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2012年5月8日火曜日

KOEIのゲームでやったこと

 最近なんだか暗いことばかり書いているような気がするので、久々にどうでもいい過去の体験談を書こうかと思います。
 さてKOEIのゲームとくれば「信長の野望」とか「三国志」に代表される歴史シュミレーションゲームが多いですが、最近のは非常に細かく作りこまれていてリアル志向なゲームが多いものの、昔のバージョンだとシステムも大雑把でとっつきやすかったり、逆手に取った反則的な技もできたりしました。そこで今日は古き良きKOEIのゲームで私がやらかした、もしくは一般的だったプレイを紹介します。

  1、社会主義政策
 これは「三国志3」のような、シムシティ並みに税率を自由に変えることのできるシリーズで使えた技です。具体的にどんな技かというと、兵糧だったり軍資金が自動的に徴収される月(1月と7月)の直前に税率を100%にするだけです。ちなみに一般的なシリーズだと四公六民こと税率は40%でこれより高いと民心は下がり、低いと民心は上がってきます。なもんだから100%にすると民心は下がるのですが、昔のシリーズは大雑把だから税率100%で徴収するだけ徴収し、施しとして兵糧を配って税率を元の40%に戻した方が、民心も高水準を維持した上に最終的に手元に残る兵糧は多かったりしました。一旦すべて吸い上げて再分配するという過程から、社会主義政策という名前が付いたわけです。

  2、落とし穴の恐怖、決死隊

 同じく「三国志3」ですが、このゲームは戦闘開始の前に守備側が落とし穴を掘ることが出来ました。この落とし穴、そんな地味な罠で一体……とか思えたりするのですが地味に強力で、はまったりすると兵士が五千人くらい一気にふっとんだりします。っていうか、五千人も入る落とし穴ってのも突っ込んだらあれだけど。
 真面目にこのゲームでは落とし穴が戦局を大きく左右するところがあり、兵士数に余裕を持って攻め込んでみたものの落とし穴にやられて撤退となることもあったりします。そこで攻め手の対策として考えられたのは「決死隊」こと、百人程度の小部隊を一隊作り、全部隊の先頭を走らせ落とし穴を未然に発見する、っていうか落ちてもらう役割の部隊を作るという作戦です。なんていうかせせこましい作戦でしたが、落とし穴にはまるくらいならと毎回決死隊を用意していたのはいい思い出です。

  3、裏切りの恐怖
 これは比較的に相手武将を寝返らせやすい「信長の野望 天翔記」でやったことですが、普通に戦うのに飽きて戦争を起こす前に相手方の武将すべてにリクルートをかけてみました。その結果、戦争が始まるや否や大将を除く全武将が味方に寝返って、関ヶ原の石田光成もびっくりなくらいな負かせ方をして見せたことがありました。現実にこんなことあったらいやだろうな。

  4、血に染まる大地
 これは私ではなく友人がやらかしたことですが、「信長の野望」で天下統一直前まで持っていったところ、プレイする大名とその親類を除くすべての部下に対して切腹を申し渡したそうです。天下統一直前だとすると切腹対象となった武将は多分百人以上は確実にいるでしょうがその友人曰く、「切腹をする際のザシュッという音が延々と続いた(けどやめなかった)」とのことです。

  5、裏切るはずだったのに……
 三国志では「埋伏」といって、忠誠心の高い部下をわざと相手方に潜り込ませてスパイ活動をさせたり、戦争時に裏切らせたりすることが出来ます。このコマンドを実行している間はその部下を直接使うことが出来ないというデメリットもありますが、確実に裏切ってくれるので非常に使い勝手のいいコマンドです。
 そんな使い勝手のいいコマンドですが、使用対象となるのは上記の理由から「普段直接使う機会がないほど能力が低い武将」に限られてきます。そのため口減らしとばかりに適当な武将を相手方に潜り込ませたのですが、所詮は能力の低い武将であったために戦争になっても相手方の武将として出してもらえず、戦争に勝利した後にほかの文官っぽい武将共々捕縛しました。捕縛した武将は登用するか解放するか処刑するか選べるのですが、「埋伏させた武将って、処刑できるのかな?」とか思ってその武将に処刑を言い渡してみたところ出来ちゃいました。向こうとしては言われるままに相手方に潜り込んだらそのまま処刑されてしまうという不条理この上ない処置だったでしょうに、今思うと悪いことしたなぁって気になります。

