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2009年1月6日火曜日

また派遣労働について思うこと

 本日桝添厚生労働相が、製造業への派遣を原則禁止にすることもありうると言及しましたが、なんていうかこの話を聞いてまず最初に思ったのが、製造現場に派遣労働者を送ったとして業務停止命令を受け、挙句にはそのままグループごと廃業を余儀なくされたグッドウィルの立場は一体どんなものなのだろうかと思いました。
 この製造現場への労働者派遣については一応今でも原則禁止という風に派遣法の条文では書かれていますが、解釈次第ではどうとでもなるような条項で今問題となっているように自動車業界を初めとして数々の製造現場に派遣労働者は送られてきました。

 まぁグッドウィルに関して言えば私も前からあまり評価していない企業でしたが、さすがにこの時の事件では狙い撃ちにされてかわいそうに思い、今回の「これから禁止にするぞ」という発言を聞いてなおさら不憫に思えてきました。折口グッドウィル元会長は今一体何してんだろ。

 あともう一つ今回の派遣労働者の問題で私が思うこととして、言い方は悪いですがこうなることは既に三年位前からわかりきっていたことです。私と私の恩師を初めとしたツッチーを含むグループは二年前から、「派遣会社、許すまじ」といい続けてきており、今回の事態もそれ見たことかとそれほど驚くことなく事態を受け止めました。こういえるのも私が派遣労働者という当事者じゃないからかもしれませんが、もう少し早くこの派遣労働の問題性を考えて派遣労働者たちは団結したり、抗議行動を起こせなかったのかが非常に疑問です。まぁこういうのは本来政治家がやらなければいけない問題なのではありますが、今もニュース報道などを見ていると、どうも派遣労働者全体で団結して組織をつくるなど、大きくまとまるといった動きが見えないのはちょっと問題ではないかと思います。

 よく現代の若者は、「上の世代は好景気で、楽しやがって……」と思うかもしれませんが、団塊の世代でも世間で取り上げられるのは極一握りの大卒の人間ばかりで、大半の方は中卒や高卒で集団就職をしたりして非常に厳しく辛い人生を送っております。またこの世代は人口が多いために職にあぶれることはなくとも、職業や職位についてはそれほど選択権がなかったとも言われ、非常に優秀で実力のある人でも一般労働者としてとどまらざるを得なかった人も多かったそうです。
 しかしそうした実力がある優秀な人らが一般労働者でとどまり労働組合を指導していく立場となっていったため、当時の労働組合は要求や行動などを適切に行っては雇用者側と協調し、また福祉の向上を図るなどいい緊張関係が保てたという話を以前に私は聞いたことがあります。

 今の派遣労働者たちを見ていて、そのようにまとめる人材はいないのかと、期待感を込めて思います。

2009年1月5日月曜日

「右翼」、「左翼」という言葉の問題性

 前々から書こうと思っていましたが、ちょっと以前のコメント欄にいい具合の質問が来たのでこれを機に「右翼」と「左翼」という言葉の問題性について書いてみようと思います。結論から言うと、私はこの二つの言葉は今後五年間は一切使うべきではないと考えています。

 この二つの言葉は元を辿ればフランス革命後の議会にて、議長席から見て右側に保守層の、左側に革新派層の議員が座ったことより生まれた言葉で、そういう意味でオリジナリィーな意味では右翼とは保守層こと従来の制度をどちらかといえば守ろうとするものに対して左翼は革新派層こと制度改革を推進するグループという意味になります。
 こうした元々の意味からいえば一見すると現在の日本政治で右翼や左翼といわれている政党はそのように見えなくもないのですが、実体を考えると憲法を守ろうとするのが社民党や共産党といった左翼政党であるのに対して、憲法を改正しようとしているは自民党や民主党といった右翼政党であり、また経済政策については自民党内でも格差を是認する「新自由主義」と公共事業にて地方への公平分配を目指す「日本型ケインズ主義」といった政策を掲げる議員で分かれており、一概に右翼=保守、左翼=革新とはもはや言い切れない状況です。

 では何故このようにいろいろややこしくなってしまったのかというと、単純にいってしまえば日本の国民を含めたメディアや知識人層が何でもかんでも政治家や政党を右翼と左翼という二つの言葉に無理やり押し込んで理解しようとしたせいで、元々の保守と革新という意味だけでなくいろんな属性や意味が右翼と左翼という言葉に含まれるようになってしまったからです。

