ちょっと連載のペースが落ちてきているので、気合入れなおして書いて行きます。
さてこの失われた十年の間の最も大きな政治変動といったら、恐らく誰もが宮沢内閣時の自民党の野党転落による55年体制の崩壊だと挙げる方が多いでしょうが、確かに一発の事件で見るならこちらに分があるでしょうが、この時代全体を通してみるのなら私はやはり今日のお題になっている左翼政党の失墜こそ、この時代の最大の政治変動だと考えています。
現在の日本で左翼政党と来たら日本共産党と社会民主党の二党が代表的ですが、現在この両党は選挙のたびに議員数を減らしていき、特に社民党はかつて社会党であった頃は自民党と文字通り二大政党体制を築くまでの議員数を誇っていたことを考えるとその凋落振りは激しく、最近の選挙では毎回「党の存亡がかかっている」とまで評論家に揶揄される始末です。
しかしその社民党はその前身の社会党時代、失われた十年の初期においては現在とは逆に、それまでにないほどの隆盛を誇っていました。その一時の隆盛の原動力となったのは今はもう引退した土井たか子氏で、土井氏がいろんな意味で引っ張っていた頃の89年の選挙ではマドンナ旋風とまで言われるほど現在の党首の福島瑞穂議員をはじめとする女性議員が数多く当選し、議会内でも社会党の発言力が大きく向上していました。折も折で自民党が数々の汚職に加えてバブル崩壊を招いたことによって国民の信頼が大きく揺らいだこともあり、小沢一郎現民主党代表による政界再編が行われた結果、社会党は政局を動かすキーパーソンたる位置についていました。
そのため、小沢氏の仕掛けた細川内閣が崩壊した94年に至ってなんとしても与党に返り咲こうとするかつての仇敵である自民党から連立打診を受け、ついに社会党は戦後からの悲願であった与党に入ることが出来、首相も当時の党首である村山富一氏が就任したのですが、結果論から言うとこれは社民党にとって凋落の原因をになってしまいました。
社会党は戦後に発足した当時からその党是として「平和、福祉、護憲」を掲げており、自衛隊などの国家が持つ武力を違憲であると激しく非難し否定し続けてきた歴史がありました。そんな政党が与党になり政策も実際に動かす段階に至ったのでこの自衛隊の扱いについても当然注目が集まったのですが、当時の村山元首相は就任と共に、
「自衛隊は違憲ではあるが、その存在は認める」
と、発言しちゃったものですから、それまで護憲ということで社民党を応援してきた人間も結局は口先だけだったのかと呆れて支持が離れ、さらに村山内閣時には阪神大震災が起こり、被災地を救援するために自衛隊の出動が各所で求められたにもかかわらずそれまでの立場から村山元首相は渋り、そのため自衛隊の出動が遅れて被害が拡大したと非難されてここでも失点を出してしまいました。
ちなみにこれは私の見解ですが、この自衛隊出動の遅延についてはやはり関東よりも実際に被害に遭われた関西の人の方が根強く覚えているような気がします。それと村山元首相が自衛隊出動を渋って遅れたとよく言われますが、当時の側近の方らが言うにはかつてないほどの都市中心部での前例のない大災害ということで、自衛隊を派遣するにしてもどのように、どんな方法で出動、活動させればよいかわからずに混乱したために出動が遅れたというだけで、決して渋ったわけではないと話しています。この意見について私は当初、しょせんはいいわけだろうと見ていたのですが、この前に中国に起きた四川大地震とその際の人民解放軍の救援活動の難航振りや指揮系統の乱れを見ていると、あながち嘘ではないのかもしれないと考え始め、現在この件で私は村山元首相を弁護する立場におります。
まぁそんな具合で、万年野党だったのが突然政策を作る立場になって見たらてんで何も出来なかった、というのがまさにこの村山内閣でした。連立という他の連立政党にも気を配らなければいけない政権だったとはいえ、私から見ても当時の村山内閣は政策実行がほとんど図られていなかったと思います。なお、今度もし民主党が政権をとったら同じようになるのかもしれませんし、評論家の方などはそうなるとはっきりと断言している人もいます。
その後社民党と名前を変えて連立からも離脱したものの、やはりこの時の政策手腕を見て支持者たちもやはり政権を任せられないと思ったのか、社民党はその後ずるずると議席数を減らしていきました。またこの頃から(前からもだけど)政策を批判することだけに固執し始め実際に実現可能かどうか非常に疑問なことばかりを政党の主張としてあげる傾向が目立ち、私が覚えているのは「企業のリストラ、原則禁止」といったことを選挙の公約に掲げたりもしていましたが、「リストラせずに本体の会社が潰れたらどうするんだ!」などと逆批判を受けるなどだんだんと国民の意識と乖離した政策ばかり主張するようになり、それに合わせて支持者も減っていったように思えます。
それでも一応は左翼政党ということで弱者の味方という立場を主張していたことと、憲法九条を何が何でも堅持するという護憲派の立場ということでうちの叔父さんのように根っからの支持者は離れずについてきていたのですが、失われた十年の後期におきたある事件によって、徹底的に社民党は支持をなくすことになりました。何を隠そう、小泉元首相の北朝鮮訪問とその後に起こった拉致被害者の帰還です。
