・ソニータイマー(Wikipedia)
知ってる人には早いですが世の中ではしばしばソニータイマーと言って、ソニーの製品は保証期限を越えた直後に壊れるという都市伝説があります。何故壊れるのかというとソニーがあらかじめ壊れるように設計、もしくは自壊機能を搭載しており消費者に買い替え需要を促すためだといろいろ説がありますが、これらはさすがに都市伝説であって私も本気では信じていません。なおこのソニータイマーという言葉が急速に普及し始めたのはインターネットが流行して、「ソニー製品って壊れやすくね?」という言質が交わされるようになってきたのが一つの原因などと言われておりますが、私自身はいわゆるソニーショックと呼ばれる株価下落が起こった2003年に初めて聞きました。それにしてもソニーショックなんて、随分懐かしいこと。
なんでこんなソニータイマーを今回取り上げようと思ったのかですが、もちろんソニーに恨みとかあるからではありません。なお私はソニーの製品となるとプレステ以外はあまり使わず、特段壊れやすいと思ったことはありません。プレステに関しては一回だけ読み込みの遅さに腹立って殴り壊したことがありましたが、これは自業自得だと自覚してます。
実は先日、中国人の日本製品に対する印象を聞く機会があったのですが、中国人から見て日本製品というのはやはり高品質で信頼が置けるものの、あるタイミングというか期間を過ぎると一斉に壊れると思われていると言われました。「え、それってソニータイマーのソニー製品?」と私も聞いたのですが、別にソニーに限らず日本製品全般に共通する特徴だと考えているそうです。
中国人曰く、ドイツ車やアメリカ車は購入から3年で壊れることもあれば10年以上もつこともあり、同じ車種でも故障するタイミングはバラバラだが、日本車は同じ車種なら8年なら8年、5年なら5年できっかり同じタイミングで故障するものだと考えているそうです。そのため壊れるまでの期間は安心して使えるけど、壊れると言われている時期になると途端に信頼が落ちると言います。
というようなことを知り合いで、化学品扱っている中国人の友人に聞いてみたところ、「その通りだよ。データが証明している」と言ってきました。その友人によると材料素材には耐久性テストをあれこれ行うようですが、日本のメーカーはこの耐久性というか精度をきっかり合わせてくるようでほかの国のメーカーと比べてムラが少ないそうです。そのためそれこそソニータイマーの様な、保障期限内は何が何でも故障とか破損が起こらないように管理しており、そうした精度がある意味で高すぎるせいかほぼ同じタイミングで壊れる現象が起きるそうです。
改めて言われてみると私自身もなんとなくわかる気がします。日本人の性格からして精度とか濃度の管理はやけに徹底しそうですし、いわゆる品質管理においては世界的にも明らかにトップクラスにも感じます。逆にそれ故に、融通が利かないというかムラがなさすぎるところがあり、変に同じタイミングで故障が起こるもんだから上記のような見方がされるのだと思います。言ってしまえばソニータイマーも、それだけソニーの品質管理能力が保証期限きっちりに合わせられるほど高いということなのかもしれません。
ここで私が何を言いたいのかというと、少なくとも中国人にとってソニータイマーはソニーだけでなく、日本のメーカー全体に多かれ少なかれあるものだとみられていることです。こうした見られ方は日本製品のブランドイメージにプラスかマイナスかと言われたら明らかにマイナスでしょうが、じゃあ絶対壊れないようにするなんてのは無理ですし、かといって壊れるタイミングに意図的にムラが出るようにしてしまったら本末転倒dす。ただこうしたイメージを持たれていることを意識して何らかのブランド戦略を持っていくことは大事なのではないかと、個人的に感じた次第です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年10月17日水曜日
2012年10月14日日曜日
復興予算を巡るNHKの報道
このところ東日本大震災に対する復興費用の用途を巡り本来の目的とは関係ないものに使われたという報道が増えてきておりますが、これらの報道を見るたびに実はちょっと違和感を感じます。その違和感というのも、何故誰も先月にNHKが報じた番組の内容をもっと引用しないかという思いです。
件の番組はたまたま自分が日本に帰国している最中に放送されたのですが、復興予算がどのように使われているのかをあくまで中立的な立場で鋭く調査しており、一緒に見ていた親父と共に、「さすがはNHKよ」と見ているこっちが舌を巻く内容でした。具体的な内容をいくつか紹介すると、まず一番衝撃的だったのは各自治体のがれきの処理費用の差です。
震災後、宮城県や福島県を中心に海岸沿いの自治体では大量のがれきが生まれましたが、これらのがれき処理に際して政府は事実上、青天井の予算を組んだのですが、震災から一年半経過してがれき処理にかかった費用を自治体別に比較してみると、なんと処理したがれき量はほぼ同じにもかかわらず自治体によっては10倍、実数を出すとたしか300億円以上使った自治体もあればわずか30億円で済ませた自治体も存在しました。
調べれば簡単に該当の自治体は出てきますが敢えて出さずにこのまま話を進めます。一体どうしてこれだけの費用の差が生まれたのかについてNHKは、がれき処理のやり方の違いが10倍の差を生んだとはっきり指摘しておりました。300億円もかかった自治体ではとにかく早くがれき処理を優先するために各地で集めた瓦礫を片っ端から集積場に集めて、集積場でがれきの種類を仕分する方法を採ったそうです。ただこの方法は結果的にはあまり効率が良くなく、次から次へとがれきが運ばれてくるため仕分が追い付かず、集積場ではハエなどの虫が大量に発生することとなりました。そのためこれらの虫を殺虫するために保管費用がかかり、現在も毎日殺虫剤を撒いているそうです。
一方、わずか30億円に抑えた自治体では以前に起きた新潟県中越地震で同じようにがれき処理の経験があったことから、がれきを現地で分類した上で集積場に持ってくる方法を採用したそうです。担当者によるとこの方法が一番効率がいいと判断し、実際に先の自治体と比べて格段に保管費用が少なく、処理も早く進んでいるそうです。また同じように費用を格段に安く済ませた別の自治体では、業者にがれき処理を発注する前にまず自分たちで崩壊した家屋の破壊処理をやってみたそうです。実際に破壊処理してみて一軒当たりどの程度の費用がかかるのかを綿密に計算した上で、業者に対し費用の交渉を行ったそうです。
