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2013年10月6日日曜日

韓国の近現代史~その二十六、盧武鉉政権

 今回は珍しく間の短いこの連載の更新。そろそろラッシュかけて終わらせないといけないし。

 さて前回ではネットを発端に妙な人気が出たことから棚ぼた的に盧武鉉が大統領に就任したところまで紹介しましたが、今日はそんな盧武鉉政権期(2003年~2008年)についてあれこれ書いてこうと思います。この時期は時代的にも非常に近くよく覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、「あんなこともあったね」と思いだすような感じで呼んでくれればいいと思います。それにしても、次の李明博政権よりも盧武鉉政権の話のが印象強いから記憶にも良く残っている気がするな。

 まず盧武鉉政権に対する現代の評価ですが、国内、国外を問わず非常に低いということは間違いないでしょう。これほどまでに悪い評価で一致している国家元首も珍しいんじゃないかな。
 なんでそんなに評価が悪いのかというと言ってしまえば内政、外交ともに混乱を招いたからです。国内ではそれ以前からも進んでいたものの新自由主義へとさらに舵を切って貧富の格差を大きく増大させ、国外では日本はもとより米国とも関係を大きく悪化させた上に中国とも微妙な距離を作ってます。今思えばですが、日韓の国民感情が決定的に悪くなったのはこの時期を境にしているんじゃないかとすら思えます。

 もう本当にどこから書いていいものかといろいろ疲れてくるのですが、まず就任当初に関しては非常に高い支持率からスタートしました。その要因というのも既に書いているようにネット上でなんか人気に火がついたということもありますがそれともう一つ、盧武鉉が反米路線を強く打ち出していたからです。前回の記事でも書きましたが大統領選の最中に在韓米軍が韓国の女子中学生を戦車で轢き殺す事件が発生しており、韓国国内では反米感情が非常に高まっておりました。
 その最中で盧武鉉はいち早くというか、米国に対して強い態度で臨むと言うなど反米路線を明確にだし、勢い余ってというかそれもキャラなのか、「(自分が)反米主義でなにか問題でも?」というような発言をしたそうです。こうした路線は韓国国内では非常に高く評価されたのですが、当の米国としてはもちろん面白くありません。

 その結果というべきか、盧武鉉が大統領に就任して対米外交を始めようとするも米国からはにべない態度を取られ続け、当時のブッシュ米大統領の態度も非常に冷たかったらしいです。もちろん韓国政府にとって米国との外交関係は北朝鮮関係も絡んで非常に重要なだけになんとか関係の修復を図らなければならなければならず、その結果というかイラクに韓国軍を派遣することを盧武鉉もあっさり認めちゃいます。
 その結果というべきか、あれだけ反米を主張していたのにすぐに折れちゃったもんだから韓国国内からは非難轟々。弱腰外交だなどと批判され支持率も見事に急落します。一方、そうやって国内の支持を犠牲にしてでも取り持った米国との関係ですが、その後北朝鮮に対して擁護し、融和政策を採り続けたことによってタカ派のブッシュ政権は気を悪くし、政権末期まであまりいい状態を保つことはできませんでした。

 対日関係についてもまぁ大体似たようなもので、それまでの韓国大統領は国内での支持獲得のため国内向けに反日を主張することはあっても海外向けの情報発信では日本批判をまだ抑えていましたが、これが盧武鉉政権となると全く配慮がなくなります。むしろ海外記者向けの記者会見などで竹島問題、靖国問題でかなり激しく日本批判を行っており、そうした様子を見る日本人もあまりいい感情を持たなかった気がします。

 そのように一応の同盟国との関係は冷やすだけ冷やした一方、敵国であるはずの北朝鮮に対しては今の私から見ても異常なほどに擁護する姿勢を保ち続けました。前任の金大中政権の頃から韓国では太陽政策と言って北朝鮮に対して融和的な態度を取る外交方針を取っておりましたが盧武鉉政権時にはこれがさらに強化され、北朝鮮がミサイルを発射しようが、核実験実施を発表しようが6ヶ国協議などでは一貫して擁護する発言を行い、食料支援などもずっと実施し続けました。しかしこれらの政策は現代の北朝鮮を見るに効果を上げていたとは言えず、いいように使われていただけとしか言えないと私は思います。

