以前に「記憶に残る外国人野球選手」という記事にてこれまでに日本プロ野球にやってきた印象的な外国人野球選手を紹介しましたが、今回は「記憶」ではなく「記録」にこだわり、これまたインパクトの強い外国人選手をここで何人か紹介しようと思います。
1、チャーリー・マニエル(ヤクルト、近鉄)
1973年、当時のヤクルトは補強として大リーグからジョー・ペピトーンという選手を獲得したものの、この人物は一癖ある人物でシーズン中にも関わらずしょっちゅう勝手に試合を休み、果てには来日してから二ヶ月で勝手に帰国してしまう問題人物でした。このペピトーン氏の行動に当時の日本球界も怒り、補強とはいえ今後は大リーグの選手を迂闊に呼んでいいものかという大騒動になったのをアメリカにも伝わり、ペピトーン氏の行動に対するお詫びを込めてドジャースが人物、能力ともに安心して任せられる人物としてヤクルトに送り込んできたのがこのチャーリー・マニエル氏です。
その期待通りにマニエル氏の参加を受けてヤクルトは急成長し、マニエル氏は来日二年目には打率.316、42本塁打、97打点という成績を残してヤクルト悲願の初優勝に大きく貢献しました。しかしその年のオフに当時の広岡監督のチーム構想から外れて近鉄にトレードとして放出される事となりましたが、移った先の近鉄ではかねてから不安のあった守備でなくてもいい指名打者で大活躍して見事近鉄は優勝しています。
因みにヤクルト、近鉄共にマニエル氏が退団した翌年は最下位に転落しており、如何にその実力が抜きん出ていたかが分かるエピソードです。
2、レロン・リー、レオン・リー
この二人は実の兄弟にして日本球界に大変長く貢献してくれた二選手です。
兄のレロン・リー氏は実働11シーズンで、4000打数以上の打率は.320でこれは日本人選手を含めた歴代最高の記録で、外国人としての通団打数1579本はタフィ・ローズ氏に抜かれるまでずっと一位でした。
対する弟のレオン・リー氏は兄のように本塁打王といったタイトルこそ縁がなかったものの実働十年間は終始安定した成績でロッテ、大洋、ヤクルトといった三球団を渡り歩き、それぞれの球団でシーズン30本塁打以上を打ったという特殊な記録を残しております。
3、ランディ・バース(阪神)
未だ「史上最強の外国人助っ人」との呼び声も高く、阪神ファンにとっては神にも等しいこのランディ・バース氏ですがその在籍中の記録もその異名に違わず桁外れの記録を持っております。
阪神が優勝した1985年はいわゆる「バース、掛布、岡田」のバックスクリーン三連発が語り草ですがこの年は打率、打点、本塁打、出塁率、勝利打点となんと打撃五部門で最高成績を残して実に五冠王となっております。本塁打については最終カードがあの曰くつきの巨人戦であったために王貞治氏の持つシーズン55本塁打に一本届かなかったものの、日本シリーズでもシーズン同様の活躍でMVPを取っております。
翌1986年も打率.389、47本塁打、109打点という記録で前年に引き続き打撃主要三部門で三冠王となり、特に打率については未だ破られていない日本記録として君臨し続けております。
4、ウォーレン・クロマティ(巨人)
巨人の黒くて強い人といったら未だに印象の強いこのクロマティ氏ですが、彼の特筆すべき記録はシーズン規定打席数を終えた時点で夢の打率四割を達成していたものの、その後の試合でこの四割を保てず.378でシーズンを終えたという事実でしょう。仮に規定打席数を達成した後の試合に出場しなければクロマティ氏は打率四割というシーズン記録を残していたということで、その長打率と相まって当時のピッチャーからは恐れられていたのだろうというすごい記録に思えます。
5、ラルフ・ブライアント(近鉄)
ホームランか三振か、これほどまでに極端なバッターは恐らくブライアント氏以外には今後も出てこないかと思います。近鉄に在籍してチームの顔から優勝の立役者となり大いに球団に貢献したブライアント氏ですが、その記録を見ると実にとんでもない珍記録を連発しております。
まずホームラン数についてはやはり異常な量で三度の本塁打王獲得はもとより、ここぞという打席でホームランを打ってくるその圧倒的な勝負強さには目を見張ります。まずその第一例目はプロ野球史に残る1988年の伝説の「10.19ダブルヘッダー」の第二試合でのホームランで、これはもはや試合自体が伝説なので今後も語り継がれていくでしょう。
そして近鉄が優勝した翌1989年、この年もシーズン終盤まで優勝争いがもつれてまさに天王山となった西武とのダブルヘッダーの第一試合では郭泰源氏から二打席連続ホームランを放ち、変わってスクランブル登板した渡辺久信氏からは更にホームランを放ちこれがこの試合の決勝点となっております。しかもブライアント氏はこの年にすでに五度も一試合三本塁打を打っていたため、王貞治氏の記録を抜いてこのシーズンは合計六回という大記録を樹立しています。続く第二試合目は一打席目は四球で歩かされるも二打席目ではまたもホームランを放ち、なんと四打席連続ホームランを一日で達成しています。たださすがに四度のホームランは体への負担も大きかったらしく、その晩はブライアント氏の肩が上がらなくなったそうです。
そうした華々しいホームランの記録の外で三振の数もまた異常な量で、なんと現在に至っても歴代シーズン三振記録では一位から四位までブライアント氏の記録です。見ているファンの側としては非常に楽しみな選手ですが、使っている監督からしたら扱いづらい選手この上ないでしょう。それにもかかわらず優勝に導いた故仰木彬氏はさすがと言うか。
まだリストアップしている選手が何人かいますが、続きはまた明日にでも書きます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年8月17日火曜日
2010年8月16日月曜日
「真相報道 バンキシャ」が続いている理由
「真相報道 バンキシャ」が何で続くの?
