この前友人と会った際にこのブログのことを話し、以前に書いた記事で「花子さんの評価が逆転する時」のことで少し盛り上がりました。この記事の内容は中身を読んでもらえば分かりますが、私が小学生の頃には恐怖の対象でしかなかった花子さんが最近ではいつの間にか漫画で萌えキャラ化しており、随分と時代が変わってしまったものだと思ったことが書かれています。ちなみにその友人、というか某K君は小学生の頃に入院した際にこの花子さんの怪談が恐くてなかなか病院のトイレに入れなかったそうです。
そんな花子さんですが前回の記事のコメント欄にも書いてある通りに、花子さんにはパートナーに当たるような「太郎さん」という男の子の怪談キャラがおり、基本的には花子さんの男の子バージョンとして私が子供だった頃に怪談話で噂されていました。この太郎さんというのは登場の仕方からやることまで花子さんと全く同じで、唯一違っていたのが花子さんが女子トイレに現れるのに対して太郎さんは男子トイレに現れるという設定だけだったのですが、不思議な事に花子さんが日本怪談業界において圧倒的な知名度と迫力を持っていたのに対してこちらは全然恐がられもせず、取り上げられる回数も花子さんとでは天と地ほどの差がありました。
K君と話した際にもこの太郎さんの話題が出てきたのですが、その時に二人でどうして太郎さんは流行らなかったのか、何がいけなかったのかといろいろと議論してみたのですが、その結果太郎さんの失敗要因が下記の通りにいくつか浮かび上がってきました。
まず花子さんが個室トイレしかない女子トイレに現れるのに対して、小便用トイレもある男子トイレに修験するという事がそもそもの失敗だったと二人で一致しました。女子の場合はトイレに入るとなると必ず個室に入らないといけないのに対し、男子は逆に個室に入らず小便用トイレを使う頻度の方が圧倒的に高いため、個室にて潜むという太郎さんのシチュエーションがいまいちリアリティに欠けたのではないかと我々は考えました。
こうした男女のトイレの構造の違いに加え、小学生の男子が個室トイレに入るという大きな大きな意味に比べると太郎さんの存在は非常に小さかったのではというの大きな原因だという意見が出てきました。
かつて私がどこかでみた評論にて、「小学生の男子が排泄のために個室トイレに入るという事は、イスラム教徒が豚肉を食べるに等しいタブー行為である」と評した人がいましたが、現実はまさにその通りでした。これは男性の方ならみんな分かってくれると思いますが、小学生の中学年くらいに至ると男子が個室トイレに入ろうものならすぐさまみんなからバイ菌扱いされ、どれだけそれ以前にクラスで権力を持っていようが一瞬で吹き飛んでしまいます。そのためたとえ学校で用を足したくともみんな家に帰るまで必死で我慢をして、最終的にこらえ切れなかった者は授業中に、「先生、トイレ行って来ていいですか?」と言って緊急避難を行い、ここまで我慢した者については周りも深くは追求しないというのが暗黙のルールとなっておりました。ちなみに私は、一般の児童がまず入ってこない教員用トイレを使う事で自らの権威を保っておりました。
こうした日本の小学生男子が抱える構造的問題から、そもそも男子トイレでノックをするという行為は当時においてまずありえなかったと私は考えています。というのもどうしても学校で用を足そうものなら絶対に同級生にトイレに入るところを目撃されてはならず、それこそ完全な隠密ミッションで事を果たさなければなりません。ですので仮に個室トイレに先客がいても絶対にノックなどせず、その個室の住人にすら知られぬように別のトイレに向かうのが常でした。
こうしたことから三回ノックをして太郎さんが出てくるというシチュエーションがまず小学校ではありえなかったことが、太郎さんが流行らなかった最大の原因だったのではないかという結論に落ち着きました。
むしろ私はトイレのドアを三回ノックするより、男子が小便用トイレを使用していると勝手に後ろの個室トイレから現れていろんなところに引きずり込んだり首を絞めたりする、という風に伝わっていればそれなりにリアリティがあってまだ流行ったんじゃないかと思います。結局のところ太郎さんは、小学生男子が持つ個室トイレのタブーに勝てなかったということになるわけです。あしがらず。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年10月15日木曜日
2009年10月14日水曜日
武田邦彦氏の講演会にて
去年の五月にも行きましたが、平日にもかかわらず本日某所にて行われた中部大学の武田邦彦教授の講演会に参加してきました。ついさっき帰ってきたもんだから、今ちょっと疲労気味です。
武田邦彦氏についてはもうあまり説明の必要はないと思われますが、世の中の環境問題のほとんどすべては嘘だとはっきりと断言してはよく議論の的になってきた人物で、私は武田氏の著書である「何故環境問題にウソがまかり通るのか」を読んでその筋道だった説明と解説に惹かれ、環境問題については武田氏の意見の方を現在では支持しております。
そういう前置きはひとまず置いといて、早速今日の講演会で聞いてきた内容を一部抜粋して説明いたします。
まず最初に武田氏が私から見て如何にも勝ち誇ったかのように主張していたのが、海水面上昇の話です。NHKを筆頭として温暖化の進行とともに北極、南極の氷が解けることによって海水面が上昇して地表の多くが水没するという説に対して、武田氏は約二年位前の初登場時より真っ向から否定していました。原理についてはいろんな本で武田氏も説明しているので割愛しますが、こうした武田氏らの活動が実ったのか、こんなあからさまな嘘を最近はどこも報道しなくなったと力強く言っていました。実際に私の感覚からしても数年前まであちらこちらで水没、水没といっていたのに、この一年間はそういった話をとんと聞かなくなったように思えます。
こうした海水面上昇など、環境問題に関する報道の大半は嘘が多いという話から始まって武田氏を一躍有名人にした「ダイオキシンは無害だ」という主張についてあれこれ話していましたが、こちらも具体的な内容は武田氏の著作に書かれているのでここでは割愛します。ただこのダイオキシンは無害だと主張したことについて、初めてメディアでこの内容を主張したのをフジテレビであったことを紹介し、当時にフジテレビ内でも内容が内容だけに放送前に局内でいろいろと議論があったそうなのですが、最終的には当時のフジテレビの専務が武田氏に会い、
「我々は真実を報道します」
と言って、放送を決断したそうです。
結果はやはり、「そんな適当な事を言うな!」などと沢山の批判がフジテレビに寄せられたそうですが、このエピソードから武田氏はNHKを散々批判するのと打って変わってフジテレビはしっかりしているなどとべた褒めしていました。なお武田氏によると、高分子を300℃から400℃で焼いて煙を出すというダイオキシンを発生させるのに最も適した条件というのは実は焼き鳥屋らしく、そのために最初に毒性を否定する記事の題には、「焼き鳥屋は何故死なないのか」を採用したそうです。
