先月に両親が香港に遊びに来た際に親父が、「やっぱこいつは大したもんや」と自民党の石破茂氏の昔書いた本を持って来ました。内容については細かく紹介しませんがやはり時期的に自衛隊イラク派遣関連について多くの紙幅が割かれており、折も折なのでこの点について振り返るとともに私の見方を紹介します。
・自衛隊イラク派遣(Wikipedia)
米軍によるイラク戦争後、日本の自衛隊はアメリカの求めに応じて2004年1月から2006年7月にかけてサマワ市に人道支援という名目で現地で医療・インフラ支援活動を行いました。派遣当時は自民党の小泉政権でしたが、野党などからイラク派遣は憲法9条に反するとかイラクへの支援ではなく単なるアメリカへの追従だなどととにもかくにも激しい議論が起こりました。ちなみに私個人の意見として、9条とかを引き合いに出すくらいなら野党は「カンボジアへのPKO派遣の際に最も反抗していたのはお前自身だろ!」ともっと小泉元首相に言えばよかったんじゃないかと思います。
このイラク派遣に対する私の評価ですが、総論を述べると結果的には大成功だったかと思います。ただもし仮に同じような案件が持ち上がった際に自衛隊を外国へ派遣するべきかと問われるならば、可能ならば避けたいというのが本音です。
早速解説に入りますが、まずこのイラク派遣前に私がこの件についてどのように考えていたかを紹介します。当時の私は大学生で、今現在と比べるとエンジンを載せ替える前のハチロクみたいな実力でしたが、成長途上にあったのである意味では突破力というか論の鋭さでは今以上に光るものがあったように思います。そんなどうでもいいことは放っておいて当時の私の意見ですが、以下のような立場から派遣に賛成でした。
1、イラク各地は既に混乱状態であり、米国に正義がないからといって放っておいていいとは思えなかった
2、歴史的にも日本は中東諸国と親交が深く、実際に戦争に参加した米英よりも中間的な立場の日本が復興支援を行うべきだと考えた
3、復興支援をせずに放っておけば、テロリストが力を得て日本に対してもテロの危険性が高まる
4、当時のイラクにはいくら金を出すことよりも、現地で実際に活動する支援が必要に感じられた
5、現地で活動するにしてもボランティアでは危険性が高く、自衛能力を持つ自衛隊でなければならなかった
といったのが主な肯定意見です。ただなんでもかんでも賛成というわけではなく、いざ実際にテロリストに襲撃された際に現行法では自衛隊がすぐに反撃し辛いことなど反対意見も少なからずあり、そうしたものを考慮しても総合的には「行けるのなら行くべき」という結論になりました。
当時に議論されていた話題、たとえば「戦闘地域か非戦闘地域か」などといったものについても事細かに解説してもいいですがそれは今回置いといて、現在何故私が「大成功だった」と評価する理由を挙げると以下の通りになります。
1、襲撃によって自衛隊員が誰一人死傷しなかった
2、活動中、サマワ市の乳児死亡率が三分の一にまで減少した
3、アメリカとの外交関係を強化できた
4、ついでに石油利権の確保にも成功
5、災害地域に対する自衛隊の運用、国際貢献の方法に大きく幅が広がった
イラク派遣が成功したと言えるのはなんといっても上記1番目の理由、自衛隊員が誰一人襲撃で死傷しなかったという点に尽きるでしょう。ただこれについては派遣方法が良かったというわけでもサマワ市の治安が良かったというわけではなく、サマワ市民を含めて自衛隊も警護してくれたオランダ軍による貢献や諸々の偶然によるものと言わざるを得ず、、今後海外派遣を行うに当たってはより慎重な議論が必要でしょう。
恐らく人によっては3番と4番の成功理由については怪訝に思う方がいるかもしれませんし、多分私の後輩なんてアメリカをかなり嫌っているので「とんでもない」と言いかねませんが、これについては個人的感情ではなく国家観で語らねばいけない問題であるため、毅然として私は立派な成果理由だと主張します。
なおこの件について石破氏は最初に挙げた本の中で、
「野党などはアフリカなど、支援が必要な場所がほかにもあるのにどうしてイラクにだけ行くのかと言いますが、はっきり言いますがイラクには石油がありますがほかの場所には日本が支援しても得られるものがないから行かないのです。国というものは多くの国民を抱える上で、常に損得勘定で動かなければならないのです」
というように言い切っていました。もちろん石破氏も個人的には助けを必要とする相手には可能な限り助けてあげたいと思うが国を維持する上ではそういった感情で物事を動かしてはならないと述べており、なかなか感心させられる意見を主張していました。
実際にこのイラク派遣が日本にとってどれだけ石油確保に結び付いたかはもう少し時間を待たなければ評価できませんが、行かないよりは行っておいてプラスにはなったと思います。またアメリカとの関係好転も今になって思い起こせば、後の沖縄の普天間基地をめぐる問題で致命的な段階にまで発展するのを抑えてくれたのではとやや贔屓目かもしれませんが思います。
また5番目の理由についても、このイラク派遣を経た事で自衛隊の運用の幅は格段に広がりました。私は今年の東日本大震災を始め日本で数多く起こる災害への対策には自衛隊が欠かせないと考えておりますが、中国や韓国といった周辺国では未だに警戒感が強く、こうした余計な感情を解くためにも医療支援といった国際活動を自衛隊が行っていくことがこれから大事になってくると思います。まぁ向こうの政府にとっては「自衛隊は恐ろしい組織だ」と国民に思わせることが連中の利益に適うんだけど。
