コメント欄でもこの話が出てきたし、そろそろまた解説を入れてもいいかなと思うのでまた北朝鮮事情について書いてみようと思います。韓国の歴史の連載をやっているせいか、なんかこの問題に対する意識も自分の中で前より鋭くなっているような……。
ニュースでも報じられている通り、先月に朝鮮戦争の休戦協定を白紙化すると宣言して以降、北朝鮮の周辺諸国に対する軍事的挑発が活発化しております。ネット上ではこうした北朝鮮の挑発を「無慈悲な○○シリーズ」という風にまとめて茶化しておりますが、私としてもグダグダ言ってないでやるならやれよと北朝鮮に対して思います。ただ北朝鮮の挑発が短期間に増加したという事実に対しては少し思うところがあり、結論をいきなり出すと、金正恩は軍幹部にいいように使われているんじゃないかとみております。
まずこの問題で一番重要なのは、軍事的挑発を誰が主導して行っているかです。仮に金正日が生きていれば彼自身の強い意向が働いてと考えることも出来ますが既に彼は亡く、では彼の跡目として第一書記を継いだ金正恩が主導しているのかというとちょっと私の中では腑に落ちません。
勝手な推測ではありますが、彼は第一書記に就任してまだ一年です。この段階では海外とのややこしい問題を起こすより国内統制、つまり自らの権力確立を進める段階にあるんじゃないかという気がします。しかしこのところの報道を見ていると、金正恩自身が軍事基地を視察する写真などが公開されており、あまり国内闘争に走っていないように見えます。
これがどういうことを意味するかというと、父親の敷いたレールが盤石だったことから金正恩はすぐに北朝鮮の実験を握った、もしくは北朝鮮軍幹部が何らかの意図をもって金正恩を祭り上げ操っている、この二つのうち一つじゃないかと思います。
素人の勝手な判断ですが、比較的若い頃から諜報部などで働いていた金正日と違い金正恩は本当にギリギリになって後継者となり、その軍歴も短いです。このような状況下で古参の軍幹部は果たしていうことを聞くのか前から疑問でしたが、このところの行う価値があるのかどうかわからない軍事的挑発を見るにつけ、金正恩は軍部をコントロールしきってないんじゃないかと強く感じます。
じゃあ何のために軍事的挑発をするのか。仮に自分が北朝鮮軍幹部であると仮定すると、散々挑発して米軍などの介入、つまり侵攻を敢えて受け、責任をすべて金正恩になすりつける。そして自分は素知らぬ顔で戦争中に裏切り、金王朝が滅んだ後の北朝鮮で政治リーダーになる……こういうことを考えます。まぁちょっと都合良すぎる気もするけど。
仮にこういう意図を持っているとしたら金正恩を「挑発は繰り返した方がいい」などとおだてて調子に乗らせればいいだけです。もし本当に米軍などが攻め込んできたとしたら戦後、北朝鮮は国連の監視下で暫定政府などが作られるでしょうから、そこで実権を握った後、将来的な韓国からの併合を待てばいいと思えちゃいますし。
最後にこれも報道ベースですが、このところ北朝鮮からの脱北、それも元兵士が増えていると聞きます。中国もウィキリークスに公開された文書でアメリカに対し、「金正日が死んだらあの国はもたないから、焦るなって」と言ってたそうですが、あながち間違いじゃない気がします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年4月2日火曜日
2013年4月1日月曜日
エイプリルフールに中国でしてみたいこと
本日はエイプリルフールですが、日本なんかは大人しいものの、欧米では大手の新聞ですら宇宙人がスパゲッティを食べにやってきたなどとかなり激しい嘘ニュースをのっけてくるそうです。だからといってこのブログでもそういうエイプリルフールネタをやるというつもりはないのですが、前職にいた頃、中国でこういうことをやるとしたらどんな見出しがいいかでちょっと同僚と盛り上がりました。
見出しをのっけるのはもちろん新聞で、中国らしくありえない見出しを書くとしたらどんなものがいいのかとそれぞれ案を出し合い、私などは「政府、民主化制への移行を決断 来年総選挙へ」という大真面目そうではあるものの有り得ない内容を出したらどうかと提案したら、そんな見出しを出したら嘘であっても即刻廃刊を喰らうとあまり評判はよくありませんでした。
このほかには、「法輪功、活動が合法化」とか「チベット独立、政府が容認」などと、恐らく中国だと政治で冗談が言い辛いゆえかなんか政治ネタばかりが出てきました。日本を絡めたものだと、「尖閣諸島にズゴッグ上陸 日本、強硬策を展開か!?」なんて見出しで、
「魚釣島に4月1日、日本の自衛隊所属とみられる機動兵器ズゴッグ3機が上陸した。3機は現在も島を離れておらず、目的は不明。人民解放軍は対応を現在検討しているものの、現場のミノフスキー粒子が濃いことから砲撃などの手段を1両日中は行わないとの見方が広がっている。
上陸した3機のうち1機はエースカラーの赤色をしており、シャア専用ではないかとの憶測がされている。ただ解放軍が解析した情報によると、問題のズゴッグは通常の3分の1の速度で水中を航行したとされ、情報をかく乱するためだけの塗装と指摘する専門家もいる」
言ってはなんですが、一回でいいからこういう記事書いて載せてみたいものです。出来れば合成でもいいから写真付きで。
