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2009年9月3日木曜日

日本漫画キャラ傑作選~亀仙人~

 数ある魅力的なキャラクターが登場する「ドラゴンボール」において、私が最も好きなキャラクターはと言われれば亀仙人をまず第一に挙げます。ピッコロさんも捨て難いけど。
 別にドラゴンボールに限るわけじゃなく、どの漫画作品でも主人公らからちょっと距離を置いて見守り助言する後見人とも言うべきキャラクターは非常に貴重でもあり、かつ物語を盛り上げる上で重要な存在だと私は考えております。その中でも白眉とも言うべき、かつ他の作品においてもこの手のキャラにおける一種のオリジナルパターンになったのがこの亀仙人だと私は思います。

 作中の詳しい亀仙人の活躍はここで細々説明しませんが、武天老師と言われながらも普段はスケベジジイそのままの行動と発言で、そのくせ実力は物語初期においては最強というものだから当初からそのギャップに強く引きつけられました。確かこれは「ヘルシング」の作者である平野耕太氏がイラストとともに、スケベジジイというキャラクターを確立させたのは亀仙人だろうとコメントしていましたがまさにその通りでしょう。

 そんな亀仙人ですが、子供の頃はそうでもなかったけど年を取ってから読み返してみて当時とは違った見方になった場面として、ピッコロ大魔王との直接対決のシーンがあります。
 この場面では悟空が死んだと勘違いし、最早ピッコロ代魔王を止められるのは魔封波を使える自分だけだと天津飯とともに向かいますが、それでももし自分が敗北した時のために戦闘の直前に麻酔薬で天津飯を動けなくさせた上で亀仙人は一人で挑みます。

 この悲壮な決意もむなしく結果的には亀仙人は敗北してしまいますが、その姿は物語り当初にあったスケベジジイの姿は一切なく、後事を若者に託した上で自分の命と引き換えにしてでも戦いを挑んで死亡する顛末は今こうして読み返すといろいろな思いが湧いてきます。

 このピッコロ大魔王戦の後は亀仙人には目立った活躍はなくなりますが、個人的に今思うとすばらしい演出だったと思うのはアニメ版のドラゴンボールの演出で、アニメの次回予告時のナレーションは代々の亀仙人役の声優が勤めていました。改めて考えるとドラゴンボールの次回予告ほど未だにはっきり覚えている予告シーンはなく、なんでそれほど印象が強かったのかと言えば予告のナレーションが亀仙人という後見役とも言うべきキャラクターの声優だったからではないかと今思います。

2009年9月2日水曜日

出版業界の値段に関する慣習

 今現在、私が一番ハマっている漫画は何かというと、ヤングジャンプにて連載している岡本倫氏の「ノノノノ」という漫画です。前にもこの「ノノノノ」は一回取り挙げたことがありますが、岡本倫氏の前作「エルフェンリート」に負けず劣らず読者の期待をことごとくいい意味で裏切ってくれる内容で、なおかつ昨今の漫画にしては非常に展開のテンポが良いのでまだ読んだことがない人にも自信を持ってお勧めできる漫画です。なお最新刊の7巻はいろんな意味ですごい内容でした。

 そんな「ノノノノ」の最新刊の巻末の作者コメントにおいて、ちょっと気になる内容が書かれていたのでここで紹介しようと思います。全文を引用するのなんなので内容だけを抜粋すると、今回の7巻はこれまでの単行本と比べて一話多く収録したそうです。なんでも話の展開上区切りが良かったのでこのようにしたそうなのですが、作者の岡本氏が言うには単行本のページ数を増やした場合はその分本の値段も上げなければいけないそうなのですが、仮にそうやって単行本の値段を上げた場合、次の巻からページ数を元に戻しても値段を下げることが出来ないのがきまりになっているそうなのです。
 そのため岡本氏はいろいろ悩んだ挙句、これまでの単行本では一ページ目にカラーのイラストページを挟んでいるのですが、それを今回取っ払うことでこれまでのお値段据え置きでページ数を増やしたそうです。

