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2009年6月29日月曜日

北京留学記~その三、中国の大学

 これからしばらく中国の大学についてあれこれ解説をしていきます。中国留学を考えている方にとっては非常に有益な情報となるので見ていて損はないでしょう。

 まず中国の大学にいえることはとにもかくにも大きいということです。そりゃ国土も人口もすべて日本の十倍以上なんだから当たり前といえば当たり前ですが、それを考慮しても日本の学生から見れば向こうの大学は大きいです。具体的に何が大きいかといえば敷地面積は言わずもがなで学内の施設や寮もたくさんあり、運動場もいっぱしの観戦試合とかも可能な位に大きいです。
 一言で言って中国では大学それ自体がひとつの街であり、学生と教員たちの経済圏として成立しています。居住者である学生や教員は学内の寮に常に千人単位で居住しており、その居住者相手に寮を含めた学内の各施設もそれぞれ独立して運営されています。

 一つ一つ例を挙げていくと日本の大きな大学同様にスーパーもあれば夜遅くまで開いているコンビニ店もあり、レストランも学生食堂のように安くて多く出るところもあれば値段が割高であれどもそこそこのパーティも出来そうなのもあり、韓国料理店やムスリム料理店といったエスニックレストランもありました。もちろん夜中でもやっているバーもあって、私はそこでロシア人にウォッカを飲まされたわけなのですが。
 これらはもちろん私のいた北京語言大学の例なので必ずしもどこも同じだとは言い切れませんが、少なくとも私が北京滞在中に見てきた各大学ではどこも似たようなもので上記のような店はありました。特に中国屈指の名門大学の北京大学に至れば売店はもはやデパートの売り場のようで、文房具からブランド品に至るまでなんでもかんでも揃っていて驚かされました。

 そんなわけなので、特に予定がなかったりすると二、三週間くらいは大学の敷地から一歩も出なくてもそれとなく過ごせてしまうため、春休みのように外が寒かったりするとまるで引きこもりのように寮の中でずっと過ごす時期もありました。もっとも学外からなかなか出ないのはなにも学内ですべて完結できてしまうほかにも、劣悪な北京の交通による影響も少なくありません。北京の交通の悪さについてはいくら北京を愛している中国人でもはっきりと「悪い」というくらいよくなく、ただでさえ人が多すぎるためにバスなり地下鉄なりを利用するとすぐにぎゅうぎゅうになって一回の外出で使うエネルギーは日本の比じゃありませんでした。タクシーを使うのならばそういうこともなくてごくごく楽に移動できるのですがお金もかかるのでそれほど乗り回す気にもなれず、そのため北京を観光し終わった後は無駄に体力を使わないために私はあまり外出する事はありませんでした。

2009年6月28日日曜日

北京留学記~その二、入寮~

 前回の記事では私の留学先の北京語言大学に着いた所まで書きましたが、今日はその後に行った入寮手続きの話を書きます。
 基本的に中国での外国人留学生は大学構内の寮に最初は住む事になります。これは学生の安全を確保すると共に大学側が外国人学生を管理する意味合いも込められていてかつては留学中の住居について選択の余地はなかったようなのですが、最近ではこの点については緩和されているので知人を頼っていきなり学外のアパートメントを借りることもできるようになっています。しかしそれでも大半の学生は最初に寮に住む事になるので、この入寮時に中国風手続きの洗礼も浴びることとなるのです。

 私は当初、留学先の北京語言大学は外国人に対して中国語を教える目的で作られたというだけあって外国人の多い大学だから、中国語ができなくとも英語ぐらいは通じるだろうという甘い期待を持っていたのですが、それは所詮は甘い期待だったと思い知らされたのがこの入寮手続きでした。
 私が入寮予定の寮にようやくたどり着いてみると、ちょうど新入生の入学シーズンともあって寮の受付はえらく込んでいました。前の人の手続きが終わって私の番になるといきなり受付の人に、「自分はこれこれこうで、入寮予定の者ですが」と英語で言ってみたのですがこれが全く通じず、しょうがないので日本で受け取っていた寮の手続き書類を見せるやひったくられるように取られて、その後は勝手に手続きを行ってもらいました。

