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2011年2月4日金曜日

K先生の授業

 昨日書いた「発言に対する制裁」の記事の中で私は、よく日本人は没個性的であまり独自の意見を持たないという風にも言われますがそうではなく、個々人でそれぞれ意見を持っていながらも発言や主張をすると制裁を受けやすい日本の社会性ゆえに日本人はそれをあまり出そうとしないのではという意見を主張しました。私が何故このような考え方を持つに至ったかについて、今日はその理由となったK先生の授業について思い出話をしようと思います。

 K先生というのは私の大学に来ていた外部講師で、関西の私大を中心に結構いろんなところで現在も講義を行っております。詳しい来歴についてはここでは書きませんがとにもかくにも顔が広い人間で、関西の経済学系の教授名を出せば大抵はどんな人物で業績があるかすぐに答えられるほどでした。
 私がK先生の授業を初めて受けたのは二回生の頃でしたが、そのK先生の授業は二コマ続きの計180分授業で、授業時間の長さが嫌われてか私の周りではそれほど一緒に受けようという学生はいませんでした。

 そんなK先生の授業ですが、具体的にどのようなことをしたのかというとまず最初の一コマ目の授業では教科書として指定されている本をいくつかに分割し、担当の学生が割り当てられた箇所をレジメなどを利用して内容を解説します。そしてその解説に対してK先生がいくらかの補足をして一コマ目を終え、続く二コマ目においては解説された箇所に対して授業に参加している学生それぞれが持った感想を発表するというような具合で毎週進行していました。
 この授業で肝心だったのは言うまでもなく二コマ目で、通常意見や感想発表ともなると挙手による指名制なのですがこの授業ではなんと端っこの学生から順番に一人ずつ、完全に強制で何かしら意見を言わされていました。あらかじめ全員発表されるとわかっているのでそれほど熱心でない学生も何かしら言おうと、ほかの人が意見を言っている間に自分の意見を考えさせられて主張させられるような授業でした。

 この意見発表を行う二コマ目ですが、実は当初は私も警戒をしていました。別に何かしら意見を作って発表するのは苦手でもなんでもないのですが教科書を指定してきているのはK先生だし、下手に本に書かれた内容を否定したらあまりいい感情を持たれないだろうと思い、わざわざ喧嘩してまで意見を言う場所ではないと思って当初は当たり障りのない意見をお飾り程度に発表してました。しかしこの授業を二度三度受け続けているうちに、学生が発表する意見に対してK先生が何も言わないことに気づきました。
 学生の意見に対して意見の中に出てきた事項の周辺情報を補足することはあっても、学生の意見それ自身に対しては否定も肯定もK先生は一切していませんでした。授業を受けているうちにこのことに気がついた私は、案外この先生なら何言ったところで許してもらえるかもしれないと思ってその日から本当に思ったこととして、解説の終わった後に下記のような発言を行いました。

「言っては何ですがこの本の作者は悪い人じゃないんだろうけど、なんか考え方に偏りがあるというか主張に現実味がないような気がします」

 もちろんこの日も、K先生は私に対して何も言いませんでした。

 するとこのようなK先生の態度にほかの学生も徐々に気がついてきたのか、私以外にも結構激しい主張をしたりほかの人の意見に対して鋭い質問を行ったりと、段々と授業内で活発な議論が起こるようになって来ました。それこそ最初の授業の方ではせいぜい単位をとるくらいにしかやる気が見えず遅刻も多かったほかの学生も、終盤になってくると「この人はこんな意見を持っていたのか」と思うような面白い意見を出してくるようになったりして、授業後も親交を持つ仲になった学生も何人かおります。

 そんな具合で学期最後の授業を終えて記述式のテスト日、ほかの先生にはしたことはありませんがこのK先生に対しては答案提出後に深々と頭を下げて授業のお礼まで言いました。あとどうでもいいですがこの日このテスト前に教室前で待ってたところ、教室番号の確認のために声をかけてきたのが今も親交が続く一学年下の友人です。あまりに顔が老けてるから最初は年下だと思わなかったし。
 こうしてK先生の最初の授業は終えたのですが、その後単位にはならないとわかりつつも三回生、四回生時にも同じK先生の授業を受け続け、都合三年間もK先生からいろいろ教えを乞いて現在においても時折メールを交換する程度に親交を続けております。授業内容は二回生、三回生時はほとんど同じで四回生時には教科書も変わった事からそれまでと大幅に内容が代わりましたが、授業に参加する学生は私を除いてどれも別々で意見もまた人によって変わるためにそれほど退屈することはありせんでした。

