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2014年5月4日日曜日

野ざらしの屍を弔った男たちの末路

 先日書いた「中国四大美女について」の記事で楊貴妃について紹介しましたが、この際についでだから彼女にまつわるある寓話を紹介しようかと考えたのですが、仮にのっけたらかなりの長文となって全体の構成が崩れると思い見逃しました。そしたらコメント欄でちょうどその寓話について指摘してくれるコメントを頂け、個人的にも気に入ってて是非紹介しようと思っていた寓話なので今日はそのお話を私の方から紹介しようと思います。

 この話はショートストーリーをまとめた中国明代の書物、「笑府」に載せられているエピソードです。

 昔々あるところ(もちろん中国)で、一人の農民が野ざらしとなっていた屍を見つけました。不憫に思ったその農民はその屍を丁寧に弔って家路についたところ、その夜に男の家の門を「トントン」と小さく叩く音が鳴りました。
 男が門を閉じたまま、「どなたですか」と尋ねると「フェイです」という答えが返ってきたので、男は続ざまに、「フェイさんって、どこのフェイさんですか?」と問うたところ、「妃(中国語の発音で「フェイ」)です。楊貴妃です」と返ってきました。男が門を開けてみると確かに歴史書に出てきそうな衣装と類稀な美貌を持った楊貴妃が立っており、一体何故こんなところにと聞くと、

「私は安史の乱の際に処刑されて以降、屍はずっとあの場所に放置されたままでした。それを今日、あなたが丁寧に弔ってくれたので今宵一晩のお供しようと参りました」

 と説明したので、この際幽霊でもいいかと割り切った男は楊貴妃を家に招き入れ、楽しい一夜を過ごしたそうです。

 男はこの不思議な体験を近くに住む男に話したところ、その男も同じ思いにあやかりたいと思って野ざらしとなっている屍を探しました。散々探し回った挙句ちょうどいい具合に放置されている屍を男は見つけたので、最初の男同様に丁寧に弔って家路に着きました。するとその夜、「ドンドンドンドン」と、まるで借金取りが取り立てに来たかのように激しく家の門が叩かれたので、「ど、どなたでしょうか」と男が門越しに尋ねると、「フェイだ!」という大声一声。「ど、どちらのフェイさんでしょうか?」と続けざまに尋ねると、「フェイだよフェイ。張飛の飛(中国語の発音で「フェイ」。何気にさっきの「妃」と同じ第一声)だっつの!」と野太い声が返ってきました。
 男は恐る恐る、「ちょ、張将軍がこんなあばら家にどんな御用で……」と問うと、「おう。俺は死んでからずっとあの場所で屍が放置されたままだったんだ。それを今日お前がきちんと弔ってくれたんで、一つお礼に一晩付き合ってやろうと来てやったんだ」と話し、嫌がる男と共に熱い一夜を過ごしたとのことです。


 この寓話は後に日本で翻案され、落語の「野ざらし」の下地になったと言われております。あとkの寓話が我々に教えてくれる教訓としては、二匹目のどじょうを拾うようなことはよくないってことと、どんなエピソードだろうと張飛の濃いキャラクター性はどこでもいかんなく発揮されるんだなってことです。二番目の男も必死で門を開けまいとしただろうけど、張飛のキャラクター性なら一発で蹴り飛ばす姿が簡単に想像できるし、幽霊でも全然強そうだ。

2014年5月2日金曜日

山田風太郎の日記を読みだして その二

 昨夜自らを「習近平」と名乗る男から電話があり、「ウルムチの件でむっちゃ忙しいねん」と言って自分に早く上海へ来るよう言ってきました。一体、俺に何をしろというんだあの上海人の友人は。

 話は本題に入りますが、前にも書いたように山田風太郎が戦前に書いた日記をこの頃読んでいます。今は1943年の部分を読んでいるのですが、上京してまで浪人生活を続けていたのに山田風太郎はこの年の医学校の試験には受験した二校とも落ちて、さすがにショックだったのか落ちたという事実を記した後は約一ヶ月にも渡って日記を綴るのをやめてます。お世辞にも、当時はあんま勉強してるようには見えないから落ちるのもしょうがないかなって気もしますが。