2012年5月7日月曜日

多機能の弊害

 大分昔、具体的には2005年に見た掲示板で「文系と理系の違い」というものがありました。この掲示板ではそのタイトルの通りに文系と理系の違いについてあれこれ特徴を挙げられていたのですが、個人的にツボにはまったのは「文系は理系を、文系に使われていると思っている。一方理系は、文系は金に使われていると思っている」という一節でした。
 そんな掲示板を眺めていた私自身は文系でしたが、そもそもなんでこっちに進んだのかというと元々の適正が文系に向いていたこともありますが予備校の講師から、「管理職には慣れないから理系には進むな」と中学生の頃に言われたことも大きな理由となっております。私自身は今でもそうですが人生お金じゃない、管理職に慣れないからといって理系に行くべきじゃないというのはロマンがないとその講師に当時反論を呈したのですが、「そりゃ確かに技術者は能力的にも社会的にも立派だが、日本はそういう人たちを評価するような仕組みじゃない」と言って退けました。今となってはこの講師の発言は自分を慮ってのものでいろいろ尊敬も覚えているのですが、発言内容についてはその後紆余曲折がありました。

 まず私が大学生だった頃、当時はトヨタをはじめとしたメーカーがある意味最盛期だったこともあって、やはり技術者はその働きや貢献に対して社会の評価が低すぎるのではと感じていました。こうした価値観はその後もしばらく続きましたが、何故かこの頃に至っては真逆の考え方、日本はちょっと技術者を大事にし過ぎたのでは、天狗にさせてしまったのではと考え直すようになってきました。
 このように考えるようになったきっかけは地デジ化に合わせて両親が買った新しいテレビからでした。まず何に驚いたのかというとリモコンのボタンがあまりにも多いという点で、初見では時間指定の録画はおろかチャンネル合わせすらおぼつかない有様でした。もちろんマニュアル読めば対応することはできますが、そもそもこれだけいっぱいボタンを付ける必要はあったのか、さらに録画の方法も複数種類あってここまで必要なのかといろんな疑問が出てきました。そりゃ通の人だったら欲しがるかもしれませんが、自分が少数派である可能性は抜け切れないもののもっとシンプルで誰にでも使えるような、携帯で言えばツーカーみたいな代物をどうしてどこも売ろうとしないのかと考え始めたわけです。

 こうした疑問を持っているとやはり類は友を呼ぶというか、関連した掲示板とか情報が目につくようになってきました。まず海外マーケティングで言うと日本製は無駄に多機能で値段が高いが、サムスンなどはその間隙を突くように機能を必要で求められているものに絞って販売した結果、大きな成功をおさめたという話を冗談抜きで真面目にあちこちで聞くようになりました。また日本国内でもイオンが売り出してヒットした、低速だけど安価のデータ通信カードにしても、速くなくてもいいからネットにつなげられないものかと自分もこういう商品を待望していた時期があっただけにさもありなんとヒットを納得していました。

 また話がまどろっこしくなってしまいましたが何が言いたいのかというと、日本の技術者はほぼ全般にわたってなんでもかんでもつけられる機能を全部くっつけてしまおう、機能が多いことはともかくいいんだとするところがあるように感じます。そりゃ多機能であればいざって時に使えていいのかもしれませんが、実際にはほとんど使わない機能があると邪魔なことこの上ないですし、またそんな余計な機能付けるくらいならもうちょっと値段を安くしたり、わかりやすい設定にしてほしいという思いがあります。
 では何故こんな余計な機能満載の商品が日本メーカーから多数出るようになったのでしょうか。あくまで仮説でしか言えませんが一つの原因はやはり日本国内の技術者の価値観とか伝統からではないかと私は思います。こうした話が議論されている掲示板を見たりすると現場でも一部の技術者が機能を限定しようとしているらしいですがどうも上から「多機能を」という天の声が下りているそうです。また中国に来ているメーカーの話を聞いても、現地のマーケティング調査結果を何度伝えても商品開発に繋がらないので、研究開発拠点ごと中国現地に持って来るべきだという声も耳にしたりします。

 日本人は高度経済成長期に、ラジオとカセットプレイヤーを一体化したラジカセなど複数の機能を組み合わせた製品を作ることで成功を収めてきました。これは何度もこのブログ内で言及していますが、成功体験というのは人を容易に誤らせるもので、早めに忘れるに越したことはないでしょう。