見出しをのっけるのはもちろん新聞で、中国らしくありえない見出しを書くとしたらどんなものがいいのかとそれぞれ案を出し合い、私などは「政府、民主化制への移行を決断 来年総選挙へ」という大真面目そうではあるものの有り得ない内容を出したらどうかと提案したら、そんな見出しを出したら嘘であっても即刻廃刊を喰らうとあまり評判はよくありませんでした。
このほかには、「法輪功、活動が合法化」とか「チベット独立、政府が容認」などと、恐らく中国だと政治で冗談が言い辛いゆえかなんか政治ネタばかりが出てきました。日本を絡めたものだと、「尖閣諸島にズゴッグ上陸 日本、強硬策を展開か!?」なんて見出しで、
「魚釣島に4月1日、日本の自衛隊所属とみられる機動兵器ズゴッグ3機が上陸した。3機は現在も島を離れておらず、目的は不明。人民解放軍は対応を現在検討しているものの、現場のミノフスキー粒子が濃いことから砲撃などの手段を1両日中は行わないとの見方が広がっている。
上陸した3機のうち1機はエースカラーの赤色をしており、シャア専用ではないかとの憶測がされている。ただ解放軍が解析した情報によると、問題のズゴッグは通常の3分の1の速度で水中を航行したとされ、情報をかく乱するためだけの塗装と指摘する専門家もいる」
言ってはなんですが、一回でいいからこういう記事書いて載せてみたいものです。出来れば合成でもいいから写真付きで。
韓国の近現代史~その七、漢江の奇跡
前回ではクーデターを起こした朴正煕が権力を握る過程を解説しました。そこで今回は実際の朴正煕の施政とばかりに、彼の時代に「漢江の奇跡」と呼ばれるほど急成長した韓国経済を取り上げます。
まず初めに朴正煕についてもう少し説明します。彼は日本統治下の1917年に非常に貧しい家庭で生まれ、長じてからは3年間の教師生活を経てから新京(現在の吉林省長春市)に渡り、そこで満州国の陸軍士官学校に入りました。たまに朴正煕は「旧日本陸軍の軍人だった」と書かれていることがありますが、正確には「満州国軍人」であって自分が歴史テストの教官ならここでひっかけ問題を作ることでしょう。
第二次大戦終了後は母国の韓国に戻り、そこでも軍人として任官を受けます。ただ一時期に南朝鮮労働党(共産党)に参加していたことがあり、軍にばれて死刑まで宣告されておりますが、当局に情報を提供することによって執行を免れております。
こうした来歴を持つ朴正煕ですが、その私生活は清廉潔白であったことはどの研究者の間でも一致しております。死後に残された財産はほとんどなく、また変に疑われないようにと親戚関係者をソウルに一切近寄らせなかったというエピソードまであります。そうした姿勢はクーデター直後にも見られ、最高権力者に上るや反社会勢力の大規模摘発にすぐ乗り出しております。
そろそろ本題に入りますが、最高権力者(国家再建最高会議の議長、1963年からは大統領)となった朴正煕の最大の政治課題は国内の経済問題でした。以前にも書きましたが当時の韓国は世界の最貧国の一つで、国民の生活は非常に苦しかったそうです。かといって当時の韓国には産業と呼べるものはほとんどなく、米国の通商代表団も砂糖などといった作物以外にはなにも輸出するものはないと断じております。
このような状況下で朴正煕が取った行動というのは、海外からの経済援助をばねに投資を行うという戦略でした。クーデター直後の1961年に訪米してケネディ大統領と会い、自ら韓国軍のベトナム派兵を申し出たと言われております。実際の派兵はケネディが暗殺されジョンソンに大統領職が移った3年後の1964年ですが、この派兵によって韓国は膨大な金額の経済支援を米国から受けることとなります。
また米国からの帰途では日本に立ち寄り、当時の池田隼人首相と会って国交正常化の交渉を始めることで同意しております。日本とは国内の反対運動を押し切り最終的に1965年、日韓基本条約を結び国交を回復しますが、この時に日本が約束した韓国への経済支援額は当時の韓国の国家予算の約3倍にも迫る金額でした。朴正煕自身は日本に対してそれほど敵愾心を持っておらず、リアリストに徹した外交を展開したと研究者の間では言われております。
こうして得た膨大な資金を元に浦項製鉄所(現ポスコ)を創立したほか道路といった国内インフラを整備し、民間企業なども振興するなど、日本や中国と同じように国内建設によって主導する経済政策を実行しました。こうした政策の成果がわかるデータを引用すると、1961年の韓国人1人当たりの所得は80米ドルでしたが、1979年には1620米ドルと実に20倍もの成長を果たしております。また当時の経済成長は国家主導ではありましたが、この頃に韓国を代表するサムスン、そして今は亡きダエウーといった財閥も急伸し、書いてるこっちの身としても現代にようやく近づいてきたなという感じがします。
以上のように朴正煕は国内の経済回復という大きな問題の解決には見事成功しました。にもかかわらず彼への評価は今でも大きく二分しており、というのも国内では徹底的な情報統制、政治弾圧を行っていたからです。その弾圧、検閲ぶりは徹底されており、韓国版CIAことKCIAを創設し、無実の罪で投獄、処刑された人間は数え切れるものではありません。Wikipediaにも書かれてありますが朴正煕の政治姿勢は社会主義的な要素が非常に強く、彼のバックグラウンドを見るとあながち遠い話ではない気がします。