上記リンクは去年に書いた記事ですが、何故だが今でも時々拍手を受けたりして読まれている不思議な記事です。まぁ書いた内容についてはどうにもならない日本の放送倫理についても触れているので満更でもないのですが、この記事で私が疑問に挙げた内容についてその後続報を受けているので折角なので紹介しておこうかと思います。
この記事で私が疑問に挙げた内容というのは、この番組が大々的にも報じたにもかかわらず結局は根も葉もないデマだった岐阜県の裏金疑惑について、誤報道の責任を取って当時の日テレの社長が引責辞任をしたのですが問題のある放送を行ったこの番組事態は何故か続けられ、一年経った現在も報道が続けられております。普通に考えるなら社長が引責辞任するくらいの放送をしたのであれば番組自体が潰れて当然なのですが、どうしたわけかこの「バンキシャ」は続けられて結果的にはこの番組の打ち切りよりも日テレ社長の首のが軽かったわけですが、この奇妙な日テレの責任の取り方はちょっと裏があったようです。
前回の記事を書いた直後にある放送関係者にこの問題を振ってみた所、なんでも当時の日テレの社長をナベツネこと渡辺恒夫読売新聞会長が気に入っておらず、あの岐阜県の裏金疑惑の誤報にかこつけて社長職から飛ばしたというのが実情だったそうです。
日本のテレビ局と新聞会社は資本関係から他国と比べて別メディアながら密接な関係にありますが、日テレ読売グループに至ってはかねてよりその意見方針などの点で他局と比べても強い関係にあると言われておりました。しかしそれにしたって、かつてのプロ野球巨人軍の原監督の左遷を含めてこんなめちゃくちゃな人事がまかり通って問題ある番組が存続してしまうというのはもはや看過出来るレベルじゃないでしょう。まぁ誰かさんが老衰でくたばれば丸く収まる話かもしれないけど。
ついでに書いとくと「バンキシャ」のメイン司会者の福澤朗氏ですが、この人は「バンキシャ」で自分のキャリアを潰してしまったんじゃないかなとこのところ思います。一応日テレからフリーに転進してからは「ピンポン!」など報道番組を持っていたけどこれも去年で終わっちゃったし、その後も何か特別番組などで司会を任されることもなければ他の番組でゲストとして出てくる姿もほとんど見ません。っていうか、「バンキシャ」でしか見ないし。
ちなみにアナウンサーと言うかテレビ司会者業界はこれから結構荒れてくるような気がします。大分年いっているけど読売新聞の本来は解説員だけど司会を任せれば一流の辛坊治郎氏がとうとうフリーに転身したし、これまで全く主流にいなかった池上彰氏が各番組に引っ張りだこになっている点といい、これら新人材へのキャスター入れ替えを狙って各局で報道番組の再編が行われるかもしれません。
ちなみ最後の大物とされているのは言わずと知れたTBSの安住紳一郎氏で、彼がフリーに転身する時が現状で予想しうる最大のビックバンになると私は見ています。
上記リンクは去年に書いた記事ですが、何故だが今でも時々拍手を受けたりして読まれている不思議な記事です。まぁ書いた内容についてはどうにもならない日本の放送倫理についても触れているので満更でもないのですが、この記事で私が疑問に挙げた内容についてその後続報を受けているので折角なので紹介しておこうかと思います。
この記事で私が疑問に挙げた内容というのは、この番組が大々的にも報じたにもかかわらず結局は根も葉もないデマだった岐阜県の裏金疑惑について、誤報道の責任を取って当時の日テレの社長が引責辞任をしたのですが問題のある放送を行ったこの番組事態は何故か続けられ、一年経った現在も報道が続けられております。普通に考えるなら社長が引責辞任するくらいの放送をしたのであれば番組自体が潰れて当然なのですが、どうしたわけかこの「バンキシャ」は続けられて結果的にはこの番組の打ち切りよりも日テレ社長の首のが軽かったわけですが、この奇妙な日テレの責任の取り方はちょっと裏があったようです。
前回の記事を書いた直後にある放送関係者にこの問題を振ってみた所、なんでも当時の日テレの社長をナベツネこと渡辺恒夫読売新聞会長が気に入っておらず、あの岐阜県の裏金疑惑の誤報にかこつけて社長職から飛ばしたというのが実情だったそうです。
日本のテレビ局と新聞会社は資本関係から他国と比べて別メディアながら密接な関係にありますが、日テレ読売グループに至ってはかねてよりその意見方針などの点で他局と比べても強い関係にあると言われておりました。しかしそれにしたって、かつてのプロ野球巨人軍の原監督の左遷を含めてこんなめちゃくちゃな人事がまかり通って問題ある番組が存続してしまうというのはもはや看過出来るレベルじゃないでしょう。まぁ誰かさんが老衰でくたばれば丸く収まる話かもしれないけど。
ついでに書いとくと「バンキシャ」のメイン司会者の福澤朗氏ですが、この人は「バンキシャ」で自分のキャリアを潰してしまったんじゃないかなとこのところ思います。一応日テレからフリーに転進してからは「ピンポン!」など報道番組を持っていたけどこれも去年で終わっちゃったし、その後も何か特別番組などで司会を任されることもなければ他の番組でゲストとして出てくる姿もほとんど見ません。っていうか、「バンキシャ」でしか見ないし。
ちなみにアナウンサーと言うかテレビ司会者業界はこれから結構荒れてくるような気がします。大分年いっているけど読売新聞の本来は解説員だけど司会を任せれば一流の辛坊治郎氏がとうとうフリーに転身したし、これまで全く主流にいなかった池上彰氏が各番組に引っ張りだこになっている点といい、これら新人材へのキャスター入れ替えを狙って各局で報道番組の再編が行われるかもしれません。
ちなみ最後の大物とされているのは言わずと知れたTBSの安住紳一郎氏で、彼がフリーに転身する時が現状で予想しうる最大のビックバンになると私は見ています。