 これら盧武鉉政権期の外交を見る限りだと、どうも盧武鉉は自分に正直というか、政治家に必要な本音と建前を分けることが出来ない人間だったのではないかと私は見ています。自分が嫌いな米国や日本に対してはそのまんま嫌いだと言ってのけて、逆に親近感を持つ北朝鮮に対しては利益度外視で援助し続けるといった具合で、国家的利益よりも自身の主義概念を悪い意味で貫いく人物だったように思えてなりません。

 内政においては就任当初から議会では野党が多数派というねじれ国会であったこともあり、任期中に一度、議会で大統領職の弾劾請求通過して一時的に辞職するなど同情すべき状況は見られます。しかし5年の政権期間中に野党対策で打開策を一切見いだせず、また首都をソウルから移転するという計画を発表したものの反対を受けて中止するなどといったところから見るとやはり批判点が多く、特に政権後半では主要閣僚の人事が二転三転するなど完全なレームダックに入っていることからも一国のリーダーとしては向いてなかったのでしょう。終いには金泳三元大統領からも、「(盧武鉉を)政治家にしてしまったのは間違いだった」とまで言われてしまうし。

 なんか悪口ばっかり書いててだんだん自分も申し訳なくなって来るほどなのですが、韓国国内では一時期、何か悪いことがあると「盧武鉉は何かしたのか?」といってなんでもかんでも彼のせいにする言葉遊び、「盧武鉉遊び」というのが流行したほど不人気だったので、大きく間違った分析じゃないんじゃないかと思います。

 ただこう書いていてなんとなくダブるというか、同じようなのがちょうど日本にもいたよなぁってつくづく思います。言うまでもないでしょうがそれは鳩山由紀夫元首相で、盧武鉉政権が5年も続いたのに対してまだこっちは1年で済んだからマシだったのかもと前向きに考えたいものです。

2013年10月4日金曜日

社会を変える人間とは

 このところあんまりおもしろい記事を書いてる実感がないので(特に昨日)、今日はちょっとこじゃれた記事というか自分の文章力を限界まで活かして何か書いてみようかと思います。

 お題には「社会を変える人間とは」という風にやけにかっこいい見出しにしましたがこの問いの答えというのは実に単純明快で、「社会に対して不満を持つ人間」にほかなりません。一体何故社会に不満を持つことがその社会を変えることにつながるのかというとこれまた単純で、不満に感じる制度、慣習、風習を変えようと意思を持つからです。実行するか、実現出来るかは別として。
 そもそも、これまでに世の中を変えてきた偉人というのは大抵が大勢に刃向う反逆者、言うなればテロリストたちでした。シンガポールの初代首相を務めたリー・クアンユーはかつて9.11について意見を求められた際、「革命家とテロリストの線引きは難しい」といった旨の発言をしましたが、この意味は反逆が成功すれば革命者として崇められ、失敗すればテロを行った犯罪者として裁かれるという現実について述べたと解釈されており、私自身もまさにその通りだと思います。

 いうまでもなく誰かにとっての正義は別の誰かにとっては悪であり、勝利した側が後に正義だと評されます。そのように考えると現状の体制を維持しようとする保守的な人間は普通に考えるなら今の社会に満足しているのに対し、革新派というのは今の社会が気に入らない、不満を感じるからこそ変えようとするので革新派だと呼ばれ、実際に社会を変えるとしたら後者の側なのでしょう。もっとも、社会に不満を持つ層が変えようとする世界が大多数にとって幸福な社会かどうかについてはわかりかねますが。

 改めてこの考えを援用してみると、またちょっと違った視点が持てるように思えます。たとえば社会を会社に変えてみると、会社に不満を持つ社員こそがその会社を変える可能性を秘めているわけで、悪い循環に陥っている場合なんかには面白い概念じゃないかと思います。同じようにまた社会という言葉を業界に置き換えると、既存の業界団体に反発する会社や経営者こそが刷新する可能性を持っているわけです。中内功なんかこの類だったかもしれませんね。

