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2012年5月21日月曜日

視聴率ランキングの変動について

 昨日はこのところ取り立ててニュースがないと言っておきながらですが、最近にびっくりしたというか目を見張ったものとして下記のニュースがありました。

テレビ朝日、4月の平均視聴率が初の「月間4冠」(産経新聞)

 別に自分はテレビ業界の人間というわけじゃないですが、あのテレビ朝日が月間とはいえ全部門で視聴率首位となるなんて、これまで夢にも思いませんでした。それだけにこのニュースは、今後テレビ界が大きく変動する前触れのようなものを感じさせられます。

 まず日本テレビ界の年間視聴率順位について軽く説明しますが、90年代から2000年代中盤までは毎年、フジテレビと日テレが首位争いをして、3位はTBS、4位はテレビ朝日、テレビ東京は別枠……という風な不文律がありました。もっとも首位争いについては妙な規則性があり、80年代から93年まではフジテレビが首位でしたが、94年に日テレが首位を奪うや03年までその王座を死守し続けております。それが04年にフジテレビが再び奪回するとまたしてもフジテレビの天下が続くというような具合で、一回逆転されるとしばらく再逆転は叶わないというジンクスがまことしやかに伝えられております。なお昨年の年間視聴率は日テレが「家政婦のミタ」等のヒットによって7年ぶりに1位となったことから、フジテレビは今後しばらく2位に甘んじると予想されてます。

 話はテレビ朝日に戻りますが、確か08年か09年あたりに年間視聴率でTBSを抜き、万年4位の汚名返上に成功してます。ただこの時の順位変動はテレビ朝日が躍進したというより、TBSが落ちぶれた結果だろうと当時の私は分析してます。あくまで私個人の意見ではありますが、当時、といっても現在もそうでしょうがTBSの番組はひどいというよりほかがなく、がんばって面白がって見てみようと本気で努力しましたがどうやっても楽しむことが出来ず、安住紳一郎アナが出ている「ぴったんこカン・カン」以外は全く見ることがありませんでした。逆を言えばこれだけは面白かったんだけど、同じ安住アナが出る「さんまのからくり御殿」なんかは仕込みがひどすぎて途中で失望したなぁ。
 一方、テレビ朝日ですが、田原総一郎氏の出ていた「サンデープロジェクト」を打ち切るなど残念なところも少なくありませんでしたが、今回の月間視聴率四冠の原動力となったドラマ「相棒シリーズ」を始め、地味にコンテンツが充実している気配は感じていました。特に私が感心していたのはニュース番組で、明らかに他の民放と比べて視点が面白く、NHKニュースが始まるまではテレビ朝日を見続けるという習慣がいつの間にかできていました。ただ10年後半からは現在のように上海で生活するようになったので細かいチェックは出来ていませんが、今回こうして四冠を取れたという報道を見る限りではまだ番組の質が上昇傾向にあるのではないかと予想します。

 このようにテレビ朝日の躍進に納得感を持つ一方、ちょっと本気で心配しているのはフジテレビです。既に書いた通りに去年に年間視聴率で日テレに逆転されましたが、今年に入ってからは景気の悪い話しか出てきておらず、まずホットなものとしては放送前から脚本の盗作騒動が起こった「家族のうた」が、ゴールデンの時間帯なら普通にやったって取りようがないほどの極端な低視聴率に喘いで打ち切りとなっています。どうせなら変に打ち切らず、このまま過去最低視聴率記録とかに挑戦してほしかったものですが。
 また昨年は韓流ドラマやアイドルを以上に持ち上げ過ぎだという批判がネットを中心に巻き起こり、かなり大規模なデモにまで発展する事態まで引き起こしています。私はあの時のデモは規模こそ非常に大きいしいくらか影響は出るだろうとは見ていたものの、それはあくまで一時的なものにとどまるとみておりましたが、年間視聴率で2位に落ちたりドラマが売れなかったりするのを見ていると地味に長く効いてきてるんじゃないかとこの頃感じつつあります。