2010年8月14日土曜日
自分のクローンを作りたいと一緒に思った友人
私が高校生だった頃、ある日の生物の授業で遺伝が取り上げられておりました。教師は遺伝の概要を説明するとともにすでにクローン羊を生み出す事に成功している事に触れ、理論上はもう人間もクローンを作れる状態にあると説明し、仮に作れるなら自分のクローンを作ってみたい人はこの中にいるのかと尋ねたところ、手を上げたのは私と私の友人の二人だけでした。
この時何故私が自分のクローンを作ってみたいと思ったのかというと、仮に自分のクローンを自分で育てた場合、自分と同じ性質の人間に成長するのかどうかを試してみたいと思ったからでした。要は人間の性質は先天的な要素か後天的な要素、どちらの方が影響度が高いのかを試してみたいと率直に考えたからです。まぁ自分で育てたらあまり意味ないかもしれませんが、その辺も含めて比較しようと。
ところがこんな風に考えるのはやっぱり少数派だったようで、案の定と言うか授業の後には見事に友人らから気味悪がられました。
「お前なんでクローンなんか作りたいと思うんだよ?」
「面白そうでいいじゃん。別にこんなの人それぞれじゃないか、気味悪がる事ないだろ」
「いや、お前がクローンを作りたいと思った事よりも、お前とあいつ(私と一緒に手を挙げた友人)の二人だけがクローンを作りたいと思った事が気持ち悪いんだよ」
こういうのもなんですが、この時に私と一緒にクローンを作ってみたいと手を挙げたその私の友人は控えめに言ってもかなり変わった友人でした。性格ははっきり言ってわがままそのもので、よく授業が終わった後は資料集を持って延々と教師に対して質問を通り越して個人指導を申し込み、あんまりにもしつこくやるもんだから終いには教師に怒られる事もあった生徒でした。
そんなこの友人ですが、何故だか私と馬が合って高校時代はよく一緒になって行動を起こしていました。確かセンター試験会場を下見に行く時も一緒に行った覚えがあります。
現在、この友人は社会人経験を経て国立大学の医学部を目指して勉強をし続けております。この経歴自体が特筆に価するほどその友人は面白い人生を歩んでいるのですが、今思うとあの時私と一緒にクローンを作りたいと考えただけあって好奇心が人一倍強い性格は未だに変わりがないようです。対する私は理系ではなく文系に進みましたが、好奇心はともかくクローンを作ってしまえという無鉄砲さは未だに持ち続けているような気がします。
この時何故私が自分のクローンを作ってみたいと思ったのかというと、仮に自分のクローンを自分で育てた場合、自分と同じ性質の人間に成長するのかどうかを試してみたいと思ったからでした。要は人間の性質は先天的な要素か後天的な要素、どちらの方が影響度が高いのかを試してみたいと率直に考えたからです。まぁ自分で育てたらあまり意味ないかもしれませんが、その辺も含めて比較しようと。
ところがこんな風に考えるのはやっぱり少数派だったようで、案の定と言うか授業の後には見事に友人らから気味悪がられました。
「お前なんでクローンなんか作りたいと思うんだよ?」
「面白そうでいいじゃん。別にこんなの人それぞれじゃないか、気味悪がる事ないだろ」
「いや、お前がクローンを作りたいと思った事よりも、お前とあいつ(私と一緒に手を挙げた友人)の二人だけがクローンを作りたいと思った事が気持ち悪いんだよ」
こういうのもなんですが、この時に私と一緒にクローンを作ってみたいと手を挙げたその私の友人は控えめに言ってもかなり変わった友人でした。性格ははっきり言ってわがままそのもので、よく授業が終わった後は資料集を持って延々と教師に対して質問を通り越して個人指導を申し込み、あんまりにもしつこくやるもんだから終いには教師に怒られる事もあった生徒でした。
そんなこの友人ですが、何故だか私と馬が合って高校時代はよく一緒になって行動を起こしていました。確かセンター試験会場を下見に行く時も一緒に行った覚えがあります。
現在、この友人は社会人経験を経て国立大学の医学部を目指して勉強をし続けております。この経歴自体が特筆に価するほどその友人は面白い人生を歩んでいるのですが、今思うとあの時私と一緒にクローンを作りたいと考えただけあって好奇心が人一倍強い性格は未だに変わりがないようです。対する私は理系ではなく文系に進みましたが、好奇心はともかくクローンを作ってしまえという無鉄砲さは未だに持ち続けているような気がします。
2010年8月11日水曜日
続、児童虐待致死の厳罰化機運について
母親を殺人容疑で再逮捕 2幼児遺棄 「食事与えず死んだ」(産経新聞)
上記リンクに貼った大坂での二児放置事件の詳細についてはすでに各所で報じられているのでわざわざここで説明しませんが、何度もこんな事は繰り返してはならないと事件のたびに報道されるもののまたもこうして痛ましい事件が起きてしまったというのは残念な事この上ありません。
さて以前に私は「児童虐待致死の厳罰化機運について」という記事にて近年次々と明らかになる児童虐待事件を受けて、社会的にも虐待を行った親に対して厳罰化、具体的にいうなら現在主に適用される「保護責任者遺棄致死罪」ではなく「殺人罪」、もしくはもっと重たい刑が課されるような法改正をすべきだという機運が高まっており、早晩法改正が行われるのではという意見を書きましたが、すでに現時点で司法界もそのように認識が切り替わってきているようです。
先にも述べました通り、これまでの幼児や児童の虐待致死事件では上記リンク先のニュースにも書かれている通りこれまでは「保護責任者遺棄致死罪」という刑法によって虐待を行った親は裁かれるのが一般的だったのですが、今回のこの大坂の事件では幼児らに対して明確な殺意があったとして(死ぬとわかってやっていた)初めから「殺人罪」で起訴される事となりました。またこの事件が目立ってこちらはやや隠れがちですが、
