先日、日本の大物漫画家を相撲の番付みたいにランキング分けしてみたら面白いかもと企画してみました。それで早速下準備とばかりにいくつかをピックアップして誰が西の横綱に入ってどこまで十両だろうかなどといくらか思案してみたのですが、いざ実行してみようと思うと功績順に分けるのが非常に難しく、また数が多すぎてとてもやってられないということに気がつきました。
じゃあこの企画はあきらめるべきなのか、でも着眼点としてはそんなに悪くないかもと思いながらいろいろと下策を練ってみたところ、「そうだ、百人一首なら当たり障りない(゚∀゚)」とひらめき、題して百人一作として有名な漫画家百人をピックアップしてみようと思いつきました。
そういうわけで早速Wikipediaの「日本の漫画家一覧」ページに載ってある漫画家から、これだと思う人とその代表作をイナバ物置のように百人選んでみました。前もって言っておきますが選択基準はその漫画家の代表作、その他の作品、後進への影響、連載当時の状況などを鑑み、あくまで私の偏見で選んでいるものなので何らかの基準から公平に選んでいるわけではありません。あくまで参考程度に、またもしよければこのデータを下地に漫画家百傑の議論を深めていただければ幸いです。
<日本漫画家百人一作>
001 青木雄二: ナニワ金融道
002 青山剛昌: 名探偵コナン
003 赤塚不二夫: 天才バカボン
004 秋本治: こちら葛飾区亀有公園前派出所
005 あさりよしとお: 宇宙家族カールビンソン
006 あずまきよひこ: あずまんが大王
007 あだち充: タッチ
008 荒川弘: 鋼の錬金術師
009 荒木飛呂彦: ジョジョの奇妙な冒険
010 安野モヨコ: 働きマン
011 池上遼一(雁屋哲): 男組
012 池田理代子: ベルサイユのばら
013 池野恋: ときめきトゥナイト
014 石川賢: ゲッターロボ
015 石ノ森章太郎: サイボーグ009
016 板垣恵介: グラップラー刃牙
017 稲田浩司(三条陸): DRAGON QUEST -ダイの大冒険-
018 井上雄彦: SLAM DUNK
019 岩明均: 寄生獣
020 植田まさし: コボちゃん
021 臼井儀人: クレヨンしんちゃん
022 うすた京介: セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
023 楳図かずお: 漂流教室
024 浦沢直樹: MONSTER
025 大友克洋: AKIRA
026 岡野剛(真倉翔): 地獄先生ぬ~べ~
027 奥浩哉: GANTZ
028 尾田栄一郎: ONE PIECE
029 小畑健(大場つぐみ): DEATH NOTE
030 神尾葉子: 花より男子
031 桂正和: ZETMAN
032 かわぐちかいじ: ジパング
033 川崎のぼる(梶原一騎): 巨人の星
034 CLAMP: カードキャプターさくら
035 車田正美: 聖闘士星矢
036 小山ゆう: あずみ
037 さいとう・たかを: ゴルゴ13
038 柴門ふみ: あすなろ白書
039 さくらももこ: ちびまる子ちゃん
040 さとうふみや(天樹征丸): 金田一少年の事件簿
041 里中満智子: 天上の虹
042 しげの秀一: 頭文字D
043 白土三平: カムイ伝
044 士郎正宗: 攻殻機動隊
045 新條まゆ: 快感♥フレーズ
046 高橋和希: 遊☆戯☆王
047 高橋しん: いいひと。
048 高橋ツトム: スカイハイ
049 高橋陽一: キャプテン翼
050 高橋留美子: うる星やつら
051 武内直子: 美少女戦士セーラームーン
052 竹宮惠子: 地球へ…
053 谷口ジロー(関川夏央): 「坊っちゃん」の時代
054 田村由美: BASARA
055 ちばあきお: キャプテン
056 ちばてつや(梶原一騎): あしたのジョー
057 つげ義春: チーコ
058 つのだじろう: 恐怖新聞
059 手塚治虫: ブラック・ジャック
060 寺沢武一: コブラ
061 冨樫義博: レベルE
062 徳弘正也: 狂四郎2030
063 鳥山明: ドラゴンボール
064 永井豪: デビルマン
065 中沢啓治: はだしのゲン
066 西森博之: 天使な小生意気
067 二ノ宮知子: のだめカンタービレ
068 花咲アキラ(雁屋哲): 美味しんぼ
069 原哲夫(武論尊): 北斗の拳
070 ハロルド作石: BECK
071 弘兼憲史: 課長島耕作
072 福本伸行: アカギ ~闇に降り立った天才~
073 藤子不二雄A: 魔太郎がくる!!
074 藤子・F・不二雄: ドラえもん
075 藤島康介: 逮捕しちゃうぞ
076 藤田和日郎: うしおととら
077 古谷実: 行け!稲中卓球部
078 北条司: シティーハンター
079 松本大洋: ピンポン
080 松本零士: 銀河鉄道999
081 漫☆画太郎: 地獄甲子園
082 三浦建太郎: ベルセルク
083 美内すずえ: ガラスの仮面
084 水木しげる: ゲゲゲの鬼太郎
085 水島新司: ドカベン
086 皆川亮二: ARMS
087 宮下あきら: 魁!!男塾
088 村上もとか: JIN-仁-
089 本宮ひろ志: サラリーマン金太郎
090 森田まさのり: ROOKIES
091 モンキー・パンチ: ルパン三世
092 矢口高雄: 釣りキチ三平
093 山上たつひこ: がきデカ
094 山口貴由: シグルイ
095 山田貴敏: Dr.コトー診療所
096 ゆでたまご: キン肉マン
097 横山光輝: 三国志
098 吉崎観音: ケロロ軍曹
099 吉田戦車: 伝染るんです。
100 和月伸宏: るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-
※敬称は省略。括弧内は原作者名。
私は80年代生まれのジャンプ派なので、やはりこの系統に属する漫画が多くなっております。中には読んだこともなくあらすじしか知らない漫画も含まれていますが、とりあえず有名どころを集めるとしたら私の中ではこんなものです。
いくつか代表作について解説を行うと、「006 あずまきよひこ」は現在連載中の「よつばと」はイギリスで賞をもらうくらいに非常に優れた作品で当初はこちらを選ぼうかと思っていましたが、最終的に選んだ「あずまんが大王」は現在の日本の4コマ漫画のすべてのベースといってもいいくらいの作品で、この作品なくして昨年ヒットした「けいおん!」は生まれなかったであろうことを考えてこちらにしました。
「059 手塚治虫」は作品数が膨大であるためにこちらも何にするかで悩んだのですが、「鉄腕アトム」は漫画よりアニメ作品として評価すべきだと考え、「火の鳥」は対象年齢が比較的高いことを考慮して「ブラック・ジャック」にしました。
「061 冨樫義弘」は普通なら「幽遊白書」か一応今も連載している……はずの「HUNTER×HUNTER」でしょうが、友人が非常に「レベルE」が好きなのと短いながらも完成度が高い点を考慮しました。
「047 高橋しん」はこちらも普通なら「最終兵器彼女」が挙がってくるでしょうが、あいにく私はこの作品を全部読みましたが何が面白いのかさっぱりわからず、むしろ今回選んだ「いいひと。」は話の展開といい人物描写といい、すばらしい作品だと評価しています。
最初にピックアップした第一候補は129名で、そこから徐々に減らして百名にまとめました。当初は「新世紀エヴァンゲリオン」の貞元義行氏や「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の安彦良和氏も入ってましたが、この両名はイラストレーターとしての活躍が多いことからはずし、このほか割と最近の漫画家も多く候補に入れていましたが、後年も作品が読み継がれるかという観点から減らしていきました。
まとめ終えた後の感想を少し述べると、まず気になったのは高橋姓の漫画家が五人もランクインしたことです。高橋という苗字は漫画家に向いているのだろうか。