 ただ不合格のショックから立ち直ってまた書き始めた日記に、読んでてちょっと面白い点がありました。それはどんな点かというとインドのガンディーに関する記述です。

 その日記によると、当時ガンディーはインド独立を認めないイギリスへの抗議活動としてハンガーストライキをやっていたそうです、これに対して山田風太郎は絶賛し、暴力を伴わず断固として独立を要求する姿勢が素晴らしいとした上で、日本もインドの独立を支援するために軍事作戦を今後も展開しないといけないとか、将来ガンディーはブッダやイエスなどの聖人に列するだろうなどと激賞しています。
 ただそれだけべた褒めしてから数日後の日記だと、ガンディーがハンガーストライキで目的の日数を達したとしてオレンジジュースを飲んだ(=やめた)という新聞報道を引用した上で、

「何なんだあの野郎。やるならちゃんと餓死するまでやればいいってのに中途半端に終えやがって、あの感動をどうしてくれるんだ」(意訳)

 という風な感じで、今度は激しくガンディーをディスる内容を綴ってました。気持ちは分からなくもないが、あんだけ誉めた直後にこういうことを書くのもなぁと読んでて苦笑する内容です。

 ここで最初の話に突然戻りますが、先日中国のウイグル族自治区で起きた爆発事件について日本のメディアは中国での発表や報道を引用し、自爆テロであった可能性が強いなどとした上で、実行したのは中国からの独立を目指すウイグル族グループとみて捜査が進んでいるなどと報じています。そのほか解説として現地での独立運動や過去にあったこの地での事件などを合わせて報じておりましたが、この事件をテロ行為だとして真正面から批判するような報道はついぞ見当たりませんでした。

 現地で独立運動があるのは知っていますし、中国がその運動家を弾圧しているのもほぼ間違いない事実です。だからと言ってはなんですが、もし中国政府の発表の通りにこの事件が活動家らによる自爆テロだとしたら、無関係の人間を巻き込むこのような手段には一片の正義もないと私は断言できます。何も暴力なしで革命が達成できるなんていう甘い考えを私は持ち合わせておりませんが、少なくとも多くの一般人もいる公共の場で爆発を起こしても何もひっくり返ることはなく、いたづらに人を傷つけるだけの最低な行為でしかありません。
 なんていうか、日本のメディアの報じ方は素っ気ない感じであるのと、独立運動があって中国政府への反抗としてこういう事件が増えているなどと、ちょっと穿った見方をすると、中国からの支配を脱するためにはやや仕方ないのでは、なんていう言い方をしてるようにも見えます。

 ガンディーの非暴力不服従は言うは易く実行するには難い概念であるものの、アルカイダに始まる一般人を巻き込むテロはもはや何の政治活動でもなく、ただの暴力です。余計な状況説明はいいから批判する一言でも盛りこんだらどうかと、日記帳に付けてこうと思ったわけです。

2014年5月1日木曜日

中国四大美女について

 また中国のウルムチで一騒動があったようですが、当局はともかく日本がどうこう騒ぐほどの事件なのかなと思うので自分はスルーしようかと思います。中国当局側の立場に立つなら、こういう事件が散発的に起きている間は事件捜査はしっかりしなければならないものの、組織的で連続的に起こらない限りはまだ安心できると言ったところじゃないでしょうか。

 話は本題に移りますが、中国四大美女と言ってすぐに四人全員の名前を挙げることが出来るでしょうか。多分楊貴妃と貂蝉の名前は出てきても西施と王昭君の名前とエピソードは出てこないと思うので、いい機会だしこのブログで簡単に紹介しようと思います。

中国四大美人(Wikipedia)

