく、きちんと精神系の病気について解説がなされているのでぜひともお勧めしたいページです。
さて今回のこの記事ではそんな風に気に入っているページを紹介したいというのがメインではなく、ちょっとこの漫画を読んでひょんなことを思いついたので、その辺を解説しようと思います。
まず上記のリンクに貼った漫画の中で、「うつの人ほど現状をより冷静かつ正確に認識できるのです」というセリフがありますが、これには素直にそうだろうなぁと私は思いました。やっぱり周りの人を見ていても、あんまり悩まない人って言うのは細かいことは気にしなかったりする人が多く、逆に物事を細かく見る人ほどやっぱり悩みやすい気がします。更に偏向的に言えば、私がダジャレを言うとあまり悩まない人だときちんとツッコミを入れてくれますが、よく悩む人ほどツッコミも愛想笑いもせずに「つまんね」とだけ言ったり、ひどい人によっては相手にもせず放置するのまでいます。これまた偏見ですが、やっぱり前者は関西人の割合が多くて後者は関東人の割合が高い気もします。
ここで話は変わりますが、「中二病」というものを皆さんご存知でしょうか。
この中二病というのは文字通り、中学校二年生くらいの思春期の男の子にありがちな、後年恥ずかしくてとても人に言えないような夢見がちで意識過剰な行動を取ってしまうことの総称で、俗説的に流布している言葉です。いくつか例を挙げるとしたら、中学二年生くらいになって急に音楽にハマって毎日ギターを弾きだしたり、どっかで見たりしたような奇妙なファッションを「これこそが俺の個性なんだ」とか言って一人でやり始め、周りがドン引きしているにもかかわらず、「あいつらには俺のセンスがわからないんだ、フッ」というようなことを恥ずかしげもなく周りに言い始めるような行動が主な中二病の症状です。かいつまんでいうと、周りの目を気にしないあまりにとんでもなく突っ走って妙な行動をしてしまうといったところでしょうか。
さてこの中二病ですが、この言葉の発信源の巨大掲示板「2ちゃんねる」では匿名性ゆえにネタとして扱われることが多く、大抵は否定的なものとして見られています。しかし私の結論から言うと、男のくせに中二病体験もないなんて寂しい奴だと、どちらかといえば肯定的に見ています。というより、男子の一つの成長関門みたいなものだと思います。
かく言う私も少なからずこの時期におかしい考え方や行動を、それこそ人に言えないようなことを数多くやっています。まだここで公開できるものとして、中学校一年の頃に政治を正して世の中を良くするんだと思っていろいろ政治について勉強し始めたのですが、「日本で政治家になっても、日本しか救えない。これじゃ駄目だ!」とか思いなおし、じゃあ世界中を救うにはどうすればいいかと考えて、やっぱりそりゃ文学しかないだろうと思って小説を、しかも何故かSF系の小説ばかり中学二年生の頃から書き始めました。そのおかげで文章を書くのは得意になったけど。
そんな私の体験はおいといて、私は基本的に中学生くらいの男の子はこういう後年にすねの傷になるような体験や行動をみんなしていると思います。しかし中にはこうした行動を、それこそさきほどの「うつの人は現状を冷静に認識する」じゃないですが、同学年とかクラスに一人は揚げ足取りみたいにそうした行動をからかったり、馬鹿にしたりする人間もいます。これなんかはちょっと極端な例ですが、私が小学生だった頃に友達らと遊んでいる際、アニメでやっている必殺技のまねをしたらある同学年の子が、「かめはめ波なんて本当に出るわけないのに、なに変なことしてんのさ」っていう具合に、冷めた態度を取ってきたことがあります。
これは私の感覚ですが、そのように中二病をからかっていた人間は性格的にあまり付き合いたくないと思うような人ばかりでした。理由はどうあれ、自分で満足して行っている行動に対して、おかしいとか変だとか周囲が決め付け批判する権利は本来ないと思いますし、逆に過度にからかう理由というのもないような気がします。そしたら案の定というかなんですが、当時にそうやって冷めた態度を取ったり中二病の同級生をからかっていた私の同級生らは成人してもどこかしらおかしな行動を取ってたり、ひどい例などはニートになっていたりなどあまり順調な人生を歩んでいません。それに対して当時に中二病丸出しで夢見がちだった友人らは今もいい友人で、また実生活でも充実している人が非常に多いです。
