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2013年8月11日日曜日

日本人の「無」に対する信仰

 前に書いた「仏教は宗教なのか?」の記事で島田裕巳氏の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」を紹介しましたが、実はこの本を読んで前回記事のようなことに加え、またちょっと妙なことを思いつきました。結論からパパッと書くとそれは、日本人はどこか「無」という概念に対して信仰めいたものを持っていないかといことで、今日は暑くて外出る気しないのでその辺を書こうかなと思います。

 まず「無」とはなんぞやですが、深く議論すると禅問答みたいに答えがでなくなってしまうので一般的な定義を述べると、「空っぽ」や「まっさらな状態」といったところでしょう。一体これがなんで日本人の信仰と関係あるのかですが、あくまで私の印象ですが日本人はやたらと心理的な状態を「無」にすることが理想であるような言い方をする傾向が感じられます。 

 具体例はいくつもあり、一般的なものだとテストやスポーツの大会などでは平常心を持つこと、さらには余計なことを考えないようにするべきだと教えたり、武芸においては剣道において顕著ですが、「無念無想」という状態を理想においております。無念無想についてもう少し書くと、私が聞いた限りでは剣豪の塚原卜伝がある日に突然襲ってきた敵に対して思考する間もなく反射的に刀を抜いて斬り倒した際、剣の極みとは何も思考せずとも体が反応して動く、つまり反射的に斬り返せる状態を理想と捉えたのが始まりらしいです。
 こうした競技などの面に加え、日常生活においても無の心は理想とされがちです。これは仏教の修行でまた顕著ですが、慌てないというか心を動じさせない事を是としています。人の生死において「無常観」という言葉を使って感情を出したりせず、自然の摂理だと考え受け入れる価値の重要性がよく説かれています。

 そしてここが最も根本的な所ですが、日本人は数ある仏教経典の中でも般若心経がやたら好きで、その中でも「色即是空、空即是色」という、「この世の中で目に見えるものはあってないようなもの」という意味の言葉を多用する傾向があります。私が不勉強なだけかもしれませんが同じく仏教の影響が強い中国でこんな言葉が使われるシーンは見たことがなく、般若心経がこれほどまで大事にされるのは仏教というより日本人のメンタリティにあるのではないかと言いたいわけです。そしてそのメンタリティこそ、「この世の理というのは実は無なんだ」という、「無」を価値あるものとして信仰するところにあるのではないかと何故だか思いついたわけです。

 以上のようなことを友人に話してみたところ、「花園君、なんか疲れてない?(;´Д`)」と、マジな感じで心配されてしまいましたが、私はやっぱり日本人にはどこか虚無主義(ニヒリズム)的な思想があるような気がします。本音と建前を分けられたり、本音をなかなか出そうとしなかったり、無駄だとわかっていることを誰も止めないからみんなで続けてしまうところだったり、そういうどこか現実というのは実は存在感がない、果てには自分の心理すらも実は価値がないとでも言わんかのような行動がやや見受けられるのもこの辺にあり、そして日本人自身もそうした「無」に対して憧憬めいた意識を持っているように思えます。

 恐らくですが、私は日本人の中でも数少ないと言ってもいい「頑張れば自分一人であっても世の中は変えられる」と本気で信じている人間の一人です。逆を言えば大半の日本人は自分一人では、下手すれば大勢であっても世の中は変えられないと考えているように私には思え、何故そう考えるのかというとここで書いた「無」の思想が影響しているのではないかと思うわけです。こんな書き方をしていますが私は「無」への信仰を全否定するつもりはなくこれはこれで面白いメンタリティを形成しているなと認めますが、もっと突き詰めてこの辺りの思想を研究したら日本人の行動様式とかもあれこれ考えなおせるのではないかと思うのと同時に、「無」の影響がやや弱い自分だからこそこんなことに気付いたんじゃないかというのが今日の私の意見です。といっても、友人たちからはよく「花園君はヒロイックな破滅願望が高い」とも言われているのですが……。

  おまけ
 今回の記事ではやたらと「無」という言葉を連発しましたが、書いている最中に何故だかゲームのファイナルファンタジー5に出てくるエクスデスというキャラクターを思い出し、彼が言った「無とはいったい、うごごご……」ってセリフまで浮かんできました。ほんと、無ってなんなんだろうねと自分も言いたいです。

