もし誰かに、何が善で何が悪なのかと聞いても、あまりはっきりとした返事は返ってこないでしょう。それこそ中には、「見方によって変わるのでは」というような意見を言われるかもしれません。
この「見方によって変わる」ですが、至極その通りだと私も思います。昔に私が書いたエッセイの「善悪二元論」においても、「光があるから影があるように、善の概念なくして悪の概念はない」というように、相対的であるがゆえに逆転もままあるという定義の仕方をしています。
しかし、あるマンガにおいては言い訳の仕様もない悪の定義がはっきりと示されています。そのマンガというのも、マンガ好きなら何かしら触れた事のあるであろう「ジョジョの奇妙な冒険」です。
では、何がその「悪」なのでしょうか。それがはっきりと示されたのは第五部にて、組織のボスの命令に従っていたところ、肝心なところで裏切られたキャラクター、ってかブチャラティが、
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!何も知らぬ無知なる者を利用する事だ!自分の利益だけの為に利用する事だ!父親が何も知らぬ“娘”を!てめーだけの都合でッ!許さねえッ!あんたは今、再びッ!オレの心を裏切ったッ!」
と、言うシーンです。
作者の荒木氏も、「悪の定義は人それぞれに違うし状況で変わってくるけど、“他人を踏み台にする人”、これは絶対に、誰が何と言おうと悪だと思う」と言っており、この主張は作品全体を通して貫かれています。
この考え方に私も同意です。他人を自分の利益のために利用する、これだけは何が何でもやってはいけないし、そんな考え方をする人間は絶対に許してはならない。自分は長生きをするつもりはありませんから、せめてそんな邪悪な人間を道連れにして死ねればいいと、常日頃から考えて生きています。
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