 一例を挙げてみましょう。これは私の私見ですが右翼という言葉には一般には以下のような意味が内包されている気がします。

・軍国主義、戦前礼賛、天皇制保持、格差是認、新自由主義、地方分配主義、新自由主義、改憲派、親米派、親中派、自衛隊容認

 読んでもらえばわかると思いますが、明らかに矛盾する要素同士が混ざり合っています。たとえばさっきにも挙げた新自由主義と地方分配主義は明らかにぶつかる意見ですし、外交でも親米と親中じゃ全然逆です。しかし現在右翼政党といわれている自民党と民主党の中にはこうした意見を持つもの同士が一緒に内包されており、一例を上げれば小泉元首相と加藤紘一衆議院議員などは先ほどに矛盾するといった要素を互いに分け合って持っています。ですが、世間一般からは彼らはどちらも右翼議員となるのです。

 これに対して左翼を構成する要素というのはどんなものかというと、

・平和主義、戦前批判、天皇制反対、平等主義、人権擁護、社会主義経済、護憲派、反米派、親中派、自衛隊否定、自衛隊容認

 といった具合で、やっぱり議員数の差もあるのか構成する要素が右翼よりは少ないですね。それにしても今書いてて気がついたけど、憲法保持を訴えている割には憲法で身分が規定されている天皇制に反対ってのはどんなもんだろう。
 この左翼についても、右翼と比べて外交姿勢は反米親中で共通こそしていますが先ほどの憲法の話といい、人権擁護と社会主義は明らかに矛盾するし、自衛隊についても口では批判してたくせに村山内閣ではあっさり認めてしまうという迷走振りを見せており、いくらか矛盾した要素が右翼ほど目立ってはないものの見えてしまいます。特に平等主義については私が一回ふざけた調査をしたら、しんぶん赤旗をとっている人の資産数が他の新聞購読者と比べて図抜けて多かったのを初めとして、共産党内のピラミッド的な非民主主義的組織構造を持ちながらの建前との差には呆れます。

 一気にまくし立てて書きましたが、このように主義主張から目標としている政策内容まで政治家はそれこそ千差万別であるにもかかわらず、メディアや国民はやっぱり右翼か左翼かの二者択一で判断したがるところがあり、その結果今挙げたようにこの二つの言葉に無数の要素が取り付けられ、かえって政治家の本質を見誤る傾向がこのところの日本にはあります。また例に挙げちゃいますが先ほどの小泉元首相の政治家としての要素を簡単に並べると、

・格差是認、新自由主義、天皇制反対、自衛隊容認、親米反中

 というようになり、靖国神社に参拝していたから戦前礼賛かと思いきや私はこの人は実際にはそれほど戦前の軍国主義には思い入れがなく、ただ単に安上がりで支持者を獲得できるだけで参拝していただけに思え、またこちらはあまり表に出ませんが天皇制については90年代から女系天皇容認論を主張するように非常に冷淡な人物であります。ですが先ほどの右翼というフィルターがかかってしまうと、この天皇制への彼の態度というものが見えづらくなってしまいます。

 再度の結論ですが、やっぱり政治家を二項対立的に右翼か左翼かで見るのは本質を大きく見誤らせかねず、可能ならば個々の要素ごとに政治家を見つめなければいけません。そういう意味でここしばらくは右翼と左翼という言葉を使わず、敢えてわかりやすく二項対立にしたいのなら現在のところ最も大きな争点となっている「新自由主義」と「地方分配主義」の対立要素で見比べる方が全然マシかもしれません。

2009年1月4日日曜日

永田寿康元議員の自殺について

 既にニュースなどでも報じられていますが、かつて平成の爆弾男との異名を取った永田寿康元民主党議員が先日自殺して亡くなられたそうです。永田元議員は以前にも自殺未遂を起こしており、その境遇にいささか同情心を持っていたのもありこのニュースを受けて私も残念に思うところがあります。

 この永田元議員の経歴を簡単に紹介すると、一年生議員時代に自民党の松波健四郎元議員が答弁中にコップの水を野次を飛ばす議員に放り批判が集まった事件の際、非常に下品な野次を飛ばした張本人ではないのかという疑いが持たれたことから世間に注目されるようになり、私もこの野次問題を追及したテレビ番組から永田元議員を知り、また自己弁解のために番組に出演し際にゲストからの批判に対して見事な切り返しぶりを見せてその弁舌と頭の回転の速さには舌を巻きました。

 その後も度々国会内で注意を受けるなどの目立った活動ばかりをしていて、極めつけが2006年に起こったいわゆる「ライブドア偽メール事件」にて偽物のメール文書を掲げて国会を混乱させたことにより責任を取る形で議員辞職をし、今回の自殺事件に至りました。辞め方が辞め方だっただけに、恐らく議員辞職後も何らかの職に就くことは難しいだろうと思ってはいましたが、ここまで追い詰められているとは私も思っておらず、まぁそう考えると鈴木宗男衆議院議員はどんだけタフなんだということになるのですが。