女子高生、乳児殺害容疑で追送検へ 神戸・側溝遺棄事件(朝日新聞)
こちらの事件は女子高生がトイレで生んだ赤子を放置して死なせたという悲しい事件ですが、こちらも大坂での事件同様に殺人罪で起訴される運びとなっております。
なんだかんだ言って、検察も昨今の社会的影響を考えてか児童虐待に対して厳罰を以って望もうとしているように感じられます。全部が全部、社会的の空気に影響されて物事の基準が変わるというのは問題ではありますが、私はこの児童虐待については倫理上でも社会的観点からでも厳罰化は歓迎すべきだと考えております。
ここで話は少し変わりますが、今回の大坂の事件とよく似たケースとして1988年にこんな事件がありました。
巣鴨・置き去り事件(オワリナキアクム)
この事件は主演の柳楽優弥氏の好演で話題となった「誰も知らない」という映画のモデルとなった事件ですが、今回の大坂の事件同様に母親が幼い子供五人を部屋に残したまま殆んど家に帰らず、たまに長男にだけお金を渡して何年にも渡って置き去りにしていたという事件です。結果から言えばこの五人の兄弟のうち二人は死亡していたのですが、この事件の最も奇妙というか理解しがたいというべき点として、近所に住む大人たちが誰もこの家族の存在に気がつかなかったという点です。同じく親に見捨てられた子供の話でも死刑判決を受けた永山則夫の例では見かねた近所の住人が福祉事務所に連絡を行っていますが、大坂の事件でもこの巣鴨の事件でもそういったことはついには起こりえませんでした。
別にそれで近所の連帯がどうたらこうたら言うつもりはありませんし、いまさらそんな牧歌的な時代に立ち戻ろうとするよりも目下の虐待を防ぐためにも児童相談所といった行政の権限を強める事の方が大事だと私は思いますが、100歳以上の高齢者で行方不明者が相次いでいる件と絡めて考えると、今の日本社会は誰とも付き合わなくともそれなりにやってけるようになったと感じます。それを退化と取るか進化と取るかは人それぞれですが。
最後に巣鴨の置き去り事件について、この事件の裁判で子供を置き去りにした母親には「懲役3年、執行猶予4年」の判決が下りていますが、仮にこの事件が今年に起きていたらまず間違いなく執行猶予はつかなかったでしょう。この差についてちょっと表現し難い感情を持ちえますが、時代の違いだと言って割り切るしかないでしょうね。
上記リンクに貼った大坂での二児放置事件の詳細についてはすでに各所で報じられているのでわざわざここで説明しませんが、何度もこんな事は繰り返してはならないと事件のたびに報道されるもののまたもこうして痛ましい事件が起きてしまったというのは残念な事この上ありません。
さて以前に私は「児童虐待致死の厳罰化機運について」という記事にて近年次々と明らかになる児童虐待事件を受けて、社会的にも虐待を行った親に対して厳罰化、具体的にいうなら現在主に適用される「保護責任者遺棄致死罪」ではなく「殺人罪」、もしくはもっと重たい刑が課されるような法改正をすべきだという機運が高まっており、早晩法改正が行われるのではという意見を書きましたが、すでに現時点で司法界もそのように認識が切り替わってきているようです。
先にも述べました通り、これまでの幼児や児童の虐待致死事件では上記リンク先のニュースにも書かれている通りこれまでは「保護責任者遺棄致死罪」という刑法によって虐待を行った親は裁かれるのが一般的だったのですが、今回のこの大坂の事件では幼児らに対して明確な殺意があったとして(死ぬとわかってやっていた)初めから「殺人罪」で起訴される事となりました。またこの事件が目立ってこちらはやや隠れがちですが、
女子高生、乳児殺害容疑で追送検へ 神戸・側溝遺棄事件(朝日新聞)
こちらの事件は女子高生がトイレで生んだ赤子を放置して死なせたという悲しい事件ですが、こちらも大坂での事件同様に殺人罪で起訴される運びとなっております。
なんだかんだ言って、検察も昨今の社会的影響を考えてか児童虐待に対して厳罰を以って望もうとしているように感じられます。全部が全部、社会的の空気に影響されて物事の基準が変わるというのは問題ではありますが、私はこの児童虐待については倫理上でも社会的観点からでも厳罰化は歓迎すべきだと考えております。
ここで話は少し変わりますが、今回の大坂の事件とよく似たケースとして1988年にこんな事件がありました。
巣鴨・置き去り事件(オワリナキアクム)
この事件は主演の柳楽優弥氏の好演で話題となった「誰も知らない」という映画のモデルとなった事件ですが、今回の大坂の事件同様に母親が幼い子供五人を部屋に残したまま殆んど家に帰らず、たまに長男にだけお金を渡して何年にも渡って置き去りにしていたという事件です。結果から言えばこの五人の兄弟のうち二人は死亡していたのですが、この事件の最も奇妙というか理解しがたいというべき点として、近所に住む大人たちが誰もこの家族の存在に気がつかなかったという点です。同じく親に見捨てられた子供の話でも死刑判決を受けた永山則夫の例では見かねた近所の住人が福祉事務所に連絡を行っていますが、大坂の事件でもこの巣鴨の事件でもそういったことはついには起こりえませんでした。
別にそれで近所の連帯がどうたらこうたら言うつもりはありませんし、いまさらそんな牧歌的な時代に立ち戻ろうとするよりも目下の虐待を防ぐためにも児童相談所といった行政の権限を強める事の方が大事だと私は思いますが、100歳以上の高齢者で行方不明者が相次いでいる件と絡めて考えると、今の日本社会は誰とも付き合わなくともそれなりにやってけるようになったと感じます。それを退化と取るか進化と取るかは人それぞれですが。