なお戦後直後の日本も同じように社会主義の色の強い経済政策(統制経済)を採っており、ソ連も5ヶ年計画で躍進したりお隣中国も改革・開放政策で一気に伸びてますが、案外どん底の経済状態から立て直すには社会主義経済政策に分があるのかもしれません。ある程度伸びたら使えなくなるでしょうが。
ざっと彼の経済政策を眺めてきましたが、この朴正煕政権期のどこが面白いのかというとこうしたマクロな話ではなく、ミクロなところです。なもんだから次回はより焦点を絞り、韓国軍のベトナム戦争派兵について取り上げます。
まず初めに朴正煕についてもう少し説明します。彼は日本統治下の1917年に非常に貧しい家庭で生まれ、長じてからは3年間の教師生活を経てから新京(現在の吉林省長春市)に渡り、そこで満州国の陸軍士官学校に入りました。たまに朴正煕は「旧日本陸軍の軍人だった」と書かれていることがありますが、正確には「満州国軍人」であって自分が歴史テストの教官ならここでひっかけ問題を作ることでしょう。
第二次大戦終了後は母国の韓国に戻り、そこでも軍人として任官を受けます。ただ一時期に南朝鮮労働党(共産党)に参加していたことがあり、軍にばれて死刑まで宣告されておりますが、当局に情報を提供することによって執行を免れております。
こうした来歴を持つ朴正煕ですが、その私生活は清廉潔白であったことはどの研究者の間でも一致しております。死後に残された財産はほとんどなく、また変に疑われないようにと親戚関係者をソウルに一切近寄らせなかったというエピソードまであります。そうした姿勢はクーデター直後にも見られ、最高権力者に上るや反社会勢力の大規模摘発にすぐ乗り出しております。
そろそろ本題に入りますが、最高権力者(国家再建最高会議の議長、1963年からは大統領)となった朴正煕の最大の政治課題は国内の経済問題でした。以前にも書きましたが当時の韓国は世界の最貧国の一つで、国民の生活は非常に苦しかったそうです。かといって当時の韓国には産業と呼べるものはほとんどなく、米国の通商代表団も砂糖などといった作物以外にはなにも輸出するものはないと断じております。
このような状況下で朴正煕が取った行動というのは、海外からの経済援助をばねに投資を行うという戦略でした。クーデター直後の1961年に訪米してケネディ大統領と会い、自ら韓国軍のベトナム派兵を申し出たと言われております。実際の派兵はケネディが暗殺されジョンソンに大統領職が移った3年後の1964年ですが、この派兵によって韓国は膨大な金額の経済支援を米国から受けることとなります。
また米国からの帰途では日本に立ち寄り、当時の池田隼人首相と会って国交正常化の交渉を始めることで同意しております。日本とは国内の反対運動を押し切り最終的に1965年、日韓基本条約を結び国交を回復しますが、この時に日本が約束した韓国への経済支援額は当時の韓国の国家予算の約3倍にも迫る金額でした。朴正煕自身は日本に対してそれほど敵愾心を持っておらず、リアリストに徹した外交を展開したと研究者の間では言われております。
こうして得た膨大な資金を元に浦項製鉄所(現ポスコ)を創立したほか道路といった国内インフラを整備し、民間企業なども振興するなど、日本や中国と同じように国内建設によって主導する経済政策を実行しました。こうした政策の成果がわかるデータを引用すると、1961年の韓国人1人当たりの所得は80米ドルでしたが、1979年には1620米ドルと実に20倍もの成長を果たしております。また当時の経済成長は国家主導ではありましたが、この頃に韓国を代表するサムスン、そして今は亡きダエウーといった財閥も急伸し、書いてるこっちの身としても現代にようやく近づいてきたなという感じがします。
以上のように朴正煕は国内の経済回復という大きな問題の解決には見事成功しました。にもかかわらず彼への評価は今でも大きく二分しており、というのも国内では徹底的な情報統制、政治弾圧を行っていたからです。その弾圧、検閲ぶりは徹底されており、韓国版CIAことKCIAを創設し、無実の罪で投獄、処刑された人間は数え切れるものではありません。Wikipediaにも書かれてありますが朴正煕の政治姿勢は社会主義的な要素が非常に強く、彼のバックグラウンドを見るとあながち遠い話ではない気がします。
なお戦後直後の日本も同じように社会主義の色の強い経済政策(統制経済)を採っており、ソ連も5ヶ年計画で躍進したりお隣中国も改革・開放政策で一気に伸びてますが、案外どん底の経済状態から立て直すには社会主義経済政策に分があるのかもしれません。ある程度伸びたら使えなくなるでしょうが。
ざっと彼の経済政策を眺めてきましたが、この朴正煕政権期のどこが面白いのかというとこうしたマクロな話ではなく、ミクロなところです。なもんだから次回はより焦点を絞り、韓国軍のベトナム戦争派兵について取り上げます。
2013年3月31日日曜日
0増5減の選挙制度改革案について
このところ政治解説が疎かになっているので、一票の格差を解消するため現在審議されている「0増5減案」について私の意見を今日は解説します。結論から言えば次回の参議院選挙が今夏に予定されていることもあり、一時的な代替策としては現法案で問題はないと考えております。