1、西施
 西施は中国の春秋時代(紀元前5世紀?)の人物で、「呉越同舟」という言葉の元になるほど仲の悪かった呉と越という国の抗争史に出てきます。呉と越の国は昔からしょっちゅう争っていましたが呉王が夫差の時代に越王の勾践は一度大敗し、降伏の条件として勾践は夫差の奴隷として働く時期もありました。ただ勾践はその後に罪を許されて国に戻り、呉の打倒を目指して富国強兵に励むのですが、その傍らにはある意味で中国初の軍事参謀ともいうべき范蠡という人物が常について勾践を助け続けました。
 この范蠡が呉を弱体化させるために考えた作戦というのも、「美女を使って呉王夫差を骨抜きにしちゃえ」というもので、夫差の好みを徹底的に調べ上げた挙句に西施という女性を選び出し、夫差の下へ献上します。この策は見事に当たり夫差は西施にメロメロとなって政治が疎かとなっていき、これ以外にも様々な策謀をめぐらした挙句、最終的に越は呉を打ち滅ぼすことに成功しました。
 呉が越によって滅んだ後、西施がどうなったのかについては諸説あります。その美貌が今度は勾践に悪影響を与えるとして送り主の范蠡が即座に殺したという説もあれば、越の覇業達成と共に范蠡は政界を引退し、西施も范蠡と共に余生を過ごしたという説もあり、どっちかと言えば後者の方が真実味あるかなと私は思います。もっとも実在したかどうかも怪しい人物であるのですが。

2、王昭君
 この人は前漢の時代(紀元前1世紀)で、楊貴妃と共にこの四人の中で確実に実在したと言える人物です。
 前漢と対立していた異民族の匈奴から和睦の条件として、皇帝の後宮にいる美女を一人を分けてくれ(節操ないなぁ)と言われたので、当時の皇帝の元帝は折角だから一番ブスを選んでやろうと後宮の美女たちの似顔絵を見比べた上で王昭君を選ぶことにしました。匈奴に送り出す前に元帝は折角だからと王昭君を一度呼び出してみたところ、出てきたのはびっくりする位の美人で思わず、「なんで俺こんな美人選んじゃったんだろう」と洩らしたそうです。
 というのも後宮に入る美女たちは画家に賄賂を贈ってわざと自分を美人にして描かせていたのですが、この王昭君はそうした賄賂を贈っていなかったため実際には物凄い美人なのにブスに描かれてしまい、匈奴の地へと送られることとなってしまったわけです。この悲劇性が彼女を際立たせており、こうして数ある後宮の美女たちの中でも唯一後世に語られる人物にはなれました。

3、貂蝉
 三国志を知っている人間にはお馴染み、後漢時代(紀元後2世紀)の人物です。貂蝉は元々、王允という当時の文官としてはナンバーワンの人物の養女だったのですが、当時の朝廷を専横していた董卓を排除するため自ら敢えて董卓の囲い者となります。ただ董卓の囲い者となる一方、董卓の配下で最強、もとい化け物揃いの三国志においてすら最強であると誰も疑わない呂布という将軍に対して事ある毎に色目を使い、「董卓がいる限り私たちは一緒になれないわ」なんて言って叛意を煽り、最終的に呂布を王允側へ引き込み董卓の暗殺を成功させます。
 結論から述べると彼女は物語の三国志演義の登場人物であって架空の人物ですが、実際の歴史でも董卓の侍女(名前不詳)を巡る争いが呂布と董卓の仲違いの一因になったと書かれてあり、モデルとなる人物は実在したとみられます。なおゲームの「真・三國無双」に貂蝉は皆勤賞で登場してますが、シリーズを重ねるごとに衣装が薄くなってきており、このゲームのお色気路線と共に歩んできた人物と言っていいでしょう。