言ってしまえば最初のうつになりやすい人が物事に対して冷めているという精神病理学の分析のように、中二病をやらかす人間というのはそうしたものとは無縁で行動力がある人間という風に解釈できるのではないでしょうか。またそんな堅苦しい分析はほっといても、中二病をやらかした過去というのは確かに中二病を過ぎ去った直後は非常に恥ずかしいものですが、ある程度年齢を重ねると、「あの時の俺は馬鹿だったなぁ」と、恥ずかしさはあるもののいい思い出として残るものの方が多い気がするので、やらないよりはやっている方が人間として面白味もつくし、人生的にもいいんじゃないかと思います。程度にもよりますが。
しかるに今の日本ではこうした行動や社会的な事象に対して、非常に冷めているというかしらけたムードが日本中に漂っています。そしてそれを反映してか、私から見ても今の中学生や高校生で、「ああ、あいつ中二病だな」と思わせるような突飛な行動をする者が減り、なんとなく物事や自分の将来に対して非常に冷めてて話をしていても面白いと思わせるような子がいない気がします。
そういうわけで私がここで言いたいのは、少なくとも周りに大迷惑を与えるような行動は論外ですが、中二病というような行動に対して、「子供はそうでなくっちゃ」と大人が子供に言ってあげるべきだと思います。またそうした行動に対して、「馬鹿なことはやめろ」とソフトバンクのお父さんみたいに頭ごなしに言うのではなく、多少は好き勝手にやらせてあげるのも本人の可能性を広げる意味でいいと思います。私も、文学での世界平和を信じたために今の文章力が養われたという事実があるんだし。
追伸
馬鹿にしてはいけないといいつつも、私が今までに見た壮絶な中二病体験をここで紹介します。こういうものって外から見る分にはやっぱり面白いからなぁ。
・放課後のジョーカー(ハムスター速報)
・邪気眼(はてなキーワード)
2008年11月28日金曜日
ネットカフェ難民体験
暑い……この店の人間は気が狂ってるのか?
今日はとある事情で自宅に帰れず、ネットカフェにて一夜を明かさねばならなくて今のブログもネットカフェで書いていますが、何をトチ狂っているのか、私が今いるこの部屋の室温は現在30℃。湿度も30%あり、不快指数は相当高くこの後無事に眠れるのか非常に不安です。飲み物は飲み放題で毛布も借りられてて個室ですが、これで一晩3000円というのにはちょっと納得はいきません。他に選択肢がないから仕方ないけど。
ところで以前に週刊朝日の記者がネットカフェをめぐり、「ネットカフェ難民にも格差がある」という記事を書いており、やはり値段によっては至れり尽くせりの店もあれば、一晩泊るといったら店員に、「女性一人で大丈夫ですか?」と聞かれるような店もあり、いちいち回ったこの女性記者には舌を巻きました。
それにしても暑い……服脱がないとたぶん眠れないなぁ。早く寝たいのに連絡の必要な相手から返事が来ない……。
今日はとある事情で自宅に帰れず、ネットカフェにて一夜を明かさねばならなくて今のブログもネットカフェで書いていますが、何をトチ狂っているのか、私が今いるこの部屋の室温は現在30℃。湿度も30%あり、不快指数は相当高くこの後無事に眠れるのか非常に不安です。飲み物は飲み放題で毛布も借りられてて個室ですが、これで一晩3000円というのにはちょっと納得はいきません。他に選択肢がないから仕方ないけど。
ところで以前に週刊朝日の記者がネットカフェをめぐり、「ネットカフェ難民にも格差がある」という記事を書いており、やはり値段によっては至れり尽くせりの店もあれば、一晩泊るといったら店員に、「女性一人で大丈夫ですか?」と聞かれるような店もあり、いちいち回ったこの女性記者には舌を巻きました。
それにしても暑い……服脱がないとたぶん眠れないなぁ。早く寝たいのに連絡の必要な相手から返事が来ない……。
2008年11月27日木曜日
絶対的に間違っていることについて
よく世の中には、「絶対的に正しいことなどない」という言葉がありますが、この言葉には私も素直にその通りだと思い、どんな時にどこでも正しい規範なんていうものは現実には存在しないと思います。しかしその逆の「絶対的に間違っていること」というのは、私は世の中に確実に存在していると思います。
ではどのようなものが絶対的に間違っていることなのかですが、まず一番代表的なのは私が「邪悪とは」の記事の中で書いた、他人を踏み台にして自分だけいい目を見ようとする行為です。これにはたとえどんな反論があろうと、私の中で許されざる行為であるという信念は揺るがないでしょう。
次に言えるのは、弱者をいたぶる行為です。言ってしまえば自分に逆らうことの出来ない相手に対して知っていながら必要以上に嫌がらせや攻撃を仕掛けることで、いじめやカスタマーサービスへの必要以上のクレームがこれに当たります。
このように、「絶対的に正しいこと」に対して「絶対的に間違っていること」というのはいろいろあり、また確信を持って主張できるものばかりです。敢えて絶対的に正しいこととは何かというのなら、それはこの絶対的に間違っていることを絶対に行わないということなのかもしれません。