一票の格差問題についてはさすがにいちいち解説しませんが、今検討されているこの0増5減案が成立することによって1人の国会議員が当選するのに必要な得票数の差は前回選挙での最大2.52倍から1.998倍に縮小されるそうです。世界的には2倍以下が合理的とされているので無理矢理数字を合わせた感がありますが、既に述べているように次回の選挙も近いことですし、現状は早期にこの改革案を成立させもっと別の問題の議論に時間を投じた方がいいと私は思います。
ただこの改革案ですが、都市部への人口集中が続いている現状からすると1.998倍の差は5年もすればまた2倍以上に開くことは確実です。そういう意味では根本的な解決に至っていないともいえ、現状はこれでいいとしても選挙の度に毎回区割りを修正するのも問題ですし、抜本的な改革案は今後も求められます。
ではどういう風に改革すればいいのかですが、一つの議題となるのは比例代表制の議席枠です。民主党なんか比例の議席枠をもっと減らすべきだなどと主張しているようですが、小政党からしたら地方選よりも比例選の方が議席が取りやすく、公明党と連立を組んでいる自民党としても比例枠を減らしたくないのが本音でしょう。
私自身としては現在の比例制だと政治家の新陳代謝が働かない、要するに無能な重鎮が生き残りやすいためあまり好ましく思っていませんが、地方選との二重出馬を禁止するならば小政党を生かすために存続した方がいいと考えております。となるとやっぱり地方選の区割り、または議席数を大胆に修正していくというのが無難な案といえるかもしれません。
補足として選挙制度についてもう一点加えると、以前からも主張しておりますが現在の参議院はタレント議員が多い上に衆議院と何の差もなく、その存在意義に対し強い疑問を私は感じております。はっきり言って不要だと思えるくらいで、それであればもっと独自性の強い議員にすべきと考えており、選挙制度をこの際だから抜本的に改革したらどうかと思います。どんな選挙制度がいいのか私の案を述べると、やはりアメリカ同様に、各都道府県につき2人ずつ当選し、47都道府県だから94人が定員の議員にした方がいいと思います。
この選挙制度の特徴はなんといっても、人口比に縛られず各地方の代表が確実に2人ずつ議会に送られてくる点にあります。言ってしまえば衆議院に比べて都市部よりも地方の意見力が強く発信されやすく、国の代表たる衆議院議員に対して地方の代表たる参議院議員という構図が出来ます。優越権はもちろん現行制度の通り衆議院が持ちますが、地方の代表者が国政の場で意見を発信しやすくさせるためにこの制度が一番ありじゃないかというのが、今日の私の意見です。
書き終ってからなんだけど、0増5減についてほとんど語ってないな……。
一票の格差問題についてはさすがにいちいち解説しませんが、今検討されているこの0増5減案が成立することによって1人の国会議員が当選するのに必要な得票数の差は前回選挙での最大2.52倍から1.998倍に縮小されるそうです。世界的には2倍以下が合理的とされているので無理矢理数字を合わせた感がありますが、既に述べているように次回の選挙も近いことですし、現状は早期にこの改革案を成立させもっと別の問題の議論に時間を投じた方がいいと私は思います。
ただこの改革案ですが、都市部への人口集中が続いている現状からすると1.998倍の差は5年もすればまた2倍以上に開くことは確実です。そういう意味では根本的な解決に至っていないともいえ、現状はこれでいいとしても選挙の度に毎回区割りを修正するのも問題ですし、抜本的な改革案は今後も求められます。
ではどういう風に改革すればいいのかですが、一つの議題となるのは比例代表制の議席枠です。民主党なんか比例の議席枠をもっと減らすべきだなどと主張しているようですが、小政党からしたら地方選よりも比例選の方が議席が取りやすく、公明党と連立を組んでいる自民党としても比例枠を減らしたくないのが本音でしょう。
私自身としては現在の比例制だと政治家の新陳代謝が働かない、要するに無能な重鎮が生き残りやすいためあまり好ましく思っていませんが、地方選との二重出馬を禁止するならば小政党を生かすために存続した方がいいと考えております。となるとやっぱり地方選の区割り、または議席数を大胆に修正していくというのが無難な案といえるかもしれません。
補足として選挙制度についてもう一点加えると、以前からも主張しておりますが現在の参議院はタレント議員が多い上に衆議院と何の差もなく、その存在意義に対し強い疑問を私は感じております。はっきり言って不要だと思えるくらいで、それであればもっと独自性の強い議員にすべきと考えており、選挙制度をこの際だから抜本的に改革したらどうかと思います。どんな選挙制度がいいのか私の案を述べると、やはりアメリカ同様に、各都道府県につき2人ずつ当選し、47都道府県だから94人が定員の議員にした方がいいと思います。
この選挙制度の特徴はなんといっても、人口比に縛られず各地方の代表が確実に2人ずつ議会に送られてくる点にあります。言ってしまえば衆議院に比べて都市部よりも地方の意見力が強く発信されやすく、国の代表たる衆議院議員に対して地方の代表たる参議院議員という構図が出来ます。優越権はもちろん現行制度の通り衆議院が持ちますが、地方の代表者が国政の場で意見を発信しやすくさせるためにこの制度が一番ありじゃないかというのが、今日の私の意見です。