社民党はそれまで同じ社会主義を標榜していることから北朝鮮の政権である朝鮮労働党とは友好な関係を維持し続けており、北朝鮮が飢饉に陥った際は米支援を訴え、ある自民党議員が拉致疑惑のある国に塩を送るような真似をしてもいいのかと反論するも、そんなありもしない疑惑で人助けを邪魔立てするのかと批判して米支援を実現しました。そんな具合で党の公式見解においても社民党は長い間、北朝鮮の日本人拉致は根も葉もないデマだと一貫して否定し続けていたのですが、小泉元首相の訪問により北朝鮮も拉致の事実を認め、被害者も帰還してきたのですからこれが大問題になりました。言ってしまえば、根も葉もないデマを言っていたのは社民党になってしまったといったところでしょうか。
これについて社民党は結局、党の公式見解から「拉致は存在しない」という項目を削除するに至ったのですが、それまでの見解が間違っていたということについては一切謝罪をせずにいたため、結局は日本の国益よりもわけのわからない理念の方が重要なのかと知識人層も批判し、最後まで残っていた支持者もこの件で一挙に社民党に見切りをつけるようになりました。私としても、まだまともな見識を持っているのなら与党にならなくとも野党として存在価値はあると認めるのですが、この時の社民党の対応を見ていると、その存在すら許されざる集団のように思えてきます。
ついでに書くと、その後北朝鮮の核問題が大きく取り上げられ、また災害救助やイラク派遣などを経て自衛隊への国民の信頼も大きくなり(最近また下がってきたが)、近年では憲法改正についても「九条維持、自衛隊の存在を明記」という意見が多数派を占めるようになり、社民党の最後の砦であった「護憲派」という主張もほとんど有名無実化してしまったのがとどめになり、今のような泡沫政党になってしまったのだと思います。
これは共産党もそうですが、ソ連の崩壊によって社会主義が現実に適用するには無理な思想だったということが明らかになったにもかかわらず、大きな政策路線の転換を図らずにいたのが日本の左翼政党の失墜を招いたのだと思います。また野党で居続けるということを暗黙のうちに了解していた55年体制の頃ならともかく、55年体制が崩壊した後も延々と政策の実現性を無視したり独自案などを設けずに自民党の政策を非難し続けたのも、時代の変化を考えなかった無謀な行為だったと言わざるを得ませんし、北朝鮮の問題や現在の主張内容などを見ても本気で弱者の立場に立っているのかと疑問なことばかりで、言ってしまえば両党は自民や民主の二大政党制の煽りを受けたわけではなく、自分で自滅したに過ぎないと私は断言できます。
ただ惜しむらくは、こうした自滅を招くような政党しか日本には左翼政党がなかったということです。別に左翼だからといって必ずしも社会主義を標榜する必要はなく、以前の記事でも書いたように私としては右翼と左翼がそれぞれ拮抗し合う状態こそが政治的に安定すると思うので、与党になれとまでは言いませんが、きちんとした左翼政党が日本にも本来必要だと思います。ですがこの社民党のお粗末な姿を見て、現代の日本人は左翼と聞くだけで激しい嫌悪感情を持つ人間も増えてきているように思え、懸念過ぎだし現段階でそうなることはほとんどないにしても、今のうちにきっちりとした左翼政党を作っておくべきではないかと陰ながら考えています。
2 件のコメント:
60年代、70年代のカウンターカルチャー(フォークソング、サイケデリック、フラワーサイケデリックムーブメントとかロックとか)が先進的だった時代、学生はリベラルな立場を取る傾向があったのではないでしょうか。前衛芸術なんて、中学高校の美術・音楽授業で教える権威主義的な芸術体制への挑戦ですからね。そんな芸術が盛んだった当時の大学で自分は保守派というのは、とてもかっこ悪く感じたんじゃないでしょうか。
しかし、学生運動の衰退、なんとなく、クリスタルに代表されるしらけ世代、大量消費時代の到来によるカウンターカルチャーの商業化・完全なるファッション化、つまり権威的な大人社会にそれらが組み込まれていったことによって、若者文化は政治的な思想とは関連が薄くなっていきます。若者文化から分離したリベラルな思想は先進的で魅力あるものでなくなりました。
で、カウンターカルチャー好きの私は共産党は昔から官僚的で権威主義的なのでださいと思います。
官僚を抱きこんでいる保守勢力に対抗する共産党自体がものすごいピラミッド構造で、非常に官僚的な組織であるというのは非常にに皮肉的ですね。
大分前に書き撒したが、ロックマンさん(さっき「エアーマンが倒せない」を聞いてたなぁ)のいうカウンターカルチャーについて、かなり以前に書きましたが本来抵抗を主張するロック音楽がいつの間にか販売収入を見込んで大衆に迎合した物へと代わって言ってしまったことを、ある大物ロック歌手が嘆いていました。現実に今の時代にカウンターカルチャーになりうるもの、そうであるものは非常に少なくなり、敢えて挙げるとしたら2ちゃんねるくらいになったのかもしれません。
コメントを投稿