 そうしてしばらく待っていると受付の人に番号札を渡され、まるで追い立てられるかのように受付から出されました。恐らくその番号の部屋が自分があてがわれた部屋なんだろうと考えてその部屋がある五階まで、エレベーターが無いので重たいスーツケースを抱えながら階段で向かってようやく着いてみると、なんとドアが開かない。この時点でようやく気が付いたのですが、まだ部屋の鍵を受け取っていませんでした。
 盗まれたら事なのでまた重たいスーツケースを抱えて一階へ行き、受付の人に向かって中国語ができないのでまた英語で、「ザ、ドアーワズロックド」と、鍵がロックされているくらいはわかるだろうと言ってみるのですがやはり通じず、たまたま近くにいた日本人留学生の方に私の意を翻訳してもらってようやく部屋のスペアキーを得ることが出来ました。

 元々寮の部屋の鍵は相部屋であっても二人で一つを共用して、最後に外出する一人が受付に渡して管理するというシステムなのですが、この時はたまたま相部屋の相手が当時は一人で部屋を借りていたために、このシステムを守らないで受付に鍵を預けずに外へ出ていたためにこんな妙な事が起きたわけです。スーツケースを抱えて五階まで一往復半もさせられた私からすると、そもそも鍵を一人ずつ持たせずに共用にするのが問題だし、それ以前に外国人留学生専用の寮なんだから簡単な英語くらいは理解してくれよというのが当時の素直な感想でした。

 なおほかの中国留学生の方のブログや掲示板のコメントを見ると大抵が私のように入寮時にいろいろと苦労をしているようで、これまた私と同じように既に留学して半年とか一年経っている人に助けてもらったという書き込みをよく見ます。そういう意味では最初に言ったように、留学生にとってこの入寮手続きが一つの洗礼に当たるのだと私は思うわけです。

私の歯について

 ちょっと古いニュースですが、中国でのニュースでこんなのが以前にありました。

中国、窓の鉄格子を歯で噛み切って侵入してた強盗(エルエル)

 いかにも中国らしいトンデモニュースで素晴らしいのですが、このニュース記事の中で以下の記述に私は注目してしまいました。

「彼は山間部の村で育ち、固いクルミの実を歯で割っている内に現在のように鋭く強靱な歯に育ったと話したそうです。」

 そりゃ鉄格子を歯で噛み切るくらいなんだからクルミくらい平気で当たり前なのでしょうが、実を言うと私もクルミの殻を歯で割ることが出来ます。おなじクルミ系の話題だと今は無き韓国ノムヒョン前大統領が祝賀会かなにかでクルミの殻を歯で割ろうとしてネットニュースで笑われていましたが、見ている私からすると「なにがおかしいの」と当時思ってました。

 これは今絶賛連載中の「中国留学記」でもいずれ書くことになる、私の相部屋相手だったルーマニア人のドゥーフェイがある日クルミを買ってきて私にも分けてくれました。そのドゥーフェイは机の角でクルミを叩き割るところを私はいつもどおりに口の中に入れて歯で噛み割ったら、「おい、歯とか大丈夫なの?」とわざわざ心配して聞いてきました。当の私はというとクルミは歯で割るのが自然だと思っていたので、「何をそんなに驚くの?」というような感じで聞き返しましたが、後でいろいろ聞きまわったらやっぱり私の方が少数派だということがわかりました。
 さすがに鉄格子にまでチャレンジするつもりはありませんが、私の歯は至極丈夫なようです。

ドラゴンクエスト6での不可思議現象

 「ドラゴンクエストシリーズ」といえば日本人なら知らない人はほとんどいないとまで言われるゲームシリーズですが、このシリーズでの「ドラゴンクエスト6」では3にあったダーマ神殿による転職システム、5にあったモンスターを仲間にする二つのシステムが実装されていました。私としては各キャラクターに個性のあった5の方が好きだったのですが6の転職システムによって基本的にどの特技、呪文も一人のキャラクターが覚えることが出来るようになって、そのせいかこの6は私の中ではあまり評価の高くない作品です。