ではどのようなものが絶対的に間違っていることなのかですが、まず一番代表的なのは私が「邪悪とは」の記事の中で書いた、他人を踏み台にして自分だけいい目を見ようとする行為です。これにはたとえどんな反論があろうと、私の中で許されざる行為であるという信念は揺るがないでしょう。
次に言えるのは、弱者をいたぶる行為です。言ってしまえば自分に逆らうことの出来ない相手に対して知っていながら必要以上に嫌がらせや攻撃を仕掛けることで、いじめやカスタマーサービスへの必要以上のクレームがこれに当たります。
このように、「絶対的に正しいこと」に対して「絶対的に間違っていること」というのはいろいろあり、また確信を持って主張できるものばかりです。敢えて絶対的に正しいこととは何かというのなら、それはこの絶対的に間違っていることを絶対に行わないということなのかもしれません。
2008年11月26日水曜日
失われた十年とは~その十二、左翼の失墜~
ちょっと連載のペースが落ちてきているので、気合入れなおして書いて行きます。
さてこの失われた十年の間の最も大きな政治変動といったら、恐らく誰もが宮沢内閣時の自民党の野党転落による55年体制の崩壊だと挙げる方が多いでしょうが、確かに一発の事件で見るならこちらに分があるでしょうが、この時代全体を通してみるのなら私はやはり今日のお題になっている左翼政党の失墜こそ、この時代の最大の政治変動だと考えています。
現在の日本で左翼政党と来たら日本共産党と社会民主党の二党が代表的ですが、現在この両党は選挙のたびに議員数を減らしていき、特に社民党はかつて社会党であった頃は自民党と文字通り二大政党体制を築くまでの議員数を誇っていたことを考えるとその凋落振りは激しく、最近の選挙では毎回「党の存亡がかかっている」とまで評論家に揶揄される始末です。
しかしその社民党はその前身の社会党時代、失われた十年の初期においては現在とは逆に、それまでにないほどの隆盛を誇っていました。その一時の隆盛の原動力となったのは今はもう引退した土井たか子氏で、土井氏がいろんな意味で引っ張っていた頃の89年の選挙ではマドンナ旋風とまで言われるほど現在の党首の福島瑞穂議員をはじめとする女性議員が数多く当選し、議会内でも社会党の発言力が大きく向上していました。折も折で自民党が数々の汚職に加えてバブル崩壊を招いたことによって国民の信頼が大きく揺らいだこともあり、小沢一郎現民主党代表による政界再編が行われた結果、社会党は政局を動かすキーパーソンたる位置についていました。
そのため、小沢氏の仕掛けた細川内閣が崩壊した94年に至ってなんとしても与党に返り咲こうとするかつての仇敵である自民党から連立打診を受け、ついに社会党は戦後からの悲願であった与党に入ることが出来、首相も当時の党首である村山富一氏が就任したのですが、結果論から言うとこれは社民党にとって凋落の原因をになってしまいました。
社会党は戦後に発足した当時からその党是として「平和、福祉、護憲」を掲げており、自衛隊などの国家が持つ武力を違憲であると激しく非難し否定し続けてきた歴史がありました。そんな政党が与党になり政策も実際に動かす段階に至ったのでこの自衛隊の扱いについても当然注目が集まったのですが、当時の村山元首相は就任と共に、
「自衛隊は違憲ではあるが、その存在は認める」
と、発言しちゃったものですから、それまで護憲ということで社民党を応援してきた人間も結局は口先だけだったのかと呆れて支持が離れ、さらに村山内閣時には阪神大震災が起こり、被災地を救援するために自衛隊の出動が各所で求められたにもかかわらずそれまでの立場から村山元首相は渋り、そのため自衛隊の出動が遅れて被害が拡大したと非難されてここでも失点を出してしまいました。
ちなみにこれは私の見解ですが、この自衛隊出動の遅延についてはやはり関東よりも実際に被害に遭われた関西の人の方が根強く覚えているような気がします。それと村山元首相が自衛隊出動を渋って遅れたとよく言われますが、当時の側近の方らが言うにはかつてないほどの都市中心部での前例のない大災害ということで、自衛隊を派遣するにしてもどのように、どんな方法で出動、活動させればよいかわからずに混乱したために出動が遅れたというだけで、決して渋ったわけではないと話しています。この意見について私は当初、しょせんはいいわけだろうと見ていたのですが、この前に中国に起きた四川大地震とその際の人民解放軍の救援活動の難航振りや指揮系統の乱れを見ていると、あながち嘘ではないのかもしれないと考え始め、現在この件で私は村山元首相を弁護する立場におります。