4、楊貴妃
 この人は唐代(紀元後8世紀)の人物で、平安時代の日本の貴族たちがやたら唐代の歴史や詩を愛好した結果、中国以上に日本人に親しまれるようになった人です。あんま説明は要らないと思いますが、元々は玄宗皇帝の皇太子の夫人でしたがその美貌を目に止めた玄宗が略奪する形で自分の夫人にした挙句、楊貴妃の従弟である楊国忠も棚ぼた的に政治の要職につけてしまいます。
 最初の方はよかったのですが、中国史を代表する妖怪の様な人物である安禄山が楊国忠と次第に対立した挙句に反乱を起こし、一時は首都の長安まで攻め落とすに至ります。もちろん長安が落とされる前に玄宗は脱出していたのですが、逃亡先で官僚たちはそもそもの反乱の原因となったのは楊国忠だとして勝手に殺害し、さらには皇帝もたぶらかされているとして楊貴妃の処刑も上奏されたために玄宗は泣く泣く楊貴妃の処刑します。
 先にも書いた通りに日本人は平安朝に白居易の長恨歌という玄宗と楊貴妃のエピソードを謳った詩集が大流行したため、勝手に楊貴妃を世界三大美人の一人に数えちゃうくらい贔屓にしてます。けどエピソードを見る限り自分からしたらうざい女だなと思うような人物像で、正直好きにはなれません。

 以上がざっと四人について簡単にまとめた内容ですが、西施と貂蝉に関しては架空の人物なれど、王昭君を除いた三人は文字通り「傾国の美女」と言っていいほど国家の趨勢に大きく影響を与えております。翻って日本の歴史だとこれほど美貌によって国に影響を与えた美女というのは架空のエピソードでも存在しておらず、そういう点で中国はなんでもスケールが大きい国だと思わせられます。
 そんな日本の美女とくると有名なのは「戦国三大美人」のお市、茶々(=淀君)、細川ガラシャですが、お市は確かに美女だったとよく書かれていますが残り二人はそんなに激しい美女エピソードは聞かず、その流転ぶりによるエピソードでのし上がってきただけではないかと内心考えてます。むしろエピソード的に面白いのとなると、「とわずがたり」の作者の後深草院二条じゃないか、っていうか際立ち過ぎていると思います。なんつっても、後の南北朝対立の源流となる後深草天皇と亀山天皇というビッグ2との関係を赤裸々に書いてて、「とわずがたり」の内容を読んだ際に私は本気でのけぞりました。

2014年4月30日水曜日

中国の行政区分の見方

 中国に長く暮らしている人も意外と内実を詳しく知らない人が多いので、今日は中国の行政区分について簡単に解説します。

 中国の行政区分は一見すると日本の都道府県制に似ているように見えるのですが微妙に異なっており、日本の感覚で住所を読んだりすると疑問符を混乱する人もあります。日本では県(+都、道)が最も大きな行政区分で、その後に市町村名が来て、最後に固有の地名が来て番地が入っていくのですが、中国でも大きな行政区分の名前から住所は入っていきます。
 これに対し中国で最も大きな行政区分は「省」で、よくある広東省とか遼寧省などで日本でもおなじみでしょう。ただ日本の北海道の様に、「自治区」という省と同等の行政区分があり、これは内蒙古自治区とかウイグル自治区、チベット自治区などが代表的です。これら省・自治区の後に来るのは「市」で、住所としては省・自治区の後に市の名前が入り、あとは固有の地名が来て最後に街路名と番地が来るのが一般的です。

 ここで一つ質問ですが、じゃあ中国で代表的な都市の北京市や上海市は一体「何省?」に属すのでしょうか。答えを明かすとこの二市はどの省・自治区にも属していません。日本人からしたら「なにそれ?」とか思いたくなるのですが中国では全国で四つの都市だけ、具体名を挙げると「北京市」、「上海市」、「天津市」、「重慶市」だけが「直轄都市」という特別な行政区分で、省・自治区とほぼ同等の権限を持っております。
 この四つの直轄都市がほかの市とどう違うのかというと、蘇州市など通常の市はその上に江蘇省など省・自治区が管理、監督する権限を持つのですが、直轄市はその名の通りに中央政府、つまり北京の共産党が直接管理、監督しております。何故この四つの都市が直轄市となったのは単純に都市としての経済力や政治価値、重要性から選ばれたようで、恐らく今後も増えたり減ったりすることはないのではないかと私は見ています。
 ですので住所の書き方ですと、直轄市と通常の市では下記の様に異なってきます。

直轄市の場合:上海市□□区○○路××号
一般市の場合:江蘇省蘇州市□□区○○路××号

 見てもらえばわかる通り、直轄市はそのまま市の名前が一番上に来ますが、通常の市は上位区分の省・自治区の名前が入ってきます。なお通常の市は場所によっては「~区」の名前が入ってきません。