このほかエコポイントの欺瞞性などについてもあれこれ語っていたのですがそちらはまた今度にするとして、最後の質問時間にあまりほかから手が上がらなかったので私自らこのような質問をして見ました。
「日本の将来のエネルギー事情を考える上で、私は今後はどうしても原発に頼らざるを得ないと考えております。しかし原発事故の危険性はもとより、原子力発電によって無害化するまでに膨大な時間のかかる核廃棄物などが生まれる事を考えると、自分たちの世代がよりいい思いをするために将来の世代に負の遺産を残してしまうのではないかと思い、果たして本当に原発に頼っていいものかと考えてしまいます。その点について、武田先生はどのようにお考えでしょうか」
この私の質問に対し、武田氏の返答は意外なものでした。
まずいつもどおりに歯切れよく、原発というものは実際にはそれほど危険性はないと断言してきました。しかしそれでもなお危険性が心配されるのは、実は人災によるものだと答えました。
核廃棄物については現状の技術、保管管理の方法でも限りなく無害化できるものの、その処理を巡って政府内で裏取引が平然と行われており、それらの技術が100%生かしきれていない現状があると武田氏は答えました。また発電所についても、日本で何が一番問題なのかといえば地震による倒壊のリスクだとして、2007年の新潟県中越地震で一部倒壊を起こした柏崎刈羽原発を例に取って説明してくれました。
武田氏はこの発電所の建設にあたり日本で起こりうる地震としては非常に大きな部類にあたる400Galの二倍にあたる800Galに耐えられる設計で建設するべきだと主張したものの、政府の役人がどこかからかつれてきた地質学者、さすがに武田氏も温情を効かせて実名は明かしませんでしたが、その地質学者がこの地帯では250Gal以上の地震は起きないから250Galまで耐えられるレベルの建設でいいと主張し、結局それが委員会でまかり通ってしまったそうです。
たださすがに東京電力が気を利かして400Galまで耐えられる設計で建設したものの、結局は新潟県中越地震の際には一部倒壊する事態となってしまいました。仮に250Galレベルの耐震設計では全壊もありえたと武田氏は述べ、地震後にその地質学者が何を言ったかというと、こんなレベルの地震を起こす断層があったとは分からなかった、と呆れる発言をしていたということを紹介していました。
そもそもこのような地震リスクを避けるためには初めから大きな地震が起こらない断層の上で建設すればいいのに、そのような調査もほとんどなされていないと述べた上で、発電所の所長はそれこそ戦艦大和と殉じた艦長のように、世俗を超越した貴族のような人が行わなければならないと主張しました。原子力発電には沢山の組織や人間が複雑に絡み合った上で成り立っており、個人の利権やそういったものに全く左右されない人間でなければ所長は勤まらないとまで言っていました。
その上で最初の話に戻りますが、様々な利権が絡んで裏取引も数多く行われており、原子力は安全に運用できるのにそのような人災によって危険性が付きまとってしまうと、「人災ゆえに技術ではどうにもならない」とまとめてくれました。この最後の一言が、私にとっては非常に印象深かったです。
このような具合で、とても面白い講演会でした。残った話はまた折あらばご紹介します。
武田邦彦氏についてはもうあまり説明の必要はないと思われますが、世の中の環境問題のほとんどすべては嘘だとはっきりと断言してはよく議論の的になってきた人物で、私は武田氏の著書である「何故環境問題にウソがまかり通るのか」を読んでその筋道だった説明と解説に惹かれ、環境問題については武田氏の意見の方を現在では支持しております。
そういう前置きはひとまず置いといて、早速今日の講演会で聞いてきた内容を一部抜粋して説明いたします。
まず最初に武田氏が私から見て如何にも勝ち誇ったかのように主張していたのが、海水面上昇の話です。NHKを筆頭として温暖化の進行とともに北極、南極の氷が解けることによって海水面が上昇して地表の多くが水没するという説に対して、武田氏は約二年位前の初登場時より真っ向から否定していました。原理についてはいろんな本で武田氏も説明しているので割愛しますが、こうした武田氏らの活動が実ったのか、こんなあからさまな嘘を最近はどこも報道しなくなったと力強く言っていました。実際に私の感覚からしても数年前まであちらこちらで水没、水没といっていたのに、この一年間はそういった話をとんと聞かなくなったように思えます。
こうした海水面上昇など、環境問題に関する報道の大半は嘘が多いという話から始まって武田氏を一躍有名人にした「ダイオキシンは無害だ」という主張についてあれこれ話していましたが、こちらも具体的な内容は武田氏の著作に書かれているのでここでは割愛します。ただこのダイオキシンは無害だと主張したことについて、初めてメディアでこの内容を主張したのをフジテレビであったことを紹介し、当時にフジテレビ内でも内容が内容だけに放送前に局内でいろいろと議論があったそうなのですが、最終的には当時のフジテレビの専務が武田氏に会い、
「我々は真実を報道します」
と言って、放送を決断したそうです。
結果はやはり、「そんな適当な事を言うな!」などと沢山の批判がフジテレビに寄せられたそうですが、このエピソードから武田氏はNHKを散々批判するのと打って変わってフジテレビはしっかりしているなどとべた褒めしていました。なお武田氏によると、高分子を300℃から400℃で焼いて煙を出すというダイオキシンを発生させるのに最も適した条件というのは実は焼き鳥屋らしく、そのために最初に毒性を否定する記事の題には、「焼き鳥屋は何故死なないのか」を採用したそうです。
このほかエコポイントの欺瞞性などについてもあれこれ語っていたのですがそちらはまた今度にするとして、最後の質問時間にあまりほかから手が上がらなかったので私自らこのような質問をして見ました。
「日本の将来のエネルギー事情を考える上で、私は今後はどうしても原発に頼らざるを得ないと考えております。しかし原発事故の危険性はもとより、原子力発電によって無害化するまでに膨大な時間のかかる核廃棄物などが生まれる事を考えると、自分たちの世代がよりいい思いをするために将来の世代に負の遺産を残してしまうのではないかと思い、果たして本当に原発に頼っていいものかと考えてしまいます。その点について、武田先生はどのようにお考えでしょうか」
この私の質問に対し、武田氏の返答は意外なものでした。
まずいつもどおりに歯切れよく、原発というものは実際にはそれほど危険性はないと断言してきました。しかしそれでもなお危険性が心配されるのは、実は人災によるものだと答えました。
核廃棄物については現状の技術、保管管理の方法でも限りなく無害化できるものの、その処理を巡って政府内で裏取引が平然と行われており、それらの技術が100%生かしきれていない現状があると武田氏は答えました。また発電所についても、日本で何が一番問題なのかといえば地震による倒壊のリスクだとして、2007年の新潟県中越地震で一部倒壊を起こした柏崎刈羽原発を例に取って説明してくれました。