最後にあるエピソードを紹介しますが、自衛隊が撤退する間際、サマワ市で現地住民による大規模なデモが起こりました。一体何事かと自衛隊で内容を調べたところ、なんでも「自衛隊よ、今までありがとう」と感謝するデモだったそうで、これを受け基地では緊急にアイスクリームなどを準備してデモでやってきた住民らに振る舞ったそうです。このエピソード一つとってもこの派遣が如何に成功したものかがわかるし、現地で立派に活動してくれた自衛隊員には頭が上がらなくなるのですが、なんでもこのデモを聞きつけた米英軍関係者が自衛隊に、
米英軍「一体どうやってああいうデモをやらせられたんだ?( ゚Д゚)」
自衛隊「いや、現地の人たちが自発的にやってくれたんだよ(;´∀`)」
米英軍「嘘つけよ、もったいぶらずに教えろって(#゚Д゚) プンスコ!」
と、なかなか信じてくれなかったそうです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2011年12月25日日曜日
シチズンの呪い
昨日、一昨日と日本から友人が香港に遊びに来ていたので一緒にまた二日間、香港観光をしておりました。ただ香港観光といっても香港には泣きたくなるくらいに観光地がないため、わざわざラマ島(南Y島)とか行って時間潰したりしました。普段はいかない、というか一人では入り辛いちゃんとした中華レストランでおいしい晩飯が食べられただけマシだったけど。
そんな二日間を終えた今日、別に明日でもよかったですがここ香港でゲームショーが開かれているので取材に行きました。会社としては別に取り上げる予定もなかったのですが自分の趣味もあって志願して特攻。プレスなのでタダで入場できるかなと思ったら入り口前にはプレス用窓口が見当たらなかったので仕方なく入場料払って入りましたが、何故か入り口のかなり奥まった所、入場料払った後じゃないと絶対にわかりっこないところにプレス用窓口があって地面を叩き悔しがる羽目となりました。
こんな具合で先日に書いた「運の尽きの一週間」でも紹介したように一向に運勢が良くなる気配が見えない日々を過ごしているわけですが、今回のゲームショー入場の件以上に一昨日の一件の方がハートに来ました。
前回の記事で私は、先週に時計のベルトが突然切れたので修理屋にベルト交換を依頼したところ、特殊な電池を使っている時計なのに、ベルト交換だけでなく勝手に普通の時計用電池に取り換えられて自慢のシチズンの時計が動かなくなった顛末を書きましたが、その後シチズンの販売店に行ってサービスセンターに向かうように住所を書いたメモを受け取りました。ただそのサービスセンターは土日は営業しておらず、平日のオフィスアワーしかやっていないということなので金土休みの自分としてはこのチャンスに行くしかないと思い、友人にセントラル(中環)周辺を案内するがてらシチズンのサービスセンターへ向かいました。
午前中の早くから目当てのサービスセンターへ向かったわけですが、どういうわけかそれらしい店は見当たりません。住所となっているところは例の如く高層ビルなのでビル内に入っているのかと思い尋ねまわりましたがどうも聞く人みんな要領が悪かったものの、最終的には「どうもそのサービスセンターは改装中」だということがわかりました。そこでサービスセンターの電話番号になっているところにかけると、「セントラルではなく九龍半島のチムシャアツイの方に行ってくれ」と、電話の相手から指示を受けました。
念のために先に書いておくと、香港にあるシチズンのサービスセンターはセントラルとチムシャアツイの二ヶ所で、自分の家からはセントラルが近かったのでセントラルを選んだわけでした。こんなことなら初めからチムシャアツイの方に行けばよかったなと友人と苦笑しましたが、少なくともそっちのお店は電話でも確認したんだし、夕方までに行けば直してもらえるだろうとこのころは安堵感をいくらか覚えていました。
こんな書き方をするくらいだからもうおおよそ予想がつくでしょうが、結論を先に述べると結局直せませんでした。
電話での確認後、自分と友人は昼食を取ってから指定されたサービスセンターへ向かったわけなのですが、こちらも商業ビル内の住所通りの部屋の前に向かってみると、またもそれらしい店は見当たりません。そんなわけでまたちょこちょこっと周辺に話を聞いて、そこだという場所に向かってみたところ、
「本日、クリスマスディナーのために12時半までの営業とさせていただきます」
という貼り紙がシチズンのポスターも貼られてあるドアに貼られていました。ちなみにこの時の時刻は午後1時10分。
さすがにこの時は普段から温厚ではないものの自分も友人の前で荒れて、口汚く文句を言うとそのガラスドアを革靴の先っぽで何度も蹴りました。恐らく友人がいなければかなり力を入れて頭突きしていたと思います。見ている友人も、「わずか40分差とは、本当に運がないな(;´Д`)」と呆れてました。その後も「今底辺なんだから、これからはいいことあるよ」と慰めてもくれましたが……。
ここでも文句を書くと、第一ディナーっつったってまだ夜まで時間があるだろに。しかもクリスマスイブならともかくこの日は23日だろ、日本の天皇誕生日でも祝うつもりかよシチズンは……。
件のお爺ちゃんの古時計ばりに動かなくなっているシチズンの腕時計は女性向けっぽいデザインながらも太陽光で動くということからこれまでお気に入りで、既に結構長く使っています。私自身が体格が小さく、特に手首に至っては女性と比較しても遜色ないくらいに細いこともあってこれが一番合っているんだろうと思っている代物だっただけに、早く修理してまた使いたい気持ちは強かったです。