 確か三回生の終わり頃、直接K先生に対してどうしてこのような授業方法を行うのか聞いてみたことがあります。するとK先生は中にはやっぱり生意気だと思う学生の意見もあるそうですがそれを敢えて何も言わずに好きに発言させ続けていると、自然と学生自身が問題に対していろいろ考えるようになって面白い意見を言い出すようになるのだと答えてくれました。このK先生の意見を聞いて私自身も深く納得するとともに、学生から意見を引き出すには沈黙は金なのだななどと考えました。
 それ以降、私もK先生を見習って後輩を指導する際には後輩の出す意見に対してそれが明らかに間違っているとわかっている意見だとしても、最初の段階では強く否定することは控えるようになりました。そうは言っても私はよく人から、「プレッシャーが半端じゃない」、「意見を求められるのが恐い」などと言われてしまいますが。

 ちなみに前ブログの「陽月秘話」における労働関係の話のほとんどはこの時に受けたK先生の授業内容がベースとなっております。今回このK先生の授業のことを書こうと思ったのは日本人が意見を発言することについて思うのを解説するのと同時に、たまたま中国に来る前に四回生時のK先生の授業で一緒だった友人と久しぶりに会話したことがきっかけでした。その友人は控えめに言っても頭の回る友人で、高い志を持てばそれに見合う環境を得、それに見合う友人も得られるのだと考えております。

2011年2月3日木曜日

発言に対する制裁

 私と会った方の私に対する第一印象は十中八九、「大人しそうで真面目そう」という印象でしょう。その一方、私と親しくしている友人に私の人物像を尋ねるとこちらも十中八九、「考え方が突飛でやや過激」というような内容に終始するかと思います。
 私の地の性格はともかく、私の見かけは人に聞くとやはり「大人しそう」に見えるそうです。それだけに知り合ったばかりの人間とは徐々に話をしていく中で、「こんな人だとは思わなかった」と、褒められてるのか貶されているのかよくわからない感想が度々聞かされ、挙句の果てにはインド旅行の際にインド人占い師に、「あなたは見かけで誤解されることが非常に多い」などとお墨付きまでもらう始末です。

 そのため集団の中にいると最初はよく黙ってただ従っているような人間に私は思われるのですが、面従腹背のつもりは始めからないものの空気を敢えて読まずしょっちゅう文句や意見を言うので人によっては次第に煙たがられていきます。ただそれでも日本人は意見をあまりにも言わな過ぎてその価値を落としているとかねてから信じているのもあり、自分が正しいと思ったことについては敢えて発言するように日ごろから心がけています。

 そんな自分と比して、一般の日本人はあまり公に強く意見を主張しない民族だと自分たちでも自認している様に見えます。そういう中で言えば文句の多い私は異端といえば異端でしょうが、ほかの日本人は意見を主張しないものの内心ではきちんと人それぞれ意見を持っているのではないかと私は考えており、意見を言う言わないはその人を取り囲む環境が左右しているだけなのではないかと見ています。
 たまに日本人は意見をあまり主張しないために朱に交われば赤くなる、大きな意見に迎合しやすいなどという意見を聞きますが、私はこれは率直に言って間違いだと思います。あまり引っ張らずに結論を述べると日本人が意見をあまり主張しないのは本人らが意見を持っていないのではなく、意見を主張した際に待ち受ける制裁を強く意識しているからだと私は考えており、これを私は勝手に「二重の暗黙の掟」と読んでおります。

 通常の意味での「暗黙の掟」というのは皆言わずとも認識されている規定やルールのことを指しますが、私の主張する「二重の暗黙の掟」にはこれに加え、何があっても意見を主張せずに暗黙を突き通さねばならないというルール内容を含んでおります。
 一体これはどういうことかというと、今に始まるわけじゃありませんが日本社会は今の自民、民主の政治ともども何事も結論ありきで行動や指針が決められることが多いです。そのため日本で行われる会議は割とあらかじめ決められた結論に対して承認するだけというのが多いのですが、そういった場面で意見を主張するのは基本的に決められた結論に対して反対ということになり、当然結論を考えた人からするとあまり楽しくはなく主張者は目をつけられることになるのが既定でしょう。

 自分がこの日本の会議における問題が相当根が深いなと感じるのは、こういったことが中学高校レベル、場合によっては小学校の学級会レベルでも行われており、新意見を提案すること自体が身の危険を招くと考え、内心では別意見を持っていてもそれが賛同されるか反対されるかは別としても結局その意見を主張せずに押し黙っていたという経験は日本人なら誰もがあると思います。文句言いの私ですらさすがにここはまずいと思って何も言わないことだってあるんだし。