 この作者の岡本氏は男性ですが、かねてより妙に謙虚なコメントの中にさりげなく「貧乏で○○が買えません」などと混ぜてはよく作者萌えする人だと言われていましたが、今回のコメントでもやっぱり読者のことをいろいろ考えている人なのだと改めて感心しました。ちゃんと私みたいに単行本読者のことも考えてあれこれ気を回すなんて、普通の作家じゃまずやらないでしょう。

 ただこうした岡本氏の配慮の一方、個人的に気になったのが出版社の妙な決まりごとです。あまりこの業界に詳しくないのに言うのもなんですが、ページ数を増やした場合に値段を上げるというのはまだわかるにしても、一度値段を上げたら元のページ数に戻しても値段を下げることが出来ないというのは私の常識ではちょっと理解できません。
 実際に本屋を周って見ているといくつかの漫画ではまさにその通りとも言うくらいに、以前と値段は一切変わっていないにも関わらず巻数を重ねるごとに大幅にページが減っている単行本を見かけたりします。いくつか例を挙げると、藤島康介氏の「ああっ、女神様」と岩明均氏の「ヒストリエ」です。特に「ヒストリエ」に至っては4巻くらいから急激にページ数が減少したのでびっくりして、それまで単行本を買い続けていましたが馬鹿馬鹿しくなってそれ以降は買うのをやめてしまいました。

 どうして一度の値上げ後に値下げができないかについて私の友人は、恐らく「再販制度」が影響しているのではないかと教えてくれましたが、値段を小幅に動かすことすらできず、しかも一方通行な値上げしかできない出版社の慣習だか制度にはそれが存在すること自体に私は呆れてしまいます。また先ほどに挙げたページ数が減っているのに値段が変わらない二つの漫画については別の友人が、恐らくそれでも売れるほどの人気作だから通用するのだろうと感想を述べましたが、私からするとそんな売り方をしていて出版社は商売人として恥ずかしくないのかとすら思えます。

 私が以前にアルバイトをしていた喫茶店でマスターの奥さんから何度も聞かされた言葉としてこんなものがあります。

「曲がりなりにもお客様からお金を頂くのだから決して、一杯のコーヒーでも手を抜いてお出ししてはいけないし、体調が悪かろうが忙しかろうがもてなす側はそれを理由に接客の態度を怠っては駄目よ」

 確かに漫画家は当たればでかいものの売れなければ非常に苦しい生活を強いられるということはよく聞いており、それでも売れるのだったらページ数を多少減らしてもいいのではないかという意見が全く理解できないわけではありません。しかしそれでも読んでくれる読者がいて、漫画家はその読者に支えられる立場であることを考えると私はやっぱりそうした売り方に対しては好ましくないものだと考えます。
 それだけに「ノノノノ」の最新刊にて値段を上げず、話を区切りよく終えようと気を回してくれた作者の岡本倫氏にはいろんな意味で頭が下がります。

 私のこの「陽月秘話」もネットにさえ繋がっていればいくらでも無料で見れる一ブログではありますが、せっかく時間を使って見に来てくれるのだから読者の方には可能な限り質の高い情報や内容をお見せできるように日々意識しております。こうした価値観を持つようになったのはやはり喫茶店でのアルバイト経験があったからこそで、こう思うにつけ人間の出会いが本当に重要だと感じます。そういっておきながら、誤字が多いのはなかなか直らないのですが。

2009年9月1日火曜日

懐かしがる時代とは

 今日から新たなラベルとして「時間の概念」を設けることにしました。昨日の「クレヨンしんちゃん、モーレツ大人帝国の逆襲」の私的解釈」の記事に続く形でこれからちょこちょこ時間をテーマにして書いていくつもりなのですが、自分の表現力が追いつけばそこそこいい内容に仕上がる自信はあります。
 ちなみにこの時間の概念、このテーマについて私が一番力を入れて取り組んだのは3年くらい前ですが、その際は非常に頼りがいのある友人とそれこそ夜中中ぶっ通しで議論することでいろいろなものをつかめることが出来ました。別にこれに限るわけではありませんが、人間がその能力を意識的に発揮させることが出来るのは恐らくは80%くらいで、100%の力を発揮させるには自分に伍す相手なくしては無理ではないかと思います。