 ここで話題を少し変えますが、私のある友人は「攻殻機動隊」というアニメの冒頭に使われた、「(テロリストに対し)世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが出来ないなら目と耳を塞ぎ静かに暮らせ」っていう内容のセリフを非常に気に入っており、事ある毎に引用するのですが、その度に私は、「俺は黙っちゃいないぜ」と、何吹いてやがるんだこいつと言いたくなるようなセリフをいつも言い返しています。
 この私の発言の意は説明するまでもないでしょうが、何が何でも体制に属さず、また実際の行動を伴うような反抗をし続けるという宣言においてほかなりません。親しい友人にはよく伝えていますが、実際に社会を変える力があるかどうかは別として、私自身は確実にかつ常に社会に対して不満を持ち、極端な言い方をすればテロリスト的な価値観の強い人間だと自己評価しております。

 ただそうやって「反逆宣言」をする一方で、自分が望む世界が果たしてほかの人にとっても幸福になりうる社会となるのかについては常に疑問を持っており、決して理由なく反逆をしてはならないと自重は心がけています。それでも言い訳をすると、周りからもはっきり言われていますが自分はやや時代に恵まれなかったきらいがあり、体制側に属そうと思っても逆にはじかれる傾向があるため、反抗し続けなければ単純に生存することすら難しいのではないかと思っています。要するに、自分の反抗は正当防衛だって主張したいわけです。

 またここで話題を変えますが、大学などでの高等教育というのは国家体制を維持する人材を生む一方でその体制を壊そうとする人材も育成する傾向があります。古くは中国の科挙で、これは本試験の落第生が大抵反乱起こしてるためで、このほかにも学生運動などで今私も連載している韓国では軍事政権が白旗挙げる事態になっております。
 では日本の大学ではどうか。やっぱり一番大きいのは東大で、国家の官僚を製造する一方でいろいろと国家体制にとって厄介な人材もたくさん作っています。まぁこの辺は最高学府の宿命といったところでしょうが。

 ただ東大以外にも敢えて挙げるとしたら、ちょうど今大河ドラマ「八重の桜」に出てくる京都の同志社大学も負けてない、というかここは反逆者ばっか作ってる大学な気がします。というのも以前に同じようなテーマで記事を書いた後に大学の後輩から、「やっぱ同志社は密航してまでアメリカへと渡った新島襄が作った大学で、大物政治家が作った早稲田や国(幕府)が派遣した留学生が作った慶応とは違い、反逆してなんぼっていう校風がありますよね」っていう感想をもらいました。でもって私もまさにその通りだと思いました。
 実際に同志社の校風は「ルールは破るためにある」といっても過言ではなく、頑張っていい風に解釈するなら、「それが世の中にとっていい方向に向かわせるのであれば、常識概念や法律すら破ってでも実行する」と言えるかと思います、多分。自分も昔っから何かと反抗的な人間ではありましたが、成人後はやっぱこういう校風に影響されてきたなとこのところよく感じます。

  おまけ
 名古屋に左遷されている関学出身のうちの親父が先日、「なんでNHKは同志社ばっか贔屓にすんのや、不公平や!」と、不平を言ってました。

2013年10月3日木曜日

中国のやけにセクシーな写真特集について


 こういう写真を張り付けるのは自分でもどうかなぁって思うけど、あまり知られていない中国の事実を知らせるのにいい写真でもあるので、せっかくだから紹介します。この写真は東方網という中国のニュースポータルサイトで紹介されていたものですが、リンク先の解説によると写真の女性はポーランドの美人で有名な女子サッカー選手とのことで、なんでも愛犬と遊んでいる最中にシャツが脱げたところを誰かが激写して公開したそうです。
 ただそれにしてもこの構図だと、あまりにもきわど過ぎて脱げたっていうより脱いだところを撮らせたようにも見えるから売名かもなぁ。貼り付けといて言うのもなんだけど。

 そんな私の感想はひとまず置いときますが、中国のポータルサイトにはこの類の、やけにセクシーな写真特集が度々載せられます。もちろん中国がポルノは禁止(風俗産業は黙認)なのでヌード写真がポータルサイトに載ることはまず有り得ませんが、ヌードと行かずともギリギリなセクシーショットは見ているこっちがびっくりするくらいしょっちゅう載せられます。
 これなんか聞いている人は驚くかも知れませんが、テレビ局が運営しているニュースサイトの東方網は割と自由な報道姿勢で有名なのですが、人民日報や国営新華社通信のポータルサイトにもこういうセクシーショットは良く載ります、っていうか新華社のが多いようにも思えるくらいです。一体何故だと聞かれても私にもわかりませんが、よく前職では仕事でニュース記事を検索、閲覧する最中にチラって見ては、「中国人もよく飽きないなぁ( ´∀`)」とか思ってました。