 これは逆を言えば、意見を主張したところで何も制裁が起こらないという安心感さえもてれば日本人は意見を主張するようになるということになります。そんなことが実際に起こるのかと思う方もいるかもしれませんが、私自身も驚きましたがある大学の授業にてそのような場面を目撃した経験があります。その授業については次回から詳しく紹介しようと思いますが、意見を募集する会議などで何も意見が集まらない場合、その会議では発言に対する制裁への恐怖感をほぼ間違いなく会議参加者が持っていると考えていいと思います。その場合会議主催者は意見が集まらないことを会議参加者が何も意見を持っていないと考えるのではなく、サクラでもなんでも使うなりして会議主催者はまずその制裁への恐怖感を取ることを第一に考えるべきでしょう。

残飯について

 先日日本の自給率について記事を書きましたがその中で日本は食べ残しこと食品の廃棄率が高いことに触れ、仮に日本人がすべて食べ残しをなくしたら現時点で自給率は15%ほど上昇し、農水省の目標とする自給率を達成すると記述しました。この食品廃棄こと食品ロスについてですが、聞くところによると日本で一番多くの食べ残しを生んでいるのはほかでもなく結婚式だそうです。

 記憶が曖昧ですが昔テレビか何かで見た統計だと食べ残し量の一位に結婚式が来て、確かその次位に公立学校での給食があったような気がします。何故結婚式が一番食べ残しを生むのかといえばあまり深く考えることではない気もしますがやはりイベントごとであり、足りないよりも余る方がいいということで実際必要量よりも多めに作るのが通常だそうです。また結婚披露宴に限らずこういった催事が行われるホテルは通常でも食品廃棄が多いとも聞きます。

 この残飯について、いい機会なので前に読んだ本で書かれていた内容を一つ紹介します。この話が書かれているのは佐野眞一氏の「新忘れ去られた日本人」で、この本は毎日新聞で佐野氏が連載していた一人一話形式のコラムを集めた本でいろいろと興味深い人物らが載っており、消え行く業界紙の中でただ一人の人間によって編集が続けられていた蒟蒻新聞の話など佐野氏らしい微に入り細に入りな取材が各ルポごとに行われております。その中で私の興味を引いたというか読み終わった後もなんとなく覚え続けた話というのが今日の残飯に関する話で、佐野氏が東京都内の残飯回収業者の方を取材した話です。

 生憎手元に原書もなくその残飯回収業者の方の名前は失念してしまったのですが、佐野氏の取材に対してその業者の方は、

「残飯と一口で言ってもいい残飯と悪い残飯がある。肉類や野菜類まできちんと分けられて捨てられる残飯もあれば宴会で出されていたまま紙などほかのごみと混ぜ合わされて出される残飯もあり、同じ扱いをすることは出来ない」

 基本的に集められた残飯は牛や豚といった家畜の餌として販売されるのですが残飯の種類によってはそうそう満足売ることも出来ず、そういった上でその業者の方は佐野氏によると「皮肉たっぷり」に、ホテルの宴会で騒ぐ若い女性らの裏ではこういった残飯が数多く生まれているなどと話したそうです。

 私は何も残飯をすべて根絶しろとまでは言いませんが、出るものは仕方がないとしてそれを再利用するためには最善を尽くすべきだと思います。それこそちょっとした工夫で家畜用の餌や農場の肥料として使えるのなら、そういった廃棄方法ももう少し検討して見るのも手かもしれません。

2011年2月2日水曜日

中国の歴史参考書に出てくる日本人

 今日は中国の大晦日に当たる日で、先ほどから戦地かと思うくらいあちこちで爆竹の音が鳴り響いております。一応住んでいるのは都市部で規制があるからあまり派手なことは出来ないと中国人らからは聞いてはいるのですが、それでも結構驚くような音が聞こえてきたりして、農村とかだととんでもない量の爆竹を鳴らすそうですから日本人の静かな正月の感覚からすると隔世の感があります。

 すでに私の会社は昨日から正月休みに入っており、昨日はちょっと都市中心部に出かけてバーガーキングで昼食取ったりと優雅に過ごしました。昼食の最中に先日お袋から送ってもらった文芸春秋を読んでいたら隣にいた中国人男女二人組が私を日本人だと思い声をかけてきてしばらく雑談をしましたが、これに限るわけじゃないですが本当に中国語は相手によって通じる通じないがはっきり別れる言語だと感じます。
 その時に話をした相手は私と比較的年も近くしっかりと教育を受けていそうな感じがしてそれほど会話に苦労はしなかったのですが、現在いる会社内だと地方から来ている人もいて、場合によっては私の発音だと全く通じない(聞いてるこっちは多少はわかるが、それでもほとんど聞き取れない)人もおり、特に私は北京で中国語を学んだこともあって南方に属する現在の居住地域だとしょっちゅう、「ごめん、北方語で聞き取り辛い」と言われたりします。こっちに来る前から恐らくこういう事態になるだろうなという気はしてましたが、めげずに南方の発音もしゃべれるようにとまでは行かずとも聞き取れるようになれればとこのところ願ってます。

