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2009年3月4日水曜日

満州帝国とは~その三、満鉄の設立~

 満州帝国の歴史を語る上で欠かすことの出来ないものは数ありますが、今日紹介する満鉄はその中で最も代表的なもので、事実上満鉄=満州といえるような面も歴史にはあります。
 実はこの満鉄の記事を書くに当たり対象とする範囲が一気に膨大になってくるので、この際この連載を紀伝体風にやってこうかなとも考えたのですが、多少変則的になりますがこの記事では設立時の状況を説明する導入にとどめ、今後の記事は紀伝体調を強くしてやっていこうかと計画中です。甘粕正彦とか石原莞爾なんて、散逸的に書いてもしょうがないし。

 それでは早速解説を始めますが、この満鉄こと満州鉄道会社は日露戦争後、当時のロシアから満州での鉄道経営権を譲り渡されるのを受けて、その管理を目的に半官半民の組織で設立されました。この満鉄の設立に当たり、前回でも説明したようにロシア側から鉄道のみならず鉄道の付属地を譲り受けることから当地の行政もある程度管理する目的で、日露戦争勝利の立役者である児玉源太郎は占領統治を熟知している旧知の部下こと、台湾の民生局長時代に台湾の衛生環境を劇的に改善させた後藤新平を満鉄の初代総裁に据えようとしました。しかし後藤本人は当初は総裁就任を固辞していたのですが、そうこうしているうちに児玉が病死してしまい、医師だけにその意志を受け継ぐ形で後藤も最終的には総裁就任を承諾しました。

 とはいっても、満鉄は活動開始期から華やかにやってこれたわけではなかったそうです。後藤の腹心で後に二代目総裁となる中村是公はこの時期に東大時代からの親友である夏目漱石を満州に招待していますが、その旅において漱石は急速に近代化が進む付属地の状況を記す一方、ちょっと付属地の中心部を外れると荒涼とした荒地が依然と広がっているとも書いており、日本にいる人間たちからすると満州は遠く離れた僻地という印象が強かったようで、実際に日本以上に寒さの厳しい土地ゆえ鉄道の管理運営もしばしば支障をきたし、また馬賊などの襲撃が度々あっては満鉄社員らも士気が上がらず不祥事もよく起こっていたそうです。
 
 それでも後藤や中村の努力もあって徐々に鉄道網や付属地の経営やインフラの整備は進んでいき、明治末期に満州を訪れた矢内原忠雄も決して満州は僻地でないと、漱石が訪れた時代より大きく発展したことを記録しています。そんな中、満鉄が大きく飛躍するきっかけが外部よりやってきたのです。何を隠そう、第一次世界大戦です。
 この一次大戦にて満鉄にとどまらず日本中でも好景気をもたらせましたが、満鉄にとってなにが一番大きかったというと操業開始より経営の柱としていた鉱山発掘でした。満鉄の設立前にあらかじめ行われた中国との交渉によって日本は付属地近くの鉱山の経営権を獲得しており、この鉄道と鉱山経営は満鉄の設立開始から終末期まで経営の二本柱であり続けました。この鉱山経営が一次大戦の勃発によって重工業製品の需要が伸びたことからこの利益が膨れ上がり、この頃から経営が安定してきたことから名実ともに満鉄は日本を代表する会社となり、東大卒の社員もこの頃から入社するようになります。

 ただこうした一次大戦による経済的地位の上昇以上に、満鉄がその影響力を強めたのはロシア革命によるところが大きいとされます。というのもロシア革命によって世界初の(パリコミューンはもちろん除く)社会主義国家のソ連が誕生したことにより、ソ連と国境を接する満州にある満鉄と関東軍は次第に対ソ最前線の国防上でも重要な地位を帯びるようになっていき、ソ連に対する謀略、諜報の基地的な役割が強まっていきました。こうした流れを受け、付属地の経営や行政を研究する目的で満鉄の設立当初よりあった日本初のシンクタンク……というのはやや大げさな気がして私はあまり信じていませんが、戦前を代表するシンクタンクの満鉄調査部は徐々にソ連や社会主義陣営の偵察、研究、ひいては植民地政策などあらゆる方面を研究する組織へと変貌を遂げていくようになりました。

2009年3月3日火曜日

小沢民主党代表秘書逮捕のニュースについて

西松建設献金で小沢氏公設秘書ら3人逮捕 政治資金規正法違反(YAHOOニュース)

 今日七時のNHKニュースでもトップニュースでしたが、リンクに貼った記事によると本日小沢民主党代表の公設第一秘書が西松建設に絡む不正献金の疑いで逮捕されたようです。結論から言えば、私はこの逮捕撃破やはりきな臭いと思い、インタビューでも鳩山由紀夫幹事長が口にしていましたが、これも国策捜査なのではないかという疑念があります。