まぁそんな具合で、万年野党だったのが突然政策を作る立場になって見たらてんで何も出来なかった、というのがまさにこの村山内閣でした。連立という他の連立政党にも気を配らなければいけない政権だったとはいえ、私から見ても当時の村山内閣は政策実行がほとんど図られていなかったと思います。なお、今度もし民主党が政権をとったら同じようになるのかもしれませんし、評論家の方などはそうなるとはっきりと断言している人もいます。
その後社民党と名前を変えて連立からも離脱したものの、やはりこの時の政策手腕を見て支持者たちもやはり政権を任せられないと思ったのか、社民党はその後ずるずると議席数を減らしていきました。またこの頃から(前からもだけど)政策を批判することだけに固執し始め実際に実現可能かどうか非常に疑問なことばかりを政党の主張としてあげる傾向が目立ち、私が覚えているのは「企業のリストラ、原則禁止」といったことを選挙の公約に掲げたりもしていましたが、「リストラせずに本体の会社が潰れたらどうするんだ!」などと逆批判を受けるなどだんだんと国民の意識と乖離した政策ばかり主張するようになり、それに合わせて支持者も減っていったように思えます。
それでも一応は左翼政党ということで弱者の味方という立場を主張していたことと、憲法九条を何が何でも堅持するという護憲派の立場ということでうちの叔父さんのように根っからの支持者は離れずについてきていたのですが、失われた十年の後期におきたある事件によって、徹底的に社民党は支持をなくすことになりました。何を隠そう、小泉元首相の北朝鮮訪問とその後に起こった拉致被害者の帰還です。
社民党はそれまで同じ社会主義を標榜していることから北朝鮮の政権である朝鮮労働党とは友好な関係を維持し続けており、北朝鮮が飢饉に陥った際は米支援を訴え、ある自民党議員が拉致疑惑のある国に塩を送るような真似をしてもいいのかと反論するも、そんなありもしない疑惑で人助けを邪魔立てするのかと批判して米支援を実現しました。そんな具合で党の公式見解においても社民党は長い間、北朝鮮の日本人拉致は根も葉もないデマだと一貫して否定し続けていたのですが、小泉元首相の訪問により北朝鮮も拉致の事実を認め、被害者も帰還してきたのですからこれが大問題になりました。言ってしまえば、根も葉もないデマを言っていたのは社民党になってしまったといったところでしょうか。
これについて社民党は結局、党の公式見解から「拉致は存在しない」という項目を削除するに至ったのですが、それまでの見解が間違っていたということについては一切謝罪をせずにいたため、結局は日本の国益よりもわけのわからない理念の方が重要なのかと知識人層も批判し、最後まで残っていた支持者もこの件で一挙に社民党に見切りをつけるようになりました。私としても、まだまともな見識を持っているのなら与党にならなくとも野党として存在価値はあると認めるのですが、この時の社民党の対応を見ていると、その存在すら許されざる集団のように思えてきます。
ついでに書くと、その後北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、また災害救助やイラク派遣などを経て自衛隊への国民の信頼も大きくなり(最近また下がってきたが)、近年では憲法改正についても「九条維持、自衛隊の存在を明記」という意見が多数派を占めるようになり、社民党の最後の砦であった「護憲派」という主張もほとんど有名無実化してしまったのがとどめになり、今のような泡沫政党になってしまったのだと思います。
これは共産党もそうですが、ソ連の崩壊によって社会主義が現実に適用するには無理な思想だったということが明らかになったにもかかわらず、大きな政策路線の転換を図らずにいたのが日本の左翼政党の失墜を招いたのだと思います。また野党で居続けるということを暗黙のうちに了解していた55年体制の頃ならともかく、55年体制が崩壊した後も延々と政策の実現性を無視したり独自案などを設けずに自民党の政策を非難し続けたのも、時代の変化を考えなかった無謀な行為だったと言わざるを得ませんし、北朝鮮の問題や現在の主張内容などを見ても本気で弱者の立場に立っているのかと疑問なことばかりで、言ってしまえば両党は自民や民主の二大政党制の煽りを受けたわけではなく、自分で自滅したに過ぎないと私は断言できます。
ただ惜しむらくは、こうした自滅を招くような政党しか日本には左翼政党がなかったということです。別に左翼だからといって必ずしも社会主義を標榜する必要はなく、以前の記事でも書いたように私としては右翼と左翼がそれぞれ拮抗し合う状態こそが政治的に安定すると思うので、与党になれとまでは言いませんが、きちんとした左翼政党が日本にも本来必要だと思います。ですがこの社民党のお粗末な姿を見て、現代の日本人は左翼と聞くだけで激しい嫌悪感情を持つ人間も増えてきているように思え、懸念過ぎだし現段階でそうなることはほとんどないにしても、今のうちにきっちりとした左翼政党を作っておくべきではないかと陰ながら考えています。