最後に巣鴨の置き去り事件について、この事件の裁判で子供を置き去りにした母親には「懲役3年、執行猶予4年」の判決が下りていますが、仮にこの事件が今年に起きていたらまず間違いなく執行猶予はつかなかったでしょう。この差についてちょっと表現し難い感情を持ちえますが、時代の違いだと言って割り切るしかないでしょうね。
2010年8月10日火曜日
日本の首相の選ばれ方
近年、日本の首相は猫の目のようにめまぐるしく一年ごとに変わっておりますが、そもそも日本の首相はどういった基準で選ばれるのでしょうか。法的には日本の首相は国会議員の中から選ぶという制約以外は自由ですが、憲政の常道という事で与党の代表者が就任する事が戦後では慣例となっているため、日本の首相は基本的には与党の代表者とイコールだと考えてもいいです。ではその与党の代表者が選ばれる基準は一体何なのかというと、結論から言えば選挙を有利に運べるような知名度があってイメージのいい人間ということだけしかなく、この事実こそが近年の日本政治を最も混乱させている原因の一つだと私は考えております。
話は昔に遡って戦後から平成に至るまで首相はどう決まっていたのかですが、この頃は数の力というか、自民党内の派閥の人数が首相を決める上で大きな指標となりました。それでも佐藤栄作の頃までは前任者が在任中に暗に後継者を指名するような形で決まっていましたが、田中角栄が首相になったあたりからは派閥を構成する力こと資金力が徐々に物をいうようになって行き、竹下登内閣でのリクルート事件発覚を受けてこうした金権政治に対して国民の倦んでいったような印象を覚えます。
その後自民党の下野や社会党との村山富一連立内閣を経て橋本龍太郎内閣に至り、また元の自民党政治こと派閥で大勢が決まる政治体制に戻りかけたのですが、小渕敬三の急逝を受けてこの流れが大きく変わることとなりました。小渕敬三の後はこれまた派閥の兼ね合いから密室の談合を経て森喜朗氏が首相となったわけですが、これがまた結果が悪くかつてないほどの支持率を受けて当時はリアルに自民党は次の選挙でまた下野するだろうとみんな考えていました。そんな世論を自民党側もよく理解しており、ここで最大の奇手こと、従来の価値観からすると最も首相から遠いと思われていた小泉純一郎氏を総裁とすることでこの危機を見事に脱す事に成功しました。
ここまでいえば分かると思いますが、日本の首相が国民受けがいいかどうかで決まるようになったのはまず間違いなく小泉内閣からです。ただ仮にこの小泉内閣が失敗していればこの動きはその後も続かなかったのかもしれませんが、皮肉な事に小泉内閣ががけっぷちだった自民党を見事に立ち直らせてしまったのでその後釜にも国民的人気の高かった安倍晋三氏が後継につくこととなってしまいました。
もうそこからはあまり語る必要もありませんが安倍氏以降の日本の首相は、福田康夫氏は多少微妙ですが、どれだけ知名度が合って国民受けがいいかの基準でもってしか選ばれず、言ってしまえばそれ以外の面にについては全くと言っていいほど問われる事がありません。麻生太郎氏に至っては明らかに政治家としての資質が非常に疑わしかった人物にもかかわらず自民党は総裁に立て、案の定その資質のなさから自民党を本当の意味で壊してくれました。
その麻生氏を選挙で下した民主党からは鳩山由紀夫氏が出て首相となりましたが、こちらの在任中は惨たるもので、政権末期には思わず「どうしてこうなった……」と言いたくなるような状況でした。この鳩山氏も麻生氏と同じく政治家としての資質、というよりも毎年1500万円も母親から金をもらっていながら知らぬ存ぜぬと言い張る辺りかねてから一般人として見ても相当に疑わしい資質の人間ではありましたが、そんな人間でも首相になってしまっています。まぁこの人について言えばその金の力でなれたんだろうけど。
そんな鳩山前首相の後継が今の菅直人首相ですが、こちらも私の目からするとかつての「O-157カイワレ原因説」を過去に不用意に口にしているなど、やはり政治家としての資質に疑わしい点が多い人選だという気がします。もちろん他に首相を張れる様な政治家が現在いないというのも原因かもしれませんが、それにしたって知名度以外にももう少し選ぶ基準という物がある気がします。また知名度や国民受けがいいというだけで首相が選ばれるというのであれば、その時点で「選挙のための政治」というより他がない状態でしょう。
かつての派閥の力関係で首相が決まる自民党のやり方が正しいと私はいうつもりはありません。ただ知名度だけで選ばれるという今の状況よりは、以前のやり方のほうが確実にマシだったとは主張します。またこうした議論となるとすぐ「首相公選制」の導入が叫ばれますが、首相公選制ではますます知名度だけで決まりかねないために私は反対です。
さらに苦言を呈すと、日本国民も知らず知らずのうちに知名度だけで首相が選ばれる事に慣れてしまっている気がこのところします。ちょっと前に菅氏の後には誰が来るのかという論評をどっかのメディアが行い、仕分けで名を挙げた蓮舫氏を挙げたらそれに対してネット上でいくらなんでもそれはありえないなどと反応が起こり、なんだかんだ言って盛り上がっていたのを見たことがあります。
別に蓮舫氏が悪いと言うつもりはさらさらありませんが、そのネット上の反応を含めて彼女がどのような政策案を持ってこれまでどのようなスタンスを取ってきたかについて言及がなく、ただ仕分けについてだけでしか議論がなかったのをみて私には物足りなさをどうにも感じました。中には蓮舫氏が台湾系日本人だからという意見を言う人もいたけど。