武田氏はこの発電所の建設にあたり日本で起こりうる地震としては非常に大きな部類にあたる400Galの二倍にあたる800Galに耐えられる設計で建設するべきだと主張したものの、政府の役人がどこかからかつれてきた地質学者、さすがに武田氏も温情を効かせて実名は明かしませんでしたが、その地質学者がこの地帯では250Gal以上の地震は起きないから250Galまで耐えられるレベルの建設でいいと主張し、結局それが委員会でまかり通ってしまったそうです。
たださすがに東京電力が気を利かして400Galまで耐えられる設計で建設したものの、結局は新潟県中越地震の際には一部倒壊する事態となってしまいました。仮に250Galレベルの耐震設計では全壊もありえたと武田氏は述べ、地震後にその地質学者が何を言ったかというと、こんなレベルの地震を起こす断層があったとは分からなかった、と呆れる発言をしていたということを紹介していました。
そもそもこのような地震リスクを避けるためには初めから大きな地震が起こらない断層の上で建設すればいいのに、そのような調査もほとんどなされていないと述べた上で、発電所の所長はそれこそ戦艦大和と殉じた艦長のように、世俗を超越した貴族のような人が行わなければならないと主張しました。原子力発電には沢山の組織や人間が複雑に絡み合った上で成り立っており、個人の利権やそういったものに全く左右されない人間でなければ所長は勤まらないとまで言っていました。
その上で最初の話に戻りますが、様々な利権が絡んで裏取引も数多く行われており、原子力は安全に運用できるのにそのような人災によって危険性が付きまとってしまうと、「人災ゆえに技術ではどうにもならない」とまとめてくれました。この最後の一言が、私にとっては非常に印象深かったです。
このような具合で、とても面白い講演会でした。残った話はまた折あらばご紹介します。
2009年10月13日火曜日
プラシーボ効果の効くもの、効かないもの
「薬の効果の八割はプラシーボ効果」
こんな言葉をご存知でしょうか。この「プラシーボ効果」というものは「症状に対応する薬を飲んだ」という安心感というか自己意識のことで、飲んだ薬の効果以上にそういった心理的作用の方が体調の回復に寄与していると言われております。私が以前に見た実験では、車酔いしやすい人達に実際はただの栄養剤を酔い止めの薬として服用させてバスに乗せたところ、なんと八割がたの乗客がいつもより酔わなかったと回答していました。
信じるものは救われるじゃありませんが、言われてみるとなんとなく薬の効果というものはそういうものなのかもしれないという気がします。しかしこの前にふとこのプラシーボについて考えてみたとき、先ほどの酔い止めのようにプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものがあるのではないかと思いました。
効果の出やすいものとして挙げられるのはまずは先ほどのような乗り物酔いに、あと私も先ほどまでダウンしていた頭痛とかで、逆に効果の出にくいものときたらと考えたときに出てきたのが、毛生え薬なんじゃないかと何故かすぐに思いつきました。
私の周りでも毛の生えることを信じてあれこれ育毛剤を使っている人間を今まで見てきましたが、彼らのその切実な願いに対して思い通りに毛が生えてきた人はあまり見受けられませんでした。もしかしたら本当に生えるのかという不安もあるのかもしれませんが、こんな具合にプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものを細かく分類していったら心理学的にも面白いんじゃないかと思います。
こんな言葉をご存知でしょうか。この「プラシーボ効果」というものは「症状に対応する薬を飲んだ」という安心感というか自己意識のことで、飲んだ薬の効果以上にそういった心理的作用の方が体調の回復に寄与していると言われております。私が以前に見た実験では、車酔いしやすい人達に実際はただの栄養剤を酔い止めの薬として服用させてバスに乗せたところ、なんと八割がたの乗客がいつもより酔わなかったと回答していました。
信じるものは救われるじゃありませんが、言われてみるとなんとなく薬の効果というものはそういうものなのかもしれないという気がします。しかしこの前にふとこのプラシーボについて考えてみたとき、先ほどの酔い止めのようにプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものがあるのではないかと思いました。
効果の出やすいものとして挙げられるのはまずは先ほどのような乗り物酔いに、あと私も先ほどまでダウンしていた頭痛とかで、逆に効果の出にくいものときたらと考えたときに出てきたのが、毛生え薬なんじゃないかと何故かすぐに思いつきました。
私の周りでも毛の生えることを信じてあれこれ育毛剤を使っている人間を今まで見てきましたが、彼らのその切実な願いに対して思い通りに毛が生えてきた人はあまり見受けられませんでした。もしかしたら本当に生えるのかという不安もあるのかもしれませんが、こんな具合にプラシーボ効果の出やすいものと出にくいものを細かく分類していったら心理学的にも面白いんじゃないかと思います。
2009年10月12日月曜日
北京留学記~その十五、2006年ワールドカップ
留学から帰国後、何故だか知り合いからよく聞かれた質問にこんなものがありました。
「Wカップに熱狂しすぎて、中国で何人か死んだんでしょ?」
別にこのニュースを知らなかったわけではありませんでしたが、一体どんな風に日本で報道されていたのか気になるくらいの質問数でした。
さてそんな2006年のWカップですが、当時実際に中国現地にいた私からすると確かに、そりゃ死ぬわなという程の熱狂振りでした。ここでちょっと解説しておくと一昔前まで中国で人気のスポーツときたらピンポンこと卓球でしたが、周りまわって現代では圧倒的とも言うほどサッカーの人気が一番高くなっております。そのサッカーに次いで特に若者の間で人気なのはバスケットボールで、アメリカのNBAにも中国人選手がいるという事もあって注目されております。
話は戻って当時の現地での過熱振りですが、それこそ新聞の一面は毎日Wカップ関連で、試合の放送も深夜に放送されるリアルタイムでの放送と昼間での前日の試合分の再放送の二本立てで、熱心なファンともなると同じ試合を二度も見るほどでした。
そうしたサッカーへの過熱ぶりは中国人に限らず、私の通っていた北京語言大学内も例外ではありませんでした。
この連載記事で前述してあるように北京語言大学は欧米からの留学生が多い大学で、Wカップともなるとサッカー好きの彼らが黙っているわけなく、それこそまるでお祭りになったかのように学内はWカップで一食となりました。構内のカフェや売店前を通ると全部が全部Wカップの話題で、授業日でも休み時間になってはクラスメート同士で盛り上がり、中にはチョークで頬に即席で国旗ペイントまでし始める者までいました。
そして、Wカップが始まる前から自分の中ではある程度予期はしていたものの、恐れていたことがある日にとうとう起きてしまいました。
(先生)「没有人……(誰もいない……)」