 結論から言うと、永田元議員の偽メール事件は日本の政治界に与えた影響は甚大だったと言わざるを得ません。というのもこの事件で段々と永田元議員が取り上げた偽メールが段々と信用性が失われ偽物だと断定され始めていたにもかかわらず、永田元議員はなかなか辞職に踏み切れず民主党への批判が長期間に渡って続く事態を招いてしまいました。一説によるとこの辞職がなかなか行われなかった背景には、あと数ヶ月ほど議員生活を続けていれば議員年金の受給資格が得られたためだといわれていますが、辞職がなかなか行われないためにこの偽メールの弾劾を許可した当時の前原誠二民主党代表を初めとする党執行部の指導力も問われることとなり、結果的に前原氏も代表を降りざるを得なくなりました。

 これは私の考え方ですが、恐らく小泉元首相は自分の後の自民党代表を安倍元首相にやらせて、民主党の代表を前原氏に据え置くことによって政界の若返りこと、世代転換を図ろうとしていた節があります。というのも小泉元首相は常に首相経験者などの長老議員の弊害を指摘してこの際若い人がどんどんと出るべきだと主張しており、またそうした世代との政策意見も共通したものが多くありました。
 私としても世界的にも国会議員の平均年齢が高い日本の現状から若い議員の台頭を願っている一人ですが、この偽メール事件で前原民主党体制が倒れ、その後も安倍政権が倒れたことによって政界の主導権は再び福田元首相や小沢民主党代表といった、言ってしまえば二十年近く前からの主役たちに再び握られることとなり、政策の中身もお互いにどっち向いているのかわからないような現状となってしまいました。

 かといっても偽メール事件といい松岡元農水大臣の事件といい、前原や安倍といった若い代表たちの危機管理能力の低さも見過ごすことは出来ません。どちらの事件もほんの少しの舵取りの違いで問題の様相を変える事が出来たにもかかわらず、両者とも事件の当事者が自殺してしまうという最悪の事態を招いてしまっています。このような点では自民党のベテラン議員や小沢元代表などの政界スキャンダルの際の対応と比べると雲泥の差があり、安易に議員は若くて政策能力があればいいわけじゃないということを見せつけられる結果と言えそうです。

 この自殺自体は明日から始まる国会に対しては恐らく何の影響も与えないでしょうが、私が個人的にありそうだなと思っているのは民主党の前原氏を初めとした若手議員への心理的影響です。余計な責任を感じる必要はもちろんないのですが、これがどのように影響するか、まさに平成の爆弾男の名にふさわしい幕切れでした。

2009年1月3日土曜日

私が平賀源内を好きなわけ

 歴史上の人物で誰が一番好きかといったら、私はまず間違いなく平賀源内を挙げます。何気にこの平賀源内という人物に関しては子供の頃に初めて買ってもらった歴史マンガもこの人のものでしたし、源内の出身地である香川県の志度にもわざわざ足を運んで旧宅などに赴くなどいろいろと関わりが深い人物です。
 それで結論から言いますが、私が何故これほどまで源内が好きなのかというと、恐らくその中途半端さにあると考えています。

 よく平賀源内は摩擦発電機ことエレキテルの発明ばかりが有名ですが、このエレキテル自体はその後何かに応用されたり当時の電気科学の発展に寄与したわけでなく、言ってしまえばその製作技術は凄くとも当時の人たちを驚かしただけにしかなりませんでした。
 このエレキテルを筆頭に、平賀源内というのは確かに当時一級の文化人であり科学者でありましたが、親友の杉田玄白が解体新書を作って当時の日本医学に貢献したのを比べると、珍しいものや突飛なことはよくやっているもののこれといった社会への目立った貢献は皆無に近いです。

 しかしそんな源内ですが、確かに何か一つの分野への貢献はこれといって目立つものはないものの、別々の分野を一つにまとめる結節点というような役割では様々な功績があります。
 まず第一に挙げられるのは、「物品会」こと日本で始めての博覧会を開催したことに尽きます。当時は各地域でそれぞれの学者がそれぞれで研究していたに過ぎなかったのですが、源内の発案で各学者が自分らの研究している薬草や鉱物を持ち寄り、互いに公開して見聞を広めようと日本発の博覧会の物品会が開かれました。この物品会は第一回から第三回までは源内の師匠の田村藍水の主催でしたが第四回にて源内が主催し、規模もそれまでとは桁違いの数千点に渡る品目の展覧会となり、当時の学者たちの交流に一役買っています。