ただ友人の「ここまで運が悪いってことは、シチズンと縁がないんじゃないか」という一言を受け、なんていうかもうほかの時計を買い替えてもいいじゃないかという気が持ち上がってきました。折しもクリスマスセールでカシオの時計が割引中という広告もあっちこっちに出てるし、さらに言えば先週にこの時計のベルトが切れてから何もかもが裏目裏目にでていることは事実で、記事の題にもあるように呪いのようなものを受けている気がさやかにしています。
なお昨日、前に書いた記事を見て心配した後輩が「この動画を見て元気出してください」とメールを送ってきました。この動画と、友人に持ってきてもらった水木しげるの漫画だけが心の救いです。
・総統閣下は指原アンチにお怒りのようです(Youtube)
そんな二日間を終えた今日、別に明日でもよかったですがここ香港でゲームショーが開かれているので取材に行きました。会社としては別に取り上げる予定もなかったのですが自分の趣味もあって志願して特攻。プレスなのでタダで入場できるかなと思ったら入り口前にはプレス用窓口が見当たらなかったので仕方なく入場料払って入りましたが、何故か入り口のかなり奥まった所、入場料払った後じゃないと絶対にわかりっこないところにプレス用窓口があって地面を叩き悔しがる羽目となりました。
こんな具合で先日に書いた「運の尽きの一週間」でも紹介したように一向に運勢が良くなる気配が見えない日々を過ごしているわけですが、今回のゲームショー入場の件以上に一昨日の一件の方がハートに来ました。
前回の記事で私は、先週に時計のベルトが突然切れたので修理屋にベルト交換を依頼したところ、特殊な電池を使っている時計なのに、ベルト交換だけでなく勝手に普通の時計用電池に取り換えられて自慢のシチズンの時計が動かなくなった顛末を書きましたが、その後シチズンの販売店に行ってサービスセンターに向かうように住所を書いたメモを受け取りました。ただそのサービスセンターは土日は営業しておらず、平日のオフィスアワーしかやっていないということなので金土休みの自分としてはこのチャンスに行くしかないと思い、友人にセントラル(中環)周辺を案内するがてらシチズンのサービスセンターへ向かいました。
午前中の早くから目当てのサービスセンターへ向かったわけですが、どういうわけかそれらしい店は見当たりません。住所となっているところは例の如く高層ビルなのでビル内に入っているのかと思い尋ねまわりましたがどうも聞く人みんな要領が悪かったものの、最終的には「どうもそのサービスセンターは改装中」だということがわかりました。そこでサービスセンターの電話番号になっているところにかけると、「セントラルではなく九龍半島のチムシャアツイの方に行ってくれ」と、電話の相手から指示を受けました。
念のために先に書いておくと、香港にあるシチズンのサービスセンターはセントラルとチムシャアツイの二ヶ所で、自分の家からはセントラルが近かったのでセントラルを選んだわけでした。こんなことなら初めからチムシャアツイの方に行けばよかったなと友人と苦笑しましたが、少なくともそっちのお店は電話でも確認したんだし、夕方までに行けば直してもらえるだろうとこのころは安堵感をいくらか覚えていました。
こんな書き方をするくらいだからもうおおよそ予想がつくでしょうが、結論を先に述べると結局直せませんでした。
電話での確認後、自分と友人は昼食を取ってから指定されたサービスセンターへ向かったわけなのですが、こちらも商業ビル内の住所通りの部屋の前に向かってみると、またもそれらしい店は見当たりません。そんなわけでまたちょこちょこっと周辺に話を聞いて、そこだという場所に向かってみたところ、
「本日、クリスマスディナーのために12時半までの営業とさせていただきます」
という貼り紙がシチズンのポスターも貼られてあるドアに貼られていました。ちなみにこの時の時刻は午後1時10分。
さすがにこの時は普段から温厚ではないものの自分も友人の前で荒れて、口汚く文句を言うとそのガラスドアを革靴の先っぽで何度も蹴りました。恐らく友人がいなければかなり力を入れて頭突きしていたと思います。見ている友人も、「わずか40分差とは、本当に運がないな(;´Д`)」と呆れてました。その後も「今底辺なんだから、これからはいいことあるよ」と慰めてもくれましたが……。
ここでも文句を書くと、第一ディナーっつったってまだ夜まで時間があるだろに。しかもクリスマスイブならともかくこの日は23日だろ、日本の天皇誕生日でも祝うつもりかよシチズンは……。
件のお爺ちゃんの古時計ばりに動かなくなっているシチズンの腕時計は女性向けっぽいデザインながらも太陽光で動くということからこれまでお気に入りで、既に結構長く使っています。私自身が体格が小さく、特に手首に至っては女性と比較しても遜色ないくらいに細いこともあってこれが一番合っているんだろうと思っている代物だっただけに、早く修理してまた使いたい気持ちは強かったです。
ただ友人の「ここまで運が悪いってことは、シチズンと縁がないんじゃないか」という一言を受け、なんていうかもうほかの時計を買い替えてもいいじゃないかという気が持ち上がってきました。折しもクリスマスセールでカシオの時計が割引中という広告もあっちこっちに出てるし、さらに言えば先週にこの時計のベルトが切れてから何もかもが裏目裏目にでていることは事実で、記事の題にもあるように呪いのようなものを受けている気がさやかにしています。