2013年10月1日火曜日

自慢できないNexus7(´;ω;`)

 先々週辺りからちょこちょこ書いておりますが、WIMAXの契約を結ぶとともにそのキャンペーンでGoogle社が販売している(作っているのはASUS)Nexus7というタブレットPCを手に入れ、そこそこに使用しています。しかしながらこのタブレット、お題にも掲げ散る通りにとにもかくにも自慢できません。今日はちょっとその辺の理由について個人的見解をまとめようと思います。

 まず誤解のないように伝えますが、私自身はこのNexus7という端末に対して非常に満足しています。サイズがスマートフォン以上i-Pad(アイパッド)以下ということで片手に持ちやすく、かつ画面も電子書籍などを読むに当たって手ごろなサイズです。ネット通信やデータ処理などの面でも申し分なく、まだタブレットPCを持ったことがない、使ったことがない層に対して初めて使うのにいいのではないかと文句なしにお勧めできます。

 にもかかわらずなぜ自慢できないのかというと、単純にデザインが悪いからです。これは先日に友人にも使わせてみて協議したうえでの結論なのですが、アップル社のアイパッドに比べてデザインが極端に悪いです。
 具体的にどの辺が問題なのかというと、現行のNexus7は表地は通常のタブレットと同じく液晶画面なのですが、裏地はグレー一色で小さく、目立たなく「Nexus7」と読めるくぼみが彫られています。はっきり言って遠目には見てもわからず、見る人が見ればやけにでかいスマートフォンと勘違いされかねません。しかもそれ以外は全く特徴がないし。

 こういってはなんですがもう少し「Google」とかそういうブランド名のロゴを目立つように入れておけばよかったように思えます。アップル社の製品が優れているのはその革新性はもとより白一色で出してくるなどデザイン性にあると私は考えており、もっとそうした面を考慮したデザインであればNexus7も「どや( ゚∀゚)」って感じで私も友人に自慢できたと思います。現行のデザインじゃ他人に見せてもだから何ってデザインだし……。

 逆に言えば他のメーカーにも同じことが言えます。このタブレットの世界は機能や性能以前にデザインで決まると言っても過言じゃありません。多少冒険してでもいいから、「あのデザインはあそこのメーカーのものだ」と一目でわかるようなデザインが求められているのではないかと個人的に思います。

2013年9月30日月曜日

韓国の近現代史~その二十五、ノサモ

 また前回から大分日が立ってしまっての連載再開です。このところ落ち着いて記事書くこと出来ないから思い付きで書くことも増えてるしなぁ。

 なわけで簡単に前回までのあらすじを書くと、前回では金大中政権時にあったということから日韓ワールドカップを取り上げました。このワールドカップがあった2002年、韓国では金大中の後継を巡る大統領選挙が行われ今回お題に挙げた「ノサモ」という、次に大統領となる盧武鉉を応援するネット上のファンクラブの存在が大きく注目されました。

 この年に与党であった韓国民主党は大統領選に向け、党内で候補を一本化するために予備選挙を実施しました。この予備選挙に立候補したのは盧武鉉を含む7人で、この時点で盧武鉉は他の候補者に比べて実績も経験も少なく、泡沫候補と言っても差し支えありませんでした。
 そんな盧武鉉に追い風が吹いたのは数年前から爆発的に利用者の増えていたインターネットがきっかけでした。盧武鉉はそれまで国会議員選挙などで何度か落選を経験していましたが、何度も落選しながらあきらめずに再選を目指し、果たした姿がネット上で評価され始め、「盧武鉉を応援しよう」という主張がネット上で徐々に広まり、そうした支持層のことをいつしかノモサと呼ぶようになってきます。

 ノモサの主な構成員はいわゆる386世代と呼ばれる「30代 の80年代大学卒業60年代生まれ」で、日本風に言えば「団塊の世代」に当たる層です。386世代は学生時代に民主化運動などを経験しており思想的にも民主的、平等主義を掲げる傾向が強いことからあくまで一意見ですが日本の団塊の世代と思想的にも近いように思えます。ともかくこうしたネット上の呼び声が徐々に広まり、泡沫候補から一転して盧武鉉は予備選に勝利し、この一連の盧武鉉ブームのことを韓国では「盧風(ノブン)」等と形容されているそうです。

