ついにこいつを出す日が来ました。
今日から超大型連載として、私の中国留学記をこのブログで連載して行きます。留学記自体は帰国後に既に書いていたのですが内容には自信があるものの、これまであまりおおっぴらに公表したりせず親父と中国語の恩師、そして何故かうちの会社の役員にだけしか見せていませんでした。このブログを始めた当初もメインコンテンツとしてすぐに公表するべきかとも考えたのですが何故だか決心がつかなくこれまでずるずると伸び、最終的に今週に至り踏ん切りがつく形で連載を決めました。
基本的に文章は出来上がっていて後はブログの文体に合わせてちょちょっと手を加える程度なので恐らくはこれから毎日更新していけると思います。そういうわけで2005年9月から2006年7月までの私の中国留学記、どうぞご覧ください。まず一発目は北京に到着した日の出来事です。
成田から飛び立ち約三時間、今まで行った事のあるどの国よりもフライト時間の短い移動で2006年8月30日、中国北京にある首都国際空港に私は到着しました。お袋の実家のある鹿児島県まで約二時間ということを考えるとこの短さではほとんど国内を旅行しているような気分でしたが、ところがどっこい行き先は海外でしかも中国。これは後付けですが、今まで行ったことのあるどの国よりも英語が通じない国です。留学するとはいえ私が中国語を習っていたのは大学での週三の授業だけで、果たしてこれで中国現地でやっていけるのかと不安は全く無かったといえば嘘になります。
そんな不安いっぱいの行きの飛行機の中でたまたま私の隣に座っていたのは二十台ぐらいの中国人男性で、しかも当時の私のホームグラウンドである京都に留学していた方でした。留学するもんだからもちろんその人は日本語がペラペラで、話を聞くとなんでも仕事の通訳で日本に来ていてその帰りだったそうです。私がこれから留学に行くことを伝えるといろいろと話が弾んで空港に着くまで雑談を続けたのですが、彼の話で聞いてて面白かったのは、「中国人と大阪人はよく似ている」といった分析でした。
というのも騒がしい性格、と書くとあちこちから文句が来そうなので、開放的な性格、標準よりやや大きな声、物事にあれこれ首を突っ込みたがるところなどが大阪人と中国人でそっくりだと言っており、留学を終えた今になってみると私もおもわずうなずいてしまうような鋭い分析です。
そうこうしている内に飛行機は空港に到着し、正直言って恥ずかしい話なので載っけるべきかどうか少し悩みましたが隠すよりネタにしたほうが絶対いいのでこの際書いてしまいますが、ついて早々いきなり偽タクシーに捕まってしまいました。ほんとに恥ずかしい限りなのですが、タクシーを捜すのが面倒くさくてガイドブックにも注意するようにと書いてあったのに呼び込みタクシーに対し、この際これでもいいかとほいほいと乗り込んでしまいました。
まぁいざ法外な料金を要求されれば「警察まで」と頼めばなんとかなるだろうと考え、そのまま私の留学先である北京語言大学まで行ってもらったのですが案の定、空港から市内まで相場が百元(1500円)のところを四百元(6000円)を要求されてさすがに殴り合いになるという雰囲気こそなかったのですが、お互いに自分の提示する額を言い合って長々と口喧嘩をしてしまいました。当時は全然中国語ができない状態だったので一方的に英語でこっちは文句を言い、また向こうは向こうでこっちのわからない中国語でまくし立てる始末でした。
その後30分くらい互いに言い合いを続けて最終的に日中間でも使えるということで持参してきたNOKIAの携帯電話を見せたところ急に相手が大人しくなり、四百元のところを三百元まで要求額を下げてきたところで私も首を頷きました。もっともこの時のの件は非常に反省点の多い失敗で、自分から寄って来る怪しいのを相手にしたことや変に妥協してしまうのは後悔が募るということをまず学びました。
ちなみにその後留学中に他の外国人学生に話を聞いてみるとほかのみんなも大抵同じような経験をしており、ひどい場合では1000元(15000円)位も取られている留学生までいました。
そんなこんなでしょっぱなから波乱含みの留学生活でしたが、留学を終えた今だと「まぁたくさんあるうちの一つだよね」と思えてしまいます。もう四年も前の留学体験ですが、書いていてまだ昨日のように思い出せるというのは本当に貴重な体験が出来たからだという気がします。
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