2013年8月9日金曜日

派遣社員の雇用義務化について


 最初にまた本題とは関係ありませんが、朝ドラ「あまちゃん」のテーマ曲に反応するというこの猫の動画が面白いので紹介します。ここで貼りつけた動画は第一弾ですが、現在第七弾まで公開されており、順を追ってみれば見るほどに面白いです。ちゃんと毎朝反応するのがツボです。

 そんなわけで本題に移りますが、このところ派遣社員に関する法令の改正が起こっているようなので、ちょっと前から思っていることを書こうかと思います。


 あまりほかの媒体で見かけないニュースなのですが、なんか派遣社員を5年以上雇用し続けた場合、その派遣社員を正社員として雇用する義務を課すよう労働法が改正されたそうです(前は3年だったような?)。上記リンク先ではこの改正について色々な方が意見を出しているのですが、その中のいくつかに「5年以上で義務化としたら、義務化となる直前に雇止めにしたりするケースが増えるだけで何も意味がない」という意見も見受けられるのですが、私個人としても同じような意見を持っております。

 今の日本の労働法というか政治家たちはなるべく労働者を正社員化するように法令改正を進めておりますが、日本の企業経営者たちのベクトルはまるで逆で、非正社員を増やそうとしているのが現状です。理由はいくつかありますが、一部で言われているような「日本では正社員の解雇が難しい」という意見に対しては疑問符がつくものの、最大の要因はなんといっても人件費の増大とリスクヘッジにあるでしょう。
 じゃあどうすれば正社員を増やせるのか。はっきりここで申し上げれば数年以上の雇用で正社員化を義務化するよりも、派遣社員の待遇条件を大きく引き上げる事の方が直接できていいと思います。それこそ保険や年金などの支払いを全額企業負担としたりして、「こんなに払うくらいなら正社員にした方がいい」と思うくらいの待遇を義務化すれば正社員化が進むでしょう。

 と、ここまで書いて勘のいい人ならわかるでしょうが、仮にこのように派遣社員の待遇を引き上げれば本末転倒な事態に陥ることも目に見えています。本末転倒な事態とは何かというと、雇用の減少、つまり派遣社員の待遇が引き上がるなら雇用人数を減らしてしまおうとする今日が増えると予想されるという意味です。
 そもそも派遣社員というのは企業の雇用負担を減らす代わりに雇用の口を広げる、つまり労働者への職を増やすという目的でできた制度です。そのため待遇を改善しようとして間口を狭めては本末転倒もいい所で、極端な話、派遣の需要を減らしてでも正社員化を進めるくらいなら何も買えない方がいいと私は考えています。

 むしろ、私がここで主張したいのは日本の正社員の待遇をもっと引き下げるべきだという点です。あれこれ経験してわかりましたが日本の制度は保険や年金など世帯主が正社員であることを前提に作られているため、正社員でなければいろいろな面でデメリットというか面倒な手続きと費用負担が増えるという傾向があります。それこそ失業するとこれらの費用は全額自己負担となるため、お金を大事に使わなければいけない時にもかかわらず支出が増えるというかなりジレンマな事態に陥りやすいです。

 それであるならば正社員の特権を減らすというべきか、もっと社会保障などを流動的な雇用に合わせた制度へ根本的に改めるべきだと考えています。具体的には健康保険や年金は完全個人負担で企業には介在させない。特に年金に関しては未だに火を噴いていることは百も承知ですが、受給するのに必要な加入期間が20年というのは他国と比較しても異常に長すぎるきらいがあり、これを10年程度に短縮するべきではないかと思います。そうすれば、支給額も減らす言い分になるし。

 最後に日本の雇用についてもう少し述べると、欧州諸国と比べて日本はまだ経済が動いているために雇用はまだ恵まれている方だと思います。ただ世間というか社会が制あkつ水準の低下をまだ受け止められていない、昔みたいにマイホームやマイカー持ってな生活に対するあきらめが出来ていないため、誰も得をしていないのにみんなで損をしあっているような気もします。そんな日本人に言いたいことを一つだけ述べると、「一億総下流」みたいなスローガンを流せばもっと幸福感を感じれるかもしれないよってことです。