あと評価が非常に難しいと思ったのは実はギャグ漫画で、ギャグというものは流行り廃りが激しくて当時は面白がられても後年はそっぽも向かれなくなるものも少なくなく、ひとまず代表作発表後にギャグのスタンダード変更に一役買ったものを選んでいきました。ガモウひろし氏じゃないけど、ギャグ漫画家が何気に一番苦労するという話を聞くだけに評価の難しさを通してなんとなく理解できたような気がします。
最後に今回のリストとはあまり関係はないもののほかで独立して話しづらいので書いてしまいますが、「029 小畑健(大場つぐみ):DEATH NOTE」のコンビは現在「バクマン」という、漫画家を目指す二人の少年のストーリー漫画を描いてて好評を得ています。この漫画は私の友人(「ヒカルの碁」大好き)が大人買いするだけあって日本にいた頃は私も面白く読ませてもらっていましたが、一読した後に持った感想として主人公の真城最高と高木秋人、そしてそのライバルの新妻エイジというのは同じジャンプ作家の荒木飛呂彦氏とゆでたまご氏がモデルなのではないかと思いました。ライバル視する構図は逆ですしかなり大昔の話ですが、作中の新妻エイジの奇行振りがどことなく荒木飛呂彦氏と被るような……。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年3月19日土曜日
2011年3月18日金曜日
信長の評価の再逆転
歴史というのは過去の事実なので価値は不変で変わらないと考えられる方が多いのですが、実際にはその時代の流行ごとに評価や捉え方が変わるため、教えられる内容や一般に持たれる認識は刻々と変化していきます。以前にもこのような書き出しで現代では戦国時代の革命者として恐らく一番人気な織田信長が、戦前では天下人の豊臣秀吉の元主で、尊王の武将だったとだけで小さく扱われていたということを紹介しましたが、どうもここ数年でまた再逆転というか信長の評価が大きく変化しているように思います。具体的にどこがどう変化したのかというと、冷酷と名高い信長の性格についてです。
現代日本人なら誰もが聞いたことのある、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の一句に代表されるように、信長の性格はこれまで残忍とまでは行かなくとも冷酷なものだったという風に考えられてきました。一体どうしてこのように言われるようになったのかというと生前の信長のとった行動が原因とされ、比叡山延暦寺焼き討ちや長島一向一揆での虐殺、裏切り者に対する苛烈な制裁など数え上げたら枚挙に暇がありません。またこのほかにも使えない、用済みの部下に対する追放を含めた厳しい人事も挙げられ、明智光秀に裏切られたのもこのような性格ゆえの結果だと言われてきました。
しかし近年に入り、このような信長の行動や発言は当時としてはおかしなものではなく、当時の常識からすれば一般的なものだったという評価が急速に広まっております。一つ一つ解説していくとまず信長の冷酷さが最も現れたと言われる延暦寺焼き討ち事件についてはかつては延暦寺全体を焼き討ちした上で女子供を問わず片っ端から虐殺したと言われてきておりましたが、近年の研究によるとこのときに焼き討ちされたのは延暦寺の一角に過ぎず、また焼き討ち前にはあらかじめ予告がした上で退避勧告がされていたようです。その上当時は一向宗を初めとして宗教勢力が非常に幅を利かせており、平家の時代からそうですが延暦寺も僧兵の横暴がひどかったらしく、信長の焼き討ち時には「それ見たことか」と当時の京都の人たちは言っていたという話すらあります。
上記のような内容が本当に正しいのかどうかという確証はありませんが、私の観点から言っても延暦寺は昔からブイブイ言わせてきておりますし、当時も本願寺に対して焼き討ちをかましているほどで内心こうだったんじゃないかなぁという気がします。長島一向一揆についてもこの戦いで信長は実弟を亡くすほどの苦戦を強いられており、徹底的に殲滅する必要があると覚えるのも無理ではなく、実際に徳川家康を始めとした他地域の戦国大名も一向宗への殲滅戦を実行しております。
このほかにも浅井長政、久政、朝倉義景の髑髏を金箔で塗って盃にしたという話も、当時としてはこれはむしろ敵をたたえる行為である上に実際に酒を入れて飲むのに使った事実を示す資料はないと言われております。そして部下への対応についてですが、これは間違いなく当時としては厳しいことをしておりますがそれは裏を返せば実力主義を採用していることにほかならず、実力の足りない人間をどんどん追放する一方で実力さえあれば家柄を問わずどんどんと採用したことによって豊臣秀吉や滝川一益が世に出たことを考えると先見性が高かっただけでしょう。
また裏切り者への制裁については信長に限らず当時はどこも厳しかったし、むしろ信長は松永久秀や荒木村重(勝手にアラーキーと内心呼んでる)など利用価値があると見た相手に対しては、「謝りに来たら許してやるよ( ゚д゚)、ペッ」ってな感じで、一応最初は帰参を呼びかけてます。あくまで一応だが。
上記のような理由に加え、これはかねてから言われてきたように信長は近親者に対してはむしろ非常に優しい態度を取っております。家督争いの際には実弟の織田信行を暗殺していますが、暗殺に至るまでは何度も反乱を起こす弟を撃退してはその度に許し、最終的に迫られたがゆえに暗殺を決断しております。そして出戻りの妹であるお市に対しても、秀吉と違って浅井家滅亡以後は自分の手元で政略結婚の道具として再利用することはありませんでした。
最後にもうひとつ付け加えると、勝手に城を抜けて遊んでいた女中らを全員処刑したといわれる竹生島事件についても、女中をなんらか処罰をしたというのは資料にかかれていますが殺害したとまでは書かれていないそうです。
このように考えると、信長は当時の戦国大名としては感情的に残忍な行為に走っているわけでなく、むしろ理性的に功罪を考えて忠実に実行していただけだったように見えます。多分気難しくて付き合いづらい人間ではあったでしょうが、ちょっと前まで言われているほど訳わかんないくらいに怖い人間だったとか既成の価値観が通用しない人間だったというわけじゃなかったと私は思います。
むしろ私は冷酷さで言えば、自分を裏切った大内定綱の居城で女子供を含む人間どころか馬の首までも全部斬ったり(撫で斬り)、父親ごと鉄砲で敵を打ち払ったり、大阪夏の陣で敵味方関係なく攻撃を行っている伊達政宗の方がよっぽど図抜けている気がします。ファンは多いけど、この人私は嫌いだなぁ。
現代日本人なら誰もが聞いたことのある、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の一句に代表されるように、信長の性格はこれまで残忍とまでは行かなくとも冷酷なものだったという風に考えられてきました。一体どうしてこのように言われるようになったのかというと生前の信長のとった行動が原因とされ、比叡山延暦寺焼き討ちや長島一向一揆での虐殺、裏切り者に対する苛烈な制裁など数え上げたら枚挙に暇がありません。またこのほかにも使えない、用済みの部下に対する追放を含めた厳しい人事も挙げられ、明智光秀に裏切られたのもこのような性格ゆえの結果だと言われてきました。
しかし近年に入り、このような信長の行動や発言は当時としてはおかしなものではなく、当時の常識からすれば一般的なものだったという評価が急速に広まっております。一つ一つ解説していくとまず信長の冷酷さが最も現れたと言われる延暦寺焼き討ち事件についてはかつては延暦寺全体を焼き討ちした上で女子供を問わず片っ端から虐殺したと言われてきておりましたが、近年の研究によるとこのときに焼き討ちされたのは延暦寺の一角に過ぎず、また焼き討ち前にはあらかじめ予告がした上で退避勧告がされていたようです。その上当時は一向宗を初めとして宗教勢力が非常に幅を利かせており、平家の時代からそうですが延暦寺も僧兵の横暴がひどかったらしく、信長の焼き討ち時には「それ見たことか」と当時の京都の人たちは言っていたという話すらあります。