その日の朝、授業開始時間になっても教室にいたのは自分と先生だけでした。
というのもWカップが始まって以降、どの学生も夜中ずっと試合を見るために朝の授業をサボり始め、この時期はどのクラスでも学生が授業に来なくなっていました。私のいたクラスは先生と学生の信頼関係が強かったようで他のクラスよりは随分とマシだったそうですが、元からサボりまくっていたウクライナ人を筆頭に徐々にサボる人間が増え始め、とうとうその日には私と先生しか来なかった訳です。しょうがないから、二人で宿題の答え合わせをやったけど(ノД`)
幸い二人きりだったのはその日だけで、その日も開始後二十分もしたら徐々に他の学生も来ましたが、この日以外だとWカップ期間中は平均して大体三、四人くらいしか授業開始時に集まっていませんでした。しかも来るのは決まってアジア勢で、欧米勢ともなると全休も少なくなかった程です。
ついでにここで説明しておきますが、向こうでの授業は最低出席数さえ守れば進級できるので、日本人だろうと欧米人だろうと日本の大学同様にしょっちゅうサボってこなかったりします。それに対して私はやっぱり特殊で、日本の大学でも基本的にはほぼサボることなく何かしらの講演会などと重ならない限りは確実に授業に出席しており、留学中に至っては全日出席を見事達成しました。
ただ一回だけリアルに寝坊して十時くらいに教室に入った事がありましたが、先生もクラスメートも私が毎日来ていることを知っているもんだから教室に入るや否や大笑いして、先生も、「何も言わなくてもわかってる。今日はたまたま遅刻したんだねヾ(^^ )」と言う始末でした。
こうした状況に語言大学側も一応は注意するもののほとんど効果はなく、中には一限の授業に誰も来ないで終わってしまっていたクラスも珍しくなかったそうです。そんなことを先生が話していると、上記のように私の出席率が高いもんだからある学生が、
「うちのクラスには花園がいるから大丈夫だよ(*^▽^)/」
と、言ってくれました。実際、自分でも自分がこのクラスの最後の砦なんだと意識してましたが。
そんなWカップですが、語言大学の中で一番熱狂した集団となると欧米人ではなく、実は韓国人でした。
語言大学のすぐ近くの五道口という地域は、成り立ちはよく分かりませんが結構にぎやかなコリアタウンとなっており、街中にはいたるところにハングル文字が書かれているだけでなく韓国料理屋も非常に多い場所です。そんな場所だからと言うべきか、そんな地域の近くに語言大学あるからというのか、この年のWカップ韓国初戦時ともなると大学の周辺地域は文字通り真っ赤に染まっていました。
語言大学でも多数派を占める韓国人留学生らは揃いも揃って赤い衣装を身に付け、中にはまだ肌寒い時期だったのに真っ赤な、それもほとんどブラジャーのような服だけ着た韓国人女性も寒そうに歩いていました。それこそ一体どこにこれだけ潜んでいたかと思うくらいの韓国人学生が集結して、大学近くのビアガーデンでもあっという間に商品が売切れになったほどでした。
おまけにその日の試合で韓国が見事勝ったもんだから、夜11時くらいなのにあちこちで、「テーハ、ミングっ!」の大合唱まで起こり、寮の中にいた自分にも外から聞こえてきました。周辺住民も迷惑だったろうな。
さすがに二戦目のフランス戦は深夜の試合だったこともあって以前よりは落ち着いてはいましたが、それでも相変わらずの熱狂振りで韓国の同点ゴールの際には寮の中であろうと平気で大声で歓声を上げてきたために、寝ていた私も飛び起こされたほどでした。この日だけは、韓国人と相部屋になる日本人みんなが嫌韓になる理由がよくわかりました。
「Wカップに熱狂しすぎて、中国で何人か死んだんでしょ?」
別にこのニュースを知らなかったわけではありませんでしたが、一体どんな風に日本で報道されていたのか気になるくらいの質問数でした。
さてそんな2006年のWカップですが、当時実際に中国現地にいた私からすると確かに、そりゃ死ぬわなという程の熱狂振りでした。ここでちょっと解説しておくと一昔前まで中国で人気のスポーツときたらピンポンこと卓球でしたが、周りまわって現代では圧倒的とも言うほどサッカーの人気が一番高くなっております。そのサッカーに次いで特に若者の間で人気なのはバスケットボールで、アメリカのNBAにも中国人選手がいるという事もあって注目されております。
話は戻って当時の現地での過熱振りですが、それこそ新聞の一面は毎日Wカップ関連で、試合の放送も深夜に放送されるリアルタイムでの放送と昼間での前日の試合分の再放送の二本立てで、熱心なファンともなると同じ試合を二度も見るほどでした。
そうしたサッカーへの過熱ぶりは中国人に限らず、私の通っていた北京語言大学内も例外ではありませんでした。
この連載記事で前述してあるように北京語言大学は欧米からの留学生が多い大学で、Wカップともなるとサッカー好きの彼らが黙っているわけなく、それこそまるでお祭りになったかのように学内はWカップで一食となりました。構内のカフェや売店前を通ると全部が全部Wカップの話題で、授業日でも休み時間になってはクラスメート同士で盛り上がり、中にはチョークで頬に即席で国旗ペイントまでし始める者までいました。
そして、Wカップが始まる前から自分の中ではある程度予期はしていたものの、恐れていたことがある日にとうとう起きてしまいました。
(先生)「没有人……(誰もいない……)」
その日の朝、授業開始時間になっても教室にいたのは自分と先生だけでした。
というのもWカップが始まって以降、どの学生も夜中ずっと試合を見るために朝の授業をサボり始め、この時期はどのクラスでも学生が授業に来なくなっていました。私のいたクラスは先生と学生の信頼関係が強かったようで他のクラスよりは随分とマシだったそうですが、元からサボりまくっていたウクライナ人を筆頭に徐々にサボる人間が増え始め、とうとうその日には私と先生しか来なかった訳です。しょうがないから、二人で宿題の答え合わせをやったけど(ノД`)
幸い二人きりだったのはその日だけで、その日も開始後二十分もしたら徐々に他の学生も来ましたが、この日以外だとWカップ期間中は平均して大体三、四人くらいしか授業開始時に集まっていませんでした。しかも来るのは決まってアジア勢で、欧米勢ともなると全休も少なくなかった程です。
ついでにここで説明しておきますが、向こうでの授業は最低出席数さえ守れば進級できるので、日本人だろうと欧米人だろうと日本の大学同様にしょっちゅうサボってこなかったりします。それに対して私はやっぱり特殊で、日本の大学でも基本的にはほぼサボることなく何かしらの講演会などと重ならない限りは確実に授業に出席しており、留学中に至っては全日出席を見事達成しました。
ただ一回だけリアルに寝坊して十時くらいに教室に入った事がありましたが、先生もクラスメートも私が毎日来ていることを知っているもんだから教室に入るや否や大笑いして、先生も、「何も言わなくてもわかってる。今日はたまたま遅刻したんだねヾ(^^ )」と言う始末でした。
こうした状況に語言大学側も一応は注意するもののほとんど効果はなく、中には一限の授業に誰も来ないで終わってしまっていたクラスも珍しくなかったそうです。そんなことを先生が話していると、上記のように私の出席率が高いもんだからある学生が、