なお昨日、前に書いた記事を見て心配した後輩が「この動画を見て元気出してください」とメールを送ってきました。この動画と、友人に持ってきてもらった水木しげるの漫画だけが心の救いです。
・総統閣下は指原アンチにお怒りのようです(Youtube)
2011年12月23日金曜日
坂本龍馬の評価について
坂本龍馬とくれば誰もが知っている日本史の人物ですが、率直に言って私はこの人物はやや過大評価されているきらいがあるかと思い、厳密な評価とするべく再議論するべき人物だと考えております。
・坂本龍馬(Wikipedia)
まず先に断っておくと、私は別に坂本竜馬を嫌っているわけでもなければ彼を評価していないというわけではありません。薩長同盟を仲介したことや船中八策といい、非常に先見の明のある人物であることは私も太鼓判を押します。
では彼の評価でどこが問題なのかというと、その多くは彼と深く関わった勝海舟の証言によるエピソードです。知ってる人には有名ですがこの勝海舟という人物は非常に大法螺吹きな人物で、咸臨丸で同乗した福沢諭吉なんか非常に嫌ったほどです。その勝は生前の坂本についていろいろなことを証言しているのですが、「俺を殺そうとやってきたところ、俺の話を聞いて逆に弟子入りを志願してきた」など、聞いててほんとかよといいたくなるようなことを散々話しています。この坂本の勝への弟子入りのエピソードは勝の証言以外には確認するべき資料がなく、また私個人としても生前の坂本の行動を考慮すると彼が幕臣である勝を突然斬りにいくとは思えず(高杉晋作、伊藤博文ならやりかねないが)、恐らくこの話は勝の作り話かと思います。
このほか千葉道場で北辰一刀流の免許皆伝を得たほどの剣術の腕前だったと巷間伝えられておりますが、現在確認される限りでは彼が認可されたのは一番低い「初目録」、しかも剣道ではなく薙刀法でしかありません。剣術の腕前は強かったという証言は残っているので恐らく本当に強かったのは間違いないでしょうが。
また彼の妻であるお龍にまつわるエピソードについても、私は大半の話を疑っております。というのもこのお龍というのは明治期に「自分は坂本龍馬の妻だった」と盛んに喧伝して回ったと言われており、この経路からも事実かどうか怪しいエピソードがたくさん作られたのではないかと密かに睨んでおります。
自分は歴史というものは過大にも過小にも評価してはならないと考えており、常により精密な評価とするよう研究されるべきだと考えております。しかし坂本龍馬に限らず英雄的な人物はことさら功績ばかりが大きく評価される事が多く、時によってはありもしないエピソードが捏造されることもあり、一般の人物より注意してみていく必要があります。吉良上野介など悪人とされる人物にとっても同様ですが。
そういう意味では坂本龍馬はやや持ち上げられ過ぎなところが感じられ、今後よりバランスの取れた評価が確立されることを個人的に希望します。
・坂本龍馬(Wikipedia)
まず先に断っておくと、私は別に坂本竜馬を嫌っているわけでもなければ彼を評価していないというわけではありません。薩長同盟を仲介したことや船中八策といい、非常に先見の明のある人物であることは私も太鼓判を押します。
では彼の評価でどこが問題なのかというと、その多くは彼と深く関わった勝海舟の証言によるエピソードです。知ってる人には有名ですがこの勝海舟という人物は非常に大法螺吹きな人物で、咸臨丸で同乗した福沢諭吉なんか非常に嫌ったほどです。その勝は生前の坂本についていろいろなことを証言しているのですが、「俺を殺そうとやってきたところ、俺の話を聞いて逆に弟子入りを志願してきた」など、聞いててほんとかよといいたくなるようなことを散々話しています。この坂本の勝への弟子入りのエピソードは勝の証言以外には確認するべき資料がなく、また私個人としても生前の坂本の行動を考慮すると彼が幕臣である勝を突然斬りにいくとは思えず(高杉晋作、伊藤博文ならやりかねないが)、恐らくこの話は勝の作り話かと思います。
このほか千葉道場で北辰一刀流の免許皆伝を得たほどの剣術の腕前だったと巷間伝えられておりますが、現在確認される限りでは彼が認可されたのは一番低い「初目録」、しかも剣道ではなく薙刀法でしかありません。剣術の腕前は強かったという証言は残っているので恐らく本当に強かったのは間違いないでしょうが。
また彼の妻であるお龍にまつわるエピソードについても、私は大半の話を疑っております。というのもこのお龍というのは明治期に「自分は坂本龍馬の妻だった」と盛んに喧伝して回ったと言われており、この経路からも事実かどうか怪しいエピソードがたくさん作られたのではないかと密かに睨んでおります。
自分は歴史というものは過大にも過小にも評価してはならないと考えており、常により精密な評価とするよう研究されるべきだと考えております。しかし坂本龍馬に限らず英雄的な人物はことさら功績ばかりが大きく評価される事が多く、時によってはありもしないエピソードが捏造されることもあり、一般の人物より注意してみていく必要があります。吉良上野介など悪人とされる人物にとっても同様ですが。
そういう意味では坂本龍馬はやや持ち上げられ過ぎなところが感じられ、今後よりバランスの取れた評価が確立されることを個人的に希望します。
2011年12月21日水曜日
日本の中国国債購入報道に対する香港の反応
寝ても覚めても疲労が抜けないのでささっと書ける地元ネタを一本書きます。