いくら処理を急ぐと言っても、費用は安く抑えるに越したことはありません。別に300億円かかった自治体を批判するつもりはありませんが、今後もこういった大災害が起こる可能性を考えると費用を安く抑えた自治体の取り組みを大きく取り上げ、次回の反省に生かすべきだと思います。そういう意味でこのNHKの報道は実に見事なもので、見終わった後には次の日のネットではこの番組の内容についてみんなネット上で議論するだろう、どんな意見が交わされるのだろうと楽しみに待っていたら、自分が思っていた以上にネット上ではあまり取り上げられず、約一ヶ月経って復興予算の使い道についてあれこれ他のメディアが報道される段階になっても未だに見ません。
もちろん検索をかけたらいくつかのブログでは取り上げられているのですが、それにしたって内容が非常に良かっただけに何故共通認識になるくらいみんなで共有しないのか不思議でしょうがありません。念のために友人にこの前確認したところ、やっぱり全く知りませんでした。
今現在起こっている復興予算の不当な使い道では、今日見たのだと公安が「被災地で過激派が活動する恐れがある」として車を買ってたという突っ込みどころのある使い方などあり確かにこれらもこれから精査しなければなりませんが、この不当な使い道に関連して政府、特に民主党を批判する人を見受けますが私としてはあまりいい気分がしません。もちろん民主党は与党であるためにある程度責任は持たないといけませんが、震災が起きて数ヶ月間は「なんでまだ復興予算をきちんと配らないんだ」などという批判が多く、自分のブログにも管元首相の悪口を書いたコメントとか当時受け取りました。
早く配れれば早いに越したことはないですが、急いでやろうとすれば何事も齟齬が生まれます。かといって抜け道がないように綿密に相談するために配布が遅れてもいいわけではありません。私が何を言いたのかというと、こういうのは結局どっちを取ってもとっちかで転ぶロスであって、過去のことをあれこれ批判するより次回の反省につなげる思考の方が大事だということです。差し当たってさっきの公安のわけのわからない予算申請した責任者のクビを飛ばせば無能が一人減るわけですし、何故管理できなかったのかとあれこれ議論するくらいなら無能の排除と費用を安く抑える有効な方法を周知することの方が未来につながるのでは、未来志向なのではというのが私の意見です。
件の番組はたまたま自分が日本に帰国している最中に放送されたのですが、復興予算がどのように使われているのかをあくまで中立的な立場で鋭く調査しており、一緒に見ていた親父と共に、「さすがはNHKよ」と見ているこっちが舌を巻く内容でした。具体的な内容をいくつか紹介すると、まず一番衝撃的だったのは各自治体のがれきの処理費用の差です。
震災後、宮城県や福島県を中心に海岸沿いの自治体では大量のがれきが生まれましたが、これらのがれき処理に際して政府は事実上、青天井の予算を組んだのですが、震災から一年半経過してがれき処理にかかった費用を自治体別に比較してみると、なんと処理したがれき量はほぼ同じにもかかわらず自治体によっては10倍、実数を出すとたしか300億円以上使った自治体もあればわずか30億円で済ませた自治体も存在しました。
調べれば簡単に該当の自治体は出てきますが敢えて出さずにこのまま話を進めます。一体どうしてこれだけの費用の差が生まれたのかについてNHKは、がれき処理のやり方の違いが10倍の差を生んだとはっきり指摘しておりました。300億円もかかった自治体ではとにかく早くがれき処理を優先するために各地で集めた瓦礫を片っ端から集積場に集めて、集積場でがれきの種類を仕分する方法を採ったそうです。ただこの方法は結果的にはあまり効率が良くなく、次から次へとがれきが運ばれてくるため仕分が追い付かず、集積場ではハエなどの虫が大量に発生することとなりました。そのためこれらの虫を殺虫するために保管費用がかかり、現在も毎日殺虫剤を撒いているそうです。
一方、わずか30億円に抑えた自治体では以前に起きた新潟県中越地震で同じようにがれき処理の経験があったことから、がれきを現地で分類した上で集積場に持ってくる方法を採用したそうです。担当者によるとこの方法が一番効率がいいと判断し、実際に先の自治体と比べて格段に保管費用が少なく、処理も早く進んでいるそうです。また同じように費用を格段に安く済ませた別の自治体では、業者にがれき処理を発注する前にまず自分たちで崩壊した家屋の破壊処理をやってみたそうです。実際に破壊処理してみて一軒当たりどの程度の費用がかかるのかを綿密に計算した上で、業者に対し費用の交渉を行ったそうです。
いくら処理を急ぐと言っても、費用は安く抑えるに越したことはありません。別に300億円かかった自治体を批判するつもりはありませんが、今後もこういった大災害が起こる可能性を考えると費用を安く抑えた自治体の取り組みを大きく取り上げ、次回の反省に生かすべきだと思います。そういう意味でこのNHKの報道は実に見事なもので、見終わった後には次の日のネットではこの番組の内容についてみんなネット上で議論するだろう、どんな意見が交わされるのだろうと楽しみに待っていたら、自分が思っていた以上にネット上ではあまり取り上げられず、約一ヶ月経って復興予算の使い道についてあれこれ他のメディアが報道される段階になっても未だに見ません。
もちろん検索をかけたらいくつかのブログでは取り上げられているのですが、それにしたって内容が非常に良かっただけに何故共通認識になるくらいみんなで共有しないのか不思議でしょうがありません。念のために友人にこの前確認したところ、やっぱり全く知りませんでした。
今現在起こっている復興予算の不当な使い道では、今日見たのだと公安が「被災地で過激派が活動する恐れがある」として車を買ってたという突っ込みどころのある使い方などあり確かにこれらもこれから精査しなければなりませんが、この不当な使い道に関連して政府、特に民主党を批判する人を見受けますが私としてはあまりいい気分がしません。もちろん民主党は与党であるためにある程度責任は持たないといけませんが、震災が起きて数ヶ月間は「なんでまだ復興予算をきちんと配らないんだ」などという批判が多く、自分のブログにも管元首相の悪口を書いたコメントとか当時受け取りました。
早く配れれば早いに越したことはないですが、急いでやろうとすれば何事も齟齬が生まれます。かといって抜け道がないように綿密に相談するために配布が遅れてもいいわけではありません。私が何を言いたのかというと、こういうのは結局どっちを取ってもとっちかで転ぶロスであって、過去のことをあれこれ批判するより次回の反省につなげる思考の方が大事だということです。差し当たってさっきの公安のわけのわからない予算申請した責任者のクビを飛ばせば無能が一人減るわけですし、何故管理できなかったのかとあれこれ議論するくらいなら無能の排除と費用を安く抑える有効な方法を周知することの方が未来につながるのでは、未来志向なのではというのが私の意見です。
