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2013年8月29日木曜日

韓国の近現代史~その二十三、南北首脳会談

 前回記事から金泳三から金大中政権へと時代が移りましたが、金大中政権で特筆すべきはその外交政策こと太陽政策でしょう。この太陽政策とはなんなのか簡単に説明すると、それまでの韓国にとって不倶戴天の敵と言ってもいい北朝鮮に対して文化交流や経済支援を行っていくことによって融和ムードを作るという、グリム童話の「北風と太陽」に例を採った政策を指します。

 具体的な政策としては北朝鮮内にあるケソン工業団地への韓国企業の進出、資金や食料支援、離散家族の再会事業などがありますが、これらの政策目的は南北統一というよりも極端に広がってしまった南北の経済格差を埋めるということが主目的だったと思います。現状でもそうですが仮に韓国と北朝鮮が統合された場合、極端に遅れた北朝鮮のインフラ整備が大きな経済負担になるのは目に見えており、どうせ北朝鮮はいつか自滅するのだからそれまでに格差を埋めようっていうのが本音でしょう。
 とはいえ太陽政策は北朝鮮にとっても都合がよく、韓国に対する態度は一時期と比べればこの時期は随分と軟化したと私も見ております。その最たる例が今回取り上げる南北首脳会談で、金大中をノーベル賞受賞に導いた一発です。

南北首脳会談(Wikipedia)

 韓国と北朝鮮の首脳同士による初の会談は2000年6月、両国の協議によって実現しました。会談は韓国側の金大中大統領が赴く形で平壌にて行われましたが、あまり表に出ないことで有名だった金正日総書記もメディアの前で笑顔を見せるなどして南北統一に大きな期待感が高まりました。

 当時の状況ですが実はよく覚えていて、確か会談数日前になって突然北朝鮮側が日程延期を申し出ていたはずです。当時の専門家によると会談予定を変更することでイニシアチブを握ろうとする北朝鮮の策略だと指摘されましたが、韓国側もこの延期を了承し、見えるところでは目立った混乱はありませんでした。韓国側メディアも、「歴史的な日が一日延びただけだ」と言ってたし。
 あと印象に残った発言として、平壌を泊まり込みで訪れた金大中大統領に対して金正日が「こっち(平壌)の環境はどうだ」と聞いて、「冷麺がおいしい」と金大中が答えると、「冷麺は一気に食べるとよりおいしく食べれますよ」などと金正日が応答していたのを覚えています。なんでこんなやり取りを覚えているのかが一番不思議ですが。

 会談自体は6月13~15日の間に開かれ、期間中は特に大きな混乱もなく東西ドイツの様に近朝鮮半島も統一されるのではないかという期待感が世界中に現れました。もっとも北朝鮮側としては統一に動く気なぞ全くなく、韓国からの援助を受け取るためにこれらのムードを利用したのが実情であるように思え、この会談の後に米国でブッシュ政権が生まれ「悪の枢軸」に指名されてからはそれ以前より先鋭化していくこととなります。

 最後に、金大中はこの南北首脳会談で先ほども書いた通りにノーベル賞を受賞しますが、そのつけは決して安くはありませんでした。階段から三年後の2003年、会談の直前にヒュンダイグループから北朝鮮に対して5億ドルもの不正送金がなされていたことが明るみに出ます。この送金は韓国政府から会談に応じた北朝鮮への謝礼とみられていましたが、後の盧武鉉政権が捜査を揉み消したことによって真相解明はなされていません。もっとも揉み消したほどだったのだから図星だったのでしょうけど。

2013年8月28日水曜日

政治分野の国際報道について

 のっけから頭痛で調子が悪いですが、前々から書きたかったことなので今日はちょっと重いテーマを取り上げます。

 このブログで何度も書いているように私は去年まで上海にいて、そこで経済紙の記者をしておりました。取り扱う話題は経済紙なだけに経済ニュースだけで政治ニュースに関しては当局の検閲もあったために書くことはありませんでしたが、香港に長期出張した際は何書いても自由だったので政治記事もちょくちょく書いておりました。
 ただ香港の政治記事と言ってもはっきり言って私は香港の政治事情なぞ素人と言ってもよく、当時の行政長官がドナルド・ツァンという蝶ネクタイを付けることで有名な人物である事すらも知りませんでした。そのため私が書く政治記事というのは編集長にいろいろ教えてもらったり、サウス・チャイナ・モーニングポストなど現地の有力紙に書かれている政治記事に題材をとったものばかりだったのが実情です。