 でもってまた趣味のニュース番組についてですが、2010年時点の放送で言えば一番駄目なニュース番組はTBS、次いでフジテレビでした。何が悪いかというと視点がほかのキー局と比べて独特なのはいいとしても、それがどうも見当違いな視点が多いように当時感じました。また月から金の関東での放送は6時20分台から主婦向けのグルメ特集しか放送せず、特集報道も他局に比べて内容が薄ければ本数も少ないように感じてました。ちなみにTBSは時間帯を買えたりして努力はしたものの、定着しきれなかった上にNHKニュースと同じ時間帯でぶつかったのが敗因であって、一応その時の姿勢は買っています。
 ちょっと気の早い予想ですが、下手したら今年のフジテレビは年間視聴率で1位を逆転するどころか3位に転落するかもしれません。それこそ去年みたいにまた韓流贔屓で大きな騒動に発展したら致命傷で、テレビ朝日の躍進を許すことになるんじゃないでしょうか。

2012年5月20日日曜日

政治を測るのに必要なもの

 このところ疲労が抜けないのもあるのか、真面目にブログでかくネタがホントにありません。日本の報道を見ていてもいちいち報道するほどのものかと悩むくらいくだらないものが多い上に、政治環境も解説する価値もないしょうもない話ばかりで困ってます。まぁ一言だけ書くと、最近なんだかが自民党の谷垣総裁と鳩山由紀夫元首相は空気が読めない点で案外似た者同士かもと思う程度です。
 そんななのでちょっとしょうもないことを書きますが、先日に知り合いに簡単に日本政治史を指導しましたが、改めて政治を測るのには何が必要なのかと考えてみました。基本的に必要なものは政治家個人々々に関するデータはもとより、政策や法律に関する知識ですが、それらの中でも一番重要なものを挙げるとすると変遷の歴史こと過程だと思います。

 ひとつ例にとるとメディアが全く騒がずにすんなり決まってしまった郵政の再国有化ですが、そもそも一体何故民営化が進められたのか、そしてなぜ郵政選挙に突入したのかという背景と共に説明する記事はついぞ見ることはありませんでした。しかし何故ここで再国有化が決められたのか、またそれによって生まれるメリットデメリットを見るためにはやはり過去の議論をもう一度見直す以外にほかありません。またちょっとグレードを上げるのであれば、2010年夏に起きたペリカン便とのシステム統合によって起きた混乱も付け加えればそこそこ話としては面白くなってきます。

 これは政治議論に限るわけじゃないですが、やはり最近の報道に欠けているのは前段階の知識や背景の解説のような気がします。スポット的に今起きた事だけをさらりと報道するだけならそれほど難しくはありませんが、なるべく詳細に前後関係をはっきりするような報道がないせいでなんだかニュースが詰まらなくなっている気がします。もっとも、仮に自分がやれと言われたら面倒がってそれほど解説せずに、「わかるやつにはわかるだろう」と言ってさらりとした記事にするでしょうが。

2012年5月19日土曜日

ブランデンブルクの奇跡について

ブランデンブルクの奇跡(Wikipedia)

 意外と知らない人が多そうなので、ドイツ版神風こと「ブランデンブルクの奇跡」について今日は解説します。

 このブランデンブルクの奇跡というのは歴史的故事で、先にも書いた通りに日本の神風同様、国難の状況下で一発逆転の奇跡は起きる材料として長らく信じられてきました。これが一体どんな故事なのかというと、時代は十八世紀の、まだドイツ連邦として統一される前のプロイセン王国所の時代に起きたエピソードが元となっております。
 当時のドイツは日本の戦国時代よろしく、それぞれの地方が独立王国として群雄割拠しておりました。その中でドイツ騎士団が殖民した地に成立したプロイセン王国というのが次第に力を持ってきており、十八世紀にこの地の支配者となったフリードリヒ大王が勢力を拡張したことで、後のドイツ統一の基礎固めが進められることとなります。

 このフリードリヒ大王、人物単体としても非常に面白い人間で、世界史の授業では「啓蒙絶対君主」といって国民の基礎教育レベルの向上に取り組んだ一方で、「よく議論せよ。そして我に従え」という言葉に表されるように、政治活動面では絶対的な独裁者として国を引っ張って引きました。
 彼は即位直後、オーストリア(当時は神聖ローマ帝国)の王位に元婚約者であるマリア・テレジアが即位したことにフランスをはじめとした周辺国が反発したことによって起きたオーストリア継承戦争にすぐさま参戦し、どさくさにまぎれて重要拠点であるシュレジエンの獲得に成功します。しかしシュレジエンを奪い取られたオーストリアの反感は凄まじくフランスとの戦争にひと段落をつけたマリア・テレジアはフランスやロシア、スウェーデンらを外交で引き込み奪回を企図します。これに対してフリードリヒ大王は機先を制する形でザクセン選帝侯領に進軍し、七年戦争の火蓋を切りました。