2012年5月6日日曜日

チャーチルの時代、ナポレオンの時代

 ちょっと間が空いての執筆再開です。それにしても上海の昼間はこのところ暑くて生きてて辛いです。

 日本だとあまり伝記の類を見ることがありませんが、二次大戦中のイギリス首相として活躍したチャーチルの人生は少なくとも私にとって非常に面白いものです。それこそ二十世紀の人物に限ればマハトマ・ガンディーや水木しげる氏ばりに波乱と名言に満ちた人生で、まだあまり知らない人は今からでも遅くないから上記リンク先のウィキペディアの記事を読むことを強くお勧めします。

 そんな私のお気に入りのチャーチルですが、どうもこの人は英雄譚とか歴史が子供の頃から非常に好きだった関係もあって要所要所でそれらしい、っていうか本人も後世に残す気満々のセリフを自分に酔いながら言っています。もっともそれらのセリフをただのおっさんの独り言で済まさずにきちんと名言として残しているのはさすがというよりほかないのですが、あまりにもそういった名言が多すぎるために中には事実無根のセリフまでチャーチルが言ったことになっているのも少なくありません。
 そのような言ってもない名言の代表例として、「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」という競馬狂ならみんな知っててもおかしくないセリフがありますが、確かにイギリス人は競馬が大好きですがこれは今に至るまで出典が明らかになっておらず、最近の報道だとJRAの職員が創作したという証言も出ています。

 そんな作り話は一旦置いといて、実際にチャーチルが発言したとされる名言の中で私の一番のお気に入りは第一次大戦後に述べた下記のセリフです。

「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを生み出すことになる」

 これほど後の戦争のシステムを言い当てた名言はほかにないと私は考えております。チャーチルの予言通り、二次大戦は戦地の指揮官ではなく安全な本国で全体を指揮する戦争となり、最終的にはミサイルや核爆弾の投下を指示するだけの人間が勝者と扱われるようになりました。一部のSF小説などではこうした戦争のシステムがさらに発展し、ロボットが片方の国を襲って自動的に人間を殺していくという、文字通り人の血も涙もない戦争になるという未来の描き方をしていますが、第一次世界大戦直後にこのような事態を予感していたというのはさすがというよりほかありません。

 と、こうやって散々にチャーチルを誉めておきながらですが、このセリフに感心しつつも現代はナポレオンの時代に回帰しているのではないかという感想をこのところ持っております。もちろん戦争についてはこの前のイラク戦争同様に奥の院で指揮取るのが当たり前で変わりありませんが、少なくとも企業活動の場では総大将の役割が徐々に変わってきているように感じます。
 具体的にどう変わってきているかというと、単純に矢面に立って社員を引っ張り、会社の象徴として動くという役割が重たくなってきているところです。これの悪い例で言えば東電をはじめとしたやらかした企業のトップたちで、失敗に対する責任と謝罪の姿勢を内外に見せなくては昔みたいになぁなぁでごまかすことが出来なくなりました。逆のいい例で言うと自動車メーカーが顕著で、トヨタの豊田章男社長なんか就任早々にアメリカ議会に叩かれまくったこともあって妙にかばってあげたくなるような親近感を覚えますし、実際にトヨタ社内も必死で担ごうという意識が高まっていると聞きます。またスズキの鈴木修会長も、内心、まだ生きてるのかよと思うくらいのしぶとさですが、ランエボが世界最速と疑わないカー雑誌の「ベストカー」が選ぶ経営者ランキングでも堂々のトップである上に、記者会見に自らよく出て記者相手に二の句を継げさせない言い回しをするなど最近評価を高めています。つってもゴルフ場にクジャク放つのはどうかと思うけど。

 トップがこうして前面に出てこざるを得なくなっているのは言うまでもなくIT化によるものです。最近なんかはツイッターでの発言が株価に影響を与えかねないところまで来ていますし、以前は業界関係者だけが耳にする言葉もパッと一般消費者まで伝わってきます。こんな時代ゆえに、現代のナポレオンは政治家を含めていつ現れるのかと思う次第です。