書き終ってからなんだけど、0増5減についてほとんど語ってないな……。
2013年3月30日土曜日
暗殺者列伝~山口二矢
このところ「暗殺教室」、「AZUMI」という暗殺に関わる漫画ばかり読んでて「暗殺」という言葉に対していろいろ思うことがあるので、実在した暗殺者を取り上げて皆さんと一緒に考えてみたくなりました。そんなわけで、「猛将列伝」に続く列伝物のカテゴリーとして今日から「暗殺者列伝」っていうのを始めます。栄えある一発目は物知りな友人も知らなくて「ヨッシャヽ(・∀・ )ノ」と思った17歳のテロリストこと、山口二矢(やまぐちおとや)を取り上げます。
・山口二矢(Wikipedia)
恐らく自分と同世代の人間はまず間違いなくこの人のことを知らないでしょう。自分よりやや年上の世代でも同じかもしれませんが、1950年より前に生まれた人であればこの名前を見るだけでピューリッツァー賞も受賞したあの写真の情景が浮かんでくるかと思います。この山口二矢がどんな人物か簡単に述べると、17歳時に当時の日本社会党委員長である浅沼稲次郎を刺殺し、逮捕後は東京少年鑑別所内で首を吊って自殺した人物です。
山口二矢は1943年、戦後になってからでしょうが父親が自衛官という家庭に二男として生まれます。幼少の頃から軍国主義的な性格の兄の影響を受け右翼思想を持ったとされ、高校に入学後は右翼団体とも交流を開始し、高校を中退してからは正式に愛国党という党員になります。
彼が行った暗殺は既に記してある通り、浅沼稲次郎の暗殺です。左派勢力に反感を抱いていた山口二矢は自宅にあった脇差を忍び、日比谷公会堂で開かれた自民党、社会党、民社党の3党党首演説会で壇上に立った浅沼稲次郎に飛びかかり、彼の胸を2度突き刺して暗殺しました。この暗殺時の情景はネットで検索すれば出てくると思いますが、毎日新聞の長尾靖カメラマンが見事に収めたことによって後に彼を日本人初のピューリッツァー賞受賞へと導きます。
もっともこの時の撮影については以前に誰かが、当時はまだフィルムが貴重な時代でほかのカメラマンは演者がみんな登壇した時に撮影して使い切っていたところ、長尾カメラマンは仕事を横着していたことからたまたまフィルムを残しており、うまいこと撮影に成功出来たと書いておりました。本当かどうかはわからないけど。
話は戻りますが、刺された浅沼稲次郎はほぼ即死で、山口二矢はその場で自決を図りますが警官に取り押さえられています。取り調べに対し山口二矢は比較的落ち着いた態度だったとされており、警察は何かしら背後に暗殺を指示した組織があるのではないかと問い詰めたものの本人はあくまで単独犯だと主張し、暗殺理由については浅沼稲次郎個人に恨みはないものの、社会党の指導的立場にいることから決行したと証言したとされます。
そして逮捕から三週間後、山口二矢は鑑別所内で首を吊って自殺します。壁には歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と書いておりました。こうした鮮烈な一生であったことから死後は右翼勢力に祭り上げられたそうで、未だに追悼祭なども開かれていると聞きます。
私はこの事件を高校生の時に知りましたが、正直に言ってびっくりするような強い印象を覚えました。当時の心境を言うと、当時の自分と同じような年齢でこんな大それた事件をやった奴がいたのかと思うのと同時に、今現在イラクやアフガニスタンで起きているような政界重鎮の暗殺がこの頃の日本に起こっていたのかなどということを思ったのを今でもよく覚えています。ただ山口二矢の行動に関しては間違いなくテロそのものであり肯定する気にはなれず、尊敬とか崇望みたいな感情はついぞ覚えることはありませんでした。
しかし、ちょっと表現し辛いのですが、尊敬や崇望はしなかったものの、少なからず共感は感じました。こう書くとなんか自分が危ない人間に思われる懸念はありますがありのままに書くと、あの時の共感は十代における思い込みの激しさや、まるですがりつくかのように一つの思想・概念に凝り固まりやすい時期だったからじゃないのかと、今現在思います。
大分前にも書きましたが、私も中学から高校の一時期はやや表現が古いですが軍国少年っぽい思想を持ち、政治とかにも興味を持ってわかった振りして吹聴し回ってたのですが、ああいう風になるのは反抗期の影響が強い気がします。自分の周囲も自分ほど極端ではなくとも、親とか教師とか学校とか既存の概念に対して反感を持つ一方、国家とか宗教、オカルトみたいなとかく巨大で一見確固としてそうな概念に魅かれる、しかもかなり思い込み激しく傾倒するところがあったように思え、あの年代というか10代の中盤から後半ってのはそういう時期だと考えてます。
ただそうした思い込みはあくまで思い込みに留まり、実際の行動として出てくるのは中二病と呼ばれる痛い行動程度なのが一般です。それだけに、暗殺というとてつもなく恐ろしい事を本当に実行してしまったという点で、高校生の自分は山口二矢に対して感じるところというか、自分みたいに妄想だけで実行しない臆病者とは違うんだなと思ったのでしょう。無論、そんな臆病者で自分はよかったと、年を食った自分は思うわけなのですが。
・山口二矢(Wikipedia)