 緒戦でこそ善戦を続けたもの、墺仏露+スウェーデン相手にプロイセン側は自分自身ただ一人。兵力の差は如何ともしがたく徐々に追い詰められ、クネルスドルフの戦いでは壊滅的な打撃を受け、味方からも逃亡者が相次ぐなど絶体絶命の状況に追い込まれます。もはや総攻撃を受ければ全滅は必死の状況でフリードリヒ大王も死を覚悟して事実上の遺書まで用意しましたが、なんと追い詰められてから数日間、敵軍には何の反応もありませんでした。
 一体何が起きていたのかというと、プロイセン同様に連合軍も大きな損害を出していたことに加え、なんと連合を組んでいるロシア軍とオーストリア軍の間で主に戦後処理をめぐって不協和音が起こり、結局総攻撃が実施されなかったのでした。また連合軍がもたついている間にプロイセン側では逃亡兵も徐々に戻ってきて、見事な立ち直りを見せました。

 さらにプロイセン側にとって幸運だったのは、このクネルスドルフの戦いの数ヵ月後にロシアで女帝エリザヴェータが死去し、かわって王位についたのがフリードリヒ大王を信奉していたピョートル三世だったことです。ピョートル三世は即位するやすぐに戦闘を中止させ、連合軍から抜けてしまいました。
 ここで間髪を逃すようなフリードリヒ大王ではなく、残った敵のオーストリアに総攻撃をかけると一気にシュレジエンはおろかザクセンからも追い出し、この戦争の勝利を決定付けてしまいました。

 この二つの故事をまとめてブランデンブルクの奇跡と呼びますが、どうもドイツでは日本の神風のように、いざとなったらありえない奇跡が起きて逆転できるという思想が、程度は知りませんが一応はあったようです。それが確認できるのは第二次大戦下のドイツで、ヒトラーは大戦末期にアメリカのフランクリン・ルーズヴェルト大統領が死去するやこの故事を引っ張り出し狂喜乱舞したそうですが、現実には戦況はひっくり返らずヒトラーも自殺に追い込まれることとなりました。

 日本の神風についても同じことが言えますが、昔起きた偶然を頼りにするというのは大の大人がやるべきことではありません。歴史の故事は所詮は故事であって、それを現在の状況に無理に当てはめて考えるというのは無理があるでしょう。もっとも、成功体験ではなく失敗体験であれば歴史は繰り返すことも多いのですが。

2012年5月18日金曜日

犠牲なくして幸福を得られるのか

 このブログ中で何度も言っている事ですが、今の時代はかつての90年代とは異なり選択と集中、さらに踏み込んで言うなら淘汰の時代だと私は考えております。かつて経済が拡大していた時代と違って誰もが昇進、昇給したり、自家用車をどこの世帯でも持てるという時代ではなく、振り分けられる資本が限られていることからそれを有効に活用できる人間に投資し、逆に無駄に資本を食いつぶす人間に対しては奪い去る、もしくは排除する必要のある時代だと見ています。
 こうやって冷静に書くとなんだか私が悪い奴みたいに見えてきそうですが、断言しますがこれは何も特別なことではありませんし、むしろ日本以外の国では当たり前、さらに言えば高度経済成長期ではない日本でも当たり前だった概念です。言ってしまえばこれまでの日本が特別だっただけで、これからの日本は昔の当たり前の時代に戻るというわけです。

 具体的に今後どのような事態が起こりうるかですが、まず現実に既に起きているものとして「誰でも大学に」とは行かなくなり、今後はリアルに大学進学率が低下していく可能性が高いと思えます。理由はごく単純に学費負担に耐えられる世帯が減少するためで、すでに一人暮らしする大学生の仕送り額はかつてと比べてかなり減額している上、就職氷河期であることからより専門性の高い専門学校を進学先に選ぶ人も増えていると聞きます。このまま今の状況が続くのであれば、私はそれこそ昭和中期のように兄弟の中で誰か一人を大学に進学させるため、ほかの兄弟が犠牲になる(高卒後にすぐ就職する)というようなストーリーが感動話じゃなくなってくるでしょう。