 こうして民主党の統一候補となった盧武鉉は、本番の大統領選で野党ハンナラ党の李会昌と一騎打ちを迎えます。当時の情勢はどちらかというと盧武鉉側にとって不利な状況だったそうですが、大統領選の直前に韓国で米軍戦車によって女子中学生が踏みつぶされるという痛ましい事故が起こり、またも情勢は一変します。
 この辺でなんとなく日本の沖縄の事件が連想されるのですが、この時の米兵の逮捕や裁判を巡って米韓関係は悪化し、当時のブッシュ大統領も声明を出すなど事態の鎮静化を図りますが韓国の対米感情は良くなるどころかますます悪くなり、こうした状況が親米路線の与党ハンナラ党への支持に陰りを与えます。

 最終的な結果ではわずか約57万票という僅差で盧武鉉が勝利し、次期大統領職の座を射止めます。こうして改めてみると盧武鉉はタイミングがいいというか情勢の空気にうまく乗っかることが出来たという運の良さが目立つ気がします。それだけに、資質面は放っておかれたのかもなっていう事で、次回ではある意味で非常に印象の強かった盧武鉉大統領についてあれこれ語ってこうと思います。

堺市長選の結果、維新の会の弱体化について

 本日、大阪府堺市の市長選が実施され、現職の竹山修身氏が再選を果たしました。竹山氏は以前に橋下大阪市長が率いる維新の会に所属していたものの、橋下市長が掲げる大阪都構想では堺市の自治が崩れるとの考えから維新の会を脱退し、今回の市長選では維新の会公認、事実上の刺客候補である西林克敏氏を破っての再選となりました。

 選挙前の段階ではあくまで個人的印象ながら、メディアの報道の仕方などを見る限りだと竹山氏がやはり有利ではないかとみておりましたが見事その通りとなりました。またかつては飛ぶ鳥を落とす勢いのあった維新の会ですが、最近は前回の参議院選といいめっきりと勢いを落とし、今回はお膝元ともいえる大阪での敗退と相成りました。橋下市長は今回の敗北で代表の座を降りるつもりはないとあらかじめ名言しており選挙結果が出た後にも改めて同じ内容の発言をしましたが、その影響力の低下は避けられないでしょう。

 そもそも何故ここまで維新の会は勢力を落としてしまったのでしょうか。今回の坂井市長選挙に絞って意見を言わせてもらうと、大阪都構想に対してそもそも大阪府内で統一した見解が出来ていない、また都になることで具体的なメリットが見えないということが大きいのではないかと思います。確かに府から都に行政区分が変わることでメリットは全くないわけではありませんが、大きく今の制度を変えてまでやるべきかと言われると正直ピンとこないというのが大阪府民の正直な心情な気がします。また維新の会も具体的にどのように都に変わり、またそれによってどう変わるのかをうまく説明しきれていないようにも見えます。もっともこれは維新の会の内部でも大阪都構想に対して統一見解が完全に出来上がっていない表れなのかもしれませんが。
 その上でもう一つ敗退要因を挙げると、絶対的多数の人にとって大阪都構想よりも別の政策の方に興味があったようにも見えます。具体的に言えば消費税増税や関西電力の原発に関する問題などで、私個人としてもこういったところを争点にしていろいろ意見を聞きたかったものです。

 ちょっと早い予想かもしれませんが、維新の会はこのままずるずると勢力を落とし、下手をすれば次回の総選挙までには合併なりなんなりで消えてしまうかもしれません。今回の敗退による勢力低下はもとより、このところは大阪市改革も掲げた政策がなかなか実行に移せず、下手なものだと見送りされる事案も増えており、アピールポイントとなる政策が確実に減ってきています。
 今思えば駄目になっていく最初のきっかけは橋下市長の突拍子もない従軍慰安婦に関する発言からだった気がします。今更ですが、もう少し辛抱というものがあればまだ状況は違ったかもしれません。

2013年9月27日金曜日

「おもてなし」だけに頼るな!