 今回の事件は異様とも言える位に構図が複雑なのであらましを簡単に説明すると、まず小沢氏の公設秘書をはじめとした三人の直接的な逮捕理由は、政治資金規制法で禁止されている、小沢氏個人の資金管理団体の「陸山会」に対して西松建設が企業献金を行い、その献金額を秘書が帳簿上の科目を別のものにしていたということからです。自分も今回初めて知ったのですが、政治家の政治団体には企業献金が許されているにもかかわらず、なぜか政治家の資金管理団体にはやってはいけないことになっているそうです。
 それで西松建設がどのように献金をしたかですが、単純に言うと西松建設が自社の社員への給料に小沢氏への献金額を上乗せして、その社員が個人献金という形で小沢氏の資金管理団体に上乗せされた分を献金させたということです。
 細かく言うと更にややこしいことになってくるのですが、一応はそうした給料上乗せ分の献金額は西松建設OBが運営していた政治管理団体の「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」を通過することで、要するにダミーとすることで献金されたそうです。なんていうか、書いててあほ臭くなるほど長い過程です。

 私の理解した範囲の事件の構図はこうですが、まず私の正直な感想は、これのどこが悪いのかということです。確かにそうした献金によって変な談合や工事の随意契約の根回しといった不正が行われていたとするならば明らかな犯罪ですが、現在の報道ではまだその辺にまで言及はされておりません。そしていくら政治資金規正法で禁止されているとはいえ、政治団体へはよくとも資金管理団体へ企業献金が許されないというのは一抹の奇妙さを覚えます。言ってしまえば両方とも政治家が代表とする団体であればどっちもその政治家の政治活動に使われるのは明らかですし、その使途に妙な使い方があったのならばなぜそれが容疑とならず、献金をしていた事実のみで逮捕になるのか不思議です。そしてなにより、企業献金は駄目でも個人献金ならいいっていうこと自体、ちょうど以前の記事でも触れたばかりですがなにか問題があるような気がします。

 そうした理由に加え、一番このニュースできな臭いのはこのあまりにも良過ぎるタイミングです。ちょうど先週に予算案が衆議院で通過し、この後の二次補正予算が最終的に可決されることでいよいよ選挙かと言われ始めたこのタイミングで、それこそ致命傷になりかねない政党代表のスキャンダルなんていくらなんでも出来すぎた脚本のように思えます。
 更に言えば、そもそも先月からニュースになっていた今回槍玉に挙げられている西松建設の海外で捻出した裏金の送金問題や、キャノンの工事受注問題など、ありえないほど直前に検察などから集中砲火を受けていたのも変だと感じておりました。

西松建設前社長を起訴 裏金、引き続き捜査(47ニュース)
大賀容疑者、西松建設から数千万円…キヤノン施設工事巡り(読売オンライン)

 これらすべての西松建設への捜査が今回の小沢氏の秘書逮捕の布石だと考えると、というよりそう思えても仕方のないようなタイミングの良さで、佐藤優氏が一気に定着させた「国策捜査」なのではないかと私も疑ってしまいます。狙いはもちろん、小沢氏と民主党です。
 正直に言えば、私は小沢一郎という人物があまり好きではありませんし、小沢氏の持つスキャンダルは私の陽月旦でも触れているように前から知っていました。しかし今回の出来すぎた秘書の逮捕はあまりにも不自然ですし、こんな誰が献金したかとかよりむしろ「陸山会」が所有する不動産物件とその売買と賃貸行為の方が問題性が大きいのではないかと思うと、なんとなく釈然としない気持ちを覚えます。

 無論、今回の逮捕は一つのきっかけで今後捜査が進むにつれて本来の目的や容疑がはっきりしてくることで明確に小沢氏の責任が問われる事態が明らかになることもありますし、私のこの場での主張も杞憂に過ぎなかったということになるかもしれません。しかしそれでも、今回のこのニュースではやや疑問に思える点が数多くあることからあらかじめ私の見方を書いておくことにしました。

 なおもしこの件で本格的に小沢氏の周辺が捜査される事態になった場合、民主党はこの際小沢氏とその取り巻きを徹底的に排除することで、次の選挙でより有利な立場になる可能性もあるのではないかと思います。
 私がそうであるように小沢氏に対してアレルギーを持つ人間は未だ数多くおり、「自民党は応援したくないが小沢が総理になるのはもっと嫌だ」という有権者を取り込む意味合いで、この際徹底的に党内の小沢色を取り除き岡田克也氏あたりを党首に持ってきて、政権奪取時には彼が総理大臣になると確約することで今以上に支持が得られるという可能性もあるのではないかと思います。そこまで民主党が対応力を見せられるかにかかっていますが。