「うちのクラスには花園がいるから大丈夫だよ(*^▽^)/」
と、言ってくれました。実際、自分でも自分がこのクラスの最後の砦なんだと意識してましたが。
そんなWカップですが、語言大学の中で一番熱狂した集団となると欧米人ではなく、実は韓国人でした。
語言大学のすぐ近くの五道口という地域は、成り立ちはよく分かりませんが結構にぎやかなコリアタウンとなっており、街中にはいたるところにハングル文字が書かれているだけでなく韓国料理屋も非常に多い場所です。そんな場所だからと言うべきか、そんな地域の近くに語言大学あるからというのか、この年のWカップ韓国初戦時ともなると大学の周辺地域は文字通り真っ赤に染まっていました。
語言大学でも多数派を占める韓国人留学生らは揃いも揃って赤い衣装を身に付け、中にはまだ肌寒い時期だったのに真っ赤な、それもほとんどブラジャーのような服だけ着た韓国人女性も寒そうに歩いていました。それこそ一体どこにこれだけ潜んでいたかと思うくらいの韓国人学生が集結して、大学近くのビアガーデンでもあっという間に商品が売切れになったほどでした。
おまけにその日の試合で韓国が見事勝ったもんだから、夜11時くらいなのにあちこちで、「テーハ、ミングっ!」の大合唱まで起こり、寮の中にいた自分にも外から聞こえてきました。周辺住民も迷惑だったろうな。
さすがに二戦目のフランス戦は深夜の試合だったこともあって以前よりは落ち着いてはいましたが、それでも相変わらずの熱狂振りで韓国の同点ゴールの際には寮の中であろうと平気で大声で歓声を上げてきたために、寝ていた私も飛び起こされたほどでした。この日だけは、韓国人と相部屋になる日本人みんなが嫌韓になる理由がよくわかりました。
広島、長崎のオリンピック共同招致について
この記事は友人よりの投稿記事です。コメントなど思うところがあればつけてあげてください。
執筆者 SOFRAN
昨日、10月11日、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は、広島市役所で記者会見し、2020年の夏季五輪招致を検討する「オリンピック検討招致委員会」を共同で設置すると発表しました。みなさんも新聞やテレビなどで取り上げられているのでご存じだとおもいます。この2020年広島長崎五輪招致構想について、様々な意見も出てきています。
実は私はこのニュースを初めて聞いた際、軽い驚きを覚えました。なぜなら、陽月秘話10月6日付けの花園さんの記事にもコメントを寄せているのですが、たまたま先日の朝日新聞の声欄を読んでいたら、茨城県の牧師男性の方より、
「今回、東京は2016年のオリンピック開催都市に落選してしまったが、2020年は広島が候補地に立候補してはどうだろうか? もし、広島でオリンピックが開催されれば、それは核廃絶の大きなアピールとなりその流れを加速させることができる」
との意見が紹介されていました。私も、これはグットアイデアだと思い、花園さんのブログに投稿して、その考えを聞いてみました。でもその時点でアイデアとしては面白いが、広島の都市規模で果たして可能なのかという疑問が沸いていたのも事実です。また花園さんの返信コメントにも、政治的要素が強すぎてしまうのではないかとありましたが、昨日、今日の新聞記事を読んでいると、そのような視点からの意見がやはりいくつかありました。
ただ、広島、長崎でオリンピックを開催するということは、他の地方都市が同じ事を目指すのとは、全く違う意味がそこにあります。というのも、世界で2つしかない被爆都市であるということです。両都市が、オリンピックの招致を目指すというのは、前の石原慎太郎東京都知事が東京の招致を目指すというのとは全くバックボーンが異なると思います。
2016年の東京オリンピック構想は、国民の支持・関心も低かったと思いますが、その原因はオリンピック開催の狙いが石原氏個人の政治的栄誉や公共事業による景気活性化という目的であったことが、国民に見透かされていたからだと私は解釈しています。それゆえに何故2016年に東京でオリンピックを開くのかという大義名分は初めから存在しなかったのではないでしょうか。その事が、今回落選した大きな原因だったと思います。
そんな東京に対して広島、長崎の今回のオリンピック招致宣言では、核廃絶を実現したい、あるいはその流れを強めたいという思いがすでに打ち出されております。この構想は広島市の秋葉市長が長年温めてきたらしく、その考えを昨年9月に長崎市の田上市長に伝えていたそうです。また、2020年は、両市を中心に世界各都市が参加する平和市長会議が定めた核廃絶の期限だそうです。また新聞などで紹介されている市民の意見を読んでいると、概ね好意的に受け止められているようですが、中には、
「周囲の被爆者には、原爆のことで騒ぎ立てないでほしいという人も多い。核廃絶を訴えるのは大事だが、五輪招致と一致するのだろうか。」
という慎重な意見もあります。また、多少記憶に間違いがあるかもしれませんが、「広島は静かに平和を祈る場。今でも、多くの被爆者の骨が埋まっており、最近の金儲け主義の五輪の姿と核廃絶の理念が一致するとは思えない。」という意見も拝見しました。こういう視点からの意見には、それも一理かと考えさせられますし、また、会場の確保や財政面での不安もやはりあげられます。
しかし、私は、様々な障害があると思いますが、この2020年広島・長崎オリンピック構想を支持したいと思います。その根拠として、かなり強引ですが、近代オリンピックの創始者クーベルタンが述べたという有名なこの言葉を紹介したいと思います。
その言葉というのは、「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することである」というものなのですが、残念ながらこの言葉は彼自身の言葉ではなく、英米両チームのあからさまな対立により険悪ムードだったロンドン大会で、主教が述べた戒めの言葉が元だそうで、それは、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる。」という意味だったそうです。
草創期のオリンピックの原点に戻った、思いっきり質素なオリンピックを見てみたいです。
執筆者 SOFRAN
昨日、10月11日、広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は、広島市役所で記者会見し、2020年の夏季五輪招致を検討する「オリンピック検討招致委員会」を共同で設置すると発表しました。みなさんも新聞やテレビなどで取り上げられているのでご存じだとおもいます。この2020年広島長崎五輪招致構想について、様々な意見も出てきています。
実は私はこのニュースを初めて聞いた際、軽い驚きを覚えました。なぜなら、陽月秘話10月6日付けの花園さんの記事にもコメントを寄せているのですが、たまたま先日の朝日新聞の声欄を読んでいたら、茨城県の牧師男性の方より、