2012年10月13日土曜日
おもしろ超人のいる国
また関係ない話からですが、「中国製」というと日本製より価格は安い物の品質が悪いというイメージが付きまといますが、これを「中華製」と言い換えるとまた別なイメージが持たれるのではとこのところ考えてます。具体的には「中華製タオル」、「中華製電子レンジ」、「中華製クレンジングオイル」など、なんか中華料理のイメージからか全部厨房で作られているような感じがします。
話は本題、といってもまたおちゃらけた話ですが、私が中国に興味を持ったのはこのブログでも何度も書いてあるように三国志など中国史に興味を持ったことが大きいですが、それと共におもしろ超人がたくさんいたということも一つのきっかけとなっております。よく取り上げていたのはテレビ番組の「世界まる見え特捜部」ですが、気功の力などと言いながらレンガをひたすら頭突きで割る人とか、足の指で筆をつかんで上手に字を書く人とか、確かにすごいんだけどなにかおかしいというおもしろ超人とくれば大抵が中国人かインド人でした。今でもそうですがわけがわからないんだけど珍しい感じがするものに対して私はよく興味を持つところがあり、こうしたおもしろ超人が多くいたということから中国が好きになった気がします。なおやっぱりインドも同じ理由からやっぱり好きです。
ただ昨今は経済成長が著しい中国。資本主義の浸透による影響か、残念なことにこうしたおもしろ超人を見にする機会は確実に減ってきているような気がします。日々の新聞を見ていてもそういうおもしろ超人に関する記事は見ることはなく、話をでっかくしてもしょうがないですけどこういったおもしろ超人がいるということは社会がやっぱり寛容な証拠であるように思えて、表に出なくなったのは社会全体で「無駄なものは無駄」と切り捨て、精神的な余裕がなくなっているのかなという風に感じます。もっともそれを言ったら日本なんか以前からそのような社会になっており、風船おじさん以降は「そんなしようもないことをなんですんねん」と突っ込みたくなる人がほとんどおりません。芸人であれば江頭2:50のように尻で割りばしを割る人はいますが。
そういう意味では日本も余裕のない国と言わざるを得ないと言いたいところですが、なんか日本は別方面でこのところ凄いと思うニュースが良く報じられます。そのニュースというのも性犯罪者関連のニュースですが、アンサイクロペディアの「変態番付」を見ていると、「なんなんだろう、日本人って」とつくづく思え、こういう常識外で生きる人達もいることだし、世の中捨てたものじゃないなとなんか一人で物思いにふけってしまいます。ちなみにこの変態番付の中で私が一番好きなのは大関の「改造した釣竿を使い、足掛け30年で500枚もの女性下着を盗み続けた通称、釣りキチ助平」です。
話は本題、といってもまたおちゃらけた話ですが、私が中国に興味を持ったのはこのブログでも何度も書いてあるように三国志など中国史に興味を持ったことが大きいですが、それと共におもしろ超人がたくさんいたということも一つのきっかけとなっております。よく取り上げていたのはテレビ番組の「世界まる見え特捜部」ですが、気功の力などと言いながらレンガをひたすら頭突きで割る人とか、足の指で筆をつかんで上手に字を書く人とか、確かにすごいんだけどなにかおかしいというおもしろ超人とくれば大抵が中国人かインド人でした。今でもそうですがわけがわからないんだけど珍しい感じがするものに対して私はよく興味を持つところがあり、こうしたおもしろ超人が多くいたということから中国が好きになった気がします。なおやっぱりインドも同じ理由からやっぱり好きです。
ただ昨今は経済成長が著しい中国。資本主義の浸透による影響か、残念なことにこうしたおもしろ超人を見にする機会は確実に減ってきているような気がします。日々の新聞を見ていてもそういうおもしろ超人に関する記事は見ることはなく、話をでっかくしてもしょうがないですけどこういったおもしろ超人がいるということは社会がやっぱり寛容な証拠であるように思えて、表に出なくなったのは社会全体で「無駄なものは無駄」と切り捨て、精神的な余裕がなくなっているのかなという風に感じます。もっともそれを言ったら日本なんか以前からそのような社会になっており、風船おじさん以降は「そんなしようもないことをなんですんねん」と突っ込みたくなる人がほとんどおりません。芸人であれば江頭2:50のように尻で割りばしを割る人はいますが。
そういう意味では日本も余裕のない国と言わざるを得ないと言いたいところですが、なんか日本は別方面でこのところ凄いと思うニュースが良く報じられます。そのニュースというのも性犯罪者関連のニュースですが、アンサイクロペディアの「変態番付」を見ていると、「なんなんだろう、日本人って」とつくづく思え、こういう常識外で生きる人達もいることだし、世の中捨てたものじゃないなとなんか一人で物思いにふけってしまいます。ちなみにこの変態番付の中で私が一番好きなのは大関の「改造した釣竿を使い、足掛け30年で500枚もの女性下着を盗み続けた通称、釣りキチ助平」です。
2012年10月11日木曜日
平成史考察~玄倉川水難事故(1999年)
まだなんか掲載周期が安定していないこの平成史考察ですが、このところ畑村洋太郎教授による「失敗知識データベース」にはまっているので、今日は1999年に起きた玄倉川水難事故を取り上げようと思います。
・玄倉川水難事故(Wikipedia)
恐らくこの事故の名前を見てもパッと思い出せる人は少ないでしょうが、内容自体はここで書いてある内容を見ることで思い出す人は多いのではないかと思います。というのもこの事故、ほかの一般の事故とは異なり被災するシーンがリアルタイムで放映されていたからです。
事故のあらましから話していきますが、1999年の8月13日、キャンプ場として有名な神奈川県足柄上郡山北町にある玄倉川の流域ではその日もキャンプ客でにぎわっておりました。お盆真っ只中ということもあって多くの客が訪れていたのですが、その当時に熱帯低気圧が日本へと近づいており、現場でも午後三時ごろから雨が降り出しておりました。
この玄倉川キャンプ場を含む周辺は元々雨の多い地形で、川沿いにあるキャンプ場は豪雨時には毎回水没する場所だったようです。こうしたことから上流にある玄倉川ダムの職員は雨の降りだした頃にキャンプ客に対して避難を呼びかけ、実際にこれに応じて大半の客は非難したそうです。ただこうした中でとある企業の社員とその家族による団体は呼びかけに一向に応じず、直接ダム職員が避難するよう伝えても動こうとしませんでした。そうこうする中でも雨足は強まっており、最終的にはダム職員が警察とともに再度避難するよう伝えたものの、数人が移動に応じたものの後に遭難する18人は中州から頑として動かず、あくまで報道ベースですが警官らに対して強い態度で出たと言われております。