さてこの失われた十年の間の最も大きな政治変動といったら、恐らく誰もが宮沢内閣時の自民党の野党転落による55年体制の崩壊だと挙げる方が多いでしょうが、確かに一発の事件で見るならこちらに分があるでしょうが、この時代全体を通してみるのなら私はやはり今日のお題になっている左翼政党の失墜こそ、この時代の最大の政治変動だと考えています。
現在の日本で左翼政党と来たら日本共産党と社会民主党の二党が代表的ですが、現在この両党は選挙のたびに議員数を減らしていき、特に社民党はかつて社会党であった頃は自民党と文字通り二大政党体制を築くまでの議員数を誇っていたことを考えるとその凋落振りは激しく、最近の選挙では毎回「党の存亡がかかっている」とまで評論家に揶揄される始末です。
しかしその社民党はその前身の社会党時代、失われた十年の初期においては現在とは逆に、それまでにないほどの隆盛を誇っていました。その一時の隆盛の原動力となったのは今はもう引退した土井たか子氏で、土井氏がいろんな意味で引っ張っていた頃の89年の選挙ではマドンナ旋風とまで言われるほど現在の党首の福島瑞穂議員をはじめとする女性議員が数多く当選し、議会内でも社会党の発言力が大きく向上していました。折も折で自民党が数々の汚職に加えてバブル崩壊を招いたことによって国民の信頼が大きく揺らいだこともあり、小沢一郎現民主党代表による政界再編が行われた結果、社会党は政局を動かすキーパーソンたる位置についていました。
そのため、小沢氏の仕掛けた細川内閣が崩壊した94年に至ってなんとしても与党に返り咲こうとするかつての仇敵である自民党から連立打診を受け、ついに社会党は戦後からの悲願であった与党に入ることが出来、首相も当時の党首である村山富一氏が就任したのですが、結果論から言うとこれは社民党にとって凋落の原因をになってしまいました。
社会党は戦後に発足した当時からその党是として「平和、福祉、護憲」を掲げており、自衛隊などの国家が持つ武力を違憲であると激しく非難し否定し続けてきた歴史がありました。そんな政党が与党になり政策も実際に動かす段階に至ったのでこの自衛隊の扱いについても当然注目が集まったのですが、当時の村山元首相は就任と共に、
「自衛隊は違憲ではあるが、その存在は認める」
と、発言しちゃったものですから、それまで護憲ということで社民党を応援してきた人間も結局は口先だけだったのかと呆れて支持が離れ、さらに村山内閣時には阪神大震災が起こり、被災地を救援するために自衛隊の出動が各所で求められたにもかかわらずそれまでの立場から村山元首相は渋り、そのため自衛隊の出動が遅れて被害が拡大したと非難されてここでも失点を出してしまいました。
ちなみにこれは私の見解ですが、この自衛隊出動の遅延についてはやはり関東よりも実際に被害に遭われた関西の人の方が根強く覚えているような気がします。それと村山元首相が自衛隊出動を渋って遅れたとよく言われますが、当時の側近の方らが言うにはかつてないほどの都市中心部での前例のない大災害ということで、自衛隊を派遣するにしてもどのように、どんな方法で出動、活動させればよいかわからずに混乱したために出動が遅れたというだけで、決して渋ったわけではないと話しています。この意見について私は当初、しょせんはいいわけだろうと見ていたのですが、この前に中国に起きた四川大地震とその際の人民解放軍の救援活動の難航振りや指揮系統の乱れを見ていると、あながち嘘ではないのかもしれないと考え始め、現在この件で私は村山元首相を弁護する立場におります。
まぁそんな具合で、万年野党だったのが突然政策を作る立場になって見たらてんで何も出来なかった、というのがまさにこの村山内閣でした。連立という他の連立政党にも気を配らなければいけない政権だったとはいえ、私から見ても当時の村山内閣は政策実行がほとんど図られていなかったと思います。なお、今度もし民主党が政権をとったら同じようになるのかもしれませんし、評論家の方などはそうなるとはっきりと断言している人もいます。