「今回、東京は2016年のオリンピック開催都市に落選してしまったが、2020年は広島が候補地に立候補してはどうだろうか? もし、広島でオリンピックが開催されれば、それは核廃絶の大きなアピールとなりその流れを加速させることができる」
との意見が紹介されていました。私も、これはグットアイデアだと思い、花園さんのブログに投稿して、その考えを聞いてみました。でもその時点でアイデアとしては面白いが、広島の都市規模で果たして可能なのかという疑問が沸いていたのも事実です。また花園さんの返信コメントにも、政治的要素が強すぎてしまうのではないかとありましたが、昨日、今日の新聞記事を読んでいると、そのような視点からの意見がやはりいくつかありました。
ただ、広島、長崎でオリンピックを開催するということは、他の地方都市が同じ事を目指すのとは、全く違う意味がそこにあります。というのも、世界で2つしかない被爆都市であるということです。両都市が、オリンピックの招致を目指すというのは、前の石原慎太郎東京都知事が東京の招致を目指すというのとは全くバックボーンが異なると思います。
2016年の東京オリンピック構想は、国民の支持・関心も低かったと思いますが、その原因はオリンピック開催の狙いが石原氏個人の政治的栄誉や公共事業による景気活性化という目的であったことが、国民に見透かされていたからだと私は解釈しています。それゆえに何故2016年に東京でオリンピックを開くのかという大義名分は初めから存在しなかったのではないでしょうか。その事が、今回落選した大きな原因だったと思います。
そんな東京に対して広島、長崎の今回のオリンピック招致宣言では、核廃絶を実現したい、あるいはその流れを強めたいという思いがすでに打ち出されております。この構想は広島市の秋葉市長が長年温めてきたらしく、その考えを昨年9月に長崎市の田上市長に伝えていたそうです。また、2020年は、両市を中心に世界各都市が参加する平和市長会議が定めた核廃絶の期限だそうです。また新聞などで紹介されている市民の意見を読んでいると、概ね好意的に受け止められているようですが、中には、
「周囲の被爆者には、原爆のことで騒ぎ立てないでほしいという人も多い。核廃絶を訴えるのは大事だが、五輪招致と一致するのだろうか。」
という慎重な意見もあります。また、多少記憶に間違いがあるかもしれませんが、「広島は静かに平和を祈る場。今でも、多くの被爆者の骨が埋まっており、最近の金儲け主義の五輪の姿と核廃絶の理念が一致するとは思えない。」という意見も拝見しました。こういう視点からの意見には、それも一理かと考えさせられますし、また、会場の確保や財政面での不安もやはりあげられます。
しかし、私は、様々な障害があると思いますが、この2020年広島・長崎オリンピック構想を支持したいと思います。その根拠として、かなり強引ですが、近代オリンピックの創始者クーベルタンが述べたという有名なこの言葉を紹介したいと思います。
その言葉というのは、「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することである」というものなのですが、残念ながらこの言葉は彼自身の言葉ではなく、英米両チームのあからさまな対立により険悪ムードだったロンドン大会で、主教が述べた戒めの言葉が元だそうで、それは、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる。」という意味だったそうです。
草創期のオリンピックの原点に戻った、思いっきり質素なオリンピックを見てみたいです。
2009年10月11日日曜日
ストーリーを作るのが上手いと思う漫画家
一つ前にあんな記事を書いておきながらこんな記事を書くのもアレですが、日本の漫画作品は絵柄やコマ割りの技術もさることながらその作品内のストーリーの奥深さ、面白さも海外から高く評価されております。以前に聞いた話だと欧米では漫画(コミック)はあくまで子供向けの内容であるのに対して日本の漫画は大人から子供まで、しかも真剣に考えさせられるような物が多いと評価されており、私自身もその通りだと考えております。
何故日本の漫画がそれほどまでに高いストーリー性を持ったかというと、それはやはり漫画の神様こと手塚治虫氏の素晴らしい才能によるものだと思います。元々手塚氏自身が映画や演劇好きでストーリー作りに力を入れるタイプだったということもありますが、それ以上にあの奇想天外で重厚さを高く持つストーリーを自ら編み出してあれだけの作品に表現してのけたという手塚氏の才能にはほとほとため息が出るくらいで、私は手塚氏は恐らく漫画家にならなくとも、小説家や戯作家としても十分に成功したのではないかと見ています。その手塚氏の影響を日本のほぼすべての漫画は受けており、そうした事を考えるとストーリーがいいということがいい漫画の条件と早くから認識されていたのでしょう。
そんな日本の漫画作品を私が読んでいて、それこそこのごろは全く本が売れない小説家も真っ青なストーリーを量産していく漫画家に出会う事も少なくありません。そこで今日は私から見てストーリー作りが上手いと思う漫画家を幾人かここで紹介しようと思います。
1、光原紳(代表作品「アウターゾーン」)
私がストーリー作りをする際に今でも最も参考にするのが、この光原氏です。このアウターゾーンはもう大分古い漫画ですが基本は一話完結のショートストーリー形式で、様々な人間が現実から考えられない奇妙な体験をするという内容で、作者がホラー映画好きということもあって全体的にグロテスクな描写が多いものの教訓的なエピソードも多く、何よりこうした暗い作品にありがちなバッドエンドではなくハッピーエンドで終わるために読後感のよい作品ばかりでした。作者本人も単行本の中で述べていますが、読者の思いもよらない形で絶望的な状況からハッピーエンドに落とす事に苦心したそうで、それだけに話の展開の仕方、構成の作り方は今でも学ぶものが多いと感じさせられます。
2、八木教広(代表作品「クレイモア」)
宗教画を思わせるような細い線で緻密に独特な絵を描く方ですが、それ以上に独特なのはストーリーの構成の仕方だと常々思わせられる方です。いちおう八木氏の代表作品としては「クレイモア」を挙げましたが、私はこれ以前の「エンジェル伝説」の方が好きで、あれほど腹を抱えて笑わせられた作品は未だかつてお目にかかったことがありません。この「エンジェル伝説」の具体的な内容を簡単に説明すると、主人公は非常に心優しい性格をしているも顔が物凄く怖いというありがちな設定の学園漫画なのですが、本当にありがちな設定なはずなのにどうしてあれだけ話を面白くできたのだろうか……。
3、岡本倫(代表作品「エルフェンリート」)
現在この作者は「ノノノノ」という作品を連載しており、この漫画は目下のところ私が一番熱狂して読んでいる漫画なのですが、やはり岡本氏とくれば前作の「エルフェンリート」に尽きるでしょう。