ここでちょっと先にキャンプ場の上流にあった玄倉川ダムについて解説しますが、このダムは小規模の発電用ダムで水の貯水力はほとんどなく実質的には堰の様な施設だそうです。そのため大量に水をためるとダム自体が決壊する恐れがあるため、豪雨時にはゲートを開放して放流する仕組みとなっておりました。この時の豪雨時も決壊の恐れがあるためダムを開放しており、それが現場の急な水位上昇へとつながっています。
話は元に戻り翌14日、雨はますます強まり玄倉川の水位も徐々に上昇し、午前8時半には遭難者がテントを張っていた中州も水没します。この時点で水位は1メートル以上に達し、自力での脱出は不可能となっておりました。こうした状況から前夜に先に避難した人物から避難要請が出されレスキュー隊員が午前9時に現場へと到着しますが、当日はお盆期間ということもあり大半の職員が出払っており、駆けつけられたのは少ない当直メンバーだったそうです。しかも水位はこの間も上昇し続けており、二次災害の恐れもあることからうかつな救助活動すらできない状態でした。
午前10時にはテレビメディアが到着して事故状況の撮影が開始されますが、既にテントは流され、遭難者は大人の男性数人が上流に向かって立ち、子供や女性がその後ろで流されまいと懸命に耐え続けている状態でした。この時の映像は当時自分も見ており、未だによく覚えております。
もうこの後もぐだぐだ書くのも気が進まないので結果を書いてしまいますが、結局救助は間に合わず、遭難者一行は一斉に水流に流され運良く対岸に流れ着いた5人を除き13人が死亡しました。下賤な話ですが、この時の救助とその後の遺体捜索にかかった費用は総額で5億円にも上るそうです。事故当時は一行が流されるシーンの映像も放送しており、恐らくうちの家に限らず全国でショッキングな事件として見ていたかと思います。また事故後は当時の状況が明らかになるにつけ、ウィキペディアにも書いてある通りに避難の呼びかけに応じようとしなかった遭難者に対して強い批判が行われました。
かくいう私自身もその一人で、未だにやけに覚えていますが夏休みの水泳部の部活の帰りに後輩を捕まえて、「お前どう思うよこの事件」、「俺は大人が自分で残ることを決断して流されて自分一人で死ぬのは自業自得だと思うけどさ、生き残った子供はこれから親なしで生きてくと思うと行動に責任感なさすぎるよな」などと、今思うと中学生の癖してなにわけのわからないことを言ってるんだよという気がします。
ただこの事件が一つの議論の種となって、どうもこの事件以降から「遭難する側の責任」というものが大きく取り上げられるようになった気がします。大きな災害や事故につながる恐れがあったにもかかわらず必要な対応を取らず、いざとなったらレスキューにおんぶ抱っこはよくないのではという意見が出るようになり、昨今の遭難事故では必ずこの点がやり玉に挙がってくるようになたっと思います。ただ近年はこれがやや過剰になりつつあるのではと思う節もあり、特にネット上では不必要なほど遭難者を批判する意見も目立つようになってきています。責任を全く問わないのは問題ではあるものの、必要以上に問うのも問題だというのがこの事件、並びに現状に対する私の意見です。
・玄倉川水難事故(Wikipedia)
恐らくこの事故の名前を見てもパッと思い出せる人は少ないでしょうが、内容自体はここで書いてある内容を見ることで思い出す人は多いのではないかと思います。というのもこの事故、ほかの一般の事故とは異なり被災するシーンがリアルタイムで放映されていたからです。
事故のあらましから話していきますが、1999年の8月13日、キャンプ場として有名な神奈川県足柄上郡山北町にある玄倉川の流域ではその日もキャンプ客でにぎわっておりました。お盆真っ只中ということもあって多くの客が訪れていたのですが、その当時に熱帯低気圧が日本へと近づいており、現場でも午後三時ごろから雨が降り出しておりました。
この玄倉川キャンプ場を含む周辺は元々雨の多い地形で、川沿いにあるキャンプ場は豪雨時には毎回水没する場所だったようです。こうしたことから上流にある玄倉川ダムの職員は雨の降りだした頃にキャンプ客に対して避難を呼びかけ、実際にこれに応じて大半の客は非難したそうです。ただこうした中でとある企業の社員とその家族による団体は呼びかけに一向に応じず、直接ダム職員が避難するよう伝えても動こうとしませんでした。そうこうする中でも雨足は強まっており、最終的にはダム職員が警察とともに再度避難するよう伝えたものの、数人が移動に応じたものの後に遭難する18人は中州から頑として動かず、あくまで報道ベースですが警官らに対して強い態度で出たと言われております。
ここでちょっと先にキャンプ場の上流にあった玄倉川ダムについて解説しますが、このダムは小規模の発電用ダムで水の貯水力はほとんどなく実質的には堰の様な施設だそうです。そのため大量に水をためるとダム自体が決壊する恐れがあるため、豪雨時にはゲートを開放して放流する仕組みとなっておりました。この時の豪雨時も決壊の恐れがあるためダムを開放しており、それが現場の急な水位上昇へとつながっています。
話は元に戻り翌14日、雨はますます強まり玄倉川の水位も徐々に上昇し、午前8時半には遭難者がテントを張っていた中州も水没します。この時点で水位は1メートル以上に達し、自力での脱出は不可能となっておりました。こうした状況から前夜に先に避難した人物から避難要請が出されレスキュー隊員が午前9時に現場へと到着しますが、当日はお盆期間ということもあり大半の職員が出払っており、駆けつけられたのは少ない当直メンバーだったそうです。しかも水位はこの間も上昇し続けており、二次災害の恐れもあることからうかつな救助活動すらできない状態でした。
午前10時にはテレビメディアが到着して事故状況の撮影が開始されますが、既にテントは流され、遭難者は大人の男性数人が上流に向かって立ち、子供や女性がその後ろで流されまいと懸命に耐え続けている状態でした。この時の映像は当時自分も見ており、未だによく覚えております。
もうこの後もぐだぐだ書くのも気が進まないので結果を書いてしまいますが、結局救助は間に合わず、遭難者一行は一斉に水流に流され運良く対岸に流れ着いた5人を除き13人が死亡しました。下賤な話ですが、この時の救助とその後の遺体捜索にかかった費用は総額で5億円にも上るそうです。事故当時は一行が流されるシーンの映像も放送しており、恐らくうちの家に限らず全国でショッキングな事件として見ていたかと思います。また事故後は当時の状況が明らかになるにつけ、ウィキペディアにも書いてある通りに避難の呼びかけに応じようとしなかった遭難者に対して強い批判が行われました。