 そんなわけで本題に移りますが、今日は現代の日本人が懐かしがる時代について解説します。
 前回の記事で取り上げた「モーレツ大人帝国の逆襲」では万博を模したテーマパークに大人が強くひきつけられるさまを描いていますが、このような作品は何もこれだけに限らず、安倍元首相もハマった映画の「ALWAYS~三丁目の夕日」も、似たような時代を取り上げています。
 何故これらの時代がこうしていろんな作品に取り上げられるのか、その答えは言ってしまえば「高度経済成長時代」だったからに尽きるでしょう。60年代から70年代はそれこそ企業は何もしなくとも売り上げが伸び、また日本の国力、技術力も世界中を席巻しはじめて真面目に生きてれば日本の未来はバラ色間違いなしとも言うような時代でした。

 私は以前にも「日本語の「懐かしい」の価値」の記事の中で、日本人は外国人と比べて過去に対して特別強い感情を持っていてそれが「懐かしい」という言葉が強い意味を持つところにも表れているのではと主張しました。この辺の文化的特徴はまた今度に詳しくやりますが、そんな日本人が現代において特に強い執着を持つのが高度経済成長時代というのはほぼ間違いないと確信しております。
 そこでこの前ふと思い直したのですが、逆を言えばこの高度経済成長時代以外にみんなに懐かしがられる時代はあるのかと、ある日ふと考えました。かろうじてそうと思われる時代は90年前後のバブル時代ですが、それを除くと高度経済成長時代以外にはあまりそういった特定の時代は見当たりません。というよりも、戦前戦後直後に至っては「あの頃は良かった(*゚∀゚)ノ」という発言自体全く見当たりません。

 もう結論をさっさと述べてしまいますが、私は日本人は確かに過去の時代に特別に郷愁の念を持つ傾向はあるものの、高度経済成長時代を見てしまった現代人はその傾向が特に強いのではと思うわけです。確かに誰だって「隣の花は赤い」とばかりに現在の状況と比べて昔はよかったと思うかも知れませんが、日本においてはあまりにもうまく行き過ぎた高度経済成長時代からバブル期までを見てきた世代からすると、現在の日本の状況はそれこそ現実逃避したくなるような時代に見えるかもしれません。

 私などは80年代初期の生まれで物心つく頃から日本は不況の真っ只中で、郵政選挙直後の05年から06年は日本が好況だったといわれてもほとんどそれを実感することが出来ませんでした。しかし現代の日本人、というより現代においてそこそこ年かさがいった日本人からすると高度経済成長時代は過去の物として忘れるにはあまりも良すぎたゆえに、今の私の目から見て現代日本人は過去に囚われがちなのではないかということです。
 これまた逆に言えば、あと10年位経ってバブル時代に勤労者の立場でその旨みなり様子なりを体験出来た世代が表舞台から退場すれば、こうした日本人の過去を極度に美化したり懐かしがる傾向にやや歯止めがかかるのではないかとも思います。

 最後に時事問題に重ねて言うと、やっぱり今の日本の政治はこれから日本をどのような方向に持っていくかというより、どうやって過去の栄光や社会を取り戻すかという主張ばかりな気がします。若けりゃいいってもんじゃないけど、今の日本の政治家の高年齢ぶりはやや目に余りますし、もうすこししんのすけみたいに「オラたちの未来を奪わないで」といえるような若い政治家が欲しいところです。

2009年8月31日月曜日

「クレヨンしんちゃん、モーレツ大人帝国の逆襲」の私的解釈

 すごい大昔にこのブログで一回だけちょこっと触れましたが、私はアニメの「クレヨンしんちゃん」の映画版、「モーレツ大人帝国の逆襲」の大ファンです。実際にネットでいろいろ見ていると私だけでなくいろんな方がこの作品をシリーズ最高傑作と評しており、大人から子供まで幅広く楽しむことの出来る一大娯楽作品として見られているそうです。