上記のような内容が本当に正しいのかどうかという確証はありませんが、私の観点から言っても延暦寺は昔からブイブイ言わせてきておりますし、当時も本願寺に対して焼き討ちをかましているほどで内心こうだったんじゃないかなぁという気がします。長島一向一揆についてもこの戦いで信長は実弟を亡くすほどの苦戦を強いられており、徹底的に殲滅する必要があると覚えるのも無理ではなく、実際に徳川家康を始めとした他地域の戦国大名も一向宗への殲滅戦を実行しております。
このほかにも浅井長政、久政、朝倉義景の髑髏を金箔で塗って盃にしたという話も、当時としてはこれはむしろ敵をたたえる行為である上に実際に酒を入れて飲むのに使った事実を示す資料はないと言われております。そして部下への対応についてですが、これは間違いなく当時としては厳しいことをしておりますがそれは裏を返せば実力主義を採用していることにほかならず、実力の足りない人間をどんどん追放する一方で実力さえあれば家柄を問わずどんどんと採用したことによって豊臣秀吉や滝川一益が世に出たことを考えると先見性が高かっただけでしょう。
また裏切り者への制裁については信長に限らず当時はどこも厳しかったし、むしろ信長は松永久秀や荒木村重(勝手にアラーキーと内心呼んでる)など利用価値があると見た相手に対しては、「謝りに来たら許してやるよ( ゚д゚)、ペッ」ってな感じで、一応最初は帰参を呼びかけてます。あくまで一応だが。
上記のような理由に加え、これはかねてから言われてきたように信長は近親者に対してはむしろ非常に優しい態度を取っております。家督争いの際には実弟の織田信行を暗殺していますが、暗殺に至るまでは何度も反乱を起こす弟を撃退してはその度に許し、最終的に迫られたがゆえに暗殺を決断しております。そして出戻りの妹であるお市に対しても、秀吉と違って浅井家滅亡以後は自分の手元で政略結婚の道具として再利用することはありませんでした。
最後にもうひとつ付け加えると、勝手に城を抜けて遊んでいた女中らを全員処刑したといわれる竹生島事件についても、女中をなんらか処罰をしたというのは資料にかかれていますが殺害したとまでは書かれていないそうです。
このように考えると、信長は当時の戦国大名としては感情的に残忍な行為に走っているわけでなく、むしろ理性的に功罪を考えて忠実に実行していただけだったように見えます。多分気難しくて付き合いづらい人間ではあったでしょうが、ちょっと前まで言われているほど訳わかんないくらいに怖い人間だったとか既成の価値観が通用しない人間だったというわけじゃなかったと私は思います。
むしろ私は冷酷さで言えば、自分を裏切った大内定綱の居城で女子供を含む人間どころか馬の首までも全部斬ったり(撫で斬り)、父親ごと鉄砲で敵を打ち払ったり、大阪夏の陣で敵味方関係なく攻撃を行っている伊達政宗の方がよっぽど図抜けている気がします。ファンは多いけど、この人私は嫌いだなぁ。
2011年3月17日木曜日
歴史的な観点から見る東北地方太平洋沖地震
最近ずっと地震関連の記事ばかり書いていますが、そろそろ今回を区切りにして減らしていき、明日あたりからはまた小難しい話で記事を書いていこうかと思います。そんな今回の記事では何を書くのかというと、今回の地震の歴史的な意味についてです。歴史的といっても、つい先週に起きた地震に歴史も何もないかと思われるでしょうが、私は個人的に今回の地震は十年後にどのように評価されるのか、またこれから十年先の未来にどのような影響を与えるのかを今から逆算するように考えることは非常に重要かと思います。結論を先に言えば私は今回の地震は、平成の終わりを象徴する、ちょうど大正末期に起こった関東大震災のような位置づけで語られるのではないかと考えています。
今回の地震が起きる直前、日本ははっきり言って政治的には完全に閉塞しておりました。ちょうど地震発生日にはそれ以前に辞任した前原前外相同様に管首相も外国人国籍者から献金を受け取っていたということが発覚し、ニュースを見ていた私もこれで完成件は完全に終わり次には同じ民主党の岡田氏が総理に就任するだろうという予測を立てていました。しかし管政権にとっては幸か不幸か、今回の地震が起きて結果的には政権が存続する理由ができました。しかし私がネットで日本の情報を見る限りですと枝の官房長官については評価が高まっているのに対して管首相にはむしろ、その対応振りについて批判が集まっているように見えます。詳しく検証することができませんが、実際のところこれほどの大災害に対して見事といわれるような対応をとることは難しく、対応のいい悪いにかかわらず誰かしらが何らかの批判を受けることはやむを得ないものかと思います。ただ少なくともいえることはまだ阪神大震災の教訓が生かされ、自衛隊の緊急出動や官邸の体制などでは以前よりはっきり改善が見られます。
これまた個人的な感想ですが、やはり地震発生まで日本というのは本当に平和だったんだと思います。民主主義の宿命というべきか議会で与党と野党はどんな時でも対立せざるを得ず、大した問題が存在しない場合にはどんどんと論点は卑小化していき、お互いにくだらない揚げ足取りに終始するようになっていきます。外国籍者の献金問題が決して軽い問題だとまでは言うつもりはありませんが、地震が発生した後に今になったでこういった問題が主要な議論になっていたことを考えると、それ以外に議論する論点がないほど日本は平和だったのではないかと思うようになってきました。
話は歴史的観点に戻りますが、私は以前の陽月秘話で書いた「失われた十年」の連載記事の中で、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年が大きな転換点になったと主張しました。その理由は単に災害のコストが大きかったというわけじゃなく、これらの事件を経て文化的にも社会的にも日本に大きな変化が起こるようになったがゆえにこのように捉えました。
そのような目で見ると今回の地震によって今後の日本はいくつかの点で大きな転換が迫られるのがもう目に見えています。一つ目は言うまでもなく原発の事故によるエネルギー政策の転換で、まず間違いなくプルサーマル計画を始めとした一部の計画案は破棄され、代替案に何が来るかまではわからないししばらくすればまた元に戻るかもしれませんが、しばらくは原発推進が行われはしないでしょう。
その次に考えられるのは産業構造の大きな転換です。すでに自動車産業を始めとしてさまざま工業分野で被災を受けた工場が操業を停止したことから部材を受け取れない別の工場も次々と臨時休業を取るなど、高度に分業が発達し過ぎたせいと言うべきか一事が万事のように目下全産業で大きな打撃を受けております。この混乱の中で本来新卒の就職シーズンにもかかわらずどの企業も混乱から対応がなかなかとれず、悲しいことですが今年も来年も新卒求人は低い水準を維持するものかと予想されます。
ただこうした悪い予想が立てられる一方、今後の希望というか明るい要素も全くないわけじゃありません。すでに日本でも報道されているかと思われますが今回の地震での日本人の冷静な対応振りは各国から賞賛されるほどで、苦しい状況下でも日本人は節度を忘れないのだということをはっきりと証明してくれました。私は海外にいながらも今回の地震に強いショックを受けましたが、その一方で自分が日本人であることに強く誇りを覚えました。単純に愛国心を持っただけだと言われればそれまでですが、先日も友人と電話で日本の若者としてこれから復興のために頑張らなければと互いに声を掛け合いました。
大人しい奴ほどキレたら怖いとよく言いますが、私は日本人は大なり小なりこういうところがほかの国の人間よりあると思います。似たような記事を去年の年末にも書いてますが追い詰められればられるほど日本人は妙な真価を発揮するところがあり、今回の地震も決して小さな損害ではありませんが、このような事態でも節度を失わない日本人はきっとまた復興を果たして見せると思います。
そういう意味で今回の地震はひとつの時代の終焉を告げるもので、終戦ほどのインパクトはないでしょうが地震前と地震後とで明確に分けられるような分水嶺的な事件として歴史に記されると思います。そう考えると、91年から始まる失われた十年はやはり失われた二十年だったということになるのですが。