 しかしその一方、誰でもどんな特技と呪文を覚えられるということからこの6ではいろいろと面白い現象を確認することが出来ました。その代表例とも言えるのが、スライムによる特技です。この6が出た当時に小学生であった私たちの間では、人間キャラでも「どくのいき」とか使えるというのはなんだかおかしいよねと言い合っていたのですが、こうして年を取った後になると人間キャラ以上にスライムの特技の方が気になるようになってきました。

 まず一番不思議なのは、スライムによる「せいけんづき」です。この「せいけんづき」を使用した際に戦闘画面に出てくるメッセージというのは、

「スライムはこしをふかくおとし、せいけんづきをはなった」

 こんな具合なのですが、見ているこっちからすると「スライムに腰? そもそもどうやって殴るの?(゚Д゚;)」と意識してみると結構頭を抱える内容です。
 やはり一頭身キャラクターゆえか、格闘系の特技をスライムが使うと次々と齟齬が生まれてくるため、このほかにも「まわしげり」や「とびひざげり」など考えれば考えるほど悩んでしまう特技がたくさんありました。また格闘系にかぎらず「いてつくはどう」でも、

「スライムはゆびさきからいてつくはどうをはなった」


 などと、どこに指があるのか体の部位を考えてしまうメッセージが次から次へと生まれていきました。ただこういうのもなんですがいちいち細かく作ってもしょうがないですし、こういうメッセージを敢えて変えずに他のキャラクターと共通のメッセージを出すというのはかえっていいと思います。
 このドラクエ6と同じように共通メッセージゆえにおかしな内容が出てくるほかの例では、こちらも有名なの「信長の野望シリーズ」における親から子への教育メッセージがあります。

 このシリーズでは大名の子供が同じ城などにいる際に起こる親子の指導イベントというものがあり、そのイベントでは講義中にトイレのために席を立った子供に対して、「天下国家のための講義をしている最中に席など立つな、尿など漏らしてしまえ(゚Д゚)!!」と叱るメッセージが出てくるのですが、このシリーズでは定期的に大名の娘が成人してきて、外交道具として使うか、他の武将と同じく戦ったりできる「姫武将」として使うかが選択できます。それで仮に娘を「姫武将」として使っていると、他の息子同様に先ほどの指導イベントが起こるというわけで、

「席など立つな、尿など漏らしてしまえ(゚Д゚)!!」
「えっ……ちょっと女の子には厳し過ぎない(゚Д゚;)?」


 信長の野望をやってる最中に全く意図せず出てきたこのメッセージを見たとき、リアルに顔文字のような顔になりました。

2009年6月27日土曜日

北京留学記~その一、北京到着~

 ついにこいつを出す日が来ました。
 今日から超大型連載として、私の中国留学記をこのブログで連載して行きます。留学記自体は帰国後に既に書いていたのですが内容には自信があるものの、これまであまりおおっぴらに公表したりせず親父と中国語の恩師、そして何故かうちの会社の役員にだけしか見せていませんでした。このブログを始めた当初もメインコンテンツとしてすぐに公表するべきかとも考えたのですが何故だか決心がつかなくこれまでずるずると伸び、最終的に今週に至り踏ん切りがつく形で連載を決めました。
 基本的に文章は出来上がっていて後はブログの文体に合わせてちょちょっと手を加える程度なので恐らくはこれから毎日更新していけると思います。そういうわけで2005年9月から2006年7月までの私の中国留学記、どうぞご覧ください。まず一発目は北京に到着した日の出来事です。


 成田から飛び立ち約三時間、今まで行った事のあるどの国よりもフライト時間の短い移動で2006年8月30日、中国北京にある首都国際空港に私は到着しました。お袋の実家のある鹿児島県まで約二時間ということを考えるとこの短さではほとんど国内を旅行しているような気分でしたが、ところがどっこい行き先は海外でしかも中国。これは後付けですが、今まで行ったことのあるどの国よりも英語が通じない国です。留学するとはいえ私が中国語を習っていたのは大学での週三の授業だけで、果たしてこれで中国現地でやっていけるのかと不安は全く無かったといえば嘘になります。