 ここで余談ですが、多分こういう行政区分を理解してないせいだと思いますが多くの日系企業がホームページで公開している中国拠点の住所で、省・自治区名を入れたり入れてなかったりしていて非常にあいまいです。特に一番多いのが広州市の扱いで、正式には「広東省広州市」と書くべきところを「広州市」と市名から入るケースが本当に多く、その下にある別の拠点の住所には「江蘇省蘇州市~」と書いていてどっちやねんと言いたくなってきます。恐らく広州市は直轄市でないものの非常に大きな都市であることから、上海市みたいに大きな都市は省・自治区名は入れなくていいんだと勘違いしているのだと思います。中国人も広州市の場合は広東省を入れないことが多いけど、一応この辺の区別位つけようよと個人的には言いたいです。

 ひとまず大まかな理解としてはこんなもんで大丈夫なのですが、普段中国に関わるくらいならそんな気にしなくてもいいものの、ごくたまに「なんじゃこりゃ」と思うような住所名に出くわすことがあります。それはどんな住所名か例を挙げると、「江蘇省蘇州市常熟市~」というようなもので、なんで市の中に別の市の名前が入っているんだと読んでてお皿投げたくなります。
 これは種明かしをすると、「地級市」と「県級市」 の違いです。中国では日本で言うと県庁所在地みたいにその省・自治区の中心となっている主な市が地級市なのですが、その市の下の行政区分に「県」というのが隠れて存在しております。ちょうど「市」と「県」の価値が日本と逆なのですがこの市の下にある県は改革開放以降、徐々に人口や経済力を増していったことから「市」に格上げされ「県級市」となっていったものの、行政単位としては元々の上位区分である「地級市」の下に置かれたままとなっています。そのためさっきみたいに「市の中に市がある」というちょっと妙な住所名となるわけです。

 ただこうした県級市の住所での書き方は中国でもフラットになっているというか、地級市を省略して書くことが多いです。たとえば先ほどの常熟市の例ですと正式な書き方は「江蘇省蘇州市常熟市~」ですが、実際には「江蘇省常熟市~」という風に書いちゃいます。見ている方からしてもこっちの方が把握しやすいですし、自分の運営している「企業居点」でもこのような表記の仕方をしております。

  おまけ
 中国で最も経済力の高い市はどこかというと上海市と誰もが答えるでしょうが、中国で最も経済力の高い行政区分はとなると実は異なり、これは広東省となります。ついでに中国で最も人口が多い市はどこかというと、上海市かと思いきや実は重慶市だったりします。

2014年4月29日火曜日

最近のテレビ番組雑感

 今日は朝六時に起きて久々に江戸川を自転車でひたすら上り、距離にして片道約45キロメートル、往復で90キロメートル走ってきました。走行時間は往路が約2時間、復路が休憩含めて約3時間の合計5時間でしたが、やっぱ久々の長距離と合って随分遅くなってます。っていうか後半ばてばてだったのがいけないんだけど。
  そんなわけで今日はちょっと楽な記事に逃げたいので最近のテレビ番組についていいたいことを片っ端から書いていきます。

 まずこのところ平日が休みとなり家にいるので悪い意味で噂となっている「バイキング」を見てみました。いいともの後番組として注目される中始まりましたがこれまでのところ視聴率面で苦戦するという報道ばかりで果たしてどんなものかと思ってみてみましたが、久々に「時間の無駄だ」という感想を覚えました。結論から言うとあの番組内容で生放送にする理由が全く理解できないし、やたらお笑い芸人が出て同時に複数が話し出すので言葉が聞き取り辛く、よくこんな企画でGOサイン出たなと呆れました。しょうがないので他のチャンネルに回しましたが、行きつく先はなんか視聴率があがっているという「ひるおび」で、見ていてさもありなんと思いました。