今回の地震が起きる直前、日本ははっきり言って政治的には完全に閉塞しておりました。ちょうど地震発生日にはそれ以前に辞任した前原前外相同様に管首相も外国人国籍者から献金を受け取っていたということが発覚し、ニュースを見ていた私もこれで完成件は完全に終わり次には同じ民主党の岡田氏が総理に就任するだろうという予測を立てていました。しかし管政権にとっては幸か不幸か、今回の地震が起きて結果的には政権が存続する理由ができました。しかし私がネットで日本の情報を見る限りですと枝の官房長官については評価が高まっているのに対して管首相にはむしろ、その対応振りについて批判が集まっているように見えます。詳しく検証することができませんが、実際のところこれほどの大災害に対して見事といわれるような対応をとることは難しく、対応のいい悪いにかかわらず誰かしらが何らかの批判を受けることはやむを得ないものかと思います。ただ少なくともいえることはまだ阪神大震災の教訓が生かされ、自衛隊の緊急出動や官邸の体制などでは以前よりはっきり改善が見られます。
これまた個人的な感想ですが、やはり地震発生まで日本というのは本当に平和だったんだと思います。民主主義の宿命というべきか議会で与党と野党はどんな時でも対立せざるを得ず、大した問題が存在しない場合にはどんどんと論点は卑小化していき、お互いにくだらない揚げ足取りに終始するようになっていきます。外国籍者の献金問題が決して軽い問題だとまでは言うつもりはありませんが、地震が発生した後に今になったでこういった問題が主要な議論になっていたことを考えると、それ以外に議論する論点がないほど日本は平和だったのではないかと思うようになってきました。
話は歴史的観点に戻りますが、私は以前の陽月秘話で書いた「失われた十年」の連載記事の中で、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きた95年が大きな転換点になったと主張しました。その理由は単に災害のコストが大きかったというわけじゃなく、これらの事件を経て文化的にも社会的にも日本に大きな変化が起こるようになったがゆえにこのように捉えました。
そのような目で見ると今回の地震によって今後の日本はいくつかの点で大きな転換が迫られるのがもう目に見えています。一つ目は言うまでもなく原発の事故によるエネルギー政策の転換で、まず間違いなくプルサーマル計画を始めとした一部の計画案は破棄され、代替案に何が来るかまではわからないししばらくすればまた元に戻るかもしれませんが、しばらくは原発推進が行われはしないでしょう。
その次に考えられるのは産業構造の大きな転換です。すでに自動車産業を始めとしてさまざま工業分野で被災を受けた工場が操業を停止したことから部材を受け取れない別の工場も次々と臨時休業を取るなど、高度に分業が発達し過ぎたせいと言うべきか一事が万事のように目下全産業で大きな打撃を受けております。この混乱の中で本来新卒の就職シーズンにもかかわらずどの企業も混乱から対応がなかなかとれず、悲しいことですが今年も来年も新卒求人は低い水準を維持するものかと予想されます。
ただこうした悪い予想が立てられる一方、今後の希望というか明るい要素も全くないわけじゃありません。すでに日本でも報道されているかと思われますが今回の地震での日本人の冷静な対応振りは各国から賞賛されるほどで、苦しい状況下でも日本人は節度を忘れないのだということをはっきりと証明してくれました。私は海外にいながらも今回の地震に強いショックを受けましたが、その一方で自分が日本人であることに強く誇りを覚えました。単純に愛国心を持っただけだと言われればそれまでですが、先日も友人と電話で日本の若者としてこれから復興のために頑張らなければと互いに声を掛け合いました。
大人しい奴ほどキレたら怖いとよく言いますが、私は日本人は大なり小なりこういうところがほかの国の人間よりあると思います。似たような記事を去年の年末にも書いてますが追い詰められればられるほど日本人は妙な真価を発揮するところがあり、今回の地震も決して小さな損害ではありませんが、このような事態でも節度を失わない日本人はきっとまた復興を果たして見せると思います。
そういう意味で今回の地震はひとつの時代の終焉を告げるもので、終戦ほどのインパクトはないでしょうが地震前と地震後とで明確に分けられるような分水嶺的な事件として歴史に記されると思います。そう考えると、91年から始まる失われた十年はやはり失われた二十年だったということになるのですが。
東北地方太平洋沖地震に対する中国の援助
なんか昨日あたりから今回の地震の表記が東日本大震災から東北地方太平洋沖地震に変わったようなので、このブログでも表記を切り替えようと思います。ちなみに阪神大震災も当初は気象庁が兵庫県南部地震と正式に命名していたにもかかわらず、メディアでの呼び方が一般化していつの間にか取って代わってしまいました。言葉ってのはそういうものだと思うけど。
本日、ひょうんな形で読んだ中国の新聞にこんな内容の記事が載っていました。なんでも日本での地震発生以降、浙江省で日本向けの輸出が急増しているそうです。急増している品目は缶詰や冷凍食品、そして衛生用品という震災地への救援物資とのことで、注文を受けた中国の企業らも残業や休日出勤を行ってわざわざ日本へ優先的に出荷してくれているそうです。輸出を管理する税関も災害救援品ということで審査を簡素化し、迅速に日本へ出せるようにさまざまな配慮をしてくれているとのことです。
今回、中国政府は日本へ初めて災害救援隊を派遣しました。また昨日には人民解放軍の医療部隊の派遣も日本政府に打診したと伝えられています。私は現在中国にいて働きながら暮らしていますが、日本と中国は今後十年間は最も利害が一致する一方で最も利害がぶつかり合う関係になると考えています。それこそ右手で握手をしながら左手はポケットに突っ込み続けるような緊迫感ある付き合い方が求められるのですが、今回の地震に対する中国の日本への対応は素直に感謝するべきだと私は思います。ただ人民解放軍については私としても予断ならぬ相手なだけに、できることなら遠まわしに日本政府が断ってくれればそれに越したことはないと考えています。
中国に限らずとも、今回の地震が起こってから日本は本当にたくさんの国から援助をいただいております。自分はこれまでイラン・イラク戦争時に在イラク日本人を救ってくれたトルコ人と、自衛隊のイラク派遣時に自衛隊の警護をしてくれたオランダ人には足を向けて眠れないと考えていましたが、今回の一件で感謝する対象国が随分と増えました。
本日、ひょうんな形で読んだ中国の新聞にこんな内容の記事が載っていました。なんでも日本での地震発生以降、浙江省で日本向けの輸出が急増しているそうです。急増している品目は缶詰や冷凍食品、そして衛生用品という震災地への救援物資とのことで、注文を受けた中国の企業らも残業や休日出勤を行ってわざわざ日本へ優先的に出荷してくれているそうです。輸出を管理する税関も災害救援品ということで審査を簡素化し、迅速に日本へ出せるようにさまざまな配慮をしてくれているとのことです。
今回、中国政府は日本へ初めて災害救援隊を派遣しました。また昨日には人民解放軍の医療部隊の派遣も日本政府に打診したと伝えられています。私は現在中国にいて働きながら暮らしていますが、日本と中国は今後十年間は最も利害が一致する一方で最も利害がぶつかり合う関係になると考えています。それこそ右手で握手をしながら左手はポケットに突っ込み続けるような緊迫感ある付き合い方が求められるのですが、今回の地震に対する中国の日本への対応は素直に感謝するべきだと私は思います。ただ人民解放軍については私としても予断ならぬ相手なだけに、できることなら遠まわしに日本政府が断ってくれればそれに越したことはないと考えています。