その後社民党と名前を変えて連立からも離脱したものの、やはりこの時の政策手腕を見て支持者たちもやはり政権を任せられないと思ったのか、社民党はその後ずるずると議席数を減らしていきました。またこの頃から(前からもだけど)政策を批判することだけに固執し始め実際に実現可能かどうか非常に疑問なことばかりを政党の主張としてあげる傾向が目立ち、私が覚えているのは「企業のリストラ、原則禁止」といったことを選挙の公約に掲げたりもしていましたが、「リストラせずに本体の会社が潰れたらどうするんだ!」などと逆批判を受けるなどだんだんと国民の意識と乖離した政策ばかり主張するようになり、それに合わせて支持者も減っていったように思えます。
それでも一応は左翼政党ということで弱者の味方という立場を主張していたことと、憲法九条を何が何でも堅持するという護憲派の立場ということでうちの叔父さんのように根っからの支持者は離れずについてきていたのですが、失われた十年の後期におきたある事件によって、徹底的に社民党は支持をなくすことになりました。何を隠そう、小泉元首相の北朝鮮訪問とその後に起こった拉致被害者の帰還です。
社民党はそれまで同じ社会主義を標榜していることから北朝鮮の政権である朝鮮労働党とは友好な関係を維持し続けており、北朝鮮が飢饉に陥った際は米支援を訴え、ある自民党議員が拉致疑惑のある国に塩を送るような真似をしてもいいのかと反論するも、そんなありもしない疑惑で人助けを邪魔立てするのかと批判して米支援を実現しました。そんな具合で党の公式見解においても社民党は長い間、北朝鮮の日本人拉致は根も葉もないデマだと一貫して否定し続けていたのですが、小泉元首相の訪問により北朝鮮も拉致の事実を認め、被害者も帰還してきたのですからこれが大問題になりました。言ってしまえば、根も葉もないデマを言っていたのは社民党になってしまったといったところでしょうか。
これについて社民党は結局、党の公式見解から「拉致は存在しない」という項目を削除するに至ったのですが、それまでの見解が間違っていたということについては一切謝罪をせずにいたため、結局は日本の国益よりもわけのわからない理念の方が重要なのかと知識人層も批判し、最後まで残っていた支持者もこの件で一挙に社民党に見切りをつけるようになりました。私としても、まだまともな見識を持っているのなら与党にならなくとも野党として存在価値はあると認めるのですが、この時の社民党の対応を見ていると、その存在すら許されざる集団のように思えてきます。
ついでに書くと、その後北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、また災害救助やイラク派遣などを経て自衛隊への国民の信頼も大きくなり(最近また下がってきたが)、近年では憲法改正についても「九条維持、自衛隊の存在を明記」という意見が多数派を占めるようになり、社民党の最後の砦であった「護憲派」という主張もほとんど有名無実化してしまったのがとどめになり、今のような泡沫政党になってしまったのだと思います。
これは共産党もそうですが、ソ連の崩壊によって社会主義が現実に適用するには無理な思想だったということが明らかになったにもかかわらず、大きな政策路線の転換を図らずにいたのが日本の左翼政党の失墜を招いたのだと思います。また野党で居続けるということを暗黙のうちに了解していた55年体制の頃ならともかく、55年体制が崩壊した後も延々と政策の実現性を無視したり独自案などを設けずに自民党の政策を非難し続けたのも、時代の変化を考えなかった無謀な行為だったと言わざるを得ませんし、北朝鮮の問題や現在の主張内容などを見ても本気で弱者の立場に立っているのかと疑問なことばかりで、言ってしまえば両党は自民や民主の二大政党制の煽りを受けたわけではなく、自分で自滅したに過ぎないと私は断言できます。
ただ惜しむらくは、こうした自滅を招くような政党しか日本には左翼政党がなかったということです。別に左翼だからといって必ずしも社会主義を標榜する必要はなく、以前の記事でも書いたように私としては右翼と左翼がそれぞれ拮抗し合う状態こそが政治的に安定すると思うので、与党になれとまでは言いませんが、きちんとした左翼政党が日本にも本来必要だと思います。ですがこの社民党のお粗末な姿を見て、現代の日本人は左翼と聞くだけで激しい嫌悪感情を持つ人間も増えてきているように思え、懸念過ぎだし現段階でそうなることはほとんどないにしても、今のうちにきっちりとした左翼政党を作っておくべきではないかと陰ながら考えています。
コメント、リクエストの募集
先日に名古屋にいって久しぶりに友人らと会ってきましたが、その中にはもちろんこのブログを読んでくれている友人もおり、改めてコメントをしてくれている友人にお礼を言ってきました。
ここで言うのもなんですが、やはりブログを書いている人間からするとコメントが寄せられると厳しい意見でも非常にうれしいものです。このブログでは今年中盤からコメントがいくつか寄せられるようになってそれから加速度的に記事数も増えていきましたが、その原動力たるはやはりコメントです。