 そうした個人的な中国事情はさておき、昨日そうやって街中を歩いた際に寄った本屋にて、中国の高校生向け歴史参考書を購入しました。前から中国の歴史教育はどのような内容なのか興味があったのですが、なんかどこいってもおいてある参考書は問題集ばかりで、日本の「日本史 一目でわかる○○解説」見たいな予備校講師が出版しているような項目ごとの解説本をなかなか見つけられずにいたのですが、昨日行った本屋(新華書店)ではうまい具合にさらっとまとめていてくれる解説本を見つけることが出来ました。
 もちろん文芸春秋も読み終わっていない昨日今日で中国語のこの本を読みきることは出来ていないのですが、ちょっと今日紹介がてらにこの参考書に出てくる日本人名だけをちょっと調べて見ました。

 結論を述べるとこの参考書に出てくる日本人名は明治天皇と田中角栄の二人だけでした。明治天皇については明治維新を指導し日本を資本主義、軍事封建的帝国主義の国に変えたと人物だとして、田中角栄については日中国交正常化を実現させた人物で世界とアジアの平和と発展に貢献したと書かれております。
 中国人の明治天皇の評価については以前の陽月秘話の記事でも取り上げましたが、日本人からすれば「神輿の上の人物」であって、ちょっとこの評価は違うんじゃないかなぁとという気はしますが無理もないところで、田中角栄は外交史的には中国にとって出てきてもおかしくはない人物です。逆にこの二人以外でほかに中国が取り上げるべき人物といったら後は昭和天皇とくらいですし、まぁ無難なチョイスなんじゃないかと思います。

 それにしてもこの参考書、教科書は違うのかもしれませんがざらっと見る限りですと日本みたいに昔から現代へ編年体のようにして徐々に教えていくのではなく、なんか時代順序ばらばらでトピックごとに解説がされています。社会主義の発展の順番とか現代の科学技術の進歩、世界情勢の成り立ちなど、出来ることなら歴史の授業風景も直接見て見たいものです。
 あと読んでて気になる点として、西欧人の名前も全部漢字に変えられててなかなか判読し辛いです。折角だからこれも一部紹介すると、

・馬克思=マルクス
・甘地ーガンディー
・猛徳斯鳩=モンテスキュー
・亜力士多徳=アリストテレス
・斯大林=スターリン

 スターリンについては一行目にて、「偉大なマルクス・レーニン主義者」と書かれております。レーニンはスターリンを後継者にしてはならないと遺言していたのを知っての記述なのか編集者に聞いてみたいものです。

2011年2月1日火曜日

書評:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率

 私は以前のブログの陽月秘話にて度々日本の農業問題を取り上げては現在の自給率をどうにかして向上させなければならないと主張してきましたが、実はそうやって主張をする一方で日本の自給率は本当に問題なのかという疑問が常にもたげていました。一体何故そんな疑問を持ち続けたのかというと一つの原因は堺屋太一氏の主張で、戦後初期に日本は土地という土地でサツマイモを植えていたにもかかわらず食料に不足したのだから国内の作物だけで時給がまかなえるはずもなくどの道輸出に頼らなければならないという主張と、そもそもの自給率の根拠となるカロリーベースという計算方法が信用性を持つのかという疑問があったからです。日本の自給率はカロリーベースで計算されていると聞いていたのですが、詳しい計算方法は知らなかったまでもカロリーで計算するのであれば諸々の条件ですぐ結果は変わるのでは、たとえば野菜などはカロリーが低いですがサツマイモや米だと比較的カロリーが高く、作る作物の種類によって容易に変動しうるのではないかと前々から感じていました。

 こうした疑問にすべて答えてくれたのが、今日紹介する「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」という本です。

・日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率(講談社プラスアルファ新書)

 この本は中国に来る前に買って読んできたのですが、なかなかに衝撃的な内容で農業行政に対する価値観を一変させられました。
 まず先ほどの自給率についてですが、著者の浅川氏によると先ほどのカロリーベースで自給率を算出しているのは実は日本だけだそうで、他国は生産額ベースというやり方で自給率を算出しているのですがそれぞれの計算方法をWikipediaから引用すると、

・カロリーベース総合食料自給率
国民1人1日当たりの国内生産カロリー÷国民1人1日当たりの供給カロリー
※なお、国民1人1日当たりの供給カロリーとは国産供給カロリー+輸入供給カロリー+ロス廃棄カロリーの合計である。