かくいう私自身もその一人で、未だにやけに覚えていますが夏休みの水泳部の部活の帰りに後輩を捕まえて、「お前どう思うよこの事件」、「俺は大人が自分で残ることを決断して流されて自分一人で死ぬのは自業自得だと思うけどさ、生き残った子供はこれから親なしで生きてくと思うと行動に責任感なさすぎるよな」などと、今思うと中学生の癖してなにわけのわからないことを言ってるんだよという気がします。
ただこの事件が一つの議論の種となって、どうもこの事件以降から「遭難する側の責任」というものが大きく取り上げられるようになった気がします。大きな災害や事故につながる恐れがあったにもかかわらず必要な対応を取らず、いざとなったらレスキューにおんぶ抱っこはよくないのではという意見が出るようになり、昨今の遭難事故では必ずこの点がやり玉に挙がってくるようになたっと思います。ただ近年はこれがやや過剰になりつつあるのではと思う節もあり、特にネット上では不必要なほど遭難者を批判する意見も目立つようになってきています。責任を全く問わないのは問題ではあるものの、必要以上に問うのも問題だというのがこの事件、並びに現状に対する私の意見です。
2012年10月10日水曜日
大学受験のセンター試験について
あまり時間がないので簡単にまとめられる話というか前から言いたかったことを書こうと思います。
センター試験と聞いて何のことかわからない人は多くないでしょうが、このセンター試験は日本の受験制度にかなり根付いてはいるものの未だに批判する声も多いです。具体的な批判点を挙げると、
1、マークシート方式のため数学などで解答幅が狭まる
2、統一的な試験のため大学の個性が出ない
3、思考、読解を問う問題が少ない
上記の3つの批判点は私も理解できなくはないのですが、しいて言うと2番目の「大学の個性が出ない」というのは無視してもいいかと思います。この批判というのはどの大学も受験問題を独自に作成してこそ入学する学生に校風というか個性が出来るという主張で、センター試験のように統一的な問題ではそういった個性が出ず、入学する学生にも学校にもよくないという奴です、私個人的な意見としては、確かに大学ごとに試験内容が異なれば、たとえば思考力を問う問題が多い大学と素早く解いていく必要が多い問題が多い大学とでは個性が多少変わるでしょうが、それにしたってそれほど大きく違いは出ないかと思います。試験よりもやはり伝統というか学生の間にある空気というものが個性を作るのであって、試験ではないと思います。
とまぁこんな具合でとにもかくにもいろいろ議論の種になっているこのセンター試験ですが、率直に言って私としては存続させるべきだという立場を取ります。確かに1番目、3番目のような試験方式上の欠点はあると認めますが、それを推しても地方の高校生らの負担を考えるとやはり恩恵の方が大きいと考えています。
私自身は東京駅まで電車で一時間以内という比較的恵まれた場所に実家があったからよかったものの、地方の学生は東京の大学を受験するに当たってその度に上京しなければならず、滞在費用や移動費用を考えると受験費用でただでさえお金がかかっているというのに余計な負担が多すぎます。一部の大学は地方にも試験場を設けて対応していたりしていますが、センター試験による併願方式を使えばそうした移動を全くせず私立大学などを受験することができ、地方の高校生からしたら非常に助かるのではないかと思います。
逆を言えば東京近辺の高校生はこういった地方の苦労をまるで理解していない節があるように見えます。私自身は極端に珍しいタイプで関東出身の癖に関西の大学に行きましたが、進学先で地方の高校生の話を聞いていると受験一つとっても都心部と地方部では大きな差があると強く実感させられました。
なお私は進学した大学の試験を東京に設けられた試験場で受験しました。仮に東京に試験場が設けられなければ受験していなかったかもしれず、そう考えると進学先が肌に合ってたこともありますがよくぞ東京に試験場を設けてくれたと大学運営関係者に強く感謝したくなります。なお関西の私立大なんかこうして地方試験場をあちこちも受けますが、関東の私大はまだあまりそうしたことはしておりません。そのため私の大学の恩師なんか、「関東の大学が地方試験場を作らず王様商売をやってくれているからうちも受験者集まるけど、もしやられたらこっちも困るな」と話しておりました。
センター試験と聞いて何のことかわからない人は多くないでしょうが、このセンター試験は日本の受験制度にかなり根付いてはいるものの未だに批判する声も多いです。具体的な批判点を挙げると、
1、マークシート方式のため数学などで解答幅が狭まる
2、統一的な試験のため大学の個性が出ない
3、思考、読解を問う問題が少ない
上記の3つの批判点は私も理解できなくはないのですが、しいて言うと2番目の「大学の個性が出ない」というのは無視してもいいかと思います。この批判というのはどの大学も受験問題を独自に作成してこそ入学する学生に校風というか個性が出来るという主張で、センター試験のように統一的な問題ではそういった個性が出ず、入学する学生にも学校にもよくないという奴です、私個人的な意見としては、確かに大学ごとに試験内容が異なれば、たとえば思考力を問う問題が多い大学と素早く解いていく必要が多い問題が多い大学とでは個性が多少変わるでしょうが、それにしたってそれほど大きく違いは出ないかと思います。試験よりもやはり伝統というか学生の間にある空気というものが個性を作るのであって、試験ではないと思います。
とまぁこんな具合でとにもかくにもいろいろ議論の種になっているこのセンター試験ですが、率直に言って私としては存続させるべきだという立場を取ります。確かに1番目、3番目のような試験方式上の欠点はあると認めますが、それを推しても地方の高校生らの負担を考えるとやはり恩恵の方が大きいと考えています。
私自身は東京駅まで電車で一時間以内という比較的恵まれた場所に実家があったからよかったものの、地方の学生は東京の大学を受験するに当たってその度に上京しなければならず、滞在費用や移動費用を考えると受験費用でただでさえお金がかかっているというのに余計な負担が多すぎます。一部の大学は地方にも試験場を設けて対応していたりしていますが、センター試験による併願方式を使えばそうした移動を全くせず私立大学などを受験することができ、地方の高校生からしたら非常に助かるのではないかと思います。