FC2のブログの方では以前にも書きましたが「拍手ボタン」というものがあり、これは管理者ページでは過去の履歴も調べられ、押してもらえると同様にうれしいものです。
第一、こういったブログというものの最大の利点というのは、やはり読者と書き手が双方向的にコミュニケーションが取れるということだと思います。私もいくつかの記事でやっているように、コメント欄にて寄せられた質問については可能な限り応じてその返事をコメントに書いたり、新たに記事を書いてもおります。コメントする側だとあまり意識しないかもしれませんが、書く側にとってすればどんなことをどういう風に書けばいいかがわかるので出来ることならあれこれリクエストを書いてもらいたいというのが本音です。
FC2の閲覧者数を見ると、一日大体30人前後の方が見に来てくれているようなので、できればこのブログで気になる点や聞きたい内容などを寄せていただければ非常に幸いなので、もし余力がある方がおられれば是非お願いします。
ここで言うのもなんですが、やはりブログを書いている人間からするとコメントが寄せられると厳しい意見でも非常にうれしいものです。このブログでは今年中盤からコメントがいくつか寄せられるようになってそれから加速度的に記事数も増えていきましたが、その原動力たるはやはりコメントです。
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第一、こういったブログというものの最大の利点というのは、やはり読者と書き手が双方向的にコミュニケーションが取れるということだと思います。私もいくつかの記事でやっているように、コメント欄にて寄せられた質問については可能な限り応じてその返事をコメントに書いたり、新たに記事を書いてもおります。コメントする側だとあまり意識しないかもしれませんが、書く側にとってすればどんなことをどういう風に書けばいいかがわかるので出来ることならあれこれリクエストを書いてもらいたいというのが本音です。
FC2の閲覧者数を見ると、一日大体30人前後の方が見に来てくれているようなので、できればこのブログで気になる点や聞きたい内容などを寄せていただければ非常に幸いなので、もし余力がある方がおられれば是非お願いします。
2008年11月25日火曜日
厚生省元次官連続殺傷事件の報道について
昨日はまた珍しくこのブログの更新を休みましたが、実は昨日に名古屋遠征を行っており、おとといの深夜に夜行バスで名古屋に行って昨日の夜行バスで今朝早朝に家に戻ってきたため、ぶっちゃけ今も疲労気味です。なので簡単に書けるニュース解説で今日の更新は乗り切ろうと思います。ついでにここで言うと、今週末はまた京都遠征を控えているので、恐らく週末三日間はまた更新が滞ることになりますが、来週になればまた鬼のように記事を書くつもりなのであまり気にせずに見ていてください。
それでは今日の記事ですが、前回にもこのブログで取り上げた厚生省元次官連続殺傷事件について徐々に犯人とその動機などについて警察の捜査が進み、報道も合わせて行われるようになりました。まず犯人が本物かどうかということですが、小泉容疑者が出頭の際に所持していた刃物から被害者の血液DNAが検出されたことからもう確実と見ていいでしょう。そして動機についても、小泉容疑者が犯行を自供していることから彼の言うとおりに、昔にペットが保健所で処分されたという逆恨みからと考えてもそろそろ良いのかもしれません。
このニュースについて私は個人的にはそれほど感傷は抱かないのですが、この事件に対する世間の報道については少し言いたいことがあります。犯行の残虐性からそのあまりの稚拙な動機の事件ゆえ、ワイドショーなどでは格好のネタとばかりにこれ見よがしにあれこれ取り上げられていますが、私がいくつかチェックした中でこの事件を以前に起きた秋葉原の通り魔事件などと比較し、「昨今の殺人犯の共通する特徴として、犯人が孤独であったというケースが非常に多い」などと言うコメンテーターいましたが、なにもその特徴は昨今の事件に限らず、これまでのどの事件にもほとんど共通する内容で、なにもここでいちいち取り上げる話ではない気がします。
まぁこんな感じで、恐らく今後もあれやこれやと犯人の心理分析やら他の社会問題と掛け合わせていろいろ報道されるでしょうが、私としては今回の事件の犯人は30年以上前の個人的な恨みから、全く関係のない被害者を「保健所の親玉」と勝手に結びつけて殺人までも行っていることから、犯人は相当に異常な人物であると思います。そのため、今回の事件の犯人が他の事件の犯人と共通するような代表的な特徴を持ちうるかといったら、それは限りなく可能性が低い気がします。要するに、一定の枠から外れた異常な人間をどう分析したところで意味がないんじゃないかと私は言いたいのです。むしろ無理やりに他のケースと結び付けようとすればするほど、この事件や犯人の本質から離れていく気すらします。