・生産額ベース総合食料自給率
国内の食料総生産額÷国内で消費する食料の総生産額
※生産額=価格×生産量で個別の品目の生産額を算出し、足し上げて一国の食料生産額を求める。


 両者を大まかに説明すると、カロリーベースは国内で生産されるカロリーを国民一人が一日に必要なカロリーで割って算出します。生産額ベースは国内で生産される作物の金銭的価値の合計に対し消費される作物の金銭的価値で割るという、いうなれば食料の輸入割合を調べるようなやり方です。
 浅川氏によると、そもそもカロリーベースで自給率を算出する価値はほとんどないそうです。その理由をいくつか挙げると、

・仮に食糧の輸入をすべてストップすれば国内でいくら餓死者が出ようとも自給率は100%になってしまう
・現時点で日本の食料廃棄率は高く、仮に残さず余さず食べて廃棄率を0にすれば日本の自給率は15%前後上昇する(40%→55%)

 上記のような理由に加え、私が懸念したように作る作物の種類によってもカロリーベース自給率は大きく変動するそうです。それこそ現在野菜を作っている土地で米を作れば野菜と米のそもそものカロリー数の違いによって自給率は向上するのですが、農水省は片方では自給率の低さを問題視し対策を主張する一方、自給率を下げかねない減反政策を取っていることを浅川氏は激しく批判しております。その上で浅川氏は農水省が何故日本が世界で唯一カロリーベースで自給率を計算しているかという理由について、敢えて低く見せることで国民を煽り、自給率対策の予算を獲得するためではないかと指摘しています。

 こうした自給率の問題に加えこの本では今話題となっている民主党の農家への個別補償政策も批判しており、日本の農家の大部分は自産自消、つまり自分で作った作物を家族や近所間で消費するだけで市場に出さない農家ばかりでこうした農家に所得を補償しても生産量の向上につながらないばかりか、非効率な経営で所得補償を受ける農家が続出すると市場に流入する作物が増えて価格が下がり、現在利益を上げている経営効率のよい農家や農業法人が赤字化する可能性があるとも述べて批判しています。
 実際に私もこれには思い当たる節があり、私の友人は家が畑と田んぼを持っているのですが米は買うものじゃなくて作るものだと豪語しており、市場へ販売こそしていないもののいろいろ自分ところで作っているそうで、個別所得保障精度が出来るとそうした農家が形ばかり市場に作物を流して補償金を受け取るケースが続出するのではと指摘しております。

 このほか日本の農業についていろいろ書かれていますが全体を通して浅川氏が主張しているのは、農水省は日本の農業のためといいながら無駄な事業に予算を獲得して使用していることへの批判と、日本の農業は一見すると弱い産業と思われがちだが決してそうではないというこの二点にあると私は判断しました。浅川氏によると日本の農業生産額は世界五位で、輸入制限などで保護しようとすればするほど歪んだ構造となるばかりかすでに効率的な経営で利益を上げている農家の所得が今後は増えず、農水省は自給率100%を目指していますが真の食料行政は100%を越えた後に如何に輸出して外貨を稼ぐかで、守ることよりも攻める重要性を何度も説いています。
 また日本は土地が狭く農業には不向きな土地だと思われがちですが浅川氏は日本は南北に長く伸びた国で、南はサトウキビなど熱帯の作物が作れる一方で北はさくらんぼなど寒冷な土地の作物が作れるという利点があるとし、これに私から付け加えると他国と比して日本は圧倒的な水資源があり、耕作地面積では劣るものの決して農業に恵まれていないわけじゃないとも主張しており、真に農業を産業として育てるつもりであれば農作物の輸入開放が必要であるとも述べられております。

 全般的に読んでてなるほどと思うことが多く読んでて非常にためになった一冊ですが、残念というべきか私にはこの本に書かれている事実が本当かどうか確認する術がありません。実際の農家の声を聞いているわけもなく、また他国の農業政策がどのように行われているのか、日本の実態はどうなのかとすべての面において情報が不足しており、この本のほかの人のレビューを見ていても果たしてどちらが正しいものか判断はしかねます。
 ただこうした農業の実態については工業などと比べて日本はどうも議論が一部の間だけで行われているような印象が以前からあり、この本のように曲がりなりにも一つの主張、根拠が外に向けて発信されたという意味では価値が高いと思います。そういう意味では今後農業を考えるためにもいろんな方がこの方面に情報を発信し、公で議論し合う必要性が高いでしょう。その叩き台にする上で浅川氏のこの本は個人的にはお勧めです。