 そんなこの作品ですが、内容をかいつまんで言うと大阪万博の時代を模したようなテーマパークにひろしやみさえといった大人たちが洗脳されたかのように通い詰め、ある日の合図を境にしんのすけやひまわりをはじめとした子供たちを置いていってしまいます。それに対してしんのすけたちは救出を試みるというのがおおまかな筋書きなのですが、詳しくは是非作品を直接手に取って見てください。
 私がこの作品を見たのは20歳の頃でしたが、その頃でも十分に面白いと思いましたが更に年を重ねた現在になって改めてこの作品を思い返してみると更にいろいろと思いつくことが出てきたので、今日はちょっとその辺について書こうと思います。

 この作品では万博を模したようなテーマパークで大人たちが楽しそうに遊ぶのを尻目に、子供たちは託児所に預けられてやや暇そうに他の子供たちと遊ぶ様子が描かれています。そして話の後半では敵役となる男が、大人が自分で一番良かったと思う時代にいて何が悪いのだと主張します。それに対してしんのすけは、ラストシーンにおいて大人に取っては楽しいかもしれないが子供にとっては必ずしもそうではない。自分たちから未来を奪わないでくれと訴えることになります。

 この一連のやりとりを改めて考えるにつけ、恐らく本作品の製作者の方は、

「楽しいと思える時代で敢えて時を全く動かさなければ、ずっと楽しくいられるのでは?」

 という問いを投げかけているのではないかと最近になって気がつきました。楽しい時代を繰り返し体験できるのであれば、敢えて時を停止させた方が人生には良いのではないかということです。
 しかしこれはやはり大人の都合で、大人の世代から差のある子供の世代からすると必ずしも大人が楽しい時代は楽しいわけじゃありません。そんな思いが入っているのが上記のラストシーンにおけるしんのすけのセリフで、これまた私の解釈はというとまず一つ目は、

「子供の自分たちが大人となった後に楽しめるかもしれない未来を奪わないでくれ」

 ということで、最近気がついたもう一つ目の解釈は、

「今より辛く、苦しくなる可能性があるとしても、もっと楽しさが広がる可能性もある未来を閉ざさないでくれ」

 という意味もあったのではないかと思うようになってきました。もちろんこれは私の勝手な解釈ですが、こんな解釈に結びついただけでもこの作品は見てよかったと心から思います。
 また最後の解釈をより深く考えてみると、時を停止させる意味、進ませる意味についていろいろと考える内容が広がっていきました。実はこの時の概念については昔に友人と果てしなくやりあったので、そろそろ蔵出しとばかりに順次放出して行こうと思います。

 実はこの記事でもまだ熟成するのに時間が足りていないのか、自分ではうまく書ききったとは思えない内容になってしまいました。それほどまでに時という概念を考えることは私にとって難しいのですが、仮に私がこの時の概念について思いのたけを全部表現することができたら、シャレや冗談じゃなくいつ死んでも構わないです。

2009年8月30日日曜日

選挙後に予想される各党人事

 恐らくこのブログの閲覧者の方たちは今回の選挙についての記事を期待されている方も多いと思われますので、未だ開票中ではありますが選挙関係のネタも一本投下しておくことにします。

 まず今回の総選挙の現在までの開票状況ですが、民主党が自民党を破って単独過半数を握るのは最早絶対的に確実で、目下の焦点は総議席の三分の二にあたる320議席を民主党が握れるかというところにまできております。ちなみに先週初めの各新聞社の予想ではどこも民主党が300議席を越す情勢と報じる中、どこか一社だけが320議席を取れそうかもと書いておりました。私が思うに恐らくどこの新聞社も320議席を越える予測調査結果を出していたでしょうが、さすがに尻込みをして300議席に落ち着かせて報じたのではないかと思います。