 ここで話は上海に戻りますが、大手新聞社の中国支局にいる記者は必ずしも中国の専門家であるわけではありません。下手すれば中国語も知らず、現地に赴任してから習い始める人だっています。そんな中国語もわからない人がどうやって中国記事を書くのかというと、日本語、中国語のできるアシスタントに現地記事を翻訳してもらったりして文章を組み立てるわけなのですが、自分一人でも翻訳作業が出来るようになるころには配置換えで転任ということもあり得ます。

 ここで私が何を言いたいのか重ねて述べると、中国記事を書く記者は必ずしも中国事情の専門家ではないということです。なので、経済記事などその時に起きた事実関係を書くだけであればそんなに支障はありませんが、過去の累積がモノを言う政治記事ともなると独自の目線で書くことは難しく、当たり障りがないように現地有力誌の政治記事、またはその解釈をそのまま翻訳して報じてしまうことも珍しくないのです。これは何も中国に限らなくても、日本におけるアメリカの政治報道でニューヨークタイムズからの引用がやたらと多いのもこういうところにある気がします。

 ここでまた話が飛びますが、このところの中国や韓国の現地報道でやたらと安倍政権の右傾化が取り沙汰されております。ただはっきりと書いてしまえば、安倍政権が何を以ってして右傾化しているかということについてはどの記事も根拠が薄弱としか言いようがなく、これらの報道もお門違いな内容が少なくありません。
 代表的なのは憲法改正に関する指摘で、よく安倍政権は憲法を改正して日本を軍事国家に変えようとしていると報じられていますがかつての民主党政権ですら憲法改正に向けて取り組んでおりました。このほか靖国神社に対する態度も安倍首相は玉串料を出したものの小泉元首相が実行した参拝は控えるなど配慮を見せておりますが、こうした配慮を現地報道は無視しているのではと思える節があります。

 ここでようやく最後の本題となりますが、一体何故、安倍政権によって日本が右傾化していると中国や韓国のメディアは報じるのか。私個人の勝手な意見を述べると日本の政治記事を書く海外メディアの記者は必ずしも日本の専門家ではなく、日本の有力紙をそのまま翻訳して自国に報じているためではないかと思います。ではその翻訳する有力紙は何か、これもはっきり書いてしまえば朝日新聞なのではないかと思います。
 頭痛のせいかさっきからやたらと同じフレーズを使いますが、はっきり書いてしまえば最近の朝日新聞の安倍政権に対する報道は偏向が過ぎると言っても差し支えありません。就任前のカレー事件はもとより、もはや感情的といってもいいほど安倍政権に対する報じ方は極端に批判的で、そんな朝日新聞を参考にする海外メディアがいるから妙な形で安倍政権は無用な批判を受けているのではないかとこのところ思う次第です。

 書き終ってから言うのもあれですが、頭痛起こしながら書く記事じゃないですね。

2013年8月25日日曜日

不快な24時間テレビについて

 現在、毎年の恒例行事というか24時間テレビが横のテレビで放映されて下りますが、はっきり言って不快この上ないというのが私の意見です。この番組の欺瞞性については以前にも「発展途上国への支援のあり方」の記事の中で砒素中毒患者を量産させてしまった点などを批判しておりますが、あれだけのことをしでかしておきながらいまだのうのうと同じ番組を放映する神経が理解できません。
 愚痴ってばかりでもよくはないと思いますが、ネット上を見る限りだとこの番組への批判は年々高まっているように思えます。いちいちあげるのもばかばかしいですがチャリティー番組であるにもかかわらずゲストに出演料が支払われる点など理解できず、昨今のテレビ視聴率の低下はこうした市庁舎の意見に向き合わないテレビ局の姿勢にも原因があるような気がします。

 ちょっと調子がよくないのと、事情があって長く掛けないのでここらで筆を置きますが、そろそろこういうテレビ番組を揺るスポンサーも社会責任が求められるべき時期に来ていると思います。なお更新は明日、明後日も休む可能性があり、正式再開は水曜以降です。

2013年8月22日木曜日

「はだしのゲン」の閲覧制限問題について

はだしのゲン ほとんどの小中学校で閲覧不可(NHKニュースWEB)

 昨夜、ブログのSEO対策をどうすればいいかと友人が相談してきたので、「こうすればいいのよ( ´ノД`)コッソリ」と何故か女言葉でいうような感じで具体例を示そうと思ったので、今日は議論となっている漫画「はだしのゲン」の閲覧制限問題について私の意見を書こうかと思います。結論から書くと、「閲覧制限?別にいいんじゃない」っていうのが私の意見です。