逆を言えば東京近辺の高校生はこういった地方の苦労をまるで理解していない節があるように見えます。私自身は極端に珍しいタイプで関東出身の癖に関西の大学に行きましたが、進学先で地方の高校生の話を聞いていると受験一つとっても都心部と地方部では大きな差があると強く実感させられました。
なお私は進学した大学の試験を東京に設けられた試験場で受験しました。仮に東京に試験場が設けられなければ受験していなかったかもしれず、そう考えると進学先が肌に合ってたこともありますがよくぞ東京に試験場を設けてくれたと大学運営関係者に強く感謝したくなります。なお関西の私立大なんかこうして地方試験場をあちこちも受けますが、関東の私大はまだあまりそうしたことはしておりません。そのため私の大学の恩師なんか、「関東の大学が地方試験場を作らず王様商売をやってくれているからうちも受験者集まるけど、もしやられたらこっちも困るな」と話しておりました。
2012年10月9日火曜日
山中教授のノーベル賞受賞について
既に日本国内でも大々的に報じられているため説明するまでもありませんが、京大に在籍する山中教授が今年のノーベル賞を受賞することが決まりました。なんか日本の報道を見ているとやけに中国や韓国がこのニュースをどう取り扱うかを大きく報じておりますが、少なくとも中国に限れば日系メディアが報じる通りに大きく扱っており、実際に一面で報じる新聞も見受けられました。もっとも個人的にもっと気になったのは、「日韓和解?」という見出しで韓国の李明薄大統領と麻生元首相の2ショットを国際金融報という新聞が一面で報じていたことでしたが。
話は山中教授に戻しますが、今回のノーベル賞受賞は私としても文句なしだし順当な結果だと思います。確かに実用化にはまだ至っておらず検証作業などもまだまだ進める必要がありますが、iPS細胞の発見はES細胞の研究捏造事件で一時研究が止まった再生医療を復活させる原動力となっており、その功績を考えれば確かに早いとはいえ十分受賞するだけの内容があるでしょう。
ネット上では山中教授への研究費助成金の額を巡って民主党が減額したなどといろいろ書かれておりますが、はやぶさの時といいこの点については私も確かな検証が必要かと思います。何も今回の例に限らず、どの方面にどれだけ研究費を割り振ってどれだけ成果を上げたのかは公表する必要はないと思いますが、やはり専門的な立場にある人たちの間で検証し、有効な資金活用が出来るようにしていくべきでしょう。
最後にこのiPS細胞の研究で言っておかなければならないと思うこととして書きますが、山中教授は2006年の8月に科学雑誌でマウスにおけるiPS細胞の作成方法を発表しましたが、この時に私が知る限り日本のメディアは完全に黙殺しておりました。一方、同時期にアメリカの新聞各紙は画期的な発見として今日の中国紙みたいに一面トップで報じていたと、ワイドショーに出ていた宮崎哲弥氏がかなり怒りながら主張しておりました。
ES細胞の研究が盛り上がっていた頃によく友人と生命倫理の議論で話をしていただけにこの時の宮崎氏の話をやけに印象的に覚えているのですが、その後日系メディアが山中教授を取り上げるようになったのは3ヶ月くらいたった同年の12月頃でした。宮崎氏も言っていましたが、国を挙げて科学技術を振興させると言いながらメディアが関心を持たないようでは意味がなく、科学分野は取っつき辛くとも目を向けるべきだと考える大きなきっかけとなりました。
話は山中教授に戻しますが、今回のノーベル賞受賞は私としても文句なしだし順当な結果だと思います。確かに実用化にはまだ至っておらず検証作業などもまだまだ進める必要がありますが、iPS細胞の発見はES細胞の研究捏造事件で一時研究が止まった再生医療を復活させる原動力となっており、その功績を考えれば確かに早いとはいえ十分受賞するだけの内容があるでしょう。
ネット上では山中教授への研究費助成金の額を巡って民主党が減額したなどといろいろ書かれておりますが、はやぶさの時といいこの点については私も確かな検証が必要かと思います。何も今回の例に限らず、どの方面にどれだけ研究費を割り振ってどれだけ成果を上げたのかは公表する必要はないと思いますが、やはり専門的な立場にある人たちの間で検証し、有効な資金活用が出来るようにしていくべきでしょう。
最後にこのiPS細胞の研究で言っておかなければならないと思うこととして書きますが、山中教授は2006年の8月に科学雑誌でマウスにおけるiPS細胞の作成方法を発表しましたが、この時に私が知る限り日本のメディアは完全に黙殺しておりました。一方、同時期にアメリカの新聞各紙は画期的な発見として今日の中国紙みたいに一面トップで報じていたと、ワイドショーに出ていた宮崎哲弥氏がかなり怒りながら主張しておりました。
ES細胞の研究が盛り上がっていた頃によく友人と生命倫理の議論で話をしていただけにこの時の宮崎氏の話をやけに印象的に覚えているのですが、その後日系メディアが山中教授を取り上げるようになったのは3ヶ月くらいたった同年の12月頃でした。宮崎氏も言っていましたが、国を挙げて科学技術を振興させると言いながらメディアが関心を持たないようでは意味がなく、科学分野は取っつき辛くとも目を向けるべきだと考える大きなきっかけとなりました。
2012年10月8日月曜日
安倍内閣を振り返る
どうでもいい近況ですが、この前にゲームアーカイブスでダウンロードした「ブレスオブファイア4」というゲームを現在しています。相変わらずストーリーはいいのですが展開がもっさりしているうえにRPGなのにキャラのモーションが無駄に長く、伝統的なまでに長所はあるのだけれど短所も目立つ作品です。ちなみにストーリーのもっさり具合を一つ説明すると、
<主人公の正体がわからない→風の竜に会おう→風の竜に会うために故郷に帰ろう→故郷で親父さんから、「風の竜に会う前に竜の巫女に会えば」と言われる→竜の巫女に会ったら、やっぱり風の竜に会えと言われる→風の竜に会うには風の笛が必要だと言われる→風の笛を手に入れるために、再び故郷の城の地下に行く→笛を持って風の塔に登ってようやく会える>
決して誇張ではなく、全部が全部こういう感じで無駄なお使いイベントが多いです。っていうか、風の笛なんて取りに行く必要があったのかと思うくらいで、作っている最中に誰か止めなかったのかこれ。
さて話は本題に入りますが、先日に野党第一党の自民党についてですが、安倍新総裁が就任して何故だか大手メディアからはやっかみもいいくらいに叩かれていますが、私自身としてはまだ何もしていないんだしちょっと今の叩き方はずるいと思います。ただ一部メディアが批判している安倍政権時代の功罪についてはきちんと比較分析するべきだと思いますし、そこで今日は安倍政権時代について私の評価をまとめようと思います。
・安倍内閣(Wikipedia)