2013年8月8日木曜日

全米球団の永久欠番「42」の来歴について

 最近アメリカ史のいい本をブックオフで購入して読みふけっているのですが、その中で全メジャー球団の中で永久欠番となっている「42」という数字と、その背番号をかつて背負ったジャッキー・ロビンソンという選手について書かれてあり、素直な気持ちで面白いと思ったのでこのブログでも紹介しようと思います。

 野球を知らない方に向けてあらかじめ説明すると、どのチームのプロ野球選手も試合に出る際にはユニフォームに背番号を背負って出場しますが、チーム内で大活躍した名選手に対して敬意を持つという目的から各チームで一部の背番号はその選手の引退後、使われずにおかれることがあります。日本のプロ野球で代表的なのは巨人の王貞治氏の「1」、長嶋茂雄氏の「3」、西武だと故稲尾氏の「24」などがそのような扱いとなっております。

 それで今回紹介する「42」。これはメジャーリーグのドジャースでプレイしたジャッキー・ロビンソンの背番号です。一体何故この番号が永久欠番となっているのかというと、シーズンMVPにも輝いたことのあるロビンソンの実績以上に、彼が近代メジャーリーグで初めての黒人メジャーリーガーだったことからです。

 まずあらかじめ書いておくと、メジャーリーグ初の黒人選手だったのはモーゼス・フリート・ウォーカーであって、ロビンソンではありません。ウォーカーについて少し書くと、彼が出場したのは1884年で捕手として出場しましたが、人種の壁はロビンソンの時代より高く、チームメイトからは投球のサインを受け取ってもらえずシーズン最多の捕逸を記録するなど満足に活躍することはできませんでした。翌年からはマイナー球団を転々としましたが、とうとう再度のメジャー出場は叶いませんでした。

 そんなウォーカーに続く第二の黒人メジャーリーガーであるロビンソンは1919年の生まれです。当時もメジャーリーグには白人しか出場しておらず、黒人選手は二グロリーグという別枠のリーグでしかプレイすることが出来ませんでした。
 ウォーカーの兄はベルリンオリンピックの200メートル走で銀メダルに輝くなど彼の家はスポーツ一家で、ロビンソンもその才能を受け継ぎスポーツ推薦を受けて大学に入学します。ただ中途で退学した後は一旦就職し、二次大戦の開戦と共に徴兵を受けますが、配属された基地内ではやはりというか人種差別が付きまとったことからこちらも途中で除隊します。

 除隊後、二グロリーグでプレイしていた彼に目を付けたのが、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャース)のブランチ・リッキー会長でした。彼は優秀な選手という触れ込みで視察したロビンソンを見初め、彼に対してあらゆる差別や批判を耐え忍び、やり返さない覚悟を説き、それに応じた彼をドジャース傘下の3A球団、モントリオール・ロイヤルズに入団させます。
 こうして迎えた1946年のシーズン。ロビンソンの出場に対して対戦球団からは様々な抗議が寄せられましたがそうした声にロビンソンはあくまで静かな態度を取り続け、そのシーズンでは球団新、リーグ最高となる打率349、113打点という恐ろしい成績を打ち立てます。この年にチームは優勝を果たし、観客動員数も過去最多を記録したそうです。

 そしていよいよ翌年の1947年。満を持してロビンソンのメジャー昇格が球団から発表されるや他の全球団は揃って彼の出場に反対の意向を示し、対戦拒否すら示す球団もありました。ただ当時のメジャーコミッショナーが出来た人だったのかドジャースの支持に回り、当のドジャース監督もロビンソンの起用は必要であれば使うのみと言い切り、彼の出場への舞台が整えられていきます。もっともチーム内では反発の声が依然と大きく、数人の主力選手がトレードを志願して他球団へ流出する事態にも発展しています。