2009年3月2日月曜日

中川元財務相の泥酔会見の裏側

 今更ですが、ようやくあの中川元財務相の泥酔会見にて私がずっと疑問に思っていた点に対して一つの解答を出すことが出来ました。その疑問点というのも、中川元財務省とあの泥酔会見の直前にあった昼食にて同席していた新聞記者についてです。

 あの泥酔会見から約一ヶ月近く経ち、問題となった会見はやはり中川元財務相が泥酔した状態で出席したことによるものだとほぼ確実視されるようになりました。その根拠としては問題発覚後に徐々に明らかになってきた当日のスケジュールによるもので、あの問題の会見の後にも美術館見学にて立ち入り禁止の場所に入って警報ブザーを鳴らすなどと奇行を続けたことから泥酔の件はほぼ間違いなくクロでしょう。
 ではその酒が入ったのはどのタイミングかが次の問題になるのですが、この問題も結局中川元財務相の口からは曖昧なままで突き通されてしまいましたが、当日のスケジュールを精査するとG7会合が終わったあとの各国財務大臣同士の昼食会と、その後に日本の外務省からの同行者らとの間で行われた私的な昼食会とアルコールを取る機会が二回あり、特に後者の私的な昼食会の直後に行われたロシア関係者との会談においてロシア側が中川元財務省がすでに奇妙な態度を取っていたことを言及しているので、私としてもうしろの昼食にてアルコールが入ったと見ております。

 さてこの昼食が実はこれまで私を悩ませてきた一つの原因なのですが、各所の報道によるとこの私的な昼食会において読売新聞をはじめとした何人かのぶら下がり記者も同席していたようで、この事実については読売新聞側も認めております。
 しかし問題発覚後、時間にして約三日間もの間、見方によれば現在に至るまでその時の昼食会にて中川元財務相がアルコールを含んだという事実関係の報道はありませんでした。普通に考えれば同席した記者がいるのならその時に中川元財務相が酒を飲んだか飲んでないか、もしくはその昼食の時点で行動がおかしかったかなんてその場にいた記者ならはっきりわかるはずですし、また当初酒を泥酔するほど飲んではいなかったと中川元財務相はゴックンだかゴックンじゃないとか曖昧な言葉で濁していましたし、その内幕を暴露することでスクープになるような内容を何故隠していたのかと、恥ずかしながら実はこれまでずっと悩んでいました。

 それでこれはあくまで私の推論ですが、やはりあの時に同席した記者らは敢えて中川氏の飲酒の事実を報道しようとしなかったのだという解答に私は落ち着きました。というのも政治家のぶら下がり記者というのは自分たちの出世もぶら下がり先の政治家にかかっているようなもので、担当となった政治家がそれこそ大臣や首相になればそのまんま大臣付きや首相付きの記者となって社内での発言力も増していくそうです。逆を言うのなら担当の政治化が楽そうすればするほど、その記者も立場がなくなっていくことになります。

 そうした打算的な意味合いに加えて、やはり政治家となるような人というのはみんな人間的魅力に溢れている人物ばかりらしく、一緒に接していることでいつの間にやらその人間の個人的なファンになってしまうことが政治家のぶら下がり記者には多く、業界用語で言うと「政治家に淫する」といって、次第に担当の政治家に対して批判的な目や記事を書くことが出来なくなるそうです。

 要は中川財務相のぶら下がり記者らもそうしたところがあり、泥酔会見が発覚してもなかなか「いや、あんたあの時散々飲んでたじゃないか」というような事実を公表することを敢えて行わなかったのだと私は考えています。そしてもしそうだとするなら、書かなかった記者らは早いところ仕事を変えるべきだとも思います。記者がいくら担当の、しかも懇意にしている政治家だからといって、批判的かつ中立的な立場を持てないとするのならその仕事には向いていないとしか言わざるを得ません。

  追記
解散時期「わたしが決める」と麻生首相=農水相発言、官房長官は苦言(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事は先日に石破農水大臣が予算成立後に早く解散総選挙をするべきといった発言に対し、麻生首相が解散時期についてとやかくいうなとばかりに反論したことを報じたニュースです。
 実は昨日に古賀誠選対委員長が石破大臣に近い意見として、補正予算成立後あたりが時期かもしれないと匂わせていたので私は自民党内で合意が出来ていると思ったのですが、今回の麻生首相の発言はそれを真っ向から否定する発言なので、どうやらそうでもないようです。