中国に限らずとも、今回の地震が起こってから日本は本当にたくさんの国から援助をいただいております。自分はこれまでイラン・イラク戦争時に在イラク日本人を救ってくれたトルコ人と、自衛隊のイラク派遣時に自衛隊の警護をしてくれたオランダ人には足を向けて眠れないと考えていましたが、今回の一件で感謝する対象国が随分と増えました。
2011年3月15日火曜日
地震についてあれこれ
一体何から書いていいものなのか、正直に悩みます。
先週金曜日の地震発生から数日間経過しましたが、事態はよくなるどころか被害状況が徐々に明らかになってきただけでなく、福島県の原子力発電所の事故続発などむしろ悪化しているような状況です。
私は学生の頃にちょうど災害社会学を専門としていた先生の授業を受けましたが、その先生の授業では主に阪神大震災の教訓や災害時の被災者の行動などが解説されてなかなか記憶に残るいい授業でした。その授業で言われていた内容でぜひ今回このブログの読者に伝えたいと思うことは、ボランティアと募金に関する内容です。
その先生が言うには医療など特定の技術がある人間であれば話は別ですが、ただの労働力としてのボランティア参加者は被災地ではかえって迷惑になる可能性が高いそうです。ただでさえ食料などが不足する被災地にボランティアが来るとその分の食料なども必要になってしまうそうで、もし来るのであれば十人程度のまとまったグループで来てくれた方が運用もしやすく助かるそうです。その上で先生は、ボランティアに来るよりもなによりもお金を募金などで送ってくれることが何よりも被災地は助かると話していました。今回の地震でその先生の授業を思い出して先ほど自分もネット口座から募金を行いましたが、何かの一助になればと願ってます。
中国ではいまだに今回の東日本大震災が最も大きく報道され続けておりますが、報道内容は徐々に被害状況から福島県の原発事故に対する内容が中心になってきております。私の上海人の友人も先ほど電話にてこの件について尋ねてきましたが、おそらくほかの皆さん同様に今の日本政府、ならびに東京電力から信用できる情報は得られないと私は答えました。私は何も政府と東京電力を根っから批判するつもりはなく、彼らの立場からすると混乱を防ぐために事態を最小限に伝えなければならないということは多少は理解できます。しかし事ここにまで至ると、もはやその努力も意味をなさなくなってきてしまっているのではないかという諦観も多少感じます。ただ現場でがんばっている方を考えると、今はただ信じるよりほかがありません。責任追及などは後からでもできるのですし。
個人的にあと気になったニュースというかすこし驚いたのは、アイレムというゲーム会社が「絶体絶命都市4」という発売間近だったゲームの発売を中止したことです。このゲームは文字通りに大地震を受けて崩壊していく街の中でサバイバルを体験するアドベンチャーゲームでこれまでのシリーズも好評を得ていましたが、まさに内容がずばりそのものだったということから今回の地震を受けて発売を自粛したとのことです。
自粛するというのは簡単ですが、ゲームというのは長い開発期間を経た上で発売して一気に元を取る業界なので、発売中止ともなるとその損害額は数億円にまで上るのは間違いありません。確かにこのゲームは見方によっては不謹慎に見えるでしょうし中身にはふざけが部分も多少含まれていますが、ゲームの監修に災害対策の研究者を招くなど「災害を疑似体験する」という意味ではまじめな方針で作られているので、ちょっと残念に思いました。
ただ実に7、8年くらい前になるのですが、この「絶体絶命都市」の第一作目が発売された際に漫画家のみずしな孝之氏が「いい電子」という漫画でレビューを書いていました。そのレビューでは変わったシステムのゲームであると紹介しつつ、「こんなゲームは平和な時だからこそできるんだよね」というようなコメントをしておりました。その次のコマではみずしな氏が阪神大震災の被災者から直接会った際の回想がかかれ、被災者は震災に対して言葉で言い表せない体験だったと述べるシーンが描かれていました。
そういう意味ではまさにみずしな氏の言うように、今は平和な時ではないからこそこのゲームは発売できなくなったのでしょう。ただ個人的には自粛を決めたアイレムの決断には頭が下がりますし、ぜひ後にきちんとした形で発売してもらいたいものです。
先週金曜日の地震発生から数日間経過しましたが、事態はよくなるどころか被害状況が徐々に明らかになってきただけでなく、福島県の原子力発電所の事故続発などむしろ悪化しているような状況です。
私は学生の頃にちょうど災害社会学を専門としていた先生の授業を受けましたが、その先生の授業では主に阪神大震災の教訓や災害時の被災者の行動などが解説されてなかなか記憶に残るいい授業でした。その授業で言われていた内容でぜひ今回このブログの読者に伝えたいと思うことは、ボランティアと募金に関する内容です。
その先生が言うには医療など特定の技術がある人間であれば話は別ですが、ただの労働力としてのボランティア参加者は被災地ではかえって迷惑になる可能性が高いそうです。ただでさえ食料などが不足する被災地にボランティアが来るとその分の食料なども必要になってしまうそうで、もし来るのであれば十人程度のまとまったグループで来てくれた方が運用もしやすく助かるそうです。その上で先生は、ボランティアに来るよりもなによりもお金を募金などで送ってくれることが何よりも被災地は助かると話していました。今回の地震でその先生の授業を思い出して先ほど自分もネット口座から募金を行いましたが、何かの一助になればと願ってます。
中国ではいまだに今回の東日本大震災が最も大きく報道され続けておりますが、報道内容は徐々に被害状況から福島県の原発事故に対する内容が中心になってきております。私の上海人の友人も先ほど電話にてこの件について尋ねてきましたが、おそらくほかの皆さん同様に今の日本政府、ならびに東京電力から信用できる情報は得られないと私は答えました。私は何も政府と東京電力を根っから批判するつもりはなく、彼らの立場からすると混乱を防ぐために事態を最小限に伝えなければならないということは多少は理解できます。しかし事ここにまで至ると、もはやその努力も意味をなさなくなってきてしまっているのではないかという諦観も多少感じます。ただ現場でがんばっている方を考えると、今はただ信じるよりほかがありません。責任追及などは後からでもできるのですし。
個人的にあと気になったニュースというかすこし驚いたのは、アイレムというゲーム会社が「絶体絶命都市4」という発売間近だったゲームの発売を中止したことです。このゲームは文字通りに大地震を受けて崩壊していく街の中でサバイバルを体験するアドベンチャーゲームでこれまでのシリーズも好評を得ていましたが、まさに内容がずばりそのものだったということから今回の地震を受けて発売を自粛したとのことです。
自粛するというのは簡単ですが、ゲームというのは長い開発期間を経た上で発売して一気に元を取る業界なので、発売中止ともなるとその損害額は数億円にまで上るのは間違いありません。確かにこのゲームは見方によっては不謹慎に見えるでしょうし中身にはふざけが部分も多少含まれていますが、ゲームの監修に災害対策の研究者を招くなど「災害を疑似体験する」という意味ではまじめな方針で作られているので、ちょっと残念に思いました。
ただ実に7、8年くらい前になるのですが、この「絶体絶命都市」の第一作目が発売された際に漫画家のみずしな孝之氏が「いい電子」という漫画でレビューを書いていました。そのレビューでは変わったシステムのゲームであると紹介しつつ、「こんなゲームは平和な時だからこそできるんだよね」というようなコメントをしておりました。その次のコマではみずしな氏が阪神大震災の被災者から直接会った際の回想がかかれ、被災者は震災に対して言葉で言い表せない体験だったと述べるシーンが描かれていました。
そういう意味ではまさにみずしな氏の言うように、今は平和な時ではないからこそこのゲームは発売できなくなったのでしょう。ただ個人的には自粛を決めたアイレムの決断には頭が下がりますし、ぜひ後にきちんとした形で発売してもらいたいものです。