 そんな新聞社を尻込みさせるほどの大勝を見せた今回の民主党とは対照的に、前回に大勝してただけに自民党は今回大量の落選議員を出すことになって傍目にも敗北の色が強く映ってしまいました。先ほど中継で入りましたが麻生首相は今回の選挙の責任を取って総裁職を辞任する意向を表明し、明日から自民党は次の総裁を誰にするかが党内の大きな焦点となるでしょう。
 この次の総裁については選挙中はどこのマスコミもあまり予想を書いていませんでしたが、目下の私の予想としては選挙前の国民の評判から枡添要一氏が最有力候補であると考えております。仮に枡添氏が総裁に就任するとしたら、多分参議院議員としては自民党総裁は初めてになるんじゃないかなぁ。別に悪いことじゃないけど。

 その枡添氏の対抗馬は議員、閣僚経験から言えば現財務相の与謝野馨氏なのですが、この人はかねてから健康不安説もあるだけでなく今回の選挙中も一回体調不良で倒れたそうなので、野党の党首のようなタフな役割を果たせるかといったら誰もが不安に感じると思います。あと途中までしか見てないけど、出口調査だとこの人もちょっと危ういそうだし。
 そうなるとその次に誰が来るかといったら、多少贔屓が入っていますが私が敬愛する水木しげる氏の故郷である鳥取県選出の石破茂氏が有力な枡添氏の対抗馬として来るのではと考えています。こっちはもう当選確実ですし、現自民党において屈指の政策通ということもあって順当に選ばれるとしたらこっちのような気がします。

 このほか石原伸晃氏も有力候補なのですが、幹事長代理という党執行部職についていることもあり、なおかつこの人はいざってところで頼りないところがある人(道路公団民営化議論の時など)なので、誰も野党の党首なんてやりたくないというのであれば目立ちたがり屋なのでやるかもしれませんが、あまり自民党にとってもいい選択だとは私は思えません。前の都議選での自民党敗北の責任もあいまいなままだし。
 それにしても、こうしてみると随分と自民党も人材がいなくなったという気がします。小泉政権時に閣僚などの役職を得ることで表舞台にデビューした面々はどれもさっぱりで、当時に評論家からも小泉元首相の最大の罪は自分の後に続く人材を育てなかったと指摘されていましたが、今になってみるとその通りだったなという気がします。ま、ワンマンのトップはどこもかしこもそういう性格がありますが。

 その一方、大勝した民主党もこれから政権を主導するに当たって最初の関門となるのがこちらも同じ人事です。特に民主党は選挙前に社民党、国民新党と連立を組むと宣言しているだけに各党からどれだけの人数、人物を閣僚として採用するかがいろいろと見物です。また民主党内からどのような人物をどこに配置するのも同様で、昨日に友人ともこの件で話してきたのでいくつか紹介します。

 まず確実かと思われる人事として、幹事長職に小沢一郎氏が就任されることが予想されます。小沢氏自身が表に出るような首相、官房長官といった職種を苦手としていることもあり、党内でも強い権力をもてる幹事長職につくのではないかというのが目下の予測です。もちろんこの場合首相は鳩山由紀夫氏ですが、閣僚を含めて人事権は小沢氏が握ることが確実でしょう。鳩山氏もこの前のインタビューで「(人事は)小沢氏でないとわからない」と記者に素直に返事しちゃいましたし。

 この小沢氏のほかの民主党主要議員で言えば、菅直人氏は恐らく閣僚入りすると思います。ただこの人は口が過ぎるところがあるので官房長官などはまずなく、そことなく目立たない職に入れられるんじゃないかと思います。逆に岡田克也氏は口が堅くてムッツリ気味のフランケンなので、官房長官が向いてそうです。
 大臣職で言えば恐らく鬼門となるのが厚生大臣と防衛大臣でしょう。厚生大臣は前任者の枡添氏が非常に人気が高かったこともあり、またこれから新型インフルエンザの大流行の対応に注目が集まるので生半可な人物を送れば国民から大きく揶揄される可能性があります。そのため恐らく民主党としてもエース級を送るでしょうが、順当に行くならミスター年金こと長妻昭氏かと思われますが、恐らく長妻氏は年金担当特命大臣のような所に行くかと思うので誰か別人物が来るかと私は思います。防衛大臣については、かねてより安全保障問題が民主党内で意見が割れていることが理由で、どの人物をここに据えるかで執行部の方針が見えてくるでしょう。