 そしてもう一つの大きな仲介役とも言うべき役割は、親友である杉田玄白の解体新書に関わる役割です。
 源内は鉱山技師としても優秀で秋田藩に招聘されて技術者の指導に当たっていた頃、ある秋田藩士の絵を見てその者を呼び出し、源内が長崎に遊学中に身につけた西洋画の技術を教え始めました。その秋田藩士の名は小田野直武といい、そうして秋田滞在中に西洋画を教え続け、源内の江戸帰郷後に小田野直武も江戸勤務となって師弟関係はそのまま続くこととなりました。
 何を隠そう、この小田野直武こそ解体新書の人体スケッチといった挿絵を描いた人物であるのです。杉田玄白らは解体新書の翻訳は出来ても、詳細な西洋画スケッチをどうすればいいかと源内に相談したところ、自分の弟子の直武に任せればいいと紹介し、直武の見事な絵画技術が加わって解体新書は完成に至ったのです。
 なおこの直武を秋田にて指導中、源内は直武と共に当時の秋田藩主である佐竹義敦に呼び出しを食らい、「俺も混ぜろよ」といって直武ととともに義敦も西洋画を学び、秋田蘭画という一つの西洋画ジャンルが生まれています。

 このように、意味合いはすこし違うかもしれませんがクロスカルチャー的な分野での源内の活躍は目を見張るものがあります。これらの功績に限らず小説でも源内の書いた「神霊矢口渡」は歌舞伎にも取り入れられ現在に至るまで公演され、また近年問題となりましたがアスベストの製品化も世界で初めて成功させるなど、文学や科学、果てには医学や芸術など源内の手をつけた分野というのは果てしなく広いものがあります。
 このように源内は多分野に渡って広く浅い活躍をしており、やはり一つ一つの功績が浅いためにどうも注目が低くなってしまうのは仕方がないかもしれませんが、私はというと逆にこのような源内の万能さとも言うべきクロスカルチャーを果たしたという人物像に対して強い好感を覚える傾向があります。

 そういうのも、私自身が他の人と比べて非常に飽きっぽい性格をしており、何か一つに自分の神経なり労力なりを集中できない人間だからだと思います。私自身でこの自分の傾向をかなり早い段階で自認しており、この性格をどうにか良い方向に向けられないものかと考えていた矢先に源内のことを知り、まさにこれだと私は思ったわけです。
 恐らくこのブログを長く読んでいる方などはわかると思いますが、このブログは全体で見ると非常に一貫性のない話で構成されています。やっぱり他の人のブログを読んでいると自分の好きなマンガとか、仕事、学問分野などある程度記事にする話が固定されているのですが、私はというと目下のところ、中国、政治、歴史、経済、社会、哲学などと、非常に取り上げる話の分野が幅広いと自負しています。

 こんな風になったのももちろん私自身の個性が影響しているわけで、飽きっぽい性格なのだからこの際、あらゆる分野に手を出して器用貧乏と言われようとも万能さを武器にして自分を育てていこうと、中学生辺りから意識的に取り組んできた結果と言えます。大学の専攻を選ぶ際もなるべく専門分野を固定しないように敢えて曖昧さが売りの社会学を選んだわけですし、大学に入った後も社会学の勉強はどうせ授業でやるのだからプライベートでは全然別の学問をやろうと経済学などに取り組んできました。

 近年、日本社会では専門性が高いことがただひたすらに価値が高いという傾向が強まっているように私は思います。確かに何かの新たな技術や分野を切り開くのに高い専門性が必要だというのはよくわかるのですが、源内のいた時代のように、そうして培った高い専門性はそれ一個では成り立たず、化学と医療が結びついて治療薬が生まれるように、クロスカルチャーが起こって初めて価値を生むものです。だからこそ、私は自分の育成方針について一切の疑義を挟まずにいられます。

 よく源内は「日本のレオナルド・ダヴィンチ」と評されますが、ダヴィンチも芸術分野に限らず科学などに貢献するなど万能の人で、そんなわけでこの人も私は大好きなわけであります。他にも万能さで言えば、アリストテレスとか曹操が来ますが、この際みんな大好きです。

房総半島自転車一周地獄の旅

 昨日(一月二日)は正月ということもあって朝はゆっくりと起き、目が覚めた頃にはすでに九時半でした。でもって朝食を食べて朝十時にネットを見ていると、

「房総一周をやっとくか」

 と、出発の一時間前に急に思い立って房総半島の自転車一周をやることにしました。

AM11:00
 地図を買ったりなどの簡単な準備をして自宅を出発。使用車は完全競技仕様のロードバイクで、あまり乗り慣れてないが長距離を試してみようかとこれに決断。