2011年3月13日日曜日
東日本大震災に対する中国の報道
一昨日に住居を引越し、本日になって故障したパソコンの代替として中国仕様の中古パソコンを仕入れてこうしてまたブログを再開することができましたが、再開一日目に取り上げるニュースとするには今回の一件はあまりにも残念な事実です。3/11午後、日本の東北地方を中心に日本観測史上例のない巨大地震が発生しました。地震発生から二晩明けた今に至っても全体の被害状況ははっきりせず、福島県の原子力発電所も今も不安定な状態が続くなどその影響は広範囲にわたって深刻な様相をなしております。
私は今回の地震を当日のネットのニュースで初めて知りましたが、その震度のあまりの大きさに文字通り見た瞬間は絶句しました。その日は夕方から部屋を引き払って上海市内の新居へ引越しを始めましたが、その途中で乗車したタクシーのラジオでは始終今回の地震を報道しており、引越し先でテレビをつけても報道番組はすべてこの報道で一色でした。
報道のすごさというか現代のテクノロジーのすごさというべきか、当初ネットの文字情報しか見ていなかったせいか震度は大きくともそれほど被害は大きくないのではと私は勝手に想像していましたが、こちらのテレビでの報道にて津波の映像や千葉の石油コンビナートの火災が映されたのを見てようやく今回の地震の様相を知ることができました。津波の映像を見た瞬間はこれまた絶句し、昔ならともかく堤防などが相当程度整備された現代においてこのような事態が本当に起きるのかと見続けるにつけ脱力し、引越しの疲れもあるでしょうが一昨日と昨日は本当に何もやる気が起きませんでした。
それでおそらく期待されている方も多いでしょうし実際に複数の友人から尋ねられているので、こちら中国のこの地震に対する報道を簡単に紹介します。
まず中国のNHKことCCTVは地震が発生した金曜日から特番を組み、主に経済系ニュース報道チャンネルにおいて今日に至るまでほぼ全時間生放送でこの地震を取り上げております。報道される内容は日本に旅行などで滞在している中国人の安否、旅行会社の日本ツアー自粛などに始まり、日本の地震被害の報道から専門家による今回の地震の分析など、通常あってしかるべき報道がされております。その中でも特に注目されて報じられ散るのは福島県の原発の状態で、炉心温度の上昇や周辺住民の避難勧告、自衛隊の対策活動などが事細かに報じられ中国人の友人もこの点を特に気にしておりました。
いくつか実際に言及されていた内容を紹介すると、やはり経済的な影響を指摘する報道が多く日本の家電をはじめとする電子産業の工場ラインのストップなどの損失は中国にも悪影響を与えるだろうという指摘や、地震規模は上だとしても95年の阪神大震災ほど経済的損失は大きくならないだろうという意見が専門家より発せられ、これらの意見については私も同感です。また今現在私の横でやってるニュースでは地震発生前後の日本の政治状況も解説されており、支持率低下で厳しい運営を迫られていた与党民主党を野党自民党は激しく攻撃していたが、今回の地震発生後は両党ともに対策に共同で取り組むようになったなど日本での報道とほぼ同じ内容が報じられています。
では中国の一般市民はどうかですが、やはりこちらも関心が強く今回パソコンを仕入れた際には店員などから今回の地震について向こうから話を振ってきました。上海市の地下鉄にはモニタが全車両についていてニュース番組などが報じられていますが、土曜日は私が見ている限りですと乗客らも報じられる日本の地震被害の様子を車内でよく見ていたような気がします。
また書くかどうか悩みましたが今回の地震に対する日本のニュース感想欄に、「中国人は今回の地震を日本への天罰だと言ってやがる」という書き込みを見受けました。早速私も中国の掲示板をいくつか回りましたが、残念なことに確かにそのような内容で発言している人や、「今こそ尖閣諸島を奪回する最高のチャンスだ」などという正直に言って腹立たしい発言も少なからず見受けられます。
しかしその一方で、「これ以上犠牲者が増えないように」、「中国も国を挙げて日本を助けよう」、「災害に対して過去の歴史は関係ない」、「犠牲者の方々に心からご冥福をお祈りします」などという意見も数多くあり、私が言う立場でないことは重々承知ですが、一部の人間の発言をとって中国人全員がひどい人間だとは日本の皆様も思わないでいただきたいです。すでに中国は今回の地震に対してほかの国同様に救助隊を日本に派遣してくれており、このような点はほかの派遣国同様に中国に対して素直に感謝するべきだと私は思います。
今回の地震について私の意見を少し述べると、いくつか不幸中の幸いといえる事態があったかと思います。
まずひとつは発生したのが金曜の午後だったことで、株式を始めとするマーケットの影響が最小限にとどまったことです。おそらく明日月曜に取引が再開されれば株価は大きく下落するでしょうが土日をはさんである程度被害情報が発信されたことで、あのまま取引が続いていた場合よりは影響は軽減されているかと思います。細かなことですが、こうした事件が市場に与える心理的影響は計り知れないだけにほんの少しの猶予でもないよりはあったほうがいいと聞きます。
その次によかったと思えるのは、震災が起こったこの時期です。専門家によると一番震災が起こってはならない時期というのは夏季で、輸送中の食糧の腐敗に始まり排泄物などの衛生の問題や日射病など、仮に阪神大震災が猛暑期に起こっていたら被害は数倍に膨れ上がっていたかもしれないという話を聞きます。今の時期は気温も高くなく、また厳冬期ではないため被災者支援という観点からでは比較的まだ恵まれた時期にあるかと思えます。
阪神大震災の頃はまだ小さかったこともあるでしょうが、ひとつのニュースでこれほどまでに脱力させられことはこれまでありませんでした。友人もニュースの報道を見ていて自然と涙が流れたといっていましたが、私も被害状況を知るにつけ言葉に言い表し難い感情を幾度も覚えます。日本は震災前から経済的にも政治的にも逼迫していた中でこのような災害が起きてしまいましたが、自然に対して何故と問うことはできません。今はただこの難局を如何に乗り越えるか、政府の対応がどうとか評価をすることは後でいくらでも出来るので、皆で一致団結して行動をとることこそが今一番求められているかと思います。
最後に、被災者の方々に心からご無事をお祈りいたします。
私は今回の地震を当日のネットのニュースで初めて知りましたが、その震度のあまりの大きさに文字通り見た瞬間は絶句しました。その日は夕方から部屋を引き払って上海市内の新居へ引越しを始めましたが、その途中で乗車したタクシーのラジオでは始終今回の地震を報道しており、引越し先でテレビをつけても報道番組はすべてこの報道で一色でした。
報道のすごさというか現代のテクノロジーのすごさというべきか、当初ネットの文字情報しか見ていなかったせいか震度は大きくともそれほど被害は大きくないのではと私は勝手に想像していましたが、こちらのテレビでの報道にて津波の映像や千葉の石油コンビナートの火災が映されたのを見てようやく今回の地震の様相を知ることができました。津波の映像を見た瞬間はこれまた絶句し、昔ならともかく堤防などが相当程度整備された現代においてこのような事態が本当に起きるのかと見続けるにつけ脱力し、引越しの疲れもあるでしょうが一昨日と昨日は本当に何もやる気が起きませんでした。
それでおそらく期待されている方も多いでしょうし実際に複数の友人から尋ねられているので、こちら中国のこの地震に対する報道を簡単に紹介します。
まず中国のNHKことCCTVは地震が発生した金曜日から特番を組み、主に経済系ニュース報道チャンネルにおいて今日に至るまでほぼ全時間生放送でこの地震を取り上げております。報道される内容は日本に旅行などで滞在している中国人の安否、旅行会社の日本ツアー自粛などに始まり、日本の地震被害の報道から専門家による今回の地震の分析など、通常あってしかるべき報道がされております。その中でも特に注目されて報じられ散るのは福島県の原発の状態で、炉心温度の上昇や周辺住民の避難勧告、自衛隊の対策活動などが事細かに報じられ中国人の友人もこの点を特に気にしておりました。