 なにも「バイキング」に限らずテレビ離れが進んでいる結果としてどこの曲も視聴率が落ちているのは事実です。テレビ局側もこのところは無理して視聴率を取ろうとするくらいなら安い予算で番組を作って適当に放送するようになってきているようで、多分共感してくれる人も多いと思いますがいわゆる「散歩番組」が増えてきてます。散歩番組とは読んで字の如く芸能人が地方を散歩するロケ番組で、故地位武男の「ちい散歩」がヒットしてからみんなパクって、今じゃこのジャンルの番組が放送されない日はないくらいじゃないかとすら思います。NHKの「釣瓶の家族に乾杯」はこの散歩番組であるものの昔からやっているので文句ありませんが、ほかの番組プロデューサーは他人の褌で勝負していて恥ずかしいとか思わないのかな。

 最後はニュース番組についてですが、このところNHKの「ニュース9」 がすごくつまらなくなってきました。このところ妙な特集に大幅な時間を割くばかりに大きなニュースに対してもさらっとした報じず、私からすると物足りなさを覚えます。対象に敵にテレビ朝日の「報道ステーション」は大きなニュースほど細かく報じ、しかもその内容がなかなか見ていて面白いため私の中で株が挙がってきています。
 具体例を述べるとSTAP細胞の小保方氏の会見で「ニュース9」は山梨大教授へと送ったマウスの勘細胞の遺伝子がオリジナルと異なっていた件についての質疑応答を端折ってたのに対し報道ステーションはちゃんと取り上げてました。あと昨日の報道ステーションでは韓国の旅客船沈没事故に関する報道で、沈没船に乗っていた高校生が携帯電話で撮影した動画(番組では静止画と音声のみ)を公開し、その放送内容には思わず見入ってしまいました。その動画では繰り返し船内放送で「その場から動かないように」という音声が流れており、それに対して高校生たちが最初はややワクワクしたようにどうなるのかなどと話し、徐々に本当にこのままでいいのかと不安そうに話しはじめる様子が収められていて、見ていて本当に心が痛みました。なお、その動画は遺族が韓国のテレビ局に提供したものだそうです。

2014年4月28日月曜日

携帯電話が将来消えてなくなるという仮説

 現代においてはもはや一人一台と言っていいほどの保有率を誇る携帯電話ですが、自分がまだ子供だった頃はこんなにも普及していなかったことを考えると改めて不思議な気持ちになります。昔書いた連載の「失われた十年」においても1990年代における小型通信機の発達は異常なほど早かったと一節を設けておりますが、この携帯電話市場においてもそろそろ時代のパラダイムというか転換点を迎えるのではないかと一人考えております。
  結論から述べると、今後十年以内に携帯電話というものはほぼなくなるのではないかと思います。なくなるほど極端ではなくても、あと二~三年以内に通話料の減少が始まり、携帯電話通信事業各社では減益と共にリストラに取り組まなければならなくなるはほぼ確実だと見ています。

 あんま長々書かなくてもいいネタなのでとんとん理由を書いていきますが、私がこう思うきっかけとなったのは通話アプリの「Skype(スカイプ)」と「LINE(ライン)」の存在です。
 私はスカイプを2008年から使い始めましたが初めて使った時はインターネットがつながる環境であれば無料でいくらでも電話が掛けられるというその便利さ、音質の良さに驚くとともに、国際電話もこれで無料に使えるという事実に結構なカルチャーショックを覚えました。その後現在に至るまでスカイプは利用し続けており、特に中国で働いていた時などは日本にいる友人らと会話する際には重宝しました。

 ただスカイプはその便利さの一方、お世辞にも誰もが気軽に使うほど普及するアプリにはなっていないように見えます。事実私の周りでは私が紹介するという形を取ってから初めて使う人がほとんどで、中には「早く出てこい(#゚Д゚)ゴルァ!!」っと言ってるのになかなかスカイプを繋げない後輩もいて、一回使ってからはまる人もいればそうでない人もいて大きな温度差があります。
 スカイプの普及にこのような温度差がある理由としては、私が思うに最初にIDを登録するという手間が大きいように見えます。そんな大した作業ではないのですが何の手続きもなしにすぐ自動で登録されるわけでないことから、スカイプ同士なら無料でいくらでも電話が掛けられるといっても二の足を踏むような事態となったのではと考えています。
 そんなスカイプに対して現在流行しているラインの強みは、同じ無料通話アプリであるものの現在登録している携帯電話番号を元に手軽で簡単にIDを登録できる点でしょう。それ以外にもスタンプなどのコミュニケーションツールを搭載していたことも大きいでしょうが、このラインをきっかけに無料通話アプリを初めて知った人も多いように思えます。