 それにしてもここまで来ると別にやることもないし本人が信条としている政策目標もないというのだから、麻生首相は本当に一日でも長く自分が総理をやっていたいという理由だけで解散を延ばしているのではないかと、あまり信じたくないのですがそう疑ってしまいます。だとしたら本当に麻生降しが自民党内で起きない限り、選挙は今年九月まで目一杯引き伸ばされてしまうかもしれません。

2009年3月1日日曜日

国会議員の世襲について

衆院選「候補者A」かく闘わんとす(日経ビジネスオンライン)

 昨日に引き続きSophieさんからのリクエストネタです。今日やるネタは私の中でもホットな話題の二世議員についてです。

 さて上記のリンクに貼った記事に書かれているように、日本の選挙はとにもかくにもお金がかかってしまいます。特に私も問題視しているのは、シャレや冗談で立候補する泡沫候補を出させないために、確か200万円の供託金を立候補に当たって選挙管理委員会に出さないといけないという選挙制度です。この200万円ですが、確かに泡沫候補を乱立させないためという理由はわかるのですが、選挙に落選した際に10%の得票率がなければ返還されずに一方的に没収されます。はっきり言いますが、何故この制度に対して司法が平等な被選挙権の侵害だと判断を下さないのか疑問に思います。

 こうした供託金制度にとどまらず、選挙活動をする上で運動員の雇用費、ポスター代などと、記事にも書かれていますが一回の選挙で数千万円の費用がかかるというのはあながち大げさな話ではありません。しかも日本の場合はお国柄か、個人からの献金が一般的ではないために立候補する候補者たちは企業からの献金に頼らざるを得ず、そのため政策面で企業の便宜を図るように動かざるを得なくなるという環境があると以前から指摘されております。そのため地位も名声もない新人議員や候補からすると、地元の支援も満足に受けられずにこうしたお金の問題から政治活動の停止に追い込まれる人も少なくありません。

 元々、日本の政治には「三つのバン」こと、「地盤、カバン、看板」がなければ選挙で戦えないと昭和期より言われてきました。カバンというのは要するにお金で、看板というのは名声で、そして最後の地盤というのは一見すると地元からの支援と見えますが、実際には世襲を表しています。
 世襲議員の場合は親族が元々その地域から選出された議員であることから地元の支援者の協力も得られやすく、また政治資金も親族から政治団体を引き継ぐ形を取れば相続税もかからずに受け取れるので、新人候補に比べると非常に有利な状態から選挙に望めます。そのせいか現在の国会議員における世襲出身の割合は非常に高く、私の陽月旦でも出身欄に「世襲」ばかりと書いていていい加減うんざりしています。

 これは田原総一朗氏の発言ですが、世襲自体がいいかどうかではなく、現実として大半の世襲議員には政治家としての能力が不足しているのは事実ゆえにどうにかするべき、というオフレコ発言がありましたが、私も同じように感じます。
 現在の選挙制度では先ほどにも述べたように非常にお金がかかるため、企業などから献金を受けづらい新人候補は政党からの支援金に頼らざるを得ません。ですが現在の政党、特に自民党では世襲ではなく外部から政治家を志して援助を願う候補者がたとえどれだけ能力があるとしても、やはり人間関係的なもので世襲の議員を応援するように動いてしまいます。そのため外部の人材は選挙に出ようとしても政党の援助もなく選挙区を割り振られないために、事実上締め出されてしまっている状況だそうです。先ほどの田原氏によると、現在民主党に所属している前原誠司議員や長妻昭議員は本音では自民党から出馬したいと願っていたものの、自民党では選挙に出してもらえないことから民主党で出馬して当選し、現在自民党を苦しめる張本人らとなっているそうで、この事実ひとつだけでも世襲では優秀な人材を国会へ送り込めないというのがわかります。

 そして現在、橋本龍太郎以降の首相はすべて世襲議員です。こういうと昔から世襲じゃなければ首相になれないと思われがちですが、実際には戦後になってから初めて世襲議員で首相に就任したのは宮沢喜一首相で、それまではどれも叩き上げの国会議員たちでした。
 そして橋本以降の首相を見ても、橋本、小泉氏はまだしもここ三代の安倍、福田、麻生の三首相に至っては途中で政権を放り出すわ失言は連発するわで、なんでこんな人たちが総理大臣になってしまうのか、日本には本当にこんな人材くらいしか残っていないのかと嘆息させられてしまいます。もっとも、世襲議員とはいえ一応は選挙で勝ち抜いては来ているのですから、そんな人材を国政に送り出す国民に一番責任があることになってしまうのですが。