まず安倍政権の最大の功績としてよく挙げられているのを見るのは教育基本法の改正です。教育基本法はかねてから野党や日教組が議論すら許さなかった程の聖域であったため確かに改正したのは歴史的と言ってもいいとは思いますが、ただ私自身としてはあまり評価しておりません。というのも不勉強なだけかもしれませんが、教育基本法が改正されたからと言って日本の教育環境や内容が改善されたかといわれると改正から数年経つのに未だに見えてきません。それどころかいじめ問題を筆頭に結局以前のまま、さらに言えば以前に私がブログで指摘したように教師の高齢化も歯止めがかかっておらず、理念だけ変わったところで成果があまりにもなさすぎるという風に考えております。
ただ唯一、この時の改革で評価しているのは教員免許更新制の導入です。現在も存続か廃止かで非常に揺れている制度ではありますが、発足当初は中学校の数学問題すら解けなかった高校の数学教師がこれで解任されたりと、あまりにも能力のない教師の淘汰に一役買ったと思いますし、この手の議論に大きな一石を投じたと思います。もっともおしむらくとして、教員の再教育というか研修制度があまりしっかり組み立てられておらず、現在もこの点が大きな問題となっているところがありますが。
次に同じく安倍政権の功績とみられているのが、防衛庁の防衛相への格上げです。これについては以前は野党が議論すら許さなかった内容ですが、確かに評価はできるもののなるべくしてなったもので大きくポイントを挙げるべき評価項目ではないと考えております。このほかパチンコ業者への締め付けを厳しくした点などは私自身は大きく評価しておりますが、安倍政権全体を通して観念的な部分での法改正は多いものの、具体的に成果を上げる細則実施はやはり少ない気がします。
逆に安倍政権のマイナス評価ポイントですが、恐らく私だけでしょうが最大のターニングポイントとなったのは「ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ばれる裁量労働制の導入を検討したことだったと思います。元々、安倍政権は発足当初は内閣支持率が異常に高く国民から期待された政権でしたが、「再チャレンジ」などを叫んで雇用対策などを強化すると主張していたところ、このホワイトカラーエグゼンプションが突然出てきて「ああやっぱり財界寄りだったんだな」と私もこの時にグッと距離感を感じました。
念のためホワイトカラーエグゼンプションについて説明すると、幹部級社員に対してあらかじめ定められた時間に縛られず自由に働くことを認める制度という触れ込みでしたが、仮にこの制度が認められるとサービス残業を国が公に認めてしまうことになるのではないかと批判が起こりました。はっきり言いますが政府、というかこの制度導入を強く求めた財界の本音としてはまさにその通りで、当初は対象となる社員を年収300万円以上(途中で800万円以上に訂正)と言っており、日雇い派遣など低賃金過重労働が問題となっているところでこんな制度案が突然出てきたことは面食らいました。また当時、というか現時点において日本企業では年収500万円以上の社員を大抵は管理職扱いにしており、この裁量労働制を事実上実施しております。うちの親父なんか、なんで既にみんなやっていることをいちいち法律で追認するんだと当時批判してました。更にもう一言加えておくと、日本でカタカナの名前の法律は大抵が何かしら裏があります。
と、このホワイトカラーエグゼンプションが出てきた時点で私も一気に評価しなくなったのですが、一番致命的となったのは消えた年金問題において間違いないでしょう。この年金問題に関しては逆に私は同情的に考えており、それ以前の政権が放置してきたために大ごとになった問題を、何故か安倍政権の時期に今は無き社保庁が不必要なまでにリークを行い選挙で大敗する要因を作りました。この時に社保庁は何故リークを行ったのか、恐らくは安倍政権が渡辺善美氏(現みんなの党党首)を据えて進めていた公務員改革に対する反抗だったのではないかと考えております。なおこの消えた年金問題で何が一番問題なのかというと、この時に散々騒いだにもかかわらず、現時点においてもこの問題は何も改善されずくすぶっていることです。恐らくまたどこかの政権で一気に問題が噴出して大騒ぎしてなにも変わらないまま次代に引き継がれていくことになるでしょう。
消えた年金問題同様に、直接的に安倍氏自身の責任ではないものの閣僚の度重なる不祥事も短命政権を生む要因となったでしょう。何とか還元水で最後は自殺に至った松岡利勝元農水大臣はもとより、その後を継いだ赤城徳彦に至っては、ウィキペディアの記事を見るにつけよくもまぁ大臣在任中の2ヶ月の間にこれだけ問題を引き起こしたなと呆れてきます。存命中の人物に唾を吐くのはどうかと思うものの、この人はほんまもんのクズでしょう。
以上のような具合であまりまとまりがない書き方をしておりますが、総じて必要性や優先度の高い改革を行ったとは言いづらく、過分の安倍氏の「やりたかったこと」だけが実行されていた政権だった気がします。とはいえ安倍氏自身はそういうブレの少ない性格なために、恐らく野党党首としては十二分に才能を発揮して自民党自体にとってはこれからいい方向に持っていくと予想してます。
ただそれは野党党首としての話であり、仮に次の総選挙で自民党が大勝し、総理大臣に再登板することになれば元から才能なんてないんだからまともな国会運営が出来ず、晩節を大いに汚すことになるということも予想しておきます。というのも安倍政権は小泉政権の遺産ともいうべきか、衆議院で三分の二以上という圧倒的多数の議席を保有していたのですが、この議席数に胡坐をかき強行採決することが異常に多かったです。当時は参議院でも自民党が過半数を握っていましたが、ねじれ国会の今に総理に就任したところで安倍氏にまともな国会対策が出来るとはとても思えず、すぐに運営に行き詰まることでしょう。厳しい評価ですがかつて「KY」と呼ばれただけあって、安倍氏には致命的なまでにこの方面の能力が不足しております。悪いことは言わないから、選挙で大勝したら総裁を降りて、総理職はほかの人に任せた方が無難かと個人的に思います。
<主人公の正体がわからない→風の竜に会おう→風の竜に会うために故郷に帰ろう→故郷で親父さんから、「風の竜に会う前に竜の巫女に会えば」と言われる→竜の巫女に会ったら、やっぱり風の竜に会えと言われる→風の竜に会うには風の笛が必要だと言われる→風の笛を手に入れるために、再び故郷の城の地下に行く→笛を持って風の塔に登ってようやく会える>
決して誇張ではなく、全部が全部こういう感じで無駄なお使いイベントが多いです。っていうか、風の笛なんて取りに行く必要があったのかと思うくらいで、作っている最中に誰か止めなかったのかこれ。