この作品は前にも一回取り上げた事がありますが、一見すると萌え系の漫画かと思わせられるようなかわいい絵柄ながらも内容はひたすらにグロテスクで、中には読んでトラウマになったという人もいるとかいないとか。実際に日本の漫画作品の中でもあれだけ暴力的、猟奇的描写に富んだ漫画となると「寄生獣」とか「ベルセルク」くらいなものなのですが、「エルフェンリート」の場合はそういう描写がなさそうな絵柄やキャラクターだけに読んでて受けるショックもひとしおです。この作品は話の中で多少ご都合主義的に初期のセリフと矛盾する点もあるのですが全体的には程よくまとまっており、ただグロテスクなだけでなく意外に考えさせられる内容から一気に読み切ってしまった作品でした。なお現在連載中の「ノノノノ」はグロテスクな描写はないものの、きちんとスキージャンプについて取材がされていてやはり大した作者だと思わせられるないようです。
4、楠桂(代表作品「鬼切丸」)
これはちょっと自分でも考えちゃいましたが、この楠氏はデビュー作品の「八神くんの家庭の事情」の連載中にも言われていた通りにキャラクターの心理描写を描くのが非常に上手く、それが遺憾なく発揮させられたのが上記に挙げている「鬼切丸」です。この作品を説明するとなるとちょっと面倒ですが、要は人間が恨みつらみを持っちゃうと鬼になって鬼切丸という名の少年に片っ端から切り殺されていくという話なのですが、何がすごいかというと鬼になる人間(主に女性)が鬼になる過程に持つ嫉妬や恨みといった感情の描き方が鋭く、それこそ読んでいて、「これでどうして鬼にならずにおれようか」と思わせられるような内容ばかりでした。私はこの作品を連載が終了してから読みましたが、よくもあれだけの心理描写を毎週描いていたなと感心させられるストーリーでした。なお現在楠氏が連載中の「ガールズザウルス」についてはあまり評価しておりません。一応買って読んでるけど。
5、徳弘正也(代表作品「ジャングルの王者ターちゃん」)
手塚治虫、水木しげる、さいとうたかをといった大御所を除いて、現役漫画家のなかで最もストーリー作りが上手い作者を挙げるとすれば、多少考える余地はあるものの私はこの徳弘氏を挙げるようにしております。徳弘氏とくれば代表作品に挙げた「ジャングルの王者ターちゃん」が一番知られていると思いますが、この作品も激しい格闘シーンの描写もさることながら、どれだけ緊迫したシーンの中にも一発で力が抜けるようなギャグを必ずちりばめ、非常にアクセルとブレーキの効いたストーリーがよく展開されております。特にギャグについては、よくぞこんなものを考えるなと思わせられるようなすさまじい下品さで、ウィキペディアにも書いてあるけどよくテレビアニメ化できたものだと感心させられるほどです。
ただ徳弘氏はそうしたギャグセンスもさることながら本筋に重厚なテーマ性を持たせることも多く、「狂四郎2030」ではクローン社会について非常に示唆の富んだ世界観が作られており、文句なしの傑作だと私からも太鼓判を押させてもらいます。なおこの作品にて私が一番笑ったのは、主人公と仲違いして出て行った親友を遺伝子改造されて会話の出来ない女性が追いかけ、「あ、あ、あ!」と言うのに対し親友が、「よせよ。どうせ何も分からないくせに……」と言い捨てるや、「あ!」と言いながらミニチュアの船の「帆」を指差し、親友も、「すんません、言葉わかってるんですか?」と平伏するシーンでした。
何故日本の漫画がそれほどまでに高いストーリー性を持ったかというと、それはやはり漫画の神様こと手塚治虫氏の素晴らしい才能によるものだと思います。元々手塚氏自身が映画や演劇好きでストーリー作りに力を入れるタイプだったということもありますが、それ以上にあの奇想天外で重厚さを高く持つストーリーを自ら編み出してあれだけの作品に表現してのけたという手塚氏の才能にはほとほとため息が出るくらいで、私は手塚氏は恐らく漫画家にならなくとも、小説家や戯作家としても十分に成功したのではないかと見ています。その手塚氏の影響を日本のほぼすべての漫画は受けており、そうした事を考えるとストーリーがいいということがいい漫画の条件と早くから認識されていたのでしょう。
そんな日本の漫画作品を私が読んでいて、それこそこのごろは全く本が売れない小説家も真っ青なストーリーを量産していく漫画家に出会う事も少なくありません。そこで今日は私から見てストーリー作りが上手いと思う漫画家を幾人かここで紹介しようと思います。
1、光原紳(代表作品「アウターゾーン」)
私がストーリー作りをする際に今でも最も参考にするのが、この光原氏です。このアウターゾーンはもう大分古い漫画ですが基本は一話完結のショートストーリー形式で、様々な人間が現実から考えられない奇妙な体験をするという内容で、作者がホラー映画好きということもあって全体的にグロテスクな描写が多いものの教訓的なエピソードも多く、何よりこうした暗い作品にありがちなバッドエンドではなくハッピーエンドで終わるために読後感のよい作品ばかりでした。作者本人も単行本の中で述べていますが、読者の思いもよらない形で絶望的な状況からハッピーエンドに落とす事に苦心したそうで、それだけに話の展開の仕方、構成の作り方は今でも学ぶものが多いと感じさせられます。
2、八木教広(代表作品「クレイモア」)
宗教画を思わせるような細い線で緻密に独特な絵を描く方ですが、それ以上に独特なのはストーリーの構成の仕方だと常々思わせられる方です。いちおう八木氏の代表作品としては「クレイモア」を挙げましたが、私はこれ以前の「エンジェル伝説」の方が好きで、あれほど腹を抱えて笑わせられた作品は未だかつてお目にかかったことがありません。この「エンジェル伝説」の具体的な内容を簡単に説明すると、主人公は非常に心優しい性格をしているも顔が物凄く怖いというありがちな設定の学園漫画なのですが、本当にありがちな設定なはずなのにどうしてあれだけ話を面白くできたのだろうか……。
3、岡本倫(代表作品「エルフェンリート」)
現在この作者は「ノノノノ」という作品を連載しており、この漫画は目下のところ私が一番熱狂して読んでいる漫画なのですが、やはり岡本氏とくれば前作の「エルフェンリート」に尽きるでしょう。
この作品は前にも一回取り上げた事がありますが、一見すると萌え系の漫画かと思わせられるようなかわいい絵柄ながらも内容はひたすらにグロテスクで、中には読んでトラウマになったという人もいるとかいないとか。実際に日本の漫画作品の中でもあれだけ暴力的、猟奇的描写に富んだ漫画となると「寄生獣」とか「ベルセルク」くらいなものなのですが、「エルフェンリート」の場合はそういう描写がなさそうな絵柄やキャラクターだけに読んでて受けるショックもひとしおです。この作品は話の中で多少ご都合主義的に初期のセリフと矛盾する点もあるのですが全体的には程よくまとまっており、ただグロテスクなだけでなく意外に考えさせられる内容から一気に読み切ってしまった作品でした。なお現在連載中の「ノノノノ」はグロテスクな描写はないものの、きちんとスキージャンプについて取材がされていてやはり大した作者だと思わせられるないようです。
4、楠桂(代表作品「鬼切丸」)