 中途半端な昼寝に加え真冬なのにダニが出てきてかゆくなったため、なんか筆の悪い記事になりました。


2011年1月31日月曜日

中国のスーパーで見かける食材

 中国の物価は安いため、決して忙しくて自炊する時間が全くないわけではありませんがついつい普段の食事は近くの飲食店で済ましてしまうことが多いです。ちなみに予算はどれくらいかというと私が最も通ってて店員に、「あんた旧正月は日本に帰るの?」って聞かれるくらいに顔まで覚えられた店では大体10~20元(120~240円)位でチャーハンなりラーメンなり一食食べられます。日本食レストランでも、30元も払えばまともな定食が食べられるくらいです。

 とはいえせめて休日くらいは何かしら自分で食事作らないと栄養が偏ると思い一通りの調理道具は買ってはいるのですが、案外一人分を作るとなると食材があまりがちになるのと、借りている部屋はガスコンロではなく電気コンロで火加減が調整し辛い上に備え付けの中華なべがどうすればこれだけ焦がせるんだというくらいにことごとく料理を焦がしてくるので未だまともな調理はしておりません。あまりにも焦げるから別のフライパンを買ったところ、電気コンロに対応(通電しない)してなくて無駄金使ったのもショックだったし。

 ただこの自炊を試行錯誤している間、こっちの食材でどんなものが作れるのかとスーパー内をくまなく回っていろいろとこっちの食材状況については見てきました。まずスーパー内を回ってて気になるというか日本と違うなぁとつくづく感じるのは、そこらかしこで量り売りがなされている点です。野菜、果物屋に行けば日本みたいに各野菜ごとに値札が貼ってあるわけでなく、置いてある中で好きなものを選んで店員に渡し、重量を測ってもらった上で値段が告げられます。普段の私の生活では毎朝一本食べるバナナを購入する際にこの量り売りを利用しますが、一房のバナナから五本だけもぎ取って買う人もいたりして、この辺は案外理に叶ってて日本でやってもいいんじゃないかなという気もしたりします。
 こうした量り売りは野菜だけに限らず、お米などの穀物でも行われております。日本みたいに5kgの袋詰めももちろん売っていますが、私がスーパーで見る限りですとみんなビニールの小袋に必要な分をつめて店員に渡し、重さを測ってもらってバーコードつき値札シールを袋に張ってもらい、レジにて精算をして買っております。ただ所詮はビニールなので、レジによってはやけにお米が床に散乱しているところがあったりするのが中国らしいです。

 あとほかに中国のスーパーで気になる点を挙げると、私が通っているのは比較的大きいショッピングストアのようなスーパーなのですが、食材売り場に行くと何故か水槽がたくさんあります。まだ川魚とかならわからなくもないのですが中を見てみると亀とか金魚とかが入っている水槽もあり、これを買って食べる人がいるのかと思うとちょっと不思議な気分にさせられます。まさかペットとして買うわけじゃなかろうし。

 このほか見ていていろいろ気になるというか鼻につくもので、薫蒸された鴨がまとまってぶら下げられてたり、大まかに切り分けられた豚肉が部位ごとに並べられてたり、日本の感覚だとちょっと目を向け辛い食材が平然と並べられてもいます。またこうした食用肉について日本と大きく異なっていると感じた点として、どうもこっちは日本みたいに骨を切り分けずに骨付きで売ることが一般なようです。
 これは普通にレストランに行って鶏肉の入った料理などを頼んでも、鶏肉自体は一口サイズに切り分けられているものの噛んでてガリガリするというか、細かい骨が必ずといっていいほど入っています。中国人なんかはそういった骨を口に含むと平気で床に吐き捨てますが(私は皿の上に吐く)、日本みたいに骨が一片たりとも入ってない鶏肉はほとんどなく、スーパーで切り分けられている肉も骨付きカルビなんて言わず骨に肉がくっついてるような状態で売られていることが多いです。

 それでは骨なしはないのかと思っていろいろ探して見たのですが、ちょうどとんかつ用サイズで切り分けられた豚肉があったのでこれでステーキでも作ってみようかと思って買ってみたら、骨は確かに混ざってはいなかったものの皮付きで、切り捨てるのもなんかイヤだから結局普通に焼いて皮ごと食べました。感想はやっぱりステーキにするなら骨も皮もいらないやってとこです。

 そのほかで気になった点を羅列すると、

・コンソメの素が売ってない
・スパゲッティは売ってるがスパゲッティ用ソースが見当たらない
・ニチレイの冷凍餃子が売ってる(買って食べた)
・ニコニコのりの味付け海苔が売ってる(買って今度食べる)
・コアラのマーチ、プリッツもある
・カップ焼きそばのUFOはあるが、日本と味が違う
・インスタントコーヒーはたくさんあるが、何故かドリップパック式が見当たらない
・チョコレート類がやけに高い(日本と同じかそれ以上の価格)
・生めんで「京都とんこつラーメン」というものが売られてる