 ここで話を本筋に戻しますが、要するにこれら無料通話アプリが既存の携帯電話に取って代わるのではないかと予想しているわけです。というのも無料通話アプリであればWIFIが入ればいつでもどこでも通話ができて、なおかつ同じアプリ同士なら会話は無料。さらにビデオチャットも出来ればメッセージの授受も出来て、こういってはなんですが通常の携帯電話の通信に何一つ勝っているところはありません。
 現在主流の携帯電話通信規格の「3G」は比較的どんな場所でもつながるというネットワークの広さではまだ優位性を保っているものの、今後WIFIのネットワーク網が広がればその優位性すらなくなる恐れもあります。さらに通信速度では現時点でWIFIが確実に勝っており、携帯電話も次世代通信規格の「4G LTE」が普及すればまだ上がりますが、WIFIの通信速度は実験下とはいえ現時点で秒速100メガも達成しており、わざわざ4Gインフラに金かけて投資する価値あんのかなと内心思ってます。

 先ほどにも書いたように無料通話アプリはスカイプが結構前から始めていましたが、その存在はお世辞にも社会的に認知されてはいませんでした。しかしラインが普及してからは状況が変わり、大人も子供もおっさんもWIFIさえ繋がれば友人同士であればこっちでの通話を選ぶようになったのではないかと思います。この動きは今後ますます加速することでしょう。
 さらに、これが一番大きいのですが、WIFI通信というのは携帯電話の通信と比べて通信速度が速いだけでなく、現時点で通信料も圧倒的に安いです。携帯電話だとパケット使い放題の契約を結ばないと従量課金で毎月の通信料がかなり高額になりますし、そもそもパケット使い放題にするにしても月五千円くらいかかります。それに対してWIFIは私の使っているWIMAXならプロバイダ料金を含めて月額3800円強で使い放題で、通信速度がそんなに高くなくて通信量が一定値を越えたら通信速度にブレーキがかかってもいいのならイオンとかが月額1000円くらいで契約できるサービスを打ち出してます。さらにさらに述べると、これらのWIFI通信契約ならば普通にノートパソコンとかほかの端末でネットをするのにも使えるという点も見逃せません。

 先日、ドコモは通話料を月額2700円の定額にする新たな料金サービスを発表しましたが、こうしたサービスが新たに作られた背景には無料通話アプリの存在もあるんじゃないかと内心睨んでいますし、今後業界内で価格競争は増していくとも見ています。ただ私はなんでもかんでも極端な予想を立てることに定評があるためこのまま述べると、電話の形さえして携帯できれば、スカイプやラインの専用端末であってもいいんじゃないかとこの頃思っていますし、今後そういう端末が続々出てきて主流となるのではという気もします。

 以上の主張をまとめると、現在の携帯電話通信はその機能の薄さに比べて料金が高過ぎるということに尽きます。そのためそのシェアは今後無料通話アプリにどんどんと取られて行く可能性があり、私の予想みたいに完全になくなるというところまで行かなくても、よっぽど新しいサービス分野を開拓しない限りは利用量の減少と共に価格競争が始まって携帯通信事業各社の売上げや収益は今後落ち込んでいくというか、案外今くらいの時期がピークなんじゃないかと言いたいわけです。携帯電話各社のの売上げが落ちていくという予想に関しては、少なくとも私がこの話を振った全員が「せやね」と同意してくれました。人口も減ってるしね。

 最後に蛇足ですが、この記事の何がすごいかっていうと書いてる私自身がラインを今まで一度も使ったことがないという点に尽きます。 持ってる電話もウィルコムのガラケーっていうかPHSだし、国際電話はスカイプで済ましちゃうからですが、それでいてよくこんな記事書くなと我ながら呆れてきます。

