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2013年9月30日月曜日

韓国の近現代史~その二十五、ノサモ

 また前回から大分日が立ってしまっての連載再開です。このところ落ち着いて記事書くこと出来ないから思い付きで書くことも増えてるしなぁ。

 なわけで簡単に前回までのあらすじを書くと、前回では金大中政権時にあったということから日韓ワールドカップを取り上げました。このワールドカップがあった2002年、韓国では金大中の後継を巡る大統領選挙が行われ今回お題に挙げた「ノサモ」という、次に大統領となる盧武鉉を応援するネット上のファンクラブの存在が大きく注目されました。

 この年に与党であった韓国民主党は大統領選に向け、党内で候補を一本化するために予備選挙を実施しました。この予備選挙に立候補したのは盧武鉉を含む7人で、この時点で盧武鉉は他の候補者に比べて実績も経験も少なく、泡沫候補と言っても差し支えありませんでした。
 そんな盧武鉉に追い風が吹いたのは数年前から爆発的に利用者の増えていたインターネットがきっかけでした。盧武鉉はそれまで国会議員選挙などで何度か落選を経験していましたが、何度も落選しながらあきらめずに再選を目指し、果たした姿がネット上で評価され始め、「盧武鉉を応援しよう」という主張がネット上で徐々に広まり、そうした支持層のことをいつしかノモサと呼ぶようになってきます。

 ノモサの主な構成員はいわゆる386世代と呼ばれる「30代 の80年代大学卒業60年代生まれ」で、日本風に言えば「団塊の世代」に当たる層です。386世代は学生時代に民主化運動などを経験しており思想的にも民主的、平等主義を掲げる傾向が強いことからあくまで一意見ですが日本の団塊の世代と思想的にも近いように思えます。ともかくこうしたネット上の呼び声が徐々に広まり、泡沫候補から一転して盧武鉉は予備選に勝利し、この一連の盧武鉉ブームのことを韓国では「盧風(ノブン)」等と形容されているそうです。

 こうして民主党の統一候補となった盧武鉉は、本番の大統領選で野党ハンナラ党の李会昌と一騎打ちを迎えます。当時の情勢はどちらかというと盧武鉉側にとって不利な状況だったそうですが、大統領選の直前に韓国で米軍戦車によって女子中学生が踏みつぶされるという痛ましい事故が起こり、またも情勢は一変します。
 この辺でなんとなく日本の沖縄の事件が連想されるのですが、この時の米兵の逮捕や裁判を巡って米韓関係は悪化し、当時のブッシュ大統領も声明を出すなど事態の鎮静化を図りますが韓国の対米感情は良くなるどころかますます悪くなり、こうした状況が親米路線の与党ハンナラ党への支持に陰りを与えます。

 最終的な結果ではわずか約57万票という僅差で盧武鉉が勝利し、次期大統領職の座を射止めます。こうして改めてみると盧武鉉はタイミングがいいというか情勢の空気にうまく乗っかることが出来たという運の良さが目立つ気がします。それだけに、資質面は放っておかれたのかもなっていう事で、次回ではある意味で非常に印象の強かった盧武鉉大統領についてあれこれ語ってこうと思います。

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