PM 0:00
 予定より早く千葉県幕張市に到着。これまでのところ時速30キロペースで来ており、信号のない川原道を通ってきたにしても良いペースで、時間も頃合なので昼食と休憩を行う。

PM 2:00
 午後一時に幕張を出発して千葉市を経由後に市原市、袖ヶ浦市に渡る京葉工業地域に入る。工業地帯で信号も少なく走りやすいことは走りやすいが、あたり中ガソリンの臭いがしてまた変わり映えのない工場が延々と続く風景を見ながら走っていて嫌になる。

PM 4:00
 木更津市に入る。出来れば三時には到着したかったが妙に時間がかかった。正月なのにヤンキーが多くてまたも見ていて嫌になる。

PM 5:00
 館山市への道すがら日が暮れる。辺りが暗くなるにつれて徐々に心細くなって早く帰りたくなるが、館山市に入って初めて中間地点を通ることになるので、早く帰りたいのにどんどんと自宅から距離が離れていくというジレンマに襲われる。

PM 6:00
 館山市到着。房総半島最南端の街ということでひとまず半周達成。さすがに半島の南端に当たる白浜海岸までは行かず、ジャスコにて夕食(ハンバーガー四個)を取りつつ休憩。あたりはもう真っ暗だが、午後七時に方角をこれまでの南から東へと変え再出発。

PM 8:00
 鴨川市に入るが、あたりはもう真っ暗ななのに山道に突入する。鴨川市に入る前の南房総市でも多少山道だったが、もう少し平坦な道が続くと思ってただけに想定外で体力的にもかなりヤバくなり始める。
 しかしここからはこれまで南進だったところが北上に切り替わり、確実に帰路に入るということを意識して少しだけ気分的に楽になる。

PM 8:30
 真っ暗な山道を本当に小さなライト一つで頑張る。しかも歩道もほとんどなく、事実上車に追い立てられながらトンネルを潜り抜け続けるというスリリング。
 そんな中、トンネルを抜けたら下り坂が続き、しかも歩道もあるのでしばらく安心と思っていたその時、突然暗闇の中から目の前にガードレールが現れ激しい正面衝突を起こす。ぶつかる直前に「しまった!」と思うがブレーキを引くまもなく身体が宙に飛び、一瞬何が起こったのかわからなかった。身体はそのまま顔面からガードレールの先の地面に落ち、鼻の下に鈍痛を覚えるが思ったほど痛みはなく、すぐに立ち上がることが出来た。見てみると自分の落ちたところはちょうど土の地面で、わずかながらであるが芝生もあってそのおかげで軽症に済んだようである。
 立ち上がって自転車はどこかと見回すと、自分の着地地点から約5メートル離れた草むらに落ちていた。このサイクリングもここまでかと思いつつ自転車を起こしてみるが、自分でも信じられないくらいに自転車は無傷で、試しに乗ってみてもきちんと走る。
 更に自分の着地地点の近くに吹っ飛んだめがねも発見。こちらも全く無傷で、つくづく奇跡が起きたと感じつつ再び自転車に乗り再開する。

PM 9:00
 山道の上に歩道のないトンネルが続く勝浦市を走行。途中コンビニによってトイレの鏡を覗いてみると、案の定鼻の下がべっとりと血でにじんでいた。軽く擦っただけであったようだが、こんな顔したのが真っ暗闇で自転車に乗って黙々と走る姿を想像するといろいろ笑えた。
 そしてこっちはショックなことに、コンビニの明かりで自転車を再び確認してみると、見事にメインフレームが軽く曲がっていた。走る分には問題なさそうだが、無傷だと思っていただけに非常に残念で、修理代はいくらかかるのだろうかと考えると更に落ち込んできた。とりあえず走れること走れるので、ルートを改めて確認し、ひとまずこのまま海岸沿いを北上しながら千葉県の中央に位置する茂原市を目指すことにして走行を再開。既にひざがガクガク来ているが、こんなところにいてもどうにもならないので頑張ることにする。

PM11:00
 難関の勝浦市を抜けてついに御宿町に到着する。既に気温も下がり、ちょっとコンビニでコーヒーを飲むだけの休憩でも体温が下がり震えが来るところまで来ていた。地図を確認するとこの先は勝浦とは違って高低差の少ない平坦な道が続くのと、茂原市以降は市街地を通って元の千葉市に合流するので、少なくとも山道で孤立するという最悪の事態が避けれるばかりかいつでもコンビニで補給ができるようになるので、茂原市にさえ着けば何とかなると自分に言い聞かせて再出発