 最後に野菜コーナーで気になったこととして、もしかしたら同じ中国でもほかの地域は違うかもしれませんが、こっちで見かけるたまねぎはみんな紫たまねぎです。紫たまねぎ自体は日本でも見かけていたし一回だけ味噌汁の具材として私も使用しましたが、味噌汁とは色的にかなりミスマッチだと思って結局その一回こっきりとなってしまいました。
 この紫たまねぎのことを先日世間知らずで大学一回生になるまで洋梨を知らず、私が洋梨を剥いてあげたらあの洋梨のくびれを見て、「(洋梨と知らずりんごだと思って)ああ、花園君は皮剥きが苦手なんだな(・∀・)ニヤニヤ」などと失礼なことを想像した友人に話したところ、「紫色したたまねぎなんて、僕は絶対にそんな存在信じない!!( ゚Д゚)」とまで言われたので、ちょっと気合入れて画像を用意しました。



 まぁ確かに茶色に慣れていると少々見た目がアレですが、味自体は一緒だし今度何かの機会に使ってみようかなと考え中です。
 もうひとつ野菜コーナーで気になったというか目についた点として長ねぎが置いてあったので手にとって見てみると、「新鮮やさい」と、このまんま日本語で書かれたテープが巻かれていました。多分ではなく間違いなくあの長ねぎは日本から輸入されたもので、あのテープは農家の出荷時に巻かれたのでしょう。というのも日本は何気にねぎ類の世界生産量第一位で、日本の農業について書く次回の記事へのつなぎとして最後にこのネタを持ってきたわけです。

2011年1月29日土曜日

猛将列伝~鈴木貫太郎

 私は現在中国メーカー製のシャンプーを使っているのですが、使い心地は悪くはないものの今ある分を使い切ったら日本にいた頃から使っているLUXに切り替えようと思っていたところ、旧正月前ということで会社から社員全員へ今私が使っているのと全く同じシャンプーが配られました。ありがとう、総務部長よ。

 この猛将列伝は陽月秘話時代からずっと続く企画記事ですが、当初は中国古代史の武将を取り上げるだけ取り上げてすぐ終わりかと思っていたところ現在に至るまで続いてて書いてる本人もビックリな企画記事です。内容にもそこそこ自信があり、陽月秘話時代ではあまりよそでは取り上げられない宮崎繁三郎などの記事を取り上げたことからアクセスゲッターとして十二分に活躍し、名実ともに私のブログのキラーコンテンツでありました。そんな猛将列伝ですが先日はちょっと珍しく中世ドイツのヴァレンシュタインを取り上げましたが、今日も今日でちょっと異色というか、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎を取り上げます。

 鈴木貫太郎と聞けばその名前を知っている方からすれば恐らく終戦時、つまりポツダム宣言受諾時の総理大臣として記憶しているかと思います。総理大臣と言えば軍人もなったりはしましたが名目は文官職、それがどうして猛将になるのかですが、実は鈴木貫太郎は元々は海軍軍人でした。

 彼は関宿藩士の家に生まれて海軍軍人となり、日露戦争にはあの日本海海戦にも駆逐隊を率いて従軍しております。この日本海海戦の折、これは鈴木の部隊に限るわけではないですが日本海軍は司令長官の東郷平八郎自身が晩年に至るまでも、「一撃必殺の砲よりも威力は小さくとも百発百中の砲がよい」と言ってただけあって狙撃精度の向上のため決戦を前に猛訓練を重ねていました。この訓練では確か前に読んだ本によるとあらかじめ決戦用に取っておいた弾薬を訓練で三回くらい使い切り、その度に本土から補給を受けたほどだったそうです。
 その訓練時、鈴木は自身が率いる部隊に対して特別厳しい訓練を課してそれゆえに「鬼貫」という異名までついたそうなのですが、いざ決戦が始まるや鈴木の部隊は目覚しい活躍を見せ、戦艦三隻、巡洋艦二隻を撃沈するという大戦果を上げ、参謀の秋山真之から一隻はほかの艦隊の手柄にしてやってくれとまで言われたほどだったそうです。

 海軍では最終的に最高位の軍令部長にまで出世しますが、その後鈴木は昭和天皇の要請に応える形で天皇の側近中の側近こと侍従長に転任します。一般的にはこの侍従長時代の姿が鈴木の姿として認知されていますが、この頃の昭和天皇の鈴木への信頼は絶大で、元々鈴木の妻のたかが幼少時の昭和天皇の教育係をしていたこともあって何事に付けても相談を受けるほどの間柄だったそうです。