 最後に、私が知っているある新人選挙候補のお話しをします。
 その人は世襲ではなく官僚出身の候補者ですが、初めて選挙に出た前回の選挙にて残念ながら落選してしまい、次の衆議院選挙にも再出馬する予定の方です。その人から直接話を聞きましたが、やはり落選した際の費用負担は大きく、また家族も奥さんが心労で入院し、子供は学校でいじめられ、おまけに公務員には失業保険なんてないからいきなり無収入になり、ほとほと選挙に懲りてもう政治家の道はあきらめようとしたそうです。
 ですがそんなことを友人に相談したらその友人より、
「自分を大事にするのならそうした方がいい。だが本当に国を思って、国のために尽くしたいというのなら絶対にあきらめるな。私は君のような能力の高い人材こそが本当に国が必要とする人材だと確信している」
 と言われ、もう一度やってみようと決心したそうです。

2009年2月28日土曜日

中国における日本アニメの浸透について

中国”動漫”新人類(日経ビジネスオンライン)

 本日リクエストがあったので、上記に貼った中国における日本のアニメの浸透の記事について解説します。
 まず中国で日本のアニメが流行っているかどうかですが、正直なところ微妙なもので、少なくともヨーロッパやアメリカのようなブームにまでは至っていないというのが私の所感です。

 私自身は2005年から2006年まで中国北京にいましたが、テレビなどで放映されるような熱狂的な日本アニメファンの中国人は見たことがありませんでした。その代わりといってはなんですが、日本に帰ってから知り合った中国人留学生の友人などはまさに根っからのオタクで、別の友人から「ガンダムが好きで日本に来たんだよ」とまで言われる位の執心ぶりでした。
 リンクに貼った記事では一見すると北京大学の学生らが非常に日本アニメに執心しているような印象を受けますが、私はそれは実際のところごく一部の学生でしかなく、ブームというほどの現象にまではなっていないのではないかと思います。とはいえ中国はいわずと知れた人口大国であるので、全体の中のほんの一部といってもそれだけでも相当な人数が集まってしまうので、記事中にもあるように同人誌の即売会などに多勢の中国人が参加したというのもあながち嘘ではないでしょう。

 では何故中国人たちの一部が記事に書かれているように日本アニメにハマるかですが、基本的に日本のアニメを見るのは日本語を学ぶ外語系の学生が多く、日本語を最初に学ぼうとするあたりから日本文化に元から親近性が強いということが予想できます。私自身中学生の頃から中国語を学ぼうと考えていたのもあり、割と中国の文化というか匂いが肌に合っていました。
 そうした学生がどのようなところで最初に日本アニメに触れるかですが、まず一番多いのはテレビ放送でしょう。私自身、留学中に中国のテレビ局で徳弘正也氏の「ジャングルの王者ターちゃん」のアニメが放映されていたので見ていましたし(さすがに一部の下品なシーンはカットされていたが)、人づてに話を聞くとちらほらとそういった日本のアニメ番組が中国でも放送されており、特にジャンプでやってる「NARUTO」も放送されていたのですが、その放送を向こうの子供はみんなよく見ていました。

 そうしたテレビ放送を通して始めて触れる一方、ある意味今日の本題となるもう一つのきっかけこと、海賊版による影響も小さくありません。
 まず一体どれくらい中国に日本のアニメやドラマの海賊版が溢れているかですが、それこそ道端の露店からその辺の本屋さんに至るまで、あちらこちらで際限なく売られています。北京で恐らく一番大きくて権威のある王府井の本屋でも、地下に行ったらありえないくらいの海賊版が売られていたのには驚かされました。値段はDVDやCD一枚あたり大体20元から30元くらいで、日本円に直すと300円くらいから450円くらいで売られています。

 私自身はそういった海賊版を買うことはありませんでしたが、日本人留学生でもアニメに限らずドラマや欧米の映画などをよく買っては暇つぶしとばかりに見ているのもたくさんいました。実際現地での雰囲気を見ていると海賊版があまりにも溢れているので、海賊版を買って何が悪いのといわんばかりの空気だったような気がします。
 やはり日本贔屓の中国人に聞いたりすると、そうした何気なく手にとった海賊版から日本のアニメにハマったという人が多かったです。入手がしやすく、また気軽にそういったアニメやドラマが見れることから、こうした海賊版が中国人が日本に対して興味を持つ取っ掛かりになるということは確かに私もあると思います。