2012年5月1日火曜日

英仏百年戦争まとめ 後編

 昨日の記事に続き、英仏百年戦争をさらりと解説します。詳細にやってたらいつ終わるともしれないし。

 昨日は一時は優勢だったイギリス軍が逆襲を食らってフランスから追い出され、一旦は休戦となったところまで解説しました。ただ休戦とはなったもののフランス本国では貴族たちが互いの勢力争いに明け暮れ、ブルゴーニュ派とアルマニャック派(=オルレアン派)の二大勢力が対立するようになります。こうしたフランス側の混乱を見逃さなかったのは当時のイギリス国王、ヘンリー5世で、適当な名目を立ててフランスに上陸すると主流派になりつつあったアルマニャック派を撃破し、フランス領土の侵略を開始します。
 このヘンリー5世の侵略にさすがのフランス側もあせり、ブルゴーニュ派の首魁であるジャン1世と、アルマニャック派からは当時は王太子であった後のシャルル7世が連合を模索して会見を取り持ったのですが、何故かここでジャン1世がアルマニャック派に暗殺されて余計に仲が悪くなるという無残な結果となりました。

 いきなり父親を殺されたジャン1世の息子のフィリップ3世はそのままブルゴーニュ派の代表となり、当然と言えば当然ですがイギリス側と手を組みます。ちょっと説明が遅れましたが当時のイギリスとフランスはお互いに国という概念を持っておらず、当時の貴族たちからすれば自己の保身を鑑みて強い方につけばいいという感覚しかなかったと思います。イメージ的には日本の戦国時代における領主たちみたいなもんでしょうね。

 話は戻りますが、ブルゴーニュ派と連携したイギリス軍はこれでフランスは取ったも同然な状態だったのですが、なんとここに至ってまたヘンリー5世が急死してしまいます。なんかこの百年戦争を通して休止する人間がやたら多いのが気になりますが、彼の急死によってイギリス王の地位はわずか生後9カ月のヘンリー6世が継ぐこととなり、アルマニャック派というかシャルル7世に逆転のチャンスを与えることとなってしまいます。
 ただヘンリー6世が即位した当時に、シャルル7世の父親であるシャルル6世も逝去していますが、フランス領土をほとんど取られていたシャルル7世は即位式を上げられず田舎の大将よろしく中途半端な地位で宙ぶらりんしてました。しかも母親であるイザボー・ド・バヴィエールが、「シャルル7世は実は不倫相手との子供だ」と言い出して、身内からも正当性が疑われる始末でした。ほんとのところはどうだか知らないけど。

 こんな具合でかなり絶体絶命の状態だったシャルル7世の前に突然現れたのが、何を隠そうジャンヌ・ダルクです。通説によると、「あんたが王様になんないと駄目なのよ。あたしがランスに連れてってあげる(#゚Д゚)ドルァ!!」っていうノリで軍隊率いると、包囲されて陥落寸前だったオルレアンをあっさり解放した上に、敵軍のど真ん中を突っ切るような進軍ルートでランスまでたどり着いてしまいます。
 無事にランスに着いたシャルル7世は念願の戴冠式を行ってフランス国王として正式に即位しますが、この後ジャンヌや後に元帥として活躍するリッシュモンらタカ派勢力とは距離を置き始めます。

 ジャンヌのその後については語るまでもないですが、敗戦した際にブルゴーニュ派に捕えられ、イギリス軍に引き渡され火刑となります。この間にシャルル7世は身代金を出さずしてジャンヌを見殺しにしてますが、一応はブルゴーニュ派に、「ひどいことをしたら捕虜に同じ処置を科す」と脅してはおります。このジャンヌ見殺しの経緯から講談ではシャルル7世はほぼ100%暗愚な人物として描かれますが、実際の彼は一旦は遠ざけたリッシュモンを再び登用し、ブルゴーニュ派との和睦も成功させ、フランス領土内からイギリス軍を駆逐することに成功します。さらに戦争で荒廃した国内の復興事業を広げるなど、事績で見れば間違いなく名君と言っていい人物です。
 最終的に百年戦争は、ジャンヌの火刑から23年後の1453年のフランス軍によるボルドー攻略成功によって終結します。この結果、イギリスはカレーを除き大陸の領土をすべて失い、戦争開始前の領土線に近い形で終わります。

 この百年戦争全体を通して言えることですが、まず第一に英仏両国ともに一貫した外交政策や対応が取れなかったことが長期化の原因でしょう。もっとも当時は絶対王政が確立されていないばかりか貴族の力も比較的強く、国王の死によって政策方針がひっくり変わることもあながち自然なところがあります。
 あとジャンヌ・ダルクについていえば、変な話ですが仮に火刑に遭わなければ今ほど有名にはなっていなかったでしょう。これはイエスの磔にも言えることですが、悲劇的な末路がかえって伝説せしめたところがあり、普通に戦争中に敗死していれば「こんな人もいたよ」で済まされていたかもしれません。更に付け加えると、彼女が有名になったのはナポレオンがプロパガンダとしてフランスの救世主だと大きく取り扱ったことが発端とされています。なかなかアイデアマンな処置ですが、なんていうかこの二人は馬が合うような、自分からして同じにおいを感じる人物たちです。