 ただこの侍従長就任は鈴木に対して厄災も引き寄せ、鈴木は天皇を惑わす君側の奸として右翼軍人らに見られたことから二・二六事件の際には決起軍人らによって自宅にて襲撃を受けました。その襲撃の際に鈴木は銃弾三発を受け、そのうち二発は左頭部と左胸に命中しているのですが、なんとこれほどの大怪我を負いながらも鈴木は何とか一命を取り留めております。
 聞けば鈴木が撃たれた直後、決起軍人らは当初鈴木に止めを刺そうと一旦は軍刀を抜いたのですがその際に妻のたかが咄嗟に、「もうこれほどの怪我を負っているので夫は助からないでしょうに。それでも止めを刺そうというのならば私が致します」と軍人らに訴えかけ、これを聞いた軍人らは軍刀を鞘に納めて引き上げていったのですが、彼らが引き上げるやたかは鈴木を急いで病院へ運びその命を見事救いました。この時に鈴木は心臓も一旦停止したとのことで賢妻のたかの機転がなければまず間違いなく生き残ることは出来なかったでしょうが、銃弾三発を受けながらも生き残るというバイオハザードのゾンビも真っ青な鈴木の不死身ぶりには目を見張ります。

 これ以前にも鈴木は子供の頃に暴れ馬に蹴られかけたり釣りをしてたら川に落ちたり、海軍時代も夜の航海中に海に落ちるなど何度も死にかける経験をしているのですが、日本版ダイ・ハードとも言ってもよい驚異的な生存力と奇跡的な幸運によってどれも無事に生還しております。
 またこの二・二六事件の際に昭和天皇は鈴木が襲撃を受けたという報告を受けるや憤慨し、即座に決起軍人らを反乱軍と認定して自ら出陣して鎮圧するとまで意気込んだそうです。私が知る限り感情表現を常に抑えていた昭和天皇がこれほど強い感情をほかに見せたのは張作霖爆殺事件後の報告を行った田中義一に叱責を行った時くらいで、それだけ昭和天皇と鈴木の関係が密接だったことが伺えます。

 この二・二六事件後に鈴木は枢密院議長などの役職を経て、1945年4月から終戦時まで総理大臣の役職に就きます。この鈴木の総理就任は昭和天皇の強い意向と、木戸幸一を始めとする終戦工作派の根回しがあって実現したとされ、これが事実だとするとこの時点で昭和天皇は終戦を希望していたと考えられます。総理就任時の鈴木の年齢は77歳。これは現時点においても総理大臣としては最高齢の主任年齢で当時の時局を考えると明らかに異例な人事です。だが鈴木は老齢ながらも昭和天皇の希望の通りに終戦工作を行い、最終的に御前会議を持ち出すことで見事日本を終戦に導くことに成功しました。

 生前に松本清張は、たとえ東条英機がいなくとも誰かが代わりとなって太平洋戦争は起こった(その代わりヒトラーの代わりはいなかったとも述べている)だろうと述べており、私も当時の日本陸軍を見るにつけこの松本清張の意見に賛同します。その一方、では鈴木の代わりとなって日本を終戦に導けた人間は当時ほかにいたのかとなると、こちらは少し思い当たる人間が出てきません。敢えて挙げるとしたら鈴木同様に昭和天皇からの信頼も厚くそれ以前に総理大臣を経験している米内光政がおりますが、果たして米内であれほどスムーズに終戦にまで至れたかとなるとなかなか考え物です。一部で玉音レコードを奪取しようと襲撃こそ起こりましたが、はっきり言えば出来過ぎなくらいに日本は八月十五日を終えています。
 それだけに仮に鈴木が二・二六事件の際に死去していたら、私は日本の終戦の形は大きく違っていた可能性があると思います。私も一応日本人ですから、よくあの時に生き残り終戦という大仕事を成し遂げてくれたと鈴木貫太郎に対しては強い尊敬の念を持っております。


  おまけ
 鈴木の出身地は現在の千葉県野田市関宿町なのですが、去年の夏に実家から近いことからうちの親父と久しぶりに関宿城を見に行こうとドライブに行った際、たまたまこの地域にある鈴木貫太郎記念館を見つけて訪れました。右手指と両足の指がしもやけになるくらいこのところ寒くて去年の馬鹿みたいに暑い夏のことを思い出してたらこの時のことを思い出し、今回の記事を書くきっかけとなりました。
 これに限るわけじゃありませんが私の記憶は突拍子もなく何かを思い出すことが多く、そもそもこの時に関宿城に行こうと思ったのも私が中学三年生くらいの頃にその時もまた親父と車で行ったのを思い出したのがきっかけでした。