恐らく自分と同世代の人間はまず間違いなくこの人のことを知らないでしょう。自分よりやや年上の世代でも同じかもしれませんが、1950年より前に生まれた人であればこの名前を見るだけでピューリッツァー賞も受賞したあの写真の情景が浮かんでくるかと思います。この山口二矢がどんな人物か簡単に述べると、17歳時に当時の日本社会党委員長である浅沼稲次郎を刺殺し、逮捕後は東京少年鑑別所内で首を吊って自殺した人物です。
山口二矢は1943年、戦後になってからでしょうが父親が自衛官という家庭に二男として生まれます。幼少の頃から軍国主義的な性格の兄の影響を受け右翼思想を持ったとされ、高校に入学後は右翼団体とも交流を開始し、高校を中退してからは正式に愛国党という党員になります。
彼が行った暗殺は既に記してある通り、浅沼稲次郎の暗殺です。左派勢力に反感を抱いていた山口二矢は自宅にあった脇差を忍び、日比谷公会堂で開かれた自民党、社会党、民社党の3党党首演説会で壇上に立った浅沼稲次郎に飛びかかり、彼の胸を2度突き刺して暗殺しました。この暗殺時の情景はネットで検索すれば出てくると思いますが、毎日新聞の長尾靖カメラマンが見事に収めたことによって後に彼を日本人初のピューリッツァー賞受賞へと導きます。
もっともこの時の撮影については以前に誰かが、当時はまだフィルムが貴重な時代でほかのカメラマンは演者がみんな登壇した時に撮影して使い切っていたところ、長尾カメラマンは仕事を横着していたことからたまたまフィルムを残しており、うまいこと撮影に成功出来たと書いておりました。本当かどうかはわからないけど。
話は戻りますが、刺された浅沼稲次郎はほぼ即死で、山口二矢はその場で自決を図りますが警官に取り押さえられています。取り調べに対し山口二矢は比較的落ち着いた態度だったとされており、警察は何かしら背後に暗殺を指示した組織があるのではないかと問い詰めたものの本人はあくまで単独犯だと主張し、暗殺理由については浅沼稲次郎個人に恨みはないものの、社会党の指導的立場にいることから決行したと証言したとされます。
そして逮捕から三週間後、山口二矢は鑑別所内で首を吊って自殺します。壁には歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と書いておりました。こうした鮮烈な一生であったことから死後は右翼勢力に祭り上げられたそうで、未だに追悼祭なども開かれていると聞きます。
私はこの事件を高校生の時に知りましたが、正直に言ってびっくりするような強い印象を覚えました。当時の心境を言うと、当時の自分と同じような年齢でこんな大それた事件をやった奴がいたのかと思うのと同時に、今現在イラクやアフガニスタンで起きているような政界重鎮の暗殺がこの頃の日本に起こっていたのかなどということを思ったのを今でもよく覚えています。ただ山口二矢の行動に関しては間違いなくテロそのものであり肯定する気にはなれず、尊敬とか崇望みたいな感情はついぞ覚えることはありませんでした。
しかし、ちょっと表現し辛いのですが、尊敬や崇望はしなかったものの、少なからず共感は感じました。こう書くとなんか自分が危ない人間に思われる懸念はありますがありのままに書くと、あの時の共感は十代における思い込みの激しさや、まるですがりつくかのように一つの思想・概念に凝り固まりやすい時期だったからじゃないのかと、今現在思います。
大分前にも書きましたが、私も中学から高校の一時期はやや表現が古いですが軍国少年っぽい思想を持ち、政治とかにも興味を持ってわかった振りして吹聴し回ってたのですが、ああいう風になるのは反抗期の影響が強い気がします。自分の周囲も自分ほど極端ではなくとも、親とか教師とか学校とか既存の概念に対して反感を持つ一方、国家とか宗教、オカルトみたいなとかく巨大で一見確固としてそうな概念に魅かれる、しかもかなり思い込み激しく傾倒するところがあったように思え、あの年代というか10代の中盤から後半ってのはそういう時期だと考えてます。
ただそうした思い込みはあくまで思い込みに留まり、実際の行動として出てくるのは中二病と呼ばれる痛い行動程度なのが一般です。それだけに、暗殺というとてつもなく恐ろしい事を本当に実行してしまったという点で、高校生の自分は山口二矢に対して感じるところというか、自分みたいに妄想だけで実行しない臆病者とは違うんだなと思ったのでしょう。無論、そんな臆病者で自分はよかったと、年を食った自分は思うわけなのですが。
2013年3月29日金曜日
日本人女性の化粧技術は世界一ィィィィ
無駄に見出しをジョジョ風にしましたが、特に意味はありません。じゃあなんでしたのかっていうと、なんとなく書く話題にジョジョっぽい雰囲気が合いそうだなとか感じたからです。
唐突ですが私個人の実感として、日本人女性の平均的な化粧技術は真面目に世界一、少なくともトップクラスにあると思います。一体なんでこう思うようになったのかというと、このブログで何度も出てくる上海人の友人が、「日本の女の子はみんな化粧が上手い」と言った一言からでした。改めて言われてみると、中国の街中を歩いている女性はみんな化粧っ気が少ないように思え、化粧をしている女の子も、「なんかメイクの仕方間違ってない?」と男の自分ですら思うほどなってなかったりします。