 そうした意味でこうした海賊版のアニメは日中の交流の架け橋となっていると見ることもできるのですが、日本の各メディアでも言われているように著作権が根本から無視されていることから、しばしば双方の争いの種となっていることも少なくありません。一番日本で有名な例は向こうでテレビ放送されて人気になった「クレヨンしんちゃん」(中国タイトルは「鉛筆小新」)が中国で勝手に商標登録されて、日本のおもちゃメーカーが中国でおもちゃを販売しようとするのを差し止めたり、逆にゲーム会社のKOEIがなぜか「三国志」を商標登録しようとして中国人が怒ったりと、実際の視聴者の外では壮絶な争いが主に製作会社間で行われています。また単純に海賊版が出回ることで正規版の販売収入がなくなり、いわばタダ見されること自体を問題視する声もあります。

 こうした問題があることは重々承知ですが、二つ目のタダ見については私はどんなものかなと思うところがあります。私が日本のアニメを見る手段は主にレンタルビデオですが、やはり周りにはファイル交換ソフトで見るという人もおり、中国の海賊版を現在批判したところで日本国内でもタダ見している人間は数多くおり、今更こういうことをどうのこうのとか正規版の販売収入といってももうどうにもならないと思います。それにタダ見してる人がもし海賊版やファイル交換ソフトが撲滅されたところで、素直に正規版を買うかどうかといったら正直疑問です。かといってその二つの違法手段があっていいというわけではありませんが。

 ただこうした海賊版から入った中国人がその後熱狂的なアニメファンになることで、将来的に日本のコンテンツ産業へお金を落とすようになっていったり、日本に対して理解を深めていくということは現実に起こりつつあると思います。私の友人の中国人なんかまさにそうですし、やはりアニメゆえに入りやすい、興味を持ちやすいという特徴は確実にあると思うので、やや複雑な感情になってしまうのですが、一概に海賊版を否定するというところにまでは私は入っていけません。
 また留学中に日本アニメをよく見ていた同級生のフランス人の姐さんからも、「何であんたはネット上で無料公開されている動画を見ないの?」と言われたことがありましたが、日本以外の大半の国ではネット上の違法公開動画などを見ることが半ば当たり前視されているのではないかと私自身思います。こうした違法視聴を徹底的に叩くべきか、それとも見過ごすことで将来の購買層ことアニメファンを増やしていくべきか、実際にアニメを製作している人のことを考えると悩みが尽きません。

 ただ先ほども言ったとおりに、「NAROTO」や「ちびまるこちゃん」といった少年少女向けのアニメは正規に中国のテレビ局から放送されており、こうした番組を子供時代に見ることで将来的に日本に対して好感を持つ中国人が増えていくことは日中間にとっては悪くはない気がします。しかしこれは確か2006年だったと思いますが、中国政府が国内のアニメ産業を保護する目的で、ゴールデンタイムに外国のアニメを放送するなという通達を出したことがありました。その後この通達が本当に実行されているのかまでは確認してはいませんが、私としてはそんなけち臭いことは言わないでほしいというのが本音です。

  おまけ
 以下は私が海賊版を見ていた友人から聞いた、中国語字幕の妙な翻訳例です。左側がアニメの中の日本語セリフで、右側がそのセリフに対する字幕の誤訳です。

・こざかしい!→小坂茂!
・鈴鹿越え→鈴籠へ

2009年2月27日金曜日

権利と義務の関係性

 週末なので、ちょっときわどい内容にチャレンジしてみようと思います。
 先に断っておきますが、私は法学に関してはずぶの素人のしがない社会学士でしかありません。そんな分際でこんな内容をやろうというのも自分でもどんなものかと思いますが、この前電車に乗りながらいろいろと考えるところがあったので読者の方の意見も聞いてみたいので、一つ所見を述べさせてもらいます。
 まず結論から言うと、全部が全部そうだと言うわけではありませんが、私は権利と義務は対立するものではなくむしろ同一直線状にあるものではないかと考えております。

 これは私の持論ですが、「よく権利を主張する人はよく義務を遂行しない人」が多いと考えています。これの代表的な例はいわゆるモンスターペアレントというやつで、給食費を払うという義務を遂行しないでおきながら学校内の子供の扱いにおいて教師らへ様々な権利を主張するという例が数多く報告されており、またモンスターペアレントに限らずニュースに出てくるような数多くの変な団体とかも、言うだけ言っといてやることはやらないのかと見たり聞いたりする度に思わせられます。
 別にこのようなこと、世の中には傲慢な人間たちが溢れているんだということで特段に珍しいことではないのですが、この前ふとしたことからこの逆の構図はありうるのかと、つまり権利をあまり主張しない人は義務もきちんと遂行するのだろうかと考えてみたら、なんとなくその傾向はあるんじゃないかと思いました。