 まず「はだしのゲン」については説明を省略し、今騒がれている問題についてだけ簡単に説明します。この問題は松江市の教育委員会が「はだしのゲン」の中に過激な描写が含まれることを理由に市内の小中学校に対し児童・生徒が自由に読めないようにする措置を取っていたことに対し批判が起こり、同じような措置を取っていた鳥取市も槍玉に挙げられるなどホットな話題となってます。
 批判する方々の意見をまとめると、原爆投下時の状況を描いた「はだしのゲン」は原爆被害の恐ろしさを知る上でわかりやすく、知名度の高い良質な作品なのにどうして見せないのかといったものが多く、また読む読まないは子供自身に選ばせるべきであって教育委員会が検閲の様に書架から降ろすのは筋違いだ、というのが大半かと思えます。こうした批判を受け松江市ではやや過剰な措置だったとして謝罪しており、近く小中学校向けに出した閲覧制限の要請を撤回するものとみられています。

 それでこっからが私の意見ですが、最初に書いた通りに閲覧制限するというのならそれはそれでいいのではというのが偽らざる気持ちです。恐らく、私のことを知っている人間なら「むしろこういう閲覧制限とかに反発するのが花園君なのに」などと意外に感じるのではないかと思いますし、私としても普通だったら逆の立場を必ず取るでしょう。にもかかわらず何故今回に限って松江市教育委員会の方を持つのかというと、私も「はだしのゲン」に関してはやや問題のある作品の様に感じるからです。

 確かに「はだしのゲン」は脚色が多少混じっているとはいえ前半部は原爆投下の前後が描かれ、当時の広島の状況を知るに当たって漫画作品というのは手に取りやすく申し分がありません。描写に関しても確かに死傷者や放射能被害を受ける人間が出てくるなど過激といえば過激な所もありますが、私は現実はもっと残酷だと思うのでこの辺は問題があるとは考えていません。
 問題なのは中盤から後半にかけてのストーリーです。この辺の事情は知ってる人には早いですが、「はだしのゲン」は当初、少年ジャンプで連載がスタートしましたがその後紆余曲折あって掲載誌を変えております。その影響からというのか途中から明らかにストーリーが偏り出し、好きな風に言わせてもらうと原爆に対する少年の物語だったのがいつの間にか広島のヤクザ物語になってしまっているように見え、厳しい言い方をすれば「蛇足」という評価が非常に似合う作品だと私は見ています。

 なので、原爆に関する本であればなにも「はだしのゲン」に限らなくてもほかにもあるのだし、しょうもないヤクザ関連の話が続いてしまうこの作品を何が何でも小中学校に置く理由はなく、置いてたっていいけど閉架にするのならそれも一理あるかなと思ってしまうわけです。前半部だけ公開するという手もありますが、なんかそこまで手を込むのもなぁって気もするし。

 ちなみにここだけの話ですが、私は小中高のどの期間においても図書館をあまり利用しない子供でした。よくいろんなこと知っているんだからたくさん本を読んでいるのでしょうなどと誉めてもらえますが、実は笑っちゃうくらい読書量が少なかったりします。
 じゃあどこから知識を得たのか、ゲームとかからかなどと詮索されますがぶっちゃけ自分にもよくわからず、強いて言うとしたら一度見聞きしたことをやけに長く記憶できるからじゃないかと考えてます。それなので読書に関してはあまりえらそうに言える立場でないことを踏まえ、この記事に関してはまた変なことを言っているよと軽く流してもらえればありがたいです。

2013年8月21日水曜日

「伊達直人運動」について

「伊達直人」が施設に演奏会をプレゼント(読売新聞)

 「伊達直人運動」とは何か、といっても説明する必要はあまりないかと思います。これは数年前より突如として始まった慈善活動の一つで、漫画「タイガーマスク」の主人公である伊達直人の名を名乗ることで児童施設などへ匿名で寄付や贈り物をする運動を指します。発端は確かどこかで、伊達直人の名を名乗る人物が児童施設にランドセルを贈ったことが大きく報じられ、追随する人間が各地で現れた事からですが、特筆すべきは一過性の運動にとどまらずここ数年間、特にクリスマスなどの真冬のシーズンに毎年伊達直人が現れることにあるでしょう。以前にこの運動について書かれたエッセイで、「国家による社会保障が先細る中、市民同士のこうした運動が新たな社会的セーフティネットになるのではないかと期待している」という文言がありましたが、そのエッセイストの見方には間違いはなかったと私も考えております。