AM 0:00
 いすみ市、一宮町を抜けて確実に茂原市に近づく。なんで正月のうちからこんな泣きそうな苦労をしなければいけないんだろうという考えが何度もよぎるが、こういう長距離のサイクリングで物を考えたらいろんな意味で負けてしまうので、できるだけ何も考えないように無心で自転車のペダルを踏む。時速は平均20キロペースで走れてはいるが、すでにこの頃になると休憩する度に立ち上がれないほど足が痛むようになってきているので、なんといか休んだらもう二度と立ち上がれなくなるというような状態で、休憩回数も減らして走り続ける。

AM 0:30
 長尾村を経由して、とうとう茂原市に到着する。こっから先は大きな市街地を通るので、仮に道端で倒れても何とかなるという安心感が出来たのと、帰宅こそ出来ないながらも、ゆるいルートながら房総半島一周が達成できたことを素直に喜ぶ。

AM 1:00
 簡単な休憩を取り、最後のもう一踏ん張りだと帰路に着こうとまた自転車に乗るが、先ほどからなんか耳鳴りがするかと思ってたら、信号待ちから出発しようとしたら鋭い音と共に自転車のフレームが先ほどの衝突でフレームが曲がった箇所から真っ二つに折れ、まるで刀で一刀両断したかのように大破する。
 ちょうど十分前に親父から「大丈夫か?」というメールが届いていたので、応じる形で電話にてSOSとギブアップを訴え、自宅から車で迎えに来てもらうことにした。

AM 2:00
 親父が車に乗って茂原駅まで迎えに来てくれた。その間、約一時間に渡り気温-1℃の中で待っていたせいで車に乗り込んでも身体の震えが収まらない。

AM 3:00
 車に乗って無事帰宅。車から降りようとするが少し休んだせいでひざなどへこれまでのダメージが一気に現れ、階段すらまともに昇れないくらいに痛み出す。それでも家に帰って風呂に入って布団に入り一安心、かと思いきや、全然震えが止まらない。恐らく身体の芯が冷えたせいだろうが、そのまんま眠りの浅いまま一夜を越す。


 と、いう具合で今日に至ります。午前中まで震えが止まらず風邪を引いたのかと思ってたら、風邪薬を飲んで寝たら午後には全然元通りに元気になりました。擦り傷の出来た鼻の下はもっと大きな傷がついているかと思ってたら、お湯で張り付いた血を流したら案外キレイなままで、今現在は少し腫れただけで済んでいます。
 改めて地図を見てみると、ちょうどJRの内房、外房線沿いに延々と走ってきており、その走行距離を見ると我ながらよく走ったと思います。それにしても衝突事故を起こしておきながら、その後も茂原市で大破するまで100キロ近くを走り続けてくれた自転車には本当に助かりました。親父に迎えに来てもらうにしても、山の中では位置もわからなかっただろうに。

 それにしても衝突事故のところは、すでに述べていますが奇跡的としか言いようがありません。もし身体がガードレールの上に落ちたり、自転車のフレームが折れて刺さったりでもしたら大怪我だったでしょうに、同じ顔面からの着地でも少しでも位置が違っていれば鼻の骨だって折れてた可能性もあります。12月31日に友人とゲームセンターに行って大当たりをしたから、「来年の運はもう期待できないな」と思っていたらこの事故で、なんか今年はいろいろ私に来ているのかもしれません。

 たださすがにひざや手首に筋肉痛やら関節痛が来ており、立ったり座ったりするのも一苦労です。そんなわけで、もうこんな馬鹿なことはやめようと誓う新年でした。

2008年12月30日火曜日

労働問題は左翼の専売なのか?

 割と時間があるので、書く前からしんどくなりそうな気合のいる記事を書こうと思います。
 これは戦後のアメリカ統治時代のマッカーサーの逸話ですが、ある日こんなことを彼は周りに漏らしたそうです。

「一体何故、日本では労働争議が何でもかんでも社会主義系の政治運動と結びつくのだろうか」

 この言葉を聞いて、多分ピンと来るのは私の知り合いの中でも一人くらいだと思います。本当はその人とこの話についてしっかり議論をしてからこの記事をまとめるのがベストなのですが、ちょっと気合入れて一から十まできっかり書いて説明して見せましょう。

 このマッカーサーの発言ですが、これは彼の行った日本への政策の反応を受けて漏らした言葉です。日本に着任するとマッカーサーはすぐに戦前に治安維持法などで逮捕された共産、社会主義の左翼の運動家を監獄などから釈放しました。資本主義国を代表するアメリカがこんなことをするなんて驚かれるかもしれませんが、そこら辺は一応自由を標榜する国でもあるので、またアメリカ本国でも当時はまだ赤狩りが行われていない時期だったので思想や運動の自由を守るためということで実行しました。もっとも後年になって社会主義運動が大きくなり始めてくるとまた運動を制限し始めてますけど。
 そしてこうした左翼の運動家を開放する一方、マッカーサーはこれは教科書にも載っている財閥解体と共に、各企業の労働組合の結成を促す政策も実行していきました。