 そんな不安いっぱいの行きの飛行機の中でたまたま私の隣に座っていたのは二十台ぐらいの中国人男性で、しかも当時の私のホームグラウンドである京都に留学していた方でした。留学するもんだからもちろんその人は日本語がペラペラで、話を聞くとなんでも仕事の通訳で日本に来ていてその帰りだったそうです。私がこれから留学に行くことを伝えるといろいろと話が弾んで空港に着くまで雑談を続けたのですが、彼の話で聞いてて面白かったのは、「中国人と大阪人はよく似ている」といった分析でした。
 というのも騒がしい性格、と書くとあちこちから文句が来そうなので、開放的な性格、標準よりやや大きな声、物事にあれこれ首を突っ込みたがるところなどが大阪人と中国人でそっくりだと言っており、留学を終えた今になってみると私もおもわずうなずいてしまうような鋭い分析です。

 そうこうしている内に飛行機は空港に到着し、正直言って恥ずかしい話なので載っけるべきかどうか少し悩みましたが隠すよりネタにしたほうが絶対いいのでこの際書いてしまいますが、ついて早々いきなり偽タクシーに捕まってしまいました。ほんとに恥ずかしい限りなのですが、タクシーを捜すのが面倒くさくてガイドブックにも注意するようにと書いてあったのに呼び込みタクシーに対し、この際これでもいいかとほいほいと乗り込んでしまいました。
 まぁいざ法外な料金を要求されれば「警察まで」と頼めばなんとかなるだろうと考え、そのまま私の留学先である北京語言大学まで行ってもらったのですが案の定、空港から市内まで相場が百元(1500円)のところを四百元(6000円)を要求されてさすがに殴り合いになるという雰囲気こそなかったのですが、お互いに自分の提示する額を言い合って長々と口喧嘩をしてしまいました。当時は全然中国語ができない状態だったので一方的に英語でこっちは文句を言い、また向こうは向こうでこっちのわからない中国語でまくし立てる始末でした。

 その後30分くらい互いに言い合いを続けて最終的に日中間でも使えるということで持参してきたNOKIAの携帯電話を見せたところ急に相手が大人しくなり、四百元のところを三百元まで要求額を下げてきたところで私も首を頷きました。もっともこの時のの件は非常に反省点の多い失敗で、自分から寄って来る怪しいのを相手にしたことや変に妥協してしまうのは後悔が募るということをまず学びました。
 ちなみにその後留学中に他の外国人学生に話を聞いてみるとほかのみんなも大抵同じような経験をしており、ひどい場合では1000元(15000円)位も取られている留学生までいました。

 そんなこんなでしょっぱなから波乱含みの留学生活でしたが、留学を終えた今だと「まぁたくさんあるうちの一つだよね」と思えてしまいます。もう四年も前の留学体験ですが、書いていてまだ昨日のように思い出せるというのは本当に貴重な体験が出来たからだという気がします。

2009年6月26日金曜日

DAIGO氏と小泉孝太郎氏を比較して

 最近政治家の世襲問題がとみに議論されるようになり、今週の「テレビタックル」でもこれが主題となって議論が交わされました。なおこの時に出てきた岡野工業の社長は見ていて非常に面白かったです。

 この時に議論された世襲というのは言うまでも無く政治家の世襲問題についてで、私や「フランスの日々」のSopiheさんも揃って以前から取り上げていましたが、ふとこのまえに同じ政治家の子弟でありながら似たような経歴を辿りつつスタート時に明確に差を分けた二人の人物がいることに気がつきました。その二人の人物というのも、竹下登元総理の孫でミュージシャンのDAIGO氏と、小泉元首相の息子で俳優の小泉孝太郎氏です。何気にこの二人、同い年です。

