2011年2月3日木曜日

発言に対する制裁

 私と会った方の私に対する第一印象は十中八九、「大人しそうで真面目そう」という印象でしょう。その一方、私と親しくしている友人に私の人物像を尋ねるとこちらも十中八九、「考え方が突飛でやや過激」というような内容に終始するかと思います。
 私の地の性格はともかく、私の見かけは人に聞くとやはり「大人しそう」に見えるそうです。それだけに知り合ったばかりの人間とは徐々に話をしていく中で、「こんな人だとは思わなかった」と、褒められてるのか貶されているのかよくわからない感想が度々聞かされ、挙句の果てにはインド旅行の際にインド人占い師に、「あなたは見かけで誤解されることが非常に多い」などとお墨付きまでもらう始末です。

 そのため集団の中にいると最初はよく黙ってただ従っているような人間に私は思われるのですが、面従腹背のつもりは始めからないものの空気を敢えて読まずしょっちゅう文句や意見を言うので人によっては次第に煙たがられていきます。ただそれでも日本人は意見をあまりにも言わな過ぎてその価値を落としているとかねてから信じているのもあり、自分が正しいと思ったことについては敢えて発言するように日ごろから心がけています。

 そんな自分と比して、一般の日本人はあまり公に強く意見を主張しない民族だと自分たちでも自認している様に見えます。そういう中で言えば文句の多い私は異端といえば異端でしょうが、ほかの日本人は意見を主張しないものの内心ではきちんと人それぞれ意見を持っているのではないかと私は考えており、意見を言う言わないはその人を取り囲む環境が左右しているだけなのではないかと見ています。
 たまに日本人は意見をあまり主張しないために朱に交われば赤くなる、大きな意見に迎合しやすいなどという意見を聞きますが、私はこれは率直に言って間違いだと思います。あまり引っ張らずに結論を述べると日本人が意見をあまり主張しないのは本人らが意見を持っていないのではなく、意見を主張した際に待ち受ける制裁を強く意識しているからだと私は考えており、これを私は勝手に「二重の暗黙の掟」と読んでおります。

 通常の意味での「暗黙の掟」というのは皆言わずとも認識されている規定やルールのことを指しますが、私の主張する「二重の暗黙の掟」にはこれに加え、何があっても意見を主張せずに暗黙を突き通さねばならないというルール内容を含んでおります。
 一体これはどういうことかというと、今に始まるわけじゃありませんが日本社会は今の自民、民主の政治ともども何事も結論ありきで行動や指針が決められることが多いです。そのため日本で行われる会議は割とあらかじめ決められた結論に対して承認するだけというのが多いのですが、そういった場面で意見を主張するのは基本的に決められた結論に対して反対ということになり、当然結論を考えた人からするとあまり楽しくはなく主張者は目をつけられることになるのが既定でしょう。

 自分がこの日本の会議における問題が相当根が深いなと感じるのは、こういったことが中学高校レベル、場合によっては小学校の学級会レベルでも行われており、新意見を提案すること自体が身の危険を招くと考え、内心では別意見を持っていてもそれが賛同されるか反対されるかは別としても結局その意見を主張せずに押し黙っていたという経験は日本人なら誰もがあると思います。文句言いの私ですらさすがにここはまずいと思って何も言わないことだってあるんだし。

 これは逆を言えば、意見を主張したところで何も制裁が起こらないという安心感さえもてれば日本人は意見を主張するようになるということになります。そんなことが実際に起こるのかと思う方もいるかもしれませんが、私自身も驚きましたがある大学の授業にてそのような場面を目撃した経験があります。その授業については次回から詳しく紹介しようと思いますが、意見を募集する会議などで何も意見が集まらない場合、その会議では発言に対する制裁への恐怖感をほぼ間違いなく会議参加者が持っていると考えていいと思います。その場合会議主催者は意見が集まらないことを会議参加者が何も意見を持っていないと考えるのではなく、サクラでもなんでも使うなりして会議主催者はまずその制裁への恐怖感を取ることを第一に考えるべきでしょう。

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