 さっき友人と電話している最中にも出てきたので、今日は「おもてなし」という単語について前々からかなりいいたかったことを短くまとめようと思います。

 「おもてなし」というこの言葉はオリンピック招致の最終レセプションで「なんとなくクリステル」こと滝川クリステル氏が使ったことから今、日本中で流行語と化しております。意味するところは単語の意味の通りで客を歓迎、もてなすという意味で、日本の観光業界が他国に比して強く力を入れている分野でもあります。
 ただこのおもてなし、ここで言うのもなんですがあまり多用するべき言葉ではないと思います。というのもかつて海外であれこれ取材活動をしている最中に「このままじゃダメだ!」なんて強く感じることが多々あったからです。

 実は私はかねてから将来の日本は観光業を主力産業として育成する必要があるとの考えから、観光に関連した取材や特集記事の執筆を記者時代によくやっておりました。普段は面倒くさい記事はなるべくほかの人に書かせるように仕向けるほどでしたが、わざわざJNTOの関係者にも直接アポとって観光関連の記事は書いてたし。
 取材分野の方では香港に滞在していた頃に最も多くこなしており、地方自治体、観光業関係者たちのその熱の入れようは強く伝わりましたし私自身としてもなるべくそれを発信しようと努めており折ました。ただそうした取材の際にある質問、具体的には、「一体どういったものを外国人旅行客に強く訴えたいと考えておりますか?」と聞くと決まって、「やはり日本流のおもてなし、懇切丁寧なサービスで旅行客に満足してもらいたいです」というような回答がほぼ100%返ってきました。ついでに書くとコンビニとか小売店関係者も同じ「日本流のおもてなし」を多用します。

 確かに日本人というのは見知らぬ他人に対してよく人見知りするけど、それがお客さんとなると非常に丁寧な対応に切り替えるし、そうした慇懃無礼な対応をあまりストレスなく率先して出来るところはあると思います。そういう意味で日本人のおもてなし精神というのは他国にはそんなにない一つの強みと言えるのですが、外国人からすれば日本人のおもてなしがどういうものなのかよくわかっていません。いくら態度が丁寧だとか配膳の仕方がきれいだとか言っても実際にそのサービスを受けてみないと理解することは難しく、また受けたことがない人に対して説明するというのも同じように難しいのではないかという気がします。
 そのため、おもてなしというのは確かに日本観光の一つの武器ではあるものの、適用効果のある層というのはリピーターこと1回は日本に来たことがある、または日本人と接したことのある外国人に限られるため、まだ1度も日本に来たことのない新規外国人客を誘致する材料としてはやや弱いものではないかと私は考えております。まだ日本観光に興味を持っていない、興味はあるけど他と比較している外国人客はお世辞にも日本に対する理解が深いわけではなく、やや下賤な言い方になりますがもっと具体的で直感的な観光要素が必要ではないでしょうか。

 更に言わせてもらうと、日本の観光関係者はもっと自分の持っている独自ポテンシャルを訴えるべきです。先程も書いたように私が中国や香港で日系観光業関係者に取材するとみんな同じように「日本流のおもてなし」しか言いません。はっきり言わせてもらえば、同じ日系観光業であれば日本流のおもてなしはあって当たり前です。東京や大阪、私の贔屓する鳥取など数ある日本の地域の中から外国人観光客に「ここに行くぞ!」と思わせるため、誘致するに当たって、同じ「おもてなし」を並べても全く差異性はありません。くどいようですが日本の観光業はもはや「おもてなし」があって当たり前なので、その上で他の地域や同業者に一歩差をつけるためにも、「うちはこんなのがある」、「ほかの地域にはないがうちにはこういうものがある」というものをもっとどんどんと提示していくべきです。

 なんか今回は随分と熱いことを書きましたが、本音を正すと上記のように取材相手が「おもてなし」しか言われないと記事が書けないというのがこういう事を考えるに至ったそもそものきっかけです。実際に私も苦労したのですが、九州の観光業関係者が「おもてなし」といい、東北の観光業関係者も「おもてなし」と全く同じことを言ってくると、記事には同じ「おもてなし」という見出しが並んで内容も似通ったものになってきてしまいます。同じような内容だと読者も「軟化に多様な文章だな」とか思うし、編集長からも「お前、これじゃ前の北陸の特集と全く同じ内容じゃないか」なんて絞られるしで、「頼むから変わったことを言ってくれ……」と、何度も心の中でつぶやいた去年の夏の上海の日だとさ。