 石原慎太郎氏などは日本人は年々駄目になってきた、自分の儲けしか考えなくなったなどと否定的に語ることが多いですが、私自身としてはこうした伊達直人運動を筆頭に、社会意識的には少なくとも悪い方向には向かってないように思えます。今回引用した記事のニュースでも、障害者施設にコンサートをプレゼントしたいという提案を受けたフルート奏者の石坂美佳さんが他の演奏者に呼びかけて本当に実行するなど、聞いてて頭が下がる思いがします。

 実際に見たわけではありませんが、こうした福祉施設などへの寄付は欧米、特にアメリカだと非常に盛んで、社会の監視の目も強いからというべきかそこそこ資産に余裕がある層はこういうところに寄付しないと逆に叩かれるそうで、「ちゃんと寄付してますよ」とばかりにちゃんと名前を出すそうです。
 個人的な考え方としては、昨今の伊達直人運動も「俺が、伊達直人だ」とばかりに寄付者も堂々と名乗り出て寄付をする方がいいような気がします。以前にも寄付者がはっきりせず、せっかくの贈り物も拾得物扱いになってすぐに受け取ることが出来なかったということもありましたし、活動を指す一般名称は「伊達直人運動」のままでいいからこの点をもう少しマシにした方がいいのではと前から思っています。

 で、言いにくいことを言うからこのブログなんですが、なんで寄付者がわざわざ匿名にしようとするのかというとやはり、「寄付するなんてええかっこしい、下心があるのでは」などという声が飛んできそうな日本の社会性があるかと思います。現実にこういう批判が飛んでくるとは限らないですが、もし自分が寄付をしようとするなら「もしかしたらこういう声が飛んでくるのでは」などと気にします。こういう懸念を払しょくするためにも、もっと寄付しようとする人間を実行に促すためにも全国の伊達直人のみなさんには堂々と名前を名乗ってもらいたいと個人的に願ってます。

 あと寄付の仕方についてももう一点。クリスマスなどのイベント時に贈り物をするというのは確かにいい思い出になりますし素晴らしいと思いますが、施設の運営者たちの観点からするとスポット的にドカッと贈り物をしてもらうよりも、少額でも定期的、具体的には毎年とか毎月に寄付金を送ってくれる方が助かるそうです。そうした運営者の立場に立った、地味だけど重要な寄付行為を行ってくれ、さらに堂々と名乗る伊達直人の出現も陰ながら心待ちにします。

2013年8月20日火曜日

失業を気にしない欧州の若者

 昨日、故あって「フランスの日々」のSophieさん、スピリチュアルにはまりきっている私の友人との三人でカレーを食べに行きました。どうでもいいですが上海にもインド人が経営するカレー屋がありよく行ってましたが、インド人店員と中国語で話をする際に「なんだかなぁ」って気に何度もさせられました。もっとも相手があんまり中国語上手くないので、途中で英語に切り替えたりもしましたが。

 話は戻りますが折角だからとばかりにSophieさんにあれこれフランスの生の状況を聞こうと意気込んで行ったわけですが、いくつか聞いた話でブログに使えそうなものとしてお題に掲げた向こうの若者の失業の話があります。日本での報道でも知ってはいましたが改めて確認した所、フランスでは失業率が10%を超えており、若者に限ると25%以上、実に4人に一人が失業者というくらいで街は無職に溢れているそうです。
 そんな風に話が進んだところで私の友人が、「向こうの無職の若者は普段、なにをしているわけ?」と尋ねたところ、「日向ぼっこしたり、本読んでる」というSophieさんの回答。Sophieさんによると、向こうでは無職の若者がそこらじゅうにいるわけだから本人らは自分が無職であることを気にせず、また日本と違ってフランスでは無職であるのは個人の問題ではなく社会の問題と考えるため悲観的な人はほとんどいないそうです。

 となると、日本で無職の人が体面を気にするのはこういうところにあるのかと思った次第です。日本でも若者の失業が問題だと言われつつもせいぜい10%前後で、フランスと比べるとまだまだ低い水準です。仮にこの数値が20%くらいにまで上がれば本人らも気にしないというか、「俺は悪くない」と開き直れて若者の自殺率も改善するのではないかと思ったわけです。もっとも、若者の自殺を減らすために無職を増やせと言うのは本末転倒過ぎるが。

 ただこれに限らなくても日本人はライフコースをとかく固定的に考え過ぎな気はします。結婚適齢期やら大学入学年度などまともな人生はこうあるべき、それ以外はすべて価値がないと私に言わせれば妄信的に信じ込んでいる節があり、もう少し「他人は他人、自分は自分」と人生を幅広く受け入れないと自分が不幸になるだけだと言いたいです。