これはちょっと自分でも考えちゃいましたが、この楠氏はデビュー作品の「八神くんの家庭の事情」の連載中にも言われていた通りにキャラクターの心理描写を描くのが非常に上手く、それが遺憾なく発揮させられたのが上記に挙げている「鬼切丸」です。この作品を説明するとなるとちょっと面倒ですが、要は人間が恨みつらみを持っちゃうと鬼になって鬼切丸という名の少年に片っ端から切り殺されていくという話なのですが、何がすごいかというと鬼になる人間(主に女性)が鬼になる過程に持つ嫉妬や恨みといった感情の描き方が鋭く、それこそ読んでいて、「これでどうして鬼にならずにおれようか」と思わせられるような内容ばかりでした。私はこの作品を連載が終了してから読みましたが、よくもあれだけの心理描写を毎週描いていたなと感心させられるストーリーでした。なお現在楠氏が連載中の「ガールズザウルス」についてはあまり評価しておりません。一応買って読んでるけど。
5、徳弘正也(代表作品「ジャングルの王者ターちゃん」)
手塚治虫、水木しげる、さいとうたかをといった大御所を除いて、現役漫画家のなかで最もストーリー作りが上手い作者を挙げるとすれば、多少考える余地はあるものの私はこの徳弘氏を挙げるようにしております。徳弘氏とくれば代表作品に挙げた「ジャングルの王者ターちゃん」が一番知られていると思いますが、この作品も激しい格闘シーンの描写もさることながら、どれだけ緊迫したシーンの中にも一発で力が抜けるようなギャグを必ずちりばめ、非常にアクセルとブレーキの効いたストーリーがよく展開されております。特にギャグについては、よくぞこんなものを考えるなと思わせられるようなすさまじい下品さで、ウィキペディアにも書いてあるけどよくテレビアニメ化できたものだと感心させられるほどです。
ただ徳弘氏はそうしたギャグセンスもさることながら本筋に重厚なテーマ性を持たせることも多く、「狂四郎2030」ではクローン社会について非常に示唆の富んだ世界観が作られており、文句なしの傑作だと私からも太鼓判を押させてもらいます。なおこの作品にて私が一番笑ったのは、主人公と仲違いして出て行った親友を遺伝子改造されて会話の出来ない女性が追いかけ、「あ、あ、あ!」と言うのに対し親友が、「よせよ。どうせ何も分からないくせに……」と言い捨てるや、「あ!」と言いながらミニチュアの船の「帆」を指差し、親友も、「すんません、言葉わかってるんですか?」と平伏するシーンでした。
柴田亜美氏の作品について
自分くらいの年代の人間には、「南国少年パプワくん」の作者といえば覚えがあるかもしれませんが、この漫画の作者こそ今日のお題になっている漫画家の柴田亜美氏です。実はうちの姉がこの人の漫画の大ファンで、世に出ている作品であれば片っ端から買ってきていたので私も一通り読んできました。
そんな柴田氏の漫画についてレビューがてら意見を書かせてもらうと、まず何よりも言いたいことはこの人は漫画家としては絶望的にストーリーを作るのが下手な人だという印象が強いということです。デビュー作の「パプワくん」にしろ「自由人HERO」にしろやたらと自分が過去に描いた別作品のキャラクターを登場させては世界観に矛盾を作り、結末も伏線を回収しきれずに終わることが多く、ひどいのになるとまとめきれず未完結で終わってしまっている作品も珍しくありません。
それでもうちの姉のように熱狂的なファンが付く理由は何かとくれば、やはりその独特な絵柄と短いシーンの中で見せる絶妙のギャグセンスに尽きると思います。先ほど挙げた「自由人HERO」においては本編は途中からかなりグダグダになるものの、短編ギャグ作品の「バード~幸せの青い鳥」では各キャラクターの個性が見事に引き出されていて非常に面白い作品になっています。
このようにストーリー製作に関わる漫画は途中から破綻をきたす事が多いのですが、逆に製作に関わらない取材レポート漫画においては遺憾なくその実力が発揮される事が多く、現在は連載を止めておりますが柴田氏はちょっと前まで長い間ゲーム誌の業界取材漫画を描いており、「Gセン場のアーミン」、「ドキばぐ」といったこれらの漫画は作者の個性も強いこともあってこれらは素直に面白いと思える作品です。個人的に一番笑ったのはスターオーシャン3の取材時の話で、いろいろ失敗ばかりしているトライエースの開発担当者を励ます漫画を描いたところ、入稿直前に発売延期が決まり、急遽オチとなる4ページ目が差し替えられた話でした。
そんなもんだから私はかねてより、この人は原作者を付けて漫画を書かせたほうがいいのではともう十年位前から考えていたのですが、唯一と言っていいほど柴田氏の作品で非常に収まりがよかった漫画として私が進められるのは、「ジバクくん」という漫画です。この作品はアニメ化もされましたが、本当にこの人の漫画の中では唯一と言っていいほど初めから終わりまで一貫した世界観とストーリーで、話の折々に挿入されているギャグシーンも秀逸なものばかりです。アニメ版は多少結末が漫画版とは異なっておりますがこちらもとても面白く、よければまた再放送とかしてくれないかと一人願っています。
そんな柴田氏の漫画についてレビューがてら意見を書かせてもらうと、まず何よりも言いたいことはこの人は漫画家としては絶望的にストーリーを作るのが下手な人だという印象が強いということです。デビュー作の「パプワくん」にしろ「自由人HERO」にしろやたらと自分が過去に描いた別作品のキャラクターを登場させては世界観に矛盾を作り、結末も伏線を回収しきれずに終わることが多く、ひどいのになるとまとめきれず未完結で終わってしまっている作品も珍しくありません。
それでもうちの姉のように熱狂的なファンが付く理由は何かとくれば、やはりその独特な絵柄と短いシーンの中で見せる絶妙のギャグセンスに尽きると思います。先ほど挙げた「自由人HERO」においては本編は途中からかなりグダグダになるものの、短編ギャグ作品の「バード~幸せの青い鳥」では各キャラクターの個性が見事に引き出されていて非常に面白い作品になっています。
このようにストーリー製作に関わる漫画は途中から破綻をきたす事が多いのですが、逆に製作に関わらない取材レポート漫画においては遺憾なくその実力が発揮される事が多く、現在は連載を止めておりますが柴田氏はちょっと前まで長い間ゲーム誌の業界取材漫画を描いており、「Gセン場のアーミン」、「ドキばぐ」といったこれらの漫画は作者の個性も強いこともあってこれらは素直に面白いと思える作品です。個人的に一番笑ったのはスターオーシャン3の取材時の話で、いろいろ失敗ばかりしているトライエースの開発担当者を励ます漫画を描いたところ、入稿直前に発売延期が決まり、急遽オチとなる4ページ目が差し替えられた話でした。
そんなもんだから私はかねてより、この人は原作者を付けて漫画を書かせたほうがいいのではともう十年位前から考えていたのですが、唯一と言っていいほど柴田氏の作品で非常に収まりがよかった漫画として私が進められるのは、「ジバクくん」という漫画です。この作品はアニメ化もされましたが、本当にこの人の漫画の中では唯一と言っていいほど初めから終わりまで一貫した世界観とストーリーで、話の折々に挿入されているギャグシーンも秀逸なものばかりです。アニメ版は多少結末が漫画版とは異なっておりますがこちらもとても面白く、よければまた再放送とかしてくれないかと一人願っています。
登録:
投稿 (Atom)