昨日、日系メディアなどで日本が中国の国債を購入するのを検討していると報じられましたが、これに対して香港メディアもかなり食いつきよく反応していました。どの新聞、言ってしまえば経済紙のみならず大衆紙までもが比較的大きく取り上げ、「日本が中国国債を購入することで人民元の国際化が進む」と好意的に書かれていました。
何故このような反応を香港メディアが見せたのかは実に簡単で、人民元の国際流通規模が大きくなればなるほど香港の儲けは大きくなるからです。現在香港の金融機関は市場には流通せず、投資のみに使われるオフショア人民元相場(実際に流通しているのはオンショア人民元相場という)を始め、人民元の決済業務など中国本土から様々な優遇を得ており、これらの業務を独占することでえらい利益を上げております。そんなHSBCをはじめとした香港の金融機関は人民元が国際社会でもっと利用されればされるほどこれら業務によって得られる利益は膨らむことから、常日頃から「人民元の国際化に向けて」という音頭の元であれこれ外に向かって喧伝しています。
なおこの日本の中国国債購入に対する私の意見はというと、日中で国債を持ち合うことによって互いに牽制となるだけでなく、前のレアアース輸出差し止めみたいな強攻策をとると中国も損するという構図が生まれることから、多少なりとも持ち合うことはお互いの利益に適うと考えています。
ちょっと文字数が少ないのでもう一つこっちのニュースを紹介すると、この前好きな国、嫌いな国アンケートが香港で実施されたところ、好きな国の1位にはなんと香港のライバル国とされているシンガポールが入ってきました。逆に嫌いな国にはフィリピンが1位で、その次の2位には中国本土が来たのがいろいろと面白いです。
昨日、日系メディアなどで日本が中国の国債を購入するのを検討していると報じられましたが、これに対して香港メディアもかなり食いつきよく反応していました。どの新聞、言ってしまえば経済紙のみならず大衆紙までもが比較的大きく取り上げ、「日本が中国国債を購入することで人民元の国際化が進む」と好意的に書かれていました。
何故このような反応を香港メディアが見せたのかは実に簡単で、人民元の国際流通規模が大きくなればなるほど香港の儲けは大きくなるからです。現在香港の金融機関は市場には流通せず、投資のみに使われるオフショア人民元相場(実際に流通しているのはオンショア人民元相場という)を始め、人民元の決済業務など中国本土から様々な優遇を得ており、これらの業務を独占することでえらい利益を上げております。そんなHSBCをはじめとした香港の金融機関は人民元が国際社会でもっと利用されればされるほどこれら業務によって得られる利益は膨らむことから、常日頃から「人民元の国際化に向けて」という音頭の元であれこれ外に向かって喧伝しています。
なおこの日本の中国国債購入に対する私の意見はというと、日中で国債を持ち合うことによって互いに牽制となるだけでなく、前のレアアース輸出差し止めみたいな強攻策をとると中国も損するという構図が生まれることから、多少なりとも持ち合うことはお互いの利益に適うと考えています。
ちょっと文字数が少ないのでもう一つこっちのニュースを紹介すると、この前好きな国、嫌いな国アンケートが香港で実施されたところ、好きな国の1位にはなんと香港のライバル国とされているシンガポールが入ってきました。逆に嫌いな国にはフィリピンが1位で、その次の2位には中国本土が来たのがいろいろと面白いです。
2011年12月19日月曜日
金正日の死去について
既に各地、というより世界中で報じられていますが、本日北朝鮮が金正日総書記が死去したと報じました。私はこの報道を香港のテレビで知りましたが、江○民の例もあるからちょっと警戒しましたが、北朝鮮本国が発表しているようなので事実に間違いないでしょう。たぶん。
報道を受けた際にまず私が思ったこととして、なんていうか前兆はあったなというのが真っ先に浮かびました。その前兆というのも、これは日系メディアも報じていましたが例の大声でシャウトしまくる北朝鮮の女子アナがここ数週間、全くテレビに映っていませんでした。私も若い頃(高校生)は彼女のモノマネを得意として、新卒時の就職活動中の面接でも一回演じた(実話)こともあったことから気になってはいたのですが、今になって思うと今回のこの報道に合わせて練習なり下準備をやっていたのかもしれません。
それで今後予想される展開ですが、あくまで私見ながらそうそう急に何かが起こることはないと思います。ネットや変なメディアのニュースとか見ていると「すわクーデターか」などといろいろ危機感を無用に煽る記事や発言も目立ちますが、北朝鮮の軍部にとって金一族体制が続くことが軍部の利益に最も沿うことを考えると、少なくとも数年は大きな音沙汰もなく今の状態が続くかと思います。アラブの春みたいに住民が蜂起する可能性も、あの国の栄養や経済事情を考えるとありえなさそうですし。
下世話な話をすると今回の金正日の死去で一番得したのは李明薄韓国大統領でしょう。このところ支持率も落ちていると報じられていましたし、国民からの批判そらしに使う日本への従軍慰安婦カードを切ってきたことからも相当行き詰まり感が見られましたが、今回のこの一件で一連の批判は忘れられますししばらくは支持率も持ち直すでしょう。