2012年4月30日月曜日

英仏百年戦争まとめ 前編

 先日、PSPの「ジャンヌ・ダルク」というシミュレーションゲームをクリアしました。名前からして英仏百年戦争をモチーフにしたゲームですが、固い歴史シミュレーションではなく恋愛あり変身ありキャンプファイヤーありのファンタジックな内容でなかなか楽しめました。またこれ以前にも私は「BLADESTORM 百年戦争」という、こちらも同じく英仏百年戦争をモチーフにしたゲームにはまったことがあり、何かとこのテーマのゲームをよく遊んでいるという気がします。
 そんな英仏百年戦争ですが、私が言うまでもなく一般的に知られているのはどちらのゲームでも主役となっているジャンヌ・ダルクが活躍した後半期のごく一部の期間だけです。百年というだけあってこの両国の抗争は長く、序盤と後半では様相も形成も大きく異なっているので、ちょうど歴史物が不足しているのもあるので一つ簡単に解説しようかと思います。

 まず百年戦争の発端となったのは、イギリスとフランスの王家が近親関係にあってどっちからでも王位継承権を主張できたことや、イギリスのスコットランド統治に対してフランスが茶々をかけていたということもありますが、やはり第一義的にはフランスにあるフランドル地方における経済的摩擦が最大の原因だと私は考えています。
 このフランドル地方は当時、羊毛織物が盛んだったのですが織物の原料となる羊毛はイギリスから輸入されており、経済的結びつきで言えばフランス本国よりイギリスとの関係が深い地域でした。そうした背景もあってか、かねてから様々な問題で対立していたことからイギリスが中国のレアアース問題よろしく、フランスへの羊毛輸出を禁じると途端にフランドル地方は大打撃を受け、フランスの支配から離れイギリスに忠誠を誓う、俗にいう「フランドルの反乱」が起こり、このフランドルを支援するイギリスと支配下に戻そうとするフランスの間で火蓋が切られることとなったわけです。

 こうして始まった戦争ですが、序盤はイギリス軍の圧倒的な優勢で事が運びます。歴史家によると当時のイギリス軍には長射程の長弓が装備され、旧態依然のフランス軍を遠距離から次々と破っていったそうで、この間に大活躍した人物としてエドワード黒太子の名前が挙がっております。なんで黒大使かというとなんでも黒っぽい鎧を着ていたからだそうですがそもそも後世の創作とも呼ばれており、実態的にはどうだったかわかりません。ちなみにこの黒太子はその後に病気にかかり、イギリス王である父親より早くに亡くなって国王即位はしておりません。

 話は戻って百年戦争の経過についてですが、エドワード黒太子の活躍でフランス王であるジャン2世まで捕縛されてフランスは一巻の終わりというところまで一旦は追い詰められましたが、ここに至って摂政(後に国王即位)として国勢の表舞台に出てきたジャン2世の息子ことシャルル5世というのがまた立派な指導者で、税制を定めて資金力を補充すると、ベルトラン・デュ・ゲクランなど優秀な将軍らを採用して奪われた領土を一挙に取り返すことに成功しました。しかもエドワード黒太子が1376年に病死し、さらにその翌年にはその父であるイギリス王のエドワード3世が死去したこともあってこのままフランスが旧領奪回かと思われたのですが、フランスが征服したブルターニュ地方の併合に当たって激しい反発が起きるなど、まだまだ安定には程遠い形勢でした。