 そして開幕戦の4月15日。この日の観客はロビンソンを見ようと半数以上を黒人が占められるなか、前述のウォーカー以来となる黒人のメジャー出場をロビンソンは果たしました。ロビンソンはこの年も優秀な成績を収めチームに貢献し、また球場の内外から飛んでくるヤジや侮蔑に対して目立った反応はせず紳士的な振る舞いを続けたことから次第に世論を味方につけ、最初は毛嫌いしていたチームメイトたちも彼を信用するようになっていったと言われております。
 そしてロビンソンは同年、この年から始まった新人賞を初めて受賞することとなります。こうしたエピソードからメジャーリーグの新人賞は別名で「ジャック・ロビンソン賞」と言われております。

 その後、ロビンソンは1956年までプレイしてこの間に首位打者、盗塁王、MVP、そしてチームのワールドチャンピオンという各タイトルを取得します。現在においても彼の評価は高く、彼がいなければメジャーにおける黒人選手の出場はずっと遅れていたと言われるとともに、初の黒人選手としてまさに手本となるほどフィールド上で紳士的な人物だったとして、同時代の野球以外のスポーツ選手からも多大な尊敬を集めました。
 こうした一連の功績から彼の付けていた背番号「42」はメジャー、マイナーを含む全米球団で永久欠番となっており、さらに4月15日は「ロビンソンの日」として今に至るまでその功績は語り継がれております。

 私の方からもう少し付け加えると、ロビンソンを使った球団がドジャースだったことが印象的に思えました。知ってる人には早いですがドジャースはあの野茂秀雄氏を獲得し日本人のメジャー進出の道を作り、その後も数多くの日本人選手を積極的に採用することで有名なだけに、この球団は昔からフロンティアを開拓する球団だったのだと妙な尊敬の念を覚えました。

 あと今回の記事を書こうと調べているうちに知ったのですが、なんでも今年4月に「42」というまさにこのロビンソンを題材にした映画がアメリカで公開されていたそうです。日本では11月に公開される予定なので、差別と偏見に敏感なこの頃だから折角なので見に行こうかなと考えています。

2013年8月7日水曜日

日系企業の面白い中国法人名

 今日は久々にコラムがてらに、日系企業の中国法人名の中でも特に面白いものを私なりにセレクションしてみようかと思います。

 皆さん知っての通りに中国は漢字の国で、外資系企業であっても漢字名を付けなければなりません。ちなみに個人でも同様で、欧米人も色々な登録をする際に漢字名を充てられます。日系企業の場合、元々が漢字名の会社であればそのまま通用することが多くて「○○(中国)有限公司」って形で登録することが多いのですが、カタカナの名前の会社だとこうも行かず、各社でそれぞれアレンジを効かせた名前となるわけです。

 アレンジの仕方としては発音に合わせて中国語で同じ音の漢字を使うやり方と、その言葉の意味から充てるやりかたの二つあるのですが、前者よりも後者というか、結構ギョッとする名前が多いのでその辺を中心に紹介していきます。

1、兄弟(中国)商業有限公司(ブラザー工業)
 あまりにもストレートというべきか、一瞬「あれこれ何の会社?」って思ってしまう会社名です。っていうか、普通に中国ローカル企業の名前であってもおかしくない。なおブラザー工業はほかにも中国法人を持っていて、「兄弟机械商業(上海)有限公司」とか「浜江兄弟軟件(杭州)有限公司」など、なんていうかこの際だから日本の法人名も「兄弟工業」にしてもいいんじゃないとか思ってしまいます。

2、松下電器(中国)有限公司(パナソニック)
日本の法人名は変わっても、中国法人名はそのままという例です。今更変えるのもあれだし仕方ないと思うけど、将来の日本人がこの名前を見てどんな反応するのか、松下という名前の意味が分かるのかが気になります。

3、電装(中国)投資有限公司(デンソー)
 この会社に言えることは、日本法人名より中国法人名の方が何作っているかわかりやすいっていう点です。変にカタカナにする必要あったのかな。

4、愛信精機(中国)投資有限公司(アイシン精機)
 同じくトヨタグループ、っていうかトヨタ四天王(残り二つは知らんが)。こっちは日本法人名でも中国法人名でも何作っているかわからない名前です。あと「愛信」ってみると一字違うが「愛新覚羅溥儀」が頭に浮かんでくるな。どうでもいいけどプレスリリースに対する電話取材で明確に対応の悪い会社の一つですここは。