次に日本への影響ですが、まず国全体にはそもそも外交すら結んでないので何の影響もありません。話題となっている朝鮮総連系の学校への授業料無償化問題も一回だけ大きく騒いでまた元の木阿弥に戻るでしょう。ただ民間では2週間程度はワイドショーのネタとして持てはやされ、先ほどの無用に危機感を煽る人間は仕事にありつけられるんじゃないでしょうか。あんなくだらない連中の話を聞くくらいなら、まだ山路徹氏の女性の口説き方講座のが社会上で価値があるような気がします。っていうかこの人は「危機管理意識、記者会見での謝り方」を東電やオリンパスに指南するべきだろう。
あと今後の北朝鮮の出方について朝鮮事情は素人ながら一言申し上げると、やはり融和路線に傾くような気がします。ちょうど先週あたりからアメリカと交渉していてアメリカも食糧支援に合意したとか報じられていましたし、場合によっては6ヶ国協議にも復帰してくる可能性もあると見ています。根拠としては金正日時代ほどまだ支配権力が確立していないのと、中国から経済官僚を呼び寄せて改革開放政策についてレクチャーを受けているという報道からです。
日本として最も望ましいのはやはり6ヶ国協議が再開し、多少お金を払ったっていいから拉致被害者の帰還を実現させることです。もっともこちらからどうこうするような話ではないので、まずはしばらく様子見に徹するほかありませんが。
最後に、今日のこの報道を受けて日経から読売、サーチナってかほぼすべての報道機関で「影響を受け株価が大幅下落」という見出しで日経平均株価を報じてましたが、今日の下落幅は105円で、私だけかもしれませんが「大幅下落」という表現を使うほど落ちているようには思いません。さすがに200円落ちたらえらいこっちゃと思いますがこの程度の変動でいちいち大騒ぎするほどだとは思いませんし、先ほども書いたように無用に危機感を煽るような書き方で個人的にはなはだ気に入りません。
報道を受けた際にまず私が思ったこととして、なんていうか前兆はあったなというのが真っ先に浮かびました。その前兆というのも、これは日系メディアも報じていましたが例の大声でシャウトしまくる北朝鮮の女子アナがここ数週間、全くテレビに映っていませんでした。私も若い頃(高校生)は彼女のモノマネを得意として、新卒時の就職活動中の面接でも一回演じた(実話)こともあったことから気になってはいたのですが、今になって思うと今回のこの報道に合わせて練習なり下準備をやっていたのかもしれません。
それで今後予想される展開ですが、あくまで私見ながらそうそう急に何かが起こることはないと思います。ネットや変なメディアのニュースとか見ていると「すわクーデターか」などといろいろ危機感を無用に煽る記事や発言も目立ちますが、北朝鮮の軍部にとって金一族体制が続くことが軍部の利益に最も沿うことを考えると、少なくとも数年は大きな音沙汰もなく今の状態が続くかと思います。アラブの春みたいに住民が蜂起する可能性も、あの国の栄養や経済事情を考えるとありえなさそうですし。
下世話な話をすると今回の金正日の死去で一番得したのは李明薄韓国大統領でしょう。このところ支持率も落ちていると報じられていましたし、国民からの批判そらしに使う日本への従軍慰安婦カードを切ってきたことからも相当行き詰まり感が見られましたが、今回のこの一件で一連の批判は忘れられますししばらくは支持率も持ち直すでしょう。
次に日本への影響ですが、まず国全体にはそもそも外交すら結んでないので何の影響もありません。話題となっている朝鮮総連系の学校への授業料無償化問題も一回だけ大きく騒いでまた元の木阿弥に戻るでしょう。ただ民間では2週間程度はワイドショーのネタとして持てはやされ、先ほどの無用に危機感を煽る人間は仕事にありつけられるんじゃないでしょうか。あんなくだらない連中の話を聞くくらいなら、まだ山路徹氏の女性の口説き方講座のが社会上で価値があるような気がします。っていうかこの人は「危機管理意識、記者会見での謝り方」を東電やオリンパスに指南するべきだろう。
あと今後の北朝鮮の出方について朝鮮事情は素人ながら一言申し上げると、やはり融和路線に傾くような気がします。ちょうど先週あたりからアメリカと交渉していてアメリカも食糧支援に合意したとか報じられていましたし、場合によっては6ヶ国協議にも復帰してくる可能性もあると見ています。根拠としては金正日時代ほどまだ支配権力が確立していないのと、中国から経済官僚を呼び寄せて改革開放政策についてレクチャーを受けているという報道からです。
日本として最も望ましいのはやはり6ヶ国協議が再開し、多少お金を払ったっていいから拉致被害者の帰還を実現させることです。もっともこちらからどうこうするような話ではないので、まずはしばらく様子見に徹するほかありませんが。
最後に、今日のこの報道を受けて日経から読売、サーチナってかほぼすべての報道機関で「影響を受け株価が大幅下落」という見出しで日経平均株価を報じてましたが、今日の下落幅は105円で、私だけかもしれませんが「大幅下落」という表現を使うほど落ちているようには思いません。さすがに200円落ちたらえらいこっちゃと思いますがこの程度の変動でいちいち大騒ぎするほどだとは思いませんし、先ほども書いたように無用に危機感を煽るような書き方で個人的にはなはだ気に入りません。
2011年12月18日日曜日
運の尽きの一週間
・12月11日
昼間は仕事だったが適当にはっちゃけて家に帰る。散々ゲームして楽しく過ごして満足感とともに眠ろうとしたら急に悪寒が来る。
・12月12日
前夜の悪寒のせいでほとんど眠れないまま会社に出勤。体調も非常に悪く、昨晩に食べた物が未だに胃の中であらん限りの存在感を発揮して吐き気も覚える。さすがにまずいと思ったので上司に話して素直に早退するが、家帰って布団くるまっても全然体温が作れないから寒くてしょうがない。会社からがめてきた貼るカイロだけが、唯一感じられる温かみだった。