 こうした現況を踏まえた上でこのごろ考えるのは、表題に掲げたように「誰かの犠牲なくして幸福となれるのか」です。繰り返しになりますが、高度経済成長期はほんとに大きなハンデがある状態であれば誰も犠牲になることなく、みんなで幸福になることがある程度可能な時代でありました。ただあの時代は間違いなく特殊、具体的に言えば石油というエネルギー価格が異常に安い時代だからこそできた話であって、今後再現するとなれば夢のような話となってしまいます。
 となれば幸福になろうとするものなれば誰かを踏み台にしなければとなるのですが、これに関しては正当な競争の上でのものであれば特に異議を挟むものでもなく、これまでもよくあることだったのでそれほど悩むようなものは感じませんが、これとは逆ベクトル、誰かを幸福にさせるためには誰が犠牲にならなければならないのかです。

 幸福にさせたい対象というのは人それぞれでしょうが、大抵のケースは自身のその家族となるでしょう。人によっては両親、配偶者、子供となりますが、これまでは自分もそこそこ幸福に暮らしながら子供も大学に生かせてそこそこの道を歩ませることができましたが、今後はそうはなかなか行かないだろうというのが私の予想です。ではそんな時に自分はどんな決断を取るのか、またどのような覚悟を持って望むのか、そうした姿勢がまだ今の日本人には見えない気がします。
 まだるっこしい言い方しないでストレートに言うと、今後誰かの幸福のために自分が犠牲になることを厭わない覚悟が今の日本人に足りないと私は言いたいです。もちろん、本人の努力や方法次第ではみんなでハッピーになれる可能性も全くないわけではありませんが、実現するとなると相応の才能が要求されることとなります。中には今現在、もしくは以前からも子供のために親は犠牲になってきたと言われる人がいるかもしれません。そうした人に言い返すなら、これからの時代はそれ以上の犠牲を払わなければ周囲の人を幸福にすることはできないと伝えたいです。

 我ながら妙なテーマで変な文章を書くなという気もするのですが、実はこのテーマは宗教をやっている人間の間だとごく当たり前のテーマです。それこそ仏教で言えば餓えたトラの親子の前に身を投げ出すブッダ(夢オチで終わるあたりがブッダらしい)とか、キリスト教でも殉教話ならごまんとあります。
 別に私が何か宗教やっているわけではありませんが、やはり進行をもっている人たちと話をしていると、ここら辺の価値観、自己犠牲の精神で一般の日本人と違うなという気がわいてきます。何も宗教を進めるわけでもありませんが、高度経済成長期以前の日本人なら持っていた感覚なので、早くまた元の気持ちに目覚めたほうがいいという感じがしたので書くことにしました。

2012年5月17日木曜日

生活保護ビジネスの実態

 どうでもいいことですが先ほど自分のブログにコメントを書いた際、スパムかどうかの認証をするために打つように指示される番号が「4444」でした。なおこの4という数字ですが、中国や日本では発音が「死」と同じだから忌み嫌われる傾向がありますが、私は真田家の旗印である「六文銭(三途の川の渡賃。死を恐れないという決意表明)」と同じような具合でむしろ率先して使います。っていうか、日本人は死を恐れちゃダメだろ、乃木大将的に。ちょっと強引かなこのネタは……。
 話は本題に入りますが、今日のニュースに思わず目を引いたものがありました。

日本初!!猫がついてくるマンションって!?(宝島)

 猫付き3LDKとでもいうのか、賃貸で部屋を借りたらもれなく猫も替えるというマンションがあるそうです。もちろん飼った猫は引っ越し時に連れて行ってもいいようで、恐らく猫好きには相当たまらないサービスだと思います。思えば2000年頃のテレビの特集ですぐに空き部屋が埋まるマンションの特徴として、「ペットOK」にするという報道がありました。どの大家、オーナーとしてもペットがいると部屋が痛みやすくなること間違いなしですからあまり歓迎されるものではないものの、だからこそペット同伴を認めることで売り上げを増すという話に何故だか当時えらく感心した覚えがあります。

 同じ賃貸関連の話で、感心というか呆れさせられた話もあります。それはどんな話かですが、なんでも大阪には風呂なしトイレなしにもかかわらず一ヶ月の家賃が5万円以上で部屋が埋まるそうです。家賃3万円台でも個人用風呂、トイレ付きはあるというのに(私が学生時代に住んでた部屋はそうだった)、そうした部屋よりもこうした5万円以上する部屋がすぐ埋まるというのはどんなからくりなのか、結論から言うと表題に掲げた生活保護ビジネスに使われているからです。