5、富士通将軍(上海)有限公司(富士通ゼネラル)
 今日の記事を書くきっかけとなった会社です、私はかねがね「富士通ゼネラル」のゼネラルは総合とかそういう意味だと思ってたのですが、まさかまさかで「司令官」のほうだったとは、しかも中国語訳に敢えて「将軍」とつけるあたり、なかなか風流人です。ぶっちゃけたところ、最初この会社名を見た時は中国企業との合弁かと思いました。

2013年8月5日月曜日

書評「楊家将」&「血涙 新楊家将」

 日本で中国の小説と言ったら一に西遊記、二に三国志、三に水滸伝といったところで、あと金瓶梅とか封神演義が続く者かと思います。ただこれ以外にも中国国内で有名な古典小説はほかにもあり、私自身もそれほど読んではいないのですが、中国で代表的な戦う女主人公こと「十三妹(シィサンメイ)」が活躍する「児女英雄伝」や、こっちはテレビドラマが有名ですが中国版大岡越前が活躍する「包公故事」などあり、今日紹介する書籍の下地である「楊家将演技」というのもその一つです。

 楊家将演技というのは書いて文字の如く、北宋の時代で武官だった楊一族が燕雲十六州を保有する遼との戦争において、時には大勝し、時には傷つき、時には裏切られるという軍記物の小説です。はっきり言って日本国内での知名度は無きに等しく楊家将演技と聞いて反応できるのは相当な中国古典マニアくらいだったのですが、ハードボイルド、歴史小説で有名な北方謙三氏が数年前に小説化したことで、日本で初めてといっていいほどに日の目を浴びました。
 北方氏はタイトルにも掲げている「楊家将」、そしてその続編である「血涙 新陽家将」というタイトル(それぞれ上下巻)で小説を発表しましたが、この本を私が知ったのは、口を十秒間閉じ続けることがまずないある先輩から教えてもらったことがきっかけです。あの楊家将を日本で小説化されているとは知らなかったために最初驚き、かつ前から興味があった内容だったことから早速電子書籍で購入して読んでみましたが、文句なしに推薦できるいい小説でした。

 細かい感想を述べる前に当時の中国の状況を簡単に説明すると、10世紀に(北宋)が成立するまで中国は各地で軍閥が乱立して戦国時代のような様相を示しており、さらに北方からは異民族が進出してくるなどてんやわんやな状態でした。そんな時代に後晋という国が北方異民族の契丹族と手を組んで成立したのですが、この時の協力の見返りとして現在の北京市を含む、万里の長城を超えた領土を契丹属に割譲しました。この割譲された地域のことを燕雲十六州と呼び、契丹族は「遼」という国名を掲げてこの地に住む漢民族を支配するとともに領土を保有し続けておりました。
 割譲から少し時代は流れてようやく宋の初代皇帝である趙匡胤が中国をほぼ統一するのですが、燕雲十六州だけは遼の抵抗が激しくとうとう奪還することが出来ず、それどころか逆に散々に打ち負かされることが多かったために最終的には宋が遼に毎年贈り物を送ることで互いに戦争をしない不可侵条約、「澶淵の盟」が結ばれてひと段落するわけです。まぁその後に色々あって奪い返すんだけど、それはまた別の機会にでも。

 「陽家将」というのはこの宋と遼との燕雲十六州を巡る戦争の軍記小説なのですが、北方氏は元々のオリジナルを大胆に脚色しているとのことで、原作には登場しない人物も多数出てきます。そうした脚色以上に北方氏の小説で私が注目したのは戦争時の描写で、流れるような文章でかつ躍動感の伝わる素晴らしい出来となっております。特に中国北方、それも漢民族VS契丹族の戦争であることから騎馬隊の戦いがメインで、その騎馬隊の運用から指揮、訓練の場面まで事細かに書かれてあり、ほかの歴史小説と一線を画す戦いぶりが見事と言っていいほど描かれています。