・12月13日
さすがに一日中寝たのでどうにか体が動けるまでに回復。とはいってもまだけだるさは残っていたが、さすがにそうそう休んでいられない。昼休みに昼食のパンを買いに出かけたところ、左腕の時計のベルトが切れ、同僚と「下駄の鼻緒じゃないけど縁起悪いね」と話すが見事に的中する。
夕方、突然次の日に取材予定が入り、当初は別の人間が行くことも考えられたが英語だけの説明会ということで急遽自分が行くことに。病み上がりなのに。おまけにその日に遅番を終えて帰宅途中に飲食店で晩飯食べてると電話が入り、「悪い、原稿差し替え」と他部署からの連絡を受け急遽事務所にUターン。振り回される一日だった。
・12月14日
12日にあまり食べられなかったから前夜にラーメン半チャーハンと大量に食べたところ、消化器官の調子が悪いままでまたも胃の中で際立つ存在感。吐きそうな気分のまま朝8時から取材先へ。来年香港で開かれる金融会議の朝食を兼ねたブリーフィングだったが、参加者みんな英語が上手くて何言ってるかほとんどわからなかったが、唯一記憶に残ったのは香港の大手銀行CEOがメシ食うのがやけに早かったということだけだった。それでもきちんと原稿に仕上げられたからまだ救いだ。
やはり胃の調子が悪いので昼食は抜き、夜も食事量を抑えた。
・12月15日
日~木出勤だからこの週はこの日が最後。今日が終われば思い切り寝られると思って頑張る。昼には職場のみんなで飲茶を食べに行くが、胃の調子が悪いのにまたそこそこ量を食べてすこし気分を悪くする。
・12月16日
休みということで朝、昼、晩を限りなく眠り続ける。真面目に測ったら14時間くらい寝ていた。
・12月17日
昨日に寝過ぎたからちょこっと外出。歩いている最中に時計の修理屋を見つけたから13日に切れたベルトの交換を依頼するが、何故か頼んでもないのに勝手に電池まで交換された。自分の使っている時計はシチズンの「エコドライブ」という太陽光で駆動する時計のため、通常の電池とは異なる電池が使用されている。そのため焦って戻すように頼むが、「こういうのは2年で取り替えるんだ。ほら、ちゃんと動いてるだろ」と言われて、確かに動いているのを確認する。が、やはり家に帰った頃にはまた止まっていた。ネットでも確認したが、やはり普通の電池はダメらしい。この辺でいろんな糸が切れて泣き崩れる。
・12月18日
出勤。昼休みにシチズンの香港サービスセンターへ行こうとするが、あらかじめ電話をかけたら誰もでんわ。土日はやっていないようだ。仕方ないので仕事を終えた後の夕方にシチズンの専門店に行ってみるが、やはりサービスセンターじゃないと対応できないと追い帰される。
帰路、ここ1週間で急激にメガネが合わなくなって焦点がずれ、吐きそうになりながらも自宅に戻り今に至る。自衛隊のイラク派遣を振り返るものとか、来年の香港行政長官選挙についてでも書こうと思ってたがとてもそんな精神状態じゃなく、頭痛と闘いながらこの記事を書いている。
それにしてもここまでやる行動すべてが裏目に出るのも随分久しぶりな気がする。人間、何やってもダメな時はたまにあるとは肝に念じているが、先週に後輩に、「俺は逆境の中でこそ真価を発揮するタイプだ( ゚∀゚)」と言った矢先でもあるので、くじけちゃダメだと何度も自分に言い聞かせている。
昼間は仕事だったが適当にはっちゃけて家に帰る。散々ゲームして楽しく過ごして満足感とともに眠ろうとしたら急に悪寒が来る。
・12月12日
前夜の悪寒のせいでほとんど眠れないまま会社に出勤。体調も非常に悪く、昨晩に食べた物が未だに胃の中であらん限りの存在感を発揮して吐き気も覚える。さすがにまずいと思ったので上司に話して素直に早退するが、家帰って布団くるまっても全然体温が作れないから寒くてしょうがない。会社からがめてきた貼るカイロだけが、唯一感じられる温かみだった。
・12月13日
さすがに一日中寝たのでどうにか体が動けるまでに回復。とはいってもまだけだるさは残っていたが、さすがにそうそう休んでいられない。昼休みに昼食のパンを買いに出かけたところ、左腕の時計のベルトが切れ、同僚と「下駄の鼻緒じゃないけど縁起悪いね」と話すが見事に的中する。
夕方、突然次の日に取材予定が入り、当初は別の人間が行くことも考えられたが英語だけの説明会ということで急遽自分が行くことに。病み上がりなのに。おまけにその日に遅番を終えて帰宅途中に飲食店で晩飯食べてると電話が入り、「悪い、原稿差し替え」と他部署からの連絡を受け急遽事務所にUターン。振り回される一日だった。
・12月14日
12日にあまり食べられなかったから前夜にラーメン半チャーハンと大量に食べたところ、消化器官の調子が悪いままでまたも胃の中で際立つ存在感。吐きそうな気分のまま朝8時から取材先へ。来年香港で開かれる金融会議の朝食を兼ねたブリーフィングだったが、参加者みんな英語が上手くて何言ってるかほとんどわからなかったが、唯一記憶に残ったのは香港の大手銀行CEOがメシ食うのがやけに早かったということだけだった。それでもきちんと原稿に仕上げられたからまだ救いだ。
やはり胃の調子が悪いので昼食は抜き、夜も食事量を抑えた。
・12月15日
日~木出勤だからこの週はこの日が最後。今日が終われば思い切り寝られると思って頑張る。昼には職場のみんなで飲茶を食べに行くが、胃の調子が悪いのにまたそこそこ量を食べてすこし気分を悪くする。
・12月16日