では女性の目から見たらどうなのか。前の会社にいた頃に日本人女性の同僚にも聞いてみたところ、「確かに中国の街中を歩いていると、素材はいいのにと思う女の子が多い」と話し、化粧技術が日本人に比べて大きく劣り、ちょっと弄ればグッと良くなると他人でありながらよく思うと話しておりました。
ぶっちゃけた話、日本と中国以外で女性の化粧技術の差にそれほど着目しているわけじゃありませんが、留学中に見た多国籍の女子学生を思い出すにつけ、確かに日本人女性は化粧が上手いなという気はします。一体なんで日本で発達したのかは資生堂あたりに聞いてもらいたいものですが、一つの日本人女性の特徴として覚えておくと面白いかもしれません。
唐突ですが私個人の実感として、日本人女性の平均的な化粧技術は真面目に世界一、少なくともトップクラスにあると思います。一体なんでこう思うようになったのかというと、このブログで何度も出てくる上海人の友人が、「日本の女の子はみんな化粧が上手い」と言った一言からでした。改めて言われてみると、中国の街中を歩いている女性はみんな化粧っ気が少ないように思え、化粧をしている女の子も、「なんかメイクの仕方間違ってない?」と男の自分ですら思うほどなってなかったりします。
では女性の目から見たらどうなのか。前の会社にいた頃に日本人女性の同僚にも聞いてみたところ、「確かに中国の街中を歩いていると、素材はいいのにと思う女の子が多い」と話し、化粧技術が日本人に比べて大きく劣り、ちょっと弄ればグッと良くなると他人でありながらよく思うと話しておりました。
ぶっちゃけた話、日本と中国以外で女性の化粧技術の差にそれほど着目しているわけじゃありませんが、留学中に見た多国籍の女子学生を思い出すにつけ、確かに日本人女性は化粧が上手いなという気はします。一体なんで日本で発達したのかは資生堂あたりに聞いてもらいたいものですが、一つの日本人女性の特徴として覚えておくと面白いかもしれません。
2013年3月28日木曜日
現在と未来の優先順位
このところよく考える哲学テーマの中の一つに、未来に対する価値観というものがあります。未来といえば現在より時間が進んだ先の状態、ということには間違いないのですが、その未来をどのように捉えるかでこのところ、というか中国に渡ったきた辺りから価値観が変わってきました。
まず前提として、多かれ少なかれの日本人は将来、10年先とは言わずとも2~3年先くらいの自分の未来がどのようにあってほしいのか、どうあるべきなのかという予測とも希望ともいう漠然としたイメージがあると思います。多分、高度経済成長期であれば今ほどイノベーションというか世の中の動きが激しくなかったので20年とか超長期スパンで物事を考えていた人もいたかもしれません。
ではそうした未来の自分に対するイメージは現在の自分にどのような影響を与えるのか。改めて考えるといろいろあって、たとえば将来の仕事に必要だからと思って実行するかどうかは別にして英語を勉強しようと考えたり、資格取得を目指したり、生活に根差したものなら住宅ローンを組んだらどうだとか、組んでいる人はいつごろに返済するかとかそういうものを逆算して現在の収支を組んだりなどするかもしれません。こうした見方からすると、未来に対するイメージは長ければ長いほど、確固としていれば確固としていた方がいいようにも見えます。何故なら、現在の行動の方向性が掴みやすいからです。
では現代人は自分の将来像をしっかり持った方がいいのか。ここまで書いておきながらですが、私はこの見方に対して異を唱えます。つまり、自分の将来像を固めすぎるとあまり良くないと言いたいのです。
一体何故こんな風に言うのかですが、単純に現代社会は未来がほとんど読めないからです。恐らく就職活動をする学生さんは応募する企業に対して多少なりとも将来性を考えるでしょうが、5年前に日系メーカーとしては一番勢いのあったシャープが現在では青息吐息な状態であるなど、 現代社会はとにもかくにもイノベーションが激しく、今後も更に加速して行きかねません。それ故にうまくいけばめっけものですが急なトラブルというか方向転換を迫られる事態に巻き込まれた場合、 自分の将来像を固め過ぎてると返って選択肢を狭めかねず、言ってしまえば応用が効かなくなる可能性があります。
では将来像を全く持たずにその場その場で刹那的に生きるべきなのかという声も出てきそうですが、これでは極端から極端に走りすぎです。全く将来像を描かずに「現在」しか見ないで生きるというのも自らの活躍、発展の可能性を狭めてしまいます。
じゃあ一体どうしろってんだとそろそろ言われそうですが、結論としてはこれはあくまで日本人限定ですが、もう少し未来より現在に意識を集中して生きた方がいいのではというのが私の意見です。
一体何故私がこんな意見を持つようになったのかというと、言ってしまえば中国での体験が原因です。中国人は概して、日本人と比べると刹那的に生きている人が多いです。10年先なんて知ったこっちゃないよと言わんばかりに勢いで行動するし、仕事も長期スパンの計画とかが苦手で面倒くさい問題は後回しというか放置(日本人も見なかったことにすることが多いが)、キャリアプランも深く考えずちょくちょく転職も実行します。