 さらにそうした描写に加えてですが、北方氏の小説では原作でも主人公である楊一族の棟梁、楊業が「楊家将」で主人公を務め、彼が死んだ後の「血涙 新楊家将」では宋で武将となる楊業の六男と、記憶を失って何故か遼で将軍となった四男が主人公挌で話は進んでいきます。こうした楊家のキャラクターはそれぞれ個性があってとても魅力的なのですが、残念というかなんというか、あるキャラクターにすべての魅力が食われてしまっているというのが実情です。

 そのキャラクターというのも、遼の将軍である耶律休哥(やりつきゅうか)という人物で、ちょっと調べてみたら楊業とともに実在した人物でした。北方氏の小説ではこの耶律休哥というのが異常なまでに戦争で強く、なおかつ一切油断もしなければ部下にも厳しく妥協もしない、まさに戦場の鬼と呼べるような無茶ぶりなキャラクターです。
 その妥協なき姿勢+異常な強さだけでも十分魅力的ですが、何の縁というべきか記憶を失った楊業の四男を部下にして指導することとなり、彼に段々と父親めいた感情を持ち、四男も同じように慕っていく過程がその人物像に深みを与えています。もっとも父親と言っても異常なまでに厳しいので星一徹みたいな親父となっておりますが。

 なわけでこの小説のタイトルは「楊家将」というよりも「耶律休哥」にしても良かったのではないかと思う出来栄えです。ただ内容自体は最初にも述べたようにしっかりした出来で本気で太鼓判押せるので、興味がある方はぜひ手に取ってみてください。

   

2013年8月4日日曜日

韓国の近現代史~その二十一、金泳三政権時代

 このところテンションが落ちてて更新頻度が落ちておりますが、まだ一応気力は保っております。色々プライベートで立て込んでいるのはもとより、また妙なサイトを作り始めたというのが主な理由です。

 話は本題に入りますが、また韓国の近現代史の連載です。前回ではソウル五輪を目の前にして軍事政権が民主派勢力との妥協を行ったことから大統領の直接選挙制、そして民主化の実現に至るまでの流れを書きましたが、今回はこうした流れを受けて成立した金泳三大統領の時代について紹介します。

金泳三(Wikipedia)

 先に一つだけ書いておくと、韓国の大統領経験者はその誰もが在任中に暗殺されたり亡命したりして、退任後も在任中の不正疑惑について追及を受けて投獄されたりなどとあまりいい晩節を送ることがありません。極めつけは二代前の盧武鉉元大統領で、この人に至っては捜査が進められていた最中に自殺しています。ただそんな韓国大統領の中で今日紹介する金泳三は例外的で、今の所は特別な背任容疑などで捜査を受けることもなく無事に生きております。なんでもないようなことが幸せなんだと思う生き方です。

 そんな昔の歌のフレーズを口ずさみつつ解説を始めますが、彼の来歴を簡単に説明すると軍事政権時代から金大中と共に一貫して民主化を主張し続け活動してきた政治家です。ただ政治スタイルは同じ民主派でありながらライバルでもあった金大中が原理原則を重視する立場であったのに対し、前任の盧泰愚政権時代には連立政権に参加するなどやや現実的な政治スタイルを実行していたように私には思えます。その上で金銭に関しては非常にきれいだったというか、大統領に就任するや余計な経費を大幅に削減し、汚職に対して厳しい捜査で臨み官僚や裁判官、警察官僚を片っ端から辞任させるなど清廉な姿勢をみせております。
 また盧泰愚や全斗煥といった軍事政権下の大統領経験者に対しても厳しい姿勢で臨み、両者ともに在任中の政治弾圧や贈賄といった容疑で逮捕し、全斗煥に対しては死刑判決まで下りております。ただ韓国でよくわからないと私が思うところなのですが、全斗煥は後の金大中政権下で特赦を受けて死刑執行を免れております。他にも特赦を受ける人が韓国ではやけに多いのですが、司法制度として如何なものかと外野にいながらですがよく思います。

 話は戻りますが、こうした過去の清算と政治改革を進めるとともに金泳三政権が手を付けたのは韓国経済のグローバル化推進です。私はてっきりこの後に起きるアジア通貨危機を経て韓国はグローバル化に邁進したかと思っていたのですが、実際には金泳三政権下で米国流に習う形で進められておりました。
 その成果というべきか、今の時代では死語ですが当時は「アジアNIEs」の一角に数えられただけあって下記の通り非常に高いGDP成長率を記録しております。