いくつか実際に言及されていた内容を紹介すると、やはり経済的な影響を指摘する報道が多く日本の家電をはじめとする電子産業の工場ラインのストップなどの損失は中国にも悪影響を与えるだろうという指摘や、地震規模は上だとしても95年の阪神大震災ほど経済的損失は大きくならないだろうという意見が専門家より発せられ、これらの意見については私も同感です。また今現在私の横でやってるニュースでは地震発生前後の日本の政治状況も解説されており、支持率低下で厳しい運営を迫られていた与党民主党を野党自民党は激しく攻撃していたが、今回の地震発生後は両党ともに対策に共同で取り組むようになったなど日本での報道とほぼ同じ内容が報じられています。
では中国の一般市民はどうかですが、やはりこちらも関心が強く今回パソコンを仕入れた際には店員などから今回の地震について向こうから話を振ってきました。上海市の地下鉄にはモニタが全車両についていてニュース番組などが報じられていますが、土曜日は私が見ている限りですと乗客らも報じられる日本の地震被害の様子を車内でよく見ていたような気がします。
また書くかどうか悩みましたが今回の地震に対する日本のニュース感想欄に、「中国人は今回の地震を日本への天罰だと言ってやがる」という書き込みを見受けました。早速私も中国の掲示板をいくつか回りましたが、残念なことに確かにそのような内容で発言している人や、「今こそ尖閣諸島を奪回する最高のチャンスだ」などという正直に言って腹立たしい発言も少なからず見受けられます。
しかしその一方で、「これ以上犠牲者が増えないように」、「中国も国を挙げて日本を助けよう」、「災害に対して過去の歴史は関係ない」、「犠牲者の方々に心からご冥福をお祈りします」などという意見も数多くあり、私が言う立場でないことは重々承知ですが、一部の人間の発言をとって中国人全員がひどい人間だとは日本の皆様も思わないでいただきたいです。すでに中国は今回の地震に対してほかの国同様に救助隊を日本に派遣してくれており、このような点はほかの派遣国同様に中国に対して素直に感謝するべきだと私は思います。
今回の地震について私の意見を少し述べると、いくつか不幸中の幸いといえる事態があったかと思います。
まずひとつは発生したのが金曜の午後だったことで、株式を始めとするマーケットの影響が最小限にとどまったことです。おそらく明日月曜に取引が再開されれば株価は大きく下落するでしょうが土日をはさんである程度被害情報が発信されたことで、あのまま取引が続いていた場合よりは影響は軽減されているかと思います。細かなことですが、こうした事件が市場に与える心理的影響は計り知れないだけにほんの少しの猶予でもないよりはあったほうがいいと聞きます。
その次によかったと思えるのは、震災が起こったこの時期です。専門家によると一番震災が起こってはならない時期というのは夏季で、輸送中の食糧の腐敗に始まり排泄物などの衛生の問題や日射病など、仮に阪神大震災が猛暑期に起こっていたら被害は数倍に膨れ上がっていたかもしれないという話を聞きます。今の時期は気温も高くなく、また厳冬期ではないため被災者支援という観点からでは比較的まだ恵まれた時期にあるかと思えます。
阪神大震災の頃はまだ小さかったこともあるでしょうが、ひとつのニュースでこれほどまでに脱力させられことはこれまでありませんでした。友人もニュースの報道を見ていて自然と涙が流れたといっていましたが、私も被害状況を知るにつけ言葉に言い表し難い感情を幾度も覚えます。日本は震災前から経済的にも政治的にも逼迫していた中でこのような災害が起きてしまいましたが、自然に対して何故と問うことはできません。今はただこの難局を如何に乗り越えるか、政府の対応がどうとか評価をすることは後でいくらでも出来るので、皆で一致団結して行動をとることこそが今一番求められているかと思います。
最後に、被災者の方々に心からご無事をお祈りいたします。
2011年3月9日水曜日
中国の日系飲食チェーン
たまには友人が喜びそうな中国のミクロな経済ネタでもやろうかと思います。ちなみにこのブログを読んでもらっている友人は何人かいますが、哲学系のネタが好きなのもいれば歴史系のネタが好きなのもおり、どっちかっていうと経済系ネタが好きなのは少ない部類です。
現在上海はニューヨークを追い越して現在日本人が最も多く住む海外都市となっております。それを反映してか上海市内のあちこちでは日系飲食チェーンも数多く出店しており、値段も相応の店なら極端に高くないことからまるで日本にいるかのように日本食を毎日満喫することすら不可能ではありません。
そんな現在の中国において最も勢いがある日系飲食チェーンはというと、熊本に本店を構える「味千ラーメン」において衆目一致するでしょう。私は中国人の舌には比較的濃厚な味のとんこつラーメンが合うのではないかと考えていたのですが(実際に中国のインスタントラーメンで日本のラーメンと来たらとんこつ)、この味千ラーメンの味は比較的あっさりしていて、この味で中国に受け入れられたのかと最初食べた際は正直驚きを感じました。それでこの味千ラーメンがどれだけ受け入れられているかについてですが、上海市内に限って言えばそれこそ数百メートルごとに一軒はチェーン店が必ずあるくらいで、冗談抜きでどこいったってすぐに見つけられます。浦東空港にも出店しており、名実共に中国における日本のラーメン屋と来れば味千ラーメンが挙がってくるでしょう。
このほかに日系飲食チェーンとなると、私自身があまりそういったところに出入りしないのもあるでしょうが今のところは味千ラーメンのように際立ってあちこちに出店している店はまだないと思います。飲食に限らないのであればユニクロの勢いは凄まじいですが、とりあえず私が見たり行ったりしたことのある飲食チェーンを挙げるとすれば、「家族亭」、「サガミ」、「サイゼリヤ」、「吉野家」、「元禄寿司、といったところでしょうか。中にはこういう店を情報誌で細かくチェックして行き渡る留学生もおりますが、生来からのケチさ加減とわざわざ中国来てまで日本食ばかり食べるのもと思って私はあまり出入りしません。むしろ同じ日本食を食べるのであれば中国人が経営している店の方がなんとなく安そうに見えるので、そういったところに行く回数のが多いです。
先ほど挙げた各店舗についてもう少し詳しく話すと、吉野家は私が北京に留学しているころから北京に出店してきており、当時日本の吉野家では米国のBSE問題で販売されていなかった牛丼が何故か中国では販売されていました。これはいったいどこの肉なんだろう、米国産より中国産の牛使ってる方が怖いと思いつつ口にしました。
サガミについては先日に友人に紹介を受け、その後自分でも一人で食べに行きました。今度引っ越す先がちょうどこの店の近くになり値段も手ごろだったことからこれから使う機会が増えるかもしれませんが、初めて行った際に頼んだとんかつ定食の味付けがデフォルトでソースではなく味噌だったのにはちょっと面食らいました。後から調べてみたらやっぱり愛知が本店ということで、私はとんかつにはソースも味噌も何もつけずに食べる口なので影響はそんなにありませんが、中国でも名古屋スタイルを貫く姿勢には感服しました。
最後の家族亭についてですが、実はここには入ったことがありません。ただ最近何かと縁があるというか、この家族亭がどっかへ出店したという記事をちょっとした所用で翻訳したかと思えば、土日に上海に来たうちのお袋を案内していたら家族亭の前をたまたま通り、昔梅田の阪急三番街かなにかにあった店で私の叔母が働いていたという話を聞きました。その際にうちのお袋は、こういった飲食チェーンはもうデフレの日本じゃやってけないからこうして中国にどんどんやってくるのだろうかということを口にしたのですが、なかなかに的を得ている意見で今回この記事を書くきっかけになりました。