 生活保護についての説明はもはや不要だと思いますが、東日本大震災以降は受給者数が毎月過去最高を更新するなど、日本にとって非常に大きな問題となっております。仮に怪我や病気などで働けないとか本当にどうしようもない状況の人たちの最低生活保障をするというのならまだしも、現在中国にいるので私は一銭も払っていないものの、日本に住んでるのであれば税金も払おうという気にもなりますが、残念なことにこの生活保護の裏をかいてしこたま儲ける、生活保護ビジネスを展開する不心得者は数多く存在します。
 先ほど挙げた家賃などはまさにこの典型です。一体どういう仕組みなのかというと、生活保護では毎月支給する生活費とは別に家賃代も別枠で支給されます。この支給される家賃代ですが額面は一定額に決まっているわけではなく、各自治体で限度額を設けてあってそれ以下であれば借りている部屋の家賃代分だけ支給される仕組みとなっております。

 勘のいい人ならわかるでしょうが、風呂、トイレなしにもかかわらず月の家賃代が5万円以上するアパートに住む人はみんな生活保護受給者で、家賃代はその地区における生活保護枠内での家賃支給額の限度額ピッタリなのです。手口としてはそのアパートのオーナーなり斡旋業者なりがどこかから人を集めてきて、生活保護の申請手続きを代行したり支援したりする代わりに家賃代を行政から受け取る。そして集められた人は働かずにお金がもらえる生活保護が受給できるようになって、まぁそこそこ納得できるというか幸せになれるという算段です。
 言うまでもなくこれで損をするのは生活保護を支給する行政に加え真面目に税金を払っている納税者、そしてまともに賃貸物件を経営しているオーナーや不動産屋です。仕組みとしては呆れるほどうまいこと作っている気はするのですが、だからと言って他人の財布から自分の財布に札束を移すようなこんな行いは当然規制するべきでしょう。

 こうした実態がはびこっていることに加えこんなニュースも出ていることから、生活保護では現金を支給せずに食品を現物で支給し、住居も共同施設のようなものを使うか行政が指定するべきだという意見が出ていますが、生活保護ビジネスの規制が行われない限りでは私もこれらの案を支持します。こんなこと私が言うまでもないことですが、生活保護に何億つぎ込んだとか、何万人を支給させているかという話ではなく、如何に効率的に社会復帰を助けるかがこの議論に求められているかと思われます。最小の投資で最大のリターンを、なんかこのところの日本にはこうした言葉が足りない気がします。

2012年5月16日水曜日

ヨーロッパにおける失われた十年

オランド新大統領が就任、経済成長重視の立場を強調 仏(CNN)

 先日、フランスで大統領選挙が行われサルコジ氏からオランド氏へ大統領の職の座が移りました。フランス政治、というかヨーロッパ市場に詳しいわけじゃないですが、報道を見ている限りだとオランド新フランス大統領はサルコジ氏と比べて積極財政派だと聞き、これまで債務削減を目指して緊縮財政政策を取ってきたサルコジ氏と、ドイツのメルケル首相をかねがね批判していたと聞きます。そのためフランスは今後、これまでより財政出動を増やして景気刺激策を取ることが予想されるのですが、仮にそうなればかつて日本が経験した「失われた十年」をフランス、ひいてはヨーロッパ全土がまた経験することになるのではないかと私は予想しています。

 ちょうど折も折というか今日のニュースで、ドイツの地方選挙でメルケル首相率いる与党が惨敗したと聞きます。どういう力関係や影響が働いたかはわかりかねますが、傍目に見る限りだとやはり緊縮財政政策にヨーロッパ諸国で不満が高まって異様に見えます。細かい話は抜きにしますが私自身は現在のヨーロッパにおかれた経済環境を考えるにつけて緊縮財政以外は取るべきではないと見ており、逆にここで「景気を刺激して危機奪回だ」とばかりに積極財政を打つことは破滅への道だと考えています。また「ヨーロッパの問題児」ことギリシャがいまだに連立で揉めているばかりか一向に打開策も決められず、スペインやイタリアといった規模の大きな国でも火を噴きつつある現状を見るにつけ、多分このまま90年代の日本と同じ失敗を繰り返すことになる気がしてなりません。

 なお、ここで使っている「ヨーロッパの失われた十年」というのは何も私が言い出した言葉ではなく、中国の経済紙ではこのところ頻繁にこういった見出しが躍っております。前にも一度書きましたが日本企業でヨーロッパとの取引が大きい会社は意外に少ないためにそれほど危機感が持たれていないというのが大きいでしょうが、元々取引額が大きかった中国では意外と影響は深刻で、何気に今日出た上海市の貿易額は輸出、輸入ともに金融危機以降で初めて前年同期比マイナスに転じています。