<韓国の90年代のGDP成長率>(引用元:世界経済のネタ帳
1990年:9.30%
1991年:9.71%
1992年:5.77%
1993年:6.33%
1994年:8.77%
1995年:8.93%
1996年:7.19%
1997年:5.77%
1998年:-5.71%
1999年:10.73%
(金泳三の大統領在任時期は1993年2月から1998年2月まで)

 見てみればわかる通りに、金泳三時代には8%超の成長率も記録しており去年の中国のGDP成長率より高かったりします。ただ退任直後の98年は前年に発生したアジア通貨危機によって一転してマイナス成長を記録しており、この遠因は金泳三が推し進めたグローバル改革が影響しているとの意見も少なくありません。

 こうした経済政策のほかに彼の在任中の大きな出来事を語ると、外交においては北朝鮮で金日成が死去して金正日が正式な指導者に交代し、一時緊張が高まりました。また対日外交に関しては今も続くように、恐らく国内政策のために対日批判を行っておりますが、日本の記者団とは日本語で取材に応じるなど一応表と外は分けてくれていたそうです。
 最後に金泳三の現在の韓国国内の評価ですが、やはりアジア通貨危機を招いた張本人であるとして高くないそうで、これに関しては私も批判されざるを得ない失政だったと思います。ただこの後の民主派大統領の金大中、盧武鉉に比べると時代に恵まれたということもありますが、比較的無難な政治運営だったとして大統領としての能力についてはそこそこまともだったのではないかとも考えています。

 そんなわけで次回はいよいよというか、現代韓国を語る上で切っても切れないアジア通貨危機とIMF事態を紹介します。

2013年8月3日土曜日

麻生副首相のナチスに学べ発言について

 久々の更新ですがこれまた久々に意見が求められそうな政治話題が出来たので早速書いてみようと思います。

 既に報道などで皆さんも知っていられるかと思いますが、麻生副首相が憲法改正手続きについて、ナチスが知らない間にそっと変えていた手法を学ぶべきだなどという趣旨の発言をしたとして批判が集まっております。麻生副首相としては発言を撤回するとともに学ぶという意味ではなかったという弁明をしておりますが、私個人としては文章そのままの意味で、あまり目立たず騒がず国民に気付かれないようにそっと変えてしまおう、そうナチスの様にで間違いないと考えております。

 この発言は日本以上に海外での反応我凄まじく、ユダヤ人団体から抗議が来ただけでなくドイツなどからも非難されているそうです。改めてナチスに対するタブー性に驚くとともに、こういう事態を想定できなかったのかと麻生副首相に対して毎度のことながらげんなりします。
 何気にこの前、言った本人である自分が忘れているのに親父から、「お前が昔言った通り、麻生には本当に思想がないんだろうな」と言われたことを思い出しました。なんていうか未だにこれという政治原則がこの人には見えず、私としては評価できない人物です。

 話はナチス発言に戻りますが、私が今回の失言で注目したのはその内容よりもその時期です。というのも自民党は先月の参院選で大勝しており、その直後の記事でもこの大勝で自民党は気が緩むのではないかと書いておりますが、今回の失言もまさにその気が緩んだタイミングだったからこそだったと思います。むしろ失言メーカーの麻生副首相が組閣からこれまで失言がなかった方が珍しく、個人的にはよく我慢したなという気がしてなりません。
 ここまで書けばいいたいこともわかると思いますが、今後自民党議員や閣僚の間で失言がどんどん増えていくのではないかと予想します。これから約3年間は選挙がありませんし、何をどうしたところで自民党の議席におけるイニシアチブは動かず、それを勘違いした議員らもどんどん出てくることでしょう。皮肉な話ですが、失言さえなければ、何も問題さえ起こさなければ評価されるのが今の日本政界です。

 そういうわけで今の自民党議員、とりわけ麻生副首相に対してはナチスではなく、失言や失策によって崩壊し解党寸前の状況に追い込まれている今の民主党を学んでもらいたいのが私の本音です。学ぶべきものというのは勝者以上に敗者において多分に含まれていると思えますし。