事実現在の日本ではデフレの影響でもはや飲食業はやっていけないというくらいに追い詰められており、従業員の過酷な労働環境はさることながら食品の偽装問題など、何かしら不正というか裏技をしなければ経営なんてほぼ不可能といっていい状況にあります。それに対して中国では為替格差の影響で表面上は売り上げは小さく見えるものの人件費もろもろの経費は安く済み、単純に利益を上げるなら中国、もしくは他の発展途上国に出店した方が儲けは大きくなる可能性があります。もちろん中には溶け込めずに失敗して撤退する飲食店も少なくありませんが、日本にとどまっていたらジリ貧だと考えている飲食店経営者は数多くいるのではないかと思います。
ただこうした中国の日系飲食店に一つ苦言を呈すと、見ている限りどうも主要顧客層は現地の中国人というよりも駐在や留学で来ている日本人ばかりのような気がします。店に入るとどこも日本語ばかりしか聞こえず、たまに中国語が聞こえるかと思ってよくよく聞き耳を立ててみると台湾人だったりして、現地中国人の顧客はそれほど多くない気がします。従業員はもちろん中国人スタッフですが。
そういった日本人のみ相手してても恐らく今の上海ならそこそこ元が取れるのでしょうが、何かの拍子に日本人の数が減った場合はどうなるんだろうと他人事ながら多少気になります。そういう意味では現地中国人に受け入れられ昼時は席に着くまで真面目に待たされる味千ラーメンは大したものだといえるのですが、今後日系飲食チェーンは如何に現地顧客を取り込めるかが重要になってくるでしょう。
ちなみに日本食で言うと自分が先月一番苦心してやまなかったのはぽん酢です。上海市内なら日系スーパーなどで簡単に変えるのですが現住所の近くの店では売っておらず、ぽん酢さえあれば羊肉でしゃぶしゃぶも出来るしうどんなどもゆでて食べられるのにと旧正月の休暇中はやけに恋しくて仕方ありませんでした。私個人的にはぽん酢というのは日本の食品の中で最も優れた調味料だと信じているので、中国でももっと流行ってほしいと心から願っています。逆にマヨネーズはなんか苦手でほぼ一切口にしないですし、ソースもお好み焼きにはかけるけど前述の通りにとんかつには一切かけません。その気は無いですが、自分もやや偏食の気があるのかもしれません。
現在上海はニューヨークを追い越して現在日本人が最も多く住む海外都市となっております。それを反映してか上海市内のあちこちでは日系飲食チェーンも数多く出店しており、値段も相応の店なら極端に高くないことからまるで日本にいるかのように日本食を毎日満喫することすら不可能ではありません。
そんな現在の中国において最も勢いがある日系飲食チェーンはというと、熊本に本店を構える「味千ラーメン」において衆目一致するでしょう。私は中国人の舌には比較的濃厚な味のとんこつラーメンが合うのではないかと考えていたのですが(実際に中国のインスタントラーメンで日本のラーメンと来たらとんこつ)、この味千ラーメンの味は比較的あっさりしていて、この味で中国に受け入れられたのかと最初食べた際は正直驚きを感じました。それでこの味千ラーメンがどれだけ受け入れられているかについてですが、上海市内に限って言えばそれこそ数百メートルごとに一軒はチェーン店が必ずあるくらいで、冗談抜きでどこいったってすぐに見つけられます。浦東空港にも出店しており、名実共に中国における日本のラーメン屋と来れば味千ラーメンが挙がってくるでしょう。
このほかに日系飲食チェーンとなると、私自身があまりそういったところに出入りしないのもあるでしょうが今のところは味千ラーメンのように際立ってあちこちに出店している店はまだないと思います。飲食に限らないのであればユニクロの勢いは凄まじいですが、とりあえず私が見たり行ったりしたことのある飲食チェーンを挙げるとすれば、「家族亭」、「サガミ」、「サイゼリヤ」、「吉野家」、「元禄寿司、といったところでしょうか。中にはこういう店を情報誌で細かくチェックして行き渡る留学生もおりますが、生来からのケチさ加減とわざわざ中国来てまで日本食ばかり食べるのもと思って私はあまり出入りしません。むしろ同じ日本食を食べるのであれば中国人が経営している店の方がなんとなく安そうに見えるので、そういったところに行く回数のが多いです。
先ほど挙げた各店舗についてもう少し詳しく話すと、吉野家は私が北京に留学しているころから北京に出店してきており、当時日本の吉野家では米国のBSE問題で販売されていなかった牛丼が何故か中国では販売されていました。これはいったいどこの肉なんだろう、米国産より中国産の牛使ってる方が怖いと思いつつ口にしました。
サガミについては先日に友人に紹介を受け、その後自分でも一人で食べに行きました。今度引っ越す先がちょうどこの店の近くになり値段も手ごろだったことからこれから使う機会が増えるかもしれませんが、初めて行った際に頼んだとんかつ定食の味付けがデフォルトでソースではなく味噌だったのにはちょっと面食らいました。後から調べてみたらやっぱり愛知が本店ということで、私はとんかつにはソースも味噌も何もつけずに食べる口なので影響はそんなにありませんが、中国でも名古屋スタイルを貫く姿勢には感服しました。
最後の家族亭についてですが、実はここには入ったことがありません。ただ最近何かと縁があるというか、この家族亭がどっかへ出店したという記事をちょっとした所用で翻訳したかと思えば、土日に上海に来たうちのお袋を案内していたら家族亭の前をたまたま通り、昔梅田の阪急三番街かなにかにあった店で私の叔母が働いていたという話を聞きました。その際にうちのお袋は、こういった飲食チェーンはもうデフレの日本じゃやってけないからこうして中国にどんどんやってくるのだろうかということを口にしたのですが、なかなかに的を得ている意見で今回この記事を書くきっかけになりました。
事実現在の日本ではデフレの影響でもはや飲食業はやっていけないというくらいに追い詰められており、従業員の過酷な労働環境はさることながら食品の偽装問題など、何かしら不正というか裏技をしなければ経営なんてほぼ不可能といっていい状況にあります。それに対して中国では為替格差の影響で表面上は売り上げは小さく見えるものの人件費もろもろの経費は安く済み、単純に利益を上げるなら中国、もしくは他の発展途上国に出店した方が儲けは大きくなる可能性があります。もちろん中には溶け込めずに失敗して撤退する飲食店も少なくありませんが、日本にとどまっていたらジリ貧だと考えている飲食店経営者は数多くいるのではないかと思います。
ただこうした中国の日系飲食店に一つ苦言を呈すと、見ている限りどうも主要顧客層は現地の中国人というよりも駐在や留学で来ている日本人ばかりのような気がします。店に入るとどこも日本語ばかりしか聞こえず、たまに中国語が聞こえるかと思ってよくよく聞き耳を立ててみると台湾人だったりして、現地中国人の顧客はそれほど多くない気がします。従業員はもちろん中国人スタッフですが。
そういった日本人のみ相手してても恐らく今の上海ならそこそこ元が取れるのでしょうが、何かの拍子に日本人の数が減った場合はどうなるんだろうと他人事ながら多少気になります。そういう意味では現地中国人に受け入れられ昼時は席に着くまで真面目に待たされる味千ラーメンは大したものだといえるのですが、今後日系飲食チェーンは如何に現地顧客を取り込めるかが重要になってくるでしょう。
ちなみに日本食で言うと自分が先月一番苦心してやまなかったのはぽん酢です。上海市内なら日系スーパーなどで簡単に変えるのですが現住所の近くの店では売っておらず、ぽん酢さえあれば羊肉でしゃぶしゃぶも出来るしうどんなどもゆでて食べられるのにと旧正月の休暇中はやけに恋しくて仕方ありませんでした。私個人的にはぽん酢というのは日本の食品の中で最も優れた調味料だと信じているので、中国でももっと流行ってほしいと心から願っています。逆にマヨネーズはなんか苦手でほぼ一切口にしないですし、ソースもお好み焼きにはかけるけど前述の通りにとんかつには一切かけません。その気は無いですが、自分もやや偏食の気があるのかもしれません。
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