 何故労働組合をどんどんとマッカーサーが作ったのか、ちょっと素人意見で申し訳ないのですが、これは財閥の解体と共に戦前に有り余る力を持った財界人への対抗勢力を作るためだと考えています。これは最近だとめったに議論にもならないのですが、戦後にアメリカが日本が何故二次大戦であんな行動に出たのかという分析理由に、現在定説となっている軍部(官僚)の独走と共にそれを支援し続けた財界にも責任があるという報告をしています。この辺はあまり詳しくはないのですが、確かに戦前は今とは比べ物にならないほど財閥や企業経営者の力が強く、また労働組合という存在自体戦前には非合法とされ、一般労働者の権利は非常に弱いものでした。

 こうした状況を受け、労働者の権利を保持、確立させるためにマッカーサーは労働三法の制定といった諸政策を実行したのだと思います。そもそもマッカーサーは農地改革にて零細農民にも手厚い政策を取っていることから、同じく力の少ない労働者に対しても同様の政策を取ろうというのも自然な行動でしょう。
 だがそうして労働者の権利を守る傍から、最初の発言のようにマッカーサーは手痛いしっぺ返しを受けることとなりました。先のマッカーサーの発言のように、どうも当時は労働組合ができる傍から社会主義政党の影響を受ける集団となっていき、現在に至るまで左翼政党の票田となっては社会主義勢力が力を蓄えていったそうです。もちろんマッカーサーとしても労働者の権利向上はともかくとして冷戦体制に移行する最中のこうした動きに黙っているわけでなく、かの有名な「二・一ゼネスト」にて労働組合の活動を制限する方向へと方針を転換するに至ってます。

 ここまで言えばわかると思いますが、日本では労働問題は初めから左翼系の政治集団が扱うもの、というより労働組合自体が左翼組織の下部組織、またはそのものという認識が強いのですが、私やマッカーサーはこの認識に対して「なんでそうなっちゃうの?」と欽ちゃんばりに不思議に思うのです。
 実は世界的に労働組合が強い国といえばドイツやフランスに加え、アメリカでも最近よくニュースに出る自動車系労働組合を中心に非常に強い国とされています。しかし言わずもがなアメリカは資本主義の国で、社会主義系政治集団が全くないというわけではありませんが、基本的に政治は資本主義勢力の独壇場です。結論をここで言うと、私は労働問題は左翼や右翼に関係なく政治に携わる上で欠くことのできない重要な課題だと認識しており、少なくとも主義や勢力でどうこう言う分野ではないと思います。

 にもかかわらず、日本では労働問題や労働者の保護というと恐らく大多数の人はすぐに左翼という言葉や集団に結びつけるでしょう。何故こうした風になったかといえば、それは前述の通りに戦後の結成期に社会主義勢力の影響を強く受けるようになったということに尽きます。ここで私が強く言いたいのは、「労働組合は必ずしも社会主義の影響を受ける必要はない」ということで、資本主義下でも労働者の権利や地位が向上することで国力の増進が初めて図れるので、右翼や資本主義勢力にとってもまた労働者の権利や地位を守る必要性があるのです。なので本来なら、天皇制保持や自民党シンパの労働組合があっても全然おかしくはないのです。実際、高度経済成長期の自民党は労働者に結構優しかったし。
 更に言うと、憲法やなんだといった政治方針を一切もたずただ愚直に労働者の保護を訴えるだけで、政治勢力と一切つながりのない労働組合だって存在してもいい、ってかそういう風な労働組合の方がむしろあり方として自然だと私は思います。

 私は以前にも非常に恥ずかしい出来の文章となってしまった記事でも主張しましたが、労働というのは人間にとって生きる上で摂食と同等なくらいに必要性が高く価値深いものだと考えています。その労働に対して政治信条や方針がどうのこうのというのは恐ろしくくだらない議論で、本来あまり重ね合わせて議論するべきものではなく労働単体で議論するべきものと考えています。
 ともすれば左翼の専売と思われがちな労働問題ですが、今問題化している派遣難民やニートの問題といい、本来このような問題は右翼も左翼も関係なしにどう保護、分配するかを考えねばならない課題なのです。それを労働組合は左翼系な組織だと考え、また実際に左翼政党の組織票となっている労働組合ばかりという現状というのはもう少し考え直すべきではないかと思います。
 第一これを言ったら、