 私の周りを見渡すとやはり社会に対してきちんとルールや義務を行っている一般常識のある人ほど謙虚なことが多く、さらにはことさらに自分の行っている行為を喧伝したりせず、自分はこれだけ義務を果たしているのだからこういうことくらい主張してもいいんだなんてことも全く言いません。となると、先ほどのモンスターペアレントの例と繋ぎ合わすと権利と義務というのは基本的にセットになり、よく権利を主張する人は義務を果たさず、よく義務を果たす人は権利を主張しないという風になるのではないかと考えるに至りました。

 しかしよくよく考えてみると、個人単位でこの両者を見比べるとまるでシーソーのように権利と義務が対立し合って見えるのですが、社会上では始めから権利と義務が一緒になっているものも少なくありません。その代表的なものは主に憲法で規定されている教育や労働で、日本国憲法上で日本人は自らが教育を受ける権利と労働者として守られる権利を持ち合わせていますが、国民の義務として自らの子弟に対し教育を行う義務と労働を行う義務も一緒に課せられています。
 これはちょっと言い方が難しいのですが、権利と義務がセットになっていることでその社会にいる人は、ある場面ではその行為を行う権利者となるものの、別の場面ではその行為を行おうとする人を手助けしなければならない義務者になることもままあるということになります。それは極言をすれば、社会で認められている権利が大きければ大きいほど、その社会が保障しなければならなくなる義務も大きくなっていくということではないかということが、以前に私の頭の中でよぎったわけです。

 これなんか私がよく問題視している例なのですが、ファミレスなどでちょっとでも店員が粗相をしてしまうと感じの悪い客なんかは、「客商売なんだから、もっとしっかりしろよな」とすぐ口に出し文句を言ってしまいます。しかしもしその感じの悪い客がバイトなどで同じような店員をする場合には、自分と同じような感じの悪い客にきちんと接客を行わなければすぐにまた文句を言われてしまいます。
 ですがもし始めから店員に対してきちんとした接客態度という要求がなされないとすると、店員の側もそんなにいちいち細かい挨拶とか言葉遣いに気を使う必要がなくなります。言ってしまえば、客の要求が高ければ高いほど店員の負担は重くなる一方、要求が少なければ少ないほど店員の負担は軽くなるということです。

 このファミレスの例で「要求」を「権利」、「負担」を「義務」と言い換えると、私の言いたいことが読者の方にも見えてくるかもしれません。それこそもしずっと客の側でいられるのであれば要求を言い続けて良い目を見続けることも出来るかもしれませんが、さすがに働かずにずっと生きてけるというのは今の時代には難しいので、同じファミレスでなくとも別の業界にて自分が店員こと社員の立場になって客から同じようにあれこれ要求されることになってしまうかも知れないということです。つまり自らが要求することで権利を社会全体で高めてしまうと、回りまわって自らを拘束する義務になってしまうのではないかというのが私の意見です。

 なにも接客に限らずに社会保障の観点から言っても、いざという時に年金や生活保護を受ける権利があるとしても、その社会で年金や生活保護に使われるお金を出す人がいなければ社会保障というものは成り立たず、言うなればその社会で社会保障が手厚ければ手厚いほど税金は多く必要になってきます。また単純に社会全体で基本的人権が認められるということは、他者に対しても基本的人権を認めなければならなくもなります。
 このようにその社会で認められる権利が多ければ多いほど、その社会の構成員に課せられる義務というものは比例するように増えていくのではないかということです。一見すると権利が広がることで人間は自由や自分の可能性を広げられるとよく言われていますが、その一方で人間を拘束する義務も増大するので、場合によっては自由の範囲が狭まることすらもあるのではないかと思います。

 もちろん最初に言ったように全部が全部こうだとは言うつもりはなく、フランス革命以前は貴族は好き放題出来る一方で大多数の平民に自由がなかったのに対し、革命後に人権思想が広がったことにより元貴族は行動が制限されることとなりましたが大多数の平民には一定の自由が得られ、フランス社会全体で自由の総和というものは増えたのだと私は考えています。
 しかしこの例のように権利が広がることで必ずしもその社会の自由の総和が増大するとは限らず、またモンスターペアレントの例のように、社会の拘束こと義務が減る事でも自由の総和が増大するとも限らないのではないかと、最近企業などへのコンプライアンスの意識が増大することで窮屈さを感じることが増えた日本で考えついたわけであります。

2009年2月26日木曜日

満州帝国とは~その二、二次大戦前の中国~

 日露戦争後、満鉄の経営権を握った日本が後に満州を完全に占領しようとしたのは植民地獲得の野心があったのは言うまでもありませんが、当時の言語に絶するような中国の混乱した状況がその野心を強くさせたというのは間違いありません。今日はそれこそ普通にやっていればまず受験生はまず勉強しないであろう、一次大戦から二次大戦に至るまでの激しい中国の歴史を紹介しようと思います。