じゃあ私は誰なら首相にいいかといえば、この際日本のためにまともにやってくれる人なら男性だろうが女性だろうが、少年だろうが年寄りだろうが、なんだったら外国人であっても構わないという考えをしています。そもそも戦後の日本で最も偉大な政治家を挙げるとしたら、いつもダグラス・マッカーサーを挙げてる位だし。
話は昔に遡って戦後から平成に至るまで首相はどう決まっていたのかですが、この頃は数の力というか、自民党内の派閥の人数が首相を決める上で大きな指標となりました。それでも佐藤栄作の頃までは前任者が在任中に暗に後継者を指名するような形で決まっていましたが、田中角栄が首相になったあたりからは派閥を構成する力こと資金力が徐々に物をいうようになって行き、竹下登内閣でのリクルート事件発覚を受けてこうした金権政治に対して国民の倦んでいったような印象を覚えます。
その後自民党の下野や社会党との村山富一連立内閣を経て橋本龍太郎内閣に至り、また元の自民党政治こと派閥で大勢が決まる政治体制に戻りかけたのですが、小渕敬三の急逝を受けてこの流れが大きく変わることとなりました。小渕敬三の後はこれまた派閥の兼ね合いから密室の談合を経て森喜朗氏が首相となったわけですが、これがまた結果が悪くかつてないほどの支持率を受けて当時はリアルに自民党は次の選挙でまた下野するだろうとみんな考えていました。そんな世論を自民党側もよく理解しており、ここで最大の奇手こと、従来の価値観からすると最も首相から遠いと思われていた小泉純一郎氏を総裁とすることでこの危機を見事に脱す事に成功しました。
ここまでいえば分かると思いますが、日本の首相が国民受けがいいかどうかで決まるようになったのはまず間違いなく小泉内閣からです。ただ仮にこの小泉内閣が失敗していればこの動きはその後も続かなかったのかもしれませんが、皮肉な事に小泉内閣ががけっぷちだった自民党を見事に立ち直らせてしまったのでその後釜にも国民的人気の高かった安倍晋三氏が後継につくこととなってしまいました。
もうそこからはあまり語る必要もありませんが安倍氏以降の日本の首相は、福田康夫氏は多少微妙ですが、どれだけ知名度が合って国民受けがいいかの基準でもってしか選ばれず、言ってしまえばそれ以外の面にについては全くと言っていいほど問われる事がありません。麻生太郎氏に至っては明らかに政治家としての資質が非常に疑わしかった人物にもかかわらず自民党は総裁に立て、案の定その資質のなさから自民党を本当の意味で壊してくれました。
その麻生氏を選挙で下した民主党からは鳩山由紀夫氏が出て首相となりましたが、こちらの在任中は惨たるもので、政権末期には思わず「どうしてこうなった……」と言いたくなるような状況でした。この鳩山氏も麻生氏と同じく政治家としての資質、というよりも毎年1500万円も母親から金をもらっていながら知らぬ存ぜぬと言い張る辺りかねてから一般人として見ても相当に疑わしい資質の人間ではありましたが、そんな人間でも首相になってしまっています。まぁこの人について言えばその金の力でなれたんだろうけど。
そんな鳩山前首相の後継が今の菅直人首相ですが、こちらも私の目からするとかつての「O-157カイワレ原因説」を過去に不用意に口にしているなど、やはり政治家としての資質に疑わしい点が多い人選だという気がします。もちろん他に首相を張れる様な政治家が現在いないというのも原因かもしれませんが、それにしたって知名度以外にももう少し選ぶ基準という物がある気がします。また知名度や国民受けがいいというだけで首相が選ばれるというのであれば、その時点で「選挙のための政治」というより他がない状態でしょう。
かつての派閥の力関係で首相が決まる自民党のやり方が正しいと私はいうつもりはありません。ただ知名度だけで選ばれるという今の状況よりは、以前のやり方のほうが確実にマシだったとは主張します。またこうした議論となるとすぐ「首相公選制」の導入が叫ばれますが、首相公選制ではますます知名度だけで決まりかねないために私は反対です。
さらに苦言を呈すと、日本国民も知らず知らずのうちに知名度だけで首相が選ばれる事に慣れてしまっている気がこのところします。ちょっと前に菅氏の後には誰が来るのかという論評をどっかのメディアが行い、仕分けで名を挙げた蓮舫氏を挙げたらそれに対してネット上でいくらなんでもそれはありえないなどと反応が起こり、なんだかんだ言って盛り上がっていたのを見たことがあります。
別に蓮舫氏が悪いと言うつもりはさらさらありませんが、そのネット上の反応を含めて彼女がどのような政策案を持ってこれまでどのようなスタンスを取ってきたかについて言及がなく、ただ仕分けについてだけでしか議論がなかったのをみて私には物足りなさをどうにも感じました。中には蓮舫氏が台湾系日本人だからという意見を言う人もいたけど。
じゃあ私は誰なら首相にいいかといえば、この際日本のためにまともにやってくれる人なら男性だろうが女性だろうが、少年だろうが年寄りだろうが、なんだったら外国人であっても構わないという考えをしています。そもそも戦後の日本で最も偉大な政治家を挙げるとしたら、いつもダグラス・マッカーサーを挙げてる位だし。
2010年8月9日月曜日
エコカー補助終了について
経済ナビ:エコカー補助9月終了 景気回復に影響も メーカー各社減産検討(毎日新聞)
麻生政権の頃に実施されたエコカー購入補助が今年九月に終了するということで、このところ自動車の駆け込み需要や景気への先行き不安といったニュースをよく見ます。このエコカー補助が始められた理由は環境保護や景気対策といえば聞こえはいいですが、始まった当初に中部大学の武田邦彦氏が、
「このエコカー減税やら補助は結局は車を買う人間にしか恩恵がなく、車を買わない、もしくは買えない人間の方からすると取られた税金が一方的に使われる制度で不公平極まりない」