 最後に誰も言わないので私が言うことにしますが、去年は円高の逆風の中で日系自動車メーカー各社はみんな黒字を達成するという、すごすぎるというかありえない業績を出してきました。ただ一社、マツダだけは赤字となってその理由をいろんな経済紙では、「海外に自動車工場を持っていないため、円高が直撃した」と書いてありましたが、そんなこと言ったら我が愛する三菱自動車や最近評価を高めているスズキも、ないことはないけどそんなに海外工場持ってないんだから似たようなもんじゃないかと思い、なんかこの評論に納得がいきませんでした。
 ではなんで赤字だったのか、言ってしまえばヨーロッパの景気悪化の影響が一番でかいと私は見てます。実はマツダは日系企業の中でもヨーロッパ市場での売上げが意外に大きい稀有な会社で、それだけに日本人の発想というか視野に入っていないところで大打撃を受けたのではないかと考えてます。詳しい財務諸表を見れば確かめられますけど、さすがにそこまでして調べる気はありませんが。

2012年5月12日土曜日

笑顔を見せるようになった中国人

 このところ真面目に帰宅が毎日10時を越してます。おまけにランボー~怒りの休日出勤もなんか週二日のうち一日は当たり前になりつつあり、そのせいか思索に向ける時間が減ってどうもブログ内容に悩む回数が増えてきました。もっとも、毎日帰宅が十時越してるのに毎日更新する方がいろいろと突っ込むところだと思うけど。

 そんなわけで今日は久々に中国ネタとばかりに何か探しましたが手ごろなものがないので、ちょっとこの前感じた一件を紹介しようかと思います。先週、取材先の展示会場に行った際に目的地と離れた場所にいることに気が付いたので近くの警備員に道を聞く機会がありました。その警備員は見るからにごつくて表情も硬かったですが、自分が道を聞くとすぐに的確に教えてくれ、私がお礼を言うとにっこり笑って送り出してくれました。この時の笑顔を見た時に、「中国人も自然に笑うようになったんだな」とか、ちょっと妙な感慨にふけりました。
 私が中国に初めてきたのは留学でやってきた7年前ですが、場所が現在住んでる上海と違って北京ということもあるのですが、真面目に道歩いてて笑顔を見ることはありませんでした。それこそ若い人だったらまだ笑う姿を見ることもありましたが、中年以上となるとなんかみんな苦しそうな顔してて、自分が言えた義理ではありませんがもうちょっと人生楽しんだらと思うくらいに表情が硬かったです。

 それが年数経った現在、自分の中国語が上達してコミュニケーションを取る回数が増えてきていることもあるでしょうが、当時と比べて圧倒的に笑顔を見る回数が増えてきました。また今年の旧正月に日本のお笑い芸人のアンジャッシュのネタが中国の芸人に丸パクリされたという報道が経ちましたが、実際の映像こそ見ていないものの日本のお笑いでやる芸が中国でも演じられ、そこそこ評価を得るようになったという事実の方になんだか驚きました。
 そんなことを同僚に話したところ、同僚はちょうど旧正月に件のネタを見ていたそうで、やはり日本っぽいネタだとは思ったものの単純に面白くて周囲の中国人もよく笑ってたと言ってました。なんていうべきか、笑いのツボというものがある程度日中で共有化されてきたというべきか、何に対して中国人が面白いと思って笑うのかという理解が少しできるようになったことに不思議な感じがします。

 なおこんなことを言っている私ですが、以前の中国人同様に普段の生活で笑顔を見せる回数は極端に少ないです。別に無理して笑うまいとしてるわけじゃありませんが、私は以前からあの愛想笑いってのがあまり好きじゃなく、しょうもないこと言い合うくらいならとっとと結論に持っていこうとするくらいせっかちなところがあるので常に真面目そうな顔してとっつきにくいと言われることが多いです。そんなもんだから就職活動とかもえらい苦労したわけですが、無事に就職した後はここまで頑張ってきたんだし、多少は妥協するかと思って作り笑いを意識して見せるようになりました。そしたら一回、「笑顔がきれいな人ですね」ってどっかで言われてしまい、慣れないこと言われたもんだから何故か言われた本人がむちゃくちゃ焦るという妙な事態に追い込まれたことがあります。
 まぁやろうと思えばなんだってやってのける自信があるし愛嬌とかも卒なくこなせるとは前から考えてましたが、やっぱ人間、慣れないことは急にするもんじゃないと反省した次第でした。