 あと最後に蛇足ですが、昨夜の会談の最中にお金と幸せの関係も議題に上がりました。Sophieさん曰く、フランス人は日本人以上にお金と幸福がつながらないという価値観が強く、行ってしまえば商売下手なところがあるそうです。それに対して中国人はリアルに「お金=幸せ」と考えるほどの模範的といえるくらい資本主義に染まってて、「お金さえあればもう何もいらない」と本気で言うよねということで何故か私と一致しました。

2013年8月19日月曜日

第442連隊戦闘団について

 狙っているつもりじゃないのですがまた今日もアメリカ史に関するものです。よくアメリカは歴史の短い国だとか言われますが、それだけに密度が濃く、なおかつ超大国であることから現代詩についてはよく調べる必要があるなとこの頃思います。
 そんなかんだで今日紹介するのは、知っている人もいるかもしれませんが第442連隊戦闘団、アメリカ史上で最も多くの勲章を受けた日系アメリカ人によって編成された部隊です。真面目に、昨日までこの舞台の存在を知らなかったのは非常に恥ずかしい限りです。

第442連隊戦闘団(Wikipedia)

 第442連隊戦闘団とは二次大戦の折、先ほどにも述べた通り日系アメリカ人によって(士官を除く)編成された部隊でした。この部隊が創設された背景には悲しい歴史があり、太平洋戦が開戦されるとアメリカ政府はアメリカ本土にいる日系人に対して暴動やスパイ活動を起こす恐れがあるとして、財産没収の上に強制収容所内に収容しました。はっきり言いますがこの辺やってることは露骨な虐殺がないだけナチスドイツのユダヤ人政策と一緒で、アメリカにホロコーストを批判する理由はないと個人的に思います。もう少し続けると、この時に没収した財産の補償が行われたのはつい最近です。

 上記のような過程を経て日系人は強制収容されたのですが、各収容所内では志願兵の募集も行われました。募集を行った背景にはいろいろ類推できますが、単純に言ってアメリカに対する忠誠心を試す踏絵の色彩が強く、実際にかなり昔に見てたまたま覚えていた志願した兵隊のインタビューでも、収容所内にいる家族の身の安全を保障してもらうことが目的だったと話していました。
 なお同じ強制収容でも日系人の多いハワイは強制収容所送りの対象が一部の人間に限られていたこともあり、本土での志願兵とはやや事情が異なっておりました。そのため決死の覚悟で臨んだ本土の志願兵とは部隊内で当初は対立したようですが、本土の強制収容所の様子をハワイ出身者がみてからはそういう位こともなくなっていったと言われております。

 こうして出来た第442連隊でしたが、さすがに日系人同士を戦わすということはさせず、ヨーロッパ戦線へと派遣されることとなりました。このヨーロッパ戦線で第442連隊は激戦地へ投入されることが多く部隊の死傷率も他の部隊と比して高かったものの各地で目覚ましい功績を上げて、隊員らは次から次へと叙勲を受けていき最終的には約18000もの勲章を受けることとなります。
 そうした第442連隊の戦闘の激しさを物語る一つのエピソードがあり、ある日に高級士官が全部隊を整列させ閲兵させた際、第442連隊は18人と8人の中隊だけしか現れず、「全部隊を整列させろと言ったはずだが」と問い詰めたところ、「これが全部隊です。残りは戦死か入院です」と隊員が答え、その高級士官も絶句したとされます。もっとも、同じ太平洋戦争で日本軍においては玉砕が多かったから同じようなことがあっても高級士官は絶句しなかっただろうな。

 このほかのエピソードを書くと昨日書いたトルーマン大統領も第442連隊を高く評価し、大統領部隊感状を自らの手で直接手渡すという異例な措置を取った上、「諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した」と称賛しています。内心、「誰のせいだ」という気持ちを私も持ちますが……。あと終戦までに隊員のほとんどは戦死、または手足を失っていたそうですが、戦後直後はやはり日系人への偏見が強かったことからその活躍はあまり触れられず、時代を経るにつれ徐々に認知度が高まり日系人の地位向上に一役を買ったと現在では評価されています。

 またこの部隊の出身者でダニエル・イノウエという人物がおり、彼も戦中に右腕を失ったものの戦後は政界に出て最後は上院仮議長という地位にも就いております。残念ながらというか昨年の12月に死去されて、この人のことは知ってはいたのですが442連隊というのは今まで知りませんでした。ただ彼らの活躍は敵味方はおろか、人種という概念を考える上でも非常に大切なものが詰まっているように思え、もっと日本国内でも知名度が上がればいいなという思いがあって筆を取った次第です。