 しかも1380年にシャルル5世が食中毒で急死してしまい、和平に向けた話し合いがはじめられた矢先に両国で国王が突然変わるという異常な事態に突入します。幸いというか両国ともに新国王が内政重視、というか権謀術数渦巻く宮廷での政争を優先して1396年に一旦は休戦へと持ち込まれます。
 ただ何もこれは英仏に限らずですが、一旦戦争が終わると目前の敵がいなくなってほっとするというかはしゃぎだすというか、内戦・内乱が始まるのは世の常です。イギリスでは新国王のリチャード2世が政争の末に議会派によって逮捕の上に退位に追い込まれ、ロンドン塔に幽閉されて新国王ヘンリー4世が立てられます(ランカスター朝はここから始まる)。フランスに至ってはもっと悲惨というか、こっちの新国王であるシャルル6世が突如精神に異常をきたして発狂し、取り巻き連中が幅を利かせたことから宮廷は二派の派閥(オルレアン派とブルゴーニュ派)に分かれて大激闘。暗殺が横行しただけでなく両派ともに、「相手を倒すために援軍を出してくれ!」と昨日の敵は今日の友、そして明日には敵となるイギリスに出兵を要請するほどの内戦へと突入します。

 指導者が良くなると形勢逆転し、悪くなると駄目になっていく見本のような歴史ですが、両派の要請を受けて再上陸を果たしたイギリス軍が再びフランス領土を侵攻をするところから後半戦が始まります。というわけなので、続きは次回に。

2012年4月29日日曜日

他人の痛みに対する感度

 一昨日に書いた「エスカレートしていく行為」の記事で重要なことを書き忘れていたので、補足としてもう一本記事を書きます。もっとも、今日ここで各テーマはエスカレート行為とはまたちょっと距離がある内容なので、こうして鼈甲を儲ける形というのがあながち正しいのかもしれません。
 さて前回の記事で私は、いじめやしごきといった行為はしている加害者らが「自分たちも以前と同じ仕打ちを受けた」と思う、信じていながらも、実際には行為内容がエスカレートしていく可能性が高いという論を主張しました。この記事で書き忘れていた重要なことというのはこうしたしごきやいじめを実行する人間らの特徴のことで、概して「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」が多いということです。

 自分の痛みに鈍感というのは書いて文字のごとく、自分が不快に思ったり苦痛に感じる範囲が広かったり程度が大きい人間のことです。それこそ例を作るなら、コンビニに入ったところで店員が「いらっしゃいませ」と言い忘れたのを失礼だ、無礼だ、気分が悪くなると感じる人間もいればよくあることだと気にしない人間もいるでしょうが、この場合は前者の人間の方が痛みに敏感だと言えます。次に他人の痛みに敏感か鈍感かについてですが、これもそんなに難しいことではなく単純に、「何をしたら相手はどれほど辛いと感じるのか」という程度を感じ取る能力のことです。他人の遺体身に敏感であるということは「相手は傷つきやすい」と考えるのと同じことで、逆に鈍感であるということはちょっとやっそとつついたくらいは全く問題ないと考えることを指します。ちょっと変な説明の仕方ですが。

 それで「自分の痛みに敏感で、他人の痛みに鈍感な人間」とはどんな人間かですが、説明するまでもないでしょうが自分が被った損害は過大に主張する一方で他人には同じことをしても平気だったり、他人が何にどんなことで苦しんでるかを理解できない人を指します。言うなれば主観が強い一方で客観を持たない人間で、こういってはなんですがあまり近くにいてもらいたくない人間です。
 既に現時点でかなり身も蓋もない言い方をしておりますが、意外にこういう輩というものは世の中に数多くいるかと思います。それこそ前回の記事で紹介したように、「過去に自分が受けた仕打ちは後輩も受けるべきだ」という考えで同じ、もしくは自分が受けた以上の必要のないしごきをする人間などは典型で、相手の限界点とか不快度というものを無視していろいろ厄介ごとを押し付けてくる人間は私があれこれ言わなくとも誰もが出会ったことはあるでしょう。

 これは友人の言ですが、「それが必要な苦労ならともかく、そもそもの話として自分が受けた苦しみをほかの人間も共有すべきだと考える人間は頭がおかしい」というように、私もこうした人間は可能な限り社会から排除しなければならないと考えています。以前に書いた「必要な苦労、余計な苦労」の記事中でも述べていますが、世の中には明らかにやらなくてもいいし省略できるにもかかわらず何故だかみんな伝統的に維持し、守り、伝えている苦労が数多いです。それこそその苦労の経験者なら不必要性がわかっているにもかかわらず、何故だかそうした苦労を率先して伝えていき、逆に必要な苦労を伝えていこうとしない場面を私も嫌というほど見ております。ひどい奴なんか、体験したことのない苦労をさも経験したかのように語って他人に押し付けるのもいましたが。