・左翼=社会主義、労働組合、革新派、フェミニズム
・右翼=資本主義、資本家、保守派、男尊女卑

 などどといった風に、何でもかんでも二項対立形式に各要素を一つの言葉にまとめ上げるというのは大きな問題です。差し当たって私が分離させたいのは、再度の主張となりますが「労働問題に右翼も左翼も関係ない」ということです。

田母神論文再考

 昨日のテレビ朝日の番組「テレビタックル」にて、アパグループ主催の懸賞論文に当時空幕長という航空自衛隊のトップでありながら政府見解と異なる、二次大戦時の日本の行動は侵略に当たらないなどという主張が書かれた論文を投稿した旨で更迭された田母神俊夫氏が出演し、それを見た感想を以下まとめようと思います。

 前段階として、いわゆる「田母神論文」への私の評価は「田母神氏の参考人招致について」で書いた通りで、この中で書いてある評価は現在を持ってもなにも変更する点はなく、やはりこの論文については疑問視しております。
 それでまず番組を見て私が感じた田母神氏の印象ですが、非常に真面目すぎる人間だと素直に感じました。
 登場時に他のゲストから問題化した当初は大変だったのではないのかと言われると、「(批判などで)叩かれてももうこれ以上私も小さくなれませんから」と、自分の背の小ささをかけて冗談から始め、ちょっと前の週刊文春の記事に書かれていた通りに隙があればいくらでもダジャレや冗談を言うという情報の通りでした。なお、「叩かれても小さくならない」というフレーズは相当あちこちで使っているらしいです。

 それで問題の本質へと議論が移ると、この論文を出したことについて思うことはないかという問いに対して一切後悔する気持ちはないと言い放ち、その後も自説の正当性を主張するとまでは行きませんでしたがあくまで一個人の意見に対してこれほどまで世間が反応するのはおかしいのではと主張し、その上で自衛隊のおかれている現状の問題性を終始強く主張していました。

 細かい発言などはこの際省きますが、田母神氏が更迭されたことや政府の処置については一切不平を言わず、投稿した論文の内容でも一切譲ろうとしない態度を見て、この人は少なくとも公の場で嘘はつかない裏表のない人間だと私は思いました。しかし裏表がないといえば誉め言葉ですが、どんな状況においても自分の考えや言葉を正直に述べてしまいかねない人間で、そのために今回の問題もいろいろ大変になったのだと思います。

 討論を見ていて一番印象に残ったのは、やはり田母神氏の言う自衛隊の現状でした。
 それこそイラクなどで命がけで自衛隊員は活動しているにもかかわらず、政治における自衛隊を存否を巡る法整備は一向に進まないため、自衛隊の側からこうした現状の改善や議論の声を挙げる必要があるという田母神氏の主張には私も納得しました。田母神氏の言うとおりに、現在国会などで自衛隊の存在や法規定についての議論はほとんどなされないにもかかわらず、この前のイラク派遣や対北朝鮮問題など自衛隊が行う活動の範囲は広がっています。番組内で確か三宅氏も述べていましたが、敵に銃を撃たれてから出なければ銃が撃てないのにイラクに行くなんてそもそも間違っており、こうした活動範囲の議論から存在などを正式に認めるべき時期はとうに過ぎており、番組内でも言われていましたがこの点については政治家のサボタージュと言っても間違いないでしょう。

 ちょっと他にもいろいろ田母神氏のこの討論であれこれ書きたい内容があるのですが、ちょっとまとめ切れてないので機会があれば別の話題と合わせてまた紹介しようと思います。
 最後にこの論文に問題性があるのかどうかという議論で、どうもこの論文がメディアに大きく注目された背景には自衛官こと背広組と自衛隊こと制服組の防衛省内の対立があり(出張所の方で、背広組も制服組も同じ「自衛隊員」であるとのご指摘を受け、この箇所の表現は「背広組こと内局の事務官(キャリア)と制服組こと自衛官の防衛省内の対立」と修正させていただきます)、実際にはこのような戦前の旧日本軍の行動について書いた論文はこれまでにもたくさんあったにもかかわらず田母神氏の論文だけがこうして問題化したのは、背広組の中でどうもどこかにチクッた奴がいるのではという話が示唆されていました。田母神氏はこの点について口では否定してましたが、この人は嘘がつけない人なのか、顔にはしっかりと肯定しているように私は見えました。

 背広組の代表格といったら、この前汚職事件で有名になった守屋前事務次官が有名ですが、こういった点も含めて防衛省へは今後も注視が必要でしょう。なんにしても、これで終えてしまうことが一番問題です。