と主張していました。
この武田氏の主張に私も同調し、うちの親父から「ダイハツのコペン買いなよ( ・∀・)←自分が乗りたい」と再三誘いをかけられたものの、奪う側でいるよりは奪われる側にいようと思って拒否し続けました。まぁそれ以前に貯金がなかったのが原因だけど。
またこのエコカー補助ですが、名前こそ「エコカー」であるもののそもそも現在日本で販売されている新車はどれも燃費性能が高く、一部のスポーツカーを除くと大体が補助や減税の対象となっております。確かに古い車から買い換えるのであれば燃費性能が上がって環境にもいいかもしれませんがわざわざ税金を使ってまで一挙に買い替えを勧めるべきかといったら私はそこまで優先順位は高くなく、むしろ介護や医療といった逼迫している分野へ投資する方が未来があったのではないかと思います。
また景気対策として考えてみても、確かに自動車産業は裾野が広い産業ではあるものの、どうしてこの業種にのみ購買補助が行われたのかについて公平さがありません。言ってしまえば自動車とは関係ない繊維や不動産、IT関係には一切お金が配られないのに対し、自動車産業だけは税金からお金が配られたという事で、こりゃやっぱり政治的な力関係で決まってしまったとしか思えません。
そんな感じで初めから気に入らなかったこの制度もようやく終わるそうですが、何気に自動車産業はこれから物凄い再編が行われるような気がします。というのも今後はハイブリッドエンジンに変わってモーターこと電気自動車がますます増えて普及していく事が予想されるのですが、仮にそうなった場合に劇的な産業転換が行われる必要があります。
あくまで私個人という素人の意見ですが、聞く所によると自動車部品で重きをなすのはやはりエンジン周りの部品だそうで、その部品点数も複雑な構造ゆえか非常に数が多くて自動車産業に属す企業の中でもエンジンパーツのメーカーが相当の割合を占めているそうです。
これに対して電気自動車の動力となるモーターは非常に簡単な構造をしており、組み立てに必要な部品もエンジンに比べるとはるかに少ない点数で間に合ってしまうそうです。電気自動車で今後重要になってくるのは一にも二にも電池部ですが、動力がエンジンからモーターに移り変わるだけで現在自動車産業に属す中の相当数の企業が廃業か転進を迫られる事になるかと思います。
そういう風に先を見越すと、影響を受けそうな部品メーカーは下手に延命させるよりも早くに産業転換を図っていかなければならない気がします。まぁ電気自動車が普及しなけりゃそれまでだけど。
麻生政権の頃に実施されたエコカー購入補助が今年九月に終了するということで、このところ自動車の駆け込み需要や景気への先行き不安といったニュースをよく見ます。このエコカー補助が始められた理由は環境保護や景気対策といえば聞こえはいいですが、始まった当初に中部大学の武田邦彦氏が、
「このエコカー減税やら補助は結局は車を買う人間にしか恩恵がなく、車を買わない、もしくは買えない人間の方からすると取られた税金が一方的に使われる制度で不公平極まりない」
と主張していました。
この武田氏の主張に私も同調し、うちの親父から「ダイハツのコペン買いなよ( ・∀・)←自分が乗りたい」と再三誘いをかけられたものの、奪う側でいるよりは奪われる側にいようと思って拒否し続けました。まぁそれ以前に貯金がなかったのが原因だけど。
またこのエコカー補助ですが、名前こそ「エコカー」であるもののそもそも現在日本で販売されている新車はどれも燃費性能が高く、一部のスポーツカーを除くと大体が補助や減税の対象となっております。確かに古い車から買い換えるのであれば燃費性能が上がって環境にもいいかもしれませんがわざわざ税金を使ってまで一挙に買い替えを勧めるべきかといったら私はそこまで優先順位は高くなく、むしろ介護や医療といった逼迫している分野へ投資する方が未来があったのではないかと思います。
また景気対策として考えてみても、確かに自動車産業は裾野が広い産業ではあるものの、どうしてこの業種にのみ購買補助が行われたのかについて公平さがありません。言ってしまえば自動車とは関係ない繊維や不動産、IT関係には一切お金が配られないのに対し、自動車産業だけは税金からお金が配られたという事で、こりゃやっぱり政治的な力関係で決まってしまったとしか思えません。
そんな感じで初めから気に入らなかったこの制度もようやく終わるそうですが、何気に自動車産業はこれから物凄い再編が行われるような気がします。というのも今後はハイブリッドエンジンに変わってモーターこと電気自動車がますます増えて普及していく事が予想されるのですが、仮にそうなった場合に劇的な産業転換が行われる必要があります。
あくまで私個人という素人の意見ですが、聞く所によると自動車部品で重きをなすのはやはりエンジン周りの部品だそうで、その部品点数も複雑な構造ゆえか非常に数が多くて自動車産業に属す企業の中でもエンジンパーツのメーカーが相当の割合を占めているそうです。
これに対して電気自動車の動力となるモーターは非常に簡単な構造をしており、組み立てに必要な部品もエンジンに比べるとはるかに少ない点数で間に合ってしまうそうです。電気自動車で今後重要になってくるのは一にも二にも電池部ですが、動力がエンジンからモーターに移り変わるだけで現在自動車産業に属す中の相当数の企業が廃業か転進を迫られる事になるかと思います。
そういう風に先を見越すと、影響を受けそうな部品メーカーは下手に延命させるよりも早くに産業転換を図っていかなければならない気がします。まぁ電気自動車が普及しなけりゃそれまでだけど。
2010年8月6日金曜日
最近のニュースの雑感