さて話は本題に入りますが、先日に野党第一党の自民党についてですが、安倍新総裁が就任して何故だか大手メディアからはやっかみもいいくらいに叩かれていますが、私自身としてはまだ何もしていないんだしちょっと今の叩き方はずるいと思います。ただ一部メディアが批判している安倍政権時代の功罪についてはきちんと比較分析するべきだと思いますし、そこで今日は安倍政権時代について私の評価をまとめようと思います。
・安倍内閣(Wikipedia)
まず安倍政権の最大の功績としてよく挙げられているのを見るのは教育基本法の改正です。教育基本法はかねてから野党や日教組が議論すら許さなかった程の聖域であったため確かに改正したのは歴史的と言ってもいいとは思いますが、ただ私自身としてはあまり評価しておりません。というのも不勉強なだけかもしれませんが、教育基本法が改正されたからと言って日本の教育環境や内容が改善されたかといわれると改正から数年経つのに未だに見えてきません。それどころかいじめ問題を筆頭に結局以前のまま、さらに言えば以前に私がブログで指摘したように教師の高齢化も歯止めがかかっておらず、理念だけ変わったところで成果があまりにもなさすぎるという風に考えております。
ただ唯一、この時の改革で評価しているのは教員免許更新制の導入です。現在も存続か廃止かで非常に揺れている制度ではありますが、発足当初は中学校の数学問題すら解けなかった高校の数学教師がこれで解任されたりと、あまりにも能力のない教師の淘汰に一役買ったと思いますし、この手の議論に大きな一石を投じたと思います。もっともおしむらくとして、教員の再教育というか研修制度があまりしっかり組み立てられておらず、現在もこの点が大きな問題となっているところがありますが。
次に同じく安倍政権の功績とみられているのが、防衛庁の防衛相への格上げです。これについては以前は野党が議論すら許さなかった内容ですが、確かに評価はできるもののなるべくしてなったもので大きくポイントを挙げるべき評価項目ではないと考えております。このほかパチンコ業者への締め付けを厳しくした点などは私自身は大きく評価しておりますが、安倍政権全体を通して観念的な部分での法改正は多いものの、具体的に成果を上げる細則実施はやはり少ない気がします。
逆に安倍政権のマイナス評価ポイントですが、恐らく私だけでしょうが最大のターニングポイントとなったのは「ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ばれる裁量労働制の導入を検討したことだったと思います。元々、安倍政権は発足当初は内閣支持率が異常に高く国民から期待された政権でしたが、「再チャレンジ」などを叫んで雇用対策などを強化すると主張していたところ、このホワイトカラーエグゼンプションが突然出てきて「ああやっぱり財界寄りだったんだな」と私もこの時にグッと距離感を感じました。
念のためホワイトカラーエグゼンプションについて説明すると、幹部級社員に対してあらかじめ定められた時間に縛られず自由に働くことを認める制度という触れ込みでしたが、仮にこの制度が認められるとサービス残業を国が公に認めてしまうことになるのではないかと批判が起こりました。はっきり言いますが政府、というかこの制度導入を強く求めた財界の本音としてはまさにその通りで、当初は対象となる社員を年収300万円以上(途中で800万円以上に訂正)と言っており、日雇い派遣など低賃金過重労働が問題となっているところでこんな制度案が突然出てきたことは面食らいました。また当時、というか現時点において日本企業では年収500万円以上の社員を大抵は管理職扱いにしており、この裁量労働制を事実上実施しております。うちの親父なんか、なんで既にみんなやっていることをいちいち法律で追認するんだと当時批判してました。更にもう一言加えておくと、日本でカタカナの名前の法律は大抵が何かしら裏があります。
と、このホワイトカラーエグゼンプションが出てきた時点で私も一気に評価しなくなったのですが、一番致命的となったのは消えた年金問題において間違いないでしょう。この年金問題に関しては逆に私は同情的に考えており、それ以前の政権が放置してきたために大ごとになった問題を、何故か安倍政権の時期に今は無き社保庁が不必要なまでにリークを行い選挙で大敗する要因を作りました。この時に社保庁は何故リークを行ったのか、恐らくは安倍政権が渡辺善美氏(現みんなの党党首)を据えて進めていた公務員改革に対する反抗だったのではないかと考えております。なおこの消えた年金問題で何が一番問題なのかというと、この時に散々騒いだにもかかわらず、現時点においてもこの問題は何も改善されずくすぶっていることです。恐らくまたどこかの政権で一気に問題が噴出して大騒ぎしてなにも変わらないまま次代に引き継がれていくことになるでしょう。
消えた年金問題同様に、直接的に安倍氏自身の責任ではないものの閣僚の度重なる不祥事も短命政権を生む要因となったでしょう。何とか還元水で最後は自殺に至った松岡利勝元農水大臣はもとより、その後を継いだ赤城徳彦に至っては、ウィキペディアの記事を見るにつけよくもまぁ大臣在任中の2ヶ月の間にこれだけ問題を引き起こしたなと呆れてきます。存命中の人物に唾を吐くのはどうかと思うものの、この人はほんまもんのクズでしょう。
以上のような具合であまりまとまりがない書き方をしておりますが、総じて必要性や優先度の高い改革を行ったとは言いづらく、過分の安倍氏の「やりたかったこと」だけが実行されていた政権だった気がします。とはいえ安倍氏自身はそういうブレの少ない性格なために、恐らく野党党首としては十二分に才能を発揮して自民党自体にとってはこれからいい方向に持っていくと予想してます。
ただそれは野党党首としての話であり、仮に次の総選挙で自民党が大勝し、総理大臣に再登板することになれば元から才能なんてないんだからまともな国会運営が出来ず、晩節を大いに汚すことになるということも予想しておきます。というのも安倍政権は小泉政権の遺産ともいうべきか、衆議院で三分の二以上という圧倒的多数の議席を保有していたのですが、この議席数に胡坐をかき強行採決することが異常に多かったです。当時は参議院でも自民党が過半数を握っていましたが、ねじれ国会の今に総理に就任したところで安倍氏にまともな国会対策が出来るとはとても思えず、すぐに運営に行き詰まることでしょう。厳しい評価ですがかつて「KY」と呼ばれただけあって、安倍氏には致命的なまでにこの方面の能力が不足しております。悪いことは言わないから、選挙で大勝したら総裁を降りて、総理職はほかの人に任せた方が無難かと個人的に思います。
登録:
投稿 (Atom)