 私は何もここで「他人の痛みに敏感になれ」というつもりはありません。過ぎたるは及ばざるが如しというように、他人の痛みに敏感過ぎると何事も人との接触を避けようとする人間になってしまう可能性もありますし、これはこれで問題があります。しかし全く他人の痛みを理解しようとしない、客観を持たない人間は百害あって一利なく、決して重要な地位とか仕事を任せてはいけません。一番いいのはまたも論語ですが中庸こと自分の痛みも他人の痛みも相応にわかる、もしくは渡辺淳一氏が主張する「鈍感力」こと自分の痛みにある程度鈍感で他人の痛みは理解するくらいがいいでしょう。

 なお、たまに私は人を評価する際に、「あの人は一人称だね」と言うことがあります。この意味は主観しか持っていない、つまり客観の視点が足りなくてまさに今回の「他人の痛みがわからない人間」のことを指しております。これに対して「二人称」というのは、外からの見方しか持っていない人間で、バックボーンがないというか主体性を持っていない人間を指しています。となるとベストなのはやはり「三人称」で、自分を含め周囲を客観視することが出来て、その上で自分の目指す方向というか視点を持って意見を主張できる人間のことを指しており、宮沢賢治じゃないですけどこういう人間に私もなりたいです。

2012年4月28日土曜日

ニュース雑感

 また本題と関係ない話ですが、先日に誕生日を迎えまた一つ年齢を重ねました。別に年齢が気になるわけではありませんし誰かに祝ってもらったということもありませんでしたが、昔の学生時代、誕生日に突然友人が現れて、「今日誕生日だろ、はいこれ」といって、何故か赤ワインを受け取ったことがありました。友人曰く「これでステーキを焼くとうまい」(実際に後日それでステーキ焼いた)とのことでしたが、普段からけち臭い友人だっただけに内容といい二重の意味で驚きました。

 話は本題に入りますが、先日にわざわざ記事にしてまで批判した産経新聞ですが、妙な論説や評論が多いと感じる一方で下記の特集は非常に気に入っててよく読んでます。

衝撃事件の核心(産経新聞)

 上記リンク先の「衝撃事件の核心」は毎週産経新聞で組まれている地面物の特集なのですが、非常に構成が良いだけでなく事件の顛末から拝啓、そして結末までを一つにまとめていて単純に読み物としても面白いです。その上で世の中に問題性を訴える社会性も高く、文句なしにほかの人にも読んでもらいたい特集記事です。何気に、事件物の報道というものは事件が起きた当初こそ大きく取り上げられるもののその後はしりすぼみとなって結局最後はどうなったのかわからない話も数多いです。そういう中でこの特集は比較的長期間にわたって取材している記事も多いだけに貴重な存在です。

中国のゼラチンは革靴製、そして業者は大儲け(ゆかしメディア)

 上記リンク先の記事は今週初めからしばらく中国各紙で一面を飾った毒カプセル問題の記事です。このニュースはあまり周囲の反応が良くなかったものの絶対に取り上げた方がいいと判断して半ば強引に私がうちの紙面にも載せましたが、結論としてはやっぱり入れて正解だった気がします。
 内容を簡単に説明すると、中国のゼラチンメーカーがまたも安くであげようと廃棄物(革靴)からゼラチンカプセルを作ってたのですが、このカプセルに人体にとって非常に有害なクロムが含まれていたと中国当局が発表したというわけです。大損ぶっこいたのは毒カプセルを調達していた製薬メーカーで、事件が発覚するや大手中国製薬メーカー各社はすぐに謝罪会見を開いた上で自主回収を始めましたが、風邪薬など一般的な薬にも使われていたようで全回収はほぼ不可能と見られています。また回収費用も膨大な額に上るとみられており、すでに数字が出ているところで10億円単位、大きいところでは100億円単位の損失となるという予測も出ています。
 またこの毒カプセル事件に隠れてでしたが、中国限定でリプトンのティーバッグに中国で使用が禁止されている農薬が残留しているという報道が木曜日にありました。この記事はうちの紙面には載せませんでしたが、これは中国当局の発表ではなく「某環境団体」の発表となっており、非常に信憑性が怪しい物でした。リプトン側も、「中国で販売しているティーバッグは日本や欧米で販売しているものと同じだ!」と主張して妙な農薬とか入っていないと主張しています。詳しい検査結果などは見ていませんがこれは恐らくリプトン側が正しいと私は判断してますが、中国でも妙な環境保護団体がはびこる時代になったのかと変な感慨を覚えました。