昨日はまたもやる気が出ずにブログ更新をサボってしまいました。私は中国に留学中も他の生徒がしょっちゅうズル休みをするのに対して始業から毎日遅刻もせずに授業に出席していたのですが、ある日寝坊をしてしまい一年間の授業でたった一日だけ遅刻をすると、その日教室入るなり教師生徒揃って大爆笑されました。このブログも他の方のブログと比べると更新数が異常に多いため、人によっては休んだりすると「あれっΣ(゚Д゚;)」っと思われてるかもしれません。
さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。
そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。
首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。
杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。
元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。
さてそういうわけで休み明けの今日ですが、今日は関東地方は雲が多くて久々に朝方に涼しさを感じられて夜になった今も昨日と比べると俄然元気です。最近やけに体がだるいのは間違いなく今年の猛暑のせいでしょうが、今年の夏は私が今まで生きてきた中で一番暑いんじゃないかと思うくらい嫌になります。アイスランドの火山や桜島が噴火しているので噴煙の影響を受けて今年は冷夏になると予想していたのですが、一体何がどう間違えてこんだけ暑くなったのかNHKの半井さんに詳しく問い詰めてみたいです。
そろそろ記事の本題に移りますが、このところ興味を惹くものの一本の記事に仕上げるにまで至らないニュースが多いので、今日はちょっといつもと趣向を変えて各ニュースを紹介しながらそれぞれに私の意見を載せて行く事にします。
首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制(産経新聞)
8/6の広島原爆の日を迎えた今日の会見で菅首相は非核三原則を堅持する重要性を訴えつつも、核兵器や大量破壊兵器の流出が相次ぐ今の時代において、特に北朝鮮の核開発問題への対策としてアメリカの「核の傘」に入る「核抑止力」の必要性を主張しました。
発言の内容自体は核不拡散を訴える日本の立場を堅持するとともに現実路線に則ったものでおかしなものではなく、むしろ理想ばかり追っかけずに最低限必要なことは言うのだなと思える内容なのですが、今日たまたま正午のNHKニュースでこの会見を見ていたのですが、菅首相は見事なくらいに手元を見ながら朗読をし続けていました。多分最後の、「~と思います」くらいしかオリジナルの発言はなかったんじゃないかな。小学生でももう少し前向いて台本どおりに喋るぞ。
別に悪い事じゃないけど、外務省作成のペーパー通りにしか発言が出来ない首相というのもどんなものかと。ちなみにペーパーというと官僚の言うことを聞かないため自分勝手に話す小泉元首相、渡されても漢字が読めない麻生元首相など、最近は人によって傾向が変わってきてますが。
杉並の都内最高齢女性不明:杉並区、100歳以上面談調査へ /東京(毎日新聞)
日本で二番目に長寿とされた男性が実は30年以上前に死んでいたという事件を受けて全国各地で一挙に調査が始まり、あれよあれよと高齢行方不明者が日本であふれ出る事となりました。ちょっと無理矢理な関連付けかもしれませんが7月の文芸春秋にてある海堂尊氏が、日本は死者の死因特定をあまりやりたがらず事件性のあるもの、ない物を含めて非常にいびつで怪しい診断が多いとし、今では簡単に調べられるCTでも大部分の死因特定が出来るようになったのだからもっと死因特定を行って研究するべきだという記事を寄せてました。
図らずも今回のこの一件で日本は医療の現場のみならず行政上でも死者の扱いがいびつな状態にあることが分かりった訳ですが、今回の件は年金横領の疑いもあることで見ている国民もピリピリしており、この際徹底的に特定と対策を行わねば後に大きな禍根を残す事になることは予想に難くありません。長妻厚生大臣は高齢者を全部調査したら膨大な作業になるとして110歳以上に限って調査をすると発表しましたが、今回死んでいたことが明らかになった方は80歳頃に死んでいたことを考えるとこの110歳という区切り方はいまいち納得が出来ません。第一、高齢者であれば大半は何かしら医者にかかる年齢なので、この二、三年の間に健康保険を使用しているかどうかを調べるだけで大多数の生存確認ができる事を考えると、長妻大臣の言うように調査に膨大な手間がかかるとは私には思えません。この人ももう官僚に取り込まれたのだろうか。
元交際相手の男に懲役23年=「枠超えた重い刑不相当」―女性殺害、次女連れ去り(時事通信)
上記リンクのニュースは去年に元交際相手の女性を連れ去るために61歳の女性の母親を殺害した被告に対して懲役23年の判決が下りたというニュースですが、この裁判で被告は「もみ合っているうちに首が切れた」と主張するなど何度も刺し傷があったにもかかわらず殺意を否認する発言をした上、元交際相手の女性を連れまわしたことも合意の上だと話すなど全く事件について反省がないにもかかわらず有期刑となっています。私はこの事件でいくらなんでも有期刑というのはどう考えても低すぎ、出来るなら死刑、最低でも無期懲役とするべきだと思うのですが、千葉の裁判所はどうもよその事件との兼ね合いの方が重要に考えるようです。こういった面を含めて、司法改革が今一番日本にとって大事なんじゃないかと感じるのですが。
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