 二人とも元総理という超弩級の血筋の良さで現在テレビの露出も多くて芸能人としては成功している部類の人物たちですが、何が決定的に違うのかというと自分が総理の血縁者であることをカミングアウトした時期です。小泉孝太郎氏は芸能界デビューをする際に自ら当時現役であった小泉元首相の息子であることを隠さずにいたことから当初より話題性もあり、デビューするや瞬く間にテレビ出演やコマーシャルの出演が決まったのに対し、DAIGO氏の方はデビュー時は思うところもあって竹下下総理の孫ということを敢えて隠して活動を始めたところやっぱり泣かず飛ばずだったそうで、前にトーク番組にて、

「自分も結構前から活動してるんですけどぉ、おじいちゃん(竹下元総理)の孫だと言い始めた去年から急に売れ始めて、今までの自分の活動ってなんだったんだろうなぁって思うんすよぉ」

 DAIGO氏が自分が総理の血縁者であることを隠していた理由については、やはり祖父の知名度に頼らず自分の実力でのし上がっていきたいという思惑があったそうなのですがやっぱりそうもうまくはいかなかったようです。一方、いきなりデビュー時にカミングアウトした小泉孝太郎氏の方はというと、私の記憶する限りいろいろと賛否両論の意見があったように思います。

 これは当時の北野たけし氏の発言ですが、「実力が無ければ芸能界ではやっていけないのだから、ひとまず活動をして十分に売れ始めてからカミングアウトしても遅くないのに、初めから総理の息子だと言ってデビューするのはどんなもんだ」などという感じで真っ向から批判していました。もっとも北野氏は自分の娘が歌手デビューする際にわざわざプロモーションビデオに出演するほどの熱の入れようでしたが。

 こうした意見が小泉孝太郎氏のデビュー時に出てきたことを考えると、あながちDAIGO氏が隠そうとしたのも無理ないでしょう。ただこの辺の問題についての私の意見はというと、芸能界においては自分の知名度向上につながるのであれば別に隠すことなく、使えるものはどんどんと使っていくべきなんじゃないかと思います。
 そう私が考えるのも、芸能界は実力主義の世界だからです。芸能人は常にテレビや映画などで自らを露出するために実力があるかないか、売れるか売れないかが比較的わかりやすく、また売れる人間の下で実力を問わずに大量の売れない人間がいる状況下で芸能人たちも自分たちを常に必死でアピールしており、一部の女性芸能人に至っては自らスキャンダルを起こすことで露出を増やそうとする人までいる程です。

 実力があっても綾小路きみまろ氏のように長い間売れなかったのを考えると、自分を売り出す一つのきっかけとして総理の血縁者であるとPRするのは決してアンフェアなことだとは思いません。仮にそれで売れるようになったとしても、その後視聴率が取れないなど実力が追いつかなければ自然と淘汰されて消えていってしまうのが芸能界なので、DAIGO氏に対しては「無理しなくてもよかったのに(ノД`)」というのが私の感想です。

 なおこれは逆に言えば実力があるかどうか分からない、分かり辛い業界では話は違うということです。そんな業界はどこかって言えばもうわかっているでしょうけど、政界のことで政治家の世襲です。
 私もまだまだ未熟ですが、私の周囲の人間からするとどの政治家がどんな政策やどんな考え方、果てにはどんな政治的功績があるのか皆目つかないそうです。実際に政治を真剣に勉強している人以外でどの政治家が優秀で立派なのかは判断するのは難しいでしょうし、そんな状況だからこそ世襲が大きく影響する知名度が選挙に与える影響はあまりにも強すぎると言わざるを得ません。
 実力が分かり辛い業界だからこそ余計な要素を排除する。それが私が世襲を批判する一つの理由です。

検察審査会と二階大臣の西松事件について

「日本の検察は捜査権と訴訟件という二つの大きな大権を独占している。少なくとも、捜査権だけでも彼らから取り上げなければいけない」

 上記の発言をしたのは元ライブドアの社長の堀江貴文氏で、彼は自分の体験から日本の検察が恣意的な捜査を行っていることに対して自著にて激しく非難しております。
 現在、日本の刑事裁判は検察による起訴が行わなければ開かれることはありません。これは逆に言えば検察が自分らにとって都合の悪い案件などに対しても自分たちが起訴さえ行わなければ一切裁判を開かせず、被告となる人物にも刑罰を加えさせずにいられるということです。