2014年4月27日日曜日

拉致問題解決に向け天秤にかかる人権

 先程ニュースを見ていると本日、某所にて北朝鮮の拉致家族会の会合が開かれて改めて解決に向け家族会の方が講演をされたそうです。私個人としても拉致家族の方々の心労は同情するに余りあり、願う事ならこの問題が解決されればと陰ながら思っております。幸いというか自体はこのところ進展してきており、日朝政府関係者が赤十字を通して北京で会談を行ったり、北朝鮮側から再調査について言及もあり、この機に事態が上手く進展されればと私も思います。

 ただ今日このニュースを見た時にはっと思いついてしまったのですが、仮に北朝鮮が拉致問題で再調査を行って拉致被害者の返還まで行うとしたら、日本政府に対して何らかの見返りを要求することはほぼ確実だと思います。それでもこれまでの拉致家族の方々の苦労を思えば拉致問題解決と引き換えの北朝鮮への人道支援や国交回復について恐らく日本人の9割以上は賛成することでしょうし、むしろ支援を対価にしてでも拉致家族の返還を求むべきだという声の方が大きいでしょう。

 正直、このブログで書くべきなのかどうか少し悩みましたが、それでも敢えて言うべきだと思うので書きます。この拉致問題解決と引き換えの北朝鮮への支援を日本はやるべきかどうかと言ったら、私は疑問に感じる点が一点あります。というのも、北朝鮮へ支援をすれば確かに拉致被害者を取り戻せる可能性はあるものの、そのかわりに現在圧政を敷き北朝鮮国内で人権侵害をし続ける金王朝を間接的に支援することになってしまうのではないか、という一点です。

 言うまでもなく北朝鮮では多くの人間が飢餓状態にあり、また多くの強制収容所を構えての思想弾圧も日常茶飯事だと伝えられています。これらの人権侵害は現在の政権を握る金王朝が行っているもので、金王朝を打倒する以外では改善の見込みはほぼないと断言できます。
 仮に北朝鮮政府が拉致被害者を確実に帰国させるということを前提にした上で資金、またはエネルギーの支援を日本に求めたとします。その要求を日本側は飲むべきかどうか。飲めば拉致被害者の人権は守られるものの、北朝鮮の人権を侵害する組織を日本は支援することになりかねず、言うなれば日本人の人権と北朝鮮人の人権のどちらを優先するのか、天秤にかける選択となってしまうのではないかと今日ふと思ってしまいました。

 マスコミみたいに問題提起をするだけして投げてしまえば確かに楽ですがそれだとやはり卑怯なように思うので答えると、自分は後者です。拉致問題の解決は切実に望むものの、人権侵害を続ける政権を支援するような行為はやはりやってはいけないのでは、いくら日本人の人権を守るためとはいえ北朝鮮人の人権侵害を見て見ぬふりしてはならないのではと、批判されても仕方ないとは思いつつこのように考えます。
 もちろん日本全体の総意としてそれでも拉致被害者が取り戻せるのであれば支援すべきというのであれば、自分もその総意を批判するつもりはなく素直に従うつもりでおります。 ただ仮にこのような事態となった場合、いくらか出費を負担するけど拉致被害者が帰ってくるのならそれでいいとだけ考えるのではなく、北朝鮮の人権についても一定の覚悟を持って決めるべきではないかと個人的に思います。

 一番ベストなのは北朝鮮に対して何の支援もせず外交的駆け引きによって拉致被害者を取り戻すことです。次善の策としては、見返りの支援を要求されたとしても赤十字または日本政府を直接通した食糧支援だけに限定するか、本当に一回こっきりのエネルギー支援にするかです。この二案であれば自分も賛成できます。

 片方の人権を優先すればもう片方の人権を無視することになる。無論、同じ国民の人権を優先するというのは間違った概念ではないものの、もう片方の人権を無視することについて覚悟があるかないかでは大違いではないかと思ったので、こうして書き記すこととしました。