こういうのも、かつての酒鬼薔薇事件(どうでもいいけど、「酒鬼」と書いたら中国語で「酒飲み」という意味になる)でもあれやこれや、何故犯人の中学生は殺人を行ったのかという分析から膨大な量の原因候補が出てきて、中にはオカルトやらゲーム、ホラー映画などが標的とされましたが、その時の分析が現代の少年犯罪の抑止に効果を上げているかと言うと、素人ながら言うのもなんですがまずもってほとんど意味を成さなかったでしょう。結局のところ、当時のこの「犯人の犯人探し」は愚にもつかない評論家やコメンテーターを食べさせただけにしかなりませんでした。
唯一当時の犯人分析で私が納得し、かつ現在でも説として強い力を持っている意見を展開したのは名前は忘れましたがある犯罪心理学者で、この人の結論は単純に犯人が殺人や暴力に対して強い快感を得るという異常な人間だったという結論で、初めから異常な人間だったと締めくくっています。
私としては今回の事件もそんな感じがするので、後に何も残らない言い合いをするくらいなら、もう少し専門家の意見を待って傍観している方が賢い気がします。
それでは今日の記事ですが、前回にもこのブログで取り上げた厚生省元次官連続殺傷事件について徐々に犯人とその動機などについて警察の捜査が進み、報道も合わせて行われるようになりました。まず犯人が本物かどうかということですが、小泉容疑者が出頭の際に所持していた刃物から被害者の血液DNAが検出されたことからもう確実と見ていいでしょう。そして動機についても、小泉容疑者が犯行を自供していることから彼の言うとおりに、昔にペットが保健所で処分されたという逆恨みからと考えてもそろそろ良いのかもしれません。
このニュースについて私は個人的にはそれほど感傷は抱かないのですが、この事件に対する世間の報道については少し言いたいことがあります。犯行の残虐性からそのあまりの稚拙な動機の事件ゆえ、ワイドショーなどでは格好のネタとばかりにこれ見よがしにあれこれ取り上げられていますが、私がいくつかチェックした中でこの事件を以前に起きた秋葉原の通り魔事件などと比較し、「昨今の殺人犯の共通する特徴として、犯人が孤独であったというケースが非常に多い」などと言うコメンテーターいましたが、なにもその特徴は昨今の事件に限らず、これまでのどの事件にもほとんど共通する内容で、なにもここでいちいち取り上げる話ではない気がします。
まぁこんな感じで、恐らく今後もあれやこれやと犯人の心理分析やら他の社会問題と掛け合わせていろいろ報道されるでしょうが、私としては今回の事件の犯人は30年以上前の個人的な恨みから、全く関係のない被害者を「保健所の親玉」と勝手に結びつけて殺人までも行っていることから、犯人は相当に異常な人物であると思います。そのため、今回の事件の犯人が他の事件の犯人と共通するような代表的な特徴を持ちうるかといったら、それは限りなく可能性が低い気がします。要するに、一定の枠から外れた異常な人間をどう分析したところで意味がないんじゃないかと私は言いたいのです。むしろ無理やりに他のケースと結び付けようとすればするほど、この事件や犯人の本質から離れていく気すらします。
こういうのも、かつての酒鬼薔薇事件(どうでもいいけど、「酒鬼」と書いたら中国語で「酒飲み」という意味になる)でもあれやこれや、何故犯人の中学生は殺人を行ったのかという分析から膨大な量の原因候補が出てきて、中にはオカルトやらゲーム、ホラー映画などが標的とされましたが、その時の分析が現代の少年犯罪の抑止に効果を上げているかと言うと、素人ながら言うのもなんですがまずもってほとんど意味を成さなかったでしょう。結局のところ、当時のこの「犯人の犯人探し」は愚にもつかない評論家やコメンテーターを食べさせただけにしかなりませんでした。
唯一当時の犯人分析で私が納得し、かつ現在でも説として強い力を持っている意見を展開したのは名前は忘れましたがある犯罪心理学者で、この人の結論は単純に犯人が殺人や暴力に対して強い快感を得るという異常な人間だったという結論で、初めから異常な人間だったと締めくくっています。
私としては今回の事件もそんな感じがするので、後に何も残らない言い合いをするくらいなら、もう少し専門家の意見を待って傍観している方が賢い気がします。
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