休みということで朝、昼、晩を限りなく眠り続ける。真面目に測ったら14時間くらい寝ていた。
・12月17日
昨日に寝過ぎたからちょこっと外出。歩いている最中に時計の修理屋を見つけたから13日に切れたベルトの交換を依頼するが、何故か頼んでもないのに勝手に電池まで交換された。自分の使っている時計はシチズンの「エコドライブ」という太陽光で駆動する時計のため、通常の電池とは異なる電池が使用されている。そのため焦って戻すように頼むが、「こういうのは2年で取り替えるんだ。ほら、ちゃんと動いてるだろ」と言われて、確かに動いているのを確認する。が、やはり家に帰った頃にはまた止まっていた。ネットでも確認したが、やはり普通の電池はダメらしい。この辺でいろんな糸が切れて泣き崩れる。
・12月18日
出勤。昼休みにシチズンの香港サービスセンターへ行こうとするが、あらかじめ電話をかけたら誰もでんわ。土日はやっていないようだ。仕方ないので仕事を終えた後の夕方にシチズンの専門店に行ってみるが、やはりサービスセンターじゃないと対応できないと追い帰される。
帰路、ここ1週間で急激にメガネが合わなくなって焦点がずれ、吐きそうになりながらも自宅に戻り今に至る。自衛隊のイラク派遣を振り返るものとか、来年の香港行政長官選挙についてでも書こうと思ってたがとてもそんな精神状態じゃなく、頭痛と闘いながらこの記事を書いている。
それにしてもここまでやる行動すべてが裏目に出るのも随分久しぶりな気がする。人間、何やってもダメな時はたまにあるとは肝に念じているが、先週に後輩に、「俺は逆境の中でこそ真価を発揮するタイプだ( ゚∀゚)」と言った矢先でもあるので、くじけちゃダメだと何度も自分に言い聞かせている。
2011年12月16日金曜日
ネパール王族殺害事件について
先日にブータン国王が来日した際は日本中で大フィーバーとなったそうですが、こういう外交を見るにつけやはり王室というものは大事だと実感させられます。私は中学生くらいまでは天皇制を批判していましたが、アメリカやフランスなど王室のない国とイギリスや日本の外交を比べた際にやはりこういったロイヤルファミリーがいるといないと全然戦術の幅が違っており、また日本の歴史的流れから言ってもやはり皇室は大事だと現在は思うように至っています。また世界を見回してもタイではこのところ何度も政変が起きましたが、そのたびに王室が極めて重要な役割をして混乱を最小限に食いとどめております。仮にいなかったら、本当にどうなってるんだろうな。
そんな世界の王室たちですが、最近になって十年前のネパールで大きな事件が起きていたことを知りました。
・ネパール王族殺害事件(ウィキペディア)
この事件の概要を簡単に話すと、2001年6月のある日、王族内の夕食会中にディペンドラ王太子が銃を乱射し、ビレンドラ国王を含む王族9人が一度に亡くなったという事件です。事件自体は現場にいた国王の孫婿であるシャヒ大佐によって明らかにされましたが、犯人のディベンドラ王太子はその場で自殺を図って事件3日後に死亡しています。
王族が一度にこれほどなくなるという非常にショッキングな事件内容はもとより、この事件は当初より陰謀論が強く疑われています。主だったものをあげるとまず犯人のディベンドラ王太子の銃創は後ろから撃たれたもので、自殺を図ったとするには不自然な姿勢で発砲している点と、事件後に国王に即位した王弟のギャネンドラの一家だけは全員無事だったことがあります。
こうした背景からこの事件は宮中クーデターという見方が未だに強いそうですが、今となっては真相はもうどうでもいいことになりつつあります。というのもネパール王室はギャネンドラ国王時代に専制を強めようとする国王に対して大きな民主化運動が起こり、2008年に王制は廃止されて共和制に移行しました。
結果的に言えばこの事件がきっかけでネパール王室は潰れることとなったわけです。皮肉と言えば皮肉ですが、当然の帰結と言えば当然かもしれません。
そんな世界の王室たちですが、最近になって十年前のネパールで大きな事件が起きていたことを知りました。
・ネパール王族殺害事件(ウィキペディア)
この事件の概要を簡単に話すと、2001年6月のある日、王族内の夕食会中にディペンドラ王太子が銃を乱射し、ビレンドラ国王を含む王族9人が一度に亡くなったという事件です。事件自体は現場にいた国王の孫婿であるシャヒ大佐によって明らかにされましたが、犯人のディベンドラ王太子はその場で自殺を図って事件3日後に死亡しています。
王族が一度にこれほどなくなるという非常にショッキングな事件内容はもとより、この事件は当初より陰謀論が強く疑われています。主だったものをあげるとまず犯人のディベンドラ王太子の銃創は後ろから撃たれたもので、自殺を図ったとするには不自然な姿勢で発砲している点と、事件後に国王に即位した王弟のギャネンドラの一家だけは全員無事だったことがあります。
こうした背景からこの事件は宮中クーデターという見方が未だに強いそうですが、今となっては真相はもうどうでもいいことになりつつあります。というのもネパール王室はギャネンドラ国王時代に専制を強めようとする国王に対して大きな民主化運動が起こり、2008年に王制は廃止されて共和制に移行しました。
結果的に言えばこの事件がきっかけでネパール王室は潰れることとなったわけです。皮肉と言えば皮肉ですが、当然の帰結と言えば当然かもしれません。
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