自分も一応は日本人であるのでちょっと中国人は刹那的過ぎるかなぁとは思うのですが、その一方で日本人は長期的に物を考え過ぎるあまりに、いざ方向転換しようと思ったら時既に遅しというパターンが多すぎる気がします。中国人を見習えっていうわけじゃありませんが、今感じていること、考えていること、やりたいこと、やるべきことをもうちょっとストレートに即実行しようとしてみる方が長い目で見ると返っていいのではと思います。
こんな風な考えを持つに至った故というべきか、未来に対する意識というか価値観が数年前と比べて何か自分の中で変わった気がします。敢えて表現するなら、以前は「出来ればこうあってほしいなぁ」という希望イメージだったものが、「現在を積み重ねた結果」と考えています。
この辺が非常に表現しづらいのですが、以前は希望する、期待する未来のイメージに現在の自分をどう近づけるかを主に考えていましたが、今はあまりそういった未来のイメージを持たず、今現在で頑張ったり、努力したりすればいい未来に繋がり、逆なら悪い未来に恐らく繋がるだろうというようなアバウトな価値観になってます。要するに、先のことは知らないけどまぁ今目前でやるべきことをしっかりやってれば多分良くなっていく、こんな信仰です。
まず前提として、多かれ少なかれの日本人は将来、10年先とは言わずとも2~3年先くらいの自分の未来がどのようにあってほしいのか、どうあるべきなのかという予測とも希望ともいう漠然としたイメージがあると思います。多分、高度経済成長期であれば今ほどイノベーションというか世の中の動きが激しくなかったので20年とか超長期スパンで物事を考えていた人もいたかもしれません。
ではそうした未来の自分に対するイメージは現在の自分にどのような影響を与えるのか。改めて考えるといろいろあって、たとえば将来の仕事に必要だからと思って実行するかどうかは別にして英語を勉強しようと考えたり、資格取得を目指したり、生活に根差したものなら住宅ローンを組んだらどうだとか、組んでいる人はいつごろに返済するかとかそういうものを逆算して現在の収支を組んだりなどするかもしれません。こうした見方からすると、未来に対するイメージは長ければ長いほど、確固としていれば確固としていた方がいいようにも見えます。何故なら、現在の行動の方向性が掴みやすいからです。
では現代人は自分の将来像をしっかり持った方がいいのか。ここまで書いておきながらですが、私はこの見方に対して異を唱えます。つまり、自分の将来像を固めすぎるとあまり良くないと言いたいのです。
一体何故こんな風に言うのかですが、単純に現代社会は未来がほとんど読めないからです。恐らく就職活動をする学生さんは応募する企業に対して多少なりとも将来性を考えるでしょうが、5年前に日系メーカーとしては一番勢いのあったシャープが現在では青息吐息な状態であるなど、 現代社会はとにもかくにもイノベーションが激しく、今後も更に加速して行きかねません。それ故にうまくいけばめっけものですが急なトラブルというか方向転換を迫られる事態に巻き込まれた場合、 自分の将来像を固め過ぎてると返って選択肢を狭めかねず、言ってしまえば応用が効かなくなる可能性があります。
では将来像を全く持たずにその場その場で刹那的に生きるべきなのかという声も出てきそうですが、これでは極端から極端に走りすぎです。全く将来像を描かずに「現在」しか見ないで生きるというのも自らの活躍、発展の可能性を狭めてしまいます。
じゃあ一体どうしろってんだとそろそろ言われそうですが、結論としてはこれはあくまで日本人限定ですが、もう少し未来より現在に意識を集中して生きた方がいいのではというのが私の意見です。
一体何故私がこんな意見を持つようになったのかというと、言ってしまえば中国での体験が原因です。中国人は概して、日本人と比べると刹那的に生きている人が多いです。10年先なんて知ったこっちゃないよと言わんばかりに勢いで行動するし、仕事も長期スパンの計画とかが苦手で面倒くさい問題は後回しというか放置(日本人も見なかったことにすることが多いが)、キャリアプランも深く考えずちょくちょく転職も実行します。
自分も一応は日本人であるのでちょっと中国人は刹那的過ぎるかなぁとは思うのですが、その一方で日本人は長期的に物を考え過ぎるあまりに、いざ方向転換しようと思ったら時既に遅しというパターンが多すぎる気がします。中国人を見習えっていうわけじゃありませんが、今感じていること、考えていること、やりたいこと、やるべきことをもうちょっとストレートに即実行しようとしてみる方が長い目で見ると返っていいのではと思います。
こんな風な考えを持つに至った故というべきか、未来に対する意識というか価値観が数年前と比べて何か自分の中で変わった気がします。敢えて表現するなら、以前は「出来ればこうあってほしいなぁ」という希望イメージだったものが、「現在を積み重ねた結果」と考えています。
この辺が非常に表現しづらいのですが、以前は希望する、期待する未来のイメージに現在の自分をどう近づけるかを主に考えていましたが、今はあまりそういった未来のイメージを持たず、今現在で頑張ったり、努力したりすればいい未来に繋がり、逆なら悪い未来に恐らく繋がるだろうというようなアバウトな価値観になってます。要するに、先のことは知らないけどまぁ今目前でやるべきことをしっかりやってれば多分良くなっていく、こんな信仰です。
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