 逆に処遇でいろいろと気になるのが前原誠司氏です。この人は結構公然と民主党の方針とは全く逆の発言をすることもあり、迂闊に閣僚に入って変なことを発言されたら執行部もたまらないでしょうが、知名度があることと民主党若手の旗頭みたいな人物でもあることからどこへ配置するのか気になります。ついでに挙げとくと、田中真紀子氏もいろいろと扱いに困る議員です。

 最後に一つ民主党のアキレス腱となりかねない議員として、山岡賢次議員がおります。何故アキレス腱なのかとは説明しませんが、個人的にはこの人を主要役職に据えて置けば民主政権は後で絶対痛い目に遭うのではないかと私は見ております。

「陽月」の検索について

 未だによく人から、どうして「陽月秘話」というブログ名にしたのかと聞かれるのですが、その理由については過去の「ブログタイトルについて」の記事でも書いておりますが、もう少し詳しく書くと自分の好きな「中庸」という精神を「陰陽」という言葉に捉え、それをかつての自分の号の「葉」という文字の音に合わせようと「陽月」を用い、音がよくなるようにブログっぽく「秘話」を付けたわけです。

 そうしてつけたこのブログ名ですが、実は陰ながら「陽月」という言葉ときたら「陽月秘話」と連想されるようにならないかなぁとブログ開始当初から考えていました。ところが現実はそんなに甘いもんじゃなく、当初グーグルやヤフーで「陽月」と検索をかけても全然ヒットしてくれませんでした。では当時「陽月」と検索をかけると一番上に来るのといったら、この前に退団をしたそうですが、陽月華氏という元宝塚の女優さんでした。その次に来るのは今度は「陽月」という人形屋さんで、いつかはこいつらを追い抜いてうちの陽月秘話が「陽月」という検索だけでトップにきてやると、陰ながら執念を燃やしていたわけです。

 そんな私の執念が影響したかはわかりませんが、最近になって両方の検索エンジンで検索してみるとさすがにトップにはきませんが、見事一ページ目に「陽月秘話」が来てくれるようになりました。このブログも最初はあれでしたがなんだかんだ言って現在では本店と出張所を合わせて毎日百人程度の方に閲覧してもらえるようになり、頑張って書いてきたことが実ってきたのだと思えます。

 ただちょっと気になるのが、グーグルの検索だと出張所が上にヒットするのはすこし複雑な気分になります。本店のブログはグーグル社の「blogger」なのにさ。

ゲームレビュー~Gジェネレーションスピリッツ

 今日は思うところがあるのでゲームのレビューをしようと思います。レビューするのはこの前最新作が出たGジェネレーションシリーズの「Gジェネレーションスピリッツ」です。

 このゲームはPS2のGジェネシリーズとして2007年に発売されたタイトルです。私がこのシリーズを遊んだのは初代の「Gジェネレーション」と「GジェネレーションF」の二作で、今回の「スピリッツ」までは随分と間が空いています。何で急にまた購入したのかというと、なんかのんびりやれそうなシミュレーションはないかなと覚え、Gジェネシリーズなら裏切られることはまずないだろうと思ったのがまず一点で、もう一点の理由はそろそろPS2のゲームがPS3やDSなどの新ハードのソフトに侵食されてソフト屋から締め出されそうなので、買えなくなる前にやっておきたいゲームは買っておこうと考えたわけです。

 そんなわけでこの「スピリッツ」ですが、一昨日に買って今日に言うのもなんですが、プレイした第一印象というか感想はとにもかくにも「面倒くさい」の一点に尽きます。
 これは今回の「スピリッツ」に限るわけでなく「三国無双シリーズ」にも言えることですが、こうしたシリーズ物のゲームはある段階でゲームシステムが完成されてしまうとそれ以降はグラフィックやキャラクター数は増加するもののゲームとしての面白味が低下していく傾向があり、残念ながらあのGジェネシリーズもその例に漏れないのかと感じました。