 日清、日露戦争の後、中国は今でもトラウマに持つくらいに列強諸国から次々と無茶な要求を出されては領土を割譲されるなど、文字通り国際社会の食い物とされていました。清朝としても内心は穏やかではなかったものの外国に対抗できるだけの力もなく、また国内すらも徐々に抑えきれなくなっていたために要求を受け入れざるを得なかったそうです。
 そうした清朝の態度にタダでさえプライドの高い中国人は納得するまでもなく、こうなれば日本の明治維新を見習い、清朝を倒して強固な体制を新たに作るべきだという主張が徐々に強まっていき、各地で反動勢力が次々と反乱を起こすようになっていきました。

 そんな反動勢力の中で、ひときわ抜きん出た存在となったのが辛亥革命で有名なあの孫文でした。
 彼は外国や軍閥などから文字通り手段を選ばずに支援を仰いで支持者を増やし、最終的には孫文らを討伐しに来た清朝の将軍であった袁世凱との間で、袁世凱を臨時大総統こと革命後のリーダーに仰ぐことで取りこんで清朝を崩壊させるに至りました。
 なお余談ですが、孫文は中国では一般的に「孫中山」と呼ばれていますが、この「中山」という文字は彼が日本にいた頃に中山さんちの表札を見て気に入って自分の名前にしたことが由来で、ひいては彼が着ていたことで後に定着した中国の国民服も「中山式」と呼ばれています。

 こうして清朝が滅んだことにより新体制を作るぞと息巻いたものの、残念ながら中国ではその後全体をまとめる強固な政権がなかなか生まれず、袁世凱のスタンドプレーや孫文の死によってますます統合が緩んだことが拍車となって結局は各地で軍閥が台頭し、あっちこっちで勝手に自分の領地を統治しては縄張り争いをするという、それこそ日本の戦国時代のような群雄割拠の世界が広がっていきました。
 これは首都である北京でも同じことで、ある軍閥が占拠していたかと思ったらすぐに負け、また新たな軍閥が占拠しては新たな統治をするというようなことが全国各地で起こり、それ以前の中国よりずっとこの時代に混乱が増すこととなってしまいました。なおこの時代より少し前の革命期になりますが、魯迅の「阿Q正伝」では清軍と革命軍が交互に地域を占拠するたびに辮髪があるかどうか大問題になるという、当時の不安定で反復常ならぬ世情が描かれています。

 こうした中で日本にとって一番関心の強かった満州において強い勢力を持ったのが、こちらは中学生でも習う馬賊出身の張作霖でした。
 先に馬賊の定義について説明しておきますが、正直なところこの馬賊という名称は誤解を生む恐れがあるためにあまり良くない名前で、日本語の意味合いから言うなら「傭兵団」と呼んだ方が適当だと思われます。既に述べたように当時の中国は果てしなく混乱し、北斗の拳じゃないけど暴力による強圧的な支配から略奪まで日々横行していました。そんな環境ゆえにお金のある地主などは腕に自信のある人間を夜盗であろうと構わず集めては、広大な満州の平原で必須となる馬を援助するなどして自警団を各地で組織するようになっていき、そのようにして生まれた独立した自警団こそがこの当時に馬賊と呼ばれた集団でした。

 これら馬賊は地主などのスポンサーから援助を受けている間は担当地域の治安を守り、支援が打ち切られるや別の地域で活動するかそのまま元の夜盗へと成り下がるかし、言うなれば半兵半盗のような存在でした。
 張作霖などはこうした馬賊のリーダーとして徐々に活動地域を広げていき、支配地域のスポンサーや満鉄を所有する日本も混乱が続くぐらいならまだ力のある人間によって統治されることを望んで彼を多方面で援助したことにより、張作霖の勢力はいつしか現地の行政も担当するようになって軍閥へと発展していったのです。

 とはいえ所詮は軍閥で、他の軍閥との抗争に敗れたり援助が打ち切られたりするとあっという間に勢力を失うので、中国全体で一応の秩序が生まれるには蒋介石による全国統一作戦こと「北伐」が行われるまで待たなければなりませんでした。その北伐を行う蒋介石に敗北した上に日本からも援助を打ち切られた張作霖の最後はまさに落ち目の軍閥党首の典型で、1928年に河本大作によって奉天へと鉄道で逃げ帰る途中で爆殺されてしまいます。
 皮肉なことに、それまでの混乱期ではなく蒋介石の下でようやく統一が行われそうになった段階に至り、日本は本格的に満州へと謀略を仕掛けるようになり、三年後の満州事変によって行動に移されることとなるのです。