 改めてこういう風に書くと検察というのはものすごい力を持っている組織だと思えてきます。実際にこれは関東の人にはなじみが薄いのですが、関西では民放などでよく取り上げられている元検察官の三井環氏のケースがあり、彼が検察内部で調査活動費の名目で裏金を作っていることを民放の番組に出演して暴露しようとするや、その収録直前に突然逮捕されて結局告発することが出来ずに終わってしまいました。逮捕容疑も、聞いててなんだかよくわからない内容だし。

 そんな検察に対してこのところ私が一番不満に感じているのは西松建設事件についての対応です。この事件では何の前触れも無く民主党の当時の代表であった小沢一郎氏の秘書が不正な手段による政治献金を受けていたとの事で逮捕されましたが、突っ込みどころを一気に並べ立てると、

・何故献金を受けた小沢氏本人ではなく会計責任者とはいえ秘書を逮捕したのか
・何故逮捕前に事情聴取がなかったのか(この手の事件では前例が無い)
・何故同じ団体から献金を受けていたほかの自民党の議員らについては捜査をしないのか
・何故秘書が容疑を否認しているにもかかわらず、認めたとの情報をNHKにリークしたのか
・何故別団体から同じ迂回献金を受けていた与謝野大臣らの秘書をいきなり逮捕しないのか

 ざっと、こんなもんです。こうして挙げてみると本当にたくさんありますね。
 そんな私にとって憤懣やるかたない検察に対して、これはつい先週に初めて知ったのですが一般市民が検察の訴追について意見を申し立てる機関があったそうなのです。その名も「検察審査会」です。

 この検察審査会というのは、なんかウィキペディアでは「くじで選ばれる」と書いてはありますが具体的な選出方法はわからないのですが、一般市民から選出された委員によって構成され検察が不起訴とした案件に対して不服を申し立てる者が現れた際に、検察が不起訴とした判断が適切であるかどうかを審議して多数決にて出した結論を検察に勧告する機関です。
 この検察審査会が設置された背景には市民と検察の間で訴追に対して大きな溝を作らせないためなのですが、お世辞にもまともに機能しているとは言い難い状況でした。というのもこの審査会が検察の不起訴とした判断を適当だったという結論が出た場合は「不起訴相当」、不適当だった場合には「不起訴不当」、もしくは「起訴相当」という議決を行うのですが、後者二つの不適当という議決が出たにもかかわらずここ数年の実績ではその後に起訴されたのはたったの約二、三割だったそうです。

 これでは何のために審査会があるのかという方々からの指摘を受け、実はつい最近の先月五月二十一日に一部法改正されて「起訴相当」が二回も出た案件に対しては検察の意図に関わらず必ず裁判が開かれるように権限が強められました。この流れを受けてか、検察もこの審査会の議決を重く受け止めるようになったのかと思わせられたのが以下のニュースです。

二階派パーティー券購入問題、西松元社長を起訴(YAHOOニュース)

 これは小沢氏の秘書が逮捕されるきっかけとなった迂回献金を行っていた西松建設の団体が、現二階経済産業担当大臣の政治資金集めのためのパーティー券を購入していた容疑について東京第三検察審査会が「起訴相当」という議決を出したことから、当初起訴が見送られていた西松建設元社長に対して本日検察が起訴を行ったというニュースです。こういうのもなんですが何故検察が不起訴としたのかも全く以って理解し難かっただけに、検察審査会がきちんと機能するのだと驚きとともにちょっと前途に希望を覚えました。
 元々私がこの検察審査会を知るきっかけとなったのは先週にまさにこの東京第三検察審査会が今回の案件について「起訴相当」という議決を出したことを報じたニュースからで、昨日あたりにでも審査会についての解説記事を書こうと思っていたらカルテルの記事を書かなければいけなくなって、今日は書くぞと思っていた矢先に先ほどの起訴のニュースがきて非常にタイミングのいい記事となりました。

 私はやっぱり今の検察の恣意的な捜査方法には疑問を感じることが多いので、今後もこれらの審査会が十分に機能することを陰ながら応援していこうと思います。