 三国無双シリーズについては2の時点でほぼ完璧にシステムは完成されており、昔に私の記事でも書きましたが3では一騎打ちシステムや武将同士の友情システム、武器レベルアップ制などが導入されましたが、これらの新システムははっきりいってプレイを面倒くさくさせるものでしかなく、次回作の4ですべて取っ払われていたのを見ると相当不評だったことが伺えます。ちなみに4はまだ3よりマシでしたが、2ほど面白くは私は感じられませんでした。

 それで今回のGジェネスピリッツですが、このシリーズも恐らくシステムやゲームの形としては「GジェネF」で完成されていたと思います。しかもこのシリーズはガンダムを原型に作っているのでストーリーに至ってはどの作品でも変わらないという弱点も抱えており、話の展開でプレイヤーに新鮮さを与えるのは一部のオリジナルシナリオや追加シナリオを除くと至難の業でしょう。そうした弱点のために何かしら取って付け加えようという気持ちはわからないのですが、結果的にはスピリッツにおいてはどれも蛇足だったように感じます。

 まずこれまでと変わった点として、戦艦が今まで1マスサイズのユニットだったのが複数のマス目を占領するくらいでかくなって攻撃を当てる箇所によってダメージが変わるようになり、また艦首が向いている方角によって移動出来る範囲が変わるようになりました。まぁこういう変更はいいとは思うのですが今回の変更ではこれらに加え、戦艦の移動速度がありえないくらいに遅くなりました。それこそ1ターンに4マスくらいしか前に移動できず、その上後ろへ行こうものなら1ターンを使わなければならない艦首方角を二回も行わなければならず、動かしづらくてしょうがありません。しかもこのゲーム、一回の戦闘に通常一つの戦艦、多くても二つの戦艦しか出せず、前みたいに複数の異なる戦艦を出して戦場を所狭しと部隊を展開できたのに比べるとかなりストレスがたまります。

 こうしたシステム面の変更はもとより、ゲームのグラフィックや処理速度も非常に気になります。今回、このゲームの売りである戦闘アニメーションは3Dのモビルスーツを斜め下から見上げるような視点で動き回るのですが、はっきり言って見ていて何も面白くありません。これは全くの予想外でした。
 以前の「F」では真横からの視点で、ところどころにパイロットやモビルスーツのカットインが入っていて見ているこっちをうならせるものがあったのですが、今回の動きははっきり言ってどれもこれも似たような動きでむしろ辟易させられるくらいです。確かに動きは細かくなってよく動くのですが、日本人は少ない動きで如何によく動いているかのように見せるのかを漫画やアニメの表現として好むのに、こんなアメリカのアニメみたいな動きをされちゃあ問屋は卸さないでしょう。

 そして今回一番嫌なのがゲームの処理速度です。PS2なんだからPSでのFより早いだろうと思ったら大間違いで、ちょっとコマンドを開いたり画面を切り替えたりするのにほんの数秒ですがいちいち時間が取られます。それを反映するかのように、1ステージ辺りの攻略時間は序盤からゆうに一時間以上も取られます。さっき攻略したところなんて2時間もかかりました。
 攻略に時間がかかるのはこの処理速度が大きく影響しているのですが、それとともにステージの構成による影響も大きいと思います。というのもこのゲーム、どのステージも画面上の敵を全部倒したかと思ったらほぼ絶対増援がわらわら出てきて、その度にステージの上を例の足の遅い戦艦を伴って動かなければなりません。もうすこしプレイ時間というものを考えて、気持ちよく進めるように出来なかったのか激しく疑問です。

 そういうわけで、裏切られることはないだろうと思っていたGジェネシリーズにも裏切られたので、もうバンダイは信用できません。PS3で今度出る「ガンダム戦記」の新作には非常に期待していて一挙にPS3本体とともに購入しようかと